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2008年3月 7日 (金)

鈴木華重子/ワンコイン・コンサートと小説「草の花」

兵庫県立芸術文化センター大ホールで鈴木華重子さん(Pf)によるワンコイン・コンサートを聴いた。オール・ショパン・プログラムである。

曲はまず鈴木さんのピアノ独奏で、比較的珍しい「タランテラ」、そして「アンダンテ・スピアーナートと華麗なる大ポロネーズ」。そして後半は第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの5名が加わり、ピアノ協奏曲第1番(室内楽版)が演奏された。

第1ヴァイオリンが大阪フィルハーモニー交響楽団の若きコンサートマスター、長原幸太さん。そして大フィルのセカンド・ヴァイオリン首席奏者の佐久間聡一さんも参加された。佐久間さんの公式サイトはこちら(ただし、3年前から更新されてません)。佐久間さんは昨年4月の定期演奏会から客演奏者として大フィルのセカンドを弾かれており、「大阪クラシック」でも大活躍だったのだが、入団が正式に発表されたのは今年の2月。漸くという感が強い。アンコールの時に佐久間さんのお茶目なエピソードもあるのだが、それについてはblog「お茶の時間」にしませんか?にお任せしよう。

演奏のほうはもう、お見事と言うほかない。公演は2日ありチケットはいずれも完売(大ホールの客席数は2,141席)。そりゃ当然だろう。たった500円で、これだけ充実した内容が聴けるのだから。おまけに立派なプログラムまで付いてきた。こりゃ採算度外視だな。兵庫県は偉い!それに引き換え、大阪府ときたら……。

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ピアノ協奏曲は作曲者自身の手で編曲されたもの。ショパンの生前には滅多にオーケストラ版が演奏される機会はなく、家庭やサロンではこの室内楽版が好んで演奏されたようである。ショパンのオーケストレーション自体お世辞にも出来が良いとは言い難いので、室内楽版も十分愉しめた。演奏者たちの和気藹々とした雰囲気がとても良かった。

このショパンのピアノ協奏曲を聴くと、僕はたちまち小説「草の花」のことを想い出す。今回もそうだった。会場の親密な空気が、より一層その感情を喚起したのかも知れない。

青春小説の金字塔である福永武彦の「草の花」と出会ったのは、僕が18歳の時。福永文学初の映画化となった大林宣彦監督の「廃市」を観たのが切っ掛けだった。それ以降これは僕にとって最愛の書物となり、もう何度読んだか分からない。病高じて昭和二十九年(1954)に新潮社から発行された初版本を手に入れたくらいである。

「草の花」に関しては僕のホーム・ページでひとつのコーナーを設けている。こちらからどうぞ。小説の舞台となった信濃追分に旅したのが写真の日付を見ると1990年夏だから、ちょうどレナード・バーンスタイン最後の来日した年である。

佐藤江梨子さん(サトエリ)は、「草の花」文庫本の帯に次のような言葉を寄せている。

私はこの尊いまでに美しい小説を酸素や水のように求めている。

また、女優の本上まなみさんも愛読書として「草の花」を挙げておられる。

小説の中で主人公・汐見が、亡くなった親友藤木の妹・千恵子を誘い日比谷公会堂(昨年、井上道義さんがショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクトをされた場所)にショパンのピアノ協奏曲第1番を聴きに往く場面がある。ちょっと長くなるが終演後の情景を引用してみよう。

 公会堂の石段を降り切ると、ひっそりした群集は三々五々、影絵のように闇の中に散り始めた。そこまで、まだ音楽の余韻が漂っているように、空気は生暖かく重たかった。僕等は次第に薄れて行く音楽の後味を追いながら、ゆっくりと歩道を歩いた。どんなにゆっくり歩いても、ゆっくりすぎることはないような気がしていた。
 ― 千枝ちゃん、お茶でも飲む?
 千枝子は僕の方に顔を向けて、首を横に振った。
 ― 返事をするのも惜しいみたいだね、と僕はからかった。
 ― だってとってもよかったんだもの。汐見さんはそんなでもない?
 ― そりゃ僕だって。僕は音楽会へ行くのが、もう唯一の愉しみだよ。
 ― あたしのことは? と悪戯っ子のように訊いた。
(中略)
 新橋から省線に乗ると、釣革につかまった二人の身体が車体の振動のために小刻みに揺れるにつれて、時々肩と肩がぶつかり合った。そうするとさっき聞いたコンチェルトのふとした旋律が、きらきらしたピアノの鍵音を伴って、幸福の予感のように僕の胸をいっぱいにした。満員の乗客も、ざわざわした話声も、薄汚れた電車も、一瞬にして全部消えてしまい、僕と千枝子の二人だけが、音楽の波の無限の繰返しに揺られて、幸福へと導かれて行きつつあるような気がした。僕はその旋律をかすかに、味わうように、口笛で吹いた。千枝子が共感に溢れた瞳で、素早く僕の方を見た。
清冽な叙情。まるで言葉そのものが音楽のようである。鈴木華重子さんの指が紡ぎ出す、寂しくて、そしてどこまでも甘美なショパンの旋律に耳を傾けながら、僕はこの小説のことを想い、心は遙か彼方にある信濃追分の林道を、汐見千枝子と共に彷徨うのだった。

最後は千枝子の手紙の言葉で締めくくろう。前の文章から歳月は無情にも過ぎていった。

わたくしはただ今、乏しい家計を割いて、節子にピアノを習わせております。わたくしは時折、家からさほど遠くないピアノの教習所の塀に凭れて、節子を待ちながら、中から洩れて来る練習に耳を傾けます。上手なお子さんがショパンの幻想曲やワルツなどを弾いているのを聞いておりますと、その甘い旋律がわたくしの心の中を貫き、過ぎ去ったことどもが次々と目の前に浮かぶのを覚えます。汐見さんはどのようなお気持ちで死んで行かれたことでしょうか。想えば人間の心の奥深いところは誰にも分からないのでございましょう。

今考えてみれば、この一節は間違いなく大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」でショパンの「別れの曲」が流れるラストシーンに直結している。久しぶりに「さびしんぼう」が観たくなった。そんなことどもを想い出させてくれた、鈴木さんと素敵な仲間たちに感謝。

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» 愛と早春とピアノの詩集の巻 [「お茶の時間」にしませんか?]
田渕君(渕):  客席、満員やったな。 長澤クン(澤):  そうでしょ。鈴木華重子さんの「ピアノの詩集」、二日間ともチケット完売だもん。 ... [続きを読む]

受信: 2008年3月 7日 (金) 12時45分

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