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2009年3月20日 (金)

圧巻! 児玉宏/大阪シンフォニカーのアッテルベリ

曲が終わった瞬間、ザ・シンフォニーホールがどよめいた。拍手喝采の中で立ち上がった大阪シンフォニカー交響楽団の楽員たちが充実した顔つきで、今まで見たことがない位の満面の笑みを浮かべている。そしてそれが観客たちにも伝播し、みんな幸せそうに笑っている。それがアッテルベリ/Dollar交響曲の反応だった。一端舞台袖に引っ込み再び登場した指揮者の児玉宏さんに楽員たちが拍手を送ると、児玉さんは譜面台のスコアを聴衆に向かって掲げ、それを指さし「作曲家を讃えてあげて」というジェスチャーをされた。

僕が初めて交響曲というものを全曲通して聴いたのは小学生の時である。その頃はカール・ベームが指揮するモーツァルト/後期交響曲集(第35-41番)とかベートーヴェン/交響曲第6番「田園」などが好きだった。あらから沢山の作品を聴いてきた。しかし、交響曲を聴きながら今回ほど興奮したことは一度もないと断言出来る。正に未曾有の体験であった。

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話は2時間前に遡る。この日定期演奏会のプログラムは、

  • エルガー/弦楽のためのセレナード
  • R.シュトラウス/4つの最後の歌
  • アッテルベリ/交響曲第6番日本初演

エルガーの曲はジョン・バルビローリ/シンフォニア・オブ・ロンドンのCDで長年親しんでいた。サー・ジョンはカンタービレに特徴がある指揮者である。そしてその棒から紡ぎ出される音楽は夕映えの美しさ、人生の哀しみを湛えている。

しかし、児玉さんの振るエルガーはサー・ジョンの解釈とは全く異なっていた。もっと歯切れが良く推進力があるのだ。生命力が漲っている。こういうアプローチもあるのか!と目から鱗が落ちる想いがした。

次のR.シュトラウスは一転、耽美的で色彩豊かな曲想を余すところなく表現した名演。曖昧さは皆無で、鋭い切れ味で外科医が腑分けするが如く、作曲家のオーケストレーションの巧が鮮やかに目の前に展開される。佐々木典子さんの独唱も、大変声量があり陰影のある音色で説得力を持って胸に響いた。

以前僕は児玉さんの指揮するベートーヴェン/交響曲第7番を聴いて、この人の資質に一番近いのは天才指揮者、カルロス・クライバーだと感じた。

そしてこの度、R.シュトラウスを聴きながら脳裏に蘇ったのは、やはり楽劇「ばらの騎士」を指揮する在りし日のクライバーの雄姿であった。

ただクライバーと児玉さんの大きな違いはレパートリーが極めて少なかったクライバーに対して、児玉さんはブルックナーやプロコフィエフも指揮するということである。

さて、スウェーデンのアッテルベリ(1887-1974)である。この曲は1928年シューベルト没後100年を記念して開催された国際作曲コンクールの優勝作品。この賞金1万ドルで彼はフォードの高級車を購入したため、Dollar(ドル)交響曲と呼ばれている。

初めて聴いて想ったのは「とにかく分かり易い!愉しい!格好いい!そして、ユニーク!」ということ。確か福永武彦の小説「死の島」に登場する一節だと記憶しているが、ある欧米の評論家がシベリウスの作風について「誰からの影響も受けず、誰にも影響を与えなかった」と評したそうである。それと同じ事を僕はアッテルベリの交響曲にも感じた。

第1楽章はソナタ形式。弦の刻みから勇壮なホルンの第1主題が登場するくだりは「これはブルックナーか?」と一瞬想ったが、音楽の様相は全く異なる展開を示し、ファゴットが提示する第3主題は民族音楽的で北欧伝説を彷彿とさせた。今にもホビットが登場しそうな雰囲気が醸し出される。

第2楽章アダージョは弱音器付きの弦に乗ってクラリネットが仄暗く、寂寞とした歌を奏でる。アルヴォ・ペルト(エストニア、1935- )の「フラトレス」(1977)とか、ヘンリク・グレツキ(ポーランド、1933- )の交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(1976)に通じる響きがあった。考えてみればスウェーデン、エストニア、ポーランドは環バルト海地域にあたるし、これは決して偶然ではないのだろう。

第3楽章(終楽章)はロンド形式で、一部フーガの手法も用いられている。ここで気分が一転し、賑やかなお祭り騒ぎ!ニヒルなパロディ精神があり、そういう意味ではショスタコーヴィチ的と言えるかも知れない(曲調は全然違うが)。

児玉宏/大阪シンフォニカーはここでも曲の魅力を十二分に伝える機動力を発揮し、その魔法で聴衆を虜にした。アッテルベリは演奏会と同時期にセッション録音され、この年の夏にCDの発売が予定されているそうである。当日、ザ・シンフォニーホールにいなかったという不幸な方は是非それで追体験して欲しい。中身の充実度、クオリティの高さは僕が絶対の自信を持って保証する。

 記事関連blog紹介:同じ演目を聴かれた方の感想

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コメント

ぜひとも聴きたいプログラムでは、あったんですけれど、やはり仕事が許してくれませんでした(笑)。

代わりと言っては何ですが、広上さんがノールショッピング響を振ったBISのCDをiTUNEでダウンロードして繰り返し聴いています。なかなか魅力的な佳作ですね。

シンフォニカのHPで解説を読んだのですが、3楽章について、アッテルベリが「(シューベルトのクインテットからの引用を)今風な多調的方法で私が飾りたてたことで、私が何を思っていたかがお判りになることでしょう」とニールセンに手紙を書いているそうですね。いったい彼は何を思っていたんでしょうね。

存外、人好きのする外見に似合わず、この曲、深い意図が隠されているのかもしれません。

投稿: ぐすたふ | 2009年3月20日 (金) 17時02分

ぐすたふさん、コメントありがとうございます。

児玉宏/大阪シンフォニカーは是非次の機会にお聴き下さいね!彼らは本当に凄いですから。

さて、第3楽章の話です。まずシューベルトを引用したのはこれが「シューベルト没後100年記念」コンクール応募作だからと推察します。アッテルベリ本人も第3楽章はコンクールを意識し、審査員受けを狙ったと語っています。そしてこれは同時にアメリカ・コマーシャリズムへの皮肉でもあります。つまりこのコンクールは米コロンビア・レコード主導の企画であり、その商業主義、ドンチャン騒ぎを笑い飛ばしてもいるのですね。

その方法論が、ソビエト共産党に従順な曲を書いているように見せかけて、実はその中に痛烈な批判を忍ばせていたショスタコーヴィチの姿勢に似ていると僕には想われるのです。

投稿: 雅哉 | 2009年3月20日 (金) 18時45分

こんばんは。
ブログへのコメントありがとうございました。
児玉さんのような才能ある素晴らしい指揮者の演奏を聞けることは幸せですよね。
アッテルベリの交響曲がこれをきっかけに日本でも演奏機会が増えたらいいですね。
絶対に人気が出る交響曲だと思います。

投稿: りんこ | 2009年3月20日 (金) 21時50分

りんこさん、コメントありがとうございます。

もっと世界は児玉さんの恐るべき才能を知るべきですね!そのためにも、今回のアッテルベリがCDで世に問われるというのは良い機会です。そして今後は児玉/大阪シンフォニカーのブルックナーのレコーディングも期待しています。

投稿: 雅哉 | 2009年3月20日 (金) 21時57分

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