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2010年7月

2010年7月31日 (土)

月亭八方「算段の平兵衛」/八方会(7/30)

月亭八方さんが席亭を務める、大阪・福島の寄席小屋「八聖亭」へ。木戸銭2,000円也。満席。

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  • 月亭八方/ごあいさつ~秘伝書
  • 桂三風/テレショップパニック(三風 作)
  • 月亭八方/算段の平兵衛

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仲入りなし、18時半開演で20時過ぎには終演した。

八方さんはまず、客からのリクエストで今絶好調の阪神タイガースについて語られた。「首位に立った時期が早過ぎるんじゃないかとの声をちょくちょく耳にします。巨人が不気味だと」「阪神があんまり強いとネタにならないんです」弱くてボロボロだからこそ、そこに笑いが生まれると。成る程、そうかも知れない。

子供の頃、お祭りの夜店が愉しかったという想い出から「秘伝書」へ。マクラとネタの境界が判らないくら自然な入り方で、さすがの上手さ。八方さんの「鉄砲勇助」も同様の味わいがある。

三風さんは「客席参加型」で。

そして八方さんの十八番「算段の平兵衛」でトリ。

前回、八方さんで聴いた時は、按摩の徳さんが算段の平兵衛をゆすりにかかるところで「残念ながらお時間です」と切られたが、今回は「この続きを語ると、あと八時間半掛かってしまいます。『算段の平兵衛』前編でございました」と終わった。また、庄屋の妾”お花さん”が何の未練もなく平兵衛と夫婦になる場面では沢尻エリカや酒井法子の名前が飛び出し、実に説得力がある工夫だった。

算段の平兵衛」を再創造されたのは桂米朝さん。米朝さんのマクラに次のような逸話が登場する。昔大阪には「こなから」という言葉があった。漢字で書くと「小半」。お米一升の半分を「なから」と言い、さらにその半分、二合半のこと。「にごうはん」つまり、「二号はん=おてかけさん(おめかけさん)」を意味する隠語であったという。

算段の平兵衛」は算段の報酬として二十五両が何度か支払われる。つまり百両の四分の一。これも「こなから」と連動しているのではないかというのが僕の推論なのだが、どうだろう?

例えばやはり米朝さんが復活させた噺「はてなの茶碗」の最後に”十万八千両の金儲け”というフレーズが出てくる。これは人間の煩悩の数108(除夜の鐘と同じ)の倍数になっている。落語って、奥深いなぁ。

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2010年7月30日 (金)

東野圭吾と「白夜行」映画化

東野圭吾のミステリー小説は13冊ほど読んでいる。

中でも僕がとりわけ傑作だと想うのは「白夜行」(1999年刊)。直木賞を受賞した「容疑者Xの献身」(2006)はそれほど面白いとは想わない。「白夜行」は直木賞候補になったが、あの時点で受賞させていれば、少しは直木賞のことを見直したのに(「容疑者…」では遅きに失した感は否めない)。

小説「白夜行」の何がすごいって、主人公ふたりの感情を全く描写しないこと。”雪穂”と”亮二”の行動は常に第三者の目から語られ、彼らが何を考えているのかは読者の想像力に委ねられる。そこにはある意味、宮部みゆきの「火車」にも通じる、作者の卓越した技巧が感じられる。

そして東野圭吾は明言していないが、実質的に「幻夜」(2004)は「白夜行」の続編と言えるだろう。この小説のヒロイン”美冬”と「白夜行」の”雪穂”が同一人物であることを匂わせる記述が、そこかしこに仕組まれている。彼女の人生をリセットする装置が阪神大震災というわけ。

「白夜行」は2009年に韓国で映画化され(日本には来ないのだろうか?)、現在日本版も製作進行中。”雪穂”を演じるのは掘北真希である。公開は2011年の予定。

そして「幻夜」は今年11月にWOWOWのドラマWの枠で放送が決まっている。ヒロインは深田恭子が演じるらしい(詳細はこちら)。

そうか、掘北真希が後にフカキョンになるのか……。何となく奇妙な感じはするし、一抹の不安がないではない。しかし、ふたりとも好きな女優さんなので、どちらも愉しみに待ちたいと想う。

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2010年7月28日 (水)

木管五重奏/夏の夜の饗宴 2010

大阪倶楽部へ。

安藤史子(フルート)、高山郁子(オーボエ)、上田希(クラリネット)、東口泰之(ファゴット)、村上哲(ホルン)の演奏で、木管五重奏を聴く。このうち4人がいずみシンフォニエッタ大阪あるいは、なにわ《オーケストラル》ウィンズのメンバー。

  • クルークハルト/木管五重奏
  • ラヴェル(M.ジョーンズ編)/クープランの墓
  • イベール/3つの小品
  • アーノルド/木管五重奏のための3つの船乗りの歌
  • バーバー/夏の音楽

クルークハルトという作曲家は初めて聴いたが、中々良かった。

一番気に入ったのはパリに生まれ、パリで活躍したイベールかな。粋で洒落ている。

イギリスのアーノルドが23歳の時に作曲したシャンティ(船乗りの労働歌)はただのアレンジではなく、結構入り組んでいて不協和音の味付けもされ、とても面白い響きがした。

バーバーは夜の音楽。日本みたいにうだるような暑さではなく、カラッとして微風が心地よい感じ。緩ー急-緩ー急…の繰り返しがメリハリがあって、いかにも近代アメリカ的な楽想。

管楽アンサンブルの軽やかなハーモニーを愉しんだ。なお、大フィル・ホルン主席の村上さんが使用していたミュート(弱音器)に淀川工科高等学校(淀工)吹奏楽部のシールが張ってあったのが、すごく気になった。なんでだろう?

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トイ・ストーリー3/3D字幕版

評価:B

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ピクサー映画は全て”バディ・ムービー”である。つまり、「仲間が一番」ということ。それはこの最新作でも同じこと。予定調和ではあるが、ハイ・クオリティーでウェル・メイドな映画にゆったりと身を委ねた。たまにはこういう時間の過ごし方もいいだろう。

映画公式サイトはこちら

「トイ・ストーリー」第一作はピクサー初の長編アニメーションだった。アメリカ公開が1995年で翌年に日本で公開。考えてみればこの作品から僕はピクサー映画全作品を映画館で観てきたことになる。

そうだなぁ、ピクサーで一番好きなのはブラッド・バートが監督した2作品「Mr.インクレディブル」と「レミーのおいしいレストラン」かな?彼の映画は”バディ・ムービー”の殻を突き破ろうとする途轍もないパワーがある。今度バートはトム・クルーズ主演の「ミッション:インポッシブル4」の監督に抜擢されたそうで、実写でどれくらいその手腕が発揮できるのか愉しみである。

「トイ・ストーリー」の話に戻るが、前2作を撮ったジョン・ラセターから監督が交代したが、違和感は皆無。さすがディスカッションを重ねながら合議制で製作を進めるピクサー方式に死角なし。

一時期、ディズニーがピクサーとは無関係に続編を作る(無謀な)企画が進められたが、ディズニーの業績不振によるアイズナーCEOの失脚、ジョン・ラセターのディズニー復帰(チーフ・クリエイティブ・オフィサー就任)により、ピクサーが権利を取り戻すことが出来て本当に良かった。

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2010年7月27日 (火)

九雀の噺「江島屋騒動」(7/26)

天満天神繁昌亭へ。桂九雀さんの会。前回「九雀の噺」の感想はこちら

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  • 笑福亭生寿/花色木綿
  • 桂 九雀/軽石屁
  • 噺劇「江島屋騒動」
  • 桂 九雀/青菜
  • 総踊り「かっぽれ」

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軽石屁」は東の旅シリーズ(伊勢からの帰り道)の一篇で、落語作家の小佐田定雄さんが脚色、復活させたもの。お馴染み喜六、清八コンビの珍道中。非常によく出来た、軽やかで愉しい噺。ただ「アホの喜ぃ公」が復讐する為に、このような気が利いた趣向を凝らせられるのか?という点が些かひっかかるのだが……

噺劇(しんげき)は落語を芝居仕立てにしたもの。生の三味線と鳴物入りで、衣装はあるが舞台装置はなし。小道具は扇子と手ぬぐいだけ。まず九雀さんが噺劇の趣旨と、物語の前説を落語的に。それから鍋島 浩嶋田典子西田政彦桝井聖美ら役者さん達が出演した。特に嶋田さん演じる母親の恨みに凄みを感じ、背筋が凍った。ただ以前観た「淀五郎」「蜆売り」のような人情噺は、そもそも落語で聴いても面白くも何ともないので噺劇に直すのは極めて有効だが、「江島屋騒動」みたいな怪談噺は元々の落語自体が結構愉しめるので、わざわざ噺劇にする意義はあるのかな?という疑問を今回感じたもの事実である。まぁ見応えあったので文句はありません。次回公演も期待しています。

さて、ここまで九雀さんは眼鏡を掛けての《JAZZ型》の口演。仲入りを挟み後半は眼鏡を外して《クラシック型》へ。

僕は今まで何人の「青菜」を聴いてきたのだろうと調べてみると、九雀さんが12人目だった。すっかり忘れていたけれど、柳亭市馬さんや林家彦いちさん等、東京の型も聴いている。そして今回の九雀さんが一番面白かった。これは絶品。

まず地球温暖化-南極の氷が溶け、水面が上昇する話題から始まるマクラが秀逸。「百年後の二度(気温上昇)より、今日の三度(冷房で下げること)」が大事というフレーズには大笑い。上手いっ!

