吹奏楽コンクール高校後半終了!
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全日本吹奏楽コンクール、ついに屋比久先生率いる鹿児島情報高が金賞に輝いた!こんなに嬉しいことはない。水曜日の日テレ「笑ってコラえて!」吹奏楽の旅SPは大いに盛り上がることだろう。
また、大阪桐蔭と東京都立片倉高は王者の風格。貫禄の金だった。
詳しくは後日ブログにて。
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全日本吹奏楽コンクール、ついに屋比久先生率いる鹿児島情報高が金賞に輝いた!こんなに嬉しいことはない。水曜日の日テレ「笑ってコラえて!」吹奏楽の旅SPは大いに盛り上がることだろう。
また、大阪桐蔭と東京都立片倉高は王者の風格。貫禄の金だった。
詳しくは後日ブログにて。
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全日本吹奏楽コンクール高校の部前半、昨年あり得ないミス・ジャッジで銅賞だった市柏、そして東京都大会でダメ金に泣いた東海大付高輪台高校、今年はどちらも全国で金!本当によかった。おめでとう。
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全日本吹奏楽コンクール 高校の部を聴きに来ている。小雨模様。今年はどんな名演に出会えるのか、とても愉しみだ。
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繁昌亭へ。
林家染丸さんの弟子、笑丸さん(平成10年入門)の会。
「延陽伯」は噺の半ば、独自のサゲで終わった。創意工夫があってよかった。
「浮世床」は古くからある小咄を集めて、一席の落語にしたオムニバス形式の噺で、笑丸さんが演じたのは《将棋》と《変な軍記》。他にも《夢の逢瀬》《逃げた客》というエピソードもあるみたいなので、また他の演者でも聴いてみたい。でも全部通してされると、ちょっとダレるかも。
「鯉津栄之助」は珍しい噺。領主の嫡男が生まれ、鯉津栄之助(こいつええのすけ)と名付けられた。そこで「こいつぁええ」という言葉を使わぬよう警告するために関所が設けられるという、まことに馬鹿馬鹿しいネタ。途中、関所を通るために芸事を披露するのだが、前回の独演会ではそれが紙切りやうしろ面(踊り)だった。今回の二枚扇の踊りは空中に扇を投げるところで落としたりと、まだまだぎこちなさがあった。これからもさらに芸を磨いてもらい、また十年後くらいに観てみたい。
それにしてもキッチュこと松尾貴史さんの高座は凄かった。NHK朝ドラ「ちりとてちん」にも出演され、落語に造詣が深いという噂は耳にしていたが、まさかこれ程までとは。テンポがいいし表情がコロコロ変わる。講釈の場面ではしっかり聴かせ、マクラもユニークで面白かった!恐れ入りました。キッチュは桂吉坊さんとの二人会@宝塚で「鷺とり」と「はてなの茶碗」二席を披露されたそう。う~ん、鬼才だ。
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大阪・谷町六丁目、薬業年金会館 5階和室へ。
仁智さんの一席目はネタおろし。やくざの事務所が舞台で、「源太と兄貴」シリーズを彷彿とさせる。ハゲ、ヅラに関する禁句が片っ端から並べ立てられるのに爆笑。途中、付け毛まで装着しての熱演。
雀喜さんは動楽亭昼席で新作を掛けたとき、米朝一門の先輩たちから冷ややかな視線を浴びることをマクラでぼやいて。しかしそれは新作どうこうというより、作品の質の問題ではなかろうかと僕は感じるのだが……。
「ハードラック」は自殺したくてもどうしてもそれが叶わない運のない男の噺。いけないこととは知りつつも、人の不幸を笑わずにはいられない人間の哀しい性(さが)。そこを鋭く突き、己の業を肯定する大傑作であった。
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評価:B
カリスマ・デザイナー、トム・フォードの初監督作品。コリン・ファースはこの演技でヴェネチア国際映画祭および英国アカデミー賞で主演男優賞を受賞。米アカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされた。
映画公式サイトはこちら。
もう映画の冒頭からカメラがコリン・ファースを舐めるように撮り、いかにもゲイの監督だなと感じさせる。
ちなみにエンドロールの最後に"For Richard Buckley"(リチャード・バックリーへ捧ぐ)と流れるが、これはトム・フォードの20年来の恋人(VOGUE HOMME internationalの元編集長)だそうである。
