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2007年8月

2007年8月31日 (金)

ボッセ/紀尾井シンフォニエッタのベートーヴェン

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いずみホール主催「日本を代表する室内オーケストラで聴くベートーヴェン交響曲全曲演奏会」第2弾に往った。第1弾オーケストラ・リベラ・クラシカの感想はここに書いた。

紀尾井シンフォニエッタ東京は紀尾井ホールの専属オーケストラとして1995年に設立された、いってみればいずみシンフォニエッタ大阪(2000年設立)の兄貴分である。命名の仕方もそっくりだ。ただ、いずみシンフォニエッタは現代音楽の紹介に心血を注いでいるが、紀尾井シンフォニエッタの方はプログラミングにそういった特徴はない。

紀尾井シンフォニエッタ東京は名手揃いの室内オーケストラである。メンバーの中には、宮川彬良とアンサンブル・ベガに参加している奏者がふたりいる。ヴィオラの馬渕昌子さんとクラリネットの鈴木豊人さん(NHK教育テレビ「クインテット」の”フラットさん”)だ。また馬渕さんはいずみシンフォニエッタ大阪のメンバーでもある。

今回タクトを振るのはゲルハルト・ボッセ。ベートーヴェンに定評ある指揮者だ。さすがにこの組み合わせは注目を浴びたようで、チケットは完売していた。

まずベートーヴェンの交響曲第四番が演奏された。冒頭からその音圧に圧倒された。43名という小編成で、これだけ迫力ある音が出るのは凄い。

ボッセさんは1922年生まれだから今年85歳。ご高齢にもかかわらず立ったまま、颯爽とした早いテンポでかくしゃくたる指揮ぶりだった。アクセントを強調した、勢いのあるベートーヴェン。淡水画ではなく原色を大胆に塗った油絵のような解釈。僕はこれを聴きながら疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)という言葉を想い出した。

続く交響曲第六番「田園」は趣を変えて、小川のせせらぎのように滑らかに流れ、そよ風が吹くように晴れやかで伸び伸びとした、歓びに満ちた音楽であった。

今回、特に注目したのはビブラートの使い方である。徹頭徹尾ビブラートをかけるロマン派風ベートーヴェンはもう古い。それは20世紀の負の遺物である。ここで指揮者ロジャー・ノリントンがNew York Timesに寄稿した論文(日本語訳)を紹介しておく。こちらからどうぞ。

ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団、ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、そしてパーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団らはビブラートを徹底的に排したピリオド奏法でベートーヴェンを演奏し、高い評価を得ている(ドイツ・カンマーフィルはスチール弦を捨てガット弦を張り、以前のスタイルに回帰している)。これが時代の潮流なのだ。

ボッセ/紀尾井シンフォニエッタは彼らほど徹底したものではないが、ビブラートを極力抑えた演奏だった。音はすーっと減衰し、不自然に引き伸ばされることはない。心地よく耳に響く。しかし例えば四番の2楽章アダージョ(カンタービレ)や「田園」の5楽章など、歌うべきところはビブラートをたっぷりかけるという風にいわば適材適所、メリハリを利かせた奏法で、なるほどこういうやり方もありだなと納得出来た。

音楽を聴くことの愉しさを再認識させてくれた、マエストロ・ボッセにブラボーの花束を。末永くお元気で!

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シッコ SiCKO

評価:B

映画公式サイトはこちら

「ボーリング・フォー・コロンバイン」でアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門を受賞し、「華氏911」ではカンヌで最高賞のパルムドールを受賞した、マイケル・ムーア監督の最新作である。今回はアメリカの医療問題に切り込む。

NHKスペシャルのような客観的ドキュメンタリーを求める人にはムーアの映画は不向きである。彼は洗練された紳士では決してなく、あくまでデブの煽動家である。「華氏911」や今回の映画でも明らかだが、ムーアはニクソン・レーガン・ブッシュなどの大統領を輩出した共和党が大嫌いで、ケネディ・クリントン(どちらかと言うと旦那よりヒラリー)・ゴアの民主党が好き。実に分かり易い。

そしてその手法は常にあざとい。でも、だからこそ2時間という上映時間を飽きさせないし、まるでコメディを観ているような可笑しさがある。

たとえば、「シッコ」でムーアはイギリスの医療制度を視察に行く。医療費が全額無料であることを知っているくせに病院で「お金を払わなくていいの!?」と繰り返し尋ね、失笑を買う。彼お得意の手法である。

しかし英仏の社会保障の充実には驚かされた。イギリスの場合、医療費がタダなだけではなく、低所得者に対しては通院のための交通費を病院が支払ってくれる!フランスでは子供が生まれたばかりの家庭に政府がハウスキーパーを無料で派遣してくれ、なんと食事や洗濯までしてくれる!恐るべし。

ただ、これだけ至れり尽くせりの制度がいいとはかぎらない。これではたいした症状ではないのに病院に行く人々が増えるだろうし、それを理由に仕事をサボる不届きな連中も当然現れるだろう。

それにしても国民皆保険制度のないアメリカの実情は酷い。民間の保険会社は支払いを拒む為ならありとあらゆる手を尽くす。重箱の隅をつつき、ヤクザまがいの因縁をつける。支払いの出来ない病人は病院がタクシーに乗せ、貧民街に突き落とす。こんな国に生まれなくて良かった。

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2007年8月30日 (木)

呪怨 パンデミック

評価:B

清水 崇 脚本・監督の「呪怨」シリーズはまず、オリジナル・ビデオ(Vシネマ)版が2作あり、劇場映画に進出してから日本版が2作、さらにハリウッド版と続き、本作で通算6本目である。

僕はVシネマ版からのファンだったので、日本版もハリウッド版も全て映画館で観ている。さすがに6作目ともなると全く怖くない(笑)。伽椰子と俊雄くんの観客を驚かせるスタイルも、一定のパターンがあるので馴れてしまうのである。

しかし、時制をパズルのピースのようにバラバラにしてシャッフルするいつもの手法が今回も効果的で、物語として面白かった。

遂に日本の館から飛び出して、アメリカ大陸に進出した伽椰子と俊雄くん。次作でどんな大暴れをしてくれるのか愉しみである。

余談だが、僕がシリーズ最恐だと想うのはVシネマ版。脚本の完成度が一番高くて最も面白いのは、のりぴーの出た「呪怨 2」劇場版である。

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2007年8月28日 (火)

インランド・エンパイア

評価:F

デヴィッド・リンチ監督の映画は処女作「イレイザーヘッド」から観ている。テレビの「ツイン・ピークス」も全話制覇した。「ブルーベルベット」は傑作だと想うし、「マルホランド・ドライブ」は体が震えるほど感動した。しかし、最新作「インランド・エンパイア」はいただけない。

