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2008年5月

落語はJAZZだ!~桂枝雀と上方落語 論

昨年あたりからしばしば落語を聴くようになった。上方落語に腹を抱えて笑い、江戸(東京)落語も聴いてみたのだが、こちらの方はどうも詰まらない。その原因は何なんだろうとしばし考えて、漸く人情噺のせいだという結論に至った。お江戸の人情噺(芝浜、中村仲蔵 、子別れ etc. )を聴いていると、僕は嘗て一世を風靡した「一杯のかけそば」(栗 良平 作)のことを想い出す。あれには閉口した。映画「男はつらいよ」シリーズや「三丁目の夕日」も、そのルーツを遡ると落語の人情噺に行き着くような気がして仕方がない。

立川談志の著書に「現代落語論」がある。そしてその続編「あなたも落語家になれる」に、かの有名な一節が登場する。

 落語というものを、みなさんはどう解釈しているのか……、おそらく落語家を"笑わせ屋"とお思いになってるでしょう。(中略)
 でも、私の惚れている落語は、決して「笑わせ屋」だけではないのです。お客様を笑わせるというのは手段であって、目的は別にあるのです。なかには笑わせることが目的だと思っている落語家もいますが、私にとって落語とは、「人間の業」を肯定してるということにあります。「人間の業」の肯定とは、非常に抽象的な言い方ですが、具体的に言いますと、人間、本当に眠くなると、"寝ちまうものなんだ"といってるのです。分別のある大の大人が若い娘に惚れ、メロメロになることもよくあるし、飲んではいけないと解っていながら酒を飲み、"これだけはしてはいけない"ということをやってしまうものが、人間なのであります。
 こういうことを八っつぁん、熊さん、横丁の隠居さんに語らせているのが落語なのであります。

人間の業」の肯定ーこれこそが江戸落語の本質である。人情噺 が江戸に多いのも「人間の業」を語りたいが為であろうと僕は考える。そして落語家は単なる"笑わせ屋"ではないという東京の噺家たちの矜持が、マクラ(導入部)で政治批判をしたり世相を切ったりすることを好むという行為に繋がっていく。

一方、上方落語には驚くべきことに人情噺がない。正真正銘、皆無である。そういう辛気臭い話はくだらないと関西人は考えているのだろう。むしろ上方は笑いに特化している。社会批判も好まれない。

上方落語の特徴として、アホな奴が登場し賢い人の真似をしようとする。しかしアホだから当然失敗して大混乱となる……つまり「阿呆を馬鹿にして笑う」というパターンが多い(青菜、阿弥陀池、時うどん、ちりとてちん etc. )。しかし上方落語に登場するのは皆、愛すべきアホたちである。彼らは人間味に溢れ、とても魅力的である。だから「人間の業」(梵語、由来はインド思想)といった大上段に構えたものではなく、むしろ「人間の愚かさ、滑稽さ」の肯定が上方落語の本質であると言えるのではないだろうか。

フランス映画「奇人たちの晩餐会」をご存知だろうか? 鼻持ちならない金持ちの仲間たちが毎週水曜日に晩餐会を開き、メンバーは必ず一人奇人を連れてきて、その“奇人っぷり”を競うというお話。関西人の笑いはこのフランス人の感性に近い。明石屋さんまさんがこの話を気に入り、自ら舞台で演じたのは決して偶然ではない。

さて、20世紀に上方落語界が生んだ最大のスターは(二代目)桂 枝雀さんである。枝雀さんは天才であり、と同時に努力の人でもあった。

春風亭小朝さんは、枝雀さんについて次のように語る。

師匠がこの世を去った今、思い出すのは昔読んだ本に載っていた〈天才が残したものを凡人たちが時間をかけて解明していく〉というひと言です。師匠は笑いを分析し、落語の可能性と限界を我々に示してくれました。それをどうやって自分たちの財産にしていくのか、上方落語界の今後の宿題だと思います。
('99年8月米朝一門会パンフレットより)

また、桂 三枝さんは古典落語には 枝雀という巨大な存在があったからこそ、ただ自分はひたすらに創作落語の道へ邁進したのだと語られている。

僕が初めて枝雀さんの名前を知ったのは映画「しゃべれども しゃべれども」(2007、キネマ旬報ベスト・テン第3位)である。主人公は東京の噺家(二つ目、前座と真打の間)。ひょんなことから、大阪から東京に転校し陰湿ないじめにあっている小学生に落語を教える羽目になる。彼は「まんじゅうこわい」を選び少年を前に坐らせ喋ってみるが、反応は今ひとつ。そこであるアイディアを思いつく。以下、佐藤多佳子の原作小説(「本の雑誌」が選ぶ年間ベストテン第1位、新潮文庫)からの引用である。

桂枝雀師匠の市販のテープを手にいれて聞かせてやると、ウケるウケる、俺の噺はそっぽを向いたのに、いまいましいほど笑いやがった。そして、これを覚えると言い出した。江戸前の噺はだいたい十五分くらいだが、上方版は長くて、途中に怪談が一つ入って三十分を超えてしまう。だから無理だと言った。(中略)あの頑固坊主は例によって言うことをきかなかった。

この少年を夢中にさせた桂 枝雀とは如何なる噺家なのか? 僕も是非聴きたいと考えて「まんじゅうこわい」の入ったDVDを購入した。そして落雷に直撃されたかのような衝撃が走った。正にエレクトリック・リベレーション=電気的啓示であった。

枝雀さんは小刻みに体を揺らしながら喋る。そう、リズムを取っているのである。枝雀落語の特徴に言葉の繰り返しがあるが、このリフレイン(refrain)が心地よいリズムを生む。しかしそれは決して一定のテンポではなく、オフビートだったり変拍子だったりする。三枝さんも枝雀落語のリズム感について言及されている→「落語を聞きながら

枝雀さんの弟子、雀松さんによると「こっからここまでは、絶対息継いだらあかんねん!息継いで喋ったらお客さんがだれてしまう、離れてしまう……」という風に稽古をして貰ったそうである。吹奏楽をやったことのある人なら、次のように指導された経験があるのではないだろうか。「ここからこの小節まではノン・ブレスで吹いて下さい」と。

枝雀さんには「落語は緊張の緩和である」という持論があり、高座でもしばしばその話題を取り上げられた。これは音楽用語で言えば即ち緩急を自在に操るということである。枝雀落語と出会って僕は閃いた。「落語はJAZZだ!」と。自在なインプロビゼーション(即興)があるところもJAZZに似ている。そこで調べてみると落語とJAZZの関連性について言及している人は多い。たとえばこちら。故・笑福亭松鶴(六代目)も「落語はJAZZや」と言っていたそうである。また、桂 春菜さんが落語とJAZZを同時に愉しもうという「春菜・みちしたの会 」というイベントを定期的に開催されていることも分かった。

枝雀落語は"聴く"だけではなく"観る"落語でもある。だから初体験の方は是非、CDではなくDVDで接して欲しい。まずは「まんじゅうこわい」「代書」「宿替え」「くっしゃみ講釈」「愛宕山」「崇徳院」あたりから。驚天動地の体験となることは保証しよう。

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「あなたの本職は何です?」
「本職ですか? それは《ポン》で~す!」
「……な、何ですか?」
「《ポン》で~~す!」

(枝雀落語「代書」より)

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ウィーン・ミュージカル・コンサート

舞台ミュージカルの最高傑作はと問われたら、僕は躊躇することなくロイド=ウェバーの「オペラ座の怪人」とクンツェ&リーヴァイの「エリザベート」を挙げる。これらはさしずめ、オペラにおけるヴェルディ/「椿姫」「オテロ」、プッチーニ/「トスカ」のような位置にあると言えるだろう。

「エリザベート」はアン・デア・ウィーン劇場で幕を開けた。この劇場を建てたのはモーツァルト/オペラ「魔笛」の台本を書いたシカネーダー(映画「アマデウス」やミュージカル「モーツァルト!」にも登場)であり、その後ベートーヴェンが音楽監督となりオペラ「フィデリオ」を上演したり、交響曲第五番「運命」、第六番「田園」もここで初演されている。

「エリザベート」ウィーン版の演出を手掛けたのは「ニーベルングの指輪」などオペラ界で名高いハリー・クプファー。非常に前衛的アプローチで、ハプスブルク家崩壊の物語が遊園地(映画「第三の男」で有名になったプラター公園の観覧車など)を模した舞台装置で展開される。

その後、ドイツ、オランダ、ハンガリーなどで上演され空前の大ヒットとなった。しかし、上演国によって演出が全く異なるというのもこのミュージカルの特徴である(「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」などはオリジナル演出の変更が許されていない。どこで観ても同じである)。

宝塚歌劇版「エリザベート」を担当したのは日本を代表する演出家、小池修一郎さん。小池さんはその後、東宝版も新演出され、どちらも遜色のない見事なものだった。僕は前衛的でシンプルなウィーン版よりも、分かりやすくて華やかな小池版のほうが好きである。