さすが世界的ファッション・デザイナーが監督だけあって、登場人部の服がみなお洒落。主人公が住んでいるガラス張りの家のデザインも洗練の極致である。
ちなみにこの映画の時代設定は1962年、キューバ危機下にあったロサンゼルス。だから映画「サイコ」(アルフレッド・ヒッチコック監督)の巨大看板が登場したりする。
まあ物語的に面白いとは言えないが、何かファッショナブルなものを観たという満足感はあった。
それにしても映画「プロデューサーズ」(後にブロードウェイ・ミュージカル化)にも描かれていたけれど、ファッションデザイナーとか振付師って本当にゲイが多いんだなぁ(ミュージカル映画「シカゴ」「ナイン」のロブ・マーシャル監督も男性パートナーと暮らしているとか)。
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10月23日(土)、京橋花月へ。
音曲漫才・おしどりの単独ライヴ。ワイヤー(針金)アートとパントマイムのケン、そしてアコーディオンを弾くマコのコンビ。
ゲストはCOWCOW(カウカウ)とツチノコ芸人・テント。
僕は基本的に音楽が好きなので、お笑いも姉様キングスとかおしどりなど、音曲漫才に強く惹かれる。
おしどりマコは今年開催されたVアコーディオンコンテスト・日本予選で審査員特別賞、第3位に輝いたという実力派。
音曲漫才もあれば、電子楽器テルミンを使ったケンのパントマイム、そして今回は子供料金を設定しているのにもかかわらず、やってくれました!マコのエロ・シャンソン。いや~腹を抱えて笑った、笑った。
ユニークかつ摩訶不思議なテントの漫談やCOWCOWのコントも面白かった。ケン+テントで漫才という企画もあった。
盛り沢山であっという間の2時間だった。
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映画「ノルウェイの森」の舞台となった兵庫県の峰山・砥峰(とのみね)高原へ。
まずは神河町役場で情報収集。
そして宿泊地の峰山高原ホテルリラクシアに到着。
ここは映画の主要キャスト・スタッフの拠点ともなった。
ロビーには詳しいロケ地マップが。高原露天風呂は気持ちがいいし食事も満足のいくホテルであった。また現在、宿泊客に村上春樹の本を貸してくれるサービスも嬉しい。最新作「1Q84」もあった。
庭からリラクシアの眺め。
そこへなんと、野生の鹿が出現!
リラクシアの森へ。
ここも映画のロケ地となった。
リラクシアの森も、奥に足を踏み入れると野生の鹿が!
ホテル近くの河原。ここでも撮影が行われたという。
そして砥峰高原へ。
今はススキが見頃。
草原には撮影地が点在する。
ハイキング・コースを歩く。
ずいぶん上まで登ってきた。上の写真、中央奥(山の麓)に見えるのが出発点の交流館。
書かれている解説によると上の写真の木において、
このポスターの場面(冬)が撮影されたそうだ。
草原の輝き。魂を奪われるくらい、本当に美しい高原だった。
お昼は隠れ家、ふるさと日和へ。
囲炉裏料理に舌鼓を打つ。とれとれのアマゴ、自家製の野菜、手作りこんにゃく、どれも美味しかった!また是非立ち寄りたい。
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兵庫県立芸術文化センターへ。
1930-50年代パリの下町。カフェやキャバレー、バルなどで親しまれた、フレンチ・カフェ・ミュージック。気軽に踊れるダンス音楽として愛されたが、次第にこうした古いスタイルのミュゼット(音楽の女神”ミューズ”が語源)やシャンソン(歌)は廃れていった。
そのファッションや音楽スタイルを現代に再現しようとしたのがル・バルーシェである。今回が初来日で、兵庫が初ステージだそう。
メンバーは、”霧”のニーナ(ヴォーカル)、”吊りヒモ”フローレン(アコーディオン)、”バスク”のペドロ(マヌーシュ・ギター)、”電球”ダヴィデ(コントラバス)、そして”税金”のジャンジャン(ドラム)。
曲目は以下の通り(*印はメンバーのオリジナル曲)
冒頭の「おやじは逝っちまった」から会場の空気は一気に50年前のカフェそのものに。濃厚なパリの香りを堪能。
ニーナの厚みがあって張りのある歌声が良かった。”吊りヒモ”フローレンのアコーディオンも抜群のテクニック。非常に聴き応えがあった。特にアンコール、エディット・ピアフの「パダン、パダン」のエスプリには痺れた。
やっぱりシャンソンとかミュゼットはフランス人じゃないと駄目だなと想った夜だった。
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ワッハ上方7階 レッスンルームへ。
客席には小佐田定雄、くまざわあかね夫妻の姿も。
文三さんは噺に登場する”気のいいアホ”の描き方が絶妙。