兎に角、照明は暗いし画面がザラザラして汚い。映画館で観ながら、「これって、もしかしたらビデオ撮りじゃないか!?」と想った。帰って調べてみると、映画評論家:町山智浩 氏のこんな記述を見つけた。

リンチが何か思いついた時にその都度、そのシーンだけのシナリオを書いて俳優を呼んでビデオを撮る、という方法で4年がかりで撮ったビデオを後で編集して一本の映画にしたものです。

案の定である。ビデオ撮りなら映画館で上映する意味が全くない。観客に対して失礼であろう。端からビデオ・DVDで販売するか、テレビ放送すべきである。

おまけに思いつきで撮られた脈絡のない無意味な映像を延々3時間も垂れ流すのである!これは拷問に等しい。不可

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2007年8月27日 (月)

玉砕!関西吹奏楽コンクール~京都頂上作戦

関西吹奏楽コンクールを聴くため日曜日に京都会館へ往った。

関西大会の前売り券は学校関係者に配布されるだけで、一般発売は全くない。当日券のことを質すため、2週間ほど前に朝日新聞社内にある関西吹奏楽連盟に電話を掛けた。やる気のなさそうなおっさんが出て、面倒くさそうに対応する。

「前半・後半の部の当日券はそれぞれ開演(午前10時および午後2時)の1時間前から販売します。何枚出るかは分かりません」

どれくらい前に往けば手に入るか、昨年はどのような状況だったのか訊ねても、「分かりません」の一点張り。暖簾に腕押し、埒が明かない。

8月13日大阪府大会が終わり、関西大会の出演順が発表された。関西代表の有力候補は前半が大阪桐蔭のみ。後半は京都洛南、奈良の天理、そして大阪の明浄学院と淀川工科高等学校が名を連ねており、これはもう後半に的を絞って勝負しようと戦略を決めた。

特に淀工は課題曲の「ブルースカイ」、そして自由曲の「ダフニスとクロエ」を6月のサマーコンサートで聴いていたので、あれからどれくらい進化したのか、この耳で確かめるのを愉しみにしていた。

当日の朝が来た。興奮していて午前5時に目が覚めた。6時に自宅を出発、8時前には阪急線で京都の河原町駅に着いた。京都会館に行くバスを待つ……。なかなか来ない。ふと気がつくと、僕同様に京都会館へのアクセスマップを握り締めた若い人達がわらわらとバス停に集まり、既に20人ほどに膨れ上がっている。こ、これはヤバイ!焦った僕はあわててタクシーを呼び停め飛び乗った。

京都会館に着いた。いきなり「当日券は午前の部・午後の部ともに完売しました」とプラカードを掲げた二人組みに遭遇した。全身から血の気が失せてゆく……。

係の人に訊いてみると、午前の部は2時間前、午後の部はな、なんと3時間前に完売したそうである。ということは午前5時!?大阪からだと、その時間に到着できる交通手段はない。

当日券は前半の部50枚、後半は20枚用意されていた。しかし徹夜組だけで30人以上いたらしい。勝負はとうの昔についていたのである。

脱力して京都会館の階段に座り込んだ。次から次へと当日券を求める人々がやって来る。僕同様、虚ろな目をして階段にへたり込むゾンビ集団が次第に増殖してゆく。ふと我に返り、こんな所でサバキ待ち(演劇用語。劇場前で公演当日、余分のチケットをさばく人を待つこと)をしても無駄だと見切りをつけて、その場から立ち去ることにした。

夜。関西吹奏楽コンクールの結果をWebで知った。金賞を受賞した7校の中から代表に選ばれたのは大阪桐蔭、明浄学院、そして淀工だった。なんと大阪勢独占である。そして驚くべきことに京都洛南は銀賞に終わった。

洛南は過去14回、関西代表として全日本吹奏楽コンクールに出場し、4回金賞を受賞している。いずれも指揮は宮本輝紀 先生だった。そして昨年3月に淀工の丸谷明夫 先生(丸ちゃん)と洛南の宮本先生は定年を迎えられた。丸ちゃんは淀工に残り、宮本先生は洛南を去った。その結果、今年も淀工は全国大会に駒を進め、洛南は関西で銀。吹奏楽に名門校など存在しない。その実力を左右するのは練習量と指導者の力量だけである。…残酷な事実だ。

さて、京都頂上作戦に敗れた僕が、その後どうしたか簡単にお話しておこう。折角京都にきたのだから観光でもしようと気を取り直した。しかし猛暑である。お寺めぐりなどしようものなら、たちまち熱中症で死んでしまう。そこでまず嵯峨野に移動し、湯豆腐を食べた。それからトロッコ列車に乗って亀岡に往き、小船で嵐山までの保津川下りを愉しんだ。

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しかし水量は少なく、川の上でも京都はやっぱり暑かった!

関連記事:
前略 関西吹奏楽連盟さま

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2007年8月25日 (土)

青少年のためのコンサート〜地球讃歌〜

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大植英次 指揮/大阪フィルハーモニー交響楽団による「青少年のためのコンサート」をNHK大阪ホールに聴きに往った。学生料金が1000円、一般が3000円と格安の入場料だ。これは毎年行われている催しでNHKが映像収録し、後日テレビで放送される。午後6時30分開演でアンコールはなく、終わったのは8時30分。中高生が沢山来ているので彼らの帰宅時間を配慮してのことだろう。コンサートマスターは長原幸太さん。昨年のテーマは「英雄伝説」だったが、今年は自然描写にまつわる作品が並んだ。

会場に着くと、客席最前列と2列目を横にずらりと淀工(淀川工科高等学校吹奏楽部)生徒が占めていた。淀工は女子も男子と区別がつかないくらいのショート・カットなので、後姿を見ただけですぐ分かる。ただ、最前列からは管楽器奏者や打楽器奏者が見えないし、弦楽器の音ばかり聴こえてバランスが悪く、余り勉強にならないんじゃないかな?ちょっと彼らが気の毒でした。大フィル関係者の方、次からはもっと配慮してあげて下さいね。

DVD「淀工吹奏楽日記〜丸ちゃんと愉快な仲間たち〜」で知ったのだが、部員数が200名を超える淀工は一年生の雪組、マーチングに取り組む花組、そして吹奏楽コンクールに出場する星組とあるそうだ(まるで宝塚みたい)。星組は8月26日の関西吹奏楽コンクールが目の前なので、恐らくこのコンサートには花組中心で来ているものと想われる。

さて、大植さんが指揮する「青少年のためのコンサート」と大阪城「星空コンサート」は師匠であるバーンスタインの「キャンディード」序曲で始まると相場が決まっている。ところが、冒頭いきなりトランペットが音を外した!よく見るとラッパのレギュラー・メンバーである秋月さんと橋爪さんがいないではないか。何たること……。3曲目の「モルダウ」で橋爪さんが加わり、「アルプス交響曲」からは秋月さんが登場したので、それからは安心して聴けたのだが。

昨年の「青少年」でも映画「スーパーマン」テーマのファンファーレでラッパはあり得ないミスをした。大植さんが大フィルの音楽監督に就任してから改革が進み、奏者の技術が向上したということについては衆目の一致するところであろう。しかし現在、大フィル最大のアキレス腱はトランペット・パートである。そこを補強する必要があるのではないだろうか?