ウィーン版は昨年、大阪の梅田芸術劇場に装置・オーケストラなど丸ごとの引っ越し公演を行った。そして今回、その1周年を記念してご当地の出演者らによるコンサートが開催された。

Wien

歌われたのは、ミュージカル「ダンス・オブ・ヴァンパイア」「ロミオ&ジュリエット」「レベッカ」「モーツァルト!」「エリザベート」から珠玉のナンバー。ちなみに「ロミオ&ジュリエット」のみウィーン産ではなくフランス発のミュージカル。フランス産といえば「レ・ミゼラブル」もそうだ。なお、「ロミオ&ジュリエット」は日本未上演で、「ダンス・オブ・ヴァンパイア」は東京では上演されたが大阪には来ず、「レベッカ」は現在、東京シアタークリエで上演中。詳細はこちら

出演者は以下の通り。

  • 94年以降、ウィーンでエリザベートを演じ続けるるマヤ・ハクフォート
  • ブタペスト版「エリザベート」でトートを演じ、ウィーンの「ダンス・オブ・バンパイア」にも出演したマテ・カマラス
  • ウィーンの「エリザベート」で皇太子ルドルフを演じ、「ロミオ&ジュリエット」ウィーン版のオリジナル・キャストであるルカス・ぺルマン
  • 同じく「ロミオ&ジュリエット」でヒロインを演じたマジャーン・シャキ
  • ウィーン版「エリザベート」のフランツ・ヨーゼフや「モーツァルト!」のレオポルド役アンドレ・バウアー

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まず兎に角、今回の出演者たちの圧倒的歌唱力に打ちのめされた。長いオペラの歴史がある彼らの実力には日本人はまだまだ到底敵わない。と言うよりもむしろ、オーケストラが西洋の文化であるのと同様にミュージカルも彼らのものであり、希っても永遠の手が届かぬ高嶺の花なのではないかという気さえした。それは日本人がサッカーでいくら頑張ってもFIFAワールドカップの決勝に進出できなかったり、短距離走やバスケット・ボールの世界で白人や黄色人種が黒人に全く歯が立たないのと同じである。これは生まれもった資質、身体能力の差なのだろう。ちなみに日本ミュージカル界で、この人なら世界に通用する歌唱力を持っていると僕が想っているのは山口祐一郎(東宝エリザベート、レベッカ)、姿月あさと(宝塚エリザベート)、島田歌穂(レ・ミゼラブル)、笹本玲奈(レ・ミゼラブル、ミス・サイゴン、ルドルフ~ザ・ラストキス~)くらいかなぁ。

マテ・カマラスはサービス精神旺盛で、日本語で「エリザベート」より"愛と死のロンド"を歌ってくれた。この曲はウィーン版にはなく、宝塚のために新しく書かれた曲。これが好評でブタペスト版でも使用された。マテが途中、歌詞が分からなくなってうやむやになる場面もあったけれど、それはご愛嬌。関西のファンは大喜びでした。

マジャーン・シャキは歌が上手いだけではなく、容姿が可憐なのにも吃驚した。映画「オペラ座の怪人」でクリスティーヌを演じたエミー・ロッサム(2009年公開予定のハリウッド映画「ドラゴンボール」ではブルマ役を演じる)にどこかしら似ている。そしてエミーよりマジャーンの方が可愛い。

ルカス・ぺルマンはイケメンなので日本にもファンは多い。ただ、彼が大沢たかおと共演したミュージカル「ファントム」は、馴れない日本語に悪戦苦闘したためか精彩を欠いていた。でもさすがに皇太子ルドルフやロミオを演じると、格好良くて立ち姿が絵になるし、よく通るその歌声は文句なしだった。

マジャーンルカスが共演した「ロミオ&ジュリエット」は是非全編観てみたい。舞踏会シーンは意表を突くロック調。かと想えば、ポップな曲あり、美しいバラードありと変幻自在の音楽も素晴らしい。日本でやるとしたらやっぱり井上芳雄くんと笹本玲奈ちゃんあたりが妥当なのかな。

初めて聴いた「レベッカ」や「ダンス・オブ・ヴァンパイア」も凄く良かった。今ヨーロッパ産ミュージカルは飛ぶ鳥を落とす勢いだということが肌で感じられた。ブロードウェイの大作が軒並み失敗し、トニー賞でも小粒なインディーズ系(「アベニューQ」「春のめざめ」"In the Heights")が席巻。ロイド=ウェバーの才能は枯渇してロンドン・ミュージカルも衰退。そこへ第三の勢力としてウィーン・ミュージカルが台頭してきているという紛れもない事実。今、彼らの動向から目が離せない。

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エリザベートの想い出

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激動のオーケストラ~ドリアン・ウィルソン/大フィル定期

雑誌「音楽の友」4月号《いま、ウィーン・フィルで何が起きているのか?》という特集に衝撃的なことが書かれていた。《変貌する“楽都”の名門オーケストラ/ウィーン・フィルの現在》という記事の中で、古楽器オーケストラが時代を席巻している今、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンといった古典派の音楽は、既に彼ら(ウィーン・フィル)のテリトリーではなくなったと断言されているのである。プログラムに取り上げられることが激減した古典派を演奏する場合でも、彼らでさえピリオド・アプローチ(ピリオド奏法)を意識せずに曲と向き合うことが許されない状況になってきたことが赤裸々に綴られている。

先日、ウィーン・フィルを指揮してマーラー/交響曲第十番のCDをドイツ・グラモフォンからリリースした俊英ダニエル・ハーディング(32歳)は「近いうちにワーグナーのピリオド・アプローチに挑む」と息巻いている。最早ヨーロッパではそんなところまで来ているのである。これが大阪シンフォニカー交響楽団の新・音楽監督:児玉 宏さんの仰るところの「時代認識」である。

関連記事:
21世紀に蘇るハイドン(あるいは「ピリオド奏法とは何ぞや?」

なお、ニコラウス・アーノンクールによるウィーン・コンツェントゥス・ムジクス結成(1953)に端を発する古楽器復興運動の歴史については、現在発売中の「レコード芸術」6月号に年表を交えて分かりやすく紹介されている。

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さて今回、大阪フィルハーモニー交響楽団が定期演奏会で取り上げたメンデルスゾーン/交響曲第一番は1824年に作曲された。メンデルスゾーンが15歳のときである。これはベートーヴェン/交響曲第九番が初演された年でもある。ということは即ち、この曲も21世紀の現在ではピリオド・アプローチの射程内に入っているという事だ。実際、バロック・チェリストの鈴木秀美さんは最近メンデルスゾーン/チェロソナタ集をフォルテピアノ伴奏でレコーディングされたし、鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンによるピリオド楽器でのメンデルスゾーン・プロジェクトも始動した(来週、兵庫県立芸術文化センターで行われるコンサートの詳細はこちら)。

だからこの度、お初にお目にかかる指揮者ドリアン・ウィルソンがどのような新しいメンデルスゾーン像を提示してくれるのか愉しみにしていたのだが、蓋を開けてみると20世紀的オーソドックスな解釈でがっかりした。彼には2008年という今日にメンデルスゾーンを演奏する意義についての時代認識が欠けている。バルトークレスピーギの前にメンデルスゾーンを持ってくるというプログラム構成の意味も不明だ。

一方20世紀に生まれた曲目、プログラム後半のバルトーク/ヴィオラ協奏曲レスピーギ/バレエ組曲「シバの女王ベルキス」は文句なしに良かった。

バルトークで登場したアントワン・タメスティのヴィオラはいぶし銀というか、非常に深みのある音色に聴き惚れた。

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またアンコールのバッハではバルトークとは一転してノン・ビブラートによるピリオド奏法で、そのアプローチの違いが鮮やかだった。

「シバの女王ベルキス」は今年1月に淀工「グリーンコンサート」で聴いたばかりだが、吹奏楽の世界では極めてポピュラーなこの曲もオーケストラによる原曲が演奏される機会は稀で、僕も今回初めて実演を聴いた。さすが「ローマ三部作」のレスピーギ!その色彩感豊で華麗なオーケストレーションは"魔術師"の名に相応しい。考えてみればレスピーギはやはり管弦楽の"魔術師"と呼ばれたリムスキー=コルサコフに師事しているが、《ソロモンの夢》のチェロ独奏や《夜明けのベルキスの踊り》のフルートの旋律は、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」にどこかしら似ている。

終曲《狂宴の踊り》は淀工の演奏ではアイーダ・トランペットが登場したのだが、大フィルのバンダ(金管別働隊、2階上手側面席)が普通のトランペットだったのは些か残念だった。しかしこのレスピーギでは大フィルがその機動力を最大限に発揮。特に鉄壁の金管アンサンブルはさすが長年ブルックナーで鍛え上げられただけのことはあると甚く感心した。なお、トロンボーン奏者の磯貝富治男さんは1993年に創価学会関西吹奏楽団を指揮し、この「ベルキス」で全日本吹奏楽コンクール金賞を受賞されている。

コンサートマスターは長原幸太さん。また、この3月まで大阪シンフォニカー交響楽団の特別主席チェロ奏者を務めてこられた金子鈴太郎さんが客演トップとして素晴らしいソロも披露された。金子さんは11月に大植さんが振る定期でも登場される予定で、ひょっとして…そういうこと?