ごごろうさんは変幻自在の豊かな表情が愉しい。カメレオンみたいな人だ。「替り目」は何度も聴いているが、考えてみればみな噺の半ばで切った型で、最後まで演じられるのに出会ったのは初めてかも。うどん屋が登場する後半があってこそタイトルの意味が分かるが、全部を通して聴くと些か冗長なのも確か。どちらがいいか難しいところだ。
最近宝塚歌劇にはまっている花丸さん、東京で開催されたラクゴリラに出演した翌日、帝国劇場で東宝「エリザベート」を観劇されたとマクラで。高嶋(兄)演じるルキーニについても言及された。「くさめ茶屋」は今年4/17超古典落語の会で初演されたもの。初代・桂文治が書いた小噺が原作だそう。
大店に三人の息子がいて、大旦那が家督の相続を誰にしようか迷っているという「三人兄弟」。この設定、落語「片棒」に酷似しているのが興味深い。後の展開は全く異なるのだが。
またワッハ上方改装工事のため、「出没!ラクゴリラ」は来年2月の第90回から梅田・太融寺に会場が移されると発表された。
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大阪市阿倍野区へ。田辺寄席夜席。
開口0番では昼席で出演予定だった三四郎さんが登場。なんとダブルブッキングで欠席されたそうで、その件を謝罪された。もうひとつからの依頼が「午後1時開演」と言ったのを「午後7時」と聞き違えたとか。
たまさんはマクラでJR大阪駅で詐欺被害に遭ったエピソードを。大変興味深く拝聴。「生命」は手術室が舞台で、福笑師匠の「入院」を彷彿とさせる、患者をサディスティックにいじめる噺。すこぶる面白いが、このネタに不快感を覚える人も当然いるだろうし、《聴き手を選ぶ作品》という気がした。そもそもたまさん自体、先日のブログ炎上事件でも分かるとおり《聴き手を選ぶ噺家》だよね。いや、僕は好きだけど。
鶴笑さんのパペット落語は田辺でも爆笑の嵐に。特に小学生の男の子がすごく喜んでいた。いやぁ、あのクレイジーさは病み付きになるね!
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10月17日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。
仲道郁代さんの2年間に渡るシリーズ最終回。この日はショパンの命日で、仲道さんは黒のドレスで登場。過去のレポートは以下の通り。
今回のプログラムは晩年の作品ばかりで、
曲の合間に、スライドを交えて仲道さんの解説が展開された。作曲家自身や、恋人のジョルジュ・サンドが書いた手紙が朗読され、ショパンを撮った現存する唯一の写真(最晩年)も登場。
ショパンとサンド破局の原因が、サンドの娘ソランジュの結婚騒ぎにあったというエピソードは初耳だった。
また失意のショパンがパリを離れロンドンに演奏旅行をした際に、彼の演奏スタイルはご婦人方から一様に「まるで水のような(like water)」と評されたというのが興味深い。
病状が悪化したショパンはパリに戻る。彼は手紙で大好きなすみれの花を部屋に飾っておいて欲しいと求めたという。
ショパンの葬儀では遺言によりモーツァルトのレクイエムが演奏され、彼の亡骸はパリの墓地に埋葬された。しかし心臓だけは彼の意思により姉ルドヴィカの手で祖国ポーランドに持ち帰られ、聖十字架教会(ワルシャワ)の柱の中に収められた。享年39歳。
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仲道さんのタッチは丁寧でたおやか。気品に溢れた演奏であった。
最後に第3回で行われた「もう一度聴きたいアンコール曲」のアンケート結果発表があった。
ダントツで第1位に輝いた「英雄ポロネーズ」が弾かれ、さらに仲道さんから聴衆に感謝の気持ちを込めてエルガー/愛の挨拶がそれに続き、〆となった。有意義で密度の濃い演奏会であった。
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四季劇場[秋]へ。
平日夜の部。2階は先生に引率された高校生の団体が入っていたが、1階席の入りは3割くらい。
「サウンド・オブ・ミュージック」を観劇しながら今までどれくらいこのミュージカルを愛してきたか、その想い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
僕が映画「サウンド・オブ・ミュージック」を初めて観たのが中学校1年生の時。それは文化祭の8mm上映で、しかも30分たらずのダイジェスト版だった。まだビデオデッキが一般に普及していない時代の話である。どうしても全編が観たいという想いが膨らんだ。
