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2008年2月

大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち

1990年(平成2年)、僕は岡山で学生をしていた。その年、レナード・バーンスタイン(以下レニーの愛称で呼ぶ)がロンドン交響楽団を率いて来日公演を行った。そしてこれが最後の来日となった。

レニーは京都でも公演する予定になっており、これを聴きに往くかどうか僕は散々迷った。曲目はブルックナーの交響曲第九番。マーラーならいざ知らず、ブルックナーはレニーの得意分野ではない。交通費も馬鹿にならないし、断念することにした。

結局レニーは途中体調を崩し東京公演の後、残る予定を全てキャンセルし帰国してしまった。だから京都公演は幻に終わった。東京公演ではレニーが振る予定だった「ウエス・サイド物語~シンフォニック・ダンス」を弟子の若い日本人が振り、払い戻しをする・しないで主催者側と聴衆のすったもんだが起こった事が大々的に報じられ、僕は新聞記事でそのことを知った。そしてその年の10月14日にレニーは肺癌で亡くなった。彼はヘビースモーカーであり、DVDで発売された1973年ハーバード大学での有名な講義「答えのない質問」でも、煙草をスパスパ吸いながら熱弁をふるっている(これは含蓄のある素晴らしい内容である)。

レニーの代役として「シンフォニック・ダンス」を振った、当時無名の日本人が大植英次さんだったことを僕が知るのは、大阪に移り住み大植/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を初めて聴いた、2006年のことである。

レニーの弟子として有名なのは大植英次さんと佐渡 裕さんだが、どうもこのふたりの関係がよく分からない。そこで今回色々と調べてみることにした。

大植さんは1956年10月3日生まれ、佐渡さんは1961年5月13日生まれ。大植さんの方が5歳年長である。

大植さんは1978年夏に小澤征爾さんの招きでアメリカのタングルウッドに渡り、そこでバーンスタインと出会っている。大植さん21歳の時である。

一方、佐渡さんはその9年後、1987年(26歳の時)にタングルウッド音楽からオーディションへの参加許可を受け、アメリカに渡る。そこで小澤征爾さんに認められ、フェローシップ(奨学生)として抜擢される。これにより、バーンスタインのレッスンをうけるチャンスを得て、ウィーンにおけるレニーのアシスタントとなる。

ここでいずれも小澤さんがキーパーソンとして登場するが、佐渡さんが小澤さんの目に留まった年齢が若干遅い。これは出身音大の違いと考えられる。大植さんは小澤さんと同門の桐朋学園出身。音大生の時から小澤さんの指導を受けていたわけだ。佐渡さんの方は京都市立芸術大学音楽学部フルート科卒業。卒後は関西二期会で副指揮者をするなど関西を拠点に活動されていたので、小澤さんと出会う機会がなかったのだろう。佐渡さんがレニーの門下生となったとき、大植さんは既にバッファロー・フィルの準指揮者に就任されていた。

レニーは死の直前、世界の若手音楽家の育成を目的としたパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)を提唱し、1990年夏に札幌でその第1回目が開催された。

7月3日に札幌市民会館で行われたPMFオーケストラのコンサートは以下のプログラムであった。

ベートーヴェン/交響曲第二番
  (指揮/マリン・オーサップ)
チャイコフスキー/フランチェスカ・ダ・リミニ
  (指揮/佐渡 裕)
シューマン/交響曲第二番
  (指揮/レナード・バーンスタイン)

札幌でレニーはロンドン交響楽団と合流し7月7、8日の札幌公演、東京に移動し10日のサントリーホール、12日オーチャードホールでの演奏会を指揮する。しかし、体調不良のためプログラムの一部「ウエスト・サイド物語〜シンフォニック・ダンス」を大植さんが代わりに指揮し、それが例の騒動への火種となる。この東京での演奏会を聴かれた方が、ブログの記事にその時の様子を詳細に書かれているのでご紹介しよう。こちらからどうぞ 。

レニー最後のコンサートは8月19日タングルウッド音楽祭でのボストン交響楽団との演奏。曲目は

ブリテン/「四つの海の間奏曲」
ベートーヴェン/交響曲第七番

だった。レニーの死後、大植さんは遺族からそのコンサートで使った指揮棒とジャケットを形見分けされたそうだ。

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ここから少々時間を遡る。佐渡 裕さんのプロ・デビューは1990年1月9日新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏会だった。曲目は

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
バーンスタイン/「プレリュード、フーガとリフ」
ベートーヴェン/交響曲第七番

レニー最後のコンサートと同じ、ベト七があるのは決して偶然ではないだろう。佐渡さんはレニー亡き後、その遺産とも言えるPMFのレジデント・コンダクター (1992年~1997年)を務め、95年には「第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール」で優勝、レナード・バーンスタイン桂冠指揮者の称号を得た。

佐渡さんの動向を見ていると、今でも師匠の背中を懸命に追いかけていらっしゃるように見受けられる。佐渡さんが子供たちのために毎年されているヤング・ピープルズ・コンサートはもともとレニーがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督時代に企画・司会・指揮を務めたもので、CBSから全米に向けテレビ放送もされた(日本でも以前そのビデオが発売されていた。現在は海外版DVDが入手可能)。また佐渡さんは多忙な中、この4月からテレビ「題名のない音楽会」の司会を引き受けられたわけだが、それだって師の遺志を継ごうという並々ならぬ決意が感じられる。

大植さんは大植さんで毎年夏、大阪で「青少年のためのコンサート」を開催されている(NHK関西ローカルでテレビ放送あり)。昨年僕が聴きに往った時のレポートはこちら

大植さんは大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、佐渡さんは兵庫県立芸術文化センターの芸術監督。レニーの弟子ふたりが、関西のお隣同士で対峙しているという現在の状況はとてもエキサイティングだ。

今年はバーンスタイン生誕90年の記念の年である。佐渡さんはシエナ・ウインド・オーケストラを率いてザ・シンフォニーホールで"バーンスタイン特別プログラム"を振った。その中には「シンフォニック・ダンス」も含まれていた。

大植さんは2003年の青少年のためのコンサートで、「ウエスト・サイド物語」から"プロローグ"、"トゥナイト"(2重唱つき)、"マンボ"を取り上げられた。しかし未だ、大阪で「シンフォニック・ダンス」を指揮されたことはない。大植さんがいつ、大フィルと共にこの曲に立ち向かわれるのか、そのことに僕は注目している。

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ライラの冒険 黄金の羅針盤

評価:B+

映画公式サイトはこちら。フィリップ・プルマン原作のファンタジー「ライラの冒険」シリーズ3部作の第1作目の映画化である。先日発表されたアカデミー賞では視覚効果賞を受賞した(美術賞でもノミネート)。

まず本作で注目して欲しいのが、ライラを演じるダコタ・ブルー・リチャーズがルキノ・ヴィスコンティ監督の名作「ベニスに死す」に登場する美少年、"タッジオ"を演じたビョルン・アンドレセンに瓜二つだということ。是非ふたりを見比べてみてください↓

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余談だが、現在のグスタフ・マーラー ブームはこの「ベニスに死す」(1971)から始まった。ダーク・ボガード演じる主人公の作曲家(ポスター左手)はマーラーをモデルにしている。

さて、意外といっては失礼だが「黄金の羅針盤」はとても面白かった。少なくともハリー・ポッター・シリーズよりも僕はライラを推す。ハリーは亡くなった両親のことを懐かしんでばかりいるウジウジした少年だが、ライラは無鉄砲なまでに勝気である。まるで少女版スカーレット・オハラだ。特に映画の終盤、彼女が悪役・コールター夫人に対して行う情け容赦ない仕打ちには爆笑した。

ハリーの欠点は魔法に頼りすぎることにあると僕は想っているのだが、ライラは全くそんなことはない。彼女には自分自身の力で運命を切り開こうとする強い意志がある。オーディションで選ばれたダコタ・ブルー・リチャーズは正に適役である。

コールター夫人を演じるニコール・キッドマンが素晴らしい。磨きぬかれた完璧な美しさ。こういう冷たくサディスティックな役はニコールに良く似合う。彼女が付け鼻してオスカーを受賞した「めぐりあう時間たち」なんかより断然いい。

「スターウォーズ」や「ロード・オブ・ザ・リング」(LOTR)で大活躍したクリストファー・リーが本作でまたまた登場したのには笑った。彼は現在85歳なのだけれど、シリーズ3作目まで大丈夫なのか?

それからライラのお供をする白熊クンの声をイアン・マッケラン(LOTRのガンダルフ役)をやっていたのにも仰天した。「ライラの冒険」を製作したニューライン・シネマはLOTRを生み出した映画会社でもあるのだが、いくらなんでもLOTRを意識し過ぎではないだろうか?

