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さようなら、大阪シンフォニカーいずみ定期

大阪シンフォニカー交響楽団のいずみホール定期演奏会”近代音楽へのアプローチ”第4夜を聴きに往った。第1回目の感想はこちら。2回目はこちら。3回目はこちら

このシリーズは余り聴く機会のない20世紀の音楽が色々演奏され、大変聴き応えがあった。2002年度より始まった大阪シンフォニカー「いずみホール定期」はこれで幕を閉じる。収容人数821のいずみホールが毎回7割程度の入りでは採算が見合わないだろうし、ミュージックアドバイザー・首席指揮者の大山平一郎さんの任期はこの3月までで、4月から音楽監督・首席指揮者に児玉 宏さんを迎える。そこでひとつの区切りをつけることになったのだろう。2006年度のモーツァルトは在り来たりのプログラムだったが、今年度はユニークな企画だっただけに惜しい。むしろシンフォニカー定期演奏会よりも内容が充実していたのではなかろうか?

大山さんが古典派やロマン派を指揮するときは、あまりにもオーソドックスで面白みに欠けるが、20世紀の作品の時は非常に明晰で分かりやすかった。名外科医が快刀乱麻のメスさばきで腑分けしていくような鮮やかさがあった。また大山さんはかつてロサンジェルス・フィルハーモニックの首席ヴィオラ奏者だった経歴があり、特に弦楽合奏曲を振るときの手腕は見事であった。

今回のコンサートは、まずアメリカの作曲家コープランド/バレエ音楽「アパラチアの春」が演奏された。比較的有名な作品だが通常のオーケストラ版ではなく、初演時の室内楽版だった。ピアノと弦楽器以外はフルート1、クラリネット1、ファゴット1というたった13人の編成。普段とは違いすっきりと見通しの良い音楽で、新鮮だった。

次はフランスの作曲家ミヨー/バレエ音楽「世界の創造」を18人編成で。アメリカを旅したミヨーがジャズの音階やリズムを取り入れた作品。ガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルーの1年前に初演されたそうだ。大山さんはアメリカに長年住まれていただけに、都会的に洗練されたノリのよい演奏だった。

休憩を挟んでプーランク/シンフォニエッタ。ドビュッシーやラヴェルなど印象派も素敵だが、フランスのエスプリといえばプーランクフランセのお洒落で小粋な音楽に止めを刺す。今回演奏されたシンフォニエッタも小気味好く軽妙洒脱。ウキウキした気分になった。第2楽章がチャイコフスキー/交響曲「悲愴」〜第3楽章のパスティーシュ(音楽・美術・文学で、先行作品の主題やスタイルを模倣、改変して出来た作品。パロディ)みたいだなと想いながら聴いていると、中間部トランペットが「白鳥の湖」のフレーズを吹いたので、その予感は確信へと変わった。第4楽章はモーツァルトのパスティーシュ。なんてプーランクは機知に富んだ作曲家なのだろう!考えてみれば彼の2台のピアノのための協奏曲モーツァルトへのオマージュである。

今回は、このシリーズで初めてのアンコールもあった。いずみホールへの告別と、大山さん自身のさようならの意味も込められていたのだろう(来シーズン、大阪シンフォニカーの指揮台に大山さんが立つことはない)。

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最後にディーリアスを持ってくるあたりが憎い。しかもこれは弦楽合奏であり、大山さんが最も得意とするところだ。もの悲しくも、後々まで余韻が残る美しい演奏だった。素晴らしかった。大山さん、ありがとうございました。

さて、春からは児玉 宏 音楽監督による新時代の幕開けだ。まずは3月、河内長野ラブリーホールで祝祭コンサート。僕は既にチケット入手済みである。特に注目されるのはベートーヴェン/交響曲第七番。児玉さんがどんなベートーヴェンを聴かせてくれるのか今から非常に愉しみだ。

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