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2009年5月 2日 (土)

グラン・トリノ

評価:B+

この映画はある意味、クリント・イーストウッドの遺言である。役者としてそのフィルモグラフィの棹尾を飾る映画となった(俳優は引退を宣言しているが、監督業は続けるらしい)。公式サイトはこちら

《カッコイイとは、こういうことさ。》……これは宮崎駿監督「紅の豚」のために糸井重里が生み出したキャッチ・コピーであるが、「グラン・トリノ」にもそのまま当てはまる。イーストウッドの”男の死に様”を我々観客が静かに見守る作品とも言えるだろう。エンド・クレジットでは歌まで披露。いやぁ、渋い!痺れるねぇ~。

Gran_torino

フォードの名車1972年製「グラン・トリノ」が本作のタイトルとなっているが、これは白人が物語の主人公(HERO)でいられた古きアメリカのicon(象徴)となっている。ちなみに俳優・イーストウッドの代表作「ダーティハリー」がアメリカで公開されたのは1971年12月23日。ちょうど同じ頃だ。しかし今やアメリカの自動車産業は衰退し、完全に日本車に取って代わられた(主人公の息子はトヨタのセールスマンをしている)。そして黒人(アフリカ系アメリカ人)のオバマ大統領が誕生、ハリウッド映画は凋落しインド人ばかり出てくるイギリス映画「スラムドッグ$ミリオネア」がアカデミー賞を席巻する時代。世の中はすっかり変わってしまった。最早アメリカの白人は「多民族国家における一つの人種」としての自分のポジションを見出し、生きていかなければならない。その自覚と覚悟がこの映画にはある。映画の主人公が未来を託すのは自分の息子たちや孫ではない。赤の他人であるアジア人(モン族)の少年なのだ。主人公の家に星条旗がはためいているのも決して偶然ではないだろう。この設定はアメリカという国家の現在の縮図を意図したものと考えられる。

「荒野の用心棒」(1964)「夕陽のガンマン」(1965)など、一連のマカロニ・ウエスタン(Spaghetti Western)で一世を風靡したイーストウッドはアカデミー作品賞、監督賞を受賞した「許されざる者」(1992)で西部劇というジャンルに終止符を打った。引導を渡したと言い換えても良い。それは人が人を殺めることを否定し、贖罪する映画であった。

「グラン・トリノ」の主人公は今までイーストウッドが演じてきた様々な役を連想させる要素がある。「ダーティーハリー」「マディソン群の橋」etc.そして朝鮮戦争で自分が犯した行為を後悔し悩む姿は「許されざる者」そのものである。

映画の舞台となるのは嘗て自動車産業で栄えたミシガン州デトロイト。しかし今や工場は廃屋となった。そして住民は黒人、アジア人、ヒスパニックが増え治安が急速に悪化、《無法者の街》と化した。その中で年老いたガンマン=イーストウッドは如何なる決断を下すのか?彼の人生の幕引きは実に鮮烈で、そして美しい。「帳尻を合わせる」とは正にこのことだろう。未見の貴方、悪いことは言わない。今すぐ映画館に駆けつけろ!

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コメント

先日の「ヤッターマン」にまで話を広げると少し大げさすぎるかもしれませんが、「スラムドッグ$ミリオネア」といい、「グラン・トリノ」といい、アジアに風が吹いてきているような気がします。

「スラムドッグ~」は本当にムンバイのスラムで暮らしている子供を子役に起用し、「グラン・トリノ」も本当の在米モン族を起用することにこだわった、しかもほとんどずぶの素人(「グラン・トリノ」の場合はアマチュア劇団での経験ぐらいはあるようですが)を使いながらも、堂々とした演技振りには舌を巻きました。ある意味、監督の技量が問われるところですが、どちらも成功しているのが凄いと思わされました。

この作品では「宗教」もひとつのテーマになっているようですが、決して良きキリスト教徒ではなかった主人公のラストの姿はまさに十字架上のキリストに重なるものが感じられました。

投稿: ぽんぽこやま | 2009年5月 4日 (月) 21時54分

ぽんぽこやまさん、僕もイーストウッドの倒れた姿が、十字架上のイエスを意識したものだということに気が付きました。荘厳な最後でした。

日本人キャストがメインの「硫黄島からの手紙」も素晴らしい出来栄えでしたし、イーストウッドはフェアな精神を持った、真に偉大なフィルムメーカーですね。

投稿: 雅哉 | 2009年5月 5日 (火) 00時41分

仰るとおり、フェアな精神を持ったフィルムメーカーですね。

「硫黄島からの手紙」に関しても、二部作の「父親たちの星条旗」ではなく、こちらだけがアカデミー作品賞にノミネートされた、ということですから、こちらのほうが評価が高かったのかもしれません。「日本映画だ」と言い切っていましたものね。

そういえば、「父親たちの星条旗」でも、あの写真によって人生を狂わされた元軍人の一人がネイティブ・アメリカンであったことを思い出しました。アメリカ人(特に白人層)にとっては、触れられたくない部分だったのかもしれませんね。

投稿: ぽんぽこやま | 2009年5月 5日 (火) 11時17分

続けてで申し訳ないのですが、この映画のラストは割合わかりやすかったですが、欧米の映画とキリスト教との関係に関しては、石黒マリーローズさんという方が書かれた「キリスト教文化の常識」(講談社現代新書)が詳しいです。少し古い本ですので、今も入手可能かどうかわかりませんし、例に出されている映画も古いものが多いのですが、一読の価値はあると思います。

投稿: ぽんぽこやま | 2009年5月 5日 (火) 17時56分

ぽんぽこやまさん、

クリント・イーストウッドは先に述べた通り人種に対してはフェアな映画作家ですが、面白いことに彼の映画にゲイは出て来ないんですね。同性愛についてはもしかしたらIntolerance(不寛容)なのかも。キリスト教的価値観で創られた「グラン・トリノ」では、そのことも感じました。

投稿: 雅哉 | 2009年5月 5日 (火) 19時42分

そういえばそうですね。イーストウッドの作風にゲイの問題は似合わない気もしないではないですが、確かに出てきませんね。仰るとおり不寛容なのかもしれません。その点で、敢えて議論になるのを避けて取り上げないのかもしれないですね。

投稿: ぽんぽこやま | 2009年5月 5日 (火) 22時48分

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