4月の定期同様、今回もパンフレットに一枚の紙が挟まれており、そこには大阪府が補助金および貸付金を廃止する方針で大フィルは苦境に立たされており、このままいくと60年間培われたオーケストラの灯が消えかねないという旨が書かれていた。

大阪府は知事・副知事も出席する部長会議の概要を公開している。こちらをご覧あれ。5月20日の議事録ではオーケストラ問題が真剣に話し合われている。

橋下知事の「ルーブル美術館を移転するとか、ベルリンフィルやウィーンフィルを廃止するとなると大変なことになるはず。大阪にあてはめて考えるとどうだろうか」という発言には頷けるものがある。これは僕が昨年7月31日の記事「在阪オケ問題を考える」の中で、《オーケストラは西洋の文化であり、大阪の文化ではない》《大阪に4つもオケはいらない》と書いた認識に近い。

今後の大阪府の日程は、6月上旬に知事の方針が決定され、7月の臨時会議で審議されるそうである。さてこの騒動、最終的にはどういう形に落ち着くのだろうか?

関連ブログ記事:
不惑ワクワク日記(僕は定期1日目、こちらは2日目の感想)

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春團治 福團治 師弟会

天満天神繁昌亭にて桂 春團治福團治さんの師弟会を聴いた。

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演目は以下の通り。

  • 福矢  「時うどん」
  • 梅團治 「竹の水仙」
  • 春團治 「祝のし」
    ~中入~
  • 春若  「有馬小便」(艶笑落語)
  • 福團治 「薮入り」

春團治さんの十八番、「祝のし」を聴くのは二回目である。前回の感想は記事「喜寿記念 桂春團治 落語会 その壱」に書いた。この時はお祝いで添える熨斗(のし)が、昔はアワビの肉を薄く削いだものだったという基礎的知識さえなくてよく分からなかったのだが、今回はしっかり勉強していたので細部まで理解出来た。頼りない亭主(喜六)の台詞のみ春團治さんは吃音で喋る。この口調の使い分けこそ、磨き上げられた至芸。時折見せる可愛らしいその笑顔もなんとも言えない味がある。また高座で羽織を脱ぐ際に、春團治さんは両手でその袖口をつかんで一瞬のうちにストンと後ろへ落とす。この芸が華麗である。福團治さんも枕でそのことに触れ、「撫で肩なんです」と笑いを取っていた。

かつて上方落語には四天王と呼ばれる噺家がいた。笑福亭松鶴(故人)、桂 文枝(故人)、桂 米朝、そして桂春團治である。松鶴の弟子には仁鶴、鶴子、松喬、鶴瓶がいて、文枝の弟子には三枝、文珍、文太、あやめがいる。そして米朝の弟子・孫弟子には枝雀、南光、ざこば、吉弥らがいる。僕は最近になって足繁く落語会に通うようになったが、これら四天王のうち春團治さんだけは(本人は素晴らしいのに)どうも優れた弟子に恵まれていないのではないかという印象を受けていた。その証拠に、第1回及び第2回繁昌亭大賞の受賞者10人の中に春團治一門はひとりもいない。

しかし、今回初めて接した梅團治さんは大変人を引きつける芸風で、身を乗り出して聴き入った。「竹の水仙」は桂 歌丸さんによる江戸版を聴いたことがあるが、断然上方版の方が笑いが多くて愉しめた。

福團治さんのされた「藪入り (やぶいり」とは奉公人が正月および盆の16日前後に、主人から休暇をもらって親もとに帰ること。「藪入りや何にも言わず泣き笑い」という言葉もあるそうである。退屈な人情噺で、これは江戸落語に違いないと確信して帰宅後調べてみたら案の定であった。関西に江戸落語を紹介しようという福團治さんの心意気は理解出来るが、こういうのはあまり関西人の性に合わない気がする。結局、福團治さんの噺は本編よりも内弟子時代に苦労した枕の方が面白かった。

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繁昌亭大賞受賞《染二百席練磨 荒ぶる落語魂!》

林家染二さんの落語を聴こうと天満天神繁昌亭に立ち寄った。

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染二さんは先日発表された第2回繁昌亭大賞で見事大賞を受賞された(第1回大賞受賞者は笑福亭三喬さん)。また朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」で一躍、お茶の間の人気者となった"徒然亭草原"こと桂 吉弥さんは奨励賞を受賞された。

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染二さんは開口一番に受賞の報告をされ、聴衆から惜しみない拍手が送られた。「第2回 繁昌亭大賞発表会」は6月20日(金)に開催されるが、「それまでは不祥事のないよう、心して精進してまいります」と挨拶され、会場は笑いの渦に包まれた。また沢山のお祝いの電話や贈り物を貰った話をされ、「特に印象的だったのは『まぁ、染二さん。あんた、あの"草原兄さん"より偉いんやねぇ!』と言われたことです」と明かされ、またまた大爆笑となった。ちなみにその吉弥さんは、都合により来月の発表会に出席されないそうである。

今回の演目は以下の通り。

  • 林家市楼 「七度狐」
  • 笑福亭遊喬 「禁酒関所」
  • 林家染二 「田楽喰い」「寝床」「こぶ弁慶」

イチロウさんの高座の時に、客席で携帯電話の音が派手に鳴ったので、とても気の毒だった。それにしてもこの「七度狸」はある意味怪談噺だが、華やかなお囃子の効果音が愉しくて僕はとても好きだ。

遊喬さんは笑福亭松喬さんのお弟子さん。第1回繁昌亭大賞を受賞された三喬さんは兄弟子に当たる。枕(噺の導入部)で三喬さんのお弟子さんの結婚式に列席された時のエピソードを披露された。仲人をされた三喬さんは全くの下戸だそうで、テーブルの上にはカルピスの入ったグラスがデン!と置かれていたとか。皆で交代にカルピスを注ぎに往き、「あれじゃ、立派な糖尿病になりまっせ!」

染二さんは今回初めて聴かせて頂いたのだが、口跡滑らかで非常に軽妙。さすが名人芸だと甚く感心した。特に良かったのが「寝床」。これは故・桂 枝雀さんの十八番でもあり僕もDVDで観ていたが、枝雀さんとは異なるアプローチでやはり爆笑ネタに仕上がっているのだからお見事。「寝床」は浄瑠璃を語りたがる旦那に閉口する奉公人や長屋の店子の噺だが、染二さんはまず「どんぐりころころ」を浄瑠璃でするとどうなるかを実例を挙げられ、すこぶる面白かった。

最近取り上げられる機会がめっきり減ったという「こぶ弁慶」は宿屋の土壁を喰らった男の肩が十日ほどすると瘤のように盛り上がり、やがてそれが人の顔になって「わしは武蔵坊弁慶である」と喋りだすというシュールな噺。これは余りにも荒唐無稽でついていけなかった。喩え落語とはいえ、物語には《虚構の中のリアリティ》というものが必要だろう。この演目が人気ないのもむべなるかな。

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淀工「サマーコンサート」チケット発売中!

5月17日(土)に四国の愛媛県県民文化会館で大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部(淀工)の演奏会があった。チケットはS席3,000円だったが、3,000人収容の大ホールは満席だったそうである。

このコンサートで最も注目すべきはな、な、なんと大栗 裕/大阪俗謡による幻想曲が演奏されたことである!

全日本吹奏楽コンクールで過去21回金賞を受賞した淀工であるが(高校では最多。指揮は全て丸ちゃんこと、丸谷明夫 先生)、1995年以降は自由曲として「ダフニスとクロエ」→「スペイン狂詩曲」→「大阪俗謡による幻想曲」→(大会規定により)三出休み というローテーションを繰り返してきた。これが3クール終了し昨年は「ダフニスとクロエ」だったので、今年の自由曲は当然「スペイン狂詩曲」かと想われた。ところが、である。今年「スペイン狂詩曲」を淀工は一度も演奏会で取り上げていない。これはひょっとして、ひょっとするかも……。

もし今年、淀工がコンクールで僕が愛してやまない「大阪俗謡」を演奏するなら、関西吹奏楽コンクール、そして普門館で行われる全日本吹奏楽コンクールには万難を排し、何が何でも聴きに往かねばなるまい。

関連記事:
大阪俗謡をめぐる冒険(大栗 裕、大フィル、そして淀工)
続・大阪俗謡をめぐる冒険〜究極の名盤はこれだ!!