中学3年の頃、地元岡山大学の映画研究会が土曜夜に一晩映画館を貸し切って映画4本をオールナイト上映するというイベントがあり、そのトップバッターが「サウンド・オブ・ミュージック」だった。僕は父親に頼んでそれに連れて行ってもらった(勿論、1本だけ観て帰った)。深く感銘を受け、決意した「よし、将来この映画がロケされたオーストリアのザルツブルクに行くぞ!」と。
高校生の頃はサントラLPレコード(CDは未だなかった!)を繰り返し聴き、歌詞対訳を見ながら「ドレミの歌」「エーデルワイス」「全ての山へ登れ」等のナンバーを英語で暗記した(今でも歌える)。
大学に合格した僕は、そのお祝いとしてレーザーディスクを買ってもらった。最初に購入したソフトが「風と共に去りぬ」と「時をかける少女(大林宣彦 監督)」、そして「サウンド・オブ・ミュージック」である(その後ワイドスクリーン版を買い直し、現在はDVDを所有)。
大学の卒業旅行で念願のザルツブルクへと行くことが叶い、漸く少年の日の約束を果たすことが出来た。現地では「ドレミの歌」の場面で登場するミラベル公園を歩き、「サウンド・オブ・ミュージック」半日バス・ツアーで結婚式のシーンが撮影された郊外の教会も訪れた。満席のバス・ツアーで日本人は僕ただ一人だった!そうそう、「私のお気に入り」の歌詞に出てくるシュニッツェル(子牛のカツレツ)も現地で食べた。
さて、舞台版を観るのは今回初めてだった。愉しみにしていたのは、映画化にあたりカットされた2つのナンバーがどういった状況で歌われるのかを確認することだった。
第一幕、エルザとマックスの歌"How Can Love Survive"そして第二幕、エルザ、マックス、そし大佐の3重唱"No Way to Stop It"である。
しかし、な、なんと、あろうことか劇団四季バージョンでもこの2曲はカットされていた!ロイド=ウェバーがプロデュースしたロンドンのプロダクションではちゃんと歌われたようだ。
日本の法律では、児童が午後9時以降、舞台に立つことは禁じられている。ソワレ(夜の部)の開演は午後6時半。ちょうどカーテンコールの時に9時を廻った。
つまり、カットしなければ子供たちが最後まで出られなくなる。しかし集客を考えれば開演時間を早めることも難しい。そういう事情での、やむを得ぬ措置なのであろう。とても残念だ。
それにしても驚いたのは映画との違いである。舞台版では冒頭修道院の場面でいきなり「私のお気に入り」が歌われる(マリア、修道院長)。マリアがトラップ大佐の家に到着し、子供たちと対面した場面で「ドレミの歌」が歌われたのにも面食らった。また映画版で「私のお気に入り」が登場する嵐の場面において代わりに歌われるのが「ひとりぼっちの羊飼い」。僕は断然映画の順番の方がいいと思った。脚色したアーネスト・レーマンの偉大さを改めて認識した次第である。舞踏会の夜にマリアが一旦トラップ家から逃げ出す経緯も、舞台と映画では異なっている。
マリア:井上智恵、トラップ大佐:村 俊英という組み合わせは、僕が10年前に名古屋ミュージカル劇場で観た「オペラ座の怪人」(クリスティーヌ、ファントム)と同じだった。
井上さんの伸びやかな歌声は昔から好きなので不満なし。村さんは歌は上手いが、演技が硬いかな。7人の子供たちはなかなか好演。
ただ、大人の役者たちによる独特の「四季喋り」(母音法)が不自然で耳障りだった(確かに台詞は聞き取り易いが)。むしろ子供たちの方が、癖がなく素直な発声で良かった。また「さようなら、ごきげんよう」(SO LONG,FAREWELL.)の振付が素晴らしく、彼らが可愛らしかった。
カラオケ上演の大阪四季劇場とは違い、生オーケストラが演奏。但し、弦楽器の各パートは一人ずつなので音がペラペラ。もう少しここに予算を費やして欲しいところである。
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ザ・シンフォニーホールへ。
オリバー・ナッセン/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。ピアノ独奏はピーター・ゼルキン。
今回のプログラムを聴いて気付いたのは、夥しい「水のイメージ」である。
「牧神の午後への前奏曲」はマラルメの詩に基づく。その内容はこうだ。
はるか昔、神話の時代。芦の葉そよぐシチリアの真夏の午後、岸辺で半人半獣の牧神がもの憂さくまどろんでいる。彼は目の前で水浴をしている美しい水の精(ニンフ)を夢想し……
またこの音楽は手塚治虫の短編アニメーションの傑作「人魚」にも使用されている(視聴はこちら)。やはり水が重要な役割を演じる。
ドビュッシーの「海」は言うまでもない。初版楽譜の表紙には作曲家の意向で北斎の絵が印刷されていた。
ナッセンの交響曲は単一楽章で、「ハムレット」のオフィーリアの死を描く。そう、彼女は川へ身を投げるのだ。ここでも水のイメージが登場する。
