バルトルド・クイケン/フラウト・トラヴェルソによるバッハ
兵庫県立芸術文化センター小ホールでバルトルド・クイケンのフラウト・トラヴェルソを聴いた。オール・バッハ・プログラムである。
フラウト・トラヴェルソとはバロック・フルートのこと。こちらのサイトに詳しいことが書かれているのでご参考に。古楽器による演奏は今や破竹の勢いだが、その歴史は浅く復興運動が始まったのは1960年代くらいからである。
世界的に有名なトラヴェルソ奏者と言えばフランス・ブリュッヘン、バルトルド・クイケン、そして日本の有田正広さんである。しかしリコーダー奏者で、かつてはトラヴェルソも吹いたブリュッヘンは18世紀オーケストラの指揮者としての活動に主軸を移しており、実質的に現在はクイケンと有田さんが二大巨匠ということになるだろう(ブリュッヘンはコレクションしていた古楽器のほとんどを手放してしまい、その多くは有田さんの手に移った)。
ちなみにバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)やオーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)で活躍するトラヴェルソ奏者の前田りり子さんは有田さんとバルトルドの弟子であり、同じくBCJとOLCのメンバーである管きよみさんも有田、バルトルド両氏に師事している。バッハ・コンチェルティーノ大阪で活躍する中村 忠さんは有田さんに師事。つまり今日活躍するトラヴェルソ奏者の系統樹を辿ると、必ず共通祖先としてバルトルドと有田さんに行き当たるのである。(追記:その後教えていただいた情報によると、有田さんは1977年にオランダのデン・ハーグ王立音楽院に入学、バルトルドが始めたトラヴェルソ科の第一期生となり、最高栄誉賞つきソリスト・ディプロマを得て半年で卒業されたそうだ。当時バルトルドはまだ28歳である)
古楽の世界でベルギーのクイケン3兄弟は鈴木兄弟(雅明、秀美)とともに有名である。バルトルドは末弟で、2人の兄ヴィーラント(ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・チェロ)、シギスヴァルト(バロック・ヴァイオリン)と共に「ラ・プティッド・バンド」のメンバーとして活躍している。BCJとOLCでコンサート・ミストレスを務める若松夏美さんはバロック・ヴァイオリンをシギスヴァルトに師事し、「ラ・プティット・バンド」にも参加。鈴木秀美さんもバロック・チェリストとして一時期ここのメンバーだった。現在「ラ・プティット・バンド」のコンサートマスターは寺神戸 亮さんが務めていらっしゃる。
さて演奏の話に移ろう。先日、工藤重典さんのモダン・フルート演奏を聴いたのも同じホールだったが、それに比べるとトラヴェルソの音量はかなり小さいなという印象を受けた。バロックから古典派、ロマン派に至る過程で、貴族の館の小さなサロンから巨大ホールへと演奏の場が拡大し、アンサンブルも少人数から100人近い大オーケストラへと変貌を遂げた。それに伴って楽器も大音量で鳴らせることが求められるようになった。それがフルート発展の歴史なのだろう。しかし、その代償も少なくなかった。
本来、木管楽器である筈のフルートは現在、実質的に殆ど金管(銀製や14金、18金など)である。木で造られているトラヴェルソはもっと素朴で温もりのある音がする。フルートの取り澄ました響きよりも、むしろリコーダーに近い。トラヴェルソを聴いているとしばしば鳥の囀りを連想する。ちなみにベーム式モダン・フルートはタンポの入ったキーで穴を塞いで音階を出すが、トラヴェルソの構造はもっとシンプル。木に穿たれた穴を直接指で塞ぐ演奏法で、やはりリコーダーや日本の横笛に似ている。
モダン・フルートはビブラートをかけて吹くがトラヴェルソはノン・ビブラート。素直な音色(pure tone)が耳に心地よい(関連記事「ビブラートの悪魔」)。クイケンは音を伸ばす時に限り、音じりを微かに揺らす程度の奏法だった。
至福の時であった。やはりバッハのフルート・ソナタはトラヴェルソで聴きたい。オリジナル楽器で聴かないとバッハの本当の美しさは分からない。そして同じことはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンにも言える。古楽器を弾く志の高い音楽家たちがもっともっと増えてほしい。そう心から願いつつ、帰途についたのだった。
