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2008年3月

2008年3月31日 (月)

喜寿記念/桂春團治 落語会 その参

春團治 落語会 第五回目、三月三十日(日)夜公演の模様をお伝えしよう。

演目は以下の通り。

桂 春菜/七度狐
笑福亭三喬/月に群雲
(むらくも)
桂 歌丸/紙入れ

~中入~

桂福團治/長屋の花見
桂春團治/代書

春菜さんの噺は面白かったし、特に幽霊の表現の仕方が巧かったので感心したが、問題は「まくら」(前置き)。春菜さんがNHKのテレビ放送で喋ったのと、繁昌亭、そして今回のワッハホールと内容が全て同じだった。若いんだし、客を飽きさせないような工夫がもっと必要だろう。精進すべし!

秀逸だったのは昨年、繁昌亭大賞を受賞した三喬さん。今、乗りに乗っている噺家さんだ。泥棒噺を得意とされているが「月に群雲」にも盗人が登場。これは小佐田定雄さんによる新作落語。初演が平成十年。もともと台本にタイトルは無く、アンケートでお客さんに付けてもらうという趣向で決まったそうだ。江戸時代を舞台に登場人物たちが生き生きと描かれ、全く新作という感じがしなかった。お見事っ!

代書屋」は桂 米朝さんの師匠、四代目・桂米團治の作。春團治さんはこれを米朝さんから直伝されたそうだ。代書屋と客のやり取りがユーモラスで味がある。この噺は「爆笑王」こと故・桂 枝雀(米朝一門)が最も得意としていたものだそうで、枝雀版はかなり換骨奪胎しているらしい。是非そちらもDVDで観てみたいっ!

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2008年3月30日 (日)

喜寿記念/桂春團治 落語会 その弐

さて、三代目 桂春團治さんの落語会、第三回に当たる三月二十九日(土)夜の公演について書こう。

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演目は以下の通り。

笑福亭風喬/花色木綿
立川談春/桑名船
笑福亭鶴光/太閤と曽呂利

~中入~

桂 南光/壷算
桂春團治/いかけや

談春さんの「桑名船」は、鮫に取り囲まれた乗り合い船の上で講釈師が色々な講談をごちゃ混ぜにして「総合講釈」する下りが、畳み込むような語り口でお見事。まくらでは立川談志 師匠に関する面白おかしい話もあった。

鶴光さんは、「オールナイトニッポン」など、ラジオのパーソナリティを長年勤められていただけに活舌の良さ、話術の巧みさが群を抜いていた。上方落語四天王のひとり、故・笑福亭松鶴の弟子である鶴光さんは、上方落語協会のみならず東京の落語芸術協会にも客員真打として加盟されており、通常は東京の寄席に出演されているそうだ。やはり松鶴の弟子である鶴瓶さん同様に、東京と上方の架け橋として活躍されているということなのだろう。

南光さんはムラのない安定感が聴いていて心地よい。南光さんの師匠である故・桂 枝雀は「爆笑王」の異名をとる天才だったが、南光さんはそれとはまた別の道を歩んで往かれようとしているように見受けられる。

春團治さんの「いかけや」は代わるがわる子どもになぶられる鋳掛屋(鍋、釜など鋳物の修理を行う職業)を描く、春団治三代に渡って語り継がれている噺。その子供ひとりひとりの表現が可愛らしく味がある。正に匠の芸であった。

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2008年3月29日 (土)

喜寿記念/桂春團治 落語会 その壱

上方落語四天王のひとり、桂春團治さんの喜寿を祝う落語会を聴きに、ワッハホールに往った。

ホールのあるワッハ上方は難波中心部にある府立の施設であり、赤字のため橋下 徹・大阪府知事が売却・民営化の方針を打ち出している。僕は選挙で橋下さんに一票を投じなかったし今でも彼を支持しないが、ワッハの民営化には賛成である。会場でワッハ存続を求める署名運動を行っていたが、僕は書かなかった。大阪には繁昌亭だってあるし、ワッハの目の前にグランド花月もある。なにも府がこのような施設を堅持する必要もないだろう。それから橋下さん、大阪府文化振興財団が運営している大阪センチュリー交響楽団(大阪で四番目に結成されたプロのオーケストラ)についても、存続の是非を含め今後のあり方を真剣に考えて下さいね。税金の無駄遣いはやめましょう(詳しくは記事「在阪オケ問題を考える」をご覧下さい)。

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さて、肝腎の落語会である。五公演あったうち、初日三月二十八日(金)夜の演目は以下の通り。

桂 福矢/牛ほめ
桂小春團治/職業病
(創作落語)
春風亭小朝/扇の的(「源平盛衰記」より)

~中入~

笑福亭松喬/花筏
桂春團治/祝のし

一番面白かったのは何と言っても東京からこの会のために来られた小朝さん。「扇の的」は屋島における源平の合戦で那須与一が扇を射抜く有名な場面。本編の合間にしばしば話が横道に逸れて、小朝さんご自身の離婚や大河ドラマ出演のエピソード、赤福の偽装問題、安倍総理辞任の話題などがポンポンと目まぐるしく飛び出し、片時も目が(耳が?)離せなかった。

春團治さんの落語は、今回初めて拝聴した。失礼な物言いかも知れないが、なんだか可愛らしいおじいちゃんで、とても粋で上品な落語だった。成る程、これが名人の技かと感じ入った。四天王のひとり、桂 米朝さんは現在82歳。ご高齢なので最近米朝さんは高座で「よもやま噺」しかされなくなった。だから春團治さんには一日でも長く、色々な噺を聴かせて頂きたいと想う。

春團治さんのされた「祝のし」は昔の話であり少々ディテールが分かり辛かった。帰宅し色々調べてみて、漸く内容を把握出来た。お祝いで添える熨斗(のし)は現在のものとは違い、昔はアワビの肉を薄く削ぎ、火熨斗(ひのし。炭火を入れて、その熱により布類のしわ伸ばしに用いた道具)を用いて乾燥させたものだったそうだ。「のし」は延寿に通じるため、古来より縁起物とされてきたらしい。伊勢神宮に奉納されている「熨斗あわび」の写真はこちらで見ることが出来る。

成る程、落語というのは色々と勉強になる。生活の役には立たないけれど。しかし、エンターテイメントはそれでいいのだ!

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2008年3月28日 (金)

広上淳一/大フィル いずみホール特別演奏会

大阪フィルハーモニー交響楽団 いずみホール特別演奏会 II ~古典から近代への旅~ を聴きに往った。指揮は2008年4月より京都市交響楽団の常任指揮者に就任される広上淳一さんである。
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客席は半分くらいしか埋まっておらず、熱演した音楽家たちが一寸気の毒だった。いずみホールのキャパシティから考えると400人程度の入りだろうか?

曲目:
ハイドン/交響曲第60番「うっかり者」
ショスタコーヴィチ/バレエ組曲より
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「プルチネルラ」

まず総評から言うと、広上さんの指揮は速めのテンポで颯爽としており、弾力性があり表情豊か。魅力的な音楽作りをされていたと想う。ショスタコーヴィチストラヴィンスキーなど20世紀の音楽については文句なし、特にショスタコーヴィチは今後、これ以上充実した演奏にはお目にかかれないかもしれない位の素晴らしさだった。

ハイドンの上品なユーモアに対してショスタコーヴィチはむしろ(自虐的とも言える)アイロニカルなユーモアの持ち主だったんだなということが、今回のコンサートを聴いてよく分かった。ソヴィエト共産党の批判に曝されながらその中で生きざるを得なかった作曲家の苦渋と心の暗黒が、曲調の表面的明るさの中に垣間見られ、その屈折した構造がスリリングで面白かった。

大フィルが誇る弦楽アンサンブルの巧さ、美しさも特筆すべきだろう。長原幸太さん、梅沢和人さんと二人のコンサートマスターが揃い踏みという、大植英次さんが指揮される定期以外では滅多にお目にかかれない、気合の入り方も圧巻だった。

ただ弦が頑張っている分、金管、特にトランペットのミスが目立った。前半、客演奏者としてトップを吹いていたアレクセイ・トカレフ氏(元サンクトペテルブルク交響楽団首席トランペット奏者)は、音を何度も外すし、ソロはたどたどしいし、散々だった。