そしてこれらを通して想い起こしたのは、ナッセンとゼルキンの共通の友人であった作曲家・武満徹のことである。武満の音楽も水のイメージに彩られ、彼はドビュッシーが好きだった。
ピーター・ゼルキンのビアニズムは、一言で評せば無骨。決して流れるような滑らかさはなく、ごつごつしている。まるで打楽器を扱うような荒々しい弾き方だが、むしろバルトークの音楽にはそういったアプローチが相応しく感じられた。「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」という作品があるくらいだから、作曲者自身の意図とゼルキンのベクトルがしっかり一致していた。
ナッセンの指揮は精緻。オーケストラの隅々にまで目配りが行き届き、透明感があってドビュッシーのオーケストレーションの鮮やかさが浮き彫りにされた。その知性の輝きはブーレーズの指揮ぶりに近いものを感じた。大フィルもナッセンの要求によく応え、申し分のない演奏を繰り広げた。
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10月11日(祝)、山本能楽堂へ。
吉坊さんの会。昼夜二回公演で、僕が聴いたのは夜の部。ほぼ満席。
ここの能舞台は初めてだったが、音響の素晴らしさにびっくりした。マイクなしでも声が全体によく通る。
ちょうばさんは徳徳亭 毎日寄席に出演した時、客が一人しかいなかったことをマクラに。お互い目のやり場に困るだろうなぁ。
「祝いの壷」は米朝さんの音源があるが、殆ど演じられないネタ。貴重な体験。
「身替り団七」は吉坊さんの師匠・吉朝が一度だけ演じたネタ(お客がお題の名付け親になる会)。歌舞伎「夏祭浪花鑑」を題材にした芝居噺。現在でこれを高座に掛けるのは吉坊さんただひとり。途中、ハメモノ(お囃子)がふんだんに入るので賑やかでいい。やっぱり吉朝一門の十八番といえば芝居噺だしね。
今回、出色だったのは「おごろもち盗人」。吉坊さんのしなやかな指、滑らかで音楽的な腕の動きに魅了された。
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兵庫県立芸術文化センターへ。
ヴィーラント・クイケンとレ・ヴォワ・ユメーヌ(デュオ)によるヴィオラ・ダ・ガンバ三重奏を聴く。チェンバロはエリック・ミルンズ。
「ファンタジアと鐘、天使と悪魔」と題されたこのコンサート、17世紀から18世紀にかけてのファンタジアや鐘を題材にした音楽が取り上げられ、また「天使のように演奏する」と評されたマレ(1656-1728)と「悪魔のように弾く」フォルクレ(1672-1745)の音楽が対比された。
ヴィオラ・ダ・ガンバはトレブル(高音)、テナー(中音)、バス(低音)による様々な楽器の組み合わせで演奏された。
現代にも残るヴァイオリン属との大きな違いは弦の本数(6本が基本)と弓の持ち方。ヴァイオリン群が陰のある音色を奏でるのに対し、ガンバのそれは典雅。大きな音が出ないので、近世になり廃れていった。惜しいことだ。
ヴィーラント・クイケンは学究肌で厳格な雰囲気なのに対し、レ・ヴォワ・ユメーヌのふたりは若々しく情熱迸る音楽を奏でた。その掛け合いがスリリングだった。
これで僕は古学の世界で余りにも有名な、ベルギーのクイケン三兄弟を全員別々に聴いたことになる。
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兵庫県立芸術文化センターへ。
広上淳一/京都市交響楽団でプログラム前半、NHK大河ドラマ・テーマ曲集を聴く。
芥川の曲は昔から好きなのだが、考えてみれば生演奏を聴くのはこれが初めて!如何に関西で彼の作品が演奏されないかということだろう。有難かった。
また一柳さんの「翔ぶが如く」は、金管が吼え、激しく、厳しい曲で聴き応えがあった。
「篤姫」はテレビ版の井上道義/NHK交響楽団の方が、切れがあって良かったな。
また「利家とまつ」は非常に曲想が「風と共に去りぬ」に似ていて可笑しかった。
後半は、
こちらは、矛盾する言い方かもしれないが、気迫のこもった凡演。広上さんの唸り声とかが聞こえてきて、確かにその思い入れは伝わるのだけれど、それが十分音へと変換されていないもどかしさがあった。でも前半が凄く良かったので大満足。アンコールも気が利いていた。
驚きの声と共に、客席は大いに盛り上がった。
京響は初めてだったが、金管の実力が高かった。弦楽器とのバランスがいい。弦の音色の美しさは大フィルに敵わないけれど、管楽器は京響の方が上だなと想った。
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むかしむかしパソコン通信なるものがあり、1980年代後半から90年代前半にかけてその全盛期だった。
