« 繁昌亭昼席(5/27) | トップページ | ブラームス探訪Ⅰ/大阪交響楽団 定期 »

延原武春/大フィルのウィーン古典派シリーズ I

いずみホールへ。

I01_2

バロック音楽=古楽を専門とする指揮者・延原武春さん(日本テレマン協会主宰)と大阪フィルハーモニー交響楽団ががっぷり四つに組む演奏会。3年間に及ぶ大プロジェクトの幕開けである。この企画が立ち上げられた背景は日経の記事に詳しい→こちら。計8公演。各回ベートーヴェンのシンフォニーが1曲ずつ取り上げられる(最終回は2曲)。

全てはここから始まった。

延原さんはこのプロジェクトにあたり、プログラム編成(曲目)を大フィル側に一任されたそうである。ただ協奏曲のソリストは大フィルの楽員でお願いしますとリクエストされたとか。

客演コンサートマスターは崔 文洙(チェ・ムンス)さん。新日本フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスターで、延原さんのよき理解者である。

新日本フィルはフランス・ブリュッヘン(18世紀オーケストラ)の指揮でハイドンのシンフォニーに挑み、まだダニエル・ハーディングを招聘するなど、ピリオド奏法に積極的に取り組んでいるオケである。

さて、今回のプログラムは

  • ハイドン/交響曲 第94番「驚愕」
  • モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲 第4番「軍隊的」
  • ベートーヴェン/交響曲 第4番

弦は対向配置。バロック・ティンパニが使用され、ヴィブラートを抑えたピリオド奏法。

延原さんは昨年9月に大フィルと共演した際、リハーサルが3日という短期間ということもあり、ヴィブラートをどうするかは奏者の自主性に任せられたそうだ。しかし2回目の顔合わせとなった今回は、ノン・ヴィブラートがさらに徹底されたという印象を受けた(幼少時からの習慣というのは中々抜けないもので、奏者によって多少のバラつきはあったが、気にならなかった)。

ここで断っておくが、「ピリオド奏法=ヴィブラートを全く掛けない」ということではない。音を伸ばす時、その中腹で装飾的に使用する。

目の覚めるようなハイドンだった。特に落雷のようにズシリと腹に響くバロック・ティンパニが絶大な効果を上げた。弦は小気味よく痛快。これぞ21世紀の解釈!延原武春、鈴木秀美、ゲルハルト・ボッセの3人こそ(日本在住の)ハイドン指揮者として最右翼だろう。

長原幸太さんをソリストに迎えたモーツァルトは、先日大フィル定期で聴いたルノー・カプソンより断然良かった。以前の長原さんは攻撃的で、些か突っ張った所があったが、最近はその演奏に落ち着いた、ふくよかな味わいが加わった。

事前に延原さんと長原さんによるトークもあり、モーツァルトの時代に弾かれたカデンツァが紹介された。そして本番の演奏はヤシャ・ハイフェッツによるもの。ハイフェッツは長原さんが一番尊敬するヴァイオリニストだそうだ。

休憩を挟み後半、定評ある延原さんのベートーヴェンに文句があろう筈がない。作曲家がスコアに記したメトロノーム記号(速度指示)に即した、溌剌とした演奏。無駄な贅肉をそぎ落とし、引き締まった響き。しかしモダン・オーケストラとしての柔らかい音色は失われていない。

一昨年のクラシカル(古)楽器によるベートーヴェン・チクルスではテレマン室内管弦楽団の技量に問題があり、延原さんの意図をオケが十分音として表現し切れていないもどかしさがあったが、さすが大フィルは違った。改めてここ(特に弦)の上手さに惚れ惚れした。特に超高速でかっ飛ばした4楽章の爽快感!疾走するベートーヴェン、疾風怒濤(Sturm und Drang)のシンフォニー。今まで聴いた大フィルの中でも、間違いなくトップクラスの名演であった。

陳腐な、いわゆる”名曲”が並ぶ、しょーもない定期のプログラムよりも、今年の大フィルはいずみホールのシリーズこそ絶対聴くべきである。……と、声を大にして言いたい。貴方はそこで、進化した大フィル(バージョン 2.0)を体感することになるだろう。

次回は9月16日(木)。チケットの発売は6月4日より。

|
|

« 繁昌亭昼席(5/27) | トップページ | ブラームス探訪Ⅰ/大阪交響楽団 定期 »