マクロ(地球規模)からミクロ(ある屋敷の庭先)へ。この手法は九雀さんの師匠・桂枝雀さんによる「日和ちがい」や「雨乞い源兵衛」のマクラを彷彿とさせた。原始の地球から始まり、プランクトンの誕生を経て人間登場に至るまでの進化論を一気に語る、ものすごいスケールの高座であった。

九雀版「青菜」は屋敷の主人が植木屋に「柳陰」という酒をガラスの徳利からガラスの杯に注いでくれる。なんとも涼しげである。そして噺の終盤になると、植木屋が友人に手渡したすし屋の湯飲みに酒を注ぐ。うゎ、暑苦しい!そのコントラストが鮮やか。

その他にも独自の工夫が色々あって、爆笑ネタに仕上がっていた。お見事!

なおこの日の「軽石屁」と「青菜」は映像収録され、繁昌亭らいぶシリーズDVD・CDとして9月22日に発売されるそうである。これはお勧め。

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2010年7月26日 (月)

佐渡裕プロデュースオペラ「キャンディード」

まずはこちらからお読みください。

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レナード・バーンスタインが作曲したミュージカル「キャンディード」の原作はフランスのヴォルテール。啓蒙主義を代表する哲学者、作家。「私はあなたの意見に賛同できない。しかし、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守ろう」という言葉が、彼の思想を端的に表している。

「キャンディード」は奇想天外・荒唐無稽な物語である。それは本作が初演された1956年にアメリカで吹き荒れていた「赤狩り(マッカーシズム)」と切り離しては考えられない。

例えば劇中、宗教裁判の場面は当時行われていた非米活動調査委員会の暗喩である。台本を書いたリリアン・ヘルマン(映画「ジュリア」の原作者であり、登場人物)は実際に非米活動委員会に呼び出され、ハリウッドのブラックリストに掲載されることになった。バーンスタイン自身もこの時代、自由主義的言動からFBIにマークされ、電話も盗聴されていたという。

バー ンスタインがその生涯で、唯一書いた映画音楽「波止場」(1954)を監督したのはエリア・カザン。元共産党員だったカザンは非米活動委員会に嫌疑をかけ られ、司法取引をして共産主義思想の疑いのある者として友人11人の名前を同委員会に表した。その中にリリアン・ヘルマンの名前もあった。

兵庫県立芸術文化センターへ。

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「キャンディード」Tシャツも売られていた。

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今回上演されたのはロバート・カーセンが2006年にパリ・シャトレ座で演出したバージョン。演奏は佐渡裕/兵庫芸術文化センター管弦楽団・ひょうごプロデュースオペラ合唱団。

独唱者は全員外国勢で演劇界やオペラ界の混成チーム。ダンサーは、トニー賞を受賞した振付家ロブ・アシュフォード率いるオリジナル・メンバーなど、ロンドン・ウエストエンドで活躍する精鋭たちが結集した。英語上演・日本語字幕付き。

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非常にレベルの高いカンパニーだった。とりわけ素晴らしかったのがカーセンの演出である。

元々のお話はドイツ・ウエストファリアから始まり、そこから主人公はブルガリア→オランダ→パリ→リスボン(ポルトガル)→スペイン→ブエノスアイレス(アルゼンチン)→ベネチアと目まぐるしい旅をする。

しかしカーセン版は巨大なテレビのブラウン管を模した舞台となっており、その中で物語が進行する。冒頭のウエストファリアはいきなりアメリカ・ホワイトハウスでの出来事になっていて、驚かされる。そこでバングロス博士が子供たちに「この世の中は全て善いことで創られている」と教える。彼の説では戦争さえも善へと続く行程である。つまり、民主主義を世界に広めるという「正義の戦争」を掲げ、イラクを侵略したブッシュ政権への痛烈な風刺になっているのだ。

リスボンでの宗教裁判の場面は非米活動調査委員会の尋問そのものに置き換えられていた。しかも舞台両脇は三角白頭巾を被ったKKK(クー・クラックス・クラン=白人至上主義を唱える秘密結社)が取り囲むという念の入れよう。アメリカの狂気を白日の下に晒す演出はこのシャトレ座版の真骨頂であった。また被告を演じるダンサーたちは赤いスカーフをそれぞれ手に持ち、振付も洗練されていた。

その他にもタイタニック号が登場したり、マリリン・モンロー風のクネゴンデ(キャンディードの恋人)がユダヤ人の映画プロデューサーに囲われているなど、びっくりするような趣向が凝らされていて最後まで飽きさせない。作品全体が20世紀以降のアメリカ現代史の縮図・カオス・おもちゃ箱仕立てとなっており、テレビのチャンネルをカチャカチャ切り替えるように展開されていった。

主人公キャンディードはまずバングロス博士から楽観主義(optimism)を教えられ、後に悲観主義(pessimism)を唱える人物(同じ役者が演じる)ともめぐり合う。そして最後に世の中の真の様相はどちらでもなく、ちょうどそのあいだ位だろうという結論に達する。そこで全員で歌われるのが"Make Our Garden Grow"(僕らの畑を耕そう)。僕は佐渡さんの頭が見える最前列で聴いたのだが、もう圧倒的迫力で感動のフィナーレであった。

また演奏中に時折、佐渡さんの唸り声も聞こえてきた。並々ならぬ気合が感じられる入魂の指揮ぶりであった。

そうそう、劇中マクシミリアン(クネゴンデの兄)が女装してアメリカに入国しようとし、移民を選別する審査官に股間を摑まれ、「お前は男だろう!」と言われた時に、"Nobody's perfect."(完璧な人間なんていないさ)と答える場面は腹を抱えて笑った。これはビリー・ワイルダー監督「お熱いのがお好き」(モンローが出演)のラストに登場する名台詞。この映画はギャングに追われたジャック・レモンが女装して逃げるお話である。

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2010年7月25日 (日)

僕の好きな音楽

現在、Twitterで《僕の好きな音楽》というシリーズを展開しているのをご存じだろうか?ほぼ毎日更新中。その多くは試聴出来るよう、リンクも張っている。

今までご紹介した曲の一覧は下記で閲覧出来る。

貴方が未だ知らない、ディープな世界へお連れします。

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2010年7月24日 (土)

キンボー・イシイ=エトウ/大阪交響楽団 定期

ザ・シンフォニーホールへ。

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キンボー・イシイ=エトウ/大阪交響楽団(ヴァイオリン独奏:小林美恵)を聴く。

  • フォーレ/パヴァーヌ
  • ブルッフ/スコットランド幻想曲
  • シューベルト/交響曲 第5番

フォーレシューベルトはティンパニなど打楽器なしで、金管もホルンのみという小編成。こういった作品の方が、指揮者の資質にあっているんじゃないかなと感じられた。

ブルッフみたいな重厚な作品はなんだか野暮ったい。そもそも極めてつまらない、退屈な曲だし。あるのは技巧だけで、この音楽には”心”がない。演奏者の自己満足に終始した印象を受けた。ヴァイオリンとオーケストラの組み合わせなら、むしろ滅多に聴く機会のないエリック・W・コルンゴルトとか、ミクロス・ローザをやって欲しい。そういう知られざる名曲を掘り起こすことこそ、あなた方の使命ではないのか?

フォーレはまろやかで、柔らかい響きが好かった。

シューベルトは軽やかで小気味よい演奏。音楽をすることの歓びが、しっかり客席にまで届いた。キンボー・イシイ=エトウさんはシューマンの「春」とか、こういう爽やかな曲がよく似合う。

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2010年7月23日 (金)

借りぐらしのアリエッティ

評価:B+

今更僕が言うまでもないが、アニメーション作家・宮崎駿は天才である。これは疑う余地がない。ただスタジオ・ジブリにとって不幸だったのは、宮さんが天才故に何でも自分でやってしまい、後進を育てられなかったことである。

宮さんは他人とコラボレーション(協調)することが出来ない人だ。押井守と一緒に作品を作るという企画は頓挫した。「ハウルの動く城」では細田守監督と大喧嘩をして結局、細田さんがジブリを去り、宮さんが監督を引き継ぐことになった。天才は孤独なのだ。

例えば長年、作画を担当してきた近藤喜文を監督に据えた「耳をすませば」を見てみよう。何とこの作品、脚本・キャラクターデザイン・絵コンテまで宮さんが担当している(おまけに主題歌「カントリー・ロード」の作詞も!)。だからこの作品は完全な宮崎アニメ。近藤さんの個性はどこに?と問いたくもなるではないか(いや、僕はこの作品、大好きだけど)。そして宮さんの後継者として期待された近藤さんは1998年に解離性大動脈瘤破裂で亡くなった。享年47歳だった。

「スタジオ・ジブリは宮崎駿・一代で終わればいいんじゃないか?」と僕は想っていた。でも宮さんや鈴木プロデューサーはそうは考えていなかったようだ。「猫の恩返し」や「ゲド戦記」といった迷走を経て、この度「借りぐらしのアリエッティ」を世に問うた。監督は37歳のアニメーター・米林宏昌、愛称:麻呂(まろ)。彼の顔は「千と千尋の神隠し」のキャラクター・カオナシのモデルとなったという。

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本作のポイントは宮崎駿がどこまで作品の完成までちょっかいを出さず(影響力を行使せず)、我慢出来るかということであった。結局、宮さんは企画・脚本のみに留まり、麻呂の書いた絵コンテにも一切目を通さなかったそうだ。えらい!なお、ヒロイン・アリエッティは米林監督が好きな映画「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)をモデルにしているという。さらに宮さんが書いたシナリオに丹羽圭子の手が加わり、宮崎臭は払拭された。

公式サイトはこちら

映画冒頭、主人公の少年・翔が車に乗って屋敷に到着する場面はまるで「千と千尋の神隠し」みたいだった。彼の動きが鈍く、この監督は絵の動かし方(タイミングの取り方)が下手なのかな?と一瞬想ったが、次第にこの少年が胸を患っていることが明らかになってくる。そして床下に住むアリエッティが登場すると敏捷な動きで、静と動の対比を鮮明にする演出だったのだなと合点がいった。また翔が住む世界は青を基調とした寒色系で、アリエッティが赤など暖色系でそのコントラストも見事。うん、なかなかセンスがあるじゃないか。