パソコン通信の映画フォーラムでのやりとりから男女の出会いまでを描いたのが深津絵里(主演)、森田芳光(監督)の映画「(ハル)」(1996)である。ラストシーンの台詞が「はじめまして」というのが印象的だった。
やがてインターネットの普及により、パソコン通信は衰退してゆく。
1998年にはインターネットのチャット・ルームで出会った男女が、メールのやり取りを通じて惹かれあっていく様子を描いた映画「ユー・ガット・メール」が登場する。同様の題材(ネット恋愛)をテーマにしたフジテレビのドラマ、竹野内豊(主演)「WITH LOVE」が放送されたのも、この年であった。
僕がホームページを立ち上げたのが丁度その頃。また、特定の話題に関心を持つグループで情報交換をするメーリングリストにも参加していた。
さらに1999年、電子掲示板2ちゃんねるがオープンし、日本最大規模へと発展してゆく。
2ちゃんねるから生まれたの作品が「電車男」。2004年に書籍化され、2005年に山田孝之、中谷美紀(主演)で映画化、同年に伊藤淳史、伊東美咲(主演)でテレビドラマにもなった。
また2002年ごろから急速に広まったのがブログである。誰でも簡単に作れるということで芸能人も書くようになり、2004年眞鍋かをりが開設したらそれが人気となり、彼女は「ブログの女王」という称号を受けるに至る。2006年には同名のテレビ番組も放送された。コメントが殺到し、批判の集中砲火を浴びる現象「ブログ炎上」という言葉もしばしば話題になった。僕がブログを始めたのは2007年のことである。
また社会的ネットワーク(人同士のつながり)をインターネット上で構築するソーシャル・ネット・ワーキング・サービス(SNS)も登場。日本では2004年からmixiがオープンした。SNSサイトのFacebookを創設した人物たちを描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」が現在、アメリカで公開中である。
そして現在台頭してきたのがTwitter(ツイッター)。サービス開始は2006年7月。各ユーザーは140文字以内の短文を「つぶやき」として投稿する。僕が使い始めた感想は、始まりも終わりもないチャット・ルームという感じ。そして横(ユーザー同士)の繋がりも無限に広がっていく。
ブログからTwitter(ツイッター)に完全移行する人々もいるが、僕はまったく別のツールという気がする。確かにチャットのような気軽さはあるが、字数制限があり、長文が書けないのが難点。Twitterはあくまで他者とのコミュニケーション・ツールであり、自分が言いたいこと、エンターテイメントの詳しい感想などはブログの方が適していると想う。しばらくは併用していくことになるだろう。
しかしこうしてパソコン通信から振り返ってみると、インターネットの発展、栄枯盛衰は目まぐるしい。どんどん新しいものが出てきて、付いて行くのがやっと。しんどいなぁ。
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ザ・シンフォニーホールへ。
児玉宏/大阪交響楽団の演奏で、
ピアノ独奏は石井克典さん。
モーツァルトは歯切れ良く、軽やかな演奏。かといって古楽器によるピリオド・アプローチのように攻撃的ではなく、音はまろやかで潤っている。耳に心地よい。
ブルックナーは児玉さんの十八番。悪かろう筈がない。引き締まった音で緊張感は最後まで持続され、ハーモニーの解像度はクリア。歌うべきところはしっかりと歌い、第2楽章は透明感ある祈りに満ちた清浄な響きがした。第1、第4楽章は速めのテンポで推進力に溢れ、覇気がある。そしてここぞ!という場面で金管が咆哮し、重厚なサウンドがズシリと腹にくる。
児玉さんのタクトは快刀乱麻で、正に”指揮台の魔術師”の面目躍如。鮮烈でスカッとする演奏会だった。
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「容疑者Xの献身」で直木賞を受賞した東野圭吾の「新参者」を読了。この小説は雑誌「このミステリーがすごい!2010年版」で国内第1位となった。(刑事)加賀恭一郎シリーズのひとつである。
僕は以前、東野の最高作は「白夜行」(「このミス」第2位)であると書いた。
今回の新作はその「白夜行」に決して引けを取らない傑作であると断言しよう。
舞台となるのは東京の下町。まだ人情に厚い市井の人々が生活している。ミステリー好きの方はここまで書けばピンと来るだろうが、すなわち宮部みゆきが最も得意とするテリトリーである。
連作短編形式で、それぞれ異なる人々にスポットが当てられる。そして彼らから見た「新参者」=警部補・加賀恭一郎が語られてゆく。主人公を外側から客観的に語らせる手法はまさに「白夜行」のそれである。