大植さんは今回も当然、全曲暗譜で振った。ベートーベンの「田園」のみ指揮棒なしだった。ザ・シンフォニーホールで進めているベートーベン・チクルスも指揮棒なしなので、そういうスタイルでいくと決めているのだろう。それから今回の「田園」第1楽章は提示部の繰り返しをしなかった。ベートーベン・チクルスでは楽譜の指定どおり繰り返しているので、おそらくNHKの放送時間を考慮しての選択だったのだろうと推測する。

スメタナの「モルダウ」は先日、BSで放送されたラ・フォル・ジュルネにおける小泉和裕 指揮/東京都交響楽団の演奏を聴いたばかりである。小泉さんの解釈はまるでドイツ音楽みたいに重苦しく、停滞し澱んだモルダウ川だったが、大植さんは推進力があって滔々と流れる表現だった。特に感心したのはポルカの場面。小節ごと頭のアタックが強烈で、弾むような生き生きとした表現になっており、嗚呼これはまさに<農民の踊り>なんだなぁと再認識させられた。

ドヴォルザークの「森の静けさ」は大阪出身17歳のチェリスト、堀江牧生くんが登場。大フィルの近藤浩志さんに師事していたそうで、先生からの一言もあり微笑ましかった。

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休憩を挟んでR.シュトラウスの「アルプス交響曲」。暴風や雷鳴の音を表現するウィンドマシーン(写真右)とドナーマシーン(写真左)が舞台前面に配置され、なんと会場からオーケストラと一緒に演奏する希望者を募った。ウィンドマシーンは淀工の男の子が当てられ、ドナーマシーンは別の学校の女子ふたりが選ばれた。ひとりは大阪の子だったが、もうひとりは奈良から来たと言っていた。

そしてドビュッシーの「海」から”風と海との対話”が演奏された後、ストラヴィンスキーの「春の祭典」第1部”大地礼讃”でコンサートは締めくくられた。これはまさに20世紀初頭に大センセーションを巻き起こし、音楽に革命をもたらした作品である。チャイコフスキーやマーラーの解釈から推して、大植さんはバーンスタインみたいに音楽に情熱をぶつける主観的タイプの指揮者なのかと想っていたのだが、ストラヴィンスキーでは客観的アプローチでむしろブーレーズに近かった。荒々しいリズムとダイナミックスの急激な変化を十分表現しながらも、あくまで冷静な指揮ぶりで驚かされた。各声部が明瞭に響き、非常に見通しの良い音作りだった。

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「田園」は今月末のベートーベン・チクルスで再びこのコンビにより演奏されるが、「アルプス交響曲」「海」そして「ハルサイ」も是非今度は全曲聴かせてもらいたいな、と想わせる密度の濃い演奏会であった。

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2007年8月24日 (金)

22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語

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評価:A

映画の公式ページはこちら。大分県臼杵市でロケされた「なごり雪」に続く大林宣彦監督大分三部作第二弾。今回は「なごり雪」「22才の別れ」を作詞・作曲した伊勢正三さんの出身地、大分県津久見市が舞台となり、映画の最後には津久見のお隣・臼杵も登場する。

映画「なごり雪」(2002)完成直後から大林監督は「次は正やん(伊勢正三)の古里で『22才の別れ』を撮りたい」と仰っていた。駄洒落が好きな大林さんである。ぼくは監督お得意の冗談だろうと軽く聞き流していたのだが、映画が本当にクランクインしたと聞いて大いに驚いた。

映画の予告編を観た時は、「かつての恋人の忘れ形見である娘と、再び恋に落ちる男の話しかぁ…。おいおい、それって大林監督の『はるか、ノスタルジイ』のまんま焼き直しじゃないか!?」と不安を抱いた。

そんな中、本編を観ることになったのだが、こんどはその主人公が嘗て恋した”葉子”(ようこ。ちなみに『はるか、ノスタルジイ』のヒロインは”遥子”と書いて”ようこ”と読む)を演じる中村 美玲の鬘が「さびしんぼう」の富田靖子のそれと同じであるのが気になって仕方ない…すると、葉子の自転車のチェーンが外れていて、そこを通りがかった主人公が彼女を助ける場面が登場して目がくらくらした。だって「さびしんぼう」(1985)にそっくり同じ場面があるのだから。大林さんは遂に自己模倣に走るようになったのかと絶望感に襲われた。

ところが、である。そんな心配は杞憂に終わった。物語は「はるか、ノスタルジイ」のようには展開せず、驚くほど鮮やかな着地点に向けて怒涛の如く一気に収束していった。リメイク版「転校生 さよならあなた」の脚色は明らかに失敗しているのに、こちらのオリジナル・シナリオの完成度の高さには息を呑んだ。

「なごり雪」は、高度経済成長とバブルの時代をがむしゃらに突き進んできた日本の、この四半世紀の歩みを振り返り、その中で見捨てて来てしまったものに対する贖罪と、慟哭の映画であった。ところが、「22才の別れ」の底を流れるのはそんな絶望感ではなく、むしろ中年になった主人公が22才の自分を振り返り、その過ちを正して生き直そうとする再生の映画である。そこには希望が見える。

「転校生 さよならあなた」と同様に「22才の別れ」もカメラを斜めに傾けた構図が続く。そして主人公の心の不安定感に応じてその都度、その傾斜角度を変える(最大90°)。「さよならあなた」に於るこの手法には全く意味がないと感じられたのだが、今回は実に効果的に用いられていた。

「22才の別れ」は臼杵の街が11月初旬の夜、竹ぼんぼりに照らされ幻想的に浮かび上がる”うすき竹宵”の圧倒的映像美で締めくくられる。僕は2002年の11月に”うすき竹宵”に行った。その年”般若姫行列”に般若姫として輿に乗ったのは「なごり雪」のヒロインを演じた須藤温子さんだった。そんなことを懐かしく想い出した。

「22才の別れ」を観終えた直後の言い知れぬ幸福感に浸りながら、改めて自分は大林映画が好きで好きでどうしようもないんだなぁと痛感した。僕は「はるか、ノスタルジイ」の幻影を追って北は北海道の小樽から、南は「天国に一番近い島」のロケがされたニューカレドニアのウベア島にまで行ってしまうような男である。冷静に考えると、これは狂気の愛と言えるだろう。そんな自分を久しぶりに自覚して、なんだか嬉しくなった<おいおい。