ラスト、コーション」ではバーナード・ハーマンを彷彿とさせる緊張感に富む音楽で魅了したアレクサンドル・デプラは今回、ライトモティーフを駆使したシンフォニックで格調高い音楽を繰り広げ、圧巻だった。彼には近い将来、是非ともアカデミー作曲賞を獲って貰いたい。ただし、"羅針盤のテーマ"(ライトモティーフ)が「ロード・オブ・ザ・リング」(作曲:ハワード・ショア)の"指輪のテーマ"に似ていたのはご愛嬌。

実はこの映画、1億8000万ドル(約194億円)の製作費を投じたにもかかわらず、アメリカとカナダではわずか6985万ドル(約75億円)しか回収出来なかった。この興行的失敗でニューライン・シネマはシリーズの継続をまだ正式に発表していない。ライラを演じたダコタ・ブルー・リチャーズは今後の見通しについて次のように語っている。

「(主要マーケット最後の公開国となる)日本での興行成績を待って、決めようと思っているんじゃないかしら」

つまり、ライラの運命は日本人の手に委ねられたということだ。日本でヒットするかどうかで僕たちが2作目以降を観ることが出来るかが決まる。ニコール・キッドマンシースルーのセクシー・ドレスで来日会見した気合いは伊達じゃない。

だからこのブログを読んでいる皆さん、是非映画館へ行こう!いや、本当に後悔はさせないから。その点は僕が太鼓判を押す。

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高田泰治/フォルテピアノ・リサイタル

2月22日(金)大阪倶楽部で、日本テレマン協会マンスリーコンサートを聴いた。

演奏されたのはハイドン/3つのソナタ、そしてモーツァルト/幻想曲、ロンド、アダージョ、ソナタ第3番である。フォルテピアノを弾いたのは高田泰治さん。

フォルテピアノとは現在のピアノの原型である。実はピアノの正式名称はピアノフォルテ“pianoforte”であり、しばしば “pf” と表記されるのはそのためである。ピアノの前身、チェンバロは均一な音量しか出せなかった。弱音(ピアノ)から強音(フォルテ)まで出せる楽器という意味で名付けられたのである。

フォルテピアノの響きはモダンピアノよりも柔らかく、なんだか鄙びた音がする。そして一音の持続時間が短い。また音域によって音色までも異なるところが面白い。鍵盤の数もモダンピアノが88鍵なのに対して小さいものでは61鍵しかない。

今回の演奏会で使用されたのは1781年製ヴァルター・ピアノのレプリカ。これはモーツァルトが実際に使用していた楽器だそうである。

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高田泰治さんはチェンバロを鬼才中野振一郎 先生に、またフォルテピアノをミュンヘン音楽大学のクリスティーネ・ショルンスハイムに師事している(現在も定期的にドイツに赴き修行中)。高田さんと中野先生のデュオ・コンサートについては以前こちらの記事に書いた。

中野先生の切れ味鋭い、ある意味攻撃的な演奏に対し、高田さんのそれは穏やかで貴族的である。タイプの異なる音楽家ゆえに、ふたりが共演するとどうしても違和感を拭い去ることが出来ない(僕と同様の感想が「レコード芸術」誌の批評にも書かれていた)。しかし今回、高田さんを単体で聴いてみて、「嗚呼、この人は十分なテクニックがあるし、将来性のある鍵盤奏者なんだなぁ」とほとほと感心した。強弱のダイナミクスに富み、何よりフォルテピアノの優雅な響きが高田さんの資質に合っている。高田さんの才能を見抜き、その方向性を指し示した中野先生はさすが慧眼である。フォルテピアノ奏者は日本に数少なく、関西では皆無に等しい。だから高田さんの存在は貴重である。もう少しタッチに軽やかさが欲しい気もするが、それは今後の課題だろう。

フォルテピアノには現在のピアノのようなペダルはない。しかし高田さんは演奏中にしきりに右膝を上げている。何をやっているのだろう?と観察していて、はたと気がついた。どうやら鍵盤の裏に仕掛けがありそうだ。下から写真を撮ってみた。

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帰宅し色々調べて分かったのだが、これがペダルの替わりに膝で押し上げる膝レバーである。

モダン・ピアノにもダンパーという、鍵盤から手を離した瞬間に音が消えるようにするための仕組みがある。ダンパーフェルトが上から弦を押さえてその振動を止めるのだ(その詳細はこちら)。フォルテピアノでは膝レバーを蹴り上げると全ての弦から一度にダンパーを取り払う機構になっており、これにより全弦が自由に振動するというわけだ。

日本人のように小柄だと、膝レバーに足が届かない場合があるので、足元に台(アジャスター)を使用することも多い。逆に大柄なドイツ人は、持ち上げなくても既に膝の方が鍵盤より高かったりして非常に苦労するそうである。こうして時代の要請に答え、ペダルが出現したということなのだろう。

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Viva!オスカー・ナイト〜宴のあとに

WOWOWで再放送された、アカデミー賞授賞式ノーカット版を今見終えたところである。まず今年のアカデミー賞結果から。赤字にした箇所は僕の予想が的中した部門である。

作品賞
ノーカントリー
監督賞ジョエル & イーサン・コーエン
    「ノーカントリー」

主演女優賞:マリオン・コティヤール
   「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」

主演男優賞ダニエル・デイ=ルイス
   「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

助演女優賞:ティルダ・スウィントン
   「フィクサー」

助演男優賞ハビエル・バルデム
   「ノーカントリー」

脚本賞「JUNO/ジュノ」
脚色賞「ノーカントリー」
撮影賞:「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
編集賞「ボーン・アルティメイタム」
美術賞:「スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師」
衣装デザイン賞:「エリザベス:ゴールデン・エイジ」
メイクアップ賞「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」
作曲賞「つぐない」
歌曲賞「Once ダブリンの街角で」から
   “Falling Slowly”

録音賞:「ボーン・アルティメイタム」
音響編集賞「ボーン・アルティメイタム」
視覚効果賞:「ライラの冒険 黄金の羅針盤」
長編アニメーション映画賞「レミーのおいしいレストラン」
外国語映画賞「ヒトラーの贋札」
     
(製作国:オーストリア)
長編ドキュメンタリー:「『闇』へ」

というわけで、今年の的中は13部門。昨年と同じであった。昨年の総括はこちらに書いている。

蓋を開けてみると、昨年同様にアカデミー賞の国際化が目立った。主演女優賞とメイクアップ賞を受賞したエディット・ピアフ~愛の讃歌~はフランス映画である。助演男優賞を受賞したハビエル・バルデムは「海を飛ぶ夢」などで有名なスペインの名優。主題歌賞を受賞したグレン・ハンサードはアイルランドのロックグループ「ザ・フレイムス」のリード・ボーカル兼ギター奏者。同じくマルケタ・イルグロヴァはチェコ出身。また美術賞を受賞したダンテ・フェレッティはイタリア人である。

主演男優賞を受賞したダニエル・デイ=ルイスはイギリス人。この時のプレゼンターが同じくイギリス出身のヘレン・ミレン(映画「クィーン」でエリザベス女王を演じ主演女優賞を受賞)でデイ=ルイスが戯けてミレンに跪き、オスカーを受け取ったのが可笑しかった。つまり、アカデミー賞はアメリカ一国だけのお祭りでは最早なく、真の意味でボーダレスな映画の祭典となったのである。

また、外国映画賞を史上初めてオーストリアが受賞したことも特記すべきであろう。ドイツは例えば最近でも「ブリキの太鼓」「善き人のためのソナタ」で受賞するなど、元々映画が盛んな国である。しかしお隣のオーストリアは映画に無関心な国で、国民の大半は「サウンド・オブ・ミュージック」さえ観たことがないそうである。僕は昔、ザルツブルクで「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地めぐりバスツアーに参加したことがあるのだが、乗客の殆どはアメリカ人だった。

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さて、今宵オスカー・ナイトの主役はなんといってもマリオン・コティヤール!もう、彼女に尽きるだろう。エディット・ピアフの魂が憑依したかのような演技は、鬼気迫るものがあったが、素顔の彼女は真にチャーミングなパリジェンヌである。授賞式でのドレスも素敵だったし、メイクアップ賞でエディット・ピアフ~愛の讃歌~が受賞した時から目に涙を一杯浮かべていたのも好感度大。そして主演女優賞で自分の名前が読み上げられた時の驚きの表情、声を震わせながらのスピーチも感動的で、なによりもその清らかな涙に心洗われた。本当におめでとう!ちなみにフランス人がアカデミー主演女優賞を受賞するのは1958年のシモーヌ・シニョレ以来、史上2人目の快挙である(なんと50年ぶり!)。

それにしてもつい先日、2月21日に映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤」のキャンペーンで来日し、超セクシーなマタニティー・ドレスで日本人を魅惑したニコール・キッドマンが、いつの間にかプレゼンターとして授賞式に現れたのには唖然とした。二コールは現在40歳。その色褪せぬ美しさは現代の驚異である。

そうそう、以前にも書いたがマリオン・コティヤールハビエル・バルデムはロブ・マーシャル監督(「シカゴ」、「SAYURI」)の新作ミュージカル映画「ナイン」に出演予定だったのだけれど、オスカーを受賞したものだからギャラが高騰するのは必至(2,3倍は当たり前)。ちゃんと無事、出てくれるのだろうか!?

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第80回アカデミー賞大予想!

僕は昨年10月3日の記事「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」でピアフを演じたマリオン・コティヤールについて、

これが英語の映画なら彼女は間違いなくアカデミー主演女優賞を受賞するだろう。フランス映画というハンディはあるが、少なくともアカデミー賞ノミネートは確実。

と書いた。そして彼女は見事ノミネートされた。しかしフランス映画なので、受賞はやはり難しそうだ(勿論もし彼女がオスカーを獲れたら、心から祝福したい)。

また、8月7日「レミーのおいしいレストラン」については、

もう、はっきり書いちゃうけれど来年のアカデミー賞で長編アニメーション部門はこの作品で決まり。他はありえない。

と断言し、12月18日「once ダブリンの街角で」には、

さて最近のアカデミー賞の傾向から考えると、今年の歌曲賞は本作の"Falling Slowly"でほぼ決まりだろう

と書いている。さて、これらの予言は果たして当たるだろうか?