骨格となる殺人事件はあるが、各々の短編では「日常の謎」がひとつひとつ加賀の手で鮮やかに解明されてゆく。ミステリーのジャンルとしては北村薫の世界(「空飛ぶ馬」など”円紫師匠とわたし”シリーズ)に挑戦した形だ。
つまりこの小説を一言で表現するならば東野圭吾+宮部みゆき+北村薫の融合である。
何という手だれ、卓越した技巧であろうか!ベテラン作家・東野圭吾の筆力につくづく感服した次第である。
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10月3日(日)、高津の富亭へ。
落語の舞台となった高津神社で、「高津の富」を聴くというのはまた格別な味わいがある。
「五両残し」は江戸の古典落語「星野屋」をアレンジしたもの。
雀太さんは1985年に阪神タイガースの優勝時に道頓堀川にカーネル・サンダース人形が放り込まれ(その時水質は最悪だった)、昨年24年ぶりにそれが出てきた話、大阪は水の都であるといった話題から水がめを買う話「壷算」へ。巧いマクラだ。
10月4日(月)はワッハ上方へ。
桂米朝さんが上方演芸の殿堂入りした記念の落語会。全て米朝直伝だそう。
吉の丞さんは米朝大師匠から七つのネタを稽古して貰ったそうで、そのうちのひとつを披露。
当初、米團治さんが「阿弥陀池」を演じる予定だったが、体調不良のため千朝さんが代演。
僕は正直、千朝さんの喋り方が余り好きではない。間の取り方が長いのと、息継ぎが多いのが気になる(「何でそこでブレスするの?」)。
千朝さんの直後にざこばさんを聴くと、そのスピード感が心地よかった。「崇徳院」に登場する熊五郎の荒っぽさがざこばさんのニンに合っていて、見事な高座。ただサゲは米朝さんの型(鏡が「割れても末に、買わんとぞ思う」)ではなく、枝雀さんの型(「互いに探す相手が知れまして一対の夫婦が出来上がります」でサゲない終わり方)だった。
また南光さんの「骨つり」も賑やかで、とっても愉しかった。江戸版「野ざらし」より、僕はこっちが好きだなぁ。
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10月1日(金)天満天神繁昌亭へ。
ほぼ満席。
たまさんは自分の新作が、福笑師匠から「お前のは複雑すぎるんや。もっと分かりやすくせえ」とよく言われるが、今回は30分の大作になり、自分で原稿読んでいても難しすぎると。
「三味線アリ」はタイトルが「着信アリ」のパロディで、中身はなんと「たちぎれ線香」のパロディ。「たちぎれ」のヒロイン(芸妓)小糸の呪いで、人々が次々と変死(?)していくというもの。これは秀逸で腹を抱えて笑った。途中、小糸の三味線を追って主人公が繁昌亭にやって来て、春團治・三枝・染丸師匠らと会話を交わす場面があり、そこで各々の出囃子がふんだんに盛り込まれた。
福笑さんは「昔から武士道、柔道、剣道などはあったが、精神論が一人歩きして最近では野球道、マラソン道、落語道まで言うようなった」と嘆き、「私は邪道・よこしま道を貫きたい」と宣言。カッコいい。
三喬さんの「道具屋」は本来、途中にハメモノが出てこないが、今回限りの特別バージョンでは道具屋の客として「一文笛」の小僧が来たり、「皿屋敷」のお菊さんが皿を買いに来たりと無理からにお囃子が入った。
生喬さんは700円の散髪屋に通っていて、本当は+300円で洗髪してもらえるのだけれど、それは節約するということをマクラに。また昔は新世界にルナパークという遊園地があったという話も。噺の途中、馬に追いかけられる場面でお囃子が盛り込まれた。
「繁昌亭らぶそんぐ」はTBS「タイガー&ドラゴン」やNHK「ちりとてちん」等による一時期のバブル・落語ブームが過ぎ去り、客足が遠のいた繁昌亭への応援歌。「カルメン」ドヴォルザークの「新世界(家路)」「月の法善寺横丁」「お祭りマンボ」「山の音楽家」の替え歌が登場、いつも過激な福笑さんにしては珍しくほのぼの系の作品だった。何だかあったかい気持ちになって帰途に就いた。
10月2日(土)はギャラリー「あしたの箱」へ。
ここで月亭遊方さんの落語会が開催されるのは2回目となる。
「スクールバスターズ」は近いうちに繁昌亭昼席で演じるつもりで、それが可能かどうかこの場で試されたそう。いじめ問題を扱った、かなりブラック・ユーモアが効いた噺で、僕は好きだなぁ。滋賀県教育委員会の先生たちの前で初演し、アドヴァイスを受けたエピソードも。
「おまけの時間」は質問コーナーと抽選会。
新作のアイディアを思いつくのはどんな時?という問いに対し、「人が困っている時」と。
昔、八方師匠は新作をされていたのか?という問いには、八方作「洗濯屋ケンちゃんの戦い」という作品が音源として残っていて、ある時それを遊方さんが聴いていたら、師匠が照れていたというエピソードを披露された。これは聴いてみたい!