さて、淀工サマーコンサートのチケットは既に発売中である。今年の日程は6月7日(土)8日(日)。各2回公演あり。場所は淀工のお膝もと、さつきホールもりぐち(守口市市民会館、モリカン)である。

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チケットを一手に引き受けているアルト楽器社への連絡先とアクセスは記事「グリコンへ行こう!」を参照して下さい。予め連絡しておけば、1週間はチケットを取っておいてくれる。グリコン(フェスティバルホール)は1,500円だが、サマコンは1,000円である。この差はホール使用料の違いと推定される。

演奏されるのは吹奏楽コンクール2008年度課題曲 I~IVアルメニアン・ダンス PartⅠ、お楽しみコーナー、ザ・ヒットパレード、ほか。もしかしたら「大阪俗謡」も聴けるかも!?

今年は”浪速のバルトーク”こと、大阪生まれの作曲家・大栗 裕(1918-1982)生誕90周年である。

関連記事:
淀工サマーコンサート(昨年聴いた時の感想)
3000人の吹奏楽(こちらのチケットも発売中。詳細はこちら

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延原武春/テレマン室内管弦楽団 クラシカル楽器によるベートーヴェン 第3弾

いずみホールで日本テレマン協会によるベートーベン・チクルス第3夜を聴いた。演奏されたのは交響曲第四番、および第六番「田園」。チクルス1回目の感想はこちら、2回目はこちら

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大阪フィルハーモニー交響楽団からトラ(客演)としてヴィオラの上野博孝さん、ピッコロフルート担当で榎田雅祥さんが参加されていることは前回書いた。今回はホルンの山本秀樹さんもその中に加わられた。

さらにオランダ・デンハーグ王立音楽院バロック科を卒業され、以前はバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーでもあったバロック・チェロ&ヴィオラ・ダ・ガンバのスペシャリスト、上田康雄さんの姿もあった。

基本的な感想としては1,2回目と大きく変わらない。指揮者・延原武春さんのベートーヴェン解釈は申し分ないのだが、オーケストラの管楽器群が十分それを音として表現しきれていないという憾みが残った。今回は特に交響曲第四番序奏部でのファゴットの音程が怪しくてハラハラした。主部のアレグロ・ヴィヴァーチェに移ってからは安定してきたが……。それにしてもこの第1楽章と4楽章、いまだ嘗てこれ程までに颯爽として活き活きした演奏があっただろうか?特にバロック・ティンパニの強烈な打撃音がまるで雷鳴のように腹に響き、新鮮だった。

後半の演奏に入る前に、恒例の延原さんによる古楽器の解説があった。今回取り上げられたのはクラリネット、フルート、そしてホルン。現在のクラリネットの材質はグラナディラというマメ科の樹木(ローズウッド《紫檀》の仲間)だが、ベートーヴェンの生きていた時代は黄楊(つげ)だったそうである。フルートとホルンは現代に作られたコピー楽器ではなく、19世紀初頭のオリジナル楽器(フランス製)を使用しているそうだ。

ちなみにテレマン室内管弦楽団でナチュラル・ホルンのトップを吹く木山明子さんは、3日前の大阪シンフォニカー交響楽団定期演奏会(ハンス・ロットの交響曲)にもトラで参加されていた。短期間での、(モダン楽器による)本番→リハーサル→(古楽器による)本番となかなか忙しいスケジュールだ。

関連ブログ記事:
虫籠日記

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フィクサー

評価:B

Michael

原題は"Michael Clayton"。これはジョージ・クルーニー演じる主人公の名前である。映画公式サイトはこちら

弁護士の裏稼業《もみ消し屋》に従事する主人公が、若い頃の自分の理想を取り戻す。煎じ詰めればそういう話だ。そこそこ面白いが、サスペンスとしては先の展開がミエミエなので緊張感に欠ける。

これが監督デビュー作となるトニー・ギルロイは「ボーン・アイデンティティー」から始まるジェイソン・ボーン・シリーズの脚色で有名になった。ボーン・シリーズもそうだったが、監督としても中盤もたつくというか要するにテンポが悪いんだよね、この人。

クルーニーは"濃い顔"なので、カラーよりも白黒映画のほうがよく似合う。だから「フィクサー」よりも自身で脚本・監督も兼任した「グッドナイト&グッドラック」の彼の方が魅力的。

本作で巨大農薬会社U・ノース社、法務部本部長を演じたティルダ・スウィントンがアカデミー助演女優賞を受賞。常に怯えたような、彼女の抑えた演技が素晴らしい。

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初夏の兆しの薔薇

淀屋橋駅から歩いていけるフレンチ・レストランで、粋を凝らしたランチを満喫した。

その道中、中之島バラ園で満開の薔薇に遭遇し、ひと時を愉しんだ。

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その後、施設の規模縮小・移転騒動の渦中にあるワッハ上方に足を運び、演芸ライブラリーで爆笑王・桂 枝雀さんのDVDを愉しんだ。うん、やっぱり枝雀さんは天才だ。特にお勧めなのは「代書」「宿替え」「饅頭こわい」「愛宕山」「くっしゃみ講釈」などである。

あ、ちなみに僕は大阪センチュリー交響楽団の解散もワッハの移転も賛成である。ワッハは何も難波の一等地(「なんばグランド花月」向かい)にある必要は全くない。演芸ライブラリーも大阪府庁舎の一部にスペースを設ければ十分だろう。

ちなみにワッハ上方横山ノック知事時代に作られ、吉本興業が所有するビル内にある。大阪府は吉本に対して、年間2億8千万円の賃貸料を支払っているそうだ(一方、センチュリーへの府の補助金は昨年4億2千万円だった)。

ワッハセンチュリー存続のための署名運動について橋下知事は「府民や市民は署名はするが、お金を出してくれるのか。本当に文化を残すつもりなら1人1000円でも出してくれればいい」と述べたそうだが、けだし正論である。しかもセンチュリーの署名運動は日本オーケストラ連盟を通じて全国規模で展開されているので、センチュリーの演奏を実際に聴いたこともなければ府民税さえ払っていない人が多数署名しているのが現状である。妙な話だ。

僕は知事選では橋下氏に投票しなかったが、この件に関しては彼を応援したい。大阪に4つもプロのオーケストラはいらない。

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関連ブログ記事:
ぐーたらOL Essay

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ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

評価:B-

Therewillbeblood

米アカデミー賞で主演男優賞と撮影賞を受賞。映画公式サイトはこちら

映画「バイオハザード」や「エイリアンVSプレデター」を監督したポール・W・S・アンダーソンと、「ブギーナイツ」「マグノリア」を監督したポール・トーマス・アンダーソンというふたりのフィルムメーカーがいる。名前が非常に紛らわしいので作品の質から分類して、僕は各々を"良い方"のアンダーソンと"駄目な方"のアンダーソンと呼んでいる。で、今回は"駄目な方"=ポール・トーマス・アンダーソン監督作品である。

まあ日ごろのアイツから考えたら、作品の出来はマシな方ではないだろうか。しかし、物語が退屈で冗長なのはいつもの通り(上映時間158分)。石油採掘をめぐる基本的ストーリー・ラインはジェームズ・ディーン主演の「ジャイアンツ」(ジョージ・スティーブンス監督)となんら変わりない。しかも当然、「ジャイアンツ」の方が面白い。

結局、本作はひとえに、オスカーを獲ったダニエル・デイ=ルイスの演技を味わうための映画である。それから"インチキ"牧師を演じたポール・ダノの怪演も見逃せない。

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ハンス・ロット/交響曲第1番が内包する狂気~大阪シンフォニカー定期

寺岡清高/大阪シンフォニカー交響楽団による定期演奏会に足を運んだ。「ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲」シリーズ第1回目である。今回演奏されたのはハンス・ロット/交響曲第1番で、今後はフックス(09年2月)、ツェムリンスキー(09年5月)、シュミット(10年2月)の交響曲も取り上げられる予定である。

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ハンス・ロット(1858-1884)が交響曲第1番を作曲したのは20歳のときである。ロットはウィーン音楽院に16歳で入学、ブルックナーに師事した。学友に2歳年下のマーラーがいた。

ロットと同居したこともあるマーラーは彼を敬愛しており、帝立宮廷歌劇場(現・ウィーン国立歌劇場)のライブラリーから交響曲第1番のスコアをしばしば借り出た記録が残っている。しかしウィーン・フィルの指揮者でもあったマーラーは生涯、一度たりともロットの曲を聴衆に紹介することはなかった。結局その交響曲第1番全曲が初演されたのは、作曲されてから実に110年も経過した1989年のことだった。日本では2004年11月11日に沼尻竜典/日本フィルハーモニー交響楽団により初演された。