クラシックの悦楽」カテゴリの記事

コメント

記事拝見しました。ううむ、行かなかったのは、間違いだったのだろうか・・・・(実は、無理すれば行けたんですよね)

次は、「昼」ですし、できたら聴きたいなあと思ってます。

投稿: ぐすたふ | 2010年5月29日 (土) 09時40分

ご無沙汰しております☆
私ももちろん聴きに参りました!
おっしゃるとおり目の覚めるような快演でしたね。
私は中でもハイドンが一番よかったと思います。ノン・ヴィブラートもかなり定着してきましたし、団員の意欲が感じられました。
長原くんのソロ、私は?です。バックが折角18世紀のウィーンの響きを奏でているのに、20世紀前半のニューヨークが聞こえてきました。ハイフェッツは私も好きですが、今回の企画の趣旨を承知であのスタイルで弾くとはセンスが悪すぎる気がします。まぁ延原も今回は目をつむったのだと思いますし、お客様は大喜びでしたからいいと言えばいいのですが…。
私はベートーヴェンも、もう少し小さい編成でやってほしかった気がします。人数が増えるとややもするといつもの響きに近づきそうになるからです。

休憩後今日で引退ということで紹介されていた団員はうちの母方の親戚です。そんなこともあって子どもの頃から大フィルの演奏はずいぶんたくさん聴いてきましたが、大植さんになってからは全く聴く気がしなくなっています。
先日も定期で《アルプス交響曲》を聴きましたが、指揮者と楽員の温度差を感じましたし、大味で表面的な中身の乏しい演奏でした。R.シュトラウスのスコアはそのまま音にすると音の洪水になってしまいます。チェリビダッケとカラヤンの「ドン・ファン」を比べればその違いは明らかです。各パートのバランスを絶妙に調整し、音楽を立体的に浮かび上がらせるためには、スコアの指示がピアノでも、あるパートにはフォルテを要求しなければなりません。大植さんと延原の違いがそこにある気がします。目盛りがセンチとミリくらい違うのではないでしょうか。アンコールの「アリア」だけとってもその差は歴然です。
今回のシリーズ、最終回は1番と9番らしいので合計8回の公演の予定だそうです。延原は直前まで客の入りを心配していましたが、あの感じなら最終回まで続きそうですね。今から9月が楽しみです!

投稿: おすぎ | 2010年5月29日 (土) 11時03分

ぐすたふさん、コメントありがとうございます。

本文で書き忘れましたが、演奏中の大フィル楽員が、本当に愉しそうに弾いているのが印象的でした。あんな爽やかな笑顔は滅多に見られません。

次回のプログラム、どうせならモーツァルトを割愛して、ハイドンの「朝」「昼」「晩」をセットで聴きたかったというのは、余りにも贅沢でしょうか?

投稿: 雅哉 | 2010年5月29日 (土) 12時28分

おすぎさん、お久しぶりです!

延原/テレマン協会で聴いたオラトリオ「天地創造」「四季」がとてもよかったので、ハイドンのシンフォニーは愉しみにしていました。そしてその期待を上まわる快演だったと想います。テレマン協会もモーツァルトばかりじゃなく、たまにはハイドンもやって下さいね(集客は難しいでしょうが)。

長原さんの弾き方についてですが、僕はあれも「あり」だと想いました。サイモン・ラトル/ベルリン・フィルがノン・ヴィブラートでハイドンを録音したCDに安永徹さんがソロを務めた協奏交響曲が収録されています。ところが安永さんは普通にヴィブラートを掛けて演奏しているのです。つまりソロはO.K.ということなのでしょう。余りノン・ヴィブラート原理(至上)主義を主張し過ぎると、一般からの支持は得られません(ノリントンがよい例です)。そこは延原さんらしい、したたかな戦略なのではないでしょうか?

「大植さんのベートーヴェンは全く聴く価値がない。もう二度と演奏会で取り上げないで欲しい」というのが僕の正直な気持ちです。でも、ロマン派以降の解釈については大植さんの実力を高く評価しています。

R.シュトラウスは音の洪水で構わないというのが僕の意見です。ましてアルプス交響曲に精神的崇高さを求めるのは、ないものねだりという気がします。あの曲は「グランド・キャニオン」同様に外面的演奏効果だけを追求した、けれん味たっぷりの楽曲であり、中身は空っぽ(所詮、山を登って降りるだけの標題音楽ですから)。それで良いのではないでしょうか?