そうそう、"A MOVIE"についても書いておかねばなるまい。"A MOVIE"というタイトルは大林監督の劇場映画デビュー作「ハウス」(1977)から「日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしき人々の群」(1988)まで、映画の冒頭に必ず登場した。しかしそれ以降、大林監督はこれを封印していたのだが、「22才の別れ」(2006)と「さよならあなた」(2007)で久しぶりに復活したのである。これが何を意味するのかは分からない。しかし、「なごり雪」(2002)そして「理由」(2004)の絶望感から大林監督自身が立ち直り、前向きに生きていこうとされていることは肌で感じられるのだ。

以下は余談である。映画で重要な役割を演じる焼鳥屋の場面で、数秒間だけ臼杵の後藤市長がカメオ出演しているのに気がついた。”うすき竹宵”に行った日の昼間に、須藤温子さんと後藤市長のトークショーがあったので顔を覚えていたのである。ここのギャラリーを見て欲しい。一番下から4段目右、焼鳥屋のテーブル席に中年男性3人が坐っている写真があるだろう。写真右側が臼杵の後藤市長、写真中央が津久見の吉本市長である。左の人物は断定はできないが、googleのイメージ検索をした限り、大分の釘宮市長ではなかろうかと推定される。

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伊勢正三さんが参加したフォークデュオ「風」が唄う「22才の別れ」を初めて聴いたのは恐らく1984年に日本テレビ系列で放送された倉本聡脚本によるドラマ「昨日、悲別で」のエンディング・テーマだったように記憶している。天宮良のデビュー作だったんじゃないかな。天宮演じる主人公は北海道の悲別という炭鉱の村からタップダンサーになることを夢見て上京する。赤坂のショーパブでバーテンダーとして働きながらショービジネス界進出のチャンスを伺う。店内のショーではミュージカル「キャッツ」等が披露された。「メモリー」という曲を初めて知ったのもこのドラマだったような気がする。結局最後に主人公は東京での夢に破れ、帰郷する。他に石田えりや斉藤慶子、布施博などが出演していた。

またこのドラマで「ねずみ」を演じたのが今村ねずみ。彼はドラマに登場する実在のショーパブ「Tap Tips」(タップチップス)のメンバーと、後にTHE CONVOYを結成する。同じくTap Tipsから巣立った天宮良はトライアスロンの特技を活かして後に大林宣彦監督の映画「風の歌が聴きたい」(1998)に主演することになる。

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2007年8月23日 (木)

天然コケッコー

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評価:B+

大阪の凱旋門(!?)こと、スカイビル内にある梅田ガーデンシネマにて鑑賞。ガーデンシネマでは現在「天然コケッコー」特別エキシビジョンを開催中。撮影で実際に使った小道具を使って「天然コケッコー」の教室を再現。またヒロインを演じた夏帆が映画で着用した制服や、撮影に使用された小物なども展示されていた。

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黒板にはスタッフ、キャストからの直筆のメッセージが貼られていた。

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画面左上が山下監督、その右隣が夏帆からのメッセージ。映画の台詞、「イケメンさんじゃぁ」と書かれている。画面左下がその「イケメンさん」こと岡田将生、そして右下が脚本の渡辺あやからのもの。

渡辺あやは「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」といった優れた作品を世に送り出して来た名脚本家である。1996年に講談社漫画賞を受賞した、くらもちふさこ原作「天然コケッコー」は彼女の熱意で映画化にまで漕ぎ着けた。映画の舞台となるのは島根県浜田市。渡辺も現在、島根県在住だそうである。2002年に島根でくらもちふさこ原画展が開催された時、その帰り道に彼女は神社で「どうかこの作品が映画化されますように」と祈願したそうだ。その神社は映画でも祭りの場面に登場する。渡辺は原作に対する思い入れを自らくらもちふさこに直談判し、台詞は全てコミックから抜き出して一切手を加えず脚色した。さらに映画のメイキング・ディレクターまでこなしたという。

僕はこのエピソードに甚く感銘を受けた。そして大林宣彦監督の次の言葉を想い出した。

映画作りとは、命に限りのあるもの(人間)が、永遠の命を有するもの(映画)に、その想いを託すことである。

というわけで渡辺あやに敬意を示し、評価にプラスをおまけだ。

瑞々しい青春映画「リンダ リンダ リンダ」を撮った山下敦弘監督の演出は今回も冴えていた。冒頭の青い稲穂が画面いっぱいに映された瞬間から、「天然コケッコー」の世界に魅了された。のんびりした田舎の風景が四季を通じて丁寧に撮られた贅沢な作品である。

話は他愛もないものだ。小中学校合わせて6人しかいない学校に東京からイケメンの転校生がやってくる。そして主人公の右田そよは次第にその男の子が好きになる…ただそれだけ。でも、その何気ない日常が実は最も愛しい時間なのであるというテーマが、見事に浮かび上がってくる。

僕が特に気に入ったのは映画の終盤、高校に合格したヒロインがそっと学校の教室に別れを告げる場面である。彼女が教室を立ち去った後、カメラがゆっくりと教室を移動する。開け放たれた窓から木洩れ日がやさしく差し込み、カーテンがそよ風で揺れている。そしてハラハラと桜の花びらが舞い込んでくる。ゆったりとした時が流れ、何時までもその情景を見ていたいという衝動に駆られる名演出だ。

中学生の女の子が石見弁で自分の事を「わし」と言うのが実に新鮮だった。また、「行って帰ります」という言い回しがすごく気に入った。

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2007年8月22日 (水)

ベクシル 2077 日本鎖国

評価:D+

日本のロボット工学が進みすぎて世界から孤立し、「ハイテク鎖国」に追い込まれるという冒頭の設定は面白いんだ。でもその先がグダグダになっちゃうのが哀しいところ。SF的に全く辻褄が合っていないし、オリジナルの脚本が駄目。例えば何故アンドロイドは昭和風の生活をしているのかとか、国土の大半がどうして山河もなく、草木も生えない荒野と化してしまったのか等説得力に欠けるし、りんごはどこで栽培されているのかも不明だ。これならプロのSF作家に物語を書いてもらった方が良かったんじゃないか?

