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2009年2月

2009年2月28日 (土)

天神寄席〜爆笑賞編〜 

2月25日、天満天神繁昌亭にて天神寄席を聴く。

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  • 笑福亭智之介/道具屋
  • 桂歌之助/桃太郎
  • 桂かい枝/野ざらし
  • 笑福亭鶴光/荒茶
  • 桂文華/八五郎坊主
  • 笑福亭鶴笑/親子酒+桃太郎(立体紙芝居)

繁昌亭爆笑賞の第一回目受賞者が、かい枝さん。第二回が鶴笑さんで第三回目が文華さんである。今回はその三人が一同に会した。

かい枝さんはとても陽気な口跡で、リズム良く快調に飛ばした。半年間のアメリカ武者修行から帰国した時の高座はどうもオーヴァーアクションで調子が出なかったが、現在絶好調!いや~面白かった。

鶴笑さんが古典をされたのには正直驚いた。トリということで敢えてリスクを冒し挑戦されたのだろうが、最後まで違和感が付きまとった。そもそも笑いが取れないから廃れた芸=立体紙芝居と組み合わせたことも失敗の一因なのではないだろうか?むしろ鶴笑さんが得意にされているパペット落語との融合の方が良かったのではないかという気がする。(客に受けていないことに対する)鶴笑さんの焦り、迷いといったものがひしひしと感じられる高座だった。

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2009年2月27日 (金)

春野寿美礼 IN ミュージカル「マルグリット」、そしてミシェル・ルグランの軌跡

梅田芸術劇場で「マルグリット」を観劇した。

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ミュージカル「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」を生んだアラン・ブーブリル&クロード=ミシェル・シェーンベルクが台本および作詞を担当し、「シェルブールの雨傘」で名高いミシェル・ルグランが作曲したロンドン(ウエストエンド)ミュージカル。イギリスでのワールドプレミアは2008年。スタッフはそのままで、日本人キャストによる上演がこのたび実現した。出演は宝塚歌劇退団後、初舞台作品となる春野寿美礼。そしてミュージカル初挑戦となるテノール歌手・田代万里生、寺脇康文ほか。

本作はヴェルディの歌劇「椿姫」を下敷きに、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ占領下のパリに舞台を移している。

デュマ・フィスの原作で《椿姫》の名前はマルグリット、その恋人がアルマン。ヴェルディのオペラではこれがヴィオレッタとアルフレードに代わった。またオペラのタイトル「ラ・トラヴィアータ」とは《堕落した(道を踏み外した)女》という意味である。で、今回のミュージカルではマルグリットとアルマンに戻った。

新作「マルグリット」を観ながら想ったのは、まず台本が薄っぺらだということ。結局オペラを下敷きに戦時下に置き換えるという手法は、プッチーニの「蝶々夫人」をベトナム戦争に持ってきた「ミス・サイゴン」の方法論と全く同じであり、二番煎じでしかない。「ミス・サイゴン」の方がはるかに傑作であり、むしろ「マルグリット」よりもオペラ「椿姫」の台本の方が出来が良いのではないだろうか?ウエストエンドの沈滞振りを目の当たりにしたような失望感に捕らわれた。

アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルクのコンビは「ミス・サイゴン」の後に「マルタン・ゲール」(1996)「パイレート・クイーン」(2006)というミュージカルを創ったが、いずれも泣かず飛ばず。「パイレート・クイーン」は散々な評判の中、2007年4月5日になんとかブロードウェイ開幕に漕ぎ着けるも、ニューヨーク・タイムズなどで酷評され6月17日にあえなく閉幕した。台本が陳腐で通俗的なこの「マルグリット」が仮にブロードウェイにたどり着けたとしても、「パイレート・クイーン」と同じ運命を辿るであろう。

キャストは好演しているし、演出も悪くない。照明は綺麗だし、ルグランの音楽は最高!でも、ミュージカルは台本が駄目だと他がいくら頑張っても救いようがない。その反面教師となる作品が本作である。同じ「椿姫」を題材とした作品ならバズ・ラーマン監督のミュージカル映画「ムーラン・ルージュ」の方が絢爛豪華で愉しめるし、三谷幸喜の「オケピ!」、松尾スズキの「キレイ~神様と待ち合わせした女~」、宝塚歌劇の「哀しみのコルドバ」「王家に捧ぐ歌」「カラマーゾフの兄弟」など和製ミュージカルの方が遥かに優れている。ロイド=ウェバーは「サンセット・ブルーバード」(1993)以降、才能が枯渇してしまったし、ロンドン・ミュージカルの命運はもう尽きた。

しかしミシェル・ルグランの音楽は"チャイナ・ドール"をはじめ、ため息が出るくらい美しい。ルグラン・ジャズも健在。だからこんな駄作の中に埋もれてしまうのが本当に惜しい。僕は迷わず、ロンドン・オリジナル・キャストCD(歌:ルーシー・ヘンシャルほか)を購入した。

ミシェル・ルグランの舞台ミュージカルといえば、劇団四季が上演した「壁抜け男」を想い出される方も多いだろう。フランス初演が1997年。日本初演が1999年11月14日。初日を迎えた福岡シティ劇場に僕もいた。東京以外ではカラオケ上演を続ける四季としては珍しく、生演奏による上演だった。奏者が3人しかいらないということで例外的に実現したのだろう(しかしその後あった全国公演はカラオケだった)。地味ながらフランス的エスプリがあり、味わい深く愛すべき作品だった。なお石丸幹二、井料瑠美、光枝明彦ら初演キャストは、既に現在四季を退団している。

「壁抜け男」はブロードウェイにも進出した。その際、大幅なアレンジが施されフル・オーケストラの楽曲に生まれ変わった。劇団四季版は以前ビデオが出ていたが現在は廃盤のようである。ブロードウェイ版はCDで聴くことが出来る。

ところで、映画監督のデビュー作から最後までコンビを組み続けた映画音楽作曲家というのは意外と少ない。僕が直に想いだすのはイタリアのフェデリコ・フェリーニ&ニーノ・ロータ、フランスのジャック・ドゥミ&ミシェル・ルグラン、そして最近ではアメリカのスティーブン・スピルバーグ&ジョン・ウィリアムズくらいだろうか?

ドゥミとルグランのコラボレーションによる最高作は「シェルブールの雨傘」(カンヌ国際映画祭パルムドール受賞)であるという世間の評価に全く異論はない。ただ、振り付けが変だとか色々と疵はあるけれど、僕がこよなく愛するのは「ロシュフォールの恋人たち」である。この映画におけるルグランの音楽はパーフェクトとしか言いようがない。特にJAZZYな"キャラバンの到着"は最高!日本では車のCMにも使用された(視聴は→こちら)。「シェルブールの雨傘」同様、「ロシュフォールの恋人たち」もフランスで舞台ミュージカル化されたらしいのだが、残念ながら日本での上演は実現していない。

後にルグランがハリウッドに進出し、アカデミー歌曲賞を受賞した「華麗なる賭け」の主題歌"風のささやき"も良い。でも僕がもっと好きなのはバーブラ・ストライザンド監督・主演の「愛のイエントル」(Yentl)である。ルグランはこれでアカデミー賞の音楽(歌曲・編曲)賞を受賞した。最初から最後までバーブラがひとりで歌うという、世にも珍妙な《ひとりミュージカル》映画である。《女も学問が許される自由な生き方》を求め、ユダヤ人であるヒロインが20世紀初頭のポーランドから新大陸を目指し移民船で旅立っていくラストシーンのナンバー"A Piece of Sky"はバーブラのパンチの効いた歌がズシリと胸に響き、聴く度に痺れる。バーブラもこのシーンがお気に入りらしく、彼女のコンサートではしばしば、映像付きで"A Piece of Sky"が歌われる。ルグランは「イェントル」を是非舞台化したいと考えている様なのだが実現には至っていない。恐らくバーブラか原作者の許可が下りないのだろう。原作者のシンガーは自作がミュージカル化される際、渋い顔をしてこう言ったという。

「イエントルは学問をしたかったのであって歌を歌いたかったわけではない」

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2009年2月25日 (水)

つみきのいえ

評価:A

上映時間12分4秒。米アカデミー賞短編アニメーション賞受賞。加藤久仁生(かとう くにお)監督からの受賞後のメッセージや、本編映像の一部も掲載されている公式サイトはこちら

さらに「つみきのいえ」に関するインタビュー記事をご紹介しておく→こちら

加藤監督は現在31歳。鹿児島の小学生時代からマンガを描き始め、宮崎駿作品を見て育ったという。

アカデミー賞授賞式で読み上げられた"La Maison en Petits Cubes"というフランス語のタイトルが示すように、その絵柄や色彩感覚はどこかフランスのアニメーション、例えば「ベルヴィル・ランデブー」(シルヴァン・ショメ監督)を連想させるものがある。

Triplets

しかしそこで描かれる内容は詩的でノスタルジックであり、くっきりと独自性を打ち出すことに成功している。切なくて心に残る珠玉の作品である。

世界が水没していくという設定は、むしろ宮崎駿監督の「未来少年コナン」のイメージに近い。そしてそれは勿論、「崖の上のポニョ」に繋がっている。

加藤監督はオスカーを受け取った壇上で"Thank you,my pencil."とスピーチした。鉛筆書きへのこだわり。これも「崖の上のポニョ」が目指したものと一致している。

