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2009年10月 8日 (木)

上方落語ファンに質問!〜「崇徳院」「植木屋娘」サゲの考察

今回は上方落語をよく聴かれる方に質問があります。

僕が是非知りたいのは桂ざこばさんが高座に「崇徳院」を高座に掛けられるとき、そのサゲは何か?ということなのです。

桂米朝さんが演じる「崇徳院」のサゲは熊五郎と床屋の客が、もみ合った末に鏡が割れ、「割れても末に、買わんとぞ思う」で終わります。これはご存知の通り百人一首・崇徳院の下の句「われても末に、逢わんとぞ思ふ」の駄洒落になっています(余り上々の落ちとは言えません)。そしてこの型は例えば直弟子の米二さん、孫弟子(吉朝の弟子)の吉弥さんらに継承されています。

ところが直弟子の枝雀さんはこれを変えてしまいました。「互いに探す相手が知れまして一対の夫婦が出来上がります。崇徳院というおめでたいお話でございます」で終わるのですね。童話の慣用句"And They Lived Happily Ever After"みたいな感じでしょうか。つまりメルヘンへの転化です。

「植木屋娘」でも同じようなことが起こります。愛娘・お光の懐妊の相手が、かねて婿にほしかったお寺の伝吉と分かり、植木屋は住職に掛け合いますが、伝吉の答えは「商売が植木屋でございます。根はこしらえものかと存じます」これが(六代目)松鶴や(五代目)文枝のサゲです。これを米朝さんは住職と植木屋の会話「これこれ、なんぼなんでも侍の家を取ったり継いだりでけるかいな」「接ぎ木も根分けも、うちの秘伝でおますがな」に変えました。以下、米朝さんの言葉から引用。

むかし、夜店などで質(たち)の悪い商人から買った植木に根がなくて、すぐ枯れてしまったりするのがあったそうですが、これはちょっとひどいサゲで、伝吉という人間もこれで大変悪い男になってしまうし、この一篇の落語が実にあと味のよくないものになります。

そしてここでも枝雀さんは「わが子を思う親の一念が通じましたものか、目出たく一対の夫婦が出来ます、植木屋娘でございます」と高座を下りました。やはり一つのメルヘン、ファンタジーへの昇華を試みられています。

生前、文枝は「めでたしめでたしで終わるのは落語ではない」「『一対の夫婦~』では講談なのであって落語ではない」と語っていたそうです。成る程、「落とし噺」ですからそういう意見があるのは尤もなことでしょう。しかし僕は、枝雀さんのやり方も一篇の美しいお伽噺を聴いた心地がして、とても好きなのです。「落語と云(い)うのは」と題された箇条書きの中に記された、枝雀さんの信念がそこに反映されているように想えるのです。

「生きててよかったなァと思って貰(もら)うもの」

さて本題に戻りましょう。実は先日、ざこばさんのお弟子さんである都丸さんの「崇徳院」を聴きました。これが完全に、エピローグまで枝雀さんの型でした。そこで僕は考えたのです。「これは都丸さんが直接、枝雀さんから稽古を受けられたのだろうか?それとも枝雀→ざこば→都丸というルートで伝授されたのだろうか?」と。つまり、ざこば版「崇徳院」のサゲが分かれば、どちらか推定出来るということになります。

そういう訳で、もしご存じの方がいらっしればコメント欄に記入して頂けると幸いです。

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コメント

先日知り合いが動楽亭で、まさにそのざこばさんの「崇徳院」を聴いて来たそうですが、「めでたしめでたし」の枝雀さん型だったみたいですよ。

とりあえず速報です(笑)。
(続報もあるかも…)

投稿: 福島です! | 2009年10月 8日 (木) 13時03分

福島さん、早速のコメントありがとうございます!

そうですか、一度是非ざこばさんの「崇徳院」も聴いてみたいです。

ところで先日、関西吹奏楽コンクールで初めて聴かせて頂いたセントシンディアンサンブルの演奏、とっても良かったです!ターロック・オキャロランというアイルランドの作曲家は今まで全然知らなかったのですが、素朴で何故か懐かしいような旋律に一気に魅了されました。素敵な曲をありがとうございました。動楽亭に行かれたお知り合いにも、宜しくお伝え下さい。

投稿: 雅哉 | 2009年10月 8日 (木) 22時49分

私は文枝さんのおっしゃるような
最後にキチッと落としてくれた方が引き締まって落語をきいたなぁ、という粋を感じるのですが、ちょっとこじつけみたいな時もあるので、微妙な感じもありますね。

英語落語などもされる枝雀さん
外人にも分かりやすく,Happy Endがお好きなのかな?とも思えました。

投稿: jupiter | 2010年1月 6日 (水) 00時23分

jupiterさん、コメントありがとうございます。

僕も基本的には「落とし噺」なのだからサゲは必要だと想いますが、ネタによる気もします。「植木屋娘」の本来のサゲは非情で後味が悪いですし、米朝さんの創作もいまひとつピンと来ません。「崇徳院」の「われても末に、逢わんとぞ思ふ」も、無理矢理ですよね。まあ善し悪しは難しいところです。

投稿: 雅哉 | 2010年1月 6日 (水) 01時26分

はじめてみました。

ざこば師のサゲは枝雀師型でした。飛行機の中の落語チャンネルで聴きました。


崇徳院の本来のサゲは、枝雀師の言うところの『謎解き』でしょうね。
ただ、「割れる」というのは結婚の話にはゲンが悪い。

「仁徳あるはずや、見そめたんが高津さんや」と言うサゲも観客が理解できるか難しい。


枝雀師はおそらく相手見つかってまとまりかけた所で「借家5軒に300円!!」と狂気を見せ『ヘン』か『ドンデン』にしたのではと思います。


長々と失礼しました。

投稿: フック | 2011年3月31日 (木) 21時24分

フックさんコメントありがとうございます。

ざこばさんの「崇徳院」はこの記事を書いた後に実演を聴きました。やはり枝雀兄ちゃんに倣ったのでしょうね。

投稿: 雅哉 | 2011年3月31日 (木) 23時53分

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