ロットはこのシンフォニーの第1楽章でベートーヴェン作曲賞コンクールに応募するが、ブルックナーを除く審査員たちから嘲笑され、あえなく落選した。次に完成したスコアを携えブラームスのもとを訪ねるが、才能がないから音楽を諦めろと手厳しい評価を受けた。失意のロットは合唱指揮者として生計を立てるべくアルザスへ列車で向かうが、その道中で「ブラームスが爆弾を仕掛けた」という妄想にとらわれ、煙草に火をつけようとしたほかの乗客に危険だと叫びピストルを突きつけ、そのまま精神病院送りとなった。彼が22歳の時のことである。病院に残された診察カルテには「幻覚を伴う精神異常および被害妄想。最早回復の見込みなし」と書かれていた。つまりロットは統合失調症(2002年までの名称は「精神分裂病」)だったと考えられる。結局、彼は25歳で亡くなった。死因は結核であった。

だから音楽史的にはロットはブラームスのせいで精神を病んだように言われており、今回の演奏会プログラムの論旨もそれに沿って執筆されているが、曲を聴いてみると僕には真実は全く違うところにあるのではないかと想われた。

第1楽章、第1主題はロットの師であったブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を彷彿とさせる。またその旋律は、ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲にも似ている(ブルックナーもロットもワーグナーを崇拝していた)。それが突如、第2主題になると調性と無調を行き交うような作風に転じる。これはむしろマーラーやツェムリンスキーに近い(この作品が作曲されたのはマーラーがまだ交響曲第1番さえ着手していない時期である)。

第2楽章はまずパイプオルガンのような教会音楽的和音から始まる。正しくブルックナーだ。しかしすぐにマーラー/交響曲第5番、第4楽章《アダージェット》や交響曲第6番、第3楽章《アンダンテ・モデラート》みたいに弦楽器による息の長い、うねるような旋律が続く。

第3楽章はホルンによる狩の音楽。ブルックナーでお馴染みのスケルツォ。しかし、曲調は後半次第に崩れ、支離滅裂になってくる。魑魅魍魎が跋扈するグロテスクな世界へと変転するのだ。

第4楽章第1主題は明らかにブラームス/交響曲第1番、第4楽章の"歓喜の主題"にそっくり。それがフーガとして展開されると最後はブルックナーばりの壮大なコラールによるコーダで閉じられるという案配だ。

つまり総じてこの交響曲は統一感が全くない。これが書かれた時点で既にロットが精神を病んでいたことは明かである。作曲家の分裂気質が如実に曲に反映されているのだ。

大体、ブラームス派とワーグナー=ブルックナー派の対立が顕著だった時代である。古典的調和を愛してやまないブラームスにこの様な交響曲を評価してもらおうと考えた時点で既にロットは常軌を逸している。僕はこれを認めなかった当時のコンクール審査員たちやブラームスの見識を断固支持する。現代の作曲コンクールに応募したとしても間違いなく落選するだろう。

しかし、だからといってこの交響曲が詰まらなかったか?と問われれば全く逆である。これほどまでに真性の狂気の音楽はかつて体験したことがない。僕は日本三大奇書のひとつ、夢野久作の「ドグラ・マグラ」(他の二つは「虚無への供物」と「黒死館殺人事件」)を想い出しながら聴いた。これはシンフォニーで描かれた「ドグラ・マグラ」である。

狂気の音楽といえば真っ先に思い起こされるのがベルリオーズ/幻想交響曲の第4楽章《断頭台への行進》第5楽章《ワルプルギスの夜の夢》、そしてバーナード・ハーマンがヒッチコック映画「サイコ」のために作曲した音楽である。しかしこの両者は知性を保った作曲家が論理的・客観的に描いた狂気の世界であるのに対して、ロットの音楽は正真正銘主観的狂気であるところが凄い。これは前代未聞である。

さらにマーラーがロットから多大な影響を受けたにもかかわらず、そのことを世間からひた隠しに隠していた事実も非常に興味深いものがある。この交響曲を通じて19世紀末ウィーンの複雑な音楽事情が垣間見られる想いがした。

今回この秘曲(珍曲?)を我々関西人に初めて紹介して下さった指揮者の寺岡清高さんと、寺岡さんの企画にGOサインを出す英断を下された新・音楽監督の児玉 宏さんにこの場を借りて深く感謝したい。

さて、6月20日のシンフォニカー定期はいよいよ真打ち奇跡を呼ぶ男児玉さんの登場である。一堂、刮目して待て!

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祝祭音楽劇「トゥーランドット」

梅田芸術劇場で祝祭音楽劇「トゥーランドット」を観た。公式サイトはこちら

演出:宮本亜門(ソンドハイムのミュージカル「太平洋序曲」を東洋人として初めてブロードウェイで演出)、音楽:久石 譲(宮崎アニメでご存知)、衣装:ワダ エミ(映画「乱」で米アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞)と錚々たるスタッフが揃った音楽劇である。さらに製作発表当初はタイトルロールに、なんとアジアの歌姫ケリー・チャンが配役されていた。僕は彼女の女優デビュー作「世界の涯てに」を映画館で観ているし、香港ノワールの傑作「インファナル・アフェア」(ハリウッド版リメイク「ディパーテッド」はアカデミー作品賞・監督賞に輝いた)の彼女もとても綺麗で、その来日を愉しみにしていた。

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ところが、とんでもない事態が勃発したのである。昨年8月、ケリーは新作アクション映画「江山美人」の撮影中、落馬して両足首の靱帯を損傷し、舞台を降板してしまったのだ。中国の映画スタッフさんたちよ、頼みますよ。危険な撮影では役者を乗馬させたりせずに、ちゃんとスタント・マンを使って頂戴な。こんな事態、ハリウッドじゃ絶対ありえないことなんだから。

結局ケリーに代わってキャスティングされたのが台湾の人気歌手、アーメイ……って、一体誰よ!?

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実際観てみると、確かにアーメイの歌は上手かった。ただ頑張ってはいるがどうしても日本語の台詞はたどたどしいので、この程度の歌唱力なら日本人キャストでも十分ではなかったか?という疑問は残る。勿論、ケリー・チャンくらいの絶世の美女ならば、中国語で喋ろうが何でもO.K.だったのだが。

キャストで印象に残ったのが、安倍なつみ。女優としてのなっちが、意外にも良かったので驚いた。これくらい歌えて演技も出来るのなら、もしかしたら彼女は「レ・ミゼラブル」のエポニーヌとか、「ミス・サイゴン」のキムとかもやれるのではないだろうか?なっちに在りし日の本田美奈子を重ねて観ている自分にふと、気がついた。

それから"流し目王子"こと、早乙女太一くんはとにかく美しかった。踊りがうまいねぇ。あ、ちなみに太一くんは歌いません。

久石さんの音楽は当然文句なしに素晴らしかったし、演出も大仕掛けの舞台装置も見応えがあった。でも、観終わってなんだか充実感に欠けるというか、物足りなさが付き纏ったのも確かである。その理由を色々思い巡らした挙句、台本を書いた鈴木勝秀が駄目だという結論にたどり着いた。物語がストレートすぎて平板。創意工夫に欠けて面白みがない。プッチーニのオペラに捕らわれすぎたのが失敗の原因だと想う。「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」や大沢たかお主演ミュージカル「ファントムの演出も酷かったし、この人、とことん才能ないわ。

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ブログ開設一周年を迎えて

このブログに最初の記事を書いたのが昨年の5月12日。そう、今日で丁度丸一年になる。この間に上梓した記事数は233件。我ながらよく書いたものだ。

ブログに移行する前、僕は"エンピツ"という日記サイトで旧版「エンターテイメント日誌」をやっていた。ただこの時は「映画」ジャンルに登録していたので、意識的に映画についてのみ限定して語っていた。

ココログに移行してからは自由な身となった。「エンターテイメント日誌」という看板を掲げたのが今から8年前の2000年10月。しかしブログとして生まれ変わって初めて、真の意味で"エンターテイメント"を語る場に成長出来たと言えるだろう。

サイドバーにある「人気記事ランキング」(ここ1ヶ月間のアクセス集計)を見て頂ければ分かるとおり、現在なんと言っても最も沢山の方が読んでくださっているのが吹奏楽関連記事である。次がクラシック音楽。当初は吹奏楽やクラシックに関する関西限定のローカルなネタを書いても、読んでくれる人なんかいるんかいな?と半信半疑だったのだが、蓋を開けてみると本来大黒柱であった筈の映画と主従が完全に逆転してしまった。実は情報が少なく、書き手も少ない地域に密着した話題こそが求められているコンテンツだということをこの一年で学んだ次第である。

ブログを開設して数ヶ月のアクセス人数は日平均5-60人程度であったが、現在では200人/日を超えるようになってきた。単発記事で一番読まれたのは大沢たかお主演、ミュージカル「ファントム」で、これは実に1,400人以上の方に読んで頂いた。芸能人の底力を見せつけられた想いである。また、淀工サマーコンサートも同じくらい読まれている。さすが天下の淀工だ。その次が第55回全日本吹奏楽コンクールを聴いて 前編で、これが1,250人くらい。映画記事で一番読まれたのが色|戒(ラスト、コーション)の560人。しかも「ラスト、コーション」+「無修正」というキーワードで検索してきた人が多い。結局、世の中の男たちの関心はそれだけかよ!?と何だか情けないやら、可笑しいやら……。