それからモダン・ティンパニを使用し、ビブラートをたっぷり効かせたハイドンについては最後まで違和感を拭い去ることは出来なかった。以前「21世紀に蘇るハイドン」の記事に書いたことだが、これが30年前なら生き生きしたハイドンとして評価出来たかも知れない。しかし今や我々は、ブリュッヘン/18世紀オーケストラによる古楽器演奏による魅力的なハイドンを体験し、ラトル/ベルリン・フィルによる鮮烈なピリオド・アプローチの洗礼も受けている。それらを前にして、広上/大フィルの演奏は残念ながら古色蒼然とした20世紀の遺物にしか聴こえなかった。彼らにはアクチュアルな時代認識が欠如しているように僕には想われる。

NHK交響楽団ロジャー・ノリントンを定期演奏会の指揮者として招き、全曲ノン・ビブラートで弾き切った。新日本フィルハーモニー交響楽団は2008年度の新シーズンにフランス・ブリュッヘンダニエル・ハーディングなどピリオド・アプローチ系指揮者を招聘している。また東京交響楽団は2004年からユベール・スダーンが音楽監督となり、モーツァルトを演奏するときはピリオド奏法、バロック・ティンパニが当たり前となっている。正指揮者である飯森範親さんもピリオド・アプローチの旗手である。そしてスダーンを客演として迎えた兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオケ、2008年3月)も仙台フィル(2007年11月)も果敢にピリオド奏法にチャレンジしている。そんな時代に大フィルだけがこんな古めかしいスタイルに固執していて、本当に良いのだろうか?

関連blog記事:
不惑ワクワク日記(同じコンサートを聴かれた方の感想)

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2008年3月27日 (木)

天神寄席

天満天神 繁昌亭で落語を聴いた。今回は大阪天満宮「菜花祭」にちなんだ対談もあった。

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出演者と演目は以下の通り。

桂 春菜/善哉公社
桂 文昇/かきわり盗人
露の慎悟/阿弥陀池

ー中入ー

桂 小枝/植物園

「植物園」は「動物園」に手を加えたもの。「動物園」は原作がイギリスの話で、2代目 桂 文之助(1859-1930)が落語に仕上げた明治の新作落語である。これは小枝さんの師匠である故・桂 文枝が得意としており、また故・桂 枝雀が英語落語にして海外で披露、現在は桂 かい枝さんも世界11カ国で公演されているとか。

小枝さんは「動物園」のさげだけでは終わらず、続けて「水族館」「植物園」のエピソードへと繋げていかれた。バカボンのパパが登場するなど後半のオリジナル部分は赤塚不二夫的ナンセンス・ギャグに走り展開に些か苦しい所もあったが、そこそこ愉しめた。しかし、僕は小枝さんの真骨頂はまくら(導入部)だと想う。

「みなさん!私のことをテレビのレポーターと勘違いされている方がいらっしゃるかも知れませんが、本当は落語家なんです」「私らが寄席で着ているのは、そんじゃそこらの着物とはわけが違います。自慢じゃないけど上等なんです。本当のこと教えましょか?…(声をひそめて)…実は、ポリエステル100%なんです」と開口一番に笑いをとり、繁昌亭に飾られている「楽」と書かれた色紙が桂 米朝さんの手によるものという話から、息子の小米朝さんの爆笑エピソードに移る。さらに「浪速のモーツァルト」ことキダ・タローさんの話へと怒涛の展開をしてゆく。そこまで言うか!?の毒舌噺。やっぱり小枝さんは面白い。なんばグランド花月に出演されることの方が多く、繁昌亭では滅多にお目にかかれないのが残念だ。次回の小枝噺はゴールデン・ウィーク中に聴く予定。

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2008年3月25日 (火)

ノーカントリー

評価:B

映画公式サイトはこちら

まず邦題が酷い。原題は"No Country for Old Men" つまり、「老人に住む国なし」という意味だ。これが「ノーカントリー」だと全く意味不明。原作小説の邦題は「血と暴力の国」。内容に即しているだけ、そちらの方が幾分か好感が持てる。スピルバーグがアカデミー監督賞を受賞した映画"Saving Private Ryan"(ライアン二等兵を救出せよ)の邦題が「プライベート ライアン」となり、分けわかんなくなったあの醜態を想い出した。カタカナ英語にしたいのなら省略すべきではないし、映画宣伝部はもっと分かり易いタイトルを付ける努力をすべきである。職務怠慢以外の何ものでもない。

ジョエル&イーサン・コーエン兄弟の監督作品で僕が今まで観たことがあるのは「ミラーズ・クロシング」「バートン・フィンク」(カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞)「未来は今」「ファーゴ」(カンヌ国際映画祭監督賞受賞)「オー・ブラザー!」などである。そして一度たりとも彼らの映画を面白いと想ったことはない

第80回アカデミー賞で作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞を受賞した「ノーカントリー」はコーエン兄弟のフィルモグラフィの中ではマシな部類かなと想った。オスカーを受賞したハビエル・バルデム演じる殺し屋シガーの特異なキャラクターが滅法面白く彼から目が離せないので、その分見応えがあった。

シガーは自分で定めた勝手なルールに従って殺しをする。そのルールは殺される側の立場に立つと理不尽極まりない。彼の持つ攻撃性・凶暴さはある意味、アメリカという国家そのものの象徴である。アメリカは自分たちの「デモクラシー」が絶対正義だと信じ、それを他国に押し付けようとする。例えばイラク。ありもしない「大量破壊兵器」の存在を主張し、一方的に攻撃、占領した。ベトナム戦争では敗北したが、やろうとしたことは結局同じ。そして今度はその矛先をイランに向けようとしている。

「ノーカントリー」という作品全体を覆い尽くすのは虚無感である。トミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官は「どうしてこの国はこんなことになってしまったんだろう?どこで我々は道を誤ったのか?」と嘆く(直截彼が言うわけではないが、ラストシーンの呟きは煎じ詰めればそういうことである)。これは一種の諦念である。

アメリカの暴力性に対する絶望は、その国民ならば切実なテーマに違いない。だから本作がアカデミー作品賞を受賞した理由は十分頷ける。僕がもしアメリカ人なら評価をAにしたかも知れない。しかしそれは銃社会であるアメリカ固有の問題であり、普遍性があるとは僕には想えない。だから日本人にとってこの作品は、琴線に触れることろの全くない映画だと断じて差し支えないだろう。

なお、アメリカ社会がどうして銃と決別できないかについては、その歴史と大いに関わる問題である。この点に興味のある方はアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞したマイケル・ムーア監督の「ボーリング・フォー・コロンバイン」をご覧になることをお勧めする。

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2008年3月24日 (月)

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン「マタイ受難曲」

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)が演奏する「マタイ受難曲」を聴きに、ザ・シンフォニーホールに往った。

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前回BCJを聴いた時の感想はこちら。なお、こういう宗教曲の場合、聴き手がキリスト教徒か否かで感想も変わってくるだろうから筆者の立場を明らかにしておこう。僕はクリスチャンではない。

ロシアの生んだ偉大な映画監督アンドレイ・タルコフスキーの遺作「サクリファイス」(1986、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ) にも「マタイ受難曲」が登場する。このことについて作曲家・武満徹は次のように語っている。

今度の映画では、映画の前にバッハのマタイ受難曲(パッション)が流れるでしょ。あれはマタイの中でも最も重要なものです。ペテロがキリストを裏切って、鶏が三度鳴いて、そのあとで号泣するところに流れる音楽なんですね。神よ、憐れんで下さい、私の涙にかけて、と──。激しく許しを乞う歌なんです。あの曲が冒頭に出てきた。ドキッとしましたね。(中略)
彼がマタイのあの曲を選んだということには、大きな意味合いがあったろうと思いますね。これはごく私的なことですが、僕は新しい作品を書くときに、いつもバッハのマタイ受難曲を聴いてから取りかかるんです。一種禊(みそぎ)のような──。
イメージフォーラム増刊号「タルコフスキー、好きッ!」より)

