« イースタン・プロミス | トップページ | 再び大阪城音楽堂「たそがれコンサート 2008」へ! »

2008年7月11日 (金)

大植英次/大フィル 朝比奈隆生誕100年記念演奏会

朝比奈隆100回目の誕生日である7月9日に、大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会を聴いた。

20080709194014

朝日放送(ABC)によるテレビ収録も行われていた。

20080709184250_edited

ロビーには朝比奈が最後に大フィルでブルックナー/交響曲第9番を振った時のスコアと指揮棒が展示されていた。

20080709185500_edited

ページ左には朝比奈が生涯に第9番を指揮した全28公演の詳細ーオーケストラ、ホール、及びその日付が記録されていた。晩年の1996年にシカゴ交響楽団を振った4回、2000年にNHK交響楽団を指揮した2回、そして2001年9月に大フィルの指揮台に立った1回は手書きである。

20080709194655_edited

ザ・シンフォニーホールの玄関口で、高校生の集団に出くわした。大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部(淀工)の生徒たちだった。彼らは1階席最前列2列で静かに聴いていた。その光景は昨年の「青少年のためのコンサート」を想い出させた。

プログラム最初はモーツァルト/ピアノ協奏曲第23番、独奏は伊藤 恵さん。

伊藤さんは繊細なタッチで、一音一音が宝石の煌めきのように輝いており魅了された。

大植/大フィルの交響曲第36番「リンツ」を聴いた記事で僕は《しなやかに歌うレガート・モーツァルト!》と感想を書いたが、今回の伴奏も同様の印象を抱いた。「リンツ」よりも速めのテンポで、好演だったと言えるだろう。

伊藤さんのアンコール、モーツァルト/ピアノ・ソナタ第15番ハ長調より第1楽章も文句なし。

さて、休憩を挟んで後半はいよいよブルックナー/交響曲第9番である。モーツァルトもブルックナーも第1および第2ヴァイオリンが指揮者の両翼で向かい合う対向配置、ブルックナーではコントラバスがオケ後方で横1列にずらりと並んだ。つまり、大植さんがベートーヴェンを指揮する時と同様の趣向である。

オーケストラは大変な熱演で、弦楽パートの紡ぎ出す深い音色、ド迫力で鳴らす管楽器ともに聴き応えがあった。ただし、終楽章コーダのホルン(およびワーグナーチューバ)のロングトーンが難所であることは分かるのだが、ピッチが全く合っておらず音がうねっていた。帰宅して朝比奈が2000年5月にNHK交響楽団を指揮した時の演奏を改めて聴いてみたのだが、N響はこの最後のピッチをしっかり合わせていた。この点はまだまだ大フィルにとって今後の課題であろう。

そして一番の問題は大植さんの解釈である。僕は大植さんの人間性が好きだし、特にマーラーやチャイコフスキーに関しては現役では世界でトップクラスの素晴らしい指揮者だと確信している。また、先日定期で聴いたエルガー/エニグマ変奏曲も掛け値なしの名演であった。しかし、前から指摘してきたことだが彼の音楽的資質はベートーヴェンとブルックナーにはどうもそぐわないように想われる。今回も曲の初っ端から違和感が付き纏った。

大植さんの解釈はフレーズごとに句読点がはっきりしていて極めて歯切れがいい。外科医のメス捌きのように腑分けされ、曲のパースペクティブ(見通し)が良好だ。しかし、明快な演奏がブルックナーに相応しいかといえばそれはまた、別の話であろう。ブルックナーの交響曲は、弦のトレモロによる原始霧の中から朧気に主題が立ち上がってくるような神秘性が必要だと僕は想うのだ。

ブルックナーの特長であるゼネラル・パウゼ(全休止)も音楽の行間に醸し出されるケミストリー(化学反応)が不可欠だろう。しかし大植さんのそれは単なる無音でしかない。第1楽章は各所で曲がぶち切れ状態で、歪な音楽に終始した。