Oscar
では、今年の受賞予想である。

作品賞:ノーカントリー
監督賞:ジョエル & イーサン・コーエン
    「ノーカントリー」

主演女優賞:ジュリー・クリスティ
   「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」

主演男優賞:ダニエル・デイ=ルイス
   「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

助演女優賞:ケイト・ブランシェット
   ”I'm Not There”

助演男優賞:ハビエル・バルデム
   「ノーカントリー」

脚本賞:「JUNO/ジュノ」
脚色賞:「ノーカントリー」
撮影賞:「ノーカントリー」
編集賞:「ボーン・アルティメイタム」
美術賞:「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」
衣装デザイン賞:「つぐない」
メイクアップ賞:「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」
作曲賞:「つぐない」
歌曲賞:「Once ダブリンの街角で」から
   “Falling Slowly”

録音賞:「ノーカントリー」 
音響編集賞:「ボーン・アルティメイタム」
視覚効果賞:「トランスフォーマー」
長編アニメーション映画賞:「レミーのおいしいレストラン」
外国語映画賞:「ヒトラーの贋札」
     
(製作国:オーストリア)
長編ドキュメンタリー:“No End in Sight”
短編ドキュメンタリー、短編アニメ、短編実写賞は全く分からないので棄権する。

一昨年のアカデミー賞は作品賞が「クラッシュ」(ライオンズゲート)、監督賞は「ブロークバック・マウンテン」(フォーカス・フィーチャーズ)が受賞し、インディーズ(独立プロダクション)系作品が席巻した。その反動で翌年はメジャー系ワーナー・ブラザースの「ディパーテッド」が気を吐いた。そして今年は「ノーカントリー」(ミラマックス)「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(パラマウント・ヴァンテージ)「JUNO/ジュノ」(フォックス・サーチライト)など、再びインディーズの年になる。これが時代の潮流なのだ。

さて、作品・監督・演技賞の主要部門で、僕の予想が外れるとしたら助演女優賞。ここは混戦模様だ。

撮影賞は未だに受賞していないロジャー・ディーキンスに与えたいというアカデミー会員の意向がある筈なのだが、問題は彼が「ノーカントリー」ジェシー・ジェイムズの暗殺の2作品でノミネートされてしまったこと。ダブル・ノミネートは37年ぶりの快挙なのだが、これは同時に票が割れるということを意味する。そうなると漁夫の利で、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」ロバート・エルスウィットが受賞する可能性も残る。兎に角ディーキンスが、どちらの作品でも良いから受賞できますように!

毎年悩むのが作曲賞。ここ5年間ほどは、ことごとく外してしまった。でも今年こそはいけそうだ(<本当か?)。

今年の歌曲賞はディズニーの「魔法にかけられて」から3曲もノミネートされた。作曲は「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」のアラン・メンケン。ここのところ鳴かず飛ばずだった彼の復活を、心から喜びたい。

アカデミー賞授賞式は日本時間の2月25日(月)午前より開始される。公式日本語サイトはこちら

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エリザベス:ゴールデン・エイジ

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評価:B+

映画公式サイトはこちら

本作は第80回アカデミー賞において2部門(主演女優賞・衣装デザイン賞)にノミネートされた。

ケイト・ブランシェットはさすがの貫禄だが、僕は1作目の「エリザベス」(1998)でこそ、彼女はオスカーを受賞すべきであったと確信している。その年、栄冠に輝いたのは「恋に落ちたシェイクスピア」のグウィネス・パルトローだった。アカデミー会員たちはオーストラリア生まれのケイトではなく、アメリカ生まれのグウィネスにハリウッドの未来を託したのである。これが明らかなミス・ジャッジだったことはその後の歴史が証明している。

さて今回の続編はシェカール・カプールが再びメガホンを握り、俯瞰ショットを多用したけれんみたっぷりの演出を施している。陰謀が渦巻き、サスペンスに富む。この盛り沢山の内容を上映時間114分とコンパクトにまとめた手腕も見事。しかし、前作ほどの格調の高さや充足感に欠けているのもまた事実である。

ジェフリー・ラッシュも前作に引き続きウォルシンガム卿を演じ、いい味出している。新参のクライヴ・オーウェンはワイルドな持ち味を生かし好演。

ただ、オーウェン演じるサー・ウォルター・ローリーが大活躍し、スペインの無敵艦隊を駆逐する場面は描写があっさりしていて少々物足りなかったかな。

余談だが、ケイト・ブランシェットは今年の5月に公開される「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」でヒロインというか、インディの敵役を演じる。これはとても愉しみだ。

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潜水服は蝶の夢を見る

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評価:A+

映画公式サイトはこちら

これはロックト・イン・シンドロームになった主人公の物語だ。Locked-in syndrome (閉じ込め症候群)とは脳梗塞に罹患し、意識は清明だが四肢を動かすことや発声が出来ず、随意的な眼球運動や瞬きだけが保たれている状態をいう。「潜水服」とはLocked-inの比喩であり、「蝶の夢」が記憶力と想像力を象徴している。巧いタイトルだ。

まあ非の打ち所のない完璧な芸術作品なので、どうぞ映画館でご覧下さいとしか言いようがない(ただし、今年の僕のベストワンは「ラスト、コーション」と既に心の中では決めている)。

製作はキャスリーン・ケネディ。彼女のプロデューサー・デビューは「E.T.」で、それ以降スピルバーグ映画のプロデュースをずっと手掛けている。

撮影監督はポーランド出身のヤヌス・カミンスキー。アカデミー撮影賞を受賞した「シンドラーのリスト」以降、スピルバーグの全作品を撮っている(「プライベート・ライアン」でもオスカーを受賞)。5月に公開予定の「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」(←クリックしたら予告編trailerが見れるよ!)も勿論、彼が担当している。カミンスキーと組むまで、スピルバーグ映画の撮影監督は毎回替わっていた。それだけカミンスキーに対する監督の信頼が厚いということだ。

カミンスキーも作曲家ジョン・ウイリアムズ同様に、スピルバーグとの仕事を最優先に考えている筈だ。しかし、2007年にスピルバーグは一本も撮らなかった。想像するにカミンスキーはキャスリーン・ケネディから「スケジュールが空いてるんだったらこの仕事、引き受けてくれない?」と声を掛けられたのではないだろうか。

「潜水服は蝶の夢を見る」は兎に角、カミンスキーの映像が圧巻である。映画は脳卒中で倒れた主人公が病院で覚醒する主観ショットから始まる。最初はピンボケで次第に焦点が合ってくる。しかし、人物の顔の右側はピントが合っているのに左半分は合っていなかったり、目がはっきり映っていても口元はぼんやりしていたりする。どうやって撮影したのか全く分からない!映像の魔術師の真骨頂である。瞬きのショットもお見事!

冒頭から数十分間は主観ショットのみで描かれるが、次第に主人公が自分の置かれた立場を理解し回想シーンも盛り込まれるようになると、彼を客観的に捉えたショットが増してくる。このあたりの演出が自然でとても良い。

本作でアカデミー監督賞にノミネートされたジュリアン・シュナーベルはアメリカ人。考えてみれば「潜水服は蝶の夢を見る」のスタッフの多くがハリウッドの映画人である。では何故これはフランス語の映画なのだろう?

その答えは恐らくこれが実話だからだろう。フランス版ELLE誌の編集長だったジャン=ドミニク・ボビーが左目の瞬きの合図で綴った自伝が原作である。この映画に携わった人々は著者に対する畏敬の念から、舞台をアメリカに移したり英語のダイアログで撮ったりしなかったのだと僕は推察する。その心意気たるや、真に天晴れである。

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これは是非聴きたい。厳選!関西のクラシック・コンサート

今回は関西地区限定の話題。春からのコンサートで、面白そうなものをいくつか取り上げてみたい。

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団および宮川彬良/大阪フィル・ポップスの演奏会は常にチケットが完売し立ち見まで出るので、ここでは省略する。今更僕が紹介するまでもないだろう。

今年の関西クラシック音楽界で最大の話題は児玉 宏さんが大阪シンフォニカー交響楽団の音楽監督に就任されるさことだろう。大植さんと共になにわ二大巨匠時代の到来である。大植さんはロマン派以降の作曲家、特にマーラーが得意。でもブルックナーは苦手。それを補って余りある存在が児玉さんなのである。これからのブルックナー演奏は全てシンフォニカーにお任せだッ!是非チクルスもやって欲しい。以前、児玉さんが指揮する至高のブルックナーを聴いた感想はこちら。プロコフィエフを含む名曲コンサートはこちら。ブルックナーの定期で児玉さんは2007年音楽クリティック・クラブ賞を受賞された。……という訳で、今後のお勧め。まず、

大阪シンフォニカー定期演奏会児玉さんが振る演奏会は全て推薦!まあ、僕に騙されたと想って一度足を運んでみて下さい。後悔は絶対させません)そして、
河内長野ラブリーホール「祝祭コンサート」