そして武満自身、死の直前に病床で聴いていたのが「マタイ受難曲」であった。

Sacrifice

「マタイ受難曲」が初演されたのは1727年、ライプツィヒの聖トーマス教会。バッハは当時42歳。バッハの死後、これを復活上演したのが20歳のフェリックス・メンデルスゾーンで、初演から100年経った1829年のことである。このとき幾つかのカットが行われ、また古楽器オーボエ・ダ・カッチャをバスクラリネットで代用するなどいわゆる当時の「モダン楽器」による演奏だった。なおメンデルスゾーンはユダヤ人だが、父アブラハムの代にルター派キリスト教徒に改宗している(バッハもルター派だった)。

僕が所有しているマタイのCDは不滅の名盤と言われているカール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団によるモダン楽器の演奏である。これで聴くと、例えば第1曲などは悲痛な心の叫びのように聴こえる。

しかし古楽器(オリジナル楽器)による今回のBCJはむしろ淡々と始まったような印象を受けた。静謐な哀しみ。それが全体を貫き、終曲の浄化へと向かってゆく。そんな演奏だった。

弦楽器と管楽器はそれぞれ第I群と第II群に分かれ、指揮者を中心として左右対称に配置された。そして各々の群が時には交互に、またある時は同時に演奏し、まるで対話をしているかのようであった。このようにして初めてバッハが紡ぎだす対位法の美しさが際立ち、対向配置の意味が出てくるのだと得心した。ちなみにリヒターの演奏ではこのような明確なオーケストラの群分けはされていない。

古楽器による演奏を聴くと、たとえピリオド奏法をしようがモダン楽器ではバッハの真の美しさは絶対に表現できないことを確信する。特にオーボエ・ダ・カッチャの不思議な味わいは、バスクラリネットは無論のこと、イングリッシュホルンなど他の楽器に置き換えることなど出来はしない。フラウト・トラヴェルソ(バロック・フルート)だってそうだ。

また今回の演奏会で特筆すべきは歌の充実ぶりだろう。バロック声楽を熟知しビブラートを抑えた発声法による合唱の透明度は高く、ソリストも実力者揃いであった。特にソプラノのハナ・ブラシコヴァとカウンターテナーのダミアン・ギヨンの声の清冽さは筆舌に尽くし難い。

バッハの「マタイ受難曲」は人類が生み出した究極の遺産、至高の芸術作品である。それは一宗教の枠を軽く超越している。その真実を鈴木雅明/BCJは教えてくれた。僕も自分の人生の最後を迎える時には武満やタルコフスキーと同様に、この曲を聴きながら心穏やかに眠りに就きたいと想うのである。

関連blog記事:
ひろのマーラー独り言
ひねくれ者と呼んでくれ
オペラの夜
ぶらぶら、巡り歩き

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2008年3月22日 (土)

大阪市音楽団/青少年コンサート

第34回 青少年コンサートを聴きに、森ノ宮ピロティホールへ往った。演奏は新田ユリ/大阪市音楽団市音)、またフィンランド放送交響楽団の首席トランペット奏者、ヨウコ・ハルヤンネ氏がゲストとして登場した。プロの吹奏楽団である市音を聴くのは昨年11月の定期演奏会以来だから、実に4ヶ月ぶりである。

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まず酒井 格/たなばたが演奏された。酒井さんは1970年大阪生まれの作曲家。全日本吹奏楽コンクールでは京都の龍谷大学が毎回酒井さんの新曲を披露し、過去4度金賞を受賞している。「森の贈り物」「七五三」「波の通り道」などの題名からも分かるように、音楽そのものも優しく愛らしい作品が多い。「たなばた」は高校生の時に作曲されたものだそうで、酒井さんらしく穏やかで、心地よく耳をくすぐる旋律に溢れた名曲。人気があるのも納得がいく。

田中久美子/アンダルシアは香川県高松市出身の田中さんがグラナダ、コルドバなどスペインのアンダルシア地方を旅された印象を書かれた作品。会場には酒井さんと田中さんもいらっしゃっていて、曲が終わると立ち上がり聴衆に挨拶をされていた。

続いてアルチュニアン/トランペット協奏曲(1950年初演)。アルチュニアンはアルメニアの作曲家であり、その民族色豊かな節回しは同郷のアラム・ハチャトゥリアン(「ガイーヌ」「スパルタクス」)を思い起こさせた。

トランペットは「輝かしい響き」とか「黄金のトランペット」などと形容されることの多い楽器だが、ハルヤンネさんの奏でる音は、全く性格の異なるものだった。むしろ「いぶし銀の輝き」を放ち、「熾火のように」仄かに燃え続ける演奏と表現したらいいだろうか。成る程これこそがフィンランドの空気感、シベリウスの世界なんだなぁと感じ入った。

休憩を挟んで2008年度全日本吹奏楽コンクール課題曲5曲が演奏された。ちなみに全日本吹奏楽連盟から有料配布されている今年の課題曲参考演奏CD及びDVDは、秋山和慶/大阪市音楽団がレコーディングしたもの。だから市音の演奏はさすがに上手い。

内藤 淳一/ブライアンの休日は第18回朝日作曲賞を受賞した明るく軽快なマーチ。内藤さんの作品は「夢と勇気、憧れ、希望」「栄光をたたえて」等、過去何度もコンクール課題曲に選ばれている。

浦田健次郎/セリオーソは極めて内証的な楽曲。最後のパーカッションによる強打が印象深い。

片岡寛晶/天馬の道~吹奏楽のために~で僕が即座に連想したのはNHK大河ドラマ。まず冒頭、「天馬の道」と毛筆で大きく書かれた題字が画面一杯にド〜ンと出る。そして遠くから、真っ白な天馬がスローモーションでカメラに向かって駆けてくる。そんな情景が思い浮かぶ、華やかで演奏効果の高い作品だった。

井澗昌樹/火の断章はストラヴィンスキー/春の祭典を彷彿とさせ、原始的パワーを秘めた、沸々とマグマが地の底から湧き上がって来るような曲。

糸谷 良/マーチ「晴天の風」を作曲した糸谷君は1990年生まれの何と現在、高校二年生!素直で、そよ風のように爽やかな行進曲。

課題曲も終わりプログラム最後はスパーク/ドラゴンの年。ご存じ、スパークの名を一躍世界に轟かせた名曲中の名曲。

そしてアンコールは、来ました!ヤン・ヴァン・デル・ロースト/アルセナール!!。この曲の冒頭部を聴いた瞬間に、僕は全日本マーチングコンテストで金賞に輝いた、滝川第二高等学校吹奏楽部の王者の行進が脳裏に鮮やかに浮かび上がった。そう、漸く長い冬は去り、吹奏楽に胸を熱くする季節が再び巡って来た。僕はアルセナールを聴きながら、春の足音を確かに感じたのだった。

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2008年3月21日 (金)

桂かい枝/繁昌亭スペシャル 〜アメリカ、笑わせて来ます!〜

噺家の桂かい枝さんは今月末から日本を発ち、シアトルを起点に6ヶ月間キャンピングカーを運転しながら全米を縦断する武者修行をされる(終着地はニューヨーク)。披露するのは英語落語で既に30カ所で演じることが決まっているが、飛び入りでスタンドアップ・コメディ・ショー等にも出演したいと考えていらっしゃるそうだ(落語はさながらシットダウン・コメディと呼べるだろう)。かい枝さんの公式ブログはこちら

その壮行会とも言うべき催しに参加すべく、天満天神 繁昌亭に足を運んだ。

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桂都んぼさん、林家染弥さんら、平成六年に入門したかい枝さんと同期の仲間たちが集った。他にも桂 春菜さんや、大河ドラマ「新選組!」に出演し現在は朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」でお茶の間にお馴染みの桂 吉弥さんも平成六年組だそうである。なかなか優秀な面々が揃っている。同期による「うだうだトーク」もあり、最後は太鼓やチャンチキも登場し、大阪締めでお開き。大層盛り上がった。

桂都んぼさんがされた噺は「兵庫船」。

林家染弥さんは「勘定板」。この噺はつい先日、桂文華さんで聴いたものだ。

そしてかい枝さんは「ちりとてちん」と「お牛玉」。

僕はたまたま、前日にDVDで桂吉弥さんの「ちりとてちん」を観たばかりであった。吉弥さんは非常に端正な「ちりとてちん」を演じられ、さすが役者業もされているだけのことはあるその演技力に感心した。

