松尾スズキ版ミュージカル「キャバレー」
トニー賞で作品賞・演出賞・楽曲賞などを受賞したミュージカル「キャバレー」がブロードウェイで初演されたのは1966年である。演出はハロルド・プリンス。
時はナチスが台頭しつつある1930年代のベルリン。そこに米国人で作家志望のクリフがやって来る。彼は場末のキャバレー「キット・カット・クラブ」で歌姫サリー(イギリス人)と出会い、一緒に暮らし始める。しかし、刹那的生き方しか出来ない彼女とは必然的に破局が訪れ、クリフはベルリンを去ってゆく。
72年に「キャバレー」はボブ・フォッシー監督で映画化され監督賞・主演女優賞(ライザ・ミネリ)などアカデミー賞を8部門受賞した。舞台と映画の両方でキャバレーの司会進行役MCを演じたジョエル・グレイは、トニー賞とアカデミー賞の助演男優賞をダブル受賞している。
映画版は舞台を大胆にアレンジし、曲を大幅にカットしている。特にクリフが暮らす下宿屋の家主シュナイダー夫人とユダヤ人の果物屋シュルツの歌が全てなくなり、シュルツは人物そのものが別のキャラクターに置き換えられた。
93年にはロンドンで若手のサム・メンデスが演出してリバイバル上演され大評判となる(メンデスは後に映画「アメリカン・ビューティ」を撮ってアカデミー監督賞を受賞する)。メンデス版「キャバレー」は98年にブロードウェイ進出を果たすのだが、この時にメンデスと共同演出および振付を担当したのがロブ・マーシャルである(マーシャルも後に映画界に進出し、「シカゴ」でアカデミー作品賞を受賞)。
メンデス=マーシャル版「キャバレー」はトニー賞でリバイバル作品賞を受賞し、MCを演じたアラン・カミングは主演男優賞を受賞した。オリジナルが助演でリバイバルが主演という風に、MCの役割が変わってきているのがお分かり頂けるだろう。セクシーで悪魔的なアラン・カミングのMCはトニー賞授賞式で観たが、それはもう圧倒的パフォーマンスでノック・アウトされた。是非再映画化されるときは彼のMCでお願いしたい。
メンデス=マーシャル版はアメリカのツアー・カンパニーで2度の来日公演が実現した。僕はこのミュージカルが大好きで、両者を東京で観劇したが、サリーを演じたのはどちらもアンドレア・マッカードルだった。彼女はミュージカル「アニー」のブロードウェイ・オリジナル・キャストである。
また2001年8月末に僕はブロードウェイでもこのメンデス=マーシャル版を観ている。9・11同時多発テロ2週間前のことであった。この時サリーを演じていたのはブルック・シールズだった。実は「キャバレー」をマチネーで観劇した日の夜に世界貿易センタービル最上階にあったフレンチレストラン、"Top of the World"にディナーの予約をしていたのだが、「キャバレー」を上演していた劇場の空調が寒すぎて体調を崩し、やむなく電話でキャンセルしてしまった。そして9月11日ビルは崩壊し、そのレストランを訪れる機会は永遠に失われた。世界の終わり( The End of the World )……これもMCが仕組んだ罠だったのかも知れない。
さて、今回観劇した「キャバレー」は劇団・大人計画を主宰する松尾スズキの演出である。台本も目黒条が翻訳したものに松尾が手を入れたものを使用している。
メンデス=マーシャル版の特徴は猥雑でデカダンスの(退廃的)雰囲気が色濃いことで、MCは人々を滅亡へと導く水先案内人として存在した。いわゆる「ファウスト」のメフィストフェレス的役割である。一方の松尾版は卑猥で笑いに満ちた世界を築き上げていた。メンデス=マーシャル版よりも下品で、アジア的混沌と言っても良いかも知れない。押井守が監督した大傑作アニメーション「イノセンス」に描かれた世界観に共通するものがそこにはあった。アジアの演出家が手掛けるのだから欧米人の真似をしても仕方がないし、僕はこの方向性を断固支持する。大体、日本人にデカダンスは似合わないし。この陰鬱な作品からこれだけの笑いを引き出せるのかと感心し、その貪欲なパワーに圧倒された。
阿部サダヲが演じたMCもブロードウェイ版とは全く異なった。まるで道化師のような扮装で素っ頓狂な演技。弾けたように元気一杯、どちらかと言えば陽性のMCだった。これはこれで面白い解釈だと想ったが、僕は病んでどこまでも闇の底へと引きずり込んでいくようなメンデス=マーシャル版MCの方が好みである。
そして今回何より感心したのはヒロインを演じた松雪泰子である。セクシーで自堕落。今まで観た中で最高のサリー・ボウルズがそこにいた。編みタイツの足は細くて綺麗だし、歌やダンスも頑張っていた。
松雪は映画「フラガール」でも大変な熱演だったのだが、共演した蒼井優に全てを持っていかれてしまった。蒼井優はこの年、映画賞を総なめで、特に酷かったのがブルーリボン賞。なんと蒼井は主演女優賞を受賞してしまったのである!いゃ~誰がどう見ても「フラガール」の主演は松雪でしょう。この件で彼女は傷付いたに違いない、いくらなんでも可哀想だった。
しかしこの「キャバレー」で松雪は文句なしの主演である。スポットライトを浴び、すっくと立つ彼女は燦然と輝いていた。ブラボー!
クリフを演じた森山未来くんの歌も上手かったし、脇を固めるシュナイダー役の秋山菜津子やシュルツの小松和重も好演。
カーテンコールで突如客席から帽子を被った男が現れ舞台に上がり、「妖怪人間ベム」を熱唱し始めた。その男こそ他ならぬ松尾スズキであった!これには心底驚かされた。客席がどよめき、やがてそれは熱狂となったことは言うまでもない。サービス精神旺盛な人だ。そのときの彼の衣装はこちら。
松尾版はメンデス=マーシャル版とは全く異なる魅力でその存在を強力に主張し、実に見応えがあった。再演されることがあれば是非また観たい。しかし、今回の大阪公演も発売開始20分で完売するくらいの大人気だったので、チケット争奪戦でまた苦労しそうである。
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