しかし第2楽章のスケルツォ以降はなかなか良かった。複合三部形式のAパートは破壊的曲想が際立っており、爆撃戦闘機がズンズン突撃していくようだ。一転してトリオ=Bパートはすばしっこく軽妙で、あたかも子ネズミがちょこまか動き回っている光景が連想された。

第3楽章アダージョはブルックナーの、今生への告別の歌と言えるだろう。そういう意味でマーラー/交響曲第9番の第4楽章アダージョに通じるものがある。だから本来、マーラーを得意とする大植さんにこの楽章は似合っている気がした。

大植さんは今回も暗譜で指揮された。譜面台の上には朝比奈の遺影が置かれ、演奏が終わるとそれをコンサートマスターの長原幸太さんに手渡した。そして自らの胸元からも朝比奈の写真を取り出し、涙を目に浮かべながら聴衆にかざした。

大植さんは、初めて大フィル定期でブルックナーの交響曲(第8番)を取り上げた2004年7月8-9日にも似たようなことをされたらしいのだが、こういう熱くて感傷的なパフォーマンスはマーラーの音楽なら相応しいが、ブルックナーでは如何なものだろう?

アントン・ブルックナーは聖フローリアン教会のオルガニストとして生涯神に奉仕し、死後はその地下墓所に埋葬されている。だから彼の交響曲はある意味神に対する《音楽の捧げもの》と言うべきでものであり、余りそこに人間的感情が介在する余地はないと想われるのだ。

……しかしまぁ、今回は偉人を偲ぶ特別な演奏会だから、しょうがないか……。

関連ブログ記事:
・ 不惑ワクワク日記…同じ演奏会に往かれた方の感想。これだけ聴き手により受け取り方が異なるのも、音楽という芸術の面白さだろう。

|
|

« イースタン・プロミス | トップページ | 再び大阪城音楽堂「たそがれコンサート 2008」へ! »

クラシックの悦楽」カテゴリの記事

コメント

トラックバックありがとうございました。

ちょっと私、感傷に過ぎたかもしれませんね(笑)。まあ、昨今の事情ゆえ、ご容赦の程を。

この演奏を聴いて、大植さんは、7/8/9以外のブルックナーは振らない、と確信しましたね。ベートーヴェン全曲演奏はあっても、ブルックナー全曲演奏は無い。それは、多分バーンスタインが生涯にブルックナーは9番しか録音しなかったのと同じ理由だろう、と思います。具体的に何か、といわれると言葉に窮してしまいますが。

とすれば、3番や4番や6番、下野殿下が振ってくれるのを待つしかないのかもしれませんね。

投稿: ぐすたふ | 2008年7月12日 (土) 02時23分

ぐすたふさん、コメントありがとうございます。

今年三月に高関 健さんが大フィルを指揮されたブルックナー/交響曲第5番は名演でしたね。実はこれのレビューを書いていないのですが、僕の隣に坐ったおじさんが演奏の間中、曲に併せて唸り声(ハミング?)をあげるものだから全く集中して聴けなかったんです。楽章間で注意すれば良かったのですが、何しろ腹話術みたいな声ですから、その人が吟じているという確信がもてなくて……。まあそれだけ、ザ・シンフォニーホールに集う聴衆にもブルックナーに対する特別な思い入れがあるということなのでしょう。

話が横道に逸れましたが、今後大フィルがブルックナーをするときは、高関さんや下野さんにお任せすればいいと僕も想います。大植さんにはもっと他に振って欲しい曲が沢山あるのですから。僕の希望としては可能性の低いマニアックなことろで、コルンゴルト/交響曲嬰へ調、ハンソン/交響曲第2番《ロマンティック》、ツェムリンスキー/《叙情交響曲》&交響詩《人魚姫》あたりを挙げておきましょう。

投稿: 雅哉 | 2008年7月12日 (土) 12時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/212850/41789443

この記事へのトラックバック一覧です: 大植英次/大フィル 朝比奈隆生誕100年記念演奏会:

« イースタン・プロミス | トップページ | 再び大阪城音楽堂「たそがれコンサート 2008」へ! »