今更僕が言うまでもなく、宮崎駿という人は天才である。ただ、スタジオ・ジブリの辛いところは後継者が全く育たなかったということであろう。「ハウルの動く城」では外部から細田守監督(「時をかける少女」)を招聘したが、宮崎さんとの折り合いがつかず細田さんは去っていった。

しかし僕は本作を観ながら「嗚呼、宮崎駿の遺伝子をしっかりと受け継ぐ若い世代が、こんなところで育っていたのだな」と安心感を覚えた。本当によかった。

なお、「つみきのいえ」と同じく短編賞にノミネートされたピクサーの"PRESTO"は「WALL・E/ウォーリー」の前座として映画館で観たが、ギャグがちっとも面白くなく救いようのない駄作であった(こちらの評価はD-)。

最後に、僕がお気に入りの短編アニメーション(上映時間30分以下)を列記しておく。

  • 三匹の親なし子ねこ(ウォルト・ディズニー・スタジオ、アメリカ)1936
  • 風車小屋のシンフォニー(ウォルト・ディズニー・スタジオ、アメリカ)1937
  • 人魚(手塚治虫、日本)1964
  • 霧につつまれたハリネズミ(ユーリ・ノルシュテイン、ロシア)1975
  • ヴィンセント(ティム・バートン、アメリカ)1982
  • ルクソーJr.(ピクサー・アニメーション・スタジオ、アメリカ)1986
  • 迷宮物件 FILE538(押井守、日本)1987
  • 木を植えた男(フレデリック・バック、カナダ)1987
  • 大いなる河の流れ(フレデリック・バック、カナダ)1993
  • ウォレスとグルミット、危機一髪!(ニック・パーク、イギリス)1995
  • 老婦人とハト(シルヴァン・ショメ、フランス) 1998
  • 老人と海(アレクサンドル・ベドロフ、ロシア)1999
  • For the Birds(ピクサー・アニメーション・スタジオ、アメリカ)2000
  • 星をかった日(宮崎駿、日本)2006

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2009年2月24日 (火)

宴の後に〜魅惑のオスカー・ナイト2009

ビヨンセらと共に唄って踊るパフォーマンスを展開した最後、ホストのヒュー・ジャックマンはこう叫んだ。

"The musical is back !"「ミュージカル映画が帰ってきた!」と。

アン・ハサウェイ(「プリティ・プリンセス」「プラダを着た悪魔」)も唄ったのには吃驚仰天した。これだけの実力があれば、彼女も十分ミュージカル映画に出演できる!

第81回アカデミー賞授賞式は本当に夢のような一夜だった。瞬く間に時が過ぎていった。ショー・アップされた今年のオスカー・ナイトは、史上最高の面白さだったのではないだろうか?正に"There's no business like show business"《ショーほど素敵な商売はない》(ミュージカル「アニーよ銃をとれ」より)。アメリカでのテレビ視聴率も6%アップしたとか。 

さて、僕が予想した22部門のうち、外れたのは下記2部門。

録音賞(Sound Mixing):スラムドック$ミリオネア」 
音響編集賞(Sound Editing):「ダークナイト」

という訳で、今年は20部門的中という結果だった。

前にも書いたとおり、巷ではアカデミー外国語映画賞の大本命はゴールデン・グローブ賞を受賞したイスラエル代表「戦場でワルツを」だろうと言われていた。そして対抗馬がフランス代表「ザ・クラス」(カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドール受賞)。「おくりびと」で主演した本木雅弘も、「イスラエルの作品が獲ると思ってた。こんなことなら、もっと堂々とレッドカーペット歩けばよかった」とインタビューで語っている。しかし僕は「戦場でワルツを」の受賞は難しいのではないかと考えていた。なぜならばこの作品はアニメーションだからである。

アカデミー会員は非常に保守的なことで知られている。今年、世紀の大傑作「ダークナイト」が作品賞や監督賞にノミネートされなかったのは原作がアメコミ(バットマン)だからだと推測される。ヒュー・ジャックマンも授賞式でそのことを茶化して唄っていた。

かつてオスカーに長編アニメーション部門が設置される前、宮崎駿監督の「もののけ姫」が外国語映画賞の日本代表作品に選ばれたことがある。しかし、ノミネートすらされなかった。アニメ界において神にも等しい存在のハヤオが無視されたのに、イスラエルが受賞できる筈ないじゃないか(後に「千と千尋の神隠し」が長編アニメーション部門を制したのは御承知の通り)。50年以上歴史のある外国語映画部門においてアニメが受賞したことは皆無である。

フランス代表の盲点はカンヌでパルムドールに輝いた作品はオスカー受賞が難しいという歴史的事実である。「タクシードライバー」「地獄の黙示録」「オール・ザット・ジャズ」「影武者」「さらば、わが愛/覇王別姫」「ピアノ・レッスン」「パルプ・フィクション」「エレファント」……全てそうだ(唯一の例外は「戦場のピアニスト」。この受賞にはひっくり返った)。つまり、アカデミー会員にはカンヌに対する強烈なライバル意識があるということが言えるだろう。

上述したようなことを考慮して僕は「おくりびと」が受賞すると予想した。しかし無論、最大の勝因は作品自身の持つ力、輝きである。映画に国境はない。良い物を創れば必ず世界は認めてくれる。そのことを証明してくれた「おくりびと」、そして「つみきのいえ」のスタッフ・キャストに心から賞賛を送りたい。あなた方は日本の誇りです。

ところで最近オスカー受賞者の国際化が顕著になってきた。昨年、主演女優賞を攫ったマリオン・コティヤールはフランス人、主演男優賞のダニエル・デイ=ルイスと助演女優賞のティルダ・スウィントンはイギリス人。そして助演男優賞のハビエル・バルデムはスペイン人。なんとアメリカ人俳優が一人もいなかったのである!

今年はどうだろう。主演女優賞のケイト・ウィンスレットはイギリス人、助演女優賞のペネロペ・クルスはスペイン人、助演男優賞のヒース・レジャーはヒュー・ジャックマンと同じくオーストラリア出身。アメリカ人は主演男優賞のショーン・ペンただ一人であった。

また作品賞の「スラムドッグ$ミリオネア」はイギリス映画であり、監督のダニー・ボイルもイギリス人。この映画はインドのスラム街でロケされ、インド人スタッフも多数参加。作曲賞および歌曲賞を受賞したA.R.ラフマーンもインド人である。

つまりアカデミー賞は単なるアメリカのお祭では最早なく、真の意味で《映画の祭典》に脱皮したのだと言えるだろう。

さて、混沌としていた主演女優賞の行方を決定付けたのはメリル・ストリープによる、あるスピーチだった。

メリルが身を引くことにより6度目のノミネートで悲願のオスカーを手に入れたケイト・ウィンスレットは、壇上から大女優に対して感謝の言葉を述べることを決して忘れはしなかった。それは真に麗しい情景であった。

それにしても主演女優賞のプレゼンターとして登場したメンバーの豪華さは凄かった。ソフィア・ローレン、マリオン・コティヤール、ニコール・キッドマン、ハル・ベリー、シャーリー・マクレーンらである。そして注目すべきはこの内、ローレン、コティヤール、キッドマンの3人がロブ・マーシャル監督の新作ミュージカル映画「ナイン」(撮影は終了し、現在ポスト・プロダクション真っ只中)に出演しているということである。

この3人に加え、「ナイン」にはダニエル・デイ=ルイスとジュディ・デンチというオスカー俳優が出演しているが、今回さらに6人目が誕生した。助演女優賞を受賞したペネロペ・クルスである。

ペネロペ受賞に大きな役割を果たした男をここで紹介しよう。その名はトム・クルーズ。トムは2001年にニコール・キッドマンと離婚した(その時ニコールはトムに対して「これでやっとハイヒールがはけるわ」と言ったという)。そして2003年、ニコールは「めぐりあう時間たち」でオスカーを見事受賞した。

トムは1997年のスペイン映画「オープン・ユア・アイズ」にゾッコンほれ込み、2001年「バニラ・スカイ」というタイトルでハリウッド・リメイクした。両映画で同じ役を演じたペネロペ・クルスはトムが離婚する直前から彼と恋仲になるが、2004年にふたりは破局。傷心のペネロペはスペインに帰郷する。そしてペドロ・アルモドバドル監督の「ボルベール<帰郷>」に出演、同映画でスペイン人として初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされた。つまりトムと別れた彼女たちは二人とも仕事運が上昇し、オスカーを手に入れたのである(トム自身は3度ノミネートされているが受賞は果たしていない)。それにしても授賞式でのペネロペは本当に可愛かった!今年のベスト・ドレッサー賞を謹んで進呈したい(写真はこちら)。

一方、2006年にトムと結婚したケイティ・ホームズの場合はどうか?ケイティは2005年に「バットマン ビギンズ」のヒロイン、レイチェルに抜擢された。しかしトム・クルーズとの一連の騒動がイメージ・ダウンとなってその続編「ダークナイト」には起用されず、マギー・ギレンホールと交代になってしまった。そして名優ヒース・レジャーと共演する機会は永遠に失われた。明暗を分けたとは正にこのことであろう。