ダイナミックなアクション・シーンが話題になる宮崎アニメだが、実は重要なのは「静」の場面であったりする。例えば「ルパン三世 カリオストロの城」でルパンが空に浮かぶ雲を眺めながら「平和だねぇ…」と呟くシーン。あるいは「天空の城ラピュタ」でパズーとシータが漸くラピュタにたどり着き、次第に雲が晴れて城の全容が明らかになるシーン。それらがあればこそ、後に展開される「動」が生きる。米林監督はそのことがよく分かっている。

また、往年の宮崎アニメに対するオマージュ(敬意)があちらこちらに散りばめられていて愉しい。アリエッティの視点から見た猫はまるで「となりのトトロ」の猫バスだし、「アルプスの少女ハイジ」(宮さんがレイアウトを担当)のチーズを乗せたパンも登場する。そして朝日の差し込むラストシーンで「耳をすませば」を想い出さない人はいないだろう。

僕が特に気に入ったのは中盤で登場する少年、スピラー。彼がやることなすこと、もう完全に「未来少年コナン」のジムシーだ!むちゃくちゃ懐かしかった。

鈴木Pが指名した米林監督は大当たりだった。これでジブリの未来に希望が見えた。

鈴木Pはこう語る。

「試写が終わった後、突然宮崎駿が立ち上がって、前に座っていた麻呂の手を持ち上げ、『麻呂、よくやった!』と言ったんです。その後、僕だけに『映画観ながら、泣いちゃった』と。『ジブリ育ちの初めての演出家が誕生した』と言っていて、これは嬉しかったです」

鈴木さん、本人は嫌がるかも知れないけれど、是非また彼を監督に起用してくださいね。

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2010年7月22日 (木)

宝塚星組/フレンチ・ミュージカル「ロミオとジュリエット」

梅田芸術劇場へ。

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宝塚星組「ロミオとジュリエット」を観劇。フレンチ・ミュージカル。フランス産と言えば「壁抜け男」がそうだし、ミュージカル「レ・ミゼラブル」も元々1980年にパリで上演されたものを、そのレコーディング・アルバムを聴いた大プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュが気に入ってロンドン版を製作したもの。

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作詞・作曲はジェラール・プレスギュルヴィック、日本版演出は宝塚歌劇団のエース、小池修一郎。

配役はロミオ:柚希礼音、ジュリエット:夢咲ねね、ティボルト:凰稀かなめ 他。

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小池さんは現代もの、例えば「キャバレー」とかソンドハイムの「カンパニー」などを演出させると駄目だけれど、「エリザベート」など如何にも宝塚的なコスチューム・プレイだったら、彼の右に出る者はいない。

この「ロミオとジュリエット」ではキャピュレット家の衣装が赤で「太陽」を表現し、モンタギュー家が青で「月」を示す。また、「愛」と「死」を象徴させるダンサーがそれぞれ登場し、そのコントラストが鮮明。

ただ「死」のダンサーの格好がミュージカル「エリザベート」のトート閣下とほぼ同じで、二番煎じの感は否めなかった。でも、最後ロミオとジュリエットが黄泉の国で結ばれる場面(宝塚版オリジナル)で、背後の「愛」と「死」も融合する演出は、この作品のテーマを端的に表現しており、見事だった。

重厚な舞台装置が14世紀のイタリア・ヴェローナの雰囲気を巧みに醸し出しており、複雑な舞台転換も素晴らしい。光と影が交差する照明もとても綺麗。

出演者も好演。柚希さんは太陽のような明るさがあり好感が持てるし、夢咲さんはとても歌唱力がある。そして美形の凰稀さんがワイルドに華を添える(彼女は以前より歌が上手くなった)。他の出演者たちのアンサンブルも文句なし。

それから何と言ってもロック調の音楽が良かった!特に一幕フィナーレ(ロレンス神父・僧庵での挙式)で歌われる「エメ(Aimer)愛」は名曲。感動に胸が打ち震えた(フランス語版の試聴は→こちら プロモーション・ビデオは→こちら)。

平日マチネにもかかわらず、当日券も含め完売。観客の9割5分は女性。「今日は昨日より席が舞台に近くて良かった」等といった会話が聞こえてきた。宝塚ファン、恐るべし!

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第三弾!上方落語の噺家たち/今、この二十五人が面白い

前回のリストはこちら。

そもそも上方落語を生で聴いたことがないという初心者の方に向けてのガイダンス的企画として始まったもの。当然異論はあるだろうが、人の好みというのは千差万別なのでご容赦を。

ではまず、現時点で僕が一押しの落語家十人(順不同)。桂米朝さんは現役とは言えないので、リストから外している。

  • 桂春團治
  • 桂雀々
  • 桂よね吉
  • 月亭遊方
  • 林家染二
  • 笑福亭鶴瓶
  • 笑福亭鶴笑
  • 笑福亭たま
  • 桂文珍
  • 桂文太

上方落語四天王の一人、春團治さんは別格の存在感。シュッとした羽織の脱ぎ方ひとつをとっても名人芸で、何度観ても惚れ惚れする。代表的ネタは「代書屋」「祝いのし」

雀々さんはスピード感と、その口調の心地よいリズムが持ち味。お勧めは「くっしゃみ講釈」「疝気の虫」「地獄八景亡者戯」

吉朝一門のよね吉さんの十八番は何と言っても芝居噺。指先にまで神経を行き届かせた繊細な動き、所作が美しい。着物の趣味もいい。「七段目」「蛸芝居」「天災」

遊方さんは愛すべき噺家である、その人柄が彼の新作に滲み出している。繁昌亭創作賞受賞。自称”高座のロックンローラー”、でも健康オタクでもある。天王寺在住で天王寺ネタが愉しい。代表作「いとしのレイラ ~彼女のロック~」(遊方 作)「天狗の恩返し」(金山敏治  作)

染二さんは兎に角上手い人。繁昌亭大賞受賞。「たちぎれ線香」が絶品。ただ、人情噺を演りたがるのが難。

鶴瓶さんの「らくだ」は圧巻だった。笑福亭の芸を継承しながら、オリジナルのエピローグを付加する。芸能界の頂点を極めた人だけに鶴瓶噺がさすがに面白く、私落語「ALWAYS -お母ちゃんの笑顔- 」「青春グラフティ松岡」もお勧め。ただし、上方で最もチケット入手困難な人だから、聴きたければそれなりの気合が必要。

鶴笑さんはクレイジーなパペット落語が最高!「義経千本桜」「ゴジラ対モスラ」など。

たまさんの新作は筒井康隆的知性が魅力。ただし、万人受けはしないかも。繁昌亭創作賞受賞。ユニークなショート落語やオーバー・アクションの古典もいい。「胎児」「伝説の組長」(たま 作)、「いらち俥」(古典)

文珍さんは時事ネタを盛り込むのが上手い人。ブラック・ジョークはきついが、機智に富む。古典と新作の両刀使い。「粗忽長屋」「地獄八景亡者戯」など。

名人文太さんは抜群の安定感を誇る。どの噺を聴いても満足出来る。飄々とした軽やかさが魅力。特に贋作シリーズがお勧め。

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次に、この人なら間違いがないという十人(順不同)。

  • 笑福亭福笑
  • 笑福亭松喬
  • 月亭八方
  • 桂ざこば
  • 桂九雀
  • 桂吉弥
  • 桂吉坊
  • 桂三枝
  • 桂あやめ
  • 桂文三

福笑さんは過激でアナーキーな新作に本領を発揮する。立川談志さん言うところの「落語とは、人間の業(非常識)の肯定である」という意味がよく理解できる。新作は瀞満峡(どろみつきょう)」「憧れの甲子園」、古典では「代書屋」がいい。

松喬さんは愛嬌のある大阪のおっちゃん(兵庫県出身だけど)。笑福亭の正統派という感じかな。酔っ払いが上手く、登場人物の一人を吃音で喋らせるなど、松鶴の芸をしっかりと受け継いでおられる。「質屋蔵」が良かった。

八方さんは悪い男が良く似合う。ご本人も「陰のある、暗い噺が好き」と仰っていた。「算段の平兵衛」「大丸屋騒動」が絶品。

ざこばさんはある意味大雑把だけれど、そのダイナミックな語り口に魅力がある。「遊山船」「子は鎹」が良かった。

九雀さんが創作した噺劇(しんげき)が僕は好き。芝居仕立ての落語で、これなら僕が大嫌いな人情噺でも、真面目に聴こうかという気にさせてくれる。「蜆売り」が良かった。また通常の高座で聴いた「たちぎれ線香」はテンポ良く、湿っぽさがないのが気に入った。

吉弥さんは弟弟子のよね吉さん同様、「七段目」など芝居噺で本領発揮。でも「高津の富」「鴻池の犬」もいい。持ち前の明るい華やかさが魅力。それからネタに上手く直結させた、マクラの作り方が抜群に上手い。繁昌亭大賞受賞。

吉坊さんは所作の美しさに惹かれる。繁昌亭輝き賞受賞。好きなネタは「胴切り」

三枝さんが創作された200を超える落語の質の高さは他の追随を許さない。「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」みたいにそれが全国で通用するネタというのも素晴らしい。僕が凄みを感じるのは「ゴルフ夜明け前」「大阪レジスタンス」

噺家は女性というだけで大きなhandicapを背負うことになるが、それを創作落語によって見事に克服したのがあやめさん。女性にしか書けない視点がお見事。「義理ギリコミュニケーション」「私はおじさんにならない」「落語男」などがお勧め。また林家染雀さんとコンビを組んだ音曲漫才・姉様キングスもすごく愉しい。

