枝三郎・九雀 二人会@繁昌亭
10月22日、入門が同期である桂 九雀・枝三郎の落語会を繁昌亭で聴く。入りは70人くらいだった。
- 雀五郎/手水廻し
- 枝三郎/君よモーツァルトを聴け(三枝 作)
- 九雀/軒付け
- 九雀/壷幽霊(北野義則 作)
- 枝三郎/親子茶屋
雀五郎さんは各センテンスの間が空き過ぎ、ダレた。
一方、九雀さんは次々と言葉が飛び出して来てリズム感があり、聴いていて心地いい。趣味でクラリネットもされるそうで、大阪のジャズクラブ・ロイヤルホースに出演したり、奈良県の市民吹奏楽団「セントシンディアンサンブル」と共演されたりしている。この会にもシンディの団員の方が聴きに来られていたようだ。
九雀さんは爆笑王と呼ばれた故・桂 枝雀のお弟子さん。枝雀一門は上方落語協会を脱退したので繁昌亭昼席の高座には上がれず、夜席も協会員から招かれない限り出演出来ないというお話をマクラでされた。ちなみに枝三郎さんの師匠は桂 三枝さん。
繁昌亭はこの9月に2周年を向かえた。それを記念して行われた朝日新聞の三枝さんに対するインタビュー記事の切抜きが通路に掲載されている。その一部を以下、引用する。
僕は繁昌亭を「革命の記念碑」だと思っています。まず、03年に上方落語協会の会長選挙を実現できたことが、今までの流れを変える大きな革命でした。私が選ばれたのですが、それまでしばらくは「次は誰それに」と互選で決まっていた。これでは皆が意見を言えなくて風通しが悪いし、運営への不満から退会する人もいた。それで選挙になった。そんな革命の集大成が繁昌亭なのです。
ここに書かれている脱会者こそ枝雀一門と、枝雀さんを「兄ちゃん」と慕っていた桂ざこばさんのことである。1994年のことだった。そして2003年に三枝さんが新会長に就任し、その翌年にざこばさんは上方落語協会に復帰している。しかし99年に枝雀さんは既に亡くなっており、その弟子たちは未だ復帰を果たしていない。
三枝さんは、上方落語協会誌「んなあほな」第12号に次のようにも書かれている。
今は亡き桂枝雀兄さんとはテレビの番組でよく一緒させて頂き、落語の話をいっぱいしていろいろ教えて頂きました。繁昌亭の舞台に出て頂けないのが残念でなりません。
師匠の意見が聞けなくなったお弟子さん達は、勝手に行動出来ないので、難しいとは思いますが、枝雀兄さんのお弟子さん達に、昼の高座を踏んで頂ける日を、あせらず、いつまでも待っております。
枝雀一門はこの三枝さんの呼びかけに対してどう答えるのか?僕は今、注目している。
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