アカデミー賞をめぐるあれこれはネタが尽きないが、もうこれくらいにしておこう。最後に、来年のオスカー最多受賞作品はロブ・マーシャルの「ナイン」であろうと予言して〆の言葉としたい。

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2009年2月21日 (土)

今年もやります!第81回アカデミー賞大予想

いよいよ米アカデミー賞授賞式が現地では2月22日、日本時間で23日に開催される。

今年一番愉しみなのは唄って踊れる司会者、そして《世界一セクシーな男》ヒュー・ジャックマンの登場である。

授賞式のエグゼクティブ・プロデューサーがミュージカル映画「ドリーム・ガールズ」の監督ビル・コンドンで、ジャックマンはオープニングの演出を 「ムーラン・ルージュ」「オーストラリア」の監督バズ・ラーマンに依頼した。またニューヨーク・タイムズの報道によると「モダン・ミリー」でトニー賞を受賞したロブ・アシュフォードが振付を担当するそうだ。どうやらビヨンセ(「ドリーム・ガールズ」)も唄うらしい。

さあ、"You ain't heard nothin' yet !"「お楽しみはこれからだ!」(初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」より)

では、今年の受賞予想である。

作品賞:スラムドッグ$ミリオネア
監督賞:ダニー・ボイル
    「スラムドッグ$ミリオネア」

主演女優賞:ケイト・ウィンスレット
   「愛を読むひと」

主演男優賞:ショーン・ペン
   「ミルク」

助演女優賞:ペネロペ・クルス
   「それでも恋するバルセロナ」

助演男優賞:ヒース・レジャー
   「ダークナイト」

脚本賞:「ミルク」
脚色賞:スラムドッグ$ミリオネア
撮影賞:スラムドッグ$ミリオネア
編集賞:スラムドッグ$ミリオネア
美術賞:ベンジャミン・バトン/数奇な人生
衣装デザイン賞:「ある公爵夫人の生涯」
メイクアップ賞:ベンジャミン・バトン/数奇な人生
作曲賞:スラムドッグ$ミリオネア
歌曲賞:スラムドッグ$ミリオネア」から
   “Jai Ho”
(→試聴はこちら。これは名曲!!)
録音賞(Sound Mixing):ダークナイト」 
音響編集賞(Sound Editing):「WALL・E/ウォーリー」
視覚効果賞:ベンジャミン・バトン/数奇な人生
外国語映画賞:おくりびと
長編アニメーション映画賞:「WALL・E/ウォーリー」
短編アニメーション賞:「つみきのいえ」(La Maison en Petits Cubes)
長編ドキュメンタリー賞:“Man on Wire”
短編ドキュメンタリー、短編実写賞は全く分からないので棄権する。

ヒース・レジャーが死後オスカーを受賞できるかどうか、その可能性については昨年8月「ダークナイト」公開時のレビューで既に考察した。

今年は主要部門での波乱は殆どないだろうと考えているが、一番読めないのは主演男優賞。ショーン・ペンの確率が高いのは確かだが、彼は既に「ミス ティック・リバー」(2003)で受賞している。そういう意味では見事にカムバックを果たしたミッキー・ローク(「レスラー」)という線も捨てがたい。

「WALL・E/ウォーリー」のレビューでは長編アニメーション部門受賞は120%確実と自信たっぷりに書いたが、先日発表されたアニー賞では「ウォーリー」が全滅で、な、なんと「カンフー・パンダ」が11部門総なめという大番狂わせがあり、雲行きが些か怪しくなってきた。

音響編集賞(Sound Editing)の予想を「ウォーリー」にしたのはベン・バートに敬意を表して。ベンは「スター・ウォーズ」エピソード4(1977)からシリーズ全作を担当している伝説的サウンド・デザイナー。R2-D2の声を創造したのは彼の功績である。

外国語映画賞で一番下馬評が高いのはイスラエル代表のアニメーション「戦場でワルツを」。カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した「クラス」(フランス)も超強力な対抗馬である。しかし僕は実際観た作品の力を信じて、敢えて「おくりびと」としておく。これは日本人としての矜持である。短編アニメ部門も同様の理由による。

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2009年2月20日 (金)

賛否両論渦巻く、マーラー交響曲第5番~大植英次/大阪フィル定期

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会(2日目)に足を運んだ。コンサートマスターは長原幸太さん。

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曲目は、

  • モーツァルト/ピアノ協奏曲第9番 「ジュノム」
  • マーラー/交響曲第5番

コンチェルトは以前大植さんで聴いた時の感想と同様である。しなやかに歌う、レガート・モーツァルト。音楽は穏やかに響き、その音色は優しい。

ただフランスからやって来た独奏者、ジャン=フレデリック・ヌーブルジェの演奏は凡庸な印象を受けた。もっと子猫が鍵盤を駆けめぐるような軽やかさが欲しい。この程度弾けるピアニストなら日本にだって沢山いるだろう。

アンコールはドビュッシー/亜麻色の髪の乙女(前奏曲第1集より第8曲)。これは中々良かった。僕はこの曲を聴くと、瞬間的にジェニファー・ジョーンズ主演の「ジェニーの肖像」(1948)の映像が脳裏に蘇る。幻想映画の大傑作である。なお、東京ではドビュッシー/ベルガマスク組曲より第3曲「月の光」、大阪定期第1日目は同じベルガマスク組曲より第4曲「パスピエ」が弾かれたそうである。

さて、問題のマーラーである。彼が交響曲というジャンル、およびソナタ形式の歴史においてどのような役割を果たしたかは下記記事で考察した。

今回大植さんが指揮した東京公演、および大阪定期の1日目演奏を聴かれた方々はブログ等で異口同音にそのテンポの遅さを話題にされている。その多くは否定的見解であり、「狂気」「異常なマーラー」と書かれている方もいらっしゃるようだ。

そこで定期2日目、僕は時計で演奏時間を計測しながら聴いた。なお、参考までに手元にあるCD、アバド/ベルリン・フィルとバーンスタイン/ウィーン・フィル(レニー最後の録音)の演奏時間も括弧内に併記した(=アバド、=バーンスタイン)。

  • 第1楽章:16分 (:12'36、 :14'32)
  • 第2楽章:19分 (:14'46、 :14'59)
  • 第3楽章:24分 (:17'27、 :19'02)
  • 第4楽章:16分 (:08'58、 :11'13)
  • 第5楽章:19分 (:15'42、 :15'00)
  •      総計:94分 (:69'29、 :74'46)

アバドとの演奏時間差実に25分!モーツァルトの交響曲1曲分である。これがどれくらい特異な事態であるかお分かり頂けるだろう。

僕は3年前にフェスティバルホールで大植/大フィルによるこの第5番を体験している。その時は演奏時間も70分程度で、極めてオーソドックスなテンポの熱演だった。しかし、今回はまるで別人の演奏を聴いているみたいだ(両者で共通しているのはトランペットが何度も音を外したことくらいか)。

第1楽章「葬送行進曲」から音楽は滑らかに進まない。流れは歪み、唐突に出現するフレーズでしばしば中断される。刀折れ、矢も尽きた戦士が息も絶え絶えに地を這いずっているイメージが思い浮かぶ。このグロテスクさはまるでベルリオーズ/幻想交響曲の第5楽章「ワルプルギウスの夜の夢」の続きを見ているようだ。

第2楽章は正に爛熟した浪漫派の音楽が、腐って溶け落ちていくのを目の当たりにするかのような退廃的雰囲気が漂う(アニメ「風の谷のナウシカ」終盤に登場する巨神兵の姿を想い出して欲しい)。そしてティンパニの連打が強烈な印象を与え、《運命》の動機のように響く。最後の審判が下される光景と言い換えても良いかも知れない。

第3楽章スケルツォは粘着質なリズムがまるで糸を引くような奇っ怪な音楽。

永遠に続くのではないかと想われるようなゆったりとしたテンポで、弦楽器群が息の長い旋律を奏でる第4楽章は死の床にある人のまどろみ、あるいはレクイエムのように響いた。なおWikipediaによると、この楽章の表題「アダージェット」を速度表記の「やや遅く」と解釈すると、演奏指示のSehr langsam(非常に遅く)と矛盾する。だから「小さなアダージョ」とでも理解するのが妥当だろうと記載されている。とすれば、大植さんの極端な解釈も"あり"かも知れない。

僕が想うにマーラーは元々「病的な」「破綻した」音楽を書く人だし、大植さんが今回描いた彼のグロテスクな肖像は、その本質を見事に突き、その醜い姿を白日の下に晒しているという気がするのである。

躁うつ病でフロイトの診察も受けたことがあるマーラーは、「大地の歌」を含めると生涯に10の交響曲を残した。それらを最初から順番に聴いていくと、作曲当時彼がどのような精神状態だったか手に取るように分かる。そこが彼の面白さであり、魅力でもある。

