凍てついた明日
宝塚バウホールで「凍てついた明日-ボニー&クライドとの邂逅-」(作・演出/荻田浩一)を観た。
ハードボイルド映画の名優と言えばハンフリー・ボガート、通称ボギー(「マルタの鷹」「カサブランカ」「必死の逃亡者」)。そして、小池修一郎さんと並び宝塚歌劇を代表する名演出家・萩田浩一さんはヅカ・ファンの間ではオギーと呼ばれている。
オギーはハイセンスなショー演出家としても抜きん出た才能を示す。その代表作が「パッサージュ」。そしてドラマの代表作がこの「凍てついた明日」だろう。初演は98年。香寿たつき(クライド)、月影瞳(ボニー)のコンビが演じた。
僕はフランス、ヌーベルバーグ(新しい波)の映画は好きだけれど、「俺たちに明日はない(原題:Bonnie and Clyde)」('67)から始まるアメリカン・ニューシネマは好みじゃない。特に「イージー・ライダー」('69)とか「真夜中のカーボーイ」('69)みたいな汚らしい映画は大嫌い!《アメリカン・ニューシネマとは、その予算も志も貧相な映画である》というのが僕の定義だ。その中で名作だと想うのは、つい先日亡くなったシドニー・ポラック監督が大恐慌時代のダンス・マラソンを描いた「ひとりぼっちの青春(原題:"They Shoot Horses, Don't They?"ー彼らは廃馬を撃つー)」 ('70)くらいかな。
で「俺たちに明日はない」で描かれ、実在した銀行強盗のコンビ、ボニーとクライドを題材にしたのが宝塚版「凍てついた明日」である。
宝塚歌劇というのは基本的に愛と夢を描く、華やかな世界である。ある意味少女漫画的と言い換えてもいい。そんな中でボニー&クライドのようなピカレスク・ロマンに挑戦するというのは、極めてリスクの高い賭けである。そしてオギーの台本は見事にそのハードルをクリアしている。大恐慌時代の閉塞感を巧みに描き、主人公ふたりの行き場のない焦燥感から物語終盤の諦念、そして自分たちを待ち受ける運命の受容に至る過程を、説得力を持って描き切った。最後は感動的ですらある。映画「俺たちに明日はない」よりこちらの方が断然面白い。
ディキシーランド・ジャズやカントリー・ミュージックの要素をふんだんに盛り込んだ音楽(作・編曲/高橋 城)も素晴らしい。さらに衣装・装置は初演とは別のスタッフを起用し一新。こちらも文句なし!
今回10年ぶりの再演でクライドを演じた凰稀かなめさんは背が高くて、兎に角その立ち姿が美しい。動作ひとつひとつが絵になって格好よく、痺れた。凰稀さんは雪組「エリザベート」(再演)の皇太子ルドルフ役で一世を風靡したわけだが、新たなるカリスマ・スターの誕生に快哉を叫びたい。
ただ、ボニー役の大月さゆさんには若干の不満が残る。映画でこの役を演じたのはフェイ・ダナウェイ。やはりボニーには厭世的というか、生きることに倦んだ無表情が相応しい。そういう意味では"クール・ビューティ"と呼ばれた、初演の月影瞳さんは、正にはまり役であった。
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コメント
久しぶりにコメントさせていただきます。
アメリカン・ニューシネマがキライとは
井筒和幸監督(監督はニューシネマが好き)
が聞いたら滅茶苦茶起こりそうな事を(笑)
まぁそれはさておき、ニューシネマの誕生は
おそらく当時の時代背景だったり、当時のハリウッド映画の内容が保守的で健康的過ぎたうえに現実の世界とあまりにもかけ離れすぎて観客に飽きられていたっていうのもあるんですよね。
そうなるとサム・ペキンパー監督の
「ワイルド・バンチ」もダメか・・・
雅哉さんの好きな「ダーティ・ハリー」や「タクシー・ドライバー」なんかもニューシネマに分類されるんですが、あれはOK?
投稿: S | 2008年6月20日 (金) 23時39分
Sさん、コメントありがとうございます。
「ダーティハリー」や「タクシー・ドライバー」は好きですよ。成る程、Wikipediaを見るとこれらはアメリカン・ニューシネマに分類されていますが、僕はそういう認識は余りなかったです。多分これは、各人の考え方(定義)の違いだろうと想います。僕のイメージするニューシネマとは低予算(インディペンデント)の反体制映画というもので、「ダーティハリー」は大スター:クリント・イーストウッド主演、ワーナー・ブラザース製作のメジャー系映画で、主人公も体制派の刑事ですし、スコセッシ監督(「タクシー・ドライバー」)はむしろニューヨーク派と言うべきで、ウディ・アレンやシドニー・ルメットと同系列という印象です。
そもそもアメリカン・ニューシネマはヒッピー同様に、反ベトナム戦争という時代のムーブメントから生まれたものであり、ベトナム戦争終結('75)と共に終わったものと認識しています。「タクシー・ドライバー」('76)は戦後の映画ですから。
ま、細かいところは目くじら立てないでネ!ということでお願いします。
投稿: 雅哉 | 2008年6月21日 (土) 00時10分