かい枝さんの「ちりとてちん」は全く吉弥さんとは別のアプローチだった。ふんだんに盛り込まれたギャグが秀逸で、その身振り手ぶりも真に面白い。成る程、「第一回繁昌亭爆笑賞」の面目躍如、繁昌亭を笑いの渦に巻き込んだ。

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2008年3月18日 (火)

聴かずに死ねるか! 児玉 宏/大阪シンフォニカーのベートーヴェン

児玉 宏/大阪シンフォニカー交響楽団によるラブリーホール開館15周年記念「祝祭コンサート」を聴きに、河内長野市へ足を向けた。ここは大阪シンフォニカーが日頃からリハーサル等で使用しているホールだそうである。

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児玉さんは2008年4月より大阪シンフォニカーの音楽監督・首席指揮者に就任される。昨年、児玉さんが振ったブルックナー/交響曲第五番の演奏は2007年音楽クリティック・クラブ賞を受賞している。その定期演奏会を聴いた時の僕の感想はこちら

来る6月20日に開催される音楽監督・首席指揮者就任記念演奏会で指揮するウォルトン/戴冠式行進曲「王冠」に寄せて、児玉さんは以下のようなメッセージを書かれている。

「ダイアナ妃」の登場によって、ヨーロッパの中でも最も保守的であるとされてきたイギリス王室の中にもたらされた改革は、「前例に従い、形を継承する」という安易な解釈では無く、新しいものを取り入れる寛容さと柔軟さを持った「生命力に満ちた価値」として歴史と伝統を継承するためには、それを守り司る立場の人間が持つべき「時代認識」が如何に大切であるかを示した意味で、人々の記憶に新しいと思います。

非常に興味深い内容である。「前例に従い、形を継承する」という安易な解釈を例えば指揮者ロジャー・ノリントンが推し進めている、モダン楽器によるノン・ビブラート奏法と置き換えてみよう。この場合前例に従うとは「1920年より以前はcontinuous vibrato(のべつ幕無しビブラート)の習慣はなかったのだから今こそオーケストラからビブラートを取り除くときだ」というノリントンの主張を指すことになる。そして新しいものを取り入れる寛容さと柔軟さとは第二次世界大戦以降、弦楽器がガット弦からスチール弦に置き換わる過程の中でcontinuous vibrato奏法が世界中のオケに広がったこととも解釈出来る。つまりそれを守り司る立場の人間とはクラシック音楽の伝統を継承する指揮者とオーケストラの楽員のことであろう。

では、指揮者・児玉 宏の有する「時代認識」とはどのようなものなのか?そこを注目してベートーヴェン/交響曲第七番を聴いた。ご存知「のだめカンタービレ」の影響で、一躍脚光を浴びた曲だ。

結論から言おう。もう圧倒的名演で腰を抜かした。これはカルロス・クライバー/ウィーン・フィルによる同曲のCDを初めて聴いた時のあの衝撃に匹敵すると言っても決して過言ではない。ブルックナーも凄いけれど、ベートーヴェンに於も児玉さんは桁外れの才能を持ったマエストロであることを改めて証明した。

第1楽章の冒頭では、「もしかして、これってピリオド奏法?」というくらい純度の高い響き(pure tone)がした。しかし、曲が進むにつれビブラート奏法が現れてくる。だからといって児玉さんは決して弦楽奏者にcontinuous vibrato(ビブラートの垂れ流し)はさせない。例えば3楽章のトリオ、管楽器が中心となる場面では弦は完全なノン・ビブラートになる。つまり、適材適所ビブラートとノン・ビブラートを使い分け、ビブラートはルーティーンワークではなく、ここぞという時に用いる武器であるという攻めの姿勢を明確に打ち出されたのである。このようにして児玉さんはノン・ビブラート原理主義者のノリントンにも、20世紀後半から弦楽奏者の慣例となったcontinuous vibratoのどちらにも与せず、独自の「時代認識」を示された訳だ。これには唸った。

児玉さんは形にも囚われない。弦は対向配置ではなく、左手から第1,第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが順番に指揮者を囲み、コントラバスは右手奥。人数は8-8-6-5-4。そして第1楽章の提示部反復は敢えてせず、第3楽章と4楽章の反復は行うという変則方式で演奏された。う〜ん、なかなか一筋縄ではいかぬ男よ。

ベートーヴェンの交響曲第七番は「リズムの権化」「舞踏の神化」等と呼ばれている。しかし昨年これを大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団で聴いた時は空中に舞い踊ったダンサーも途中で失速し、墜落するのではなかろうかというような体たらくだったのだが、児玉 宏/大阪シンフォニカーはリズムが生き生きと息づき、祝祭的で生命力に満ち溢れた演奏だった。

第1楽章はゴム鞠のようにしなやかな弾力性、柔軟さがあり、第2楽章は寄せては返す波を連想させる心地よいリズムが感じられた。そして第3,4楽章はまるでバスケットボールをドリブルしながらゴールに突進ているかの様な疾走感と躍動感!満席の観客も酔い痴れ、最後は割れんばかりの拍手、そして熱狂的ブラボーの嵐だった。

児玉さんの解釈は常に明晰で、曖昧なことろが皆無である。決してタメた演奏はせず、音楽にメリハリがある。それはウェーバー/「魔弾の射手」序曲でも同様だった。メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲は児玉さんにしてはテンポが遅めだなと感じたのだが、これは恐らくソリストである森下幸路さんの好みなのだろう。僕はふと、グールドとバーンスタインがブラームスのコンチェルトで共演した時のあの伝説的事件を想い出した。

アンコールはヨハン・シュトラウス2世/ピッチカート・ポルカ。大植/大フィルがこれをアンコールでする時は、コンサートマスターの長原幸太さんがヴァイオリン最後列に座って、曲半ばに登場するトライアングルを鳴らして笑いを誘うのだが、なんと今回は等身大のスタンドに設置されたトライアングルを児玉 宏さん自ら鳴らさた。しかも鳴らすのを間違えて観客にすみませんとお辞儀をされ、場内大爆笑となった。また、途中で指揮を止め客席に向かい、後ろの楽員を指さし「彼らを褒めてやって」というようなジェスチャーをされたり、最後はトライアングルを抱えて舞台下手に逃げ去ったりとなかなかユーモアのセンスにも長けた人だなぁと感心した。これからの大阪シンフォニカー、ますます面白いことになりそうだ。

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2008年3月14日 (金)

桂文枝 追善落語会 その弐

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大阪天満宮は梅が満開だった。春はもう、すぐそこだ。

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2005年にTBS系で放送された「タイガー&ドラゴン」(脚本:宮藤 官九郎、出演:長瀬智也・岡田准一・伊東美咲ほか)や2007年度「キネマ旬報」誌の日本映画ベストテンで堂々第3位に輝いた「しゃべれどもしゃべれども」(出演:国分太一、香里奈ほか)そして、現在NHKで放映中の「ちりとてちん」等の影響もあって今、空前の落語ブームである。

そんな最中、昭和の「上方落語四天王」と呼ばれた桂 文枝を偲び、その弟子たちによって開催された落語会の二日目を聴きに繁昌亭に往った。一日目の感想はこちら

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まず、桂 あやめさんが「師匠への手紙」。あやめさんは文枝直弟子の中で唯一の女性。男社会である落語の世界でもがき苦しみながら、やがてあやめさんは創作落語という活路を見出されるのだが、それを温かく見守ってくれた師匠への想いが溢れ、後半は涙ぐみながら手紙を朗読された。あやめさんが落語家を志したのが18歳の時。入門の許可を得るために慌てて運転免許を取ったこと、師匠のクラウンを初めて運転した際、阪神高速の環状線に入れなくて立ち往生したエピソードなどを面白おかしく話された。またあやめという名跡(みょうせき)はかつて文枝自身が名乗っていたもので、入門当初からその襲名を希望されていたこと、小枝さんの口ぞえで12年目にして漸くその願いが叶ったことなど興味深いお話も聴くことが出来た。そして最後は三味線を弾きながら都々逸(どどいつ)を披露された。

桂 阿か枝(あかし)さんは明石(あかし)市出身で文枝最後のお弟子さんだそうである。演目は「ん廻し」。「ん」という言葉をひとつ言えば、たこ焼きがひとつ貰えるという言葉遊び。

