「ミス・サイゴン」の想い出
東京・帝国劇場でウエストエンド(ロンドン)ミュージカル「ミス・サイゴン」を観劇。
僕は1992年に帝劇で「ミス・サイゴン」日本初演を観ている。この時ヒロイン・キムを演じたのは本田美奈子さん。エンジニアは市村正親さんだった(クリスは岸田智史さん)。本田さんはこの役で同年、ゴールデン・アロー賞演劇新人賞を受賞。市村さんは芸術祭賞および菊田一夫演劇大賞を受賞された。ふたりはもう、文句のつけようがないパフォーマンスであった。
2004年の再演で僕が選んだのはキム:新妻聖子、エンジニア:市村正親、クリス:井上芳雄というキャストだった。
2005年に本田美奈子さんは急性骨髄性白血病に罹患、闘病生活の後に肺の合併症で亡くなった。享年38歳だった。
僕も、かけがえのない親友を急性骨髄性白血病で失っている。彼が新婚旅行から帰ってきた直後の発病だった。弟さんからの造血幹細胞移植は成功したのだが、術後感染による敗血症で亡くなった。30歳という短い生涯だった。死の前日、人工呼吸器に繋がれ、黄疸で全身がこげ茶色になり、熱を帯びた彼の手を握りしめた日の事を僕は一生忘れることはないだろう。僕がその友と出合ったのは郷里・岡山の高校吹奏楽部だった。
さて、2002年、東京・普門館で開催された全日本吹奏楽コンクールの自由曲で大滝 実/埼玉栄高等学校吹奏楽部は「ミス・サイゴン」(編曲:宍倉 晃)を演奏し金賞を受賞、一大センセーションを巻き起こした。コンクール翌日から大滝先生の元へは楽譜に関する問合せが殺到したそうである。その後吹奏楽界で空前の「ミス・サイゴン」ブームが到来、その様子はテレビ番組「笑ってこらえて!吹奏楽の旅」でも取り上げられた。こうして埼玉栄の「ミス・サイゴン」は伝説となった。
僕が大阪に棲むようになったのが2005年春から。その年の6月、初めて生で聴いたプロの吹奏楽団、大阪市音楽団の定期演奏会でもこの宍倉版「ミス・サイゴン」が演奏された。これも大変な名演であり、ライヴCDが発売されているので興味のある方は是非ご一聴をお勧めする(スパーク「宇宙の音楽」も収録)。
作詞:アラン・ブーブリル、作曲:クロード=ミシェル・シェーンベルグのコンビはミュージカル「レ・ミゼラブル」でもお馴染み。僕は貧乏臭くて照明も暗く、左翼思想が濃厚な「レミゼ」よりも「ミス・サイゴン」の方が好きだ。
「ミス・サイゴン」(1991)の物語はプッチーニのオペラ「蝶々夫人」を下敷きにしている。これは映画化もされた「RENT」(1996)がプッチーニの「ラ・ボエーム」に基づいているのに似ている。「蝶々夫人」の長崎から舞台をサイゴンに移し、ヴェトナム戦争を絡めた「ミス・サイゴン」のプロットは非常によく練られており、完成度は極めて高い。台本も音楽も「蝶々夫人」より優れている。ちなみにクロード=ミシェル・シェーンベルグは十二音技法で有名な作曲家アーノルド・シェーンベルクの兄弟の孫らしい。
そして岩谷時子さんによる日本語訳詩の言葉の美しさも特筆に価する。岩谷さんは「恋のバカンス」「お嫁においで」など歌謡曲の作詞や、越路吹雪さんの唄う「愛の讃歌」「サン・トワ・マミー」「ラストダンスは私に」などの訳詩で有名である。ミュージカルでは劇団四季との「ジーザス・クライスト=スーパースター」や東宝の「レ・ミゼラブル」を手掛けられた。何れも卓越した仕事であり、歌詞がとても耳に馴染んで自然である。
ウエストエンドおよびブロードウェイでの初演キャストはキム:レア・サロンガ、エンジニア:ジョナサン・プライス(この演技でオリヴィエ賞&トニー賞ダブル受賞)だった。フィリピン出身のレアはこの後、ディズニー・アニメ「アラジン」でジャスミン姫の歌を担当、また2000年「ミス・サイゴン」のフィリピン公演では故郷に錦を飾った。ジョナサン・プライスは映画俳優としても有名で「未来世紀ブラジル」「エビータ」「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」「五線譜のラブレター」「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズなどに出演している。