ただ、バイロイトで不評だった大植さんのワーグナーは、少々重た過ぎる気がします。

投稿: 雅哉 | 2010年5月29日 (土) 12時57分

私は珍しい人種なのか、モーツァルトはちょっと苦手で、わざわざ聴きに行くことがないのです。
それでもプログラムにモーツァルトやベートーヴェンの楽曲を入れると集客力につながるのだそうですね、私は天邪鬼って事で。
前置きが長くなりましたが、この日のハイドンのリズミカルな軽妙さに楽しい気分になり、長原君の美しい音色に感動し、快活で力強いベートーヴェンに新鮮さを覚え、バロックティンパニの音も印象的で~残りの公演も楽しみになりました。

投稿: jupiter | 2010年6月 1日 (火) 00時00分

jupiterさん、全く同感です。

僕もモーツァルトの音楽には興味がありません。むしろハイドンの方が好きです。

延原さんが仰っていましたが、古楽を中心とする日本テレマン協会の演奏会でも、人気がない(人を呼べない)のがテレマンとヘンデルで、一番集客力があるのがモーツァルトだそうです。

投稿: 雅哉 | 2010年6月 1日 (火) 07時38分

再度お邪魔いたします!

長原氏のソロに関して、私はヴィブラートのことは全く問題にしていないつもりなのですが…。私は古典派でも、もっと言えばバロックでも節度があればヴィブラートはありだと思っていますし、ましてソリストですからヴィブラートも結構だと思っています。以前ノリントンがシュツットガルト放送響とエルガーをノン・ヴィブラートでやったのをフェスで聴きましたが、私は全く感心しませんでした。
私が申し上げているのはヴィブラートの問題ではなく、カデンツァの選択の問題とフレージングやアーティキュレーションの問題なんです。延原がオケに求めている響きとソリストの弾き方が違いすぎるのでは、という意味で書かせていただきました。

《アルペン》についても「精神的崇高さ」という類の議論はしていないつもりです。オケを最も効果的に、立体的に鳴らすための指揮技術の話をしたかったのですが…。どうも私の書き方がよくなかったようですね。
譜面づらが易しいほど演奏する方は大変です。私も元々はトロンボーン吹きですからワーグナーやマーラーのような後期ロマン派の大曲も大好きですが、ロマン派以降の作曲家はスコアに細かい指示を書き込んでいますし、楽器の性能も上がっていますから、ある程度譜面どおりに鳴らせば一定のレベルの演奏はできるのです。
しかしハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンではそうはいきません。楽譜の余白を補う(行間を読む)想像力(創造力)とオケのバランスをコントロールする技術がなければ退屈極まりない演奏になってしまいます。

それぞれ贔屓の指揮者がいますし気に入った楽団がありますから、あまりとやかく言うのはマナー違反だと思うのですが、少なくとも私はハイドンやベートーヴェンをまともに扱えない指揮者は評価できないと思っています。

投稿: おすぎ | 2010年6月 3日 (木) 10時34分

おすぎさん、コメントありがとうございます。

>少なくとも私はハイドンやベートーヴェンをまともに扱えない指揮者は評価できないと思っています。

僕はその考え方に同意出来ません。指揮者には各々、得意分野があってしかるべきです。例えば僕は、延原さんの指揮でブルックナーやマーラーを聴きたいとは想いませんし、逆にデュトワやブーレーズの指揮するハイドンやベートヴェンを聴きたくもありません。しかしデュトワはフランス音楽で、ブーレーズはストラヴィンスキーやバルトーク、マーラーで頂点を極めた優秀な指揮者です。それが役割分担、適材適所というものでしょう。

大植さんはベートーヴェンなど古典が得意ではありません。それは自明のことです。だから大フィルの事務局も、そしてファンも、彼にオールマイティを求めるべきではないというのが僕の考えです。大植さんはロマン派以降の楽曲だけ指揮してくれさえすれば、それでいいのです。

恐らく大フィル側も、そのことが分かったからこそ、延原さんにウィーン古典派を委ねたのでしょう。

投稿: 雅哉 | 2010年6月 3日 (木) 12時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/212850/48473722

この記事へのトラックバック一覧です: 延原武春/大フィルのウィーン古典派シリーズ I:

« 繁昌亭昼席(5/27) | トップページ | ブラームス探訪Ⅰ/大阪交響楽団 定期 »