チャン・イーモウと北京オリンピック
今年の北京オリンピック開会式および閉会式は驚異の人海戦術と、絢爛たる衣装、そして赤を主体とした強烈な色彩感覚で観客を魅了し、言葉を失うほど圧倒的なパフォーマンスであった。その総合演出を担当したのが映画監督のチャン・イーモウ(張 芸謀)である。
元々はカメラマン出身で、例えばチェン・カイコー監督の「黄色い大地」('84)では撮影監督だった。彼の初監督作品「紅いコーリャン」('87、ベルリン国際映画祭金熊賞、キネマ旬報ベストテン第3位)はコン・リー(鞏 俐)のデビュー作でもあるのだが、これも赤が鮮烈な印象を残した。
僕が偏愛する映画「初恋のきた道」('99、ベルリン国際映画祭銀熊賞、キネマ旬報ベストテン第4位)はチャン・ツィイー(章子怡)のデビュー作。やはりヒロインが着る衣装は赤主体である。この究極のアイドル映画を観た直後、僕が興奮しながら書いたレビューはこちら。いま読み返すと我ながら気恥ずかしいが、これも青春の1ページだろう。
そして張 監督の色彩感覚がエンターテイメントとして昇華し、万華鏡のように花開くのが「HERO 英雄」(2002)と「LOVERS 十面埋伏」(2004)である。ただこの2作は映像としては確かに美しいのだが脚本が脆弱なので、僕は映画としては評価していない。
今回の北京五輪を観ながら想ったのは、まるで「HERO」や「LOVERS」の世界をライヴでやったような豪華さだなということだった。そしてそれはDVDで観た、チャン・イーモウ演出によるプッチーニ/歌劇「トゥーランドット」を彷彿とさせた。これは'98年に北京の紫禁城で上演された空前のスケールのプロジェクトで、兵士役のエキストラは本物の人民解放軍兵士たちが出演している。「トゥーランドット」上演史を振り返ってもメトロポリタン歌劇場におけるフランコ・ゼフィレッリのプロダクションに匹敵する名演出であった(余談だが2001年に劇団四季の浅利慶太氏はミラノ・スカラ座の「トゥーランドット」を演出しているが、こちらは貧相で救いようのない代物)。
国家とオリンピック、そして映像作家の関係を考える時、避けては通れないのがレニ・リーフェンシュタール(1902-2003)のことである。彼女は1936年に開催されたベルリン・オリンピック(当時のドイツ首相はアドルフ・ヒトラー)の記録映画「オリンピア」(第1部「民族の祭典」第2部「美の祭典」)を監督し、世界から絶賛された。これはヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した他、日本ではキネマ旬報ベストテン第1位に輝いている。しかし第二次世界大戦後、この映画やナチス党大会を記録したプロパガンダ映画「意思の勝利」('35)を製作したことから彼女はナチスの協力者と見なされ、逮捕投獄された(4年後、無罪が確定し釈放)。そして後半生の彼女の仕事は世間から完全に黙殺された。このあたりの事情は彼女自身を追ったドキュメンタリー映画「レニ」('93、レイ・ミュラー監督)に詳しい。
「シンドラーのリスト」でアカデミー賞を受賞したユダヤ人のスティーブン・スピルバーグは北京五輪の芸術顧問に就任していた。しかし、ハリウッド女優でユニセフ親善大使のミア・ファローが2007年に米ウォール・ストリート・ジャーナル紙でスーダンのダルフール問題に関し「ジェノサイドのオリンピック」と題する文章を発表。スーダンへの中国政府の支援を非難し、「スピルバーグ監督は果たして、北京五輪のレニ・リーフェンシュタールになりたいのか」と書いた。そしてスピルバーグは今年2月、芸術顧問を辞任した。
さて、チャン・イーモウは北京五輪を仕切ったことによって、後に《中国のレニ》と呼ばれる日が来るのだろうか?現時点で僕には分からない。しかし政治的問題は抜きにして、芸術家はその作品においてのみ、評価されてしかるべきだろう。未だかつて誰も体験したことのない《史上最大のショウ》を見せてくれた彼に、心から感謝したい。正にThat's entertainment ! であった。
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