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2010年1月27日 (水)

笑福亭鶴瓶 落語会/柳亭市馬、大いに歌う

兵庫県立芸術文化センターへ。

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芸術監督の佐渡裕さんから花が届いていた。佐渡さんは若い頃、指揮者コンクールに挑んだ時も、飛行機やホテルで桂枝雀さんのテープを聴いていたというほどの落語好き。兵庫芸文で大晦日に開催されるジルベスター・ガラコンサートでは桂三枝さんが毎年佐渡さんと共演し、創作落語を披露している。

今回のプログラムは、

  • 鶴瓶噺(Stand-up Talk )+市馬の歌あり
  • 柳亭市馬/七段目
  • 笑福亭鶴瓶/転宅(ネタおろし)
  • 笑福亭鶴瓶/子は鎹(子別れ)

鶴瓶さんからのリクエストで柳亭市馬さんが歌ったのは三波春夫の長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」(たわらぼしげんば)。いやぁ、惚れ惚れするくらいの美声。むしろ本職の落語より上手いんじゃないかな?やんや、やんやの大喝采。でも、終わったかと思うと語りや歌がまだまだ続く。会場が沸いた。何とこの曲は市馬さんしか歌うことが許可されていないそうである。昭和39年までの歌なら、市馬さんは何でもこいだとか。

昨年の「ディア・ドクター」で日刊スポーツ映画大賞とキネマ旬報ベスト・テンの個人賞で主演男優賞を受賞した鶴瓶さん(映画自体も第1位に)、

元々腰に持病があり、最近は右足の関節が次第に悪くなって、この落語会の前日に曲がらなくなったそう。慌てて兵庫芸文に電話を掛け、「もしかしたら正座が出来ないかも」と一報。すると、「まあ最悪の場合、高座に腰かけて足を伸ばしたまま演じられた前例もありますから」との答え。「誰や?」と問うと、「亡くなる直前の五郎兵衛師匠です」

(僕はちょうど晩年の露の五郎兵衛さんの口演を聴いている。当時の写真もある→こちら。高座の前方に赤い小さなクッションが置かれているのが見えるだろう)

そうするわけにもいかないので、急遽近所の整形外科を受診した鶴瓶さん、痛み止めの注射を打ってもらい、漸くなんとか正座出来るようになったそう。「歩き方や腰の下ろし方がぎこちないので、予めお断りしときますわ」

話題変わって、一週間ほど前に月亭可朝さんからの電話。「(立川談志師匠があんたに会いたいって」それから色々あって、病院へ見舞いに行くことに。こうなると「何か(おもろいことを)しなければならない」というモード(強迫観念?)にスイッチが入った鶴瓶さん、まず病棟の詰め所に入り看護師さんに「お医者さんの白衣を貸して!」それを着て、顔をマスクで覆い「松岡さん(談志の本名)の病室はどこや?」

「ディア・ドクター」同様、ニセ医者の格好で鶴瓶さんが入室した時、談志さんは輸血中で、その副作用のため悪寒戦慄がきているところだった。「お父さん!」と家族が心配そうに呼びかける中、鶴瓶さんもニセ医者のまま「松岡さん、大丈夫ですか!」

その後看護師に付き添われトイレに行く談志さんを見送り、そのまま病院を後にしたそう。途中、鶴瓶さんに気が付いた家族や看護師は必死で笑うのをこらえていたとか。

この顛末を上方落語協会会長の桂三枝さんに報告すると、「鶴瓶ちゃん、困るなぁ!僕、明日見舞いに行くんだよ。鶴瓶ちゃんがニセ医者やったんなら、僕は看護師の格好でもするしかないなぁ」

