貴志康一 生誕100年記念コンサート/大阪フィルハーモニー交響楽団
作曲家・貴志康一は1909(明治42)年3月31日に大阪府吹田市で生まれた。それから丁度100年。ザ・シンフォニーホールで開催された記念コンサートを聴いた。
演奏は小松一彦/大阪フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター:長原幸太)、ソプラノ:坂本環、独奏ヴァイオリン:小栗まち絵。
曲目は、
- 歌曲「天の原」「かごかき」「赤いかんざし」「力車」
- ヴァイオリン協奏曲
- 交響曲「仏陀」
貴志の音楽は以前3回、下記演奏会で聴いた。
- 交響組曲「日本スケッチ」(井上道義/大阪市音楽団)2005年11月定期
- たそがれコンサート~市音の日 2007(小松一彦/大阪市音楽団)
- 関西の作曲家によるコンサート(大フィルによる「日本組曲」)
28年という短い生涯だったが、貴志康一は明治に生まれ、大正・昭和という時代を生きた。関西の作曲家で朝比奈隆と交流があり、その作品がベルリン・フィルで演奏されたという点では「大阪俗謡による幻想曲」の大栗裕と色々共通項がある。
小松一彦さんは貴志作品の監修・蘇演・CD化にライフワークとして取り組んでおられ、演奏会のプレトークでは「音楽が短調から長調に転調した時の幸福感は貴志の神髄です」と仰っていた(実際、その転調がある箇所で指揮台の小松さんが本当に嬉しそうな笑顔をされるのが印象的だった)。また交響曲「仏陀」では、ドビュッシーが編み出した全音音階が用いられていることもピアノを交えて解説して下さった。
貴志の音楽の魅力は和洋折衷にある。ハイカラな大正浪漫というか、洋食に喩えればオムライスとかハヤシライスのような、レトロな懐かしさを感じさせる味わいである。
ヴァイオリン協奏曲の第1楽章は日本音階による第1主題で始まり、それがストラヴィンスキー/「春の祭典」を彷彿とさせる弦のリズムを経て、メンデルスゾーンにも似た第2主題に至る。
第2楽章はフルートの旋律にハープのアルペジオが絡み、まるで篠笛と琴のような効果を上げる。正に日本の叙情である。
第3楽章は祭囃子。そこには明らかに「大阪俗謡による幻想曲」との親和性がある。
作曲家自身の指揮/ベルリン・フィルにより初演された交響曲「仏陀」の第1楽章は弦によるトレモロの霧の中からホルンの旋律が立ち上がる。さながらワーグナー/楽劇「ニーベルングの指輪」(序夜「ラインの黄金」冒頭部)である。そしてそれは勿論、ブルックナーにも繋がっている。
第2楽章の副題は「ガンジス川のほとり」。悠久の川の流れを感じさせる滔々とした音楽。
第3楽章「仏教徒の地獄での受難と苦しみ」のファゴットの旋律はまさしくデュカス/「魔法使いの弟子」。
第4楽章「涅槃に入り変容する仏陀」がアダージョというのは、マーラー&ブルックナー/交響曲第9番の終楽章のよう。やがて曲は短調から長調に転調し、魂が浄化される。最後はホルンが響き渡り、そこに雲の彼方に黄昏の光を浴びて輝くワルハラ城が見えた。
小松さんは入魂の指揮ぶりだったし、大フィルの演奏も申し分なかった。また「仏陀」におけるヴァイオリン(長原幸太)、ヴィオラ(小野眞優美)、チェロ(近藤浩志)のソロが素晴らしかった。ヴァイオリン協奏曲ではソリスト(小栗)と1st.Vn(長原)、2nd.Vn(佐久間聡一)トップによる掛け合いもあったりして、面白かった。
大阪の名所を読み込む「かごかき」(歌詞はこちら)など、歌の数々も味わい深い。ただビブラートを効かせたクラシックの歌唱は歌詞が聴き取り難いので、プログラムに記載するか字幕付きにして欲しかった。
ザ・シンフォニーホールの一階席は8割以上が埋まる盛況ぶり。貴志の遺族の方々もいらっしゃっていた。真に生誕100周年に相応しい演奏会だった。
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