次にご紹介したいのは

神尾真由子さんのチャイコフスキー国際コンクール優勝記念コンサート

神尾さんは大阪府豊中市出身のヴァイオリニスト。現在まだ21歳。チャイコフスキー国際コンクールのドキュメンタリーがBSで放送されたのだが、まず2次予選通過の発表で自分の名前が読み上げられてもニコリともしない。しかしファイナルの結果発表、2位でライバルの名が読み上げられた瞬間、彼女が大はしゃぎでガッツポーズをしている姿を見た時に「この娘はただ者ではない」と確信した。

NHKの特集番組では彼女が大阪の実家に帰省すると、毎夜近所をジョギングしている様子が収録されていた。体を鍛えるヴァイオリニストがいるという事実を初めて知った。

彼女の弾くヴァイオリンの特徴は何と言ってもその力強さにある。非常に線が太い音がするが、しかし決して濁らない。内面は火の玉のように燃えているのだけれど、ちゃんと自分の感情をコントロールする術を心得ている。そこが凄い。間違いなく21世紀最高のヴァイオリニストになるだろう。必聴。

さて、続いて古楽の世界へお連れしよう。1960年代から始まったオリジナル楽器(古楽器)によるバッハ・ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの演奏は成熟期を迎え、いまや時代を席巻しつつある。その世界のトップ・ランナーが鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)と鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)である(メンバーはかなり重複している)。ちなみに、鈴木雅明・秀美 兄弟は兵庫県神戸市出身である。

BCJは昨年イギリスのBBCプロムスにデビューし、あの有名なラストナイトの舞台となるロイヤル・ アルバート・ホールで演奏した。また彼らが演奏するバッハ/「ミサ曲 ロ短調」のCDはレコード・アカデミー大賞(銀賞)に輝いた。

そのBCJが3月にザ・シンフォニーホールでバッハの最高傑作と呼び声の高い「マタイ受難曲」を演奏する。詳細はこちら。これを聴き逃す手はない。

作曲家の武満徹はこの曲をこよなく愛し、「マタイ受難曲の良さが分からないのは人類じゃない」とさえ豪語していたそうである。そして彼が死の二日前、病床のFMラジオで聴いていたのもマタイだった。

関連blog記事:「お茶の時間」にしませんか?

BCJの演奏会は兵庫県立芸術文化センター小ホールでも催される。

バッハからメンデルスゾーンへ 〜イエス、我が喜び〜(5月28日、水)

オリジナル楽器(フォルテピアノを含む)で演奏されるメンデルスゾーン。これは愉しみだ。メンデルスゾーンは指揮者として、当時忘れ去られていた「マタイ受難曲」を約100年ぶりに復活上演したことでも有名である。これがバッハ再評価の契機となった。メンデルスゾーンが20歳のことである。

ラ・プティット・バンド

これはバルトルド・クイケンの記事でもご紹介したが、なにより注目すべきは肩掛けチェロ!とも言うべき楽器、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラが登場すること。写真はこちら。見た目が何となくユーモラスである。

延原武春/テレマン室内管弦楽団のベートーヴェン・チクルス

も是非ご紹介したい。オリジナル楽器(古楽器)による交響曲全曲演奏会は本邦初の試みである。延原さんは楽譜に指定されたメトロノーム速度に則した指揮をされるので、溌剌として若々しいベートーヴェンが聴けるだろう。

最後は華麗なるオペラの世界へ!

佐渡裕プロデュース 喜歌劇「メリー・ウィドウ」

歌、踊り、笑いが渾然一体となるお洒落なエンターテイメント。桂 ざこばさんも出演される。そしてこの公演の一番の注目は森 麻季さん!(ダブル・キャストなので日程注意)

実は彼女のことを初めて知ったのが今年の年頭にテレビで放送された「NHKニューイヤーオペラコンサート」である。その可憐な容姿と、美しい歌声に一気に魅了された。正に現代のディーヴァである。豪華なドレスのセンスも抜群だった。

また3月には神戸文化ホールで森 麻季&横山幸雄デュオコンサートというのもある。

それにしても、小澤征爾/新日本フィルの大阪公演は、豪華キャストの「メリー・ウィドウ」より木戸銭が高いのだから、これはもはや狂気の沙汰と言っても過言ではないだろう。

今までご紹介したコンサートは(小澤征爾以外)全て僕も往く予定。興味を持たれた方、また会場でお会いしましょう。

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ラヴェルって、ゲイ!?

これは、関連記事「大作曲家の知られざる素顔」と併せてお読み下さい。

チャイコフスキーが同性愛者だったとか、ディーリアスやスメタナが梅毒に罹っていたとか書くと、「そんな大作曲家のプライバシーを暴き立てるなんて…」と眉をひそめるクラシック・ファンは必ずいる。しかし我々は、例えばベートーヴェンの耳が聞こえなくなったこととか、ハリゲンシュタットの遺書、「不滅の恋人」のエピソードを知っているし、モーツァルトが下品な言葉を好んだとか、コンスタンツェ・モーツァルトが悪妻だったことも知っている。これらの事実だってプライバシーに関わることだ。両者に一体、どれだけの差があるというのだろう?僕は作曲家の生涯を知ることは(必要条件ではないけれど)、その作品を理解する上での助けにはなるだろうと考えている。

さて、本題に移ろう。昨年、一年間をかけてNHK-BSで「ぴあのピア」という番組が放送され、その中でモーリス・ラヴェルの家が登場した。そのカラフルな内装を見た瞬間に連想したのが、「まるでエルトン・ジョンみたいだ!」ってこと。

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ラヴェルの家の写真はこちらで見ることが出来るが、僕が「ぴあのピア」で見た時の直感のニュアンスがこの写真からは伝わりにくいのが残念だ。

実際にラヴェルの家を訪問されたことがあり、番組の中でインタビューを受けた声楽家の中嶋彰子さんの発言を引用しよう。

おそらく、とてもデリケートで、細かくて几帳面な人だったのではないでしょうか。私よりも女性らしい人だったのではないかと思います。

なかなか意味深である。

そこでラヴェルについて色々調べてみて分かったことがある。
・ 彼は生涯独身だった。
・ 外出するときは化粧をしていた。
・ 彼は売春宿で娼婦とお喋りをするのが好きだった。

また、ラヴェル=同性愛者であるという観点から書かれた本があることも判明した。ベンジャミン・イヴリー著「モーリス・ラヴェル ある生涯」である。

ただし、ラヴェルが同性愛者だったという説には異論も多く、チャイコフスキーほど確かな証拠はないようである。余談だが、チャイコフスキーがゲイであることは昔から有名で、映画化もされたE.M.フォースターの小説「モーリス」(1913年執筆)にも、その話がたびたび出てくるそうだ(僕は未読)。

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本当はどうだったのかは分からない。しかし、ラヴェルがゲイであった可能性から光を当てて彼の作品を聴きなおしてみると、音楽がまた違った様相を呈してくるのも確かであろう。

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大植英次/ラプソディ・イン・パリ

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会(一日目)を聴いた。会場はザ・シンフォニーホールである。

プログラム内容はラヴェルガーシュウィンベルリオーズである。どうして、ラヴェルベルリオーズというフランスの作曲家にガーシュウィンというアメリカの作曲家が挟まれているのか疑問に想われる方がいらっしゃるかも知れない。しかし、これにはちゃんとした理由があるのである。

ガーシュウィンは当初、自分のオーケストレーション技術に自信がなく、「ラプソディ・イン・ブルー」(1924年初演)は「グランドキャニオン」の作曲家グローフェに編曲を依頼した。そこでガーシュウィンは1927年にフランスに渡り、”管弦楽の魔術師”ラヴェルの教えを請おうとする。しかしそんな彼にラヴェルはこう言ったのである。

「君は既に一流のガーシュウィンではないか。何も二流のラヴェルになる必要などないよ」

こうしてフランスから帰国後、完成したのが「パリのアメリカ人」(1928)である。この曲はガーシュウィン自らオーケストレーションを施した。

ラヴェルも逆にガーシュウィンから影響を受け、「ピアノ協奏曲ト短調」(1932)にジャズの語法を取り入れている。

余談であるが、ガーシュウィンは当時ナチスから逃れてハリウッドに住んでいたシェーンベルクに12音技法を学ぼうとするのだが、シェーンベルクからもこう言われたそうである。

「『ス・ワンダフル』のような曲が作れるのだから君は天才だ。12音技法のことなど忘れなさい」

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さて、今回のコンサートでまず演奏されたのはラヴェル/道化師の朝の歌

ラヴェルはスペインにほど近いバスク地方で生まれた。母マリーはバスク人であった。だから「スペイン狂詩曲」でも分かる通り、ラヴェルにはスペインの血が流れている。大植さんの指揮は「道化師の朝の歌」冒頭の強烈なピチカートからスペインの情緒溢れ、情熱的な演奏であった。

続いてガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルー。今やラプソディ・イン・ブルーと言えば「のだめカンタービレ」なのだろうが、僕にとってこの曲と直結するのはウディ・アレン監督の映画「マンハッタン」である。白黒の画面に浮かび上がる摩天楼にガーシュウィンの音楽は良く似合う。また、ディズニーの「ファンタジア2000」での使い方も印象深い。

今回大フィルと競演したのは神戸生まれのジャズ・ピアニスト、小曽根 真さん。ガーシュウィンが書いた楽譜からしばしば逸脱して、即興演奏を交えた演奏だった。アドリブこそジャズの魂。これぞクラシックとジャズの真のコラボレーションだ!2003年6月にベルリンのヴァルトビューネ野外音楽堂で行われたマーカス・ロバーツ・トリオ小澤征爾/ベルリン・フィルによるラプソディ・イン・ブルーを想い出した(この模様は市販のDVDで観ることが出来る)。