交響曲第1番は躁状態で、第2番「復活」になると沈うつな状態に陥っている。一転、天国的に美しい第4番では明るく振舞っており、この第5番になるとまた激しく沈み込む。それでも第5楽章では幾分気分が前向きとなり上昇するのだが、第6、第7番は元の木阿弥。その魑魅魍魎跋扈する様は極度の抑欝状態の産物と言えるだろう。

そして前にも書いた通り、このマーラーの精神的不安定さ、誇大妄想、生み出す音楽の退廃的本質を巧みに映像で表現したのがルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」(1971)なのである(ケン・ラッセル監督の「マーラー」【1974】も面白い。「ベニスに死す」のパロディも登場)。

大植英次という人は案外、自己主張の激しい指揮者である。そして彼がよくやるのが、交響曲の終楽章で一旦極度にテンポを落とし、コーダで一気に加速、聴衆を熱狂させるという《はったり》である。この大植さんによるけれんみたっぷりの演出を僕が体験したのがベルリオーズ/幻想交響曲であり、マーラー/交響曲第1番そしてブラームス/交響曲第1番であった。テンポの恣意的な操作はベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーには向かない。だから僕は大植/大フィルの演奏する3Bは評価しない。しかしマーラーでは話が全く別だ。大植さんのあざといまでに扇情的な解釈は《オレオレ音楽》、つまり自分のことばかり語ろうとするベルリオーズ、マーラーなど浪漫派の作曲家に対して極めて有効である。

僕は3年前に聴いた推進力のある流麗なマーラーの方がどちらかと言えば好きだ。しかし、今回のがらっと変わったユニークなマーラー像も新鮮で悪くない。だから断固、大植さんの英断を支持したい。

最後に、この長大な曲を極度に遅いテンポで、緊張の糸を切らすことなく演奏し切った大フィルの楽員たちを大いに賞賛したい。しかし聴衆の方も、コンサートが終了した時点で疲労困憊し切っているようなマーラーであったことも事実である。

 記事関連ブログ紹介:

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2009年2月19日 (木)

村田陽一(Tb) at ロイヤルホース

梅田のライヴハウス「ロイヤルホース」でJazzを聴く。

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今回の出演者は村田陽一(Tb)、竹下清志(P)、三原 脩(B)、東原力哉(Ds)の4人。

Murata

村田陽一さんはテレビ「古畑任三郎」のアレンジや、サウンドトラックの演奏にも参加されている世界的トロンボーン奏者である。

  • 村田陽一/オリジナル曲(タイトル不明)
  • ホレス・シルヴァー/ニカの夢(Nica's Dream)
  • デューク・エリントン/ソリチュード
  • 村田陽一/Please Send Me Someone to Love
  • セロニアス・モンク/エビデンス
  • オーネット・コールマン/Blues Connotation
  • ローランド・カーク/Lady's Blues
  • スティーヴィー・ワンダー/Lately(カラフルなボサノヴァ)
  • 村田陽一/M6 2009(新曲。しっとりとしたバラード)

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村田さんの厚みがあって柔らかい音色に魅了された。また他のメンバーも腕っこきが揃っており、特に力哉さんの鮮やかなスティック捌きには見惚れた。目の前で演奏してくれるのでド迫力だった。

ここ1年くらい、村田さんは毎月のようにここでライヴをされているそうで、先月の模様はこちらのロイヤルホース公式ブログで試聴することが出来る。

前にも書いたがここの食事はとても美味しい。BIO(ビオ)ワインも飲めるし、Jazzを聴くには最高の環境である。僕はちょうど今レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」(村上春樹 訳)を再読中なので、ギムレットがふと飲みたくなり注文した。

"A real gimlet is half gin and half Rose's Lime Juice and nothing else"
「本当のギムレットはジンとローズ社のライム・ジュースを半分ずつ混ぜるんだ。他には何も加えない」
  (「ロング・グッドバイ」より)

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2009年2月18日 (水)

月亭遊方のゴキゲン落語会/「隣人」「素顔のままで」

ワッハ上方4F展示室内の小演芸場・上方亭で開催された月亭遊方さん(→公式サイト)の落語会に足を向けた。遊方さんは第2回繁昌亭創作賞を受賞されている。前回聴いた時の感想はこちら

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演目は、以下の通り。

  • 月亭遊方/幕前戯噺(漫談)
  • 桂二乗/ふぐ鍋
  • 月亭遊方/隣人(ネイバーズ)
  • 月亭遊方/素顔のままで

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「隣人」では"Neighbors"という歌がかかり、それと共に遊方さん登場。考えてみれば「素顔のままで」もビリー・ジョエルの歌のタイトル("Just the Way You Are")だし、彼の創作落語は「怪奇ホテル・オソレミオ」(イタリアのカンツォーネ)、「いとしのレイラ」~彼女のロック~(エリック・クラプトン)、「ゴーイング見合いウェイ」(ビング・クロスビー/"Going My Way")など歌にまつわるものが多い。さすが、《高座のロックン・ローラー》である。

遊方さんは、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。「素顔のままで」は彼が28歳の頃、レストランでアルバイトしていた経験を基に書かれた噺。その時既にテレビのレギュラー2本、ラジオを1本持っていたそうなのだが、家賃1万4千円のアパート暮らしでも生活していくことが困難だったとか。よしもとの給料が低いとは聞いてはいたが、まさかそれほどまでとは!

19時半に開演したゴキゲン落語会が終わったのが21時半前。補助椅子も出る盛況振りで、熱気があってとても愉しいひと時であった。

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2009年2月17日 (火)

少年メリケンサック

評価:B

映画公式サイトはこちら

青春映画の佳作である。でも脚本・監督が劇団「大人計画」の宮藤官九郎(クドカン)だから一筋縄ではいかない、くせ球だ。そこが本作の魅力である。僕はクドカンの映画監督デビュー作「真夜中の弥次さん喜多さん」から大好きだ。病んでいる、でもパワフルな生命力に満ち溢れている。

本作には「パンクは生き様だ」という台詞が登場する。渋いねぇ~。佐藤浩市、田口トモロヲ、木村祐一らおじさんたちが頑張っている姿はいとおしい。

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クドカン自身、パンクバンド「グループ魂」のメンバーなので、映画にリズムと躍動感がある。

しかし何と言ってもこの映画最大の魅力は宮崎あおいであろう。彼女の弾けっぷりがいいし、観ていて爽快感がある。「篤姫」とは180°違ったヒロイン像を見事に創りあげている。その女優魂、天晴れなり!

「少年メリケンサック」であおいちゃんの彼氏を演じているのが勝地涼。ふたりのやり取りを聞いていると、篤姫とジョン万次郎のことを懐かしく想い出した。でも全く、キャラがかぶってはいないのだけれど。

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2009年2月16日 (月)

淀工&ミ・ベモルサクソフォンアンサンブル/夢の共演!

ミ・ベモルは総勢21名からなるプロのサクソフォン・アンサンブル。「ミ・ベモル」とはミ♭のこと。これは移調楽器であるアルトやバリトン・サックスのドの音に相当する。内訳はソプラノ4、アルト8、テナー4、バリトン4、そして世界的にも珍しいバス・サクソフォン1名。非常にユニークな団体である。サクソフォン奏者の前田昌宏さんがこの団体を結成して今年が20周年。そこで今年創部50周年の大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部とのコラボレーションが八尾プリズムホール(大阪府八尾市)で実現した。なおミ・ベモルのメンバーは、なにわ《オーケストラル》ウィンズにも参加している。

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まずミ・ベモルによる演奏で、

  • モーツァルト/交響曲第25番 第1楽章
  • パッヘルベル/カノン
  • リムスキー=コルサコフ/熊ん蜂の飛行(バリトンサックス・ソロ)
  • ラヴェル/道化師の朝の歌
  • リード/春の猟犬
  • モーツァルト/きらきら星変奏曲

これだけのサックス集団を聴くことは滅多にない貴重な体験であり、音圧・厚みが凄かった。またテクニックが達者な奏者ばかりで、粒が揃っている。

「きらきら星」はミ・ベモル21人に淀工サックス・セクション13名(三年生含む)が加わり、34名の大合奏。これも迫力満点であった。

またミ・ベモルを率いる前田さんのお嬢さんは淀工を卒業されたそうで、「娘が吹奏楽の部活から帰宅すると午前0時を廻っていることはしょっちゅうでした」と。

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次に淀工単独のステージ。ここからは一、二年生だけの演奏。指揮は勿論、丸ちゃんこと丸谷明夫 先生。

  • 20世紀フォックスファンファーレ~カーペンターズ・フォーエバー(短縮版)
  • 翼をください ~バンドと合唱のための~ (宮川彬良 編)
  • お楽しみコーナー
  • ジャパニーズ・グラフティIVより(お嫁においで~サライ

「カーペンターズ・フォーエバー」からいきなり、淀工が全日本マーチングコンテストで演奏するテンポ、4分音符 = 220くらいでかっ飛ばすので腰を抜かした。丸ちゃん絶好調!

