桂九雀/落語と噺劇の会(day & night) あるいは、「芝浜」論
かつて「道頓堀五座」と呼ばれた元「中座」の跡地に立つビル内にある、道頓堀ZAZAヘ。
落語家・桂九雀さんがプロデュースする会。噺劇(しんげき)の詳しい説明は九雀さんの公式サイトを御覧下さい→こちら!落語的手法が用いられた演劇である。
僕は噺劇の大ファンなので、今までも何回か観ている。
今回の演目は、昼の部
- 噺劇「包丁」
- 九雀/落語「不動坊」
- 噺劇「芝浜」
- かっぽれ 総踊り
夜の部
- 噺劇「転宅」
- 九雀/落語「宿屋仇」
- 噺劇「小間物屋政談」
- かっぽれ 総踊り
初っ端の挨拶で九雀さんは「枝雀一門は落語を”話芸”ではなく、スポーツだと考えています」と。なるほど!運動神経が大切ということですね。
昼・夜の部とも、噺劇の間に九雀さんの落語(長講)が挟まるという形。来場者は演劇ファンが多いので、落語の魅力も知って欲しいという趣旨のようだ。小気味よい高座だった。
それにしても、やっぱり噺劇はエキサイティングだ。九雀さんによる台本の上手さが光る。役者たちもそれぞれ適材適所で好演。
「包丁」は女の怖さが滲み出す。芝居の冒頭と最後に「大阪音頭」が下座で演奏された。これはわざわざ九雀さんが昭和8年に出版された楽譜を取り寄せ(2千円だったとか)忠実に再現したものだそう。そのこだわり、さすが!
次の「『芝浜』は人情噺」と九雀さんが仰ったが、僕はそうは思わない。
桂米朝さんは著書「落語と私」(文春文庫)の中で、講談における「世話物」を(講談のような)説明口調ではなく、(落語家が)感情を込めて喋るものを人情噺と定義し、人情噺にはサゲがないと書かれている(代表的演目「文七元結」「紺屋高尾」など)。よって立派なサゲがある「芝浜」は人情噺ではないというのが米朝さんの見解である(別に九雀さんの発言を否定しているわけではありません。ものの見方、定義の違いということです)。
今回「芝浜」を演劇という形で観て、初めて気付いたことが幾つかある。まずSF的手法が用いられているということ。この噺は一種のパラレル・ワールド、あるいはデジャヴ(既視感)を扱っているとも解釈出来るだろう。そして最後にはその謎が解明され、ミステリー仕立てになっているという訳。非常にモダンである。三遊亭圓朝の三題噺が原作と言われているが、つまり明治時代に成立した可能性が高い。だから当時ドッと入ってきた欧米小説の影響を受けているのではないだろうか?(例えばシャーロック・ホームズなど)ちなみに圓朝の「死神」もグリム童話「死神の名付け親」の翻案だと言われている。
こういう様々なことを考えるきっかけを与えてくれたのも噺劇という形で演じられたおかげ。九雀さんに感謝したい。
また、銅鑼を使った鐘の音が効果的で、心に響いてきたことも特筆に価するだろう。時を告げる鐘を魚屋とその女房が、同時に別々の場所(魚市場/裏長屋)で聴いている情景が空間的広がりを感じさせ、印象深かった。見事な演出である。
しかし今回最大の収穫だったのは「小間物屋政談」だろう。むちゃくちゃ面白い!特に幽霊がナレーターを務めるアイディアは最高だね。上方と比べて複雑な物語を持つ江戸落語は(おそらく講談に由来するためと思われる)、非常に演劇的であるという事実を再認識した。
出演者全員が踊る「かっぽれ」も愉しかった。
これは必見!
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