「マッドマックス」「スター・ウォーズ エピソード4&6」「バイオハザード」「マトリックス」「新世紀エヴァンゲリオン」「イノセンス(というか、『アップルシード』を含めた士郎正宗の漫画)」を彷彿とさせる場面が延々と続く。つまり、どこかで観たような絵のオンパレードで、全くオリジナリティが感じられない。

人間の役者の動きをキャプチャーして3D-CGにし、セル画風に着色する3D-ライブアニメという方式を採用しているが、人物の動きがゆっくりでぎこちなく、表情の変化も鈍い。まるでロール・プレイング・ゲームみたいだ。 モーション・キャプチャーの所為かなと一瞬想ったが、考えてみればピーター・ジャクソン監督の「キングコング」とか「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムも同じ方式にもかかわらず動きは滑らかで早いし、もっと表情豊かである。要するに日本のCG技術が遅れているのと、映像センスの問題なのだろう。

曽利文彦監督の実写映画「ピンポン」は傑作だったが、こちらの新作は完全な期待はずれ。結局、「ピンポン」は原作が松本大洋で脚色が宮藤官九郎(クドカン)。他者に委ねたから面白い話になったのに対し、「ベクシル」は曽利さんが自分で原案・脚本までやっちゃったから、こんな独りよがりな駄作に成り下がったのだろう。

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2007年8月21日 (火)

古里の風景

たそがれコンサートを聴いた翌日、岡山に帰省した。

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僕の大好きな場所である。折に触れて、旭川に架かるこの橋の上に立つ。上の写真、画面左の対岸に岡山県庁が見える。そして小さいけれどお分かりいただけるだろうか?画面中央に岡山城が見えている。右側の遠くに見えている森が後楽園である。

ちなみに僕の立っている橋は歩行者と自転車専用で車は通らない。

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橋の反対側、下流方向の風景である。この写真では分かり辛いが向こう側の橋を路面電車が走っている。

好むと好まざるに関わらずこの風土に僕は育まれ、巣立った。ここで音楽の素晴らしさ、ミュージカルの面白さを知り、様々な小説や映画と出会った。その後の僕の人生を大きく左右した人々とも出会った。古里を捨ててきた身の上とはいえ、その事実から逃れることは出来ない。それは宿命である…ここで映画「砂の器」のために作曲されたピアノと管弦楽のための組曲「宿命」(作曲:菅野光亮、音楽監督:芥川也寸志)が静かに流れ始め、映像は荒れる海岸を身を寄せるようにして歩く、お遍路の親子の姿とオーヴァーラップする。そして画面に次の文字が浮かび上がる。




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2007年8月18日 (土)

たそがれコンサート〜市音の日 2007

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8月17日大阪城音楽堂に「たそがれコンサート」を聴きに往った。今年3度目である。今回は「市音の日」。プロの吹奏楽団である大阪市音楽団(市音)が単独で演奏を行った。この日のテーマは<日本スケッチ>、日本の作曲家の作品が3曲並んだ。

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指揮を担当したのは小松一彦さん。小松さんは現代邦人作曲家の作品を精力的に取り上げてきたことが評価され、第19回中島健蔵音楽賞を受賞されている。ちなみに、いずみシンフォニエッタのシェフである飯森範親さんも今年、第25回中島健蔵音楽賞を受賞。

飯森範親さんは来る9月21日にいずみホールで市音を振って「青春の吹奏楽 名曲セレクション 70'sヒットパレード」というコンサートを開催する。「マスク」「シンフォニア・ノビリッシマ」「吹奏楽のための民話」「朝鮮民謡の主題による変奏曲」「アルメニアン・ダンス」など懐かしい名作が目白押しだ。一方、小松一彦さんは11月22日市音の定期演奏会に登場する予定。

小松さんも飯森さんも桐朋音楽大学指揮科を卒業している。小松さんは桐朋で故・斉藤秀雄氏に師事。小澤征爾さん、市音の芸術顧問である秋山和慶さん、関西フィル常任指揮者の飯守泰次郎さんも斉藤秀雄の門下生である。そして斉藤最後の弟子が大フィル音楽監督の大植英次さんという人物相関図が出来上がる。後に大植さんは小澤さんからの紹介でレナード・バーンスタインに出会うことになる。

さて演奏のほうであるが、精力的な小松さんのタクトの下、高度な技能集団である市音の音を楽しんだ。まあ、はっきり書いちゃうけれど市音の金管セクションは在阪のどのオーケストラより上手い。プロの吹奏楽団に限って言えば、市音の演奏水準は現在の東京佼成ウインドオーケストラを明らかに凌駕している(須川展也さんのいる佼成Saxセクションは除く)。シエナと比べて、どっこいどっこいといったところかな。

まず最初が天神祭などを素材とした大栗 裕の「大阪俗謡による幻想曲」。指揮者・朝比奈 隆からの依頼でオーケストラ版が作曲され、後に作曲者自身の手で吹奏楽用に編曲された。吹奏楽版を初演したのも市音である。この曲については「関西の作曲家によるコンサート」と「大阪名物夏祭り!!」の記事で詳しく語っているので、ここでは繰り返さない。良い演奏ではあったがこの曲については、やはり大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部(淀工)の丸谷明夫 先生(丸ちゃん)の解釈に止めを刺すという気がする。祭の荒々しいまでの躍動感・勢い・熱狂といった全てを丸ちゃんは余すところなく音楽で表現する。全日本吹奏楽コンクールにおける淀工の演奏(全五回)それぞれが素晴らしいし、丸ちゃんが振ったなにわ<<オーケストラル>>ウインズ 2003の録音も究極の名演である。

次に演奏されたのは伊藤康英 作曲「ぐるりよざ」。長崎の隠れキリシタンを題材にした吹奏楽の名曲中の名曲である。「ぐるりよざ」の語源はグレゴリオ聖歌「Gloriosa」(グロリオーザ)に由来する。長い歴史の中でその読み方が変化していったのだ。

曲はI.祈り II.唄 III.祭りの3部に分かれ、第1部では男声合唱によるグレゴリオ聖歌がラテン語で唄われる。この合唱部分を市音がどう処理するのか注目された。結局、その箇所で楽器を演奏していない男性奏者たちが唄った。高校の吹奏楽部ではそんなに珍しいことではないが、市音の人達が唄うのは初めて聴いた!いやはや、なかなか上手で驚きました。

第2部はもの悲しい龍笛が印象的な楽章。その響きに心静かに耳を傾けていると突然、近くに坐った女性の携帯の着メロが鳴り出した。しかも2回連続で!!あまりの無神経ぶりに心底腹が立った。

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上の写真は休憩時間の様子である。会場はほぼ満席。市音の人気ぶりが伺えよう。

休憩を挟んで貴志康一の交響組曲「日本スケッチ」が演奏された。貴志についても「関西の作曲家によるコンサート」で書いた。第二次世界大戦前に28歳で夭折し、最近再評価されつつある作曲家である。原曲はオーケストラ作品で森田一浩さんによる吹奏楽編曲版は2005年、市音の定期演奏会で初演された(僕もその場に立ち会った)。I.市場 II.夜曲 III.面 IV.祭りの4部に分かれている。非常に親しみやすい旋律に溢れ、日本的叙情を味わえる作品である。なんと、指揮の小松一彦さんは今から25年前に関西フィルを振って、この「日本スケッチ」のオーケストラ版を貴志の母校で演奏されたことがあるそうだ。さすが中島健蔵音楽賞を受賞されたマエストロだけのことはある。素晴らしい!

