朝比奈隆展と大植英次/大フィルの第九
先日、「永遠のマエストロ 朝比奈隆展」を見にリーガロイヤルホテル大阪を訪ねた。
様々な展示物の中に朝比奈が所有していたベートーヴェン/交響曲第九番のスコアもあった。最初のページに作曲家の速度指示は♩=88と印刷されている。そこに朝比奈の直筆で♩=66と書き込まれている。さらに横にフルトヴェングラー♩=60〜、クレンペラー♩=72とある。つまり過去の巨匠たちのテンポを研究した上で、朝比奈は♩=66でいくと決めたことが読み取れる。
これは20世紀のベートーヴェン解釈の問題点を端的に示した一例と言えるだろう。つまり、作曲家の意図を無視した恣意的なテンポはどこまで許されるのか?という問いである。そしてそれは音楽家の果たすべき使命とは何か?という核心部分とも絡んでくる。例えばオッフェンバックの「天国と地獄」をゆっくり演奏したら「動物の謝肉祭」(サン=サーンス)の"亀"になる。別の曲になってしまうのだ。
ビブラートについても同じことが言える。ベートーヴェンの時代に弦楽奏者たちはビブラートをかける習慣はなかった。つまり作曲家の頭に響いていたシンフォニーの音はノンビブラートだったのである。それを、現代の慣習に従ってビブラートで演奏して、それで果たしてベートーヴェンの音楽だと胸を張って言えるのだろうか?この問題について僕は「ビブラートの悪魔」という記事で総括している。
さて本日、大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェンの第九を聴いた。会場はフェスティバルホールである(僕が聴いたのは2日目だが、1日目に聴かれた方の感想がブログ「不惑ワクワク日記」に書かれている)。
大阪で十分休養をとられたのだろう。大植さんの指揮は前回の定期とは打って変わって、身振りが大きくとてもお元気そうだった。アクセントを強調し、力強く滔々と流れる第九だった。第4楽章はオーケストラを抑えめにすることで、歌が際立っていた。全員外国から招聘したソリストたちは実力派揃いで、大変聴き応えがあった。
この遅めのテンポで第七・八をやられると堪らないが、第九には似合っているように想われた。ただこの曲には前にも書いたように作曲者自身によるメトロノーム速度指示が楽譜に明記されているので、20世紀ならともかく21世紀の現在、これが正当な解釈と言えるかどうかは些か疑問である。年末の第九対決に関して僕は、飯森範親/いずみシンフォニエッタ大阪の演奏の方に軍配を上げたい。
おお友らよ、こういった音ではだめだ。
もっと心地よい調べを歌い出そう、
もっと喜びにあふれた調べを。
(詞:L.v.ベートーヴェン/訳:磯山 雅)
| 固定リンク | 0
「クラシックの悦楽」カテゴリの記事
- クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか)(2023.05.27)
- ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽(ピアノ四重奏曲)@フェニックスホール(2023.04.25)
コメント
コメント&トラックバックありがとうございました。また、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、二日目、やはり1日目より良かったとの印象を雅哉さんからの文章から得ました。良かったですね。
両日とも聴きたかったです(笑)。
投稿: ぐすたふ | 2008年1月 2日 (水) 12時59分
ぐすたふさん、コメントありがとうございます。
1日目の演奏はホルンのミスが目立ったとのことでしたが、2日目はそれほどでもありませんでした。
総じて関西のオーケストラは金管が弱く、僕はしばしばトランペットのミスが気になります。結局弦楽器と比較すると日本人は管楽器が苦手なんでしょうね。外国のオケでも弦楽奏者には日本人が沢山いますが、金管は皆無に等しいですから。
投稿: 雅哉 | 2008年1月 2日 (水) 19時30分