「いつも青春は時をかける」
「愛の予感のジュブナイル」
……これらは原田知世主演(これが映画デビュー)、大林宣彦監督による不朽の名作「時をかける少女」のキャッチコピーである。僕はこれを高校生の時、満員の「岡山セントラル」で観た(薬師丸ひろ子・松田優作主演「探偵物語」との二本立て)。白黒で始まった画面が、次第に色付いてくる冒頭部を観ただけで胸が一杯になり、不覚にもボロボロ泣いてしまった。そして「この監督に一生付いて行こう」と映画館の暗闇の中で堅く心に誓った。「転校生」は既に日本テレビの放送で観ていたが、スクリーンでは本作が大林映画初体験となった。
その後、2008年の最新作「その日のまえに」に至るまで、劇場公開された大林映画40本、さらに現存する8mmおよび16mmフィルム作品は全て観た。だから遠い少年の日の約束はきちっと守っているつもりである。映画のロケ地となった広島県尾道市および竹原市は何度も旅をし、物語の残像を追って彷徨した。
今回リメイク版を監督した谷口正晃もまた、高校生の時に映画館で大林版「時をかける少女」を観て感動したそうである。そういう意味で僕たちは「同士」と言えるだろう。
「大林映画はカルトである」と僕は常々想っている。残念なことだが一般の観客からは余り支持されない。しかし時に我々のような熱狂的ファンが付く。しかもその大半が男性であるという特徴を持つ。
2006年アニメーション版「時をかける少女」(文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞)を創った細田守監督(「サマーウォーズ」で「キネマ旬報」日本映画ベスト・テン第8位)もまた、大林映画フリークであり、金沢美術工芸大学在学中に「大林宣彦ピアノコンサート」を企画し、それが縁で映画の世界に入ったという。つまり大林映画を観て育った、かつての子供たちが現在第一線で活躍し、「大林宣彦リスペクト」の作品を世に問うているということなのだ。
さて、そろそろ2010年版の話をしよう。
評価:D+
映画公式サイトはこちら。2006年アニメーション版でもヒロインの声を担当した仲里依紗が”芳山あかり”を演じた。
彼女はかつて原田知世が演じた”芳山和子”(安田成美)の娘という設定。さらに和子の幼馴染”堀川吾朗”がやはり酒屋として近所に住んでおり、未来から来た青年”深町一夫”(石丸幹二)も再登場する。ちなみにアニメ版の主人公は”芳山和子”の姪である(和子は「魔女おばさん」と呼ばれている)。
映画の冒頭でアルコールランプが出てきた時は思わず、「土曜日の実験室」と呟いてしまった。その実験室は大林版そっくりに作られており、やはり大林版に登場するラベンダー温室で撮った写真も重要なガジェット(小道具)となる。
記憶を失った”あかり”が”深町”と廊下ですれ違う場面は、明らかに大林版ラストシーンへのオマージュであり、大林版がオープニング・クレジットの後、満開の桜の下で原田知世が学校に登校するシーンから始まるのに対し、2010年版は桜並木をヒロインが歩くラストシーンが用意されているという具合。
また、喫茶店の場面では2006年アニメ版で使用された、J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲が流れていた。
まあそんな風に、往年の「時をかける少女」ファンはニヤニヤしながら、そこそこ愉しめる作品に仕上がっている。しかし一方、現役の中・高校生がこの映画を観て、果たして面白いだろうか?という疑問も残った。実際映画館に観に来ていた女子高生たちは上映中に退屈そうに足踏みしたり、お喋りした挙げ句、途中で出て行ってしまった。
谷口正晃監督は日本大学芸術学部映画学科の卒業制作の短編「洋子の引越し」が、ぴあフィルムフェスティバルで最優秀16mm賞を受賞。その時の審査員が大林監督だったという。
2010年版で1974年にタイムスリップしたヒロインは大学の映研で8mmを撮っている青年に恋をする。なんて青臭い設定なんだ!と鼻白んだ(映画「虹の女神」を想い出した)。また「秋田行き深夜高速バス」という伏線も、もう最初からミエミエで、シナリオが稚拙。ノスタルジーも結構だが、商業映画という「商品」としては如何なものか。そうそう、それから大林版では最後に"和子”の記憶は消されるが、"深町”はタイムトラベルした時の自分の記憶も消去しなければならない、それがルールだと語っていた。何で2010年版の彼は全部覚えているの?
谷口監督は現在43歳。フェデリコ・フェリーニが「8 1/2」を撮った年だ。何やってんだ、と問いたい。
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