文三さんは持ち前の機嫌よさ、明るさが爽やかで気持ち良い。客席への気配りもすごい。これぞ芸人の鑑。「動物園」「狸賽」「井戸の茶碗」「芋俵」などが印象に残った。

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さらに気になる五人。

  • 桂梅團治
  • 桂福丸
  • 桂文我
  • 笑福亭三喬
  • 笑福亭喬介

梅團治さんは何と言ってもその豪快な語り口が印象的。「宇治の柴舟」とか「竹の水仙」が良かったな。

桂福丸さんは京都大学法学部卒で、2007年11月に入門したばかりの超若手。それなのに相当稽古をしているのか、滅茶苦茶上手い。笑福亭たまさんの説によると、「先輩に気を使ってまだ八分目くらいの力しか高座で出していない」とのこと。将来どのように豹変するのか今から愉しみである。リズム感が良いので、ポスト枝雀のポジションを担うのは彼かも知れない……なーんてね。

文我さんのありがたいところは、兎に角珍しいネタを高座に掛けてくれること。上方落語の奥深さを実感させてくれる。特に妲妃のお百」には感動した。

三喬さんの十八番は泥棒ネタ。「月に群雲」(小佐田定雄 作)「おごろもち盗人」など。他には「崇徳院」が素晴らしかった。繁昌亭大賞受賞。

高い声の喬介さんはそのキャラクターに魅力を感じる。アホの喜六ぃ公(喜六 )が落語の中からそのまま飛び出してきた雰囲気。

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さて、以上のリストは勿論、流動的なものである。1年も経てばまた入れ替わりもあるだろう。また次回をお楽しみに。
 

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2010年7月21日 (水)

桂吉坊/ぱくす亭 噺の会 Final !

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7月20日(火)、新大阪近くにある喫茶店PAK'S GROOVE(パクス・グルーヴ)へ。

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ここで不定期に開催されてきた桂吉坊さんの会、これが12回目だそう。そして最後のぱくす亭となった。何故なら7月末でオーナーが店を廃業されるから。

飲食代+チャージ1,500円。プロの噺家が目の先2mくらいで落語を演じてくれるのだ。安いものである。

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  • 吉坊のうだうだ
  • 寄合酒
  • 次の御用日

まずは吉坊さんの師匠・吉朝と大師匠・米朝さんが旧サンケイホールで「怪談噺の会」をやった時の舞台裏のエピソードを色々面白おかしく。

また、米朝宅で内弟子修行中に、米朝さんから「お前は丁稚が似合っとるから、《蔵丁稚》の稽古を付けたる」と言われ、それから紆余曲折があって結局《正月丁稚》を教わったエピソードなどを披露された。

寄合酒》は蛙の柄が入った、夏らしい着物で演じられた。

次の御用日》のマクラでは、しばしば見知らぬ小さい子供から気軽に話しかけられることなどを語られ、本編へ。可愛らしい丁稚の描き方が出色。

いま上方で丁稚を演じさせたら、吉坊さんか雀々さんが一番上手いかも。吉坊さんは品があるタイプ、雀々さんの描く丁稚は鼻水垂らしていそうなアホな感じ。どちらも味がある。

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金沢・加賀温泉郷の旅

連休は金沢へ、ぶらり一泊旅行をした。

大阪駅からサンダーバードで二時間強。金沢に着いて直ぐに21世紀美術館へ。

全体的に客層が若く、お洒落な人が沢山いた。そして意外(?)にも外国人が多数来ていた。

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レアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》をまず上から覗き込む。だまし絵の3Dバージョン?

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こちらは下から撮影。

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ジェームズ・タレルの《ブルー・プラネット・スカイ》。立方体の部屋に入ると、天井が正方形にぽっかり切り取られている。部屋の壁沿いに座ってぼーっと空を見つめる。不思議なほど空が近い。

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写真正面、屋根の上に立つのは、ヤン・ファーブル作《空を測る男》。

現在、21世紀美術館で開催されているのが、Alternative Humanities 〜 新たなる精神のかたち:ヤン・ファーブル × 舟越桂である。この展覧会が非常に良かった。

舟越桂の彫刻には見覚えがあった。よくよく考えて、はたと気がついた。あぁ、天童荒太の小説「永遠の仔」(日本推理作家協会賞受賞、「このミステリがすごい!」第1位)の表紙の人だ!

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実物は初めて見た。首がモディリアーニの絵のように長く、目がやぶにらみなのが特徴的。

ヤン・ファーブルの作品もとても面白い。特に虫のドレス《昇りゆく天使たちの壁》は印象的。グロテスク、だけど美しい。虫に対する偏執狂(monomania)的性癖を感じた。調べてみると、「ファーブル昆虫記」で有名なジャン=アンリ・ファーブルは彼の曾祖父にあたるそう。成る程、血は争えない。

その後兼六園をチラリと見るが、猛暑のためさっさと宿へ向かう。

カメリアイン雪椿は"暮しの手帖"にでも出てきそうな、レトロで乙女チックな宿。アンティークがそこかしこに置かれ、椿のモチーフが散りばめられている。鍵やテーブルマットも椿。

夕方になると、散歩がてら茶屋街へ。道すがら、旦那衆が茶屋へ通ったという"暗がり坂"があった。

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金沢の夕暮れ。橋の下では、釣りをする地元の人々がいた。

そして目的地「御料理 貴船」へ到着。

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先付けのジュレに入っていたウニの甘さ、ノドクロの造り、焼き鮎ご飯、生姜とレモンのデザート等が印象に残った。特に各々の部屋で炊かれる土鍋ご飯は美味しく、御代わりして全部平らげてしまった。

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翌朝、宿の朝食が凝っていて、加賀野菜のサラダが大変美味しかった。

金沢を発ち、山中温泉へ。「花つばき」で外来入浴を楽しむ。

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湯畑と名付けられた川沿いの大小の露天風呂群があり、愉しい。

加賀温泉郷では山中温泉は一番駅から遠く不便な場所にあるせいか他に客はおらず、貸切状態。蝉の鳴き声と木々を渡る風の音、渓流のせせらぎだけが聞こえてくる。

ここの鶴仙渓には川沿いに遊歩道があった。

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近くの酒蔵獅子の里にて活性純米吟醸(発泡性のお酒)を買ったり、魚そうめんや酒粕ソフトクリームを楽しんで帰路へ。心身ともにリフレッシュした旅であった。

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2010年7月20日 (火)

桂雀々「地獄八景亡者戯」@河内長野/二番弟子の初高座あり!

7月17日(土)。駅からの道中、迷いながらも何とかキックス 市民交流センター(河内長野市)へ。

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桂 雀々さんは今年、五十歳の誕生日を迎える。そこで全国五十ヶ所を大ネタ「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」で廻ろうという企画。今回が十ヶ所目となる。

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  • 桂 鈴々/東の旅 野辺 (初高座)
  • すずめ家すずめ/犬の目
  • すずめ家ちゅん助/眼鏡屋盗人
  • 桂 雀々/地獄八景亡者戯

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雀々さんの二番弟子・鈴々(りんりん)さんはアマチュア時代に「すずめ家ひばり」という名前で、河内長野を中心に活躍されていたそう。そんな彼女を、今まで応援してくれた人々に祝福され、プロ・デビューさせてあげようという雀々さんの「親心」なのだろう。

ハキハキとした口跡で、元気な初高座。笑顔も良かった。一度も詰まることなく、堂々たる口演。お見事!

雀々さんの「地獄八景」は先月も聴いたのだが、何度聴いても新鮮で面白い(冥土での登場人物に、パク・ヨンハとつかこうへいが新たに加わった)。マシンガンのように言葉を畳み掛けるスピード感。師匠・枝雀を彷彿とさせる、ダイナミックで勢いのある「一生懸命のお喋り」。文句なし。

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2010年7月18日 (日)

これぞミュージカルの原点!「ファンタスティックス」あれこれ(亜門版も)

2001年8月末、僕はニューヨーク・タイムズスクエアにあるTKTS(チケッツ)のブースで迷っていた。

ここはブロードウェイ・ミュージカルの当日券を格安価格で販売しているところ。「プロデューサーズ」(この年にトニー賞を総なめにしたばかり)「オペラ座の怪人」「キャバレー」「42nd Street」などのチケットは日本で既に押さえてやって来たのだが、滞在期間中、一日だけマチネの時間が空いていた。

選択肢は二つ。オフ・ブロードウェイ作品の「ファンタスティックス」を観るか、「プロデューサーズ」のスーザン・ストローマンが振付・演出したリヴァイヴァル「ザ・ミュージック・マン」を観るか。

そこで僕は考えた。「ファンタスティックス」は1960年5月3日の初演以来、実に40年以上の長きに渡りロングランされている作品(ロンドンの「ねずみとり」みたいなもの)。今度ブロードウェイに来るときでも観る事は出来るだろう。でも「ザ・ミュージック・マン」は間もなく終わってしまう……。一期一会、答えは決まった。

……しかし、この判断は間違いだった。「ザ・ミュージック・マン」はお子様向けで、あまり面白くなかった(オリジナル・キャストによる映画版の方はとても好きなのだが)。そして僕が日本に帰国して約二週間後、あの同時多発テロがニューヨークを襲ったのである。9月11日のことであった。

その後ブロードウェイに足を運ぶ観光客は激減、「ファンタスティックス」の公演はあえなく翌年の2002年1月13日に閉幕してしまう。こうして僕がブロードウェイでこの作品を見る機会は永遠に失われてしまった。

そんな中、2003年に宮本亜門 演出、井上芳雄 主演による日本版「ファンタスティックス」が幕を開けた。

舞台装置は質素で、出演者はたった8人。青年マットと少女ルイザをめぐる、穏やかで、純朴、シンプルな物語。

オーケストラも小編成で、優しくピュアな旋律に心が洗われるよう。そして「トライ・トゥ・リメンバー」という歌の何という美しさ!