一般人がこれをしたら非常識と顔をしかめられるところだろう。しかし、鶴瓶さんの芸人魂や天晴れである。シャレの分かる談志さんも、きっと心から喜ばれたに違いない。

以前談志さんが入院された時にも、鶴瓶さんは病室で芸を披露して談志さんを大いに笑わし、「オイ、祝儀をやるから持って行け!」と言われたそう。そして置いてあったお見舞い金を袋ごと渡された。そこには「桂三枝」と書かれており、中には5万円が入っていた。そのまま受け取るわけにもいかず、三枝さんに電話し事情を説明。「少なかったんやろうか?」と心配する三枝さん。「兄さん、僕に任せて下さい」と電話を切った鶴瓶さん、お見舞い金を10万円包み談志さんに渡した。袋には《笑福亭鶴瓶(うち半分は桂三枝)より》と書いて。

僕はこのエピソードを聞いて、立川談志 著「現代落語論 其二 ーあなたも落語家になれるー」(1985年初版、現在絶版)の内容を想い出した。「落語家は幇間(たいこ)もち(=男芸者)たれ」と語る一文を引用してみよう。

 かりに、バーのカウンターで十人の客の話し相手になり、小話を演り、歌を披露して、そこで小遣いをもらうのも立派な芸と考えていいのではないか。(中略)いわゆる修羅場といってもいい場所だ。政治家もいるだろう、学者もそこにいる。ビジネスマンもいよう。それぞれの職種の人たち、現代に生きている人たちに、サービスをし、芸を演り、相手の内容に合わせて話をはずませ、相手を喜ばせるのは、もうそれで立派な芸で、高座で落語を演じるのと違った苦労もあり、それなりの芸も要る。もちろん内容も問われるのである。これも立派な一つの芸だと考えていい。ましてそこに私のよくいう落語のエキス、つまり人間の業の肯定があればいうことはない。形式的には幇間もちのジャンル。それを完全に落語家が喰いあらしたのである。しかも、現代的な方法で……。

僕は漸く理解した。笑福亭鶴瓶は「現代の幇間もち」だったのである。

鶴瓶噺では他に、鶴瓶さんの兄弟のことや、お母さんが亡くなった時のエピソードなどを語られた。それは私落語「ALWAYS-お母ちゃんの笑顔」の番外編(Another Story)と呼べるものだった。

ネタ下ろし「転宅」は話芸の巧さが光り、泥棒の純情が心に残った。

七年前から落語を始めた鶴瓶さん。春風亭小朝さんからのアドヴァイスで、まず最初に取り組んだのが「子は鎹」。だれに稽古を付けて貰おうかと考えあぐねた結果、「マス・メディアに露出が多い僕のような人間を一番嫌っている師匠に(敢えて)教えを請おう」と決め、桂文紅(2005年死去)の門を叩いた。文紅さんは当初鶴瓶さんに対し反感を抱いておられるようだったが、そのうち可愛がってくれるようになった。鶴瓶さんの落語会に何度か足を運ばれた文紅さん、ある2月の寒い日に鶴瓶さんが「子は鎹」を演じ終え高座を下りると、そこに文紅さんが立って待っておられ、手で○印をしてくれたそう。

僕はこの「子は鎹」が余り好きではない。それは誰が演じても同じこと。その理由をずっと考えてきたが、最近やっと分かってきた気がする。まずこの噺は笑いに対して、情や演者の「泣き」の比率が多すぎる。だから「もうえぇ、もうえぇ」とうんざりする。落語全体を通してそこに情が占めるのはせいぜい2-3割までにして欲しいというのが正直な気持ちである(その点、「立ち切れ線香」や「一文笛」における情の塩梅は絶妙である)。それから談志さんが論破されたように、落語の醍醐味は「人間の業の肯定」にある(最近、談志さんは「」を「非常識」という言葉に置き換えておられる)。しかし「子は鎹」は逆に「人間のを克服する」噺である。つまり非常識な人間が更正し、真っ当になる。だから詰まらない。爽快感がない。それをありがたいと感じ、涙する人々も当然いるだろう。しかし僕にとっては無縁の世界なのである。

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