桂あやめ独演会 《あやめの花咲くころ》
第二次世界大戦直後、漫才ブームに圧されて上方落語は絶滅の危機に瀕していた。それを何とかしようと立ち上がった若者たちがいた。桂 米朝、桂 春團治、(故)桂 文枝、(故)笑福亭松鶴らである。彼らはいつしか、上方落語四天王と呼ばれるようになった。
桂 春若さんによると、春若さんが入門された1970年に上方の落語家は50人くらいだったそうである。
そして空前の落語ブームに沸く現在、関西で活躍する噺家は220人にも上る。しかしその内、女性はたった5人しかいない。
6月3日火曜日、そこに新たにひとり加わることになった。「桂あやめ独演会」であやめさんの一番弟子、さろめさんが初高座をつとめたのである。会場となった繁昌亭は立ち見も出る盛況。客席からは「さろめちゃん、頑張って!」と声が掛かり、舞台袖には桂 三風さんら上方の落語家たちが所狭しと詰め掛け、大声援で彼女を送り出した。
あやめさんによると、彼女が入門志願で初めてやって来たのは昨年9月のこと。山形県出身、既婚。夫を愛知県に残し、単身赴任の了解は既に得られているという。
あやめさんの師匠、文枝は「関西出身者でないと上方落語は無理だ」という持論があり、それ以外の弟子入りを全て断っていたそうだ。あやめさんは迷った。自分が弟子を取るということは、同時に文枝一門に入門するということである。一存では決められない。そこで兄弟子である三枝さんときん枝さんに相談に往った。
すると、ふたりの答えはあっさり「ええのんちゃう?」「おもろそうやないか」だったとか(ここで場内大爆笑)。あやめさんが入門した頃は女が落語家になること自体、周囲から散々言われて相当な軋轢があったそうだが、正に隔世の感がある。
正式な入門は昨年11月、それから稽古を積んでこの日に至ったのである。演目は「東の旅・発端」。伊勢神宮参詣を主題にしたシリーズもので、他に「煮売家」「七度狐」「こぶ弁慶」などがこれに続く。さろめさんは張り扇(叩き)、小拍子(こびょうし)を両手で叩きながら調子よく噺を進める(張り扇と小拍子の写真はこちら。その歴史的背景の解説もある)。あやめさんは最初からこの噺をさせることを決めていた。リズムに乗って喋るので、やり易いネタだからである。あやめさん曰く、「まあ、ラップみたいなものですから」
勢いのある瑞々しい初高座であった。これなら今後も期待出来るだろう。さろめさんの旅はいま始まったばかり。途中で挫折することなく、是非踏破してもらいたいと今はただ、願うだけである。
あやめさん最初の演目は「軽業」。丁度「東の旅・発端」の続きである。ちゃんと弟子とのリレーになっていた。
そしてあやめさんの創作落語「私はおじさんにならない」。3年前に作られた「私はおばさんにならない」の進化形である。40歳を過ぎて"おばちゃん"と呼ばれないように気をつけていたら、いつのまにか"おっさん"化していたという噺。笑いの渦が巻き起こり、繁昌亭が揺れた。
仲入りを挟んでで東京からのゲスト、「笑点」のレギュラーでもある林家たい平さんが高座に上がった。なんと!繁昌亭初登場だそうである。演目は芝居噺「七段目」。これは関西でもお馴染みのネタで、故・桂 吉朝が十八番としていた。そしてその弟子である桂 吉弥さんや桂 よね吉さん(ともにNHK朝ドラ「ちりとてちん」に出演)も、高座で精力的に取り上げている。たい平バージョンは上方とはまた違った趣向があり、これも大変面白かった。歌舞伎の声色や所作も見事で、落語通と思しき年配の観客たちにも大いに受けていた。
大トリは「口入屋」。古典であるがあやめさんにとっては今回がネタおろし。文枝師匠がやったとおりに演じたいと、ワッハ上方の演芸ライブラリーでNHKが収録したビデオを観て稽古されたとか。「ビデオは便利ですよ。何回やらせても文句言いませんから」
噺の最後はあやめ流にアレンジして、本来なら途中で消えてしまう"女衆(おなごし)"が大活躍する展開に。御寮人(ごりょん)さんの台詞も心がこもっていて、さすが女性ならではの仕上がり。お見事でした。
またこの日、あやめさんの5歳のお嬢さんがお茶子として登場。可愛らしい笑顔を振りまき、聴衆から盛んな歓声を浴びていた。
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