« チャン・イーモウと北京オリンピック | トップページ | 玉造・猫間川寄席 »

吹奏楽部の名物先生 《九州篇》

今年10月に東京・普門館で開催される全日本吹奏楽コンクールは既に北陸・中四国・九州の代表校が決まっている。その中に原田学園 鹿児島情報高等学校(初出場)の名前を見つけ、僕は「遂に来たッ!」と内心で叫んだ。ここの吹奏楽部顧問を現在されているのが、屋比久 勲(やびく いさお)先生だからである。

屋比久先生は沖縄県で中学校教諭をされていた時代、赴任した真和志・石田・小禄・首里の各中学校をそれぞれ全国大会出場に導いた。1972年那覇市立真和志中学校が沖縄県として初めて全国大会金賞を受賞した時は市中の凱旋パレードと祝賀会が盛大に行われたそうである。

その実績が高く評価された屋比久先生は1990年に福岡工業大学附属城東高等学校へ迎えられた。昨年3月に城東を退官され、鹿児島情報高に移られた時点での全国大会出場回数は総計25回、うち金賞受賞は12回(中学校5回、城東高で7回)に上る。

屋比久先生が最も得意とするのが兼田 敏/シンフォニックバンドのためのパッサカリア。2004年に淀工の丸ちゃん(丸谷明夫 先生)に招かれ、なにわ《オーケストラル》ウインズで客演指揮されたときもこれを選曲され、鹿児島情報高でも昨年、コンクール自由曲として振られている。

それにしても先生が鹿児島に行かれてたった1年半で普門館に駒を進めるバンドに育てられたのだから、正に驚異的指導力である。

さて、2007年のなにわ《オーケストラル》ウインズで客演指揮されたのは鹿児島県立松陽高等学校吹奏楽部の立石純也 先生だった。立石先生は松陽を2000年に初めて全国大会出場に導き、2004年には金賞をもたらした。これは50年以上続く全日本吹奏楽コンクール史上、鹿児島県代表では初の金賞であった。04-06と3年連続で松陽は全国大会に出場したので、大会規定により07年はお休みだった。

しかし、今年の九州地区代表にも松陽の名前はなかった。これが意味するところはひとつしか考えられない。そこで調べてみると、案の定であった。立石先生は今年、奄美大島の大島高等学校に転勤されていることが判明したのである(→定期演奏会情報へ)。奄美大島から普門館へ、駒を進めてくるのは今から何年後のことだろう?また愉しみにして待ちたいと想う。

|
|

« チャン・イーモウと北京オリンピック | トップページ | 玉造・猫間川寄席 »

吹奏楽」カテゴリの記事

コメント

どうも!はじめましてルキです。
今、中3で淀工を目指しているものです。
雅也様のブログは「淀工」でヒットし
毎日楽しみに見ています!!

関西大会の記事を楽しみに待っています!!
頑張ってくださいね!!

投稿: ルキ | 2008年8月28日 (木) 22時36分

ルキさん、こんばんは。励ましのお言葉ありがとうございます。

ちゃんと関西吹奏楽コンクール、前半および後半の全出場校しっかり聴いてきました。感想はきちんと書きますが、数日かかるかも知れません。

当然の結果ですが、淀工は今年も関西代表に選ばれましたよ!ルキさんも勉強の方、しっかり頑張って下さい。

投稿: 雅哉 | 2008年8月28日 (木) 23時14分

屋比久先生のお名前は「いさむ」ではなく「いさお」ですよ〜。

投稿: リリ | 2008年8月29日 (金) 19時47分

リリさん、ご指摘ありがとうございます。屋比久先生のお名前を、当初「いさむ」としていたのは《平成19年度 第19回東北吹奏楽指導者講習会》開催要項の講師紹介欄に(やびく いさむ)と記載されていたからです。

しかし、改めて「なにわ《オーケストラル》ウインズ2004」CDのリーフレットを確認してみるとIsao Yabikuと書かれておりましたので、訂正致しました。

投稿: 雅哉 | 2008年8月29日 (金) 22時57分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/212850/42288098

この記事へのトラックバック一覧です: 吹奏楽部の名物先生 《九州篇》:

« チャン・イーモウと北京オリンピック | トップページ | 玉造・猫間川寄席 »