僕が郷里・岡山を離れ、大阪に棲むようになったのが三年前の春である。この地で色々な出会いがあった。まずなんと言っても大きかったのが大阪府立淀川工科高等学校(淀工)の丸谷明夫先生(丸ちゃん)と大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、大植英次さんの存在を知ったことである。

「淀工吹奏楽日記~丸ちゃんと愉快な仲間たち~」というDVDを、発売と同時に買ったのが2006年10月のことである。それまでは丸谷明夫という名前さえ全く知らなかったし、(CDを含め)淀工の演奏を聴いたこともなかった。「世の中にはこんな凄い吹奏楽指導者がいるのか!しかも音楽の先生ではなくて、電気科の先生だなんて!!」とたちまちその人柄に魅了され、翌年の1月にはグリコン(グリーンコンサート)の客席に坐っていた。ここから僕の淀工おっかけ人生が始まったのである。

Maruchan

一方、大植英次さんはまるで太陽のように明るい人だ。クラシックの指揮者でこんなタイプの人は珍しい。大植さんが星空コンサート大阪クラシックなど、面白くて画期的な企画を始めたのが2006年からである。幸いなことに僕はそのどちらも第1回目から欠かさず参加し、大いに愉しませてもらっている。いい時期に大阪に来たとつくづく想う。ただ大植さん、ベートーヴェンやブルックナーは大植さんの資質に全く合っていないから、もうチクルスとか無理するのは止められた方がいいです。その分野は大阪シンフォニカー交響楽団の児玉 宏さんにお任せしましょう。映画「お熱いのがお好き」(Some Like It Hot,1959)の名台詞にもあるじゃないですか、"Nobody's perfect."(完璧な人などいない)って。

さて、その児玉さんが音楽監督・首席指揮者に就任する記念コンサートは来る6月20日(金)にザ・シンフォニーホールで行われる。詳細はこちら。もしこれをお読みの貴方が音楽をこよなく愛しておられるなら、何はさておいても、これだけは絶対に聴きのがすな!!当日はザ・シンフォニーホールに結集し、奇蹟を呼ぶ男児玉 宏がその魔法のタクトで紡ぎ出す未曾有の音楽体験を、共に分かち合おうではないか。品質の高さは僕が天地神明に誓って保証する。もし実際に聴いてみて裏切られたと感じたなら、どしどしここのコメント欄に書いてくれたらいい。

関連記事:
今、飛躍の時。~児玉宏/大阪シンフォニカー交響楽団 定期
聴かずに死ねるか!児玉宏/大阪シンフォニカーのベートーヴェン

閑話休題。

さて、話を元に戻そう。この一年間で僕にとって最も大きな出来事は上方落語にめぐり逢ったことだろう。東京落語と上方落語がこれほどまでに違うのかと衝撃を受けたことや、僕が現在最も好きな落語家、故・桂 枝雀さんのことなど語りたいことは山ほどあるのだが、それはまた別の機会にしよう。これぞ、日本の伝統芸能から生まれた最高のエンターテイメントである。

最後に、ブログというのは読者あってこそ初めて成立するメディアである。だから、これを読んでくださっている皆さんに感謝。そして誰よりも、温かいコメントや直截のメールを送り僕を励まして下さる貴方に、ありがとうの花束を!

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歌劇「ランスへの旅」

いずみホールでロッシーニ/歌劇「ランスへの旅」を聴いた。

このオペラはフランス国王シャルル10世の戴冠式を記念して1825年に初演されたものだが、その後楽譜が散逸し、いつしか忘れ去られていた。

20世紀後半ロッシーニ再評価の機運に乗り、ロッシーニ財団がヨーロッパ中から直筆楽譜を集めて復元、1984年に作曲家の故郷イタリア、ペーザロの「ロッシーニ・フェスティバル」でクラウディオ・アバド/ヨーロッパ室内管弦楽団により実に150年ぶりに蘇演された。これは同時にドイツ・グラモフォンによって世界初録音された。ロッシーニの素晴らしさを世界に伝道する使命に燃えるアバドは後にミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場(来日公演を含む)、そしてベルリン・フィルの定期演奏会でもこのオペラを取り上げている。

Reims

物語は実に他愛もないドタバタ喜劇である。まあ言ってみればヨーロッパ各国の歌合戦に終始する能天気なオペラであるが、これが実に愉快である。スタンダールが嘗て「ロッシーニの最も優れた音楽」と賞賛したのが頷ける。ヴェルディやプッチーニの陰に隠れ過小評価されて来たロッシーニは、モーツァルトやベートーヴェンの楽曲と比べて演奏される機会が極めて少ないハイドンの立ち位置と共通するものがある。その音楽の底抜けの明るさもなんだか似ていると言えるだろう。僕はこのオペラを観ながら、イタリア映画の名作「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)の台詞「人生はお祭りだ、一緒に過ごそう」をふと、想い出した。

今回の演出・プロデュースは岩田達宗。そして佐藤正浩/ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団による演奏であった。いちいち列記しないが佐藤美枝子さんをはじめとする東西を代表する実力のある歌手たちが一堂に会し、この顔見世興行を華やかに彩った。ロッシーニ・クレッシェンドのワクワクするような愉しさときたら!特に驚異の17重唱は圧巻。もう、ただただブラボーあるのみ。

ステージ前面にオーケストラが陣取り、その後方の一段高い場所で物語が展開された。登場人物が1階客席を縫うように現れたりパイプオルガンの配置された中2階、客席2階も舞台として活用されたりと、ホールの空間が縦横無尽に駆使される演出も見事であった。2006年度音楽クリティック・クラブ賞を受賞した岩田さんの実力は伊達じゃない。何だか今回の公演は並々ならぬ気合いが感じられた。

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最後、パイプオルガンに白い幕が下ろされると、そこにはタコ焼きを食べているロッシーニのイラストに「大阪にようこそのお運びで」の文字が!これは上方落語の決まり文句である。いやはやなんとも粋な関西初演でありました。

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繁昌亭GW特別興行

ゴールデン・ウィーク中の5月5日と6日に、天満天神繁昌亭で落語を聴いた。演者と演目は下記の通り。

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この中で特に印象深かったのは笑福亭純瓶さん(鶴瓶さんの弟子)の「いらち俥」。先日、田辺寄席で聴いた笑福亭たまさんの「いらち俥」もダイナミックなアクションで面白かったのだが、純瓶さんのそれは奇想天外な仕掛けで聴衆をあっと言わせた。まず、まくら(導入部)で「落語という芸能は、例えばボクシングなんかと違って体力は要りませんし、ハァハァ言いながら退場することもありません」「落語というのはこの座布団から出てはいけないというルールがあるんです」と振っておいて、それが実は見事な伏線になっており、最後に綺麗に落とすという完成度の高さ。人力車の動作をしながら座布団に乗ったまま舞台上手から退場、これで終わりかと想いきや、突如下手から座布団と共に再登場するという破天荒な演出には呆気にとられた。天晴れなり!

桂春團治さんの「代書(代書屋)」を聴くのはこれが2回目であるが、名人芸の所作の美しさに相変わらず魅了された。春團治さんの芸は兎に角、華麗である。さらにその着物も座布団も豪華。もうただただ、うっとりと見惚れるばかり。正に日本の宝。ご高齢ではあるが、これからも末永くその高座を我々にお聴かせ下さい。

「代書」といえば、爆笑王の故・桂 枝雀さんの十八番としても有名。その枝雀さんの「代書」をようやく先日、DVDで観ることが出来た。これはもう創作落語と言ってもいい位、換骨奪胎された「代書」なのだが、息が出来ないくらい腹を抱えて笑った。枝雀版も春團治版も、それぞれ別個の作品として甲乙付け難い。同じ噺でも演者によってここまで違うものかと落語の奥深さを教えられた想いである。

桂 小米朝さんはご存知、人間国宝・米朝さんのご子息(現在49歳)である。この秋に米團治(米朝さんの師匠の名。「代書」の作者でもある)の襲名が決まっている。有名人の息子というのは本人にとって相当なプレッシャーなのだろう。この日も「桂 七光りでございます」と言って笑いをとっていた。高座にかけたのがなんと米朝さんの十八番「百年目」だったのだから驚いた。まさかこんな大ネタを持ってくるとは……。米團治襲名も近いので真っ向勝負に出たのだろうが、どうしても聴く方は親父さんの「百年目」と比べてしまうから辛いねぇ。

