名人 桂文太さんのマクラに次のようなものがある。
落語もほどほど聴くのがよろしいでんなぁ。私の知り合いに365日のうち350日ほど落語を聴いている人がいてまんねん。で、こういう人は「落語を聴きながらぽっくり死にたい」てなこと言いまんねん。こんな無責任な発言はおまへんで。
「あれ、落語会が終わったのに、客席にまだ一人いてまっせ。もし、落語会終わりましたで、菊池さん……」(場内爆笑)
でこんな死人が出たら”不審死”ですから、当然病理解剖に廻されますわな。お腹を開けたら真っ黒い落語の塊がぎょうさん出てくる。それを詳しく検分すると、誰の高座か判明する。そして「文太、お前が犯人だ!」と警察に逮捕される……そんなことになったらかないまへんからな。やめといてくださいよ、菊池さん。
その、田辺寄席や文太の会には当たり前のように客席に座っていた菊池さんが今年の正月に亡くなった。享年69歳、尼崎市にある長屋で独り暮らしだった。
「菊池のおじき」はいつも右端の真ん中あたりに腰を下ろし、客席ににらみをきかせていた。マナーの悪い客には厳しかった。
遺品には几帳面な字で落語会を記録した数冊のメモが残されており、演者や演目、演じられた時間が分単位で淡々と刻まれていた。
例えば、
田辺寄席 in 寺西家 12月師走席 45人
桂文太(有)19:57~20:02~20:30 「猫の災難」
とある。(有)、(無)は見台(+膝隠し)の有無を示し、マクラの開始~ネタに入った時間~終了時間と続く。色物には名前の前に△印が付く。
またメモの一番上の隅の方に「アホ4人」と書かれたものもある。追悼文集のなかでその意味を本人に訊ねた人がいて、「帽子かぶっとるヤツや!」と答えが返ってきたそうだ。帽子を被ったままだと、後ろの人が見えにくい。そういう不届きな連中を、菊池のおじきはいつもにらみつけていたのである。
おじき語録(田辺寄席「参加者の声」)から面白い(共感した)ものを引用してみよう。
食堂で定食を注文して、おかずの中に嫌いな物があれば食べずに残す事もできるが、落語会はそうはいかない。フォアグラを採る為に飼育されている鴨のようにいやでも全部聴かねばならない。そやから演者はある程度のレベルまで技能を磨いて欲しい。辛口ですんまへん。
また、高座の最中に客席で携帯電話が鳴ったことについて、
文明の利器をサルが使ったらいかんと思った。
とある。きつい一言である。
僕は菊池さんの名前と顔を認識していたが、言葉を交わしたことはない。でも一度、文太さんが出演された繁昌亭の会で目が合い、向こうから目礼して下さった
ことがあった。「あっ、菊池のおじきは僕のことを《まっとうな落語ファン》として認めてくれたのかな」と嬉しくなった。単なる好意的誤解・我田引水なのか
も知れないが、それでも構いやしない。
この度おじきの訃報を聞き、有志が「しのぶ会」を企画。「おじきの贔屓にしていた落語家さん」に連絡を取ったところ、みんな快諾し1時間足らずで出演者が決まったという。

3月6日(日)朝、落語「高津の富」や「崇徳院」の舞台となった高津神社にある「高津の富亭」へ。

定員80名、前売りで完売。当日券無し。
- 桂 文太/開口0番
- 露の団姫/道灌
- 笑福亭生喬/しらみ茶屋
- 桂 文太/居残り佐平次
- 桂 文華/阿弥陀池
- 桂 千朝/代書(オリジナル完全版)
菊池さんのいつもの指定席には遺影が置かれていた。
開口0番で文太さんは、菊池さんが繁昌亭などで大向こうを掛けてくれる時に、(師匠の文枝邸が「玉出」にあり、文太さんも玉出なので)「若玉出」と叫ぶのだが、どう聞いても「バカ玉出」にしか聞えなかったというエピソードなどを話された。さらに「そうそう、帽子は取ってくださいよ。おじきがにらみますから」と。
団姫さんはマクラで大師匠・露の五郎兵衛が創った川柳を披露。
「へそまがりの 虫を一匹 飼っている」
「ネクタイの 数見て恋の 数を知り」
久しぶりに彼女の「道灌」を聴いたが、間の取り方が良くなったのだろうか、ますます上手くなってるなぁ!
笑福亭生喬さんは菊池さんの印象として「常に怒ってはる」。落語会のアンケートにも「あのおばちゃん、腹が立つ」と書かれていたり。生喬さんの勉強会が田辺寄席と重なると「行かれへんがな!」と怒られた。また「米揚げ笊」をネタ下ろしした時ボロボロの出来で、受付をしていた生喬さんの奥さんに菊池さんがツカツカ寄ってきて、「お宅の旦那は、ちゃんと稽古してはるんか!」と。朝日新聞に掲載された菊池さんの記事については「あんな大きい写真を載せてもらって羨ましい。僕なんか小さい写真しか載ったことないのに」
また生喬さんは林家花丸さんの影響で最近、宝塚歌劇にはまっているそう。何と雪組「ロミオとジュリエット」は3回観劇されたとか!負けた・・・。ラインダンス(ロケット)で綺麗に足が揃っているのを褒め讃えた後、大声で「住吉踊り、アホか!!」と。場内大爆笑。
「しらみ茶屋」に登場する唄「夜桜」で、生喬さんが踊りながら虱を取る仕草が可笑しかった。
文太さんはマクラで大阪の色町、曾根崎・新町・松島の特徴を小咄で紹介し、ネタへ。元々は江戸の噺だが、兵庫県の福島に舞台を移植。滑らかな口跡で飄々と演じられた。
文華さんは雀のおやどでの勉強会にも菊池さんが来てくれて、「噺家冥利に尽きます」と。「阿弥陀池」は1ブレス(呼吸)で一気に喋り、スピード感ある高座。
千朝さんは梅田・太融寺の会に於いて、よく「今日、菊池さん来てはるで」と楽屋で話題になったというエピソードを披露。「代書」は依頼客が4人登場するオリジナル完全版。
座談会では笑福亭竹林さんが遊びに来られていて、アンケートの「お気づきの点をお書き下さい」という設問に、菊池さんが「お気づきの点を」と記載していたという想い出を語られた。
さらに、菊池さんが最後に聴いた生の落語は?という話題に。12月上旬、桂雀五郎くんの5日連続勉強会、前半2日間で目撃したと客席からの証言。すると某噺家さん曰く、「雀五郎が最後やったら死んでも死にきれんやろうな」その後、12月9日「NHK上方落語の会」での見かけたとの証言が。その日は文太さんが「幾代餅」をかけ、トリは三枝会長の「相部屋」。どうやらそれが最後らしいとの結論に達した。竹林さんがボソッと「雀五郎が最後でなくて良かった」
露の団姫さんは、年季が明ける前から田辺寄席に手伝いに行っていたが、菊池さんからよく「元気か?」「頑張っているか?」と声を掛けられたそう。文太さん曰く「気ぃあったんちゃうか?」「そういえば(露の)眞ちゃんは話し掛けられたことないと言っていました」
一落語ファンを追悼するため、プロによる落語会が開催されるというのは前代未聞のこと。これも菊池さんの人徳だろう。温かくて、愉しい一時であった。
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