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2008年1月27日 (日)

大沢たかお主演、ミュージカル「ファントム」 

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舞台の公式サイトはこちらロイド=ウェバー版「オペラ座の怪人」にまつわる僕のエッセイはこちらからどうぞ。

ミュージカル「ファントム」は非常に気の毒な作品だ。作曲をしたモーリー・イェストンは「ナイン」「タイタニック」などでトニー賞を受賞、他にも「グランドホテル」などで知られているミュージカルの大御所である。「ファントム」も1983年のから入念な準備を始め、当然ブロードウェイ進出を目指してきた。

ところがそこに、同じ原作に基づくロイド=ウェバーの「オペラ座の怪人」という大傑作がロンドンから彗星の如く現われブロードウェイに上陸。瞬く間に先を越されてしまった。1988年のことである。同じ物語で勝負できる筈もなく、「ファントム」の方は軌道修正を余儀なくされ1991年にヒューストンで漸く初演された。あれから20年。「オペラ座の怪人」はロングラン記録を更新中であり、「ファントム」のブロードウェイ入りは未だ果たせていない。

しかし作品としての出来はすこぶる良く、アメリカ地方都市では好評であった。日本では2004年に宝塚歌劇が上演(宙組)。「エリザベート」に次ぐ人気演目となり、2006年には花組で再演された(DVD発売中)。

僕も宙組版を宝塚大劇場で観て感動し、東京公演まで追っかけて往った。チケットは全く手に入らず、当日券を確保するために日比谷の東京宝塚劇場に朝6時から並んだことを懐かしく想い出す(それでも僕より前に30人以上の人々がいた)。今や伝説の娘役となった花總まりの可憐なクリスティーヌ、そしてオペラ座の前支配人キャリエールを演じた男役・樹里咲穂の一世一代の名演技が忘れ難い。特にクライマックス、銀橋でのキャリエールと和央ようか演じるエリック(ファントム)との二重唱は圧巻。劇場は滂沱の涙と万雷の拍手に包まれ、ショー・ストッパーとはまさにこのことと感嘆した。勿論、花組公演も観に往った。

ただ小池修一郎の見事な潤色・演出による「エリザベート」と比較すると、中村一徳の演出はオーソドックスであり、些か面白みに欠ける印象を受けた。特にエリックの母親の少女漫画みたいな馬鹿でかいイラストが登場した場面で椅子からずり落ちたのは本当の話だ。

さて、大沢たかお版である。とにかく演出の鈴木勝秀が駄目。「ヘドウィグ&アングリー・インチ」も如何なものかと想ったが、「ファントム」はそれをはるかに凌駕する出来の悪さ。僕はかれこれ20年以上劇場通い(Theatergoer)を続けているが、これほど悲惨な演出は滅多にお目にかかれるものではない。

まず青い照明を主体にした舞台が暗すぎる。作品のオカルト性、怪奇趣味を強調し過ぎなのだ。これは本来「人間エリック」としての親子の情を描くものではなかったか?この演出法はむしろ「スウィーニー・トッド」向きであり、少なくとも「ファントム」じゃない。また、オペラ座の華やかさを描いてこそ、エリックが棲息する地下の暗闇が相対として生きるのに、オペラの場面やエリックがクリスティーヌを屋外に連れて行く場面でさえ暗いままではお話にならない。宝塚版ではこのコントラストは鮮明に表現されていた。

ロイド=ウェバー版の「オペラ座の怪人」はクリスティーヌがファントムに自分の父親を見出し、モーリー・イェストン版「ファントム」はエリックがクリスティーヌの歌に亡き母親を見る。ここが作品の核心なのに、この凡庸な演出家はそれさえ分かっていないようである。オリジナル台本では影絵でしか登場しない母親役に映像出演で姿月あさとがキャスティングされているが、彼女が朗々と歌うのがなんとその後のクライマックスでエリックとキャリエールが歌うデュエットのメロディなのである。何で母親が父と息子の絆の旋律を歌うんだよ!?そこで先に出しちゃったらぶち壊しじゃないか。さらに致命的なのが姿月あさとと、クリスティーヌを演じた徳永えりの声質が似ても似つかないことである。これでは「クリスティーヌの歌声はエリックの母親そっくりだ」という台詞が意味を成さない。