この日、大トリが小米朝さんで中トリが小枝さんだったのだが、小枝さんが小米朝さんのことをネタにしていびること、いびること!繁昌亭には米朝さん直筆の「楽」という字が書かれた額が飾ってあるのだが、「米朝師匠はねぇ、もう少ししたらこべいちょうになるんですよ。故・米朝と離して読むんですけれど……」とか、桂 歌丸さんがゲストで繁昌亭の高座に上がったときに歌丸さんのジャケットを小米朝さんが間違って着て帰ってしまったエピソードを披露した上で「私は小米朝が米團治を襲名するのは絶対反対なんです」とか、もう言いたい放題。しかし人間国宝の息子をネタにして(しかも本人の目の前で!)笑いを取ることが許される自由な雰囲気というのが、上方落語界の開かれた良い所だと僕は想うのである。

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たっぷり!なにわ 《オーケストラル》ウィンズ 2008

年一回、吹奏楽をこよなく愛するオケ奏者たちが集う祭典、なにわ 《オーケストラル》ウィンズ(NOW)を聴きにザ・シンフォニーホールへと足を運んだ。《なにわ》と銘打たれているが、54人のメンバーのうち18人が関東のオーケストラに所属する音楽家である。その響きはあくまで柔らかく、よく溶け合う。

プロの指揮者ではなく、中学・高校の吹奏楽部を指導する先生が指揮台に立つというのもNOWの特徴である。2003年からレギュラーとして大阪府立淀川工科高等学校(淀工)の丸谷明夫先生(丸ちゃん)および、ゲスト・コンダクターが登場する。今年は東海大学付属高輪台高等学校の畠田貴生先生であった。高輪台は昨年まで3年連続コンクール全国大会に出場したので(すべて金賞)、今年は大会規定によりお休みである。NOWのゲストはこの様に、三出一休ルールでコンクールに出場出来ない学校顧問の先生が毎回選ばれている。既に夏のコンクールに向け各々の学校では猛練習が始まっているので、それに差し障りがないようにとの配慮なのであろう。

ちなみにやはり今年、三出休みに該当する吹奏楽名門校に大滝 実先生率いる埼玉栄高等学校があるが、埼玉栄はNOWのコンサートと同じ日5月4日にラ・フォル・ジュルネ金沢(「熱狂の日」音楽祭)に出演していた。詳細はこちら

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さて、NOWの話に戻ろう。開演5分前のアナウンスが流れ、ステージにメンバーが登場。思い思いに音出しをしているかと思いきや、その混沌とした音の中から、次第に明確なモチーフ(音型、動機)が浮かび上がってくる。「えっ!これってもしかして既に曲が始まっているの?」と気づいた時には丸ちゃんがにこやかに登場、そのままタクトを振り始めた。正にサプライズのオープニングであった。その曲は清水大輔/夢のような庭NOWの委嘱作品で当然世界初演。タイトルは「夢のよう、なにわ」という洒落にもなっている。輝かしいファンファーレで、初期のジョン・ウイリアムズの映画音楽(「11人のカウボーイ」「華麗なる週末」)を彷彿とさせる、いかした曲だった。

ヴォーン・ウイリアムズ/トッカータ・マルツィアーレについてはNOW代表世話人の金井信之さん(大阪フィルハーモニー交響楽団・主席クラリネット奏者)から「マルツィアーレとはマルス=火星のことで、これはホルスト/惑星にも出てくるように《戦いの神》です」という解説があった。3拍子なのにマーチという不思議な曲を丸ちゃんはゆったりとしたテンポで進め、勇壮で格調高いトッカータが展開された。

続いて畠田先生が登場。以前から想っていたのだが、畠田先生のワイルドな風貌は熊を連想させる。丸ちゃんから「見るからに胡散臭そうでしょう?(会場がから笑い)…でも本当はいい人なんですよ。雰囲気で損しているんです」との紹介があった。

畠田先生の指揮の特徴は豪放磊落なところにある。ダイナミックな音作りで、細かいところは気にしない。だからそれは悪くいえば"大雑把"ということにも通じる。全日本吹奏楽コンクールにおける高輪台の演奏は荒々しいハチャトゥリアン/バレエ音楽「ガイーヌ」などは先生の資質にピッタリだと想ったが、昨年のラヴェル/ダフニスとクロエみたいな繊細な曲は似合わないなぁと感じられた。

今回畠田先生がまず振ったのはフラク/ロシア舞踏組曲。第1曲「序曲」と第2曲「哀しい舞曲」は平板な演奏であったが、第3曲「ペトルーシュカ」、終曲「トレパーク」など民族的でリズミカルな舞曲になると先生の本領発揮、勢いがあってスカッとする名演となった。

リード/エル・カミーノ・レアルも引き続き畠田先生。砂塵が舞い、熱きラテンの血潮が滾るこの曲は畠田先生の独擅場だった。

NOWではその年のコンクール課題曲全曲も演奏されるのだが、5曲各々の感想は記事「大阪市音楽団/青少年コンサート」で既に書いたので、そちらをご覧あれ。丸ちゃんが指揮したのはブライアンの休日晴天の風のマーチ2曲、畠田先生天馬の道セリオーソだった。セリオーソについては丸ちゃん曰く「長い、暗い」「私の性に合わない曲」と散々だった。遅いテンポの火の断章は指揮者なし。

高校生が作曲した課題曲、晴天の風についてはティンパニ奏者が「転調が多くてその都度ペダルで音を変えないといけないので、意味ないよなぁとムカッとします」とコメント。丸ちゃんが庇うように「いやぁ、高校生にしては良く書けてますよ。(客席の高校生に向かって)こんなん、書けます?」などといった軽妙なトークと共に進行した。

NOWで毎回行われる実験であるが、天馬の道は通常の指揮者を取り囲む形ではなく縦配置で演奏され、晴天の風はクイズ形式の間違い探し(初級編:バスドラムとシンバルの譜面が入れ替わり、クラリネット・パートをトランペットが吹いている。上級編:シロフォンとグロッケンの楽譜が入れ替わり、さらにバリトン・サックスとアルト・サックス、および、ピッコロと2ndフルートも入れ替わっていた)。

間違い探しで正解を答えた女子高生は丸ちゃんからインタビューを受け、岡山学芸館高等学校の生徒であると明らかにした。丸ちゃんが「わざわざ岡山から!?何人くらいで?」との質問に「今日はうちの学校から115人が一緒に来ています」と答え、場内がどよめいた。

ブライアンの休日ではトランペットTp、トロンボーンTb、ユーフォニアムの奏者がコンクール直前に造反して部活に来なくなったという設定で、オーボエがTpをファゴットがTbを代用して吹くという面白い企画だった。ご丁寧にオーボエが楽譜の指定通りミュート(弱音器)を付けて吹くというパフォーマンスまであり、聴衆に受けていた。

また今回、金井さんに誘われPiano&Celestaとしてメンバーに加わった下野竜也さん(読売交響楽団・正指揮者)について、丸ちゃんが「オケの楽員というのは指揮者について8割が悪口ばかり言っていて、2割くらいしか褒めないんです。でも下野さんについては悪い評判を聞いたことがありません」と紹介、それに対して下野さんは「尊敬する丸谷先生の指揮で演奏できて光栄です」と返して、丸ちゃんが照れてるという微笑ましい一幕もあった。

休憩を挟みクリフトン・ウィリアムズ/ファンファーレとアレグロ丸ちゃんの指揮により引き締まったリズムで演奏され、懐かしのコーディル/吹奏楽のための民話へと続いた。丸ちゃんが「これを演奏したことがある方は挙手して下さい」と呼びかけると、会場からもちらほらと挙がった。NOWのメンバーも半数くらい演奏経験があるようだ。フルートの中村めぐみさんはこの曲を小学校5年生の時演奏し、全国大会まで勝ち進んだとお話しされた。僕も中学生の時、部活でこれを演ったことがある。中1の時はホルン、中2からチューバ担当だったのだけれど、はて、どっちで吹いたっけ?……丸ちゃん曰く、「色褪せぬ名曲」。けだし至言である。

グレンジャー/岸辺のモリーは軽快なテンポ。アイルランド民謡に基づく素朴な、じんわりと心に沁みる珠玉の作品。金井さんも「もっと演奏されても良い曲」と仰っていた。

ヴァンデルロースト/モンタニャールの詩畠田先生の指揮。ヨーロッパの屋根とも呼ばれるモンブランに接するヴァッレ・ダオスタ州(イタリア西北部)の自然や人々の歴史を描く壮大な交響詩である。またリコーダー4本+タンバリンの5重奏で演奏する場面もあったりして飽きさせない。こういう賑やかな舞曲が登場したり、豪快に鳴らす派手な曲は畠田先生には自家薬籠中のものである。以上でプログラムの曲目は全て終了。しかし当然、これでは終わらない。