胸を打たれる舞台であった。別に巨大なヘリコプターとか、バリケード、落下するシャンデリアといった大掛かりなセットがなくても、それなりのストーリー、そして素敵な音楽と踊りさえあればいい。そんなミュージカルの原点を感じさせてくれる珠玉の作品であった。

「ファンタスティックス」の脚本・作詞を担当したトム・ジョーンズがこの亜門版を観て大いに気に入り、彼の推薦でロンドンのウエストエンドでの「ファンタスティックス」の演出も宮本亜門が任されることとなった。そして今年、約1ヶ月の公演が実現した。その亜門版が日本でも再演される。

東京公演の詳細は→こちら

大阪公演は→こちら

今回の出演者は鹿賀丈史、田代万里生、神田沙也加ら。田代万里生は「マルグリット」でミュージカル・デビューした美声のテノール歌手。神田沙也加の初舞台「イントゥ・ザ・ウッズ(Into the Woods)」を僕は東京で観たが、とても素直な歌い方で好印象だった。

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2010年7月17日 (土)

東海大付属高輪台と「モンタニャールの詩」

日本テレビ「笑ってコラえて!」”吹奏楽の旅”に畠田貴生先生率いる東海大学付属高輪台高等学校吹奏楽部が登場した。

前にも書いたが、畠田先生は熊みたいなワイルドな風貌である。でも、今回のドキュメンタリーを見て、本当にいい先生だなと改めて想った。生徒を一人一人をよく見ているし、彼らの意見にしっかり耳を傾けておられる。

ただ、「コンクールで勝つ」ということを考えた場合、子供たちの自主性を尊重するというのは諸刃の剣でもある。

番組の冒頭で彼らは「ダフニスとクロエ」を練習していた。これは2007年全日本吹奏楽コンクールで畠田/高輪台が金賞を受賞した自由曲である。

昨年、いわゆる”ダメ”で全国大会に駒を進められなかった高輪台、今年は「守り」に入ったのかな?と想った。

ところが、それからどんどん自由曲候補が変化していった。

最終的に残ったのはクロード・T・スミス/「華麗なる舞曲」とJ.ヴァンデルロースト/交響詩「モンタニャールの詩」。「華麗なる舞曲」は昨年、九州代表の精華女子高等学校が全国大会でを受賞した超難曲。一方の「モンタニャールの詩」は一度も全国大会に登場したことがない。インタビューされた女子生徒が「私たちは今年、チャレンジャー(挑戦者)の立場だから『華麗なる舞曲』の方がいい」と言っていたが、僕もその意見は正論だと想う。しかし、話し合いの結果、高輪台は「モンタニャールの詩」を選んだ。

「モンタニャールの詩」はイタリア北部の市民バンドからの委嘱で作曲された、アルプスの雄大な自然を連想させるのびやかで美しい名曲。途中、イタリアの古楽的旋律も登場し、僕は結構好きだ。しかし「華麗なる舞曲」のように速いパッセージや、派手なテクニックを見せ付ける場面はなく、あまりコンクール向きではないかも知れない。

でも畠田先生はそんなことは百も承知の筈。それでも敢えてこの曲を選ばれたからには、何らかの勝算があってのことだろう。面白い。その心意気を買いたい。今年の高輪台の活躍を大いに期待する。

僕の手元に作曲者自身の指揮で大阪市音楽団が「モンタニャールの詩」を演奏したライヴCDがある。この所要時間が17分55秒。吹奏楽コンクールの持ち時間は12分だから課題曲を差し引いて、自由曲に使えるのはせいぜい8分以内。つまり半分以上カットしなければいけない。その作業だけでも、これから大変だ。

よし、今年も普門館へ全日本吹奏楽コンクールを聴きに行こう。畠田先生、是非東京都大会を勝ち抜いて来て下さい!

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2010年7月16日 (金)

川の底からこんにちは

評価:A

文句なしに面白い!今年あの、《神の領域》に達したと評しても過言ではない世紀の大傑作「告白」さえなければ、日本映画のベストワンに押せるのに……。

映画公式サイトはこちら

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貧富の差が激しいアメリカには《負け犬(Loser)映画》と呼ぶべき、確固たるジャンルがある。

その代表的傑作が「サイドウェイ」「リトル・ミス・サンシャイン」「レスラー」「サンシャイン・クリーニング」「その土曜日、7時58分」などである。

日本では成瀬巳喜男監督の作品(「浮雲」「女が階段を上る時」)が《負け犬映画》と呼べるんじゃないだろうか?でも成瀬亡き後、ここ50年くらいはこういったタイプの作品はなかったように想う。

「川の底からこんにちは」は、日本では珍しい《負け犬映画》である。ヒロインは上京して5年のOL。自分を「中の下」と言い、「だって、しょうがないですよね」が口癖。

人生どん詰まりの彼女がひょんなことから故郷に帰ることとなり、最終的には開き直ってがむしゃらに頑張る。そして己の業を肯定するーそんな彼女を思わず応援したくなる、爽やかな映画である。

ヒロインを演じる満島ひかりは評判通り素晴らしい。なにより存在感がある。若い頃の大竹しのぶみたい。今年の映画賞は昨年に引き続き、「告白」の松たか子が席巻しそうな勢いだが、僕は断固満島ひかりを支持する。彼女が昨年、主演した映画「愛のむきだし」も是非観てみたい(しかし、「愛のむきだし」は上映時間237分かぁ……)。

ぴあフィルムフェスティバル(PFF)アワード受賞者に長編映画を撮る機会を与えるPFFスカラシップにより製作された作品。石井裕也監督の商業映画デビュー作である。

映画冒頭から意表を突かれる。エッ、こんなシーンあり!?(どんなのかは、あなた自身が映画館でお確かめ下さい)大いに笑った。とぼけた会話の間がいい。「木村水産」の社歌も傑作!そしてラストシーンではジーンときた。

それにしても今時、音声がモノラルの映画なんて久しぶりに観たなぁ。自主映画(手作り)感があって、大いによろしい。


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いずみホール/バッハ・オルガン作品連続演奏会 Vol.7

いずみホールへ。

バッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ所長クリストフ・ヴォルフを芸術監督に向かえ、進められているバッハ・オルガン作品連続演奏会も7回目を迎えた。バッハ研究家で、いずみホール音楽ディレクターの磯山 雅さんの手元へはヴォルフ氏から「世界を代表する14人のバッハ・オルガン奏者」のリストが届いているという。今回はスウェーデンからハンス・ファギウスが登場した。21歳の時にライプツィヒ国際バッハ・コンクールに優勝したという、バッハのエキスパートである。

曲目は前半が、

  • プレリュードとフーガ  ト長調 BWV541
  • コラール「バビロンの流れのほとりに」
  • トリオ・ソナタ 第5番
  • プレリュードとフーガ イ短調 BWV543

後半は、

  • プレリュードとフーガ ホ短調 BWV533
  • トリオ・ソナタ 第1番
  • コラール「私たちはみな一である神を信じる」
  • プレリュードとフーガ ホ短調 BWV548

つまり休憩を中心として鏡面構造、シンメトリーになっているという面白い構成。磯山さんはこれを「十字架的」と評された。

荘厳で、ひたすら高みーそれは宇宙であり、神の御許であるーを目指す、シンフォニックな構築性を持つ「プレリュードとフーガ」。静謐な祈りの音楽であるコラール。そして天使たちの戯れのように軽やかなトリオ・ソナタ。それぞれの世界を堪能した。

アントン・ブルックナーは生涯を通して教会のオルガニストであった。そして彼の遺体は聖フローリアン教会のオルガンの下にある地下納骨所に納められている。ブルックナーの交響曲にしばしば登場するゲネラル・パウゼ(全休止)の意味は、彼がオルガニストであったことと切り離しては考えられない。

ブルックナーのシンフォニーを聴くのに、バッハのオルガン作品を知っておくことは、必要条件ではないかも知れない。しかしそれなしに、ブルックナーの全容を理解するためのパズルのピースは決して埋まらないだろう、ということは確信を持って言い切れる。

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バッハ・オルガン作品連続演奏会の次回は2011年3月21日(月・祝)16時の予定。

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2010年7月14日 (水)

祝!映画「ノルウェイの森」にビートルズ・オリジナル音源使用許可が下りる

村上春樹原作の映画「ノルウェイの森」は2010年12月11日に公開される。監督はベトナム出身のトラン・アン・ユン松山ケンイチ菊地凛子水原希子霧島れいからが出演する。この映画化において、最大の焦点となっていたのはビートルズのオリジナル音源を使用できるのか?ということ。彼らの演奏する「レット・イット・ビー」を使用した映画「悪霊島」(1981)はその後、大きなトラブルに見舞われた。そういったことを踏まえ、僕は二年前の2008年7月に下記記事を書いた。

交渉は大変難航したそうだが、ユン監督の熱意が聞き届けられ、遂にビートルズが歌う「ノルウェイの森」の映画への使用許可が下りたという。本当に嬉しい。

同じくビートルズの楽曲名をタイトルにした映画「ゴールデンスランバー」はオリジナルの使用が叶わず、カヴァー演奏でお茶を濁す結果となった。

それにしても驚いたのは現在ビートルズの楽曲は英音楽会社「アップル」が管理しているということ。数年前まではマイケル・ジャクソンが権利を持っていたはずなのだが……?どういう経緯でそうなったのか、こちらも興味のあるところである。