また、現在上方に落語家は230-240名くらいいるが、新作を持続的に発表しているのは10人しかいないとのこと。
もっと新作派が増えたらいいのに。そんなことどもを考えた夜だった。
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いずみホールへ。「シューマン2010」のシリーズ第1回を聴く。
クリスチャン・ツィメルマン(ピアノ)、ハーゲン弦楽四重奏団の演奏で、
グラジナ・バツェヴィチ(1909-1969)はポーランドの女性作曲家。プログラムの田村 進さん(東京音楽大学名誉教授)による曲目解説には、「新古典主義の手法で貫かれている」と書かれているが、全然そんな風には聴こえなかった。むしろ後のポーランドの作曲家ヘンリク・グレツキ(1933- )に近い響きを感じた。
なお、ツィメルマンもポーランド出身。18歳の時ショパン国際ピアノコンクールに史上最年少で優勝している。
実演を聴くのは今回初めてだったのだが、彼が弾き始めてもなかなかその特徴を掴むことが出来なかった。タッチが歯切れよいわけではない。ポリーニやアムランのように無機質で研ぎ澄まされた、純度の高い音がするのでもない。逆に、アルゲリッチみたいに火の玉の如く熱い演奏が展開されるわけでもない。
この得体の知れなさは一体何なんだ?僕は戸惑った。そして次第に見えてきたのは、この人はペダルを細かく多用するピアニストなのだということ。タッチは丁寧で、響きは柔らかくまろやか。芳醇な味わいがある。
一方、ハーゲン弦楽四重奏団は「クロイツェル・ソナタ」で激しく、ほの暗い情念を感じさせる作品世界へと聴衆を導いた。切れ味鋭く、時に昂ぶり、神経を逆なでするような音色を奏で、狂気の世界へと突き進んでいく。凄みのある演奏だった。
そしてシューマンのピアノ五重奏へ。控えめで、調和を大切にするツィメルマン。自己主張はあるが、しっかり息が合っているハーゲンの面々。絶妙なアンサンブルであった。
多分この曲を、これ以上のレベルで聴ける機会はもう一生ないだろうと感じた夜だった。
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宝塚大劇場へ。
月組公演を観る。
「ジプシー男爵」はヨハン・シュトラウス2世作曲の喜歌劇をベースにして、新曲を交えた作品。
冒頭は霧矢大夢(きりやん)、蒼乃夕妃による6分間に及ぶデュエット・ダンスから始まる。これがため息が出るくらい素晴らしい。蒼乃さんの足がすっくと真上に上がり、鮮やかなダンスを披露してくれる。
圧倒的歌唱力を誇るきりやん、そして一級のダンサーである蒼乃さん。そして明日海りお(光)と龍 真咲(影)という美形のふたりが脇を固める。現在の月組は適材適所で、非常にバランスがいい。
「美しいことは正義である」……そのことを強く感じた。
ストーリーは超展開で突っ込みどころ満載、そして谷 正純の演出は同じ美術装置の繰り返しが多く、単調で平凡。しかし、そうした不備を補って余りある出演者たちの魅力とアンサンブルの実力、さらに楽曲の良さも加わって、大変見所の多い作品に仕上がっている。
作・演出:中村一徳のショー「Rhapsodic Moon(ラプソディック・ムーン)」は各場面を担当した振付家全員が男性で、ダイナミックで激しいダンスが展開された。美術装置は洗練されて華やか。
今回の公演は「当たり」。お勧め!
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