伊藤ヨタロウ演じるキャリエールは、エリックに対する親としての情愛が全く感じられなかったし、大西ユカリ演じるカルロッタの歌唱はこぶしの効いた演歌調である。おいおい、カルロッタってオペラのプリマドンナだろ!?……ただしこれは役者が悪いのではなく、彼らを配役した演出家にこそ、その責任がある。

折角オーケストラが生演奏なのに彼らは舞台の裏で弾き、スピーカーを通してそれを聴かせるのも余りにも勿体ない。これではちんけなカラオケ上演をしている劇団四季と大差ないじゃないか。宝の持ち腐れである。オペラ座が舞台なんだから楽団はオーケストラ・ピット(オケピ!)に入らなくちゃ。

これを観ると、「ファントム」という作品がブロードウェイまで到達できなかったのはむべなるかなという気がした。そして実は宝塚版の潤色は上手にしてあったんだなぁと改めて見直した次第である。今回の公演を企画制作をした梅田芸術劇場はもっとマシな人に頼めなかったのか?もし今後再演するつもりなら、演出・美術・衣装スタッフを総入れ替えする必要があるだろう。梅芸は阪急グループが運営をしているのだから次から小池修一郎荻田浩一ら宝塚歌劇の演出家に依頼したらどうだろうか?

結局、この公演の最大の見所はカーテンコールで大沢たかおがマスクを外し、長髪の王子様ルックで微笑んで会場に手を振った瞬間だった。さすが映画で主役を張っている芸能人だけのことはある。そのオーラは伊達じゃなかった。最後に彼が全てを浚っていった。大沢の笑顔に会場の女性客たちは総立ちで「キャー!!」と熱狂(前の人が立ち上がり大沢たかおが見えなくなったから、僕も不本意ながらスタンディング・オベーションせざるを得なかった)。2階・3階席の観客たちも興奮し、我を忘れて飛び跳ねていた。まあこの光景が可笑しかったからS席12,500円という高額なチケット代も許そう。希にみるトンデモ演出ではあったが、これも反面教師。かえって宝塚歌劇の舞台の素晴らしさを再認識させられた。お口直しとして久々に、宝塚版「ファントム」を観たくなってきた今日この頃である。

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コメント

はじめまして。
わたしも今日、ファントムを見てきたのですが、雅哉さんの書かれた記事は、まさにわたしが感じたことと一緒でした。
わたしはどうしても感情が先走ってしまい上手に文章にできないのですが、雅哉さんの記事を読んでスッキリした思いです。

トラックバックをさせて頂いたことと(不適切でしたら削除してください)、わたしのブログで雅哉さんの記事を紹介させて頂きましたこと、ご連絡いたします。
また寄らせていただきます(^_^)

投稿: あやか | 2008年2月 2日 (土) 23時58分

あやかさん、コメントありがとうございます。そしてトラックバック、大歓迎です。

とにかく、大沢たかおに対する客席の熱狂ぶりが凄まじかったですね。あのカーテンコールこそ、この「ファントム」のハイライトでした。まあ、それが一番の見せ場ってどうよ?という想いも一方ではあるのですが……。

投稿: 雅哉 | 2008年2月 3日 (日) 00時51分

ファントムが,ブロードウェイで上演しないのは,同一作品を,同時期には,上演しないという,暗黙のルールがあるからだと聞きました。
だから,オペラ座の怪人が終了するまで,上演できないとか

投稿: ファントム | 2008年2月11日 (月) 15時41分

ロイド=ウェバーの「オペラ座の怪人」とイェストンの「ファントム」を同一作品と呼べるかどうかは疑問ですね。原作が同じというだけですから。

それから「暗黙のルール」などという慣例は破れば良いのです。訴訟にさえならなければ問題ないのですから。少なくとも大阪ではこの二つの作品が同時に上演されていたわけですし。

投稿: 雅哉 | 2008年2月11日 (月) 21時01分

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受信: 2008年2月 2日 (土) 23時51分

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