桂 小軽さんは文枝師匠がなんば花月(現:NGK)だけで披露していたという僅か2分程度の小噺をされた。

桂 枝曾丸(しそまる)さんは「おばちゃん鬘」を被って「和歌山弁落語」を披露。

桂 文也さんは「宿替え」(江戸落語では「粗忽の釘」)。長屋の壁に打った釘の先が隣に飛び出して大騒動に。

桂 こけ枝さんは「手水(ちょうず)廻し」。朝、顔を洗うことを大阪では「手水(ちょうず)を使う」というのだが、大阪の商人が丹波国に旅をして宿屋で「手水を廻してくれ」と言ったことから誤解が雪だるま式に膨れていく噺。

そして桂 小枝さんが「文枝想い出噺」。僕は朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」を観た時から小枝さんの大ファンで、特に小ネタ集パラダイス・シリーズは毎回わらかしてもろうた。だから関西に棲むようになって一度は生の小枝さんを観たいという願望が強かったのだが、漸くその夢が叶った。もう小枝さんが登場しただけで場内大爆笑!こんなキャラクターも珍しい。最初から最後までハイ・テンションで突っ走り、噺の中身も抱腹絶倒で涙が出た。今月もう一度、小枝さんの落語を聴かせて貰う予定である。

桂 枝女太(しめた)さんは「四人ぐせ」。四人各々の個性の違いを際立たせるジェスチャーの使い分けが面白かった。

桂 文太さんが登場するやいなや、場内のあちらこちらから「待ってました!」と声が掛かったのには驚いた。新聞記事によると、文太さんは繁昌亭のこけら落とし公演から毎回必ず高座で違う演目をかけ続けてこられたそうだ。その数は1年間で33回にのぼるとか。文太さんは持ちネタの数が非常に豊富な噺家で、他の落語家からの問い合わせもあるらしい。今回演じられたのは「七段目」。芝居好きの若旦那と番頭が繰り広げるてんやわんや。語り口の上手さが光った。

桂 三枝さんは前日に九州の別府で落語会があり、この日は小倉から新幹線に乗り継いで来られたそうである。前回聴いた「桂 三枝 話の世界」の日は鹿児島から繁昌亭まで駆けつけてこられたから、相変わらずお忙しいご様子。今回のことを書かれた三枝さんのブログはこちら

まず文枝師匠とアメリカ旅行をされた逸話をまくら(導入部)に、その想い出が盛り込まれた創作落語「お忘れ物預かり所」を披露された。三枝さんの創作落語はやっぱり桁外れに面白い。その幾つかは間違いなく古典として残り、今から百年後、二百年後でも高座にかかることだろう。こうして落語の新しい歴史が刻まれていくのだ。

二日間、とても愉しいひと時だった。また来年、僕は同じ日に同じ繁昌亭の椅子に坐り、皆さんの落語を聴かせて頂きたいと想う。

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2008年3月13日 (木)

桂文枝 追善落語会 その壱

連続テレビ小説「ちりとてちん」の影響もあり、今、上方落語が熱い。平成十八年に戦後初の落語専門の定席となる天満天神 繁昌亭が出来て、連日の大入り満員。今年の三月三日からはうめだ花月でも昼の定席が始まった(さすがは吉本。機を見て敏なり)。

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桂 文枝は現役の桂 米朝桂 春団治らと並び、昭和の「上方落語四天王」と呼ばれた方である。文枝が亡くなってちょうど三年目の命日に、弟子たちによる落語会が繁昌亭で開かれた。二日間で総勢二十人が出演する、その第一日目に足を運んだ。

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写真上段が昼席の出演者、下段が夜席・追善落語会の出演者、十名の一覧である。

桂 きん枝さんの「師匠への手紙」から始まり、文福さんの「文枝想い出噺」で仲入。他の八人は古典落語を披露された。その中で特に印象に残ったものについて書こう。

桂 かい枝さんの「いらち車」。なんだかヘンテコな人力車の車夫と、お客の噺。かい枝さんは身振り手振りが大きく、そのダイナミックな話し振りに目を奪われた。荒々しいテンポも感も良い。かい枝さんは間もなくニューヨーク公演が控えておられるそうで、「いらち車」の英語版もあるとか。う~ん、聴いてみたい。

桂 文華さんは自称、落語界の妖怪人間ベム。披露されたのは「勘定板」。昔、越前には便所のことを「かんじょ」=閑所と呼ぶ漁村があって、そこから大阪見物にやって来た親子が宿で「閑所板」を所望すると、それを番頭が「勘定板」と勘違いする噺。まあ、早い話が下ネタなのだが、関西らしくて腹を抱えて笑った。妖怪人間の面目躍如(?)といったところか。

桂 枝光さんは「紙入れ」。不倫を題材にした艶笑落語。元々は江戸落語だったようだが、枝光さんはそれを作り直して3,4年前から演っておられるそうだ。人妻のしなだれた艶っぽさが面白かった。

桂 文喬さんは大阪府立大学経済学部在学中に、大ファンだった文枝の子息の家庭教師となり、それが縁で入門されたという面白い経歴の持ち主。噺は「次の御用日」。若き日の文枝が得意とした演目だそうで、「アッ!」という奇声を畳み込むように発する連続技が爆笑ものだった。

そして今宵のなんてったって白眉は桂 文珍さんだった。文珍さんが演ったのは「地獄八景亡者戯」(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)。主人公が三途の川を渡る場面ではなんとイージス艦が登場し、さらに木原 光知子さんが泳いでいたり、市川 崑 監督がフィルムを回していたりと時事的なネタを盛り込んでいて愉しかった。他にも日銀総裁や、蛸みたいに浮き沈みを繰り返し成仏できない横山ノックさんも登場、場内を笑いの渦に巻き込んだ。文珍さんは活舌もよく、聴いていて実に心地よい。最後は黄泉の国にもある繁昌亭で文枝師匠が落語をしている場面が登場。そこには桂 文珍の名前もあって、近日来演!と書かれているというサゲだった。いやはや、傑作!

その他の演目は「はてなの茶碗」、「十徳」、そして「時うどん」。仲入を含め約2時間半、落語をたっぷり堪能させて貰った。

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2008年3月11日 (火)

森 麻季&横山幸雄 Duo Concert

神戸文化ホールで森 麻季さんのソプラノ・リサイタルを聴いた。

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森さんの歌声を初めて聴いたのが今年のNHKニューイヤーオペラコンサートだった。そして日本人の歌唱も、遂にここまでのレベルに達したのかという深い感慨を覚えた。

森さんは2007年にドレスデン国立歌劇場に「ばらの騎士」ゾフィー役でデビューを果たした。ここはかつて、リヒャルト・ワーグナーが楽長を務め、その「タンホイザー」やR.シュトラウスの「サロメ」「ばらの騎士」等が初演された格式高いオペラハウス。ここで歌うということは世界が認めたということを意味する。

さらに彼女は美貌に恵まれ、スタイルも抜群である。オペラ歌手と言えばルチアーノ・パバロッティを筆頭に肥満体というイメージが強い。しかしマリア・カラス(ギリシャ)は痩せていたし、キャスリーン・バトル(アメリカ)、アンジェラ・ゲオルギュー(ルーマニア)、ステファニア・ボンファデッリ(イタリア)、アンナ・ネトレプコ(ロシア)ら、麗しき名ソプラノ歌手たちも痩身である。考えてみれば太ったからといって横隔膜が大きくなるわけではないし、胸郭が広がり肺活量が増えることもない。太っていないと声量が出ないと昔から言われてきたことは科学的根拠はなく、全くの迷信であると今、確信した。オペラ歌手が肥えるのは芸の為ではない。単なる不摂生だ。

さて、NHKニューイヤーオペラコンサートは森さんの衣装のセンスも素晴らしかった。今回のリサイタルでは3着用意されていた。まず赤紫のドレス、そして明るい緑のドレス、最後に華やかな花柄のドレス。その各々が素敵だった。