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大阪でパリ祭/「フランス語で歌う シャンソン」2010

7月14日はパリ祭である。

その前日の13日夜、大阪倶楽部へ。日本テレマン協会のマンスリーコンサートがあった。

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まず、延原武春/テレマン・アンサンブルの演奏で、

  • F.クープラン/コンセール小曲集より(弦楽合奏編曲版)

古(いにしえ)の響き。

続いて浜野りささんによるピアノ独奏で、

  • フォーレ/舟歌 第4番
  • ドビュッシー/亜麻色の髪の乙女、月の光
  • プーランク/エディット・ピアフをたたえて

特に、歌や人生に想いを馳せるようなプーランクが良かった。プーランクには「愛の小経」という美しいシャンソンもある。

そして泉 由香さんの独唱で、

  • ドビュッシー/ビリティスの3つの唄(パンの笛/髪/ナイアードの墓)

語るような歌。それはまるで「幻夜」と呼びたくなるような世界であった。

そして第1部最後は浅井咲乃さんのヴァイオリン独奏で、

  • ラヴェル/ツィガーヌ

休憩を挟み第2部はシャンソン特集。中津洋子さんと永野 孝さんが交互にヴォーカルを務め、バックはピアノ、ベース、ドラムのトリオに加え、延原/シンフォニエッタ・TELEMANN(テレマン・アンサンブル)が担当した。フランス語で歌われ、歌詞の内容はスライドで映し出される。

  • シェルブールの雨傘
  • セ・シ・ボン
  • 私の孤独
  • ラ・メール
  • ある愛の詩
  • パリの空の下
  • 聞かせてよ愛の言葉
  • 幸福を売る男
  • 残されし恋には
  • 行かないで
  • バラはあこがれ
  • 水に流して
  • そして今は
  • ベローナに行こう

シャンソンって「愛」(amour)とか「バラ」(rose)とかいった言葉が多いなと想った。「ベルサイユのばら」もあったな……まぁあれは、日本の少女漫画だけど。でも「シェルブールの雨傘」のジャック・ドゥミ監督の手で一応映画化された。実際にベルサイユ宮殿でロケされたのに全編英語で原題は"Lady Oscar"。結局フランス本国では公開されなかったという、けったいな映画(作曲はミシェル・ルグラン)。閑話休題。

アンコールは「巴里祭(巴里恋しや)」。カナをふられた歌詞が配られ、聴衆も一緒に歌った。

シャンソンを聴いていると、なんだか幸せな気持ちになってくる。「うた」の愉しさを満喫した夜だった。

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「笑ってコラえて!」吹奏楽の旅、今度は高輪台登場

本日放送の日本テレビ「笑ってコラえて!」"吹奏楽の旅”ではコンクール全国大会金賞常連の東海大学付属高輪台高等学校吹奏楽部が登場(昨年は東京代表になれず)。あそこの先生はエネルギッシュで面白いから愉しみ。

2007年に普門館で高輪台を聴いた感想はこちら。

そして高輪台の畠田貴生先生が登場したNOWのレポートは下記。

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2010年7月13日 (火)

月亭遊方のカジュアル古典(7/12)

JR福島駅から歩いて八聖亭(月亭八方さんの寄席小屋)へ。

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客の入りは19人くらい。ワッハ上方(なんば)か動楽亭なら、もっと入ったのでは?いい会なのに勿体ない。

  • 月亭遊方/随想・らくごの○○
  • 桂かい枝/堪忍袋
  • 月亭遊方/看板の一
  • 対談(遊方・かい枝)
  • 月亭遊方/猫と金魚

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随想・らくごの〇〇」のテーマは今回、「落語の企画」だった。落語家同士が仲がいいというだけの安易は発想の「二人会」よりも、これからは《落語の見せ方》を考えないといけない。小佐田定雄さんみたいな落語作家はいらっしゃるが、《落語プロデューサー》が関西にはいない。Soft(噺家)だけではなく、Hard(企画)の充実をといったお話だった。

かい枝さんは、兄弟子・きん枝が出馬した参議院議員選挙応援で選挙カーに乗ったり、黒門市場を練り歩いたりしたエピソードを面白おかしく。前日は朝四時まで選挙事務所に詰めていたそうで「選挙速報のチャンネルを切り替えて、W杯決勝を見たい誘惑にかられました」と。寝てないそうでカミカミの「堪忍袋」だったが、それはそれで微笑ましかった。

遊方さんの「看板の一」は勢いがあって、飛び跳ねるような高座。彼の古典も愉しいのだが、一般には新作派としてしか認知されていないのが口惜しい。

猫と金魚」は江戸の噺。「談志 最後の落語論」にも書かれていたが、ナンセンスなギャグが秀逸。赤塚不二夫的とも言える。

遊方さんの「猫と金魚」は7/15(木)21時20分、なんば上方ビルの徳家で開催される「とくとくレイトショー」でも披露される予定だそう。

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2010年7月11日 (日)

動楽亭昼席(7/8)

動楽亭へ。客の入りはざっと六十人くらい。

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  • 吉の丞/桃太郎
  • 吉坊/青菜
  • よね吉/稽古屋
  • 米二/天狗裁き
  • こごろう/動物園
  • 千朝/夏の医者

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よね吉さんは「ぐるっと関西おひるまえ」のエピソードをマクラで。いや、確かに面白いし彼の高座は大好きなのだが、どうもマクラと本編に関連性が乏しいのが、いつも気になる。雑談(フリー・トーク)じゃないんだから。その点、兄弟子の吉弥さんはマクラの作り方が抜群に上手い。よね吉さんは将来、繁昌亭大賞を受賞できる逸材だと信じているので、もうちょっとマクラを頑張って欲しい。

米二さんを高く評価する人がいることは知っているが、僕は何時聴いても退屈する。淡々とした口調(リズム)が眠たくなる。さっぱりその魅力が判らない。

今回一番良かったのはこごろうさん。モタレ(トリのひとつ前の出番)で前座噺「動物園」を持ってくるとは意表を突かれた。しかもディテールにいろいろな工夫が凝らされ、飽きさせない。お見事!

夏の医者」は桂枝雀さんのDVDを繰り返し観ているが、多分生は初めて。嬉しかった。英語版"Summer Doctor"も是非聴いてみたい。誰か高座に掛けてくれないかな?

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2010年7月10日 (土)

世にも奇っ怪なオケ・コン!世界一ユニークなバルトーク現る〜大植英次/大フィル定期

ザ・シンフォニーホールへ。大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。

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プログラムは、

  • バルトーク/管弦楽のための協奏曲(Concert for Orchestra)
  • シューマン/交響曲 第2番

ハンガリーの作曲家バルトークは晩年、ナチスから逃れ、亡命先のニューヨークの片隅で白血病と極貧生活に喘いでいた。そんな彼の窮状を見かねたフリッツ・ライナーやヨーゼフ・シゲティら仲間たちがクーセヴィツキーに掛け合い、クーセヴィツキー財団からの委嘱という形で作曲されたのがこのオケ・コン(Concert for Orchestra)である(1944年、ボストン交響楽団が初演)。

まず第1楽章「序奏」。大植さんはストコフスキーばりにテンポを動かし、グロテスクな音楽を展開する。弦は粘り腰で、納豆が糸を引くよう。作曲家の内面にあるドロドロしたものを吐き出すかのようだ(僕は「千と千尋の神隠し」に登場する、ヘドロを溜め込んだ河の神”オクサレ様”のことを連想した)。バルトークがまるでマーラーの様に響いた。

第2楽章「対の遊び」でも大植さんは極端にテンポを動かす。ピチカートは大きな手振りで弦が弾かれ、リズムのアクセントが強調される。結果、曲調のおどけた滑稽さが浮き彫りにされる。こんなユニークな解釈は、いまだかつて聴いたことがない。

第3楽章「エレジー」からは悲痛な慟哭が聞こえてくる。押しては引く波。弦の強奏が鮮烈な印象を与える。

第4楽章「中断された間奏曲」は夜の音楽。梟(ふくろう)や鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい。そこへ突如、けたたましい骸骨踊りが始まる!

そして音楽はアタッカで怒涛のごとく終曲(終極?)へと雪崩れ込む。これはハンガリーの民族舞曲。しかし大植/大フィル版は決して普通のダンスじゃない。皆が狂ったように踊る、踊る!酔っ払っているのか、はたまたハッシュシュかマリファナでもやってラリっているのか??兎に角、尋常ではない熱狂的雰囲気のうちに幕切れとなった。そこに僕はバルトークがあたかもフェリーニの如く、こう叫んでいるのを聞いた。「人生は祭りだ!一緒に過ごそう」いやぁ、エキサイティングな体験をさせて貰った。

さて、プログラム後半。大植さんにとってシューマン/交響曲第2番がどれくらい重要な意味を持つかは、下記ブログに詳しい。

あれから20年、大植さんはシューマンの2番を封印されてきたわけだ。しかし遂に、それが解かれる日が来た。

第1楽章。柔らかい響き。まろやかな手触りに魅了される。大フィルはライン川の流れのようにゆったりと、伸びやかに歌う。大植さん、入魂の指揮ぶりである。

第2楽章、まるでメンデルスゾーン(「真夏の夜の夢」)のようなスケルツォ。軽やかに妖精たちが飛び跳ねる。緩急自在なドライブ感が実に爽快。

第3楽章アダージョ。息の長い旋律のうねり。内に燻ぶる情熱の炎が燃え、浪漫の芳香に満ち溢れた演奏。それは明らかにワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に繋がっている。帰宅して調べてみると案の定、「トリスタン」のオペラ化は当初シューマンのために計画されたものだったようだ。しかし実現に至らず、その後ワーグナーに持ちかけられたという。このシンフォニーが初演されたのが1847年、「トリスタンとイゾルデ」が1865年である。

