ショパン誕生200年記念/仲道郁代プレイエルを弾く
本当は葛藤があった。
この演奏会のチケットを購入した後に同日、「3000人の吹奏楽」が京セラドーム大阪で開催されることを知った。スペシャル・ゲストとして来年ベルリン・フィルに招聘された佐渡裕さんが登場、佐渡さんの指揮で「アルメニアンダンス・パート I」を演奏する人を一般公募していたのである。吹いてみたいという気持ちがなかったといえば嘘になる。しかし僕は昨年、淀工の丸谷明夫先生の指揮で大阪城ホールの《1000人のアルメニアンダンス》に参加した。あれで完全燃焼したので、今回はまあいいかと諦めることにした。
岸和田市の浪切小ホールへ。
2007年にリリースしたベートーヴェンの後期ソナタ集CDでレコード・アカデミー賞(器楽部門)を受賞した仲道郁代さんによるオール・ショパン・プログラム。
まず《第1部》はショパンが弾いていたのと同型の1842年製プレイエルによる演奏で、
- 幻想即興曲
- ワルツ 第6番「小犬」
- ワルツ 第7番
- 12の練習曲 op.10 第3番「別れの曲」
- バラード 第1番
休憩を挟み、《第2部》は現代のYAMAHAピアノ(CF III)で、
- 夜想曲 第13番
- 夜想曲 第14番
- 12の練習曲 op.10 第12番「革命」
- 12の練習曲 op.10 第5番「黒鍵」
- 12の練習曲 op.25-1 第1番「エオリアンハープ」
- スケルツォ 第2番
- マズルカ 第13番
- バラード 第4番
- ポロネーズ 第6番「英雄」
ショパンは次のような言葉を残している。
「僕は気分のすぐれないときはエラールのピアノを弾く。このピアノは既成の音を出すから。しかし身体の調子の良いときはプレイエルを弾く。何故ならこの楽器からは自分の音を作り出す事が出来るから」
プレイエルはオーストリアのウィーン近郊で生まれ、パリへ移った。一方、セバスチャン・エラールはアルザス地方のストラスブール(現フランス、当時はドイツ領。ドーデ著「最後の授業」の舞台となった)に生まれ、パリにピアノ工房を開いた。エラールは幼少時から機械に対して興味を持ち、建築学などを学んでいたという。
ショパンコンクールに優勝したダン・タイ・ソンはショパンが生きた時代にエラール社が製作したピアノを弾き、ブリュッヘン/18世紀オーケストラとショパンの協奏曲をレコーディングしている。また今年は1848年製プレイエルを弾いたそうだ。
今回使用されたプレイエルは堺市在住のフォルテピアノ修復家・山本宣夫さんのコレクションで1842年パリ製。山本さんと仲道さんによるトークもあった。
山本宣夫さんについて紹介された記事は下記。
- 「ナチュラルびと」をたずねて(関西電力)
- フォルテピアノ ヤマモトコレクション(いずみホール)
仲道さんによるとエラールのピアノはメカニック的に現代のピアノに近く、一定の音質が出る。一方、プレイエルはレスポンス(反応)がよく、指先のニュアンス、細やかな感情の動きがそのまま音になる。その分神経を使って弾かないといけない。大きなコンサートホールには不向きな楽器であり、プレイエルを弾くことでスラーなどショパンが楽譜に書いた記号の本当の意味を知ることが出来る。つまり作曲家の言葉、肉声に近づける。現在のものとはまったく違う楽器と言ってもよい。ピアノが進化する過程で失われたものは大きい。これからの自分の課題はプレイエルで学んだことを、どうモダン・ピアノに活かせるかである、といったお話があった。
山本さんは「今の仲道さんのお話を伺って、ショパンが言っていたこと(上述)の意味が理解出来ました」と語り始めた。プレイエルに張られた弦の張力はモダン・ピアノの半分以下。大きな音を出すように設計されていない。むしろピアノの周りに柔らかい音を奏でるためのものであるとのこと。
プレイエルは鍵盤の幅が違い、調律も異なるのだそう。
帰宅してそれぞれのピッチを調べてみると、1890年製エラールがモダン・ピアノと同じA=442Hzで、プレイエルが少し低い435Hzだった。
YAMAHAのピアノが、大きく滑らかな音を奏でるのに対し、プレイエルはコロコロと丸みを帯びた、優しい音色であった。まるでガラス細工のようで、触れたら傷つけてしまうのではないかというような繊細さ。そこに病弱で青ざめた、青年ショパン像が浮かび上がってくる。そして僕は想った、「ショパンの音楽は甘くない」と。
仲道さんの演奏はお見事の一言。YAMAHAによる後半の演奏も、透明で硬質なバラード、そして毅然として格調高い英雄ポロネーズまで心ゆくまで堪能した。
アンコールは夜想曲 第20番(遺作)を再びプレイエルで。映画「戦場のピアニスト」に使われたことでも有名。涙が出そうになるくらい美しかった!このコンサートに来て良かったと、心からそう想った。
しかしこうやってピアノに限らずピッチが異なるオリジナル楽器が幅を利かせる世の中になると、幼少時に440Hzで「絶対音感」を獲得した音楽家たちにとっては生き辛い時代なのかも知れない。いま、音楽教育のあり方そのものの変革が求められているのだろう。
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コメント
プレイエルのピアノの音色は多分耳にしたことが無かったのですが、MostlyClassicの6月号付録CDに5曲収録されていて、その音色にびっくりしました。
音色はもちろん、まず響きが全然違うなという感じがしました。
私には絶対音感がないのでピッチに関しては、よくわかりませんが、このCDの1曲目はピアノコンチェルトからの抜粋だったので、オケとの調律はどうなってるのでしょうか。
生での演奏会はその醍醐味がたっぷりだったことと思います。
投稿: jupiter | 2010年6月30日 (水) 23時37分
jupiterさん、コメントありがとうございます。当然、プレイエルでコンチェルトを演奏する時はオケもガット弦を張った古楽器でしょうから、ピッチは435Hzに合わせていると想われます(延原/テレマン室内O.がフォルテピアノとの共演でモーツァルトを演奏する時のピッチは430Hzです)。
他に日本人ピアニストでは菊池洋子さんや、小倉貴久子さんがプレイエルでショパンを弾かれています。これはもう革新的体験ですから、jupiterさんも是非一度足をお運び下さい。
投稿: 雅哉 | 2010年7月 1日 (木) 01時01分