ところで、今年の5月29日に「ラ・プティット・バンド」の大阪公演が決定した!いずみホールでのコンサートの詳細はこちら。残念ながらバルトルド・クイケンや寺神戸 亮さんは参加されないようだが、今回最大の目玉はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(肩掛けチェロ!)が聴けるということだろう。どんな楽器かは寺神戸さんのサイトをご紹介しておこう。完全に失われその奏法さえ不明な楽器を一枚の絵から掘り起こし、現代に再生しようという試みなのだから古楽演奏家たちの執念は凄まじい。この古くて新しい楽器を弾けるのは日本では寺神戸さん一人しかいない筈だが、寺神戸さんは全然こちらに来て下さらないので恐らく関西では今回がスパッラの初披露となる。あの楽器でバッハ/無伴奏チェロ組曲を演ると、一体どうなるのだろう?これは見物だ。それにしても寺神戸さん、そして有田さん、たまには関西でも演奏会をして下さいよ。そして鈴木秀美さん、オーケストラ・リベラ・クラシカを率いて是非再びいずみホールに来て下さいね!関西の古楽ファンは心待ちにしているのですから。
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コメント
私のブログにTBと、それからこちらでのリンク紹介ありがとうございます。
雑誌「アントレ」最新号での、有田さんのインタヴューによると彼もバルトルドに教わったようですね。全てのトラヴェルソ吹きはバルトルドに通ず--という感じでしょうか(汗)
また古楽や映画関係の記事を、定期的に読みに来させていただきます。
投稿: さわやか革命 | 2008年2月 4日 (月) 22時51分
さわやか革命さん、コメントありがとうございます。
有田さんのプロフィールを見ると1977年にオランダのデン・ハーグ王立音楽院に入学、半年で最高栄誉賞つきソリスト・ディプロマを得て卒業とあります。この時にバルトルドから学んだということなのでしょうか?計算するとバルトルドはまだ28歳なのですが……。もう教授だったのだとすると凄いですね。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
投稿: 雅哉 | 2008年2月 4日 (月) 23時54分
拙ブログに熱いコメント&TBを寄せて頂きありがとうございました。
本当に至福な一時を過ごせた、素晴らしい演奏会でしたね。
兵庫芸文は古楽プログラムが充実していていいですよね。
ボクはフルート吹けませんけど、この記事の「横笛吹きの系譜」、
興味深く読ませて頂きました。
また遊びにきますね。
投稿: やーぼー | 2008年2月 5日 (火) 04時34分
やーぼーさん、コメントありがとうございます。
貴ブログにも書かせていただいた通り、トラヴェルソは文句なしに素晴らしかったのですが、今回のチャンバロ演奏に関してはなんだか淡々としてメリハリに乏しく、物足りなかったです。関西が誇るチャンバロの貴公子・中野振一郎 先生の切れ味鋭い演奏の方が断然上手いと想いました。
それから追加情報です。寺神戸 亮さんのことろへリンク通知を送りましたところ、HPを管理されている方から早速返信を頂きました。それによりますと、今年12月に大阪ノワ・アコルデでヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでのコンサートを現在企画中とのことです。とても愉しみですね。
投稿: 雅哉 | 2008年2月 5日 (火) 07時48分
この記事を書いた時点では、有田正広さんがバルトルドに師事していたという事実を知りませんでした(有田さんの公式プロフィールにも明記されていないので)。その後、さわやか革命さんから教えていただいた情報に基づき、本文を一部修正しました。ありがとうございました。
投稿: 雅哉 | 2008年2月11日 (月) 12時26分
初めてお便りいたします。チェンバロ漫遊記を精力的に書いておられる梅岡さんのサイトより、入らせて頂きました。それというのも、ラ・プティットバンド イン いずみホール(5月29日)があるからです。
はしょらせていただきますが、寺神戸亮さんには、昨年2007年12月、私の主宰しております音楽アートサロンに来て頂き、スパッラを含めたバッハとビーバーのコンサートと公開レッスンをして頂きました。今年7月11日にも、公開レッスン三組と夜、レクチャーコンサートをして頂く予定です。楽器はスパッラです。もうすぐチラシができます。阪急宝塚線服部下車徒歩東へ5分。ノワ・アコルデ音楽アートサロン。上記のhp上にも載せますが、もしよければサブジェクトに「胡桃庵古楽道場寺神戸流」と書いてお問い合わせください。三月にはヒロ・クロサキ氏リンダ・ニコルソン氏、中村忠氏に来て頂き、エキサイティングでマニアックであり、聴いて楽しい、レッスン受けて目から鱗の公開レッスン&トークで、主宰冥利に尽きました。胡桃庵古楽道場として、昨年チェンバロの芝崎久美子さんから始まり、この6月30日にも芝崎さんの公開レッスンがあり、聴講もできます。詳しくはhpかお問い合わせください。
投稿: 胡桃庵古楽道場 | 2008年5月28日 (水) 00時44分