お楽しみはまず、客席から募り指揮者体験コーナー。4、5歳くらいの男の子が「ドラえもん」、そして奈良県生駒市立桜ヶ丘小学校6年生の男の子が「世界に一つだけの花」を振った。ちなみに桜ヶ丘小学校ハーモニックバンドクラブは幕張メッセで開催された2008年全日本小学校バンドフェスティバルに関西代表として出場し、見事金賞を受賞している。

そしてお馴染み、ザ・ヒットパレードパラダイス銀河~しあわせなら手をたたこう~三三七拍子~六甲おろし~ヤングマン~We Are The Worldのメドレー。We Are The Worldではホールからの好意で客席全員にサイリウムが配られ、照明が落とされた会場に光の波がうねった。

丸ちゃんは「三年生が抜けて今が底の底です」と謙遜するが、どうしてどうして。オーボエは2008年全日本吹奏楽コンクール自由曲「大阪俗謡による幻想曲」でソロを吹いた男の子がちゃんといるし、今回「カーペンターズ」でソロを吹いたトランペットの生徒だってコンクール・メンバーだ。1月のグリーンコンサートと比べても些かも遜色のないサウンドで、淀工生の層の厚 さに改めて感心した。

第3部は淀工ミ・ベモルのコラボ!

  • 長生淳/優しい歌 (指揮:前田昌宏)
  • リード/アルメニアンダンス・パート I (指揮:丸谷明夫)
  • 星条旗よ永遠なれ(アンコール)
  • 明日があるさ(アンコール)

長生淳さんといえばトルヴェール・カルテット(サクソフォン四重奏)に数々のアレンジを提供していることで有名。そのメンバー・須川展也さんが指揮するヤマハ吹奏楽団から委嘱された作品も作曲している。「優しい歌」は元々、ミ・ベモルとオーケストラのために書かれた曲。今回は第1部と第3部が演奏された。第1部は穏やかな曲調で真に美しい旋律が奏でられ、第3部は一転ジャズ風味でノリノリ。とても良かった。

「アルメニアン・ダンスはもう、50回以上コンサートで取り上げています。この曲を聴きたいから吹奏楽の演奏会に足を運ぶという人が増えたらいいなと考えて演っているのですが、なかなかそうはいきません」と丸ちゃん。

ミ・ベモルとの共演という事で、折角の「アルメニアン・ダンス」がサックスに比重が増えバランスが悪くなるんじゃないかと危惧していたのだが、杞憂に過ぎなかった。情感豊かに歌い、締めるところは締め、一本芯の通った大変な名演。僕が《1000人のアルメニアンダンス》に参加した時、リハーサルで丸ちゃんから言われたことをあれこれ想い出しながら聴いた。曲が終盤Gna, Gna 《行け、行け》にくると、どんどん加速しヒートアップするのも圧巻であった。

この曲や「大阪俗謡」を指揮している時、丸ちゃんはなんと幸せそうな笑顔をすることだろう!本当に「アルメニアン・ダンス」が好きで好きで仕方ないのだなと、見ているこちらまで嬉しくなってくる。

アンコールは2曲とも丸ちゃんの指揮。「星条旗よ永遠なれ」後半はミ・ベモルのメンバーが(ソプラノ・サックスよりさらに音域が高い)ソプラニーノに持ち替え、淀工のピッコロ部隊8名と競演。これも見ものであった。

「明日があるさ」は女子生徒による歌と踊りがあるのだが、なんとここでミ・ベモルのバス・サックス奏者=岩本さんも淀工生に混じって舞台袖から登場。完璧な振り付けで踊られ、会場からやんややんやの拍手喝采を浴びた。

盛り沢山で、実に愉しいコンサートだった。

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2009年2月15日 (日)

世紀末ウィーンの知られざる交響曲/フックス、滅びの美学〜大阪シンフォニカー定期

寺岡清高/大阪シンフォニカー交響楽団の定期演奏会に足を運んだ。「ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲」シリーズ第2夜である。前回の感想は下記。

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今回のプログラムは、

  • L.v.ベートーヴェン/交響曲第4番
  • ロベルト・フックス/交響曲第3番日本初演

ここで今一度、西洋音楽が辿った近代史を、オペラと交響曲という二つのキーワードを柱として俯瞰してみよう。

オペラから派生したオペラ・ブッファ(「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」「ファルスタッフ」等)は「天国と地獄」「メリー・ウィドウ」「こうもり」といったオペレッタに発展し、海を渡ってアメリカでミュージカルという形態に生まれ変わった。またワーグナーはライトモティーフ(示導動機)を駆使することで楽劇という形式を生み、それはリヒャルト・シュトラウスを経てエリック・ウォルフガング・コルンゴルト(オペラ「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」)に引き継がれた。ナチスの台頭と共にコルンゴルトはハリウッドに亡命しこの手法を映画音楽に導入、それは「スター・ウォーズ」のジョン・ウィリアムズの手により現代まで脈々と生き続けている。

一方、ハイドン(1732-1809)が確立したソナタ形式に基づく4楽章形式の交響曲はベートーヴェン(1770-1827)という天才の出現で、一気に完成の域に達する。

後に続いたシューベルト、ベルリオーズ、シューマンら浪漫派の作曲家は、結局ベートーヴェンが築いた完全無欠の牙城を切り崩し、ちっぽけな自我でこねくり回すことでしか交響曲という形態を成立させることが出来なかった。

展開部の複雑化、冗長化で次第に壊れていくこのジャンルに「待った!」と歯止めをかけ、均整が取れた美を取り戻そうとしたのがいわゆる《新古典派》ブラームス(1833-1897)の登場である。しかしブラームスによる必死の試みは音楽の《進歩》においては所詮《退行》に過ぎず、時代の奔流を食い止めることは不可能であった。

そして行き着くところまで行ってしまった終極にグスタフ・マーラー(1860-1911)が存在する。彼において後期浪漫派の肥大化した自意識、誇大妄想は極まった(指揮者ニコラウス・アーノンクール曰く、「マーラーの場合は、どうも『自分だけのこと』を語ろうとしているように思えてならない。『僕は、僕は、僕は……!』とね」)。それは調性音楽と、ソナタ形式に基づく4楽章形式の交響曲の終焉をも意味していた。マーラーがその音楽活動を支援したシェーンベルク(1874-1951)がそこに颯爽と現れ、彼の編み出した十二音技法により調性音楽で成り立ってきた世界は瓦解する。

この音楽史を見事に映像として表現したのがルキノ・ヴィスコンティ監督のイタリア映画「ベニスに死す」(1971)であろう。

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ウィキベディアにも書いてあるように、「ベニスに死す」の主人公アッシェンバッハはマーラーがモデルである。この映画で交響曲第5番の第4楽章アダージェットが有名になったのはご存知の通り。ヴィスコンティは本作の中にアルノルト・シェーンベルク(劇中名はアフルレッド)も登場させ、美についてマーラーと激論を戦わせている。そして映画のラスト、アッシェンバッハの死と共に醜く崩れ落ちていく彼の化粧は、爛熟し腐っていく浪漫派の黄昏、交響曲というジャンルおよび調性音楽の死を象徴しているのである。

本題に戻ろう。そのマーラーに橋渡しした作曲家という位置づけで登場するのが、ウィーン楽友協会音楽院教授(和声学)として彼を教えたロベルト・フックス(1847-1927)であり、マーラーの学友として2歳年上だったハンス・ロット(1858-1884)である。

統合失調症(昔の病名で言えば精神分裂病)だったロットや、躁うつ病のマーラー(彼はフロイトの診察を受けたこともある)とは違って、今回初めて聴いたフックス/交響曲第3番が健全な精神で書かれた音楽であることは一目瞭然だ。しかし病んだ部分がないことが、むしろこの楽曲の魅力の乏しさに繋がっているのは何とも皮肉な話である。

それでもフックスの交響曲を聴いていると、世紀末浪漫派の咽ぶような芳香、《黄昏時の輝き》《滅びゆくものの儚い美しさ》がそこにあるのも確かである。それは貴族社会の終焉、デカダンスを描いたヴィスコンティの美学に通じるものがある。でも「地獄に落ちた勇者ども」(1969)「ベニスに死す」(1970)「ルードウィヒ/神々の黄昏」(1972)ほど、朽ち果ててはいない。むしろその一歩手前、「夏の嵐」(1954)「山猫」(1963)あたりを彷彿とさせる音楽であった。

 記事関連ブログ紹介:
 ・ ふーじーの見た空(演奏者の立場から見たフックス像)

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2009年2月14日 (土)

南紀白浜への旅

和歌山県の白浜温泉にふらり旅をした。

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本当に真っ白の砂浜で驚いた。

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波打ち際の透明度も高く、とても美しい海である。

泊まったのは海舟という宿。海に臨む露天風呂や貸切風呂もあり、居心地が良かった。

夜はクエ尽くしの料理に舌鼓を打つ。たくさんの種類がある梅酒も美味なり。

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丁度、南国紀州では梅が満開だった。

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南部(みなべ)梅林は見渡す限り花の海。その圧倒的規模は吉野の山桜を想い出させた。
 

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心に残る素敵な旅となった。

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2009年2月13日 (金)

「厄払い」「住吉駕籠」/桂吉弥の《新》お仕事です。

天満天神繁昌亭にて桂吉弥さんの落語会。

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  • 雀五郎/初天神
  • 吉弥/厄払い
  • 紅雀/七度狐
  • 吉弥/住吉駕籠(すみよしかご)

