面白きことは良きことなり!
今日でこのブログを開設し丁度2年になる。僕にとって、これぞエンターテイメント!と考えるものを、今までただひたすらに書き綴ってきた。
「えっ!クラシック音楽もエンターテイメントなの??」と疑問に感る方もいらっしゃるかも知れない。お答えしましょう、「もちろん!」と。モーツァルトやベートーヴェンの音楽が生まれた当時、それらを聴くことは貴族や上流階級の人々にとって最高の娯楽であった。ヴェルディやワーグナーのオペラだってそう。ヨハン・シュトラウスのワルツなんか舞踏会で踊るための実用的な音楽だった訳だし。だから僕は現在のクラシック音楽ファンが「スター・ウォーズ」など映画音楽や、ミュージカルを一段低いものと見なす心情が全く理解できない。チャイコフスキーの「白鳥の湖」やグリーグの「ペールギュント」だって劇伴音楽じゃないですか。どこが違うの?
聴くことで愉しい時間を過ごすのだからクラシック音楽だって立派なエンターテイメント。だから映画とクラシック音楽に優劣(高尚か、否か)など存在しない。ましてや小説を芥川賞(文学)と直木賞(娯楽)に分けるなんてナンセンス!それらの価値を決める基準は《面白いか、面白くないか》。ただそれだけである。
ここで現在、僕のお気に入りの作家・森見登美彦(「夜は短し歩けよ乙女」で山本周五郎賞受賞、本屋大賞第2位)が京都を舞台にした小説「有頂天家族」を紹介したい。僕が当ブログでやろうとして来たことを、この作品が鮮やかに代弁してくれているからである。
「有頂天家族」はある狸の四兄弟と、人間から半天狗になった"弁天"(かつては"鈴木聡美"という名の少女だった)の物語である。"弁天"はこの兄弟の父親を「金曜倶楽部」の忘年会で狸鍋にして食べてしまった。その後、全てのことに対してやる気をなくした次男は《井の中の蛙》となり引きこもってしまう。そして小説のクライマックス、捕らえられた長男を助けようと次男は偽叡山電車に化け、弟二人を乗せて疾走する。そこで次のような一節が登場する。
次男が風を切って走りながら言った。「これだ。これだった!」
私と弟は座席に膝をつき、窓から身を乗り出して手を振り回し、「やっほう」と叫んだ。
「ああ、どうしよう矢三郎。わが一族の頭領、兄さんの絶体絶命の危機だというのに、俺はなんだか妙に面白くてしょうがないよ。ふざけたことだなあ」
「かまわん、走れ兄さん。これも阿呆の血のしからしむところだ」
私は言った。「面白きことは良きことなり!」
(中略)
「父上の最後の言葉はそれだったよ。父上はあの夜、俺にそう言ったのだった。あれだけ長い間、井戸の底に籠もって思い出せなかったことだが、今の今、ようやく思い出した」
次兄の全身で阿呆の血が沸き返るのが分かった。心臓の鼓動を聞く思いがした。
「面白きことは良きことなり!」
高らかな次兄の宣言に、私と弟も唱和した。
さらに、広瀬和生(著)「この落語家を聴け!/いま、観ておきたい噺家51人」からも引用しよう。
僕たちは、面白くもない噺家を救うために金を払う「お旦」ではない。優れたエンターティナーが与えてくれるものに対して金を払う「単なる観客」なのであって、それ以上である必要は全く無い。
力の無い者は淘汰されるだろうが、それは仕方の無いことだ。
正しくその通り。これからも当ブログは力のない噺家、映画監督、音楽家たちに対し、遠慮会釈なく「退屈だ」と書くつもりだ。それが金を払った客としての正当な権利であり、プロが受けてしかるべき洗礼である。
《面白いか、面白くないか》、それが全てだ。
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