そして気宇壮大な第4楽章へ。生命の讃歌。大植さんは万感の想いを込め一心にタクトを振り、大フィルもそれによく応えた。

しばしば優秀な弦の足を引っ張る金管だが、今回大きな傷は皆無。やれば出来るじゃないか。これからもこの気概で頑張って欲しい。

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2010年7月 9日 (金)

いずみシンフォニエッタ大阪/「イタリア」〜400年の時空を超えて〜

いずみホールで飯森範親/いずみシンフォニエッタ大阪(ISO)を聴く。

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飯森さんはブログ、ツイッターに止まらず、また面白いことを始められた。携帯電話へのメールマガジン配信である。登録しておけば、例えば誕生日に飯森さんがピアノを弾いてくれるサービスも考案中と話されていた。詳しくはこちら

開場すると早速ロビーコンサートがあった。ホルン二重奏で2曲演奏の後、フルートでメルカダンテ/二重奏曲からメヌエット。オーボエ二重奏でモーツァルト/「ドン・ジョヴァンニ」から”奥様お手をどうぞ”がそれに続き、最後はファゴット二重奏でロッシーニ/「セヴィリアの理髪師」からフィガロのアリア。

さらに開演前に飯森さんと、企画・監修を担当された作曲家・西村朗さんとのプレ・トークがあり、いよいよメイン・プログラム。

  • ドナトーニ/エコー
  • レスピーギ/リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲
  • ベリオ/シュマンIV ~オーボエと弦楽のための
  • ストラヴィンスキー/プルチネルラ組曲

オーボエ独奏は大島弥州夫さん。

ドナトーニは20世紀後半にイタリアで活躍した作曲家。「エコー」はフルート、オーボエ、ホルン2本ずつに少人数の弦楽合奏という編成で、各楽器間の間髪入れない呼応(こだま)で始まり、後半でそれが次第にズレてくるという難曲。中々、面白い趣向だった。

レスピーギは繊細で透明感溢れる演奏。いずみシンフォニエッタ大阪(ISO)の美音が冴える。

ベリオは「シ」(H)の音を中心に、オーボエの替え指で音色・発音を変えるなど様々な工夫が凝らされている。摩訶不思議な「音の実験室」といった雰囲気。オーボエの重音やフラッター(羽ばたき)奏法も初めて耳にした。名手・大島さんの技巧がキラリと光る。

そしてこの演奏会の白眉は何と言っても「プルチネルラ」だった。鬼才ストラヴィンスキーが18世紀イタリアの作曲家ペルゴレージに想いを馳せ書いた「新古典主義」の傑作。平明で、カラッとしたイタリアの陽光が降り注ぐような音楽。飯森/ISOは見通しの良い立体感ある響きを作り出し、非常に切れもある文句なしの名演を聴かせてくれた。

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2010年7月 8日 (木)

「木の器コンサートシリーズ」Ensemble Les nations/バッハとテレマンの協奏曲

ザ・フェニックスホールへ。

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Ensemble Les nationsは古楽器によるアンサンブル。2005年ブルージュ国際古楽コンクールでの出会いを契機に、2006年より活動を始めた。公式サイトはこちら。演奏会によりメンバーは異なるようだが、今回出演した9人のうち日本人は7人。古楽の本場はオランダ、ベルギーだけに、ハーグ、アムステルダム(以上オランダ)やブリュッセル(ベルギー)の音楽院で学んだ音楽家が6人を占める。

リコーダーの宇治川朝政さんは2005年ブルージュ国際古楽コンクール第2位(管楽器では最高位)受賞、2009年国際テレマンコンクールでは第1位と聴衆賞を受賞した実力派。

木製のフラウト・トラヴェルソ(バロック・フルート)を担当する管きよみさんはバッハ・コレギウム・ジャパンやオーケストラ・リベラ・クラシカのメンバーとして有名。

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プログラム前半は、

  • J.S.バッハ/管弦楽組曲 第2番より「序曲」
  • テレマン/ヴィオラ協奏曲
  • J.S.バッハ/フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための協奏曲

休憩を挟み後半が、

  • テレマン/組曲 イ短調 より「序曲」
  • テレマン/リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバのための協奏曲
  • テレマン/4つのヴァイオリンのための協奏曲
  • テレマン/リコーダーとフルートのための協奏曲

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古楽器だから当然ガット弦を張り、現在より短いバロック弓。ヴァイオリンに顎当てはなく、チェロにはエンドピンがない。また4弦のチェロに対し、ヴィオ ラ・ダ・ガンバは通常6弦(今回は7弦のもの)。弓の持ち方も異なり、チェロはオーバーハンドなのに対し、ガンバはアンダーハンド(掌を上に向けて持つ)。

特にバロック・ヴィオラを担当したアダム・レーマー(ハンガリー)とバロック・チェロ及びヴィオラ・ダ・ガンバを担当したロバート・スミス(イギリス)の腕前が見事だった。力強く弾む低音部。

全体としても自発性に富むアンサンブルで、「リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバのための協奏曲」における丁々発止の掛け合いはスリリングだった。

僕が特に感銘を受けたのは「リコーダーとフルートのための協奏曲」。バロック音楽の終焉と共に役割を終えようとしていた縦笛=リコーダーと、古典派の台頭でこれから大活躍をすることになる横笛=フルート(フラウト・トラヴェルソ)の束の間の邂逅、ほんの一瞬のクロスオーバー。それは奇跡のように美しく、そして切ないハーモニーであった。

この終楽章プレストはポーランドの民族舞曲。バグパイプやハーディ・ガーディーの響きまで聞こえてくる。何と愉しい音楽だろう!

バッハの眼差しは厳しい。それはあくまで神の身許に近付くためのストイックな道程である。それに対してテレマンはより人間的であり、音楽の歓びに満ちている。どちらが優れているという問題ではない。両者は全く別ものであるということを、この演奏会を通して深く理解することが出来た。

新進気鋭の若い音楽家で構成されるEnsemble Les nationsは恐らく、現在メンバーが相当入れ替わってしまったラ・プティット・バンドより実力は上だろう。必聴。

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2010年7月 7日 (水)

パリ20区、僕たちのクラス

評価:D

カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞したフランス映画。米アカデミー外国語賞にもノミネートされたが、こちらはアルゼンチンの「瞳の奥の秘密」に敗れた。

The_class

原題は"Entre les Murs"(壁の間で)、英題はシンプルに"The Class"である。

パリにある中学校の一年間を描き、先生と生徒の葛藤、それぞれが抱える問題を浮き彫りにする。

リアルな映画である。でもただそれだけ。面白くもなんともない。エンターテイメント性は皆無。こんな代物はドキュメンタリーに任せておけばいい。さすがショーン・ペン(本作が受賞した年のカンヌの審査委員長)、またやらかしてくれた。

ドキュメンタリー・タッチを強調するために手持ちカメラで画面をわざと揺らして撮っているが、まことに陳腐な手法であり、あざとい。

それから主人公の国語の教師が権威を振りかかざす、いけ好かない奴で、全く共感できなかった。

映画公式サイトはこちら

映画の舞台となるパリの中学校には多種多様な人種が入り乱れている。24人の生徒のうち約半数が黒人。中国人などアジア系もいる。

僕はこの作品を見ながらフランソワ・トリュフォー監督の”アントワーヌ・ドワネル”シリーズ第1作「大人は判ってくれない」(珠玉の名作!)のことを想い出した。白人ばかりだったあの頃の授業風景とは全く違う。「大人は判ってくれない」が公開されたのが1959年。ちょうどフランス支配に抵抗してアルジェリアが独立戦争中のことで、その戦争が終結するのが62年。以降アルジェリアからの移民がフランスに大挙して押し寄せることになる(「パリ20区、僕たちのクラス 」の生徒の中にもアルジェリア出身の子供がいる)。

結局、現在のフランスは過去の帝国主義のツケを支払っているわけで、因果応報、自業自得である。まぁ、我々日本人には無縁の物語である。

それにしてもこれがアカデミー外国語映画賞にノミネートされるくらいなら、韓国代表の「母なる証明」が代わりに入っても良かったのになぁ……。

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2010年7月 6日 (火)

日曜日は寄席気分/繁昌亭朝席→動楽亭昼席(7/4)

7月4日、日曜日。朝から繁昌亭へ。

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N03

  • 桂福丸/道具屋
  • 桂春雨/悋気の独楽
  • 桂福車/借家怪談
  • 桂梅團治/宇治の柴舟

福丸さんは八分目の力で、そつない高座。一度、この若き俊英が全力投球するネタを聴いてみたい。

福車さんはマクラで眼鏡を掛け、ネタに入ると外された。

借家怪談》と《宇治の柴舟》は珍しい噺。梅團治さんは「《宇治の柴舟》の導入部は《崇徳院》《千両みかん》《肝つぶし》に似ているんです。その中で、一番おもろない噺です。だから演り手がなく、もう滅びかけています」と。豪快な高座で十分愉しめた。こういう珍品に出会えるのが嬉しい。

昼は動楽亭へ移動。客の入りは五十数人。

N02

  • 桂弥生/子ほめ
  • 桂ひろば/竹の水仙
  • 桂雀喜/ダンゴマン(長坂堅太郎 作)
  • 桂雀松/へっつい幽霊
  • 桂宗助/ちしゃ医者
  • 桂千朝/肝つぶし

N04

吉弥さんの二番弟子・弥生さんの声は客席後方まで通り、口跡爽やか。その音楽的で心地よいリズム感は、彼女が楽器(フルート)を吹いていたことと無関係ではないだろう。

雀喜さん(長坂堅太郎は彼の本名)の新作は奇想天外。しかしそれに説得力が伴わない。僕は主人公とダンゴムシが合体する必然性が最後まで理解出来なかった。カフカとか古典落語《粗忽長屋》みたいな、不条理な面白さはこの噺にない。奇を衒いすぎではないだろうか?