桂雀五郎さんは早口で一気に畳み込んだ。吉弥さんは事前に「ゆっくり演ればいい」と言っていたのだそうだが、「律儀な男なのできっちり20分で降りてきました」と。前回雀五郎さんを聴いた時はセンテンスの間が空き過ぎてダレたが、今回の猛スピード高座はそれがなくてむしろ良かった。

桂紅雀さんは今回、初体験。師匠の枝雀さんを彷彿とさせる語り口。緩急の変化のつけ方が音楽的で、聴いていて心地よかった。

吉弥さんはプログラムの「ごあいさつ」でスポーツ写真誌「Number(ナンバー)」最新号の《言葉力。》という記事を引用し、さらに大師匠である桂米朝さんの言葉を紹介されている。

「落語は話芸や」
「言葉を大事にせえ」
「お客さんはな、アホやないで。ちゃーんと聴いてくれはる」

吉弥さんの高座は、正にこれを実践するものとなった。言葉の力を信じ、一言一言に魂を込めた熱演。

「厄払い」は節分(立春の前日、2月3日頃)の噺。季節のネタで、「これは今しか出来ません。例えば初夏の噺『青菜』だと演者によっては秋の高座にかけることがありますが、このネタは難しい。なぜなら余り面白くないからです」と。でも吉弥さんの手に掛かると客席に笑いが絶えることはなく、大いに愉しめた。

「住吉駕籠」は今まで何回か聴いたことがあるが、全く退屈な噺だと想っていた。ところが吉弥さんで聴いて初めてこのネタの奥深さ、面白さを理解することが出来た。役者としても活躍する吉弥さんだからこそ演じ分けが巧みで、その鮮やかな手腕に感心しきりであった。

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2009年2月11日 (水)

二代目桂春蝶十七回忌追善落語会

今年桂春菜さんが父親の名跡・春蝶を襲名するということで、二代目を偲ぶ落語会が天満天神繁昌亭で開催された(夜席)。会場は補助席や立ち見も出る大盛況。

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  • 桂壱之輔/ぜんざい公社
  • 桂   春菜/悋気の独楽
  • 桂   一蝶/植木屋娘
  • 桂 ざこば/みかん屋
  • 座談会
  • 桂春團治/親子茶屋

壱之輔さんのネタは春蝶→(兄弟弟子の)春之輔→(その弟子の)壱之輔というルートで伝授されたそう。一度、春菜さんの演じる 「ぜんざい公社」を聴いたことがあるが、壱之輔さんが喋るリズムの方が心地よくて面白かった。リーマン・ショックとか時事問題を上手くはめ込んでいるところにも感心した。

春蝶の直弟子・一蝶さんは噺に登場する父親の描き方が上手く、その人柄の良さが光った。

ざこばさんはいつもの豪快な語り口で聴き応えたっぷり。今回の会で一番笑いを取っていたのではないだろうか?「みかん屋」はかつてざこばさんが春蝶に教えたネタで、その交換として「ぜんざい公社」の稽古をして貰ったとのこと。

春團治さんは名人芸の極み。しゅっとした佇まい、すとんと落とす羽織の脱ぎ方の鮮やかさ、日本舞踊の柔らかく滑らかな所作の美しさ。そして道楽者の若旦那を描くときの無垢な笑顔がなんと魅力的なことか!さすが大看板。文句のつけようが御座いませぬ。

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2009年2月10日 (火)

文太の会 in 虎武士亭 (2/8)

居酒屋「虎武士(こぶし)」西田辺店で小の月(二、四、六、九、士 月)に開催されている、桂文太さんの落語会に往った。

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  • 林家市楼/青空散髪
  • 桂 文太/高倉狐
  • 桂 三歩/私がパパよ!(三枝 作)
  • 桂 文太/らくだ

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「青空散髪」は市楼さんの祖父、(三代目)林家染語楼の創作。お世辞にも噺の出来が良いとは言えず、詰まらなかった。会場が受けなかったため市楼さんもへこまれていたようで、虎武士亭初登場となった三歩さんが後の飲み会の席で「市楼君の高座を横で聞いていて、この会は笑わせなくて良いのかと安心しました」と仰り、こちらは大爆笑となった。

三歩さんは、さすがベテランの味。文太さんは飄々とした語り口で聴衆を魅了した。正に名人芸である。なお、「らくだ」は登場人物ふたりが漬物樽を棺桶代わりにして、らくだを長屋から運び出す後半部分は省かれたバージョンであった。

落語の後は演者を囲んでの宴会となった。落語代1,300円+飲食代(飲み放題)1,800円で〆て3,100円。14時開演で18時にお開きとなった。大変愉しい午後のひと時であった。

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2009年2月 9日 (月)

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」とスコット・フィッツジェラルドのこと

評価:A

映画公式サイトはこちら

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ロスト・ジェネレーションを代表するアメリカの作家スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)が執筆した60ページ足らずの短編を基に映画化された、上映時間167分におよぶ大作。アカデミー賞では作品賞、監督賞など13部門にノミネートされている。

日本でスコット・フィッツジェラルドと言えば村上春樹さんだろう。以前にも引用したフィッツジェラルドの長編「グレート・ギャツビー」(村上春樹 訳)のあとがきから。

 もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』 と、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。どれも僕の人生(読書家としての人生、作家とし ての人生)にとっては不可欠な小説だが、どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレート・ギャツビー』を選ぶ。

村上さんはこの外にフィッツジェラルドの短編集を数冊翻訳されており、「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」なるエッセイ・論評の著書(中央文庫 刊)もある。しかしこの「ベンジャミン・バトン」については一切手をつけておられず、長らく日本では未訳のままだった(今年になってようやく他者の手で翻訳された)。

この映画でケイト・ブランシェット演じる女性の名は"デイジー"だが、これは「グレート・ギャツビー」のヒロインの名前である(調べてみると案の定、原作にデイジーは登場しない)。主人公が船で世界中を航海するエピソードもギャツビーを彷彿とさせる。また途中、ベンジャミンは"Winter Palace Hotel"に泊まるが、この名称はフィッツジェラルドの短編"Winter Dreams"(冬の夢)と"The Ice Palace"(氷の宮殿)から採られたのではないかと推測する。

さて、映画の冒頭でワーナー・ブラザースとパラマウントのロゴが無数のボタンで表現されており「あれっ?」と想った。その意味は映画を観ているうちに分かる仕掛けになっており、中々しゃれたことをするなと感心した。

主人公の人生と共に20世紀アメリカ現代史を俯瞰するような構成は、「フォレスト・ガンプ/一期一会」みたいだなと想いながら観ていたのだが、帰って調べてみるとどちらもシナリオを執筆したのがエリック・ロスだと判明した。

この映画最大の見所は驚異のメイクアップであろう。ブラッド・ピットの老人メイクが話題になっているが、僕がむしろ驚愕したのはブラピが若返った時である。20代くらいの姿はまるで「テルマ&ルイーズ」(1991)で初めて観た頃、あるいは「リバー・ランズ・スルー・イット」(1992)に主演し《若き日のロバート・レッドフォードそっくり》とセンセーションを巻き起こした頃のブラピが目の前に蘇ったような錯覚に囚われた。若作りしたケイト・ブランシェット(現在39歳)の美しさにも息を呑んだ。

映画中盤、ベンジャミンがブロードウェイのマジェスティック劇場にバレリーナとなったデイジーに会いに行くエピソードが登場するが、ここで彼女が踊っているのがロジャーズ&ハマースタインのミュージカル「回転木馬」。主人公の娘”ルイーズ”が踊るこのバレエの振り付けは、初演でアグネス・デ・ミルが担当した。彼女はアメリカン・バレエ・シアター(ABT)の創設メンバーであり、デイジーはこのバレエ団に所属しているという設定なので辻褄が合っている。僕は巨匠ケネス・マクミランが振り付けたロンドン&ブロードウェイ再演版で観た。「回転木馬」の中でも最も幻想的で美しい名場面である。東京では今年3月から笹本玲奈、浦井健治主演でこのミュージカルを上演予定だが、大阪には来てくれないのだろうか?(→「回転木馬」公式サイトへ)

なお「回転木馬」が初演されたのは1945年。現在このマジェスティック劇場では「オペラ座の怪人」が上演中であり、88年の初演からもう20年が経過した。

話が横道に逸れた。映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は人間が老いることの意味を考えさせ、僕らひとりひとりが持つ限られた《時》の愛おしさを実感させてくれる素晴らしい作品である。必見。

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2009年2月 6日 (金)

下野竜也/いずみシンフォニエッタ大阪《イギリス近現代音楽の魅力》

いずみシンフォニエッタ大阪の定期演奏会に往った。指揮者はこの室内オケ初登板となる下野竜也さん。

England

  • ホルスト/セント・ポール組曲
  • アデス/Living Toys
  • タネジ/On All Fours日本初演
  • 藤倉 大/secret forest世界初演
  • ブリテン/シンフォニエッタ