「大阪俗謡による幻想曲」「ぐるりよざ」「日本スケッチ」と、全てが祭りに関連しているというプログラム構成も見事であった。アンコールは山田耕作の「この道」(編曲者は不明)。巧みなアレンジで聴き応えがあった。もう、無料コンサートとはとても思えない盛り沢山で贅沢な演奏会であった。演奏が終わって盛大な拍手と共に「ありがとう!」という声が会場からあがった。その通り。大阪市音楽団、本当にありがとう。

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2007年8月16日 (木)

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

評価:B

小説「ハリー・ポッター」シリーズは第3巻まで各巻1冊の分量だった。しかし第4巻「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」から上下巻2冊に倍増した。

だから映画版も本来は上映時間を延ばすか、あるいは前編・後編に分けるかすべきところである。しかし、プロデューサーは「炎のゴブレット」を従来通りの長さの作品に仕上げることを決断する。主な対象が子供たちなのだから、これは致し方ない選択だったろう。結局、映画「炎のゴブレット」は原作のダイジェストにならざるを得ず、慌ただしくて分かりにくい駄作に成り果てた。

今回の「不死鳥の騎士団」も原作は長いので、映画の出来に期待はしていなかった。それに監督のデヴィッド・イェーツは従来テレビで仕事をしてきた人で、映画は全くの新人である。全く大きな賭けに出たもんだ。

ところがあにはからんや、「不死鳥の騎士団」は「炎のゴブレット」とは雲泥の差。大層出来が良くて驚いた。シリーズ最高傑作は間違いなくメキシコの巨匠アルフォンソ・キュアロンがメガホンを取った「アズカバンの囚人」であるが、「不死鳥の騎士団」はその次に来るくらいの面白さだった。

まず話が分かりやすい。前4作はスティーヴ・クローヴスがシナリオを担当していたが今回からマイケル・ゴールデンバーグに代わった。それが功を奏したのであろう。登場人物が整理され、見通しが良くなった。特に新聞記事などを上手く利用して、物語をポンポンと進めていく手際の鮮やかさには感心した。

「炎のゴブレット」のマイク・ニューウェルは才能の欠片もない映画監督である。「炎のゴブレット」も全く創意工夫のない平板な画面構成で退屈した。また、演技指導も駄目駄目で、なんでハーマイオニーは始終怒ってんだかさっぱり分からなかった。しかし今回は、例えばホグワーツ魔法魔術学校を俯瞰ショットで捕らえるなど、ハッとするような構図が随所で見られた。ハーマイオニーも前作よりはるかに可愛く撮られていたし、3人の友情がしっかりと描かれていた。また新キャラクター、魔法省から送り込まれるアンブリッジ先生の強烈な個性も上手く醸し出されていた。

「炎のゴブレット」で音楽を担当したパトリック・ドイルは印象に残る旋律を残さなかったが、今回のニコラス・フーパーは良い仕事をした。平明で耳に心地よい様々な新しいモチーフ(テーマ)が登場して愉しめた。

ただ少々気になったのは…これは以前から感じていたことなのだが…このシリーズ、余りにも「スターウォーズ」から影響を受けすぎてるんだよね。ハリーとヴァルデモードの関係はまるでアナキン・スカイウォーカーと皇帝パルパティーンみたいだし、「不死鳥の騎士団」におけるヴァルデモードとダンブルドア校長との対決シーンはパルパティーンvs.ヨーダの場面に酷似している。

まあそれはともかく、「炎のゴブレット」で地に落ちたシリーズの復調を素直に喜びたい。次の「ハリー・ポッターと謎のプリンス」でも監督のデヴィッド・イェーツと音楽のニコラス・フーパーは続投するようなので、今から愉しみである。でも最終章では是非アルフォンソ・キュアロンとジョン・ウィリアムズに復帰してもらいたいものだ。

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2007年8月15日 (水)

トランスフォーマー

評価:D

とにかく話がロボット・アニメみたいで詰まらない。子供騙し。いや、日本のロボット・アニメの方がもっと物語りに工夫がある気がする。女とやりたいだけの主人公にも全く感情移入できない。

マイケル・ベイはスピルバーグと組んでも所詮、マイケル・ベイだった。演出のテンポが悪いし、コミカルな場面でも全く笑えない。意味のないスローモーションにもウンザリだ。

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2007年8月14日 (火)

河童のクゥと夏休み

評価:C-

この映画は以前から観るのを愉しみにしていた。だってあの原恵一作品だから。

原恵一が監督した「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」(01)は第1回日本オタク大賞、キネマ旬報オールタイムベスト・テン〜アニメーション部門第7位、映画雑誌CUTが選ぶ日本のアニメ映画ベスト30で19位、そして「日本のメディア芸術100選」にも選出され、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」(02)は文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、毎日映画コンクールアニメーション賞、藤本賞奨励賞などを受賞。しんのすけ役の矢島晶子はインタビューで、「この2作を超える作品は今後しばらく出ないと思う」と発言しているそうだ。僕もこれらの作品に心底惚れ込み、「戦国大合戦」では映画館で滂沱の涙を流したくらいである。

河童のクゥ」は原恵一が監督のみならず自ら企画・脚本も担当。5年の歳月をかけて完成させたというのだから期待せずにはいられない。しかし……

非常に間延びして退屈な作品だった。子供向けのアニメーションとしていくらなんでも上映時間137分は長すぎないか?「クレヨンしんちゃん」劇場版の長さは大方90分くらいである。それがおこちゃまが集中出来る限界ではなかろうか。

結局、「クレしん」の約束事を無視してはいけないとか、上映時間は90分に収めないといけないとかいった枷(かせ)を外されて、原恵一がやりたい放題で撮ってしまったからこんな失敗作に成り果ててしまったんだろうと僕は考える。芸術家にとってある種の制約というのは必要なのだ。

特に蛇足に感じられたのが主人公のクラスメート、いじめられっ子の少女のエピソード。原はこう語る。

「いじめは外せない要素。ストレートに、やりたいことをやった」

いや原さん、あなたは間違っている。いじめは本題と関係なく、外すべき要素だ。そもそも彼女の存在自体が不要だよ。

マスコミに追い詰められて、河童が東京タワーをよじ登るのにも幻滅した。お前はエンパイア・ステート・ビルに登ったキングコングか!?