プログラムは横山さんのピアノ独奏を途中に挟みながら、まずイタリア語でヘンデル/「オンブラ・マイ・フ」「涙の流れるままに」、ラテン語で「アヴェ・マリア」(バッハ=グノー)、そして日本の「浜辺の歌」山田耕筰/「曼珠沙華」「からたちの花」。前半最後はショーソンデュパルクが作曲したフランス歌曲であった。後半はドイツ語でヨハン・シュトラウス/喜歌劇「こうもり」から”私の侯爵様”ワルツ「春の声」。アンコールはイタリア語に戻り、プッチーニ/「ジャンニ・スキッキ」から”私のお父さん”「ラ・ボエーム」から”ムゼッタのワルツ”。全体を通して歌で世界一周しているような気分になり、見事なプログラム構成だった。

森 麻季さんは雲雀のように軽やかで、透き通った歌声の持ち主である。その弱音の美しさは筆舌に尽くしがたい。特にデュパルク/「フィディレ」はうっとり聴き惚れた。僕が心酔する作家・福永武彦(「草の花」)デュパルク/「旅への誘い」を生涯愛し、そのレコードを折に触れ聴いていたという。「旅への誘い」は原詩がシャルル・ボードレールであり、フランス文学を専攻した福永による日本語訳詞もある。是非何時の日にか、森さんの歌う「旅への誘い」も聴いてみたいものだ。

リリック(優美で、叙情的)、かつコロラトゥーラ(技巧的で華やかに装飾された旋律を自在に歌いこなす)・ソプラノである彼女は全盛期のキャスリーン・バトルを思い起こさせる。最初に歌われた「オンブラ・マイ・フ」はバトルがニッカウヰスキーのCMで日本のお茶の間に登場し、一大センセーションを巻き起こした曲である。これを演出したのはクラシック音楽に造詣が深かった故・実相寺昭雄 監督(「怪奇大作戦/京都買います」「帝都物語」)だった。

Battle

そして森さんがプログラム最後に歌った「春の声」もバトルに縁が深い曲である。ヘルベルト・フォン・カラヤンはその生涯に、たった一度だけウィーン・フィル ニューイヤー・コンサートの指揮台に立った。1987年のことである。この時、バトルがゲストとして登場し、「春の声」一曲のみ歌った。何とも贅沢な話である。僕が知る限り、ニューイヤー・コンサートに歌手が登場したのは、後にも先にもこの年だけではないだろうか。

森さんにはこれからも世界中で活躍しもらって、是非バトルを超えるようなディーヴァになって頂きたいと想うし、それくらい桁外れの才能を持った女性だと僕は信じて疑わない。

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2008年3月 8日 (土)

急告!続「これは是非聴きたい。関西のクラシック・コンサート」

これは是非聴きたい。厳選!関西のクラシック・コンサート」の記事を書いた時は、ローカルなネタだし、読んでくれる人なんかいるのかな?と半信半疑だった。ところが、そのページ・ビューだけでアクセスが100人に達し、ここ1ヶ月で読まれた記事のランキングでも10位内に入った。意外に求められているコンテンツなんだなと正直驚いた。そこで追加情報をお届けしよう。

前回の記事を書いた時点ではそんなことはなかったのに、今見ると既にいずみホール神尾真由子/チャイコフスキー国際コンクール優勝記念コンサートがキャンセル待ちの状態になっている。東京サントリーホールでのコンサートも、S席7,000円と高額にもかかわらず完売。凄い人気だ。

僕はBSでコンクール予選からファイナルまで神尾さんの演奏を聴き、心底惚れ込んだ。日本で凱旋公演したチャイコフスキーとシベリウスのコンチェルトも圧巻だった。特にシベリウスは先日、大フィル定期で登場したサラ・チャンの表面的演奏なんか、はっきり言って目じゃない。格が違う。

そこでいずみホールのチケットを買えなかった人に朗報。神尾さんは同じ6月に大阪府堺市でもコンサートを行う。詳細はこちら。会場へは難波から泉北高速鉄道1本で往けるからアクセスは便利だ。しかも前売り3,500円。なんとサントリーホールの半額である。今ならまだ間に合う。演奏される内容はいずみホールと余り重複していないので、僕は両方ともチケットを確保した。6月は真由子月間になりそうだ。

今回彼女のツアーは全国各地を廻るみたいなので、お近くの方は是非。日程はこちら。ちなみに愛知では3,000円。なんで主催者によってこんなに値段が違うんだろう??

さて、神尾さんでモダン・ヴァイオリンの真髄を聴く前に、バロック・ヴァイオリンも体験して両者の違いを聴き比べてみるのはいかが?

4月4日、日本テレマン協会のマンスリー・コンサートではバロック・ヴァイオリンの名手サイモン・スタンデイジが登場、関西が誇るチェンバロの鬼才・中野振一郎 先生と相対し、火花を散らす。詳細はこちら。サイモン・スタンデイジはホグウッド/エンシェント室内管弦楽団やピノック/イングリッシュ・コンサートと共演するなど古楽の世界では著名なヴァイオリニストである。彼のインタビュー記事はこちらに掲載されている(2003.10.21)。コレギウム・ムジクム・テレマンのコンサートマスター 、中山裕一さんと中野振一郎 先生のインタビューも併せてどうぞ。おっ、2003年当時の神尾さんのインタビュー記事もある!

つい一年前位まで、僕は現在のヴァイオリンとバロック・ヴァイオリンの違いが全く理解出来ていなかった。最近漸く分かってきたことを列挙してみると…

  • バロック・ヴァイオリンは(1950年代以降普及した)スチール弦ではなくガット(羊の腸)弦を張っている。だから音色が異なる。ガット弦は高温多湿に弱く、湿度が上がると伸び、張力は低下する。
  • バロック・ヴァイオリンには顎あてがない!ちなみにバロック・チェロには(床に固定する)エンド・ピンがない!だから両足ではさみ、宙に浮いた状態でチェロを弾くことになる。
  • 弓の形も異なる(バロック・ボウ)。
  • 基本的にビブラートはかけない。かけても装飾程度。
  • ヴァイオリンに限ったことではないがピッチ(音の高さ)も異なる。モダン楽器ではA線を440~444Hzに調弦するが(ウィーン・フィルは445Hz)、バロック楽器の場合は415Hz(バロック・ピッチ)あるいは392Hz(ベルサイユ・ピッチ)に調弦する。

まだまだあるだろうが所詮は素人の書いていることなので、プロの方は笑って許して下さい。これらのことを念頭にサイモンの演奏を聴いたら、意外と面白いかも知れない。

関連記事:「21世紀に蘇るハイドン(あるいは、「ピリオド奏法とは何ぞや?」)

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2008年3月 7日 (金)

鈴木華重子/ワンコイン・コンサートと小説「草の花」

兵庫県立芸術文化センター大ホールで鈴木華重子さん(Pf)によるワンコイン・コンサートを聴いた。オール・ショパン・プログラムである。

曲はまず鈴木さんのピアノ独奏で、比較的珍しい「タランテラ」、そして「アンダンテ・スピアーナートと華麗なる大ポロネーズ」。そして後半は第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの5名が加わり、ピアノ協奏曲第1番(室内楽版)が演奏された。

第1ヴァイオリンが大阪フィルハーモニー交響楽団の若きコンサートマスター、長原幸太さん。そして大フィルのセカンド・ヴァイオリン首席奏者の佐久間聡一さんも参加された。佐久間さんの公式サイトはこちら(ただし、3年前から更新されてません)。佐久間さんは昨年4月の定期演奏会から客演奏者として大フィルのセカンドを弾かれており、「大阪クラシック」でも大活躍だったのだが、入団が正式に発表されたのは今年の2月。漸くという感が強い。アンコールの時に佐久間さんのお茶目なエピソードもあるのだが、それについてはblog「お茶の時間」にしませんか?にお任せしよう。

演奏のほうはもう、お見事と言うほかない。公演は2日ありチケットはいずれも完売(大ホールの客席数は2,141席)。そりゃ当然だろう。たった500円で、これだけ充実した内容が聴けるのだから。おまけに立派なプログラムまで付いてきた。こりゃ採算度外視だな。兵庫県は偉い!それに引き換え、大阪府ときたら……。

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ピアノ協奏曲は作曲者自身の手で編曲されたもの。ショパンの生前には滅多にオーケストラ版が演奏される機会はなく、家庭やサロンではこの室内楽版が好んで演奏されたようである。ショパンのオーケストレーション自体お世辞にも出来が良いとは言い難いので、室内楽版も十分愉しめた。演奏者たちの和気藹々とした雰囲気がとても良かった。