開演前に恒例となったロビー・コンサートもあった。

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今回は本編がイギリス音楽特集ということで、ビートルズのナンバーを弦楽四重奏で。その前にテレビ「シャーロック・ホームズの冒険」からオープニング曲《221Bベーカー街》(作曲:パトリック・ゴワーズ)も演奏された(→司会進行役もされた中島慎子さんのブログへ)。

続いて下野さんと委嘱作品を作曲された藤倉さん(1977年大阪生まれ、ロンドン在住)とのプレ・トークがホールであった。

下野さんは今年4月7日に読売日本交響楽団を指揮し、藤倉さんの別の新作を世界初演されるそうだ。そのスコアを下野さんに手渡すべく、ロンドンから大阪に向かう飛行機の中で作曲していたと藤倉さん。演奏会の詳細はこちら。嗚呼、東京はいいなぁ。大阪では芥川也寸志/エローラ交響曲とか黛敏郎/涅槃交響曲とかなかなか聴けない。こちらの聴衆はそれだけ成熟していないということなのだろう。

古典派や浪漫派の時代、すなわち18~19世紀の西洋音楽史においてイギリスは優れた作曲家を全く生み出せず、不毛の地であった。20世紀になってエルガーヴォーン・ウィリアムズ、ホルストらが登場しようやく世界の檜舞台に立つことが出来た。20世紀後半になってイギリスで古楽器演奏が急速に発展したのも、17世紀ヘンリー・パーセルの時代にまで溯らなければ誇るべき作曲家が自国に存在しなかったのが理由のひとつだと言われている(それは15-16世紀のフランドル楽派まで溯らなければならなかったベルギーやオランダの実情も同様である)。

一曲目のホルスト(1874-1934)は彼が教師を務めていた女学校の学生のために書かれた滋味溢れる弦楽合奏曲。この第4曲は「吹奏楽のための組曲第2番」終曲の編曲で、僕は原曲を演奏したことがある。弦楽に置き換わっても全く違和感なく真に美しい名曲。下野さんの指揮はしなやかに歌いながらテンポが引き締まり、一瞬たりとも緊張感が途切れない。実に見事な手綱捌きであった。

アデス(1971-)は退屈の極み。このイギリスの作曲家はサイモン・ラトルが2002年にベルリン・フィルの芸術監督に就任した際の披露コンサートで演奏された「アライサ」という曲も聴いたが、どうも好きになれない。

タネジ(1960-)はマイルス・デイビスに傾倒しているそうで、ミュート・トランペットをフィーチャーした《クール・ジャズ》との融合。サクソフォンも大活躍で、クラシックとジャズの垣根を越えたクロスオーヴァー(Crossover)が耳に心地よい。これは○

藤倉さんの曲は正に聴衆が森の中に誘われ、そこで耳をすまして聞こえてくる音の印象。ステージ上には指揮者と弦楽奏者のみ。管楽器奏者たちは1階客席全体に散らばる配置。下野さんは主に弦楽器に向かって指揮し、管楽器には出だしのきっかけとなる合図(キュー)のみ送る。弦の響きはまるで鳥の鳴き声。そして管は虫や動物、あるいは風に揺らぐ木の葉のさざめき。何という清々しさ!素晴らしい作曲家である。今後の活躍も期待したい。

ブリテン(1913-76)は作曲家18歳の作品。決して前衛的ではないが、それでも明らかに20世紀の新しい響きを持った傑作。いずみシンフォニエッタ大阪の名人芸を堪能した。

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2009年2月 5日 (木)

英国王給仕人に乾杯!

評価:B+

映画公式サイトはこちら。2006年製作のチェコ映画(スロバキアとの合作)。

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激動の20世紀を生きた、ある給仕人の視点から捉えたチェコ近代史を描く映画である。

貴族社会を経てヒトラーのズデーテン地方侵略、そしてソヴィエト連邦の支配に至る時代背景は暗いが、Positive thinkingな主人公なので悲壮感はなく、真にファンタスティックな寓話に昇華しているところが素晴らしい。ユニークな視点の勝利である。

登場する女性たちが美人揃いである。監督の趣味の良さだろう。そして次々と登場する料理、ビールの美味しそうなこと!

今から十数年前にプラハを訪れたことがある。余り知られていないがチェコはピルスナー発祥の地であり、ビール天国である。何と小瓶(330ml)が約80円。ミネラル・ウォーターよりも安かった。僕はチェコのブドバー(Budvar)こそ世界一旨いビールだと想っている。これがアメリカに渡りバドワイザー(Budweiser)に生まれ変わった。そんなことどもを、映画を観ながら懐かしく想い出した。

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考えてみればチェコの映画を観るのはアカデミー外国語映画賞を受賞した「コーリャ愛のプラハ」以来である。あの作品が日本で公開されたのが1997年とのことなので、実に12年ぶり。「英国王 給仕人に乾杯!」のクレジットを見ると本作はAvidで編集されているし、CGによるVFXも施されていて、チェコ映画も確実に進化しているのだなぁと感心した。アメリカの放送局HBOも出資しているようである。

エンド・クレジットでアカデミー外国語映画賞を受賞した「メフィスト」で有名なハンガリーの巨匠イシュトヴァン・サボー監督の名前を見つけて驚いた。こちらによると、大富豪役で出演しているようである。

脚本・監督のイジー・メンツェルは28歳の時に発表したデビュー作「厳重に監視された列車」('66)でアカデミー外国語映画賞を受賞したそうだ。それが梅田ガーデンシネマで2月14日から上映されるらしいので、また是非観に往きたいと想っている。

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2009年2月 4日 (水)

「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」と、演出家サム・メンデスの軌跡

評価:B+

映画公式サイトはこちら

本作の監督、サム・メンデスはそのキャリアを舞台演出家としてスタートさせた。イギリスに生まれた彼はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーを経てロンドンにあるドンマー・ウエアハウスの芸術監督を2002年まで務めた。そして1993年にこの劇場で演出したミュージカル「キャバレー」が彼の運命を切り開くことになる。

絶賛を博したこのプロダクションは1998年にブロードウェイに上陸。トニー賞でリバイバル作品賞を受賞した。またロンドン初演から"MC"を演じていたアラン・カミングもブロードウェイに乗り込み、同役で見事トニー賞主演男優賞を受賞することになる。僕はこのバージョンを二回あった来日公演とブロードウェイで観ているが、本当に素晴らしい舞台だった。

ブロードウェイ版として手直しされた際、メンデスと共同演出および振付を担当したのがロブ・マーシャル。マーシャルはディズニー製作のテレビ映画「アニー」(これは傑作!)を監督した時に、カミングを再起用。それらが評価され「シカゴ」(2002)でスクリーンに進出し、アカデミー作品賞を受賞した。現在はミュージカル映画「ナイン」を超豪華キャストで撮影中。

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一方、ブロードウェイで上演中の「キャバレー」を観たスティーブン・スピルバーグはメンデスの演出力を高く評価。ドリームワークスで製作するとこになった映画「アメリカン・ビューティー」(1999)の監督に彼を抜擢した。そしてメンデスは処女作で見事アカデミー作品賞、監督賞などを受賞する。

彼はミュージカルを好んでおり、ロンドンでソンドハイムの「カンパニー」や「アサシンズ」、ブロードウェイでは「ジプシー」等を演出している。またソンドハイムの「スウィーニー・トッド」映画化の版権をドリームワークスが持っていた時期はメンデスが監督、ラッセル・クロウ主演で準備が進められていた(ラッセル・クロウはオーストラリアでミュージカル「グリース」に出演していた過去があり、ロック・シンガーとしてバンド活動もしている)。しかし結局、その企画は実現することはなかった(その後ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演で映画化されたのは御存知の通り)。

私生活では2003年に女優のケイト・ウィンスレットと西インド諸島で結婚。同年ふたりの間には長男が誕生している。
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さて、「レボリューショナリー・ロード」である。これは当然、愛妻ケイトのために立てられた企画であろう。「タイタニック」(1997)以来となるケイトとレオナルド・ディカプリオの共演作としても話題になっている。そして観てみると、なんと「タイタニック」で"不沈のモリー・ブラウン"を演じたキャシー・ベイツも本作に出演していた。さながら同窓会状態だが、それぞれが全く性格の異なる役柄を演じているところがミソだろう。かつて座付き舞台演出家だったメンデスらしい発想である。

非常に演劇的密度の濃い作品で、メンデスはケイトとレオから今までで最高の演技を引き出すことに成功している。ケイトは「愛を読むひと」でアカデミー主演女優賞にノミネートされているが、今年こそはケイトの年になる予感がひしひしとした。機は熟したと言えるだろう。

本作でのレオの喋り口調は開口一番、映画「野郎どもと女たち」(Guys and Dolls,1956)のマーロン・ブランドのそれに似ているなと直感した。しばらく観ているとこの映画で描かれているのは1955年の出来事であり、レボリューショナリー・ロードとはニューヨーク郊外コネティカット州にある新興住宅地であることが分かってきた(レオはそこからマンハッタンに通勤するサラリーマン)。ミュージカル「野郎どもと女たち」の舞台もニューヨークである。つまり彼は'50年代のニューヨーカーたちの話し言葉を研究し、役作りをしたということなのだろう。