東京タワーは「大人帝国の逆襲」にも出てきたし、原が大好きなのは分かる。でも「大人帝国」の東京タワーは「ALWAYS 三丁目の夕日」同様に昭和の象徴としての意味があるが、「河童のクゥ」に出てくる必然性は全くない。マスコミとの追いかけっこも長すぎる。

キャラクター・デザインには魅力がないし、各々の登場人物の性格設定も在り来たりで薄っぺら。親に半ば強制的に映画館に連れてこられ、この映画を観るという拷問にも等しい時間を過ごさねばならない子供たちが心底気の毒である。

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2007年8月11日 (土)

再び、たそがれコンサートへ!

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7,8月毎週金曜日の宵の口は大阪城音楽堂での「たそがれコンサート」である。午後6時の開門と同時に三々五々、人々が集まって来て吹奏楽を愉しむ。

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8月10日はまず、大阪府立市岡高等学校吹奏楽部の生徒さんたちが演奏を披露した。1,2年生の演奏であったが、恐らく3年生は8月13日の大阪府吹奏楽コンクールの準備で忙しいのだろう(今年の自由曲はバッハの「トッカータとフーガ」をやるらしい)。市岡は昨年のコンクールで関西大会金賞を受賞している。

「たそがれコンサート」で指揮した赤塚弘一さんは市岡のOBだそうだ。ちなみにコンクールで市岡を振る潮見裕章さんは、大阪シンフォニカー交響楽団のチューバ奏者。

3曲演奏してくれたが、印象的だったのは八木澤教司 作曲「奇蹟のつぼみ」。昨年、市岡高校の委嘱で作曲された曲で、タイトルも市岡の生徒さんが命名したそうだ。なんというか非常に可愛らしい曲で、まるでそよ風が吹くような瑞々しい演奏だった。続いて同じく八木澤さんの「ペルセウス」~大空を翔る英雄の戦い。タイトルからして勇壮な曲だが、途中で楽器を置いた生徒が歌う箇所もあったりして面白かった。高校生が歌うと実に爽やかで、「青春まっただなか」って感じがするんだよね。これは京都府立桃山高等学校吹奏楽部の委嘱作品らしい。ちなみに八木澤さんの公式ホームページはこちら。「ペルセウス」が全曲試聴出来るようだ。

休憩時間を挟んで次に登場したのは大阪府警察音楽隊。昭和12年に発足したという歴史ある隊で、警察音楽隊のうち音楽活動専門の専務隊は警視庁や大阪府警など全国10都道府県のみだそうだ。その約2割が音楽大学出身者とか。大阪府警の場合、演奏活動は年間約200回に及ぶ。

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演奏自体はお役所的というか、音楽の表情が乏しく面白みに欠け、僕は高校生の演奏の方が生き生きしていて断然良いと想ったが、「ポリスサウンド・ステージ」というマーチングあり、女性警察官で編成されたカラーガード隊「フレッシュ・ウィンズ」が登場するなど、なかなか目で愉しませてもらった。

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「ポリス・サウンドステージ」はいきなりロイド=ウェバーの「オペラ座の怪人」から始まり、続いて「千と千尋の神隠し」やディズニーの「美女と野獣」などが演奏された。警察らしからぬくだけた選曲だなと可笑しかった。

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真夏の夜はヴィヴァルディ&バッハ

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大阪倶楽部へ日本テレマン協会マンスリーコンサートを聴きに往った。

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以前このブログで記事を書いた、クラシカル楽器を使用してのハイドンのオラトリオ「四季」で日本テレマン協会はこの度大阪文化祭賞グランプリを受賞したそうだ。大変めでたい。

今月のマンスリーはヴィヴァルディ「四季」とJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲第5番という、バロックで最も有名な曲がプログラムを飾っているので、いつになく客席が込んでいた。椅子が会場の外まで溢れ、立ち見も出る盛況。

古楽器を使用する場合はコレギウム・ムジクム・テレマンという名称が用いられるが、今回はテレマン室内管弦楽団として、つまりモダン楽器を使用しての演奏である。しかし、奏法はビブラートを極力抑えたピリオド奏法。これは弦のみならずフルートの場合も同様だった。一音を長く延ばす時に限り、その中ほどに軽く音の揺れを加える。

「四季」は春・夏・秋・冬でそれぞれ独奏ヴァイオリン奏者を代えての演奏。なかなか面白い趣向だ。延原武春さんは今回指揮はせず(つまり指揮者なし)、別の曲でオーボエ奏者としての参加であった。

ブランデンブルク協奏曲第5番はチェンバロのカデンツァが、通常演奏されるよりも長いバージョンであった。超絶技巧の持ち主・中野振一郎先生の魔法の指から紡ぎ出される華やかな音色を堪能した。

この2曲だけではなく、テレマンのヴィオラ協奏曲やゼレンカの「2つのオーボエの為のソナタ」も盛り込まれ、さながらバロックのフルコースの様相を呈していた。

「ボヘミアのバッハ」とも称されるチェコ生まれのヤン・ディスマス・ゼレンカ(1679-1745)の曲は今回初体験である。

2本のオーボエに加え、ファゴットもソロを務める。そして通奏低音としてチェンバロ、チェロ、コントラバスが伴奏を担当する。目まぐるしく指が動く、高度なテクニックが要求される曲で、目に耳に愉しかった。

日本テレマン協会はこの秋に古楽器を用いたハイドンの「天地創造」に挑み、来年は古楽器によるベートーベン交響曲チクルスを展開していくそうである。今から待ち遠しい。

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2007年8月10日 (金)

宮川彬良とアンサンブル・ベガ

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兵庫県立芸術文化センター大ホールに宮川彬良&アンサンブル・ベガの夏休みSpecial!「あつまれ天才!~リズムは友だち~」を聴きに往った。1日2回公演、ホールの総客席数は約2000あるのだが、チケットが即日完売したという凄まじい人気ぶりである。

宮川彬良さん(以下、親しみを込めて”アキラ”と呼ばせていただく)は「マツケンサンバII」の作曲で有名だが、アレンジャーとしても卓越した才能があり、NHK教育テレビで月-金の朝・夕に放送されている子供向け音楽番組「クインテット」の作・編曲、出演もこなしている。放送時間10分のこの番組は大人が観ても十分楽しめる優れた内容である。CMでも歌われた「ただいま考え中」はこの番組から生まれた名曲である。

アキラはただいま関西で大活躍中。大阪フィル・ポップス・コンサートの音楽監督でもあり、年2回の公演は常に完売し立ち見が出る盛況振りである。またプロの吹奏楽団である大阪市音楽団とも意気投合し、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に二週連続出演。さらにこのコンビは9月1日にザ・シンフォニーホールでコンサート「炸裂ライヴ!」を開く(既に立見席を含め完売)。