オーケストラの健闘も褒め称えたい。曲の冒頭、ブルックス・トーン君のソロはジャズ・クラリネット独特の発音・イントネーションがあって魅了された。秋月孝之さんのミュートをつけたトランペットはまるでマイルス・デイビスみたいにクールだった。

アンコールでは大植さんが小曽根さんをピアノに坐らせ、自分は指揮台に陣取ってそこから小曽根さんのソロを愉しそうに聴かれた。「今日はバレンタインですからラブ・ソングを演ります」と、おもむろに弾き始めたのは映画「ノッティングヒルの恋人」(ジュリア・ロバーツ、ヒュー・グラント主演)の中でエルビス・コステロが歌い大ヒットした"She"。作曲はシャンソンの大御所シャルル・アズナブール、作詞はハーバート・クレッツマー。この人はミュージカル「レ・ミゼラブル」の作詞にも携わっている人である。ロマンティックな雰囲気溢れる演奏にウットリと耳を傾けた。

休憩後はベルリオーズ/幻想交響曲。ここでオーケストラは通常の配置から、指揮台をはさんで第1、第2ヴァイオリンが向かい合う対向配置に切り替わった。

ロマン派の作曲家として知られるベルリオーズだが、幻想交響曲が初演されたのが1830年。ベートーベン/第九交響曲が初演されてからわずか6年後のことである。だから古典配置も納得がいく。大植さんはベートーヴェンの時はコントラバスを後方正面一列に並べたが、幻想交響曲では客席から向かって右方に配置された。

ベートーヴェン・チクルスで、楽譜に書かれた全ての繰り返しを敢行した大植さんらしく、1楽章の提示部と4楽章の主部をちゃんと反復していた。実は1960年代における幻想交響曲の名盤、クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団ミュンシュ/パリ管弦楽団カラヤン/パリ管弦楽団の演奏ではこれらの繰り返しは慣例により省略されている。僕がこれらの反復を初めて聴いて仰天したCDはアバド/シカゴ交響楽団の演奏で、これは1983年の録音であった。

帰宅して昔録画したDVDで確認したのだが、デュトワ/NHK交響楽団の演奏(2003)は1楽章の反復は行っていたが4楽章は省略し、小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ(2007)は両楽章とも反復なしで演奏していた。

大植さんの指揮は12月の定期とは打って変わって生気に溢れ、音楽に勢いがあった。第1楽章「夢、情熱」の序奏ではヴァイオリンの透明感ある音にハッとさせられた。ビブラートを極力抑えた奏法だったのである。ゆったりと、息の長い旋律が静謐に響く。主部に入り作曲家の激情が高まるとビブラートが増し、終結部で穏やかな曲想に戻るとビブラートも抑えられるという構成になっていた。このビブラート抑制による表現法は第3楽章「野の風景」の孤独と静寂の世界でも再現された。またその第3楽章では、イングリッシュホルンとそれに呼応する舞台裏のオーボエの寂寞とした響きが胸に沁みた。

第4楽章は重々しく、引きずるような足取り。まるで主人公が巨大な足枷をはめられているような印象を受けた。成る程、これは「断頭台への行進」なのだからこの解釈こそ相応しい。また打楽器群の一撃がズシリと腹に響いた。

そして第5楽章「ワルプルギルスの夜の夢」。これも引き続き、遅めのテンポ。魑魅魍魎が跋扈し、聴衆は熱病にうなされる様な悪夢を体験する。グレゴリオ聖歌「怒りの日」(Dies Irae)をチューバが咆哮する箇所は、まるで最後の審判が下されたかのような強烈な印象を受けた。そして最後の最後、一転して畳み掛けるような加速が圧巻だった。ザ・シンフォニーホールが熱狂的歓声に包まれたことは言うまでもない。大植さん、完全復活の瞬間だった。

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終演後、初めてサインを貰いに楽屋口へ。大植さんは元気一杯で、ファンから沢山チョコレートのプレゼントを受け取っていた。僕が幻想 第4,5楽章のテンポが良かったと話したら、「そうでしょう!あそこを軽く演奏すると『動物の謝肉祭』になっちゃうから!それにしても大フィルの底力は凄い」と舌の方も絶好調だった。

追記:「大植英次、佐渡裕~バーンスタインの弟子たち」も是非、併せてお読み下さい。

関連blog記事
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小澤征爾 代、九千円。

小澤征爾/新日本フィルハーモニー交響楽団の大阪公演が決まった。場所はザ・シンフォニーホールである。詳細はこちら

曲目はチャイコフスキー/交響曲第六番「悲愴」ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第三番(ピアノ:上原彩子)。

小澤さんは滅多に大阪に来られないし、ピアノがチャイコフスキー国際コンクールで優勝した上原さんだし、一寸聴いてみたい気もするけど、どうしようかなぁ……とよくよく見てみると、目が点になった。S席14,000円!一番安いC席でも8,000円である。大植英次/大阪フィルの定期演奏会がS席6,500円だからその2倍以上。

大阪の音楽プロモーター(リバティ・コンサーツ)が暴利を貪っているのかと思いきや、どうもそうではなさそうだ。新日本フィルが主催する東京公演も同一料金である。上原さんではなく、新日本フィル首席オーボエ奏者の古部賢一さんがソリストとして登場する回も同じ。

新日本フィルは今年の1月10日にもザ・シンフォニーホールでコンサートを行った(指揮:クリスティアン・アルミンク、ヴァイオリン:豊嶋泰嗣)。この時の料金はS席5,000円、C席2,000円だった。ということは、S席を購入する聴衆の支払う差額9,000円は小澤征爾さんひとり分ということになる。

言うまでもなく小澤さんは世界的に有名な指揮者である。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートやベルリン・フィルのジルベスター・コンサートの指揮台に立ったアジア人は小澤さんしかいない。また2002年からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任されているわけだが、ここはかつてカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンが総監督を務めていたオペラハウスである。言い換えれば天下を取ったということだ。

だがそれにしても、である。80人くらいのオーケストラの楽員よりも1人の指揮者の価値の方が遥に上回る、これは異常な話ではないだろうか?

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テラビシアにかける橋

上の画像をクリックすれば映画公式サイトに飛べる。

評価:B+

いやはや感動した。ファンタジー映画はかくありたい。不覚にもボロボロ泣いた。鬼の目にも涙。

ギレルモ・デル・トロ監督の「パンズ・ラビリンス」は傑作だが、なにしろ結末が辛すぎる。その点「テラビシアにかける橋」は「パンズ・ラビリンス」ほどの芸術性、格調の高さには欠けるが、後味が抜群に良いので評価が高くなった。

まずなんと言ってもヒロイン、レスリーを演じた美少女アナソフィア・ロブが表情豊かで素晴らしい!つい2年位前までは名子役といえば西はダコタ・ファニング(アイ・アム・サム、マイ・ボディーガード、宇宙戦争)、東は神木隆之介くん(千と千尋の神隠し、ハウルの動く城、恋愛小説)と相場が決まっていたが、既にふたりとも子役と呼ぶには大きくなりすぎた。「チャーリーとチョコレート工場」では常時ガムを噛んでいるわがまま娘、ヴァイオレットを演じ強烈な印象を残したアナソフィアだが、遂に彼女の時代が来たのである。

ここで話が少々横道に逸れるが、往年のハリウッド映画の中で美少女といえば僕が直ぐさま想い出すのは「若草の頃」('44)「若草物語」('49)のマーガレット・オブライエンや「アンネの日記」('59)のミリー・パーキンスらである。また美少女というわけではないが、「ペーパームーン」('73)におけるテータム・オニールの演技には瞠目した。彼女はこれでアカデミー助演女優賞を受賞、弱冠10歳だった。これはいまだに最年少記録である(アンナ・パキンが「ピアノ・レッスン」で受賞したのは11歳)。

話を元に戻そう。孤独な少年と少女が身を寄せ合い、彼らだけの王国を築くという「テラビシアにかける橋」の基本プロットはある意味、ルネ・クレマン監督の名作「禁じられた遊び」('52、フランス)に通じるものを感じた。結局時代は移れど、子供たちもそして児童文学の本質も変わりはしないということなのだろう。

「ロード・オブ・ザ・リング」同様に、本作はその大半がニュージーランドでロケされた。特撮には「ロード・オブ・ザ・リング」のWETAデジタルも参加している。やっぱりファンタジーにはニュージーランドの深閑とした森がよく似合う。

脚本の完成度も高い。脇役に至るまで人間が生き生きと描けている。例えば主人公の少年は自分は妹に比べて、父親から愛されていないとずっと思い込んでいるのだが、決してそうではないことが映画の終盤にさりげなく描かれる。このあたりの展開が実に巧い。

