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2008年6月10日 (火)

大植英次/大フィルの「リンツ」、「巨人」

6月7日、岡山の祖母が亡くなったと電話で連絡を受けた。99歳だった。取り急ぎ帰省する準備を整え、大阪を発つ前に大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター:長原幸太)のコンサートをフェスティバルホールで聴いた。

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まず演奏されたのはモーツァルト/交響曲第36番「リンツ」

モダン・オーケストラでモーツァルトを演奏することには様々な問題点がある。そのひとつがピッチである。現在日本のオーケストラ(スチール弦)の基準音はA(ラ)音=442Hzが一般的である(ウィーン・フィルやベルリン・フィルは445~446Hz)。しかし、モーツァルトの時代(ガット弦)には422Hzが基準音であった。このピッチで演奏しないと、作曲家が意図した本来の曲想が損なわれるのではないかという意見も少なくない。指揮者、作曲家の故・山本直純は嘗て、次のように警鐘を鳴らしていた。

私のように今を去る40年以上前、父親がドイツから持って帰ってきたピアノ(ベヒシュタイン)によって絶対音感が身に付いた人間には、当時それでも高かった、439~440ヘルツ程度のピッチが精一杯で、現在の如きインフレピッチ445などには、とても追いついてゆけないのである。モーツァルトやベートーヴェンの頃はもっとずうっと低かったのだから、今もし彼らが生きていれば、優に半音の違いが出てくるだろう。この問題は、オーケストラにおける将来大きな問題となろう。

  「音楽芸術」、1979

昨年、大植さんのベートーヴェン・チクルスには大いに失望させられたので、彼の古典派解釈には全く期待していなかった。「リンツ」第1楽章、序奏が終わり主部に入ってもテンポが上がらない。嘆息とともに「やっぱり……」というのが第一印象であった。

ところが様子が変わってきたのは第2楽章あたりからである。しなやかに歌うレガート・モーツァルト!大植さんの意図が次第に理解出来るようになってきた。第3楽章では部分的に弦楽群に各パート1人ずつ(つまり弦楽四重奏のように)演奏させる場面もあり、新鮮な驚きがあった。

この演奏を聴きながらふと、僕が小学生の頃の記憶が蘇ってきた。亡くなった祖母が誕生日にモーツァルト/後期交響曲集(第35-41番)のLPレコード3枚組を買ってくれたのである。ベーム/ベルリン・フィルの演奏であった。そのレコードが収納されは箱は僕の大切な宝物となり、繰り返し飽きることなく聴いた。ホグウッド、ガーディナー、ブリュッヘン、アーノンクールなど古楽器やピリオド奏法によるモーツァルトが登場するまだ前の時代。あの当時、世間ではベームの解釈が最高のものであると認知されていた。そんなことどもを懐かしく想い出した。

大植/大フィルのスタイルは古色蒼然としたものであったが、「たまにはこういうモーツァルトも悪くないか」という気がした。

モーツァルトは第1、第2ヴァイオリンが向かい合う対向配置であったが、次のマーラー/交響曲第1番「巨人」では第1ヴァイオリンとヴィオラが向かい合う通常配置に変更され、モーツァルトは指揮棒なしだった大植さんはマーラーではタクトを振るった。今までの手法を見ていると、これらの切り替えは古典派/浪漫派の境目でされているようだ。ただ今回吃驚したのは、ベートーヴェン・チクルスやベルリオーズ/幻想交響曲で全ての繰り返しを実行されてきた大植さんが、「巨人」第1楽章提示部の反復指定を省略されたことである。

「巨人」は文句なしに素晴らしい演奏だった。恐らくこのコンビによるマーラーは現在、世界でもトップ・クラスの充実ぶりと言っても過言ではないだろう。テレビ「情熱大陸」に出演したこともある大植さんは文字通り熱い人である。その迸るエモーションをぶつけられる音楽にめぐりあった時、最大限の効果を発揮する。だから、常に自分自身のことを音楽で語りたがったマーラーは大植さんに最適である。逆に、神に奉仕するために作曲したブルックナーのように、崇高で人間味(感情表現)の乏しい音楽は向かない。

「巨人」第1楽章はモーツァルトからの気分がそのまま延長されたような、のびやかに青春を謳歌する雰囲気が見事に醸し出されていた。そして楽章を追うごとに苦悩や歓びをないまぜにしながら次第にを帯びて来て、第4楽章で遂にその感情を爆発させる。疾風怒濤の音楽。そして葛藤から勝利の行進へ、大植さんは推進力を持ってぐいぐいと突き進む。コーダに突入しても比較的ゆったりとしたテンポで行くので、僕の脳裏には今年2月のこのコンビによる定期、ベルリオーズ/幻想交響曲フィナーレの、あの凄まじいアッチェレランドが想い出された。もしかして、またやるのか!?固唾を呑んで見守る。そして……きた、きた、来た~っ!!最後は今まで聴いたこともないような激しい加速でぶっ飛んだ。いやはや天晴れ、恐れ入りました。千両役者・大植英次の本領発揮である。フェスティバルホールに集った聴衆が熱狂し、歓声を上げたことは言うまでもない。

これで終了かと思いきや、大植さんがアンコールで「花の章」を演奏しますと喋られた。これは本来、マーラーが「巨人」の第2楽章として構想し、後に削除された曲。この楽譜は失われたものと考えられていたのだが、第二次世界大戦後に発見され1968年に出版された。翌69年にはオーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団により初レコーディングされている。我が家にはラトル/バーミンガム市交響楽団によるCDがあるが、実演を聴くのは今回が初めてだった。トランペット・ソロが印象的な夢見るように美しい曲で、魅了された。第1楽章で繰り返しを行わなかったのも、後で「花の章」を演奏するためではなかったかと想われた。

2年前、フェスティバルホールでこのコンビによるマーラー/交響曲第5番を聴いた時はトランペットがミスを連発して呆れたものだったが、今回はよく健闘したと想う。この調子で頑張れ、大フィル!

関連ブログ記事:
不惑ワクワク日記(大植さんが話した、具体的内容が分かる)

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コメント

雅哉さん、ご無沙汰しております
感動的な演奏会でした。
大植監督の『ための美学』というか・・来るか、来るか・・・炸裂するギリギリまでエネルギーを貯めポテンシャルを高めていく、そういう期待感を観客に与える技術は年々凄くなってるように思えます。
翌日、佐渡裕/PACで同曲の演奏を聴きましたが、雅哉さんは行かれたのでしょうか?
こちらは真逆で荒らしく若々しい演奏で、マーラーの若い作品だけあって、それは素晴らしい演奏でしたが・・個々の技術差が大きいのかな・・・などと感じました。
やはり私的には大フィルに安堵感を感じました。

投稿: jupiter512 | 2008年6月18日 (水) 13時35分

jupiter512さん、コメントありがとうございます。

佐渡さんの「巨人」も聴きたかったんですよ。昨年PACで聴いたマーラー/交響曲第6番の演奏が圧巻でしたし。でも今回は余りにも大植さんの「巨人」と日程が接近しすぎていて見送りました。ちょっと残念です。

佐渡さんがこれからされる、バーンスタイン/交響曲シリーズはどれか往きたいと想っています。そうそう、間もなく佐渡さんプロデュースのオペレッタ「メリー・ウィドウ」も観ます。この感想はちゃんとブログに書きますね。

投稿: 雅哉 | 2008年6月18日 (水) 14時47分

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