アンサンブル・ベガは宝塚市のベガ・ホールを拠点に活動している。作・編曲、ピアノ、お話を担当するアキラを中心に、第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ファゴット、ホルンの9名で構成されている。いずれも名手揃いだが特にサイトウ・キネン・オーケストラや紀尾井シンフォニエッタのメンバーでもあるクラリネットの鈴木豊人さんの温かく豊かな音色にはいつも聴き惚れてしまう。ちなみに「クインテット」の”フラットさん”の音は鈴木さんが吹いている。

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今回のコンサートは「夏休みSpecial」なので、子供たちが中心だ。小学生以下が客席の半分を占め、実に賑やかだった。アキラの軽妙なトーク、可笑しな仕草は子供たちにもバカ受けで、会場に笑い声が途絶えることはなかった。

コンサートの前には「音の動物園」といって、ロビーに子供たちが並び様々な楽器に触れてみる体験コーナーがあった。

また、「家から音の出るものを持って大集合!お父さんの靴・ペットボトルにお米・空き瓶など何でもOK!」というアキラからの指令が予め出ていて、「トルコ行進曲」「マツケンサンバII」等で観客全員が演奏に参加する場面もあった。

冒頭の「すみれの花咲く部屋」(ベガのテーマ曲で宝塚歌劇の定番でもある)からアキラの洗練されたアレンジを堪能。特に<音符の国ツアー>のコーナーでブリテンの「青少年のための管弦楽入門(別名:パーセルの主題による変奏曲とフーガ)」が9人で演奏できるよう巧みに編曲されていたのには、ほとほと感心した。

アンコールの最後はアキラ作曲「クインテット」テーマ。一緒に歌う子供たちもいて、大いに盛り上がった。幼い時にこういうコンサートを聴いて育っていく会場の子供たちに一寸だけ嫉妬心を感じた。

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ヘアスプレー

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ジョン・ウォーターズ監督の映画「ヘアスプレー」(1987)は2002年にブロードウェイ・ミュージカルとなりトニー賞を作品賞など8部門受賞した。これを元にしたミュージカル映画版は既に今月北米公開が始まり、批評家から破格の高い評価を得ている。日本では今年の10月中旬に公開予定である。なんとこの映画でジョン・トラボルタが女装(ヒロインの母親役)を披露する。公式サイトはこちらをクリック

この舞台「ヘアスプレー」北米ツアー・カンパニーによる来日公演が実現したのでフェスティバルホールに観に往った。僕の坐った席の近くで現役のタカラジェンヌが3人ほど観劇していたので緊張した(「今日は休演日なので来れた」という会話が聞こえた)。間近で観る彼女たちは本当に綺麗だった。

大阪四季劇場で上演中の「オペラ座の怪人」もその前の「マンマ・ミーア!」も東京とは違ってカラオケ上演だが、「ヘアスプレー」の来日公演はちゃんと大阪でも生バンドが演奏してくれた。えらい!四季にも是非見習って欲しいものだ(四季の姿勢を批判しない大阪のマスコミにもその責任はある)。まあ、生演奏と言うのはアメリカでは至極当たり前のことなので「42nd Street」「RENT」「キャバレー」「シカゴ」などの来日公演でも全てそうだった。

1960年代前半のボルティモアを舞台にした「ヘアスプレー」は予想以上に面白いミュージカルであった。まずなにより、マーク・シャイマンのノリのいい音楽が素晴らしい。シャイマンは映画「サウス・パーク/無修正映画版」でもミュージカル仕立ての卓越した仕事をしたが、それを上回る充実した仕上がりである。

舞台装置・衣装のカラフルな色彩感覚や、ベッドで寝ているヒロインを俯瞰ショットで捕らえた(つまりベッドが垂直に立っている)冒頭の演出も愉しい。

人種差別問題を入れながら「ウエストサイド物語」みたに重苦しくはならず、最後はハッピーで能天気な大団円を迎えるという展開もアメリカらしくて良い。

ヒロイン=トレイシー役のブルックリン・プルーバーやトレイシーの母エドナ役のジェリー・オーボイル(女装)が好演。また黒人(今流に言えばアフリカ系アメリカ人)の男の子シーウィード役のクリスチャン・ホワイトは歌に踊りに華のある役者だった。

そしてなんと言っても特筆すべきはトレイシーの親友=ペニー役を演じたアリッサ・マルゲリ。とってもキュートで歌唱力も抜群。彼女は「美女と野獣」のベルや「クレイジー・フォー・ユー」のポリーも演じたことがあるそうだ。

モーターマウス・メイベル役のアンジェラ・バーチェットは歌にパンチがなくて残念だった。映画では「シカゴ」のクィーン・ラティファ が演じるそうなのでそちらに期待したい。あと映画版が待ち遠しいのは踊るクリストファー・ウォーケン(ヒロインの父)!そして厭味なライバルのステージママを演じるミッシェル・ファイファー。

話を舞台に戻そう。幕間にカンパニーによるダンス指導があり、フィナーレは観客も総立ちで踊りまくった。大いに高揚し、実に愉しかった。また再演があれば是非観たい。ただ人種差別問題があるので、日本人キャストのみによる公演は難しいだろうな。

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2007年8月 9日 (木)

甲子園と丸谷明夫 先生

8月8日、第89回全国高校野球選手権大会が甲子園球場で開幕した。

開会式でアマチュア・バンドのトップである淀工(大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部)が演奏するらしいということを耳にしたので、注目してテレビを観ていた。

開幕式のファンファーレ。スコアボードの下、金管楽器を手にした生徒たちが一列にずらりと並ぶ。嗚呼、切れのある輝かしい響き!これぞまぎれもない淀工サウンドだ(淀工は毎年春にフェスティバルホールで行われる「大阪国際フェスティバル」の最終日にもファンファーレを披露する)。

そしてマーチの音楽が始まり、出場校が行進する。テレビの解説で演奏は関西吹奏楽連盟と紹介される。つまり淀工だけではなく関西の色々な高校からの選抜メンバーが集結しているということなのだろう。

テレビ画面にちらりと指揮者が写る。目を皿のようにして見た。間違いない。炎天下の中、帽子を被ってきびきびと棒を振っているのは丸谷明夫 先生(丸ちゃん)だ!

丸ちゃんは40年以上にもわたり淀工を指導してきた。そして2006年3月に定年を迎えた。

アマチュア・バンドの実力は練習量と指導者の力で決まる。特に経験の少ない中・高校生の場合はそれが顕著だ。だから丸ちゃんの退官と共に栄光の淀工サウンドも風前の灯かと多くの人々は噂していた。しかし、丸ちゃんは定年後も淀工に踏みとどまった。

例えば今年1月-宝塚大劇場のアマチュアトップコンサート、フェスティバルホールのグリーンコンサート(グリコン)、