撮影監督はロジャー・ディーキンズ。昨年は「ノーカントリー」と「ジェシー・ジェイムズの暗殺」でアカデミー賞の撮影賞にダブル・ノミネートされた。今年は「愛を読むひと」でノミネートされている。黄色が強調された初期のイーストマン・カラー(1952年開発)を想わせる色調で、'50年代のハリウッド映画を意識して絵作りしているようだ。

予告編ではメロドラマを想像して映画館に足を運んだのだが、実際本編を観るとこれは《壊れていく夫婦の物語》であることが判明した。そして表面上はケイトとレオの物語と見せかけておいて、実は3組のカップルの危機を描いた作品であったことが、正にラストショットで分かる仕掛けが施されており、その巧みな語り口に唸らされた。破滅・再生・諦念とそれぞれが異なった結末を迎えることになる。けだし傑作。

以下余談。着実にミュージカル映画を撮り続けているロブ・マーシャルに対して、サム・メンデスは未だ一本も撮っていない。やる気はないのだろうか?と、調べてみると、現在スティーブン・ソンドハイムが作詞作曲したミュージカル「フォーリーズ」映画版の撮影準備(Pre-production)に入っていることが分かった。実現出来なかった「スウィーニー・トッド」への弔い合戦でもあるのだろう。大変悦ばしい事だ。僕としては是非「キャバレー」のリメイクも彼に撮って欲しいと願わずにはいられない。勿論、主演はアラン・カミングで。

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2009年2月 3日 (火)

笑福亭たま/ミッドナイトヘッド

土曜日の天満天神繁昌亭で開催された笑福亭たまさんのレイトショー。午後9時45分に開演し、仲入り(休憩)なしで終わったのが午後11時20分くらい。前回の感想はこちら

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  • 桂   三幸/エコロジー
  • 笑福亭たま/伝説の組長(その前に新作ショート落語あり)
  • 桂   かい枝/丑三つタクシー
  • 笑福亭たま/ベルゼバブの蠅

全員、自作の新作落語であった。

三幸さんは師匠である三枝さんの創作落語に比べ、まだまだ内容・構成に練(ねり)が足りないと想った。愛媛県出身だそうで、妙な関西弁のイントネーションも気になった。それから子どもと母親、お父さんの口調がみな同じで、演じ分けが出来ていない。単に顔の向きを変えただけでは落語にならないのではないだろうか?

かい枝さんは半年間のアメリカ縦断の旅を終えた凱旋公演(昨年10月)を聴いた時、芸風がアメリカナイズされオーヴァー・アクションになっており、違和感が付きまとった。しかし、あれから数ヶ月が経ち調子を取り戻されたようで、今回はとても面白かった。照明を暗くした怪談噺で、ちょっと季節外れではあるが完成度も高かった(かい枝さんのブログによるとこれが3回目の口演だったそうだ)。

たまさんの「伝説の組長」はもう完璧!一分の隙もない。《夢オチ》は「天狗裁き」「ねずみ穴」「夢金」など他の落語にも沢山あるが、たまさん独自の工夫は3連続技で決めるところ。その手法はとてもSF的だ。

「ベルゼバブの蝿」はネタおろしの時に聴いた。その時点では前半の5分くらいしか出来ていない状態だったが、それでも筒井康隆的発想が秀逸で大いに愉しんだ。その後たまさんは噺を完成させ東京で披露。それに立ち会った噺家仲間から、後半で「蝿」も「ベルゼバブ」も出てこないと問題点を指摘されさらに改良、当日になって思い付いた内容も加味され演じられたそうだ。

追加された箇所に岡山の"館"が登場するのだが、どうして岡山?というのが少々気になった。岡山で多くの人が連想するのは横溝正史の金田一耕助シリーズだろう。それなら日本家屋の筈だが、たまさんの噺に登場するのは洋館のようだった。僕は岡山出身だけれど、神戸と違って岡山に洋館はないんだけれどなぁ……。しかし"ムカデ男"には腹を抱えて笑った。

今後もさらに練り上げられて、より一層面白いものへどんどん変わっていくことだろう。たまさんが繁昌亭大賞の創作賞を受賞されるのも、そんな先のことではない気がする。

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2009年2月 2日 (月)

桂文我 上方落語選 《大阪編》

桂文我さんが主催する落語会を聴く。

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  • 笑福亭呂竹/江戸荒物
  • 桂     文我/魔風
  • 桂     三象/読書の時間(三枝 作)
  • 桂     文我/ねずみ穴
  • 落語ゼミナール
  • 桂     文我/宗論

会場となった太融寺本坊は文我さんの師匠である枝雀さんが、小米だった頃から落語会を開いていた縁の場所だそうだ。

文我さんによると、今から約240年前に活躍した上方落語中興の祖・桂 文治がこの寺の檀家だったらしい。正式には佳木山太融寺といって、「佳」の字の右半分「圭」と「木」をあわせて「桂」を名乗ったという説が有力だとか。(初代)文治は「蛸芝居」や「千早ふる」、「崇徳院」の作者として有名である。

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「ねずみ穴」は江戸の人情噺。枝雀さんは人情噺を一切されなかったが、文我さんはこういったものに積極的に取り組まれている。

プログラムの解説によると、「魔風」は「天狗風」「かひんさん」とも呼ばれ、近年上演された記憶がないそうだ。学究肌で、こういう珍品を聴かせてもらえるところも文我さんの会の面白さだろう。

また、「落語ゼミナール」では(初代)文治にまつわる文献・資料など大変貴重な品々を見せて頂いた。

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2009年2月 1日 (日)

ワールド・オブ・ライズ

評価:B

原題は"Body of Lies"、日本語に直訳すると「嘘の機関」といったところか。それがCIAを指すのか、ヨルダン情報局を指すのかは人によって見方が様々だろう。映画公式サイトはこちら

Bodyoflies

監督のリドリー・スコットは反骨精神に溢れた映像作家である。彼の代表作「ブレードランナー」は、レプリカント(人造人間)を追い処刑する任務を負ったデッカード(ハリソン・フォード)が、最後は自分もレプリカントなのではないか?という疑問に至る物語である。そこで世界の価値観は一気に反転する。「キングダム・オブ・ヘブン」(脚本:ウィリアム・モナハン)ではオーランド・ブルーム演じる主人公が十字軍に参加する。しかし十字軍と敵対し、エルサレムで一戦交えるイスラムの将軍・サラディンの方がむしろ英雄的に描かれている。

そして今回の作品は《ハイテクを駆使するアメリカの諜報機関は結局、ローテクのテロリストには決して敵わない》というのが主題である。正にリドリー・スコットの面目躍如といった所だろう。彼はイギリス出身なので、アメリカを醒めた目で見つめる姿勢が映画から感じられる。

無人偵察機プレデターから送られている画像を見ながら、遠隔地から中東にいる部下のディカプリオにあれこれ指示を出すCIAのボスを演じたラッセル・クロウが好演。彼はつまり、奢り高ぶり肥大化した文明の豚=アメリカの象徴として描かれている。クロウは監督からの期待に応え、ぶよぶよして弛んだ肉体に自己改造して撮影に臨んでいる。

現実の闘いに疲れた男(ディカプリオ)が、オアシスに潤いを求めるように女に惹かれていくというエピソードは、なんだか「ディパーテッド」(マーティン・スコセッシ監督)に似ているなと想いながら観ていたら、後でどちらも脚色をウィリアム・モナハンが担当していたことが判明した。監督が異なってもシナリオ・ライターの色というのは出るものだ。

以下、ネタバレあり。この映画の裏に描かれた、もうひとつの物語について触れる。未見の方、そして(本作のレイティングはPG-12なので)中学生未満の子も読んじゃ駄目だよ。

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Are You Ready?

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ヨルダンの局長ハニ・サラーム(マーク・ストロング)について、ホフマン(ラッセル・クロウ)はフェリス(レオナルド・ディカプリオ)にこう言う。

「君はハニのお気に入りだからな」

そしてハニは拘束した男を全裸にし尻を鞭で打って拷問、その様子をフェリスに見せる。つまりここまでの描写でハニがサディストであり、男色の可能性をも映画は示唆している。

物語の終盤フェリスはテロリストに捕らえられ、指をハンマーで潰すという拷問を受ける。今や処刑されようという瞬間、スーツ着てビシッと決めたハニが率いる特殊部隊が押し入り、フェリスを救出する。

病院で意識を取り戻したフェリスにハニは言う。

「一番最初に見舞いに来てくれる人が、一番心配してくれてる人だよ」

僕が映画を観終わってしばらくの間、どうしてハニはもっと早くフェリスを救出してやらなかったのだろうと疑問を感じた。テロリストの中にスパイを忍ばせていたのだから十分可能だった筈だし、そうすればフェリスは指を失わないで済んだのに。

そこで、はたと気がついた。サディストであるハニは、もしかしたら苦痛に歪むフェリスの表情を見て愉しみたかったのではないだろうか?だから拷問され殺される直前、それしかないという絶妙なタイミングで突入してきたのではないか。そう考えて初めてハニの言動の全てが辻褄が合う。……なんと悪魔的なシナリオだろう。僕はモナハンとスコットが仕組んだ企みに慄然とした。

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