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2010年12月 8日 (水)

映画「草原の輝き」から、村上春樹(著)「ノルウェイの森」へ

松山ケンイチ、菊地凛子主演の映画「ノルウェイの森」がいよいよ今週末から公開される。

そこで是非、「ノルウェイの森」と併せて観て頂きたい作品をご紹介しておきたい。1961年のアメリカ映画、エリア・カザン監督「草原の輝き」である。

Splendor

主演はナタリー・ウッドとウォーレン・ベイティ。

村上春樹・川本三郎(共著)講談社「映画をめぐる冒険」の中で村上さんは「草原の輝き」について次のように語っている。

あるいは僕の涙腺が弱すぎるせいかもしれないが、観るたびに胸打たれる映画というのがある。『草原の輝き』もそのひとつである。『アメリカン・グラフィティ』を観たときもふとこの映画のことを思いだして哀しい気持ちになってしまった。僕はナタリー・ウッドの演技を観て感心した記憶は殆どないが、この映画だけは唯一の例外である。青春というものの発する理不尽な力に打ちのめされていく傷つきやすい少女の心の動きを彼女は実に見事に表現している。

ナタリー・ウッドについての村上さんの意見に対し、僕は全く同感である。「理由なき反抗」や「ウエストサイド物語」の彼女は少しもいいとは想わないが、「草原の輝き」の彼女は、本当に凛とした佇まいで美しい。パーフェクトである。

「草原の輝き」はハイスクールに通う男女の恋愛が描かれる。しかし、ふたりが結ばれることはない。

ひとは愛する相手を傷つけないでは生きていけない。たとえそれが親子であろうと。ヤマアラシのジレンマ。そういう人間存在の哀しみが、この作品にはある。そしてそれは間違いなく「ノルウェイの森」へと繋がってゆく。

「草原の輝き」で引用されるワーズワースの詩は次のような内容である。

What though the radiance which was once so bright
Be now for ever taken from my sight,
Though nothing can bring back the hour
Of splendor in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...

かつては目を眩(くら)ませし
光も消え去り
草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
奥に秘められたる力を見いだすべし
(高瀬鎮夫訳)

これは正しく「ノルウェイの森」の主題と直結しているのではないだろうか?

ヒロインが精神を病み、療養所に入るという展開も両者は共通している。そもそもタイトル自体、「草原」(grass)と「森」(wood)は兄弟のような単語である。

「ノルウェイの森」のトラン・アン・ユン監督がメイン・ロケ地として選んだ砥峰・峰山高原は、どちらかというと「森」というよりは「草原」に近い。

いまから13年前、村上春樹さんは「村上朝日堂」というHPにおいて、読者からのメールに答えるというコーナーをされていた。そこへ僕は質問を出し、ご返事を頂いた。以下にその内容をご紹介しよう(掲載については当時の朝日新聞担当者から許可を得ている。無断転載禁止)。

At 1:59 AM 97.6.17, ************* wrote:
> 村上春樹様

> はじめまして。**と申します。**歳、**に勤務しています。

> さて、村上さんは著書「映画をめぐる冒険」で、映画「草原の輝き」について、ーこの映画のことを想うとき、いつも哀しい気持ちになる─というようなことを仰っていましたね。この映画は僕も大好きで村上さんの言葉がずっと心に残っています。小説「ノルウェイの森」でレイコさんはビートルズの曲を弾きながら「この人たちは確かに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」と云いますが「草原の輝き」を観るとあのレイコさんの言葉は、この映画の作者達への言葉にも想えるのです。僕は「草原の輝き」がこの小説に深い影を落としている、そんな気がして仕方がありません。是非このことに関して、村上さんのコメントを頂ければと想います。

> また、村上さんはもう自作の映画化は許可しないと仰っていますね。嘗て大森一樹監督が「羊をめぐる冒険」の映画化をを熱烈に希望されたそうですが、断られたと伺いました。しかし、ファンの勝手な想いとしては、例えば大森監督が「ノルウェイの森」を映画化したとしたら、日本版「草原の輝き」の様な、切実な青春映画が出来るのではという予感があるのですが・・。

こんにちは。「草原の輝き」はいい映画ですね。僕は大好きです。でも「ノルウェーの森」を書くときにこの作品を意識したかというと、とくには意識していません。映画と小説って、やっぱりリズムが違いますので。

僕はこの映画を見る前に、映画のシナリオを何度も何度も読んで、筋を覚えてしまっていました。それでそのあとで実物の映画を見たんだけれど、ぜんぜん違和感がなかった。イメージのまんまだった。不思議ですね。不思議じゃないのかな。

「ノルウェーの森」を映画にするつもりは、誰が監督をするとしても、いまのところありません。あれは活字だけでこそっと置いておきたいのです。

村上春樹拝

さて、あなたは映画「草原の輝き」と「ノルウェイの森」を観て、両者の関係をどうお感じになるだろうか?

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