雀松さんは噺に登場する幽霊がなかなかひょうきんで、ニンに合っている気がした。

米朝師匠に最も近い語り口と言われている宗助さん。端正で軽やか。確かに上手いのだが、では果たしてこの人自身の個性は?という疑問が、ふと胸をよぎる瞬間もある……。

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2010年7月 5日 (月)

英国ロイヤル・バレエ団「ロミオとジュリエット」

僕は先日観たマリインスキー・バレエでクラシック・バレエの美しさに開眼した。

英国ロイヤル・バレエ団パリ・オペラ座、そしてロシアのボリショイ劇場が世界三大バレエ団だそうだ。さらにそれにマリインスキー・バレエ(ロシア)とアメリカン・バレエ・シアター(ABT)を加えると世界五大バレエ団となる。ロシアのバレエ団とパリ・オペラ座の団員が純国産に近いのに対し(最近ではパリ・オペラ座史上初の日本人正団員・藤井美帆が入団するなど、国際化が始まっているようではある)、米英は多国籍軍であることが特徴。ロイヤル・バレエ団のプリンシパルとしてかつては熊川哲也が活躍し、今回の来日公演を最後に吉田都が退団した。可憐な容姿で僕が大ファンのアリーナ・コジョカルはルーマニア出身である。

さて、兵庫県立芸術文化センターへ。

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ジュリエットはロベルタ・マルケス(ブラジル出身)、ロミオはスティーブン・マックレーだった。ティボルト役のトーマス・ホワイトヘッドがなかなか渋いイケメンで、女性から人気があるのでは?

とにかく故ケネス・マクミランの振付が素晴らしかった。この作品がまぎれもない20世紀のバレエであることを体感させるダイナミズムとモダニズム。しかし決して前衛的ではなく、様式美が全篇を貫いている。そして映画「センターステージ」でも引用された、かの有名なバルコニー・シーンにおけるデュエット・ダンスの妙なるハーモニー!もう感嘆の溜息をつくしかない。

また、ニコラス・ジョージディアスによる絢爛豪華な衣装に目を奪われた。特に仮面舞踏会のシーンは圧巻。黄昏時を思わせる、くすんだ黄金色。まるで登場人物たちが絵画から抜け出して来たよう。このプロダクションはDVDで見たことがあったが、実際目の当たりにしたのは全くの別物。やっぱりバレエは生に限る。

指先までピタリと揃えるマリインスキーに対し、ロイヤル・バレエの群舞はDVDやブルーレイで観ると結構バラバラである。しかしライヴで観るとそんなことは些事に過ぎず、少しも気にならなかった。

マルケスのジュリエットは背が低く華奢で最初はびっくりしたが、そもそもシェイクスピアの原作ではあと2週間で14歳になる女の子。その雰囲気にぴったりと合っていた。ピチピチしてしなやか、若々しいダンスで、回転も高速。切れがあった。

A席22,000円のチケットは高額ではあるが、それだけの価値ある公演だった。

最後に、ケネス・マクミランの振付はキャメロン・マッキントッシュ製作のミュージカル「回転木馬」リヴァイヴァル版のバレエ・シーンも印象深かったことを書き添えておく。

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2010年7月 4日 (日)

目指せ繁昌亭輝き賞 (7/2)

天満天神繁昌亭へ

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繁昌亭輝き賞は目覚ましい活躍をした入門10年以下の落語家に贈られるもの。桂吉坊さんは第三回受賞者である。

入りは50人弱。ベテランが出て来ない夜席で2,000円は些か高かったのかも。1,500円くらいが妥当では?もっと沢山の人に聴いてもらうということが、若手にとって大切なことだろう。

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  • 笑福亭喬介/時うどん
  • 森乃石松/饅頭こわい
  • 桂 三幸/男と女の他力本願(三幸 作)
  • 笑福亭智之介/七度狐
  • ボルトボルズ/漫才
  • 桂 吉坊/遊山船

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彼らの多くが務める前座は、昼席では10分の持ち時間しかないが、今回は各々20分与えられていた。

よく噛むという喬介さん、一度も噛まずにすらすらと言えた落語会の後、アンケートに「スムーズに運べてましたね。残念です」と書かれていたそう。つまり客は彼の失敗を期待しているということ。「時うどん」は時間がたっぷりあるので遊郭から二人が出てきたところから始まり、都々逸も盛り込まれていた。可愛らしい高座。喜六が鉢に二本しかうどんが残ってないのを見て、絶叫する場面が愉しい。

石松さんは途中で上下(かみしも)が入れ替わってしまった。

三幸さんの新作は、どうも作為的な展開が気になる。乗れない。

色物として昼席に登場した時のマジックはすっとぼけた味があって面白いのだけれど、智之介さんの落語は普通。もう少し個性が欲しい。

吉坊さんはさすがの巧さ。滑舌よく、流れるような所作も美しい。遊山船を橋の上から見下ろす、ワクワクした高揚感が客席まで伝わってきた。約25分の高座だった。

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2010年7月 3日 (土)

繁昌亭昼席(7/1)

天満天神繁昌亭へ。

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  • 桂三四郎/子ほめ
  • 桂福矢/延陽伯
  • 林家花丸/あくびの稽古
  • 春野恵子/天狗の女房(浪曲)
  • 林家小染/くっしゃみ講釈
  • 桂春若/禍は下
  • 桂米八/曲独楽
  • 桂文福/ああ夫婦
  • 桂吉坊/寄合酒
  • 笑福亭福笑/宿屋ばばぁ

福矢さんはクネクネと軟体動物みたいな高座。

禍は下」は初めてだったが、どこかで聴いたような気がした。よくよく考えてみると江戸落語「権助魚」と後半部がそっくり。つまり上方から移植されたのだろう。春若さんは米朝師匠から稽古を受けたそうだが、現在では恐らく、米朝さんの直弟子、宗助さんとすずめさんくらいしか演じられないようである。

文福さんは河内音頭から相撲甚句、謎かけといういつものコースだが、何とも愉しく、目出度い気分にさせてくれるのが人徳というものなのだろう。

吉坊さんは若手ながら相変わらずの巧さ。

福笑さんはまるで映画「リング」の貞子みたいに、這いつくばって登場する婆さんのキャラクターが秀逸。

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2010年7月 2日 (金)

京大 VS 阪大 対決落語会(6/30)

天満天神繁昌亭へ。

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  • 桂      福丸(京大)/米揚げ笊
  • 笑福亭たま(京大)/彼女と僕と教頭先生(たま 作)
  • 林家   染左(阪大)/七段目
  • 旭堂   南海(阪大)/坂本龍馬(講談)
  • 対決トーク
  • 林家   染雀(阪大)/仔猫

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福丸さんは縁起を担ぐ噺家のエピソードから。”摺鉦(すりがね)”では験(げん)が悪いので”当たり鉦”と言い換える。「だから”スリッパ”ではなく”アタリッパ”、マイケル・ジャクソンの歌も”スリラー”じやなく”アタリラー”にしなければなりません」彼を聴くのはこれが初めてだったが、非常に切れとスピード、高揚感のある高座で感心した。将来、ポスト枝雀の位置を担うのは彼なのかも知れない。繁昌亭輝き賞は間違いなし。2007年11月入門。驚異の若手出現である。

完璧に、そつなくこなした福丸さんの後、稽古不足だというたまさんはやりにくそう。「僕の落語はジェット機みたいなものなんです。お客を乗せずにビューンと飛び立とうとする。離陸直前に何人か拾い上げる。でも大半は取り残して去ってゆく」この喩えの妙に腹を抱えて笑った。たまさんの新作は6/19の繁昌亭レイトショー「ナイトヘッド」で初演されたもの。奇想天外な展開がたまさんらしく、新鮮で面白い。福笑師匠譲りのラディカルなギャグも冴える。

七段目」は今まで吉朝の型でしか聴いたことがない。こごろうさん、銀瓶さん、米左さんも似たような感じで、特徴がない。だから芝居噺は吉朝一門(吉弥・よね吉)だけで十分だと想っていた。ところが、染左さんのは一味違った。台詞、所作、ハメモノ(お囃子)の各々が独特だった。これが林家の型なのか……。いいものを見せてもらった。

対決トークでは《後輩(福丸)潰し》にかかる、たまさんが滅茶苦茶可笑しかった。「僕なんかしどろもどろであれが精一杯の高座なのに、彼(福丸)は軽く八分目くらいの力しか出していないんです。新人だから先輩に遠慮して今は猫を被っていますが、十年で豹変しますね。したたかなんです」と。これ以上の褒め言葉はない。それだけたまさんが福丸さんを高く評価しているということなのだろう。

福丸さんは灘中・灘高を経て京大に入学したエリート。学校では落研に属していたのかと思いきや、なんとずっと硬式テニス部だったそう。「似合わへん」と仰け反る他の噺家たち。なお、卒業後は6年間フリーターをしてたとのこと。

たまさんは福笑師匠に電話で入門志願したそう。その時酔っ払っていた福笑さん「お前、気違いやろ!」と繰り返し叫んだとか。染雀さんがその後で福笑さんに会ったとき、「今度京大卒の奴がうちに来るねん。どないしょ」とうろたえていたとの証言も。

また染雀さんの卒論は「落語のお囃子について」、染左さんが「近世の芸能」に関するもので、その過程で師匠である染丸さんにお世話になったというお話もあった(一方、京大は卒論がないそう)。

トリの「仔猫」は染雀さんがもともと怪談噺を得意とされているだけに、聴き応えのある一席に。女の哀れが滲み、妖しささえも感じさせる高座だった。

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