僕はオリジナル・キャスト盤CDを我が家で繰り返し聴いた。また、レアとジョナサンのパフォーマンスは「Hey, Mr. Producer ! :The Musical World of Cameron Mackintosh」という香港製か台湾製のDVDで観た(Amazon.co.jpで購入)。ちなみにキャメロン・マッキントッシュとは「キャッツ」「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などロンドン産大作ミュージカルを製作したプロデューサーである。
ジョナサンの演技の特徴は長い指にある。その自在な動きはとても美しい。市村エンジニアの指演技も見事であった。
今回選んだキャストは、キム:笹本玲奈(23)
エンジニア:橋本さとし
市村正親さんのエンジニアは老練で、愛嬌があって、ちょっと人生の哀愁を漂わせるような演技であったのに対して、橋本さとしさんは若くエネルギッシュで、生きることにギラギラと貪欲な《ポン引き》だった。各々が方向性が違っていて面白い。
笹本玲奈ちゃんのキムは、パワフルな歌唱力に圧倒された。またその迫真の演技も凄い。特にアメリカ兵クリスとの間に出来た息子を、13歳の時に親が決めた婚約者トゥイから守ろうとする場面は、彼女の強い目の力に痺れた。僕は確信した、「笹本玲奈はレア・サロンガを超えた!」と。彼女は現在、日本で間違いなく実力No.1のミュージカル女優である。
それから《踊るコンダクター》こと、マエストロ塩田/東宝オーケストラの生き生きした演奏も素晴らしかった。前日「ウィキッド」で聴いた、音がペラペラな四季オーケストラとは雲泥の差。プロとアマくらいの違いがあった。
関連サイト紹介:
指揮者/塩田明弘の世界
最前列で観劇したので東宝ミュージカル恒例、カーテンコールの出演者による花投げを見事GET !!
至福の3時間だった。
ミス・サイゴンはその大掛かりな装置のため、日本では今まで帝劇でしか上演されたことがない。準備期間として改修工事に1ヶ月も要するそうである。
特に劇中、実物大ヘリコプターが舞い降りてくる場面はこのスペクタクル・ミュージカル最大の見せ場。2004年再演の観劇時、このヘリコプターが故障して上手く作動せず終演後謝罪のアナウンスが流れたこともあった。
しかし遂に2009年博多座に上陸するらしい。福岡の人が羨ましい。大阪の梅田芸術劇場ではやはり舞台機構上、上演は無理なのかなぁ……。
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コメント
暇つぶしにサーフィンしてる時に偶然辿り着きました。
吹奏楽にミュージカルに映画に、フットワークの軽い、情報も厚いブログですね。
ミス・サイゴンはブロードウェイの初演で観ました。ボロボロきました。
一番のお気に入りは、ロサンゼルス公演のキャスト達です。
日本のミス・サイゴンも面白そうですね。あまり日本語でのミュージカルは見ないのですが、ちょっと興味が湧きました。
追伸
精華女子校のフェスバリ、アドレナリン出まくりでしたね。またミュージカル観劇記など楽しみにしています。
投稿: セレブ | 2008年10月21日 (火) 15時42分
セレブさん、コメントありがとうございます。
ブロードウェイやウエストエンド発のミュージカルの中でも、特に「ミス・サイゴン」は東南アジアが舞台だけに、西洋人よりも日本人キャストの方が似合っている気がします。ここ20年間を考えても、日本ミュージカル界の実力は飛躍的に向上していますから、是非一度ご賞味下さい。
それから普門館での精華の演奏、興奮しましたね!詳しいことは後日記事に書きます。
投稿: 雅哉 | 2008年10月22日 (水) 00時17分