このショパンのピアノ協奏曲を聴くと、僕はたちまち小説「草の花」のことを想い出す。今回もそうだった。会場の親密な空気が、より一層その感情を喚起したのかも知れない。

青春小説の金字塔である福永武彦の「草の花」と出会ったのは、僕が18歳の時。福永文学初の映画化となった大林宣彦監督の「廃市」を観たのが切っ掛けだった。それ以降これは僕にとって最愛の書物となり、もう何度読んだか分からない。病高じて昭和二十九年(1954)に新潮社から発行された初版本を手に入れたくらいである。

「草の花」に関しては僕のホーム・ページでひとつのコーナーを設けている。こちらからどうぞ。小説の舞台となった信濃追分に旅したのが写真の日付を見ると1990年夏だから、ちょうどレナード・バーンスタイン最後の来日した年である。

佐藤江梨子さん(サトエリ)は、「草の花」文庫本の帯に次のような言葉を寄せている。

私はこの尊いまでに美しい小説を酸素や水のように求めている。

また、女優の本上まなみさんも愛読書として「草の花」を挙げておられる。

小説の中で主人公・汐見が、亡くなった親友藤木の妹・千恵子を誘い日比谷公会堂(昨年、井上道義さんがショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクトをされた場所)にショパンのピアノ協奏曲第1番を聴きに往く場面がある。ちょっと長くなるが終演後の情景を引用してみよう。

 公会堂の石段を降り切ると、ひっそりした群集は三々五々、影絵のように闇の中に散り始めた。そこまで、まだ音楽の余韻が漂っているように、空気は生暖かく重たかった。僕等は次第に薄れて行く音楽の後味を追いながら、ゆっくりと歩道を歩いた。どんなにゆっくり歩いても、ゆっくりすぎることはないような気がしていた。
 ― 千枝ちゃん、お茶でも飲む?
 千枝子は僕の方に顔を向けて、首を横に振った。
 ― 返事をするのも惜しいみたいだね、と僕はからかった。
 ― だってとってもよかったんだもの。汐見さんはそんなでもない?
 ― そりゃ僕だって。僕は音楽会へ行くのが、もう唯一の愉しみだよ。
 ― あたしのことは? と悪戯っ子のように訊いた。
(中略)
 新橋から省線に乗ると、釣革につかまった二人の身体が車体の振動のために小刻みに揺れるにつれて、時々肩と肩がぶつかり合った。そうするとさっき聞いたコンチェルトのふとした旋律が、きらきらしたピアノの鍵音を伴って、幸福の予感のように僕の胸をいっぱいにした。満員の乗客も、ざわざわした話声も、薄汚れた電車も、一瞬にして全部消えてしまい、僕と千枝子の二人だけが、音楽の波の無限の繰返しに揺られて、幸福へと導かれて行きつつあるような気がした。僕はその旋律をかすかに、味わうように、口笛で吹いた。千枝子が共感に溢れた瞳で、素早く僕の方を見た。
清冽な叙情。まるで言葉そのものが音楽のようである。鈴木華重子さんの指が紡ぎ出す、寂しくて、そしてどこまでも甘美なショパンの旋律に耳を傾けながら、僕はこの小説のことを想い、心は遙か彼方にある信濃追分の林道を、汐見千枝子と共に彷徨うのだった。

最後は千枝子の手紙の言葉で締めくくろう。前の文章から歳月は無情にも過ぎていった。

わたくしはただ今、乏しい家計を割いて、節子にピアノを習わせております。わたくしは時折、家からさほど遠くないピアノの教習所の塀に凭れて、節子を待ちながら、中から洩れて来る練習に耳を傾けます。上手なお子さんがショパンの幻想曲やワルツなどを弾いているのを聞いておりますと、その甘い旋律がわたくしの心の中を貫き、過ぎ去ったことどもが次々と目の前に浮かぶのを覚えます。汐見さんはどのようなお気持ちで死んで行かれたことでしょうか。想えば人間の心の奥深いところは誰にも分からないのでございましょう。

今考えてみれば、この一節は間違いなく大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」でショパンの「別れの曲」が流れるラストシーンに直結している。久しぶりに「さびしんぼう」が観たくなった。そんなことどもを想い出させてくれた、鈴木さんと素敵な仲間たちに感謝。

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2008年3月 5日 (水)

21世紀に蘇るハイドン(あるいは、「ピリオド奏法とは何ぞや?」)

小学校の時にハイドンは「交響曲の父」であると音楽の授業で習った。しかし、クラシック音楽を聴くようになってからモーツァルトやベートーヴェンは沢山聴いたが、ハイドンの交響曲を好んで聴くことはなかった。四角四面で実に退屈だからである。コンサートでハイドンが取り上げられる機会も極めて少ない。演奏されても「告別」「軍隊」「時計」「ロンドン」「太鼓連打」など標題のあるものばかり(日本人は標題が大好き。ベートーヴェン/交響曲第5番を「運命」と呼んでいるのは日本だけである)。

ハイドンの面白さに気付いたのはブリュッヘン/18世紀オーケストラ鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカらの演奏するCDを聴いてからである。つまり古楽器(オリジナル楽器)で演奏されて初めて、その真価が明らかになったと言えるだろう。延原武春/テレマン室内管弦楽団・合唱団によるオラトリオ「四季」「天地創造」の演奏会もオリジナル楽器によるもので、これもとても愉しかった。

こうして僕は「モダン・オーケストラでハイドンを演奏する意義はない」という結論に達した。しかし、古楽器オーケストラというのは地球上に絶対的に数が少ない。オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)だって、そのメンバーの多くはバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)と重複しており常設オケではない。関西にはテレマン室内管弦楽団があるくらいで、ここはモダン楽器と兼用だし定期演奏会を開いているわけでもない。

桐朋学園大学音楽部に古楽器科が創設されたのが1978年。たった30年前である(バロック・ヴァイオリン専攻が新設されたのが2007年)。そして東京藝術大学音楽部に古楽科が設置されたのがなんと2000年!古楽器演奏の歴史は浅く、自在に弾きこなせる音楽家は日本にまだまだ少ない。ちなみにこちらをご覧頂きたい。東京芸大・古楽科の講師11名の写真がある。このうち、僕が知っているだけでも少なくとも8名がBCJの関係者である。

そういったお家の事情(人材不足)から登場したいわば折衷案がモダン・オーケストラで「古楽器風に」演奏するピリオド・アプローチというわけだ。

ピリオド・アプローチの世界的な先駆者は恐らくニコラウス・アーノンクールであろう。1953年に古楽器オーケストラ「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を結成し(旗揚げ公演は1957年)そのノウハウを1980年代以降、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなどのモダン・オケに持ち込んだ。

イギリス生まれの指揮者サー・サイモン・ラトルはバーミンガム市交響楽団の音楽監督を務める傍ら、古楽オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団にもしばしば客演し、アーノンクールに教えを請うてモダン・オーケストラにおけるピリオド・アプローチの方法論を伝授された(その時、アーノンクールは代わりにガーシュウィンを演奏する時の指揮法を教えてくれとラトルに言って、「マエストロ、ご冗談でしょう」と一笑に付されたという微笑ましいエピソードがある)。ラトルは後にベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督に就任し、このふたりの努力で今やウィーンとベルリンではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを演奏するときはピリオド奏法が当たり前という時代に突入した。

そしてここに登場するのがイギリス生まれの若き俊英、ダニエル・ハーディングである。現在32歳、イケメンである。15歳でサイモン・ラトルのアシスタントとなり、18歳でバーミンガム市交響楽団を指揮してデビュー。21歳でベルリン・フィルを指揮し、29歳でマーラー/交響曲第10番(クック補筆版)を指揮しウィーン・フィル・デビューも果たした。

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僕の手元に1枚のCDがある。曲目はブラームス/交響曲第3、4番。これはハーディングが25歳、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの芸術監督時代にレコーディングしたもので、驚くべきことにブラームスをノン・ビブラートピリオド奏法で演奏したもの。オーケストラは対向(古典)配置の小編成。この驚天動地のCDは、その手法だけが突出したものではなく、音楽的に新鮮かつ極めて充実したもので、この天才指揮者の面目躍如といったところであろう。彼が21世紀の新たな地平を切り開いていくことは間違いない。