鳴りやまぬ拍手に応え丸ちゃんが登場、昨年12月19日に関西吹奏楽連盟理事長の松平正守 先生が亡くなったことにふれ、アンコール1曲目のチェリーヌ/行進曲「スペアミント」を演奏。何故この曲なのかは丸ちゃんの松平先生への弔辞にも登場するのでこちらをご覧あれ。中々楽譜が見つからず、自衛隊の音楽隊まで問い合わせて取り寄せたとか。

続いて畠田先生が高校時代にスネア・ドラムを演奏したという想い出の曲ジョン・ウイリアムズ/映画「インディー・ジョーンズ」からレイダーズ・マーチ。ただ残念なことに中間部でしっとりと流れるマリオンのテーマ(シリーズ1作目で登場したヒロインの名前。最新作「クリスタル・スカルの王国」で実に27年ぶりに再登場する)は省略された。

〆は丸ちゃんの指揮で千の風になって。客席も一緒に歌った。

16時開演で終わってみれば19時20分。盛り沢山で中身の濃い演奏会だった。ありがとう、なにわ 《オーケストラル》ウインズ!来年も愉しみにしています。そうそう、それから4年後三出休み)のゲスト・コンダクターは是非、埼玉栄の大滝 実先生で宜しくお願いしますネッ♪

関連記事:
どっぷり!なにわ《オーケストラル》ウィンズ 2009
第55回全日本吹奏楽コンクール高校の部を聴いて 後編 
続・大阪俗謡をめぐる冒険〜究極の名盤はこれだ!!
下野竜也と吹奏楽
なにわ《オーケストラル》ウィンズ始動!

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筒井康隆&山下洋輔のジャズ・オペレッタ「フリン伝習録」

レハール/喜歌劇「メリー・ウィドウ」に基づき筒井康隆氏が書き下ろした3幕・超演奏会形式のジャズ・オペレッタ「フリン伝習録」を聴きに兵庫県立芸術文化センターへ往った。

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筒井氏自身が朗読およびラップも担当、音楽とピアノがジャズ界の巨匠・山下洋輔。劇伴演奏が山下一史/兵庫芸術文化センター管弦楽団。サックスがべら棒にうまいなぁとプログラムをよく見たら、なんと名手・平野公崇だったので腰を抜かした。さらに、森 麻季(ソプラノ)ら4人の独唱が加わるという豪華版だった。

森 麻季さんのソロ・リサイタルを聴いた時の感想はこちらに書いた。実は6~7月に兵庫県立文化芸術センターで行われる「メリー・ウィドウ」の公演に森さんは出演予定で(ダブル・キャスト)、僕は彼女の登場する日に合わせてチケットを購入したのだが、後に森さんの懐妊が明らかとなり急遽彼女は降板してしまった。チケットの払い戻しはしないという。これは相当ショックだった。どうやら3年前にイタリア人の作曲家と結婚されていたらしい。

しかしその代わり、今回のコンサートで森さんはハンナ/ヴァラン/オルガと3役を歌いこなし、雲雀のように高く舞い上がるその澄んだ歌声をたっぷり堪能出来たのでまあ良しとしよう。

栗山和樹氏による編曲もとても面白かった。原曲のオペレッタそのままの楽曲もあれば、ジャズ・ラップ・ジルバ・ルンバ・マーチなど万華鏡のように多彩なアレンジで魅了された、山下洋輔さんのアドリブはノリノリ、平野さんのサックスはスウィングしてグルーヴ(ワクワク感)があった。その伴奏に乗ってオペラ歌手が陽気に歌っているのだから、それはそれは不思議な光景であった。

筒井さんの歌詞は特に《不倫のマーチ》が可笑しくて最高。

誰が非難しても、まことの愛があれば
恐れず身を焦がす
それがフリン フリン フリン フリン!
これこそ新たなる 人の恋のかたち
やがてわれらの世界がくる
その日は明日だ!

天国のレハールも、びっくり仰天していることだろう。

オペラとジャズのコンサートを同時に愉しんだような贅沢な2時間半だった。

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つぐない

評価:B+

映画予告編はこちら

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「つぐない」は英アカデミー賞(BAFTA賞)で作品賞および美術賞を受賞。米アカデミー賞では作曲賞に輝いた。

まずその音楽(ダリオ・マリアネッリ)が圧巻である!これだけでも映画館に聴きに往く価値があると断言しよう。まず映画の冒頭、少女が打つタイプライターの音が強烈に耳朶に響く。そしてそれが何時しかリズムとなって、激情の音楽へと変化していく。つまり、ルロイ・アンダーソンが作曲した名曲「タイプライター」をもっと仄暗く、劇的にした印象なのである(その音楽は上に紹介した映画公式サイトで聴くことが出来る)。

ピアノを主体として、これだけ雄弁に語りかけてくる映画音楽というのは、そうざらにはない。僕が想い出すのはミッシェル・ルグランが作曲した「恋」(The Go-Between,1970)とマイケル・ナイマンの「ピアノ・レッスン」(The Piano,1992)くらいである。必聴。

アカデミー賞にノミネートされた撮影も素晴らしい。特に戦場の場面で、ワンシーン・ワンカットによる長廻しは迫力がある。

映画自体は基本的にメロドラマであるが、捻りが効いていてなかなか面白い。以下ネタバレあり

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結局、主人公の少女は自分の想像力(imagination)のせいで姉とその恋人を不幸のどん底に追いやってしまうわけだが、彼らに対して彼女が贖罪するために出来たのは、やはりimaginationの産物でしかなかったという人生の皮肉。人間という生き物が固有に有する想像力は諸刃の剣であることを、この映画は残酷なまでに美しく、我々に訴えかけてくるのである。

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なにわ 《オーケストラル》ウィンズ始動!

吹奏楽をこよなく愛するオーケストラ奏者たちが集う祭典、なにわ《オーケストラル》ウィンズ2008(←当日券あり!)の演奏会がいよいよ近づいてきた。会場は5/4大阪ザ・シンフォニーホール、5/5東京芸術劇場である。これに参加する音楽家たちは既に日本全国から大阪に集結、5/1からリハーサルが始まっている。僕が調べられた範囲で、なにわに参加するメンバーのブログをご紹介しよう(他にもあれば直ぐに追加しますから、ご連絡下さい)。

Chezのだっち(群響 クラリネット奏者)
Chezかせっち(東フィル オーボエ奏者)
めぐみのフルートダイアリー(広響 フルート奏者)
ふーじーの見た空(大阪シンフォニカー ファゴット奏者)
YUSUKE's NOMNOM(ソプラノサックス奏者)
いさおのブログ(東響 チューバ奏者)
Labyrinthos(大阪センチュリー コントラバス奏者)
ファルファーレ たかよ&えりのお部屋にようこそ(京響 ハープ奏者)

なにわ 《オーケストラル》ウインズ (NOW)は2003年に産声を上げた。代表世話人は大阪フィルハーモニー交響楽団主席クラリネット奏者の金井信之さん。当初は名前の通り関西のオケ奏者が中心メンバーだったが、評判が評判を呼び是非やりたいと関東から参加する音楽家も次第に増えてきた。例えば2003年にNHK交響楽団から参加は0人だったが、今年は3人もいる。

NOWに刺激を受けて東京でも似た企画が始まった。2006年8月6日に行われた"N響ほっとコンサート"である。NHK交響楽団が初めて吹奏楽を演奏したことで話題となったが、実質的にはN響のメンバーだけでは到底足らないので在京オケの管楽器奏者たちが多数トラ(客演)で参加した。

ここで、かの有名な"Band Journal事件"が勃発する!Band Journalは吹奏楽をする中高生の大半が読んでいる月刊誌。N響のクラリネット奏者・加藤明久さん(アッキー)は「アッキーにくらくら」という連載をBJ誌に持っている。NOWに参加したアッキーは大阪府立淀川工科高等学校(淀工)の丸谷明夫 先生(丸ちゃん)の指揮下で演奏したことに感激し、後に"N響ほっとコンサート"を振った山下一史さんを、丸ちゃんを引き合いに出しながらマーチに対する愛情が足りないとBJ誌上で徹底批判したのである。こんなこと書いて大丈夫なのだろうかと読んでいてハラハラしたが、吹奏楽に対する熱い想いがあってこその発言なのだろう、何だか微笑ましくもあった。そのアッキーは今年もNOW に参加する。

それから2006年は"ダブルブッキング事件"もあった。委託販売したチケットぴあのミスで演奏会当日に席のダブルブッキングが発生し、そのトラブルで開演が30分遅れたのである。事態を収集すべく丸ちゃんは座れなかった聴衆のために淀工生の席を提供、結局多くの淀工生たちは立ち見で聴く羽目になった。だから今年、NOWのチケットは一切チケぴでは販売されていない。

また上に紹介したブログによると、NOWのリハーサルも淀工の合奏場で行われるようである。我々聴衆も、このような淀工生の献身的奉仕によってNOWが成り立っていることを肝に銘じてコンサートに臨みたいと想う次第である。

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