余り詳しいことは書けないが、結末の落としどころもお見事!少しほろ苦くて、でもどこか清々しい気持ちで映画館を後に出来ること請け合い。必見。

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「蒼いくちづけ」と小池修一郎 論

宝塚バウホールに花組「蒼いくちづけ」を観に往った。初演は1987年2月(主演:紫苑ゆう)。実に21年ぶりの再演である。作・演出は小池修一郎さん。

Poster

小池さんが台本も執筆したミュージカルで僕が過去に観たことがあるのは「ヴァレンチノ」「PUCK」「ロスト・エンジェル」「失われた楽園」「ブルースワン」「JFK」「イコンの誘惑」「エクスカリバー」「タンゴ・アルゼンチーノ」「LUNA -月の遺言-」「カステル・ミラージュ-消えない蜃気楼-」「薔薇の封印 -ヴァンパイア・レクイエム- 」「NEVER SAY GOODBYE -ある愛の軌跡- 」「アデュー・マルセイユ」の14作品。面白かったのは「カステル・ミラージュ」までで、はっきり言って最近の3作品は駄作。僕が一番好きなのは「失われた楽園」かな。

小池作品の特徴。まずドラキュラが好き「蒼いくちづけ」「薔薇の封印」はドラキュラが登場する。未見だが「ローン・ウルフ」は狼男が主人公だったらしい。狼男はドラキュラの遠縁にあたり、フランケンシュタインらと共に「蒼いくちづけ」にも友情出演している。

そして小池さんはアメリカ文学が好き(特にロストジェネレーションの作家)。菊田一夫演劇賞を受賞した「華麗なるギャツビー」はスコット・フィッツジェラルド原作。「失われた楽園」はフィッツジェラルドの遺作「ザ・ラスト・タイクーン」へのオマージュ。「NEVER SAY GOODBYE」はヘミングウェイの小説「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」を下敷きに、ロバート・キャパをモデルにしたカメラマンが主人公だ。

ハリウッド映画への愛着も強い。「失われた楽園」はハリウッドの撮影所が舞台で「ヴァレンチノ」とはハリウッド・スター、ルドルフ・ヴァレンチノのこと。「タンゴ・アルゼンチーノ」はヴァレンチノ主演の映画「黙示録の四騎士」と同じ原作に基づく。「JFK」にはマリリン・モンローが登場し、「カステル・ミラージュ」は映画「バグジー」の主人公、ベンジャミン・シーゲル(ラスベガスを作った男)をモデルにしている。

東の宮本亜門、西の小池修一郎と並び称されるくらい、小池さんは優れたミュージカル演出家である。しかし彼の台本については出来不出来のムラが烈しい。失敗作の顕著な特徴は1幕で大風呂敷を広げ、張った伏線を2幕で回収できずに尻すぼみで終わるパターンである。「薔薇の封印」はその典型であった。

だから「蒼いくちづけ」にも一抹の不安があったのだが、これは大当たりであった!「失われた楽園」と並ぶ小池さんの代表作と太鼓判を押せる。

第1幕は格調高いゴシック・ロマンとしての吸血鬼伝説が展開する。女吸血鬼カーミラまで登場させるこだわりには唸った。きっと小池さんは「吸血鬼カーミラ」を映画化したロジェ・バディム監督の「血とバラ」(1961、フランス)のファンに違いない。


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また、ドラキュラの登場シーンでブラームス/交響曲第四番が流れてきたのには驚いた。これが意外にも吸血鬼に似合っていたのである!「イコンの誘惑」で小池さんはチャイコフスキー/弦楽セレナードを使用し、これも絶大な効果を上げたが、選曲のセンスが光る。

1幕の最後にドラキュラ伯爵は日の光を浴び、マントとペンダントを残して一瞬のうちに灰になってしまうのだが、ここの演出がまるでハロルド・プリンスの「オペラ座の怪人」みたいで鮮やかだった。

第2幕は打って変わって、IT'S SHOWTIME ! ! 舞台は21世紀に移り、ドラキュラのパロディがコメディ・タッチで展開される。この変わり身の早さには意表を突かれた。ドラキュラがシルクハットをかぶり歌って踊る場面は、メル・ブルックス監督の映画「ヤング・フランケンシュタイン」(1974)で怪物が正装し、"Puttin' on the Ritz"でタップを踏む場面を想い出した(これは舞台化され、現在ブロードウェイで上演中。振付・演出は「プロデューサーズ」のスーザン・ストローマン)。腹を抱えて笑った。写メールとか小道具の使い方の巧さも光る。

ドラキュラ伯爵を演じた真野すがたさんは歌はイマイチだが、背が高く見栄えがするし、ダンスが格好良かった。ドラキュラの耽美な雰囲気もよく出ていた。今後に期待したい。

ヒロインのルーシー/ヴィーナス(二役)を演じた華耀きらりさんはとても綺麗で瞠目した。華がある。間違いなく将来はトップ娘役になるだろう。

ジョニー・アイドルを演じた扇めぐむさんは歌が上手いのに感心した。

そうそう。可笑しかったのがクライマックス、コンクールの司会者が「次は、ヴィーナスの登場です!」と叫び、スポットライトが扉を照らすが、そこから誰も出てこない場面。司会者は同じことをもう一度繰り返す。これは明らかに映画「サウンド・オブ・ミュージック」へのオマージュ(トラップ・ファミリーがザルツブルクからスイスへ脱出する場面)である。実は小池修一郎さんは熱烈なジュリー・アンドリュースのファンで、ファンクラブにも入っていらっしゃった(その事実を裏付ける証言がこちらのブログに書かれている。中島梓さんのコラムにもこんな記事が)。なかなか微笑ましいエピソードである。

小池さんのドラキュラへの偏愛は今回よく分かった。是非お次は、萩尾望都の漫画「ポーの一族」をミュージカル化してください。期待しています。それから小池さんの最高傑作との呼び声の高い「グレート・ギャツビー(「華麗なるギャツビー」改題)」が遂に東京・日生劇場で再演(主演:瀬奈じゅん)されることが決定したのだが、勿論関西でもやってくれるんですよね!?宝塚歌劇団さん。

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さようなら、大阪シンフォニカーいずみ定期

大阪シンフォニカー交響楽団のいずみホール定期演奏会”近代音楽へのアプローチ”第4夜を聴きに往った。第1回目の感想はこちら。2回目はこちら。3回目はこちら

このシリーズは余り聴く機会のない20世紀の音楽が色々演奏され、大変聴き応えがあった。2002年度より始まった大阪シンフォニカー「いずみホール定期」はこれで幕を閉じる。収容人数821のいずみホールが毎回7割程度の入りでは採算が見合わないだろうし、ミュージックアドバイザー・首席指揮者の大山平一郎さんの任期はこの3月までで、4月から音楽監督・首席指揮者に児玉 宏さんを迎える。そこでひとつの区切りをつけることになったのだろう。2006年度のモーツァルトは在り来たりのプログラムだったが、今年度はユニークな企画だっただけに惜しい。むしろシンフォニカー定期演奏会よりも内容が充実していたのではなかろうか?

大山さんが古典派やロマン派を指揮するときは、あまりにもオーソドックスで面白みに欠けるが、20世紀の作品の時は非常に明晰で分かりやすかった。名外科医が快刀乱麻のメスさばきで腑分けしていくような鮮やかさがあった。また大山さんはかつてロサンジェルス・フィルハーモニックの首席ヴィオラ奏者だった経歴があり、特に弦楽合奏曲を振るときの手腕は見事であった。

今回のコンサートは、まずアメリカの作曲家コープランド/バレエ音楽「アパラチアの春」が演奏された。比較的有名な作品だが通常のオーケストラ版ではなく、初演時の室内楽版だった。ピアノと弦楽器以外はフルート1、クラリネット1、ファゴット1というたった13人の編成。普段とは違いすっきりと見通しの良い音楽で、新鮮だった。

次はフランスの作曲家ミヨー/バレエ音楽「世界の創造」を18人編成で。アメリカを旅したミヨーがジャズの音階やリズムを取り入れた作品。ガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルーの1年前に初演されたそうだ。大山さんはアメリカに長年住まれていただけに、都会的に洗練されたノリのよい演奏だった。

休憩を挟んでプーランク/シンフォニエッタ。ドビュッシーやラヴェルなど印象派も素敵だが、フランスのエスプリといえばプーランクフランセのお洒落で小粋な音楽に止めを刺す。今回演奏されたシンフォニエッタも小気味好く軽妙洒脱。ウキウキした気分になった。第2楽章がチャイコフスキー/交響曲「悲愴」〜第3楽章のパスティーシュ(音楽・美術・文学で、先行作品の主題やスタイルを模倣、改変して出来た作品。パロディ)みたいだなと想いながら聴いていると、中間部トランペットが「白鳥の湖」のフレーズを吹いたので、その予感は確信へと変わった。第4楽章はモーツァルトのパスティーシュ。なんてプーランクは機知に富んだ作曲家なのだろう!考えてみれば彼の2台のピアノのための協奏曲モーツァルトへのオマージュである。

今回は、このシリーズで初めてのアンコールもあった。いずみホールへの告別と、大山さん自身のさようならの意味も込められていたのだろう(来シーズン、大阪シンフォニカーの指揮台に大山さんが立つことはない)。

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最後にディーリアスを持ってくるあたりが憎い。しかもこれは弦楽合奏であり、大山さんが最も得意とするところだ。もの悲しくも、後々まで余韻が残る美しい演奏だった。素晴らしかった。大山さん、ありがとうございました。

さて、春からは児玉 宏 音楽監督による新時代の幕開けだ。まずは3月、河内長野ラブリーホールで祝祭コンサート。僕は既にチケット入手済みである。特に注目されるのはベートーヴェン/交響曲第七番。児玉さんがどんなベートーヴェンを聴かせてくれるのか今から非常に愉しみだ。

関連記事:「今、飛躍の時。〜大阪シンフォニカー交響楽団定期演奏会

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桂三枝 はなしの世界

桂三枝さんの落語を聴きに初めて繁昌亭に往った。

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天満天神 繁昌亭の公式サイトはこちら。上方では戦後初となる落語専門の小屋で、2006年9月15日に開席。昼席・夜席で毎日落語を愉しむことが出来る。1階席で10列くらいしかない小さな寄席で、落語を聴くには程よい空間である。勿論、補助席も出て大入り満員だった。

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三枝さんは古典落語はされず自作の落語、いわゆる「創作落語」一本である。「桂 三枝大全集 創作落語125撰」というCDが出ているから、それ以上の数を創られているということだろう。中でも「ゴルフ夜明け前」は有名。1983年文化庁芸術祭大賞を受賞し、87年には渡瀬恒彦(坂本竜馬)、高橋恵子(おりょう)主演で映画化もされた。近藤 勇役で三枝さんご自身も出演されている。僕はこれを公開当時に映画館で観ているのだが、映画の出来はいまひとつでストーリーも全く記憶に残っていない。「ゴルフ夜明け前」は是非とも三枝さんご自身の語りで、いつの日にか聴きたいと想っている。

三枝さんは現在、上方落語協会会長として東奔西走されている。また、テレビ「新婚さんいらっしゃい!」は番組が始まって今年で38年目に突入し、これは単独の司会者としては最長記録だそうである(タモリさんは「笑っていいとも!」の司会者としてギネスブックに認定されたが、これは同一司会者による番組として世界最多の放送回数ということ。こちらは25年目である)。

前日に鹿児島で「新婚さんいらっしゃい!」の収録があり、独演会当日に飛行機で大阪に戻られた三枝さんはその足で武庫川女子大学で講義をされ、それから繁昌亭に来られたとか。いやはや、凄まじいスケジュールである。(この日のことを書かれた三枝さんのブログをご紹介しておく。こちら

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お弟子さんの三金さん、三風さんの噺も三枝さんが創作されたものだった。

又も華々しき華燭の典」は2年連続3度目の結婚をした男の披露宴のドタバタを描く。

大相撲夢甚句」は外国人力士が大勢を占める角界を嘆く枕(前置き)から入って、大学受験を止め相撲部屋に入門する息子の噺。時津風部屋の暴行事件の話題も盛り込まれていた。

ロボ・G」は退化型の介護ロボットという滑稽噺。

ダンシング・ドクター」は医療機関も生き残りを懸けてサービス業に乗り出すという時宜に適した噺。

そして最後は新ネタ「合格祈願」。これは繁昌亭のすぐお隣、大阪天満宮(学問の神様・菅原道真が祀られている)に取材した噺だった。

21世紀に生きる現代人にとって古典落語は江戸時代の風習、生活様式などを知っていないと理解が難しい側面がある。しかしその噺が創られた時点では、市井の日常を描いた親しみやすいものだった筈である。一部のマニアの慰みものに陥ってしまった落語という文化を今一度、庶民の手に戻したい。そういう三枝さんの並々ならぬ情熱と決意を、この独演会から感じ取ることが出来た。愉しかった。

会がはねて繁昌亭の外に出ると、なにやら人混みが出来ている。その輪の中心にいたのがなんと三枝さんだった!気軽に記念写真に応じていらっしゃる。三枝さんの人間性の大きさに深く感銘を受けた。「桂三枝 はなしの世界 その六」にも是非来たいと想った夜であった。

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色|戒 (ラスト、コーション) 

評価:A+

映画公式サイトはこちら。本作のレイティングはR-18。つまり18歳未満の入場は禁止である。だから高校生以下の健全な少年少女たちはこれ以上このレビューを読まないように

台湾・中国・アメリカの合作。英語タイトルの「ラスト」はLastではなくLust、つまり「情欲」のこと。「ブロークバック・マウンテン」で米アカデミー監督賞を受賞したアン・リーがメガホンを取り、ヴェネツィア映画祭グランプリ(金獅子賞)に輝いた。金オゼッラ賞(撮影賞)も受賞。

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台湾は米アカデミー外国語映画賞の代表としてこれを推そうとした。しかし、その資格は得られなかった。アン・リーは台湾人であるが撮影監督のロドリゴ・プリエトはメキシコ人、編集のトム・スキアーズは米国人、音楽のアレクサンドル・デプラはフランス人(間もなく日本で公開される「ライラの冒険/黄金の羅針盤」も担当)といった具合にスタッフが多国籍にわたっていたからである。

アン・リーみたいに変幻自在な監督である。台湾時代に撮った「恋人たちの食卓」は料理人を主人公にしたホームドラマであり、アメリカ・イギリス合作の「いつか晴れた日に」はジェーン・オースティン原作の文芸もの。「楽園をください」ではアメリカ南北戦争を描き、「グリーン・デスティニー(臥虎蔵龍)」はワイヤーアクションを駆使した武侠映画。そしてアメコミ「超人ハルク」の映画化を経て同性愛のカウボーイを主人公にした「ブロークバック・マウンテン」に至る。今回の「ラスト、コーション」は男女の性愛を大胆に描きながら、それにスパイ・サスペンスの調味料を絶妙に配合している。上映時間158分の間、1秒たりとも退屈することはなかった。

「ラスト、コーション」の官能的でデカダンスに満ちた雰囲気は、例えばルキノ・ヴィスコンティ監督の「イノセント」(1975)やリリアーナ・カヴァーニの「愛の嵐」(1973)あるいはベルナルド・ベルトルッチの「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)など往年のイタリア映画を彷彿とさせる。特に劇中でタンゴを踊る場面はベルトルッチ作品との親和性を強く感じた。改めてアン・リーの力量、その引き出しの多さに舌を巻き、これだけの演出力を持つ映画監督は黒澤 明亡き後、残念ながら日本にはいないなと臍をかむ想いがした。

ヒロインを演じるタン・ウェイ(湯唯)が素晴らしい。匂い立つ色香。特に電車の窓から顔を出し、雨に濡れそぼる夜の場面の神々しいまでの輝きは筆舌に尽くしがたい。これは役者・演出・映像が三位一体となった奇跡の瞬間である。

僕は現代日本を代表する美人女優は檀れい(武士の一分)、韓国がイ・ヨンエ(JSA、チャングムの誓い)、中国がチャン・ツィイー(初恋の来た道、グリーン・デスティニー、SAYURI )だと想っているが、新たなるアジアン・ビューティの出現に快哉を叫びたい。ちなみにタン・ウェイは中国浙江省楽清 出身だそうである。

そして「真珠の耳飾の少女」がとても美しく印象的だったアレクサンドル・デプラの音楽は今回まるで、ヒッチコックとのコンビで有名なバーナード・ハーマン(「めまい」「サイコ」「北北西に進路をとれ」)か、あるいは「氷の微笑」「L.A.コンフィデンシャル」におけるジェリー・ゴールドスミスのように何処か不安で、緊張感に満ちた仕上がり。その完成度の高さに息を呑んだ。

ただこの映画で唯一残念だったのは鬱陶しいボカシである。前述した「ラストタンゴ・イン・パリ」「愛の嵐」「イノセント」も映画公開当時は映倫の検閲で画面に沢山ボカシを入れられ公開されが、現在では3作品とも<オリジナル無修正版>のDVDが発売されている。猥褻とは何か?時代と共にその観念は変化する。どうせ30年後には「ラスト、コーション」<オリジナル無修正版>が日本でも観られるようになるだろう。どうしてこのような愚かな行為が繰り返されるのだろう?

誤解のないようにここではっきりさせておくが、映倫(映倫管理委員会)は自主規制組織であり、政府が検閲しているわけではない。「ラスト、コーション」では6カ所修正されているが、性器が見える/見えないという議論はあまりにも下らない。ボカシを入れるということは芸術作品を傷つける行為である。ミケランジェロダビデ像ゴヤ裸のマハ前貼りするようなものだ。

大体、インターネットの普及した現代ではアメリカのamazon.comから購入すれば、ボカシなしのDVDが簡単に入手出来るのだからこんな規制は無意味である。もう止めた方がいい。

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アメリカン・ギャングスター

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リドリー・スコットは映像がスタイリッシュで好きな監督だ。今回フィルモグラフィを眺めながら数えてみると彼のデビュー作「デュエリスト/決闘者」以降「アメリカン・ギャングスター」まで実に14本目観ていた。で、結論。「アメリカン・ギャングスター」はその中で最も退屈な作品だった。

評価:D

この作品は1970年代、ニューヨークのハーレムを舞台に組織犯罪のボス、フランク・ルーカスと、彼を追うリッチー・ロバーツ刑事を描いた実話である。

ロバーツを演じるラッセル・クロウは精彩を欠き、「L.A.コンフィデンシャル」のバド刑事の方が魅力的だったし、ギャング役のデンゼル・ワシントンはリドリーの弟、トニー・スコット監督とコンビを組む時(「クリムゾン・タイド」「マイ・ボディーガード」等)の方が断然光っている。

いつものスコット作品らしからず映像にキレがなく、眠気を催す。銃撃戦の迫力はかつての「ブラックホーク・ダウン」に遠く及ばない。これで上映時間157分は辛い。この締まりのないシナリオを書いたのが、あの「シンドラーのリスト」のスティーヴン・ザイリアンだということが俄に信じ難い。

結局、今まで観たリドリー・スコット作品の中でベスト3を挙げろと言われたら僕は迷わず「デュエリスト/決闘者」(1977)、「エイリアン」(1979)、そして「ブレードランナー」(1982)を選ぶ。いずれも彼の最初期の作品である。スコットは年と共に創作力が衰えているのではなかろうか?

それから本作では女優の魅力のなさも目を覆いたくなった。考えてみれば、リドリー・スコットってスピルバーグ同様に女優を生かす(輝かす)ことが下手だよなぁ。「エイリアン」のシガニー・ウィーバーは素晴らしかったけれど、そもそもあれは女として描かれていない

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バルトルド・クイケン/フラウト・トラヴェルソによるバッハ

兵庫県立芸術文化センター小ホールでバルトルド・クイケンのフラウト・トラヴェルソを聴いた。オール・バッハ・プログラムである。

フラウト・トラヴェルソとはバロック・フルートのこと。こちらのサイトに詳しいことが書かれているのでご参考に。古楽器による演奏は今や破竹の勢いだが、その歴史は浅く復興運動が始まったのは1960年代くらいからである。

世界的に有名なトラヴェルソ奏者と言えばフランス・ブリュッヘンバルトルド・クイケン、そして日本の有田正広さんである。しかしリコーダー奏者で、かつてはトラヴェルソも吹いたブリュッヘンは18世紀オーケストラの指揮者としての活動に主軸を移しており、実質的に現在はクイケン有田さんが二大巨匠ということになるだろう(ブリュッヘンはコレクションしていた古楽器のほとんどを手放してしまい、その多くは有田さんの手に移った)。

ちなみにバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)やオーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)で活躍するトラヴェルソ奏者の前田りり子さんは有田さんとバルトルドの弟子であり、同じくBCJOLCのメンバーである管きよみさんも有田バルトルド両氏に師事している。バッハ・コンチェルティーノ大阪で活躍する中村 忠さんは有田さんに師事。つまり今日活躍するトラヴェルソ奏者の系統樹を辿ると、必ず共通祖先としてバルトルド有田さんに行き当たるのである。(追記:その後教えていただいた情報によると、有田さんは1977年にオランダのデン・ハーグ王立音楽院に入学、バルトルドが始めたトラヴェルソ科の第一期生となり、最高栄誉賞つきソリスト・ディプロマを得て半年で卒業されたそうだ。当時バルトルドはまだ28歳である)

古楽の世界でベルギーのクイケン3兄弟は鈴木兄弟(雅明秀美)とともに有名である。バルトルドは末弟で、2人の兄ヴィーラント(ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・チェロ)、シギスヴァルト(バロック・ヴァイオリン)と共に「ラ・プティッド・バンド」のメンバーとして活躍している。BCJOLCでコンサート・ミストレスを務める若松夏美さんはバロック・ヴァイオリンをシギスヴァルトに師事し、「ラ・プティット・バンド」にも参加。鈴木秀美さんもバロック・チェリストとして一時期ここのメンバーだった。現在「ラ・プティット・バンド」のコンサートマスターは寺神戸 亮さんが務めていらっしゃる。

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さて演奏の話に移ろう。先日、工藤重典さんのモダン・フルート演奏を聴いたのも同じホールだったが、それに比べるとトラヴェルソの音量はかなり小さいなという印象を受けた。バロックから古典派、ロマン派に至る過程で、貴族の館の小さなサロンから巨大ホールへと演奏の場が拡大し、アンサンブルも少人数から100人近い大オーケストラへと変貌を遂げた。それに伴って楽器も大音量で鳴らせることが求められるようになった。それがフルート発展の歴史なのだろう。しかし、その代償も少なくなかった。

本来、木管楽器である筈のフルートは現在、実質的に殆ど金管(銀製や14金、18金など)である。木で造られているトラヴェルソはもっと素朴で温もりのある音がする。フルートの取り澄ました響きよりも、むしろリコーダーに近い。トラヴェルソを聴いているとしばしば鳥の囀りを連想する。ちなみにベーム式モダン・フルートはタンポの入ったキーで穴を塞いで音階を出すが、トラヴェルソの構造はもっとシンプル。木に穿たれた穴を直接指で塞ぐ演奏法で、やはりリコーダーや日本の横笛に似ている。

モダン・フルートはビブラートをかけて吹くがトラヴェルソはノン・ビブラート。素直な音色(pure tone)が耳に心地よい(関連記事「ビブラートの悪魔」)。クイケンは音を伸ばす時に限り、音じりを微かに揺らす程度の奏法だった。

至福の時であった。やはりバッハのフルート・ソナタはトラヴェルソで聴きたい。オリジナル楽器で聴かないとバッハの本当の美しさは分からない。そして同じことはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンにも言える。古楽器を弾く志の高い音楽家たちがもっともっと増えてほしい。そう心から願いつつ、帰途についたのだった。

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ところで、今年の5月29日に「ラ・プティット・バンド」の大阪公演が決定した!いずみホールでのコンサートの詳細はこちら。残念ながらバルトルド・クイケン寺神戸 亮さんは参加されないようだが、今回最大の目玉はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(肩掛けチェロ!)が聴けるということだろう。どんな楽器かは寺神戸さんのサイトをご紹介しておこう。完全に失われその奏法さえ不明な楽器を一枚の絵から掘り起こし、現代に再生しようという試みなのだから古楽演奏家たちの執念は凄まじい。この古くて新しい楽器を弾けるのは日本では寺神戸さん一人しかいない筈だが、寺神戸さんは全然こちらに来て下さらないので恐らく関西では今回がスパッラの初披露となる。あの楽器でバッハ/無伴奏チェロ組曲を演ると、一体どうなるのだろう?これは見物だ。それにしても寺神戸さん、そして有田さん、たまには関西でも演奏会をして下さいよ。そして鈴木秀美さん、オーケストラ・リベラ・クラシカを率いて是非再びいずみホールに来て下さいね!関西の古楽ファンは心待ちにしているのですから。

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ペルセポリス

評価:B+

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フランスは今年、アカデミー外国語映画賞候補の代表として「潜水服は蝶の夢を見る」を推したいと考えていた。しかし監督のジュリアン・シュバーベルはアメリカ人、シナリオを書いたロナルド・ハーウッドは南アフリカ生まれのイギリス人で、撮影監督は「シンドラーのリスト」以降全てのスピルバーグ映画を撮ってきたヤヌス・カミンスキー(ポーランド出身)といった具合に多国籍スタッフであり、外国語映画賞の規定を満たさなかった(ベネチアで金獅子を攫ったアン・リー監督の「ラスト、コーション」を台湾が出品出来なかったのも同様の理由による)。そこでフランス代表に選ばれたのがカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した「ペルセポリス」である。だが結局、外国語映画賞の最終ノミネート5作品の中には残れなかった。

ところが、「ペルセポリス」はアカデミー賞長編アニメーション部門のノミネート3作品のうちの1本として選ばれ、「潜水服は蝶の夢を見る」は監督賞・撮影賞・脚色賞・編集賞の4部門にノミネートされた。まことに奇妙な話である。今年の外国語映画賞候補の選出方法をめぐってはマスコミや映画評論家たちから非難の声が噴出している。

Persepolis

「ペルセポリス」はイラン出身のマルジャン・サトラピが書いた自伝的グラフィック・ノベルを彼女自身が監督しアニメーション化したものである。

まずこの映画を観ると、知っているようで実は全然知らないイラン近代史が主人公の少女マルジの成長を通して手に取るようによく分かる。そしてマルジを取り巻く家族のひとりひとりがとても魅力的に描かれている。

マルジのおばあちゃんの名台詞を紹介しよう。

「恐れが人に良心を失わせる、恐れが人を卑怯にもする」

「この先おまえはたくさんのバカに出会うだろう。そいつらに傷つけられたら、自分にこう言うんだ。こんなことをするのは愚かな奴だからって。そうすれば仕返しをしなくてすむ。恨みや復讐ほど最悪なことはないんだから」

含蓄のある言葉の宝石箱だ。映画終盤テヘランの国際空港で、パリに旅立とうとするマルジに対してママが贈る餞(はなむけ)の言葉がまた胸を打つのだが、これは是非映画館に足を運び貴方自身でしかと受け止めてください。親の愛は無償であり、ありがたいものである。

プロローグとエピローグのパリの場面のみカラーで、主人公が回想する本編になるとモノクロームになるという構成も実にスタイリッシュ。「ペルセポリス」は映画として紛れもない傑作である。

ただ仮に僕がアカデミー会員で長編アニメーション部門に投票権があったとして、これに一票を投じるかと問われたら残念ながら否と答えざるを得ない。「ペルセポリス」を観ていると、なんだか紙芝居かあるいはインドネシアのワヤン・クリ(影絵芝居)を観ているような気持ちになる。animationとは「絵に生気(動き)を与えること」が元々の意味であり、僕はもっと動的でイマジネーションが飛翔する「レミーのおいしいレストラン」を選ぶだろう。

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パリ在住のサトラピ監督にインタビュアーが「イランが恋しいですか?」という質問をぶつけた。それに対して彼女はこう答えている。

「もちろん。私の故郷だし、これからだってそう。(中略)でも今、私は自分が手に入れたいと思っていた人生を送ってるの」

この言葉を聞いて、これは正に古里の岡山を捨て大阪に飛び出してきた僕の人生そのものだなと感じた。そう、「ペルセポリス」は普遍的な我々自身の物語なのである。

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