ウィーン・フィル、驚愕の真実
僕の手元に一枚のCDがある。グスタフ・マーラーの弟子でもあったブルーノ・ワルターがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してマーラー/交響曲第九番を演奏したものだ。
レコーディングされたのは1938年。ナチス・ドイツがオーストリアを併合した年である。ユダヤ人の父とドイツ人の母から生まれたワルターは身の危険を感じ、同年ウィーンからスイスのルガーノに逃れた。そして翌年の39年に第二次世界大戦が勃発すると彼はアメリカに亡命した(この経路はオーストリアのザルツブルクが舞台となった映画「サウオンド・オブ・ミュージック」のトラップ・ファミリーと似ている。あ、これは実話です)。これ以降ナチス滅亡まで、ドイツ・オーストリア圏では、マーラーやメンデルスゾーンが演奏されることはなくなった。彼らもユダヤ人だったからである。
さて、そのワルター/ウィーン・フィルを聴いて、何が驚いたってノン・ビブラートでマーラーを演奏していることである!いや、慎重に耳を傾ければ微かな音の揺らぎはある。しかし、のべつ幕なしにビブラートを掛け続ける現在のマーラー演奏とは一線を画すものであることは確かである。実はこの演奏、ウィーン・フィルがノン・ビブラートで弾いた最後の録音として有名なのだ。指揮者の金聖響さんもご自身のブログで言及されている。こちらとかこちらからどうぞ。結局、ナチスという暴風雨に曝されたヨーロッパは廃墟と化し、音楽家たちは散り散りとなってその伝統様式も崩壊してしまったということなのかも知れない。
この時ウィーン・フィルのコンサートマスターだったのはアルノルト・ロゼ(1863-1946)。その地位に57年間いたという彼の記録は未だ破られていない。マーラーの妹と結婚し、自身もユダヤ人だったロゼはナチスのオーストリア併合直後に国外追放となりロンドンへ逃れた。娘のアルマはゲシュタポに捕らえられアウシュビッツで亡くなったという。
ロゼの演奏スタイルは音色を汚さないためにビブラートを抑制し、(指揮者ロジャー・ノリントンの言うところの)"pure tone"で弾いた。そしてこれは当時のウィーン・フィル自体の奏法であった。
「愛の喜び」「愛の悲しみ」の作曲で有名なクライスラーはヴァイオリニストとしても名高いが(その録音も残っている)、彼の演奏はビブラートをかけまくって甘く歌うスタイルでロゼとは対極にあった。ウィーン・フィルの採用試験を受けたクライスラーに対して審査員の一人だったロゼは「そんなにヴァイオリンを啼かせるものではない」と言い、音楽的に粗野という理由でクライスラーを落としたそうである。
今月シュトゥットガルト放送交響楽団を率いて来日するノリントンが以前NHK交響楽団を振った演奏会で、モーツァルトやベートーヴェンをノン・ビブラートで演ったのは勿論だが、エルガーやヴォーン=ウィリアムズなど20世紀の音楽まで"pure tone"で押し通したのには仰天した。その時点ではやり過ぎではなかろうかと僕は想っていたのだが、このワルター/ウィーン・フィルの演奏を聴いてしまった今考え直すと、ノリントンの方法論はあながち的外れではないのかも知れないという気がしてきた。誤った方向に進んでしまったのは20世紀後半の音楽家たちだったのではないだろうか。
ビブラートかノン・ビブラートか?21世紀に生きる私たち聴衆はこの問題に真剣に向かい合う必要性に迫られている。
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