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さて、ハイドンの話に戻ろう。ハイドンは古楽器演奏でなければ意味がないと考え始めていた僕の認識を改めさせる画期的なCDが2007年に登場した。ラトル/ベルリン・フィルによる交響曲集(2枚組)である。モダン・オーケストラでどのように演奏すれば、生き生きとしたハイドン像が描けるか、示唆に富んだ21世紀のマイルストーンと言い切っても過言ではない。では何処がそれほどまでに魅力的なのか?その秘訣を僕なりに分析してみた。

  • 小編成であること。大植英次/大フィルのベートーヴェン・チクルスのように80人くらいの大編成ですると、機動力を欠いた重たい演奏になってしまう。
  • テンポは速めで、アタックやアクセントを強調した弾むような演奏。音はタメず、すっと減衰させる。これによりハイドンの特性である疾風怒濤(Sturm und Drang)の雰囲気が醸し出せる。
  • 弦は当然ノン・ビブラートハイドンやベートーベンの時代にはビブラートを掛ける習慣はなかったオプションとしてドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンはスチール弦ではなく、昔ながらのガット弦(羊の腸から作る)を張っているらしい。しかしガット弦は湿度に弱いので、高温多湿の日本では難しいのかも知れない(鈴木秀美さんのエッセイによると1950年代前半までは日本のオケも概ねガット弦だったそうである)。スチール弦が登場した当初は「他の弦と異質な音で裏返りやすい」と評価され、それを緩和するためにビブラートを多用することが推奨されるようになったらしい。
  • 手締めのクラシカル・ティンパニを用いる。これは必須。クラシカル(バロック)・ティンパニ用の堅い木のマレット(バチ)を用いなければ、ハイドンの爽快さは表現出来ない。モダン・ティンパニでは鈍重すぎる。ハーディングのブラームス、そして彼の後任としてドイツ・カンマーフィルの芸術監督になったパーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンもクラシカル・ティンパニを採用している。これは日本でピリオド奏法に積極的に取り組んでいらっしゃる飯森範親さんや金 聖響さんも実践されている(聖響さんは1993年にサイモン・ラトルの指導を4日間受けたそうである)。
  • さらにオプションとしてドイツ・カンマーフィルのようにトランペットはオリジナル楽器のナチュラル管を用いるとか、ホルンはゲシュトップ奏法をする等の選択肢もある。

今年、「のだめカンタービレ 新春スペシャルinヨーロッパ」が放送された。この中で千秋(玉木 宏)がコンクールでハイドン/交響曲第104番「ロンドン」を指揮する場面が登場する。これで呆れたのが、なんとも野暮ったい演奏だったからである。まずテンポが遅くて歯切れが悪い。そしてcontinuous vibrato(のべつまくなしビブラート)による古色蒼然たるスタイルだった。

以前の記事「のだめカンタービレと飯森範親さん」でも書いたのだが、このドラマで指揮・オーケストラ指導をされているのが飯森さんである。しかし、この凡庸な「ロンドン」の演奏は飯森さんが指揮をされている筈はない。飯森さんなら必ずピリオド奏法を選択されるからである。そこで調べてみると案の定、演奏していたのはウラディーミル・ヴァーレク/プラハ放送交響楽団だった。

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2008年3月 3日 (月)

大植英次のエニグマ”謎”

以前の記事で、僕が好きなエルガーの曲は弦楽四重奏+弦楽合奏のための「序奏とアレグロ」そして、憂愁のチェロ協奏曲であることを書いた。

管弦楽のための「エニグマ(謎の)変奏曲」は各変奏が、エルガーが親しい友人たちに宛てた、心のこもった肖像画となっている。そしてこの中で最も美しいのが第9変奏「ニムロッド」。これは楽譜出版社に勤めるドイツ生まれのアウグスト・イェーガー(August Jaeger)にエルガーが付けた愛称である。ニムロッドは旧約聖書に登場する狩の名手「ニムロデ」のこと。ドイツ語のJägerが「狩人」を意味することに由来する。作曲家曰く、

「夏の夜長、彼(イェーガー)はベートーヴェンの偉大さと、緩やかな楽章がいかに深遠かを私に熱っぽく語った」

この高貴で心に沁みる名旋律は多くの人々から愛され、たとえばケイト・ブランシェットがアカデミー主演女優賞にノミネートされた映画「エリザベス」(1999)のある重要な場面にも登場する。

Elizabeth

エルガー/威風堂々第1番、中間部の旋律は「栄光と希望の国」という歌詞が付き、イギリス第2の国歌と呼ばれるくらい親しまれている。有名なBBCプロムスのラストナイトでも、これを会場全員が歌うのがクライマックスとなっている。だからエルガーの旋律はイギリス王室によく似合う。

しかし、エリザベス一世は16世紀のバージン・クィーン。「エニグマ変奏曲」が初演されたのは1899年。だから本当は「エリザベス」でニムロッドが流れるのはおかしいのである。僕はこの時代考証を無視した「エリザベス」のはったりけれん味たっぷりな演出が大好きだ。

現在公開中の続編「エリザベス:ゴールデン・エイジ」は先日発表されたアカデミー賞で見事、衣装デザイン賞を受賞した。しかし実はこの衣装についてイギリス国内では議論の的になっている。シェカール・カプール監督はデザインを担当したアレクサンドラ・バーンに対し、エリザベスの衣装でを使って欲しいと要請した。は恋焦がれる感情を表現するからである。しかし実はエリザベス朝もイギリス王朝もを使わない。この確信犯的大胆な発想が映画「エリザベス」シリーズの肝であり、その精神がニムロッドの使用にも活きているのだ。

ここで話が横道に逸れるが、ニムロッド同様に変奏曲の一部が突出して有名になった例をお話したい。それはラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲である。この中の甘美な第18変奏:アンダンテ・カンタービレはカルト的人気を誇る幻想映画「ある日どこかで」(主演は"スーパーマン"こと、故・クリストファー・リーブ)のテーマ曲として使用され、圧倒的感銘を観客に与えた。

Somewhere_in_time_1980

この映画には国際的ファン組織があり、その日本語公式サイトはこちらである。ジョン・バリーが作曲したオリジナル曲も素晴らしいのだが、もしこの映画にラフマニノフが使われなかったら、これ程までに世界中の人々から愛されなかったのではなかろうか?と僕は想像する。ちなみにこの映画は僕も想い出しただけで涙が出そうになるくらい大好きで、原作も読んだが小説ではラフマニノフではなくマーラーだった。この第18変奏:アンダンテ・カンタービレは後に日本ビクター製S-VHSのCMにも使用されている。

さて、本筋に戻ろう。大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団は2月の東京定期、倉吉公演、呉公演、岩国公演などのアンコールでエルガーのニムロッドを演奏した。

関連blog:
NOW OR NEVER(東京公演)
takの音楽(倉吉公演)
rairakku6の日記(呉公演)
五十歳にして発つ(岩国公演)

実はこのコンビ、2005年2月24日にザ・シンフォニーホールで開催された「スマトラ沖大地震チャリティーコンサート」(なんとヒラリー・ハーンがプロコフィエフのコンチェルトを弾いた!)のアンコールでもニムロッドを演奏している。また、大植さんはハノーファーNDRフィルを率いて来日公演された折り(2004年6月)も、ニムロッドをアンコールで指揮されている。よほどこの曲に対する思い入れがあるのだろう。

大植さんの師であるレナード・バーンスタインは1982年にBBC交響楽団と「エニグマ変奏曲」をレコーディングしている。大植さんがレニーと出会ったのが1978年。だから、このレコーディングに立ち合っていらっしゃる可能性も十分ある。エルガーが友とベートーヴェンについて語らった夜を想い出しながらこの曲を作曲したように、大植さんはレニーのことを脳裏に蘇らせながらタクトを振られているのかも知れない。

今年、大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団は6月12、13日に行われる定期演奏会でエルガー/エニグマ変奏曲(全曲)を取り上げる予定である。

関連記事:「大植英次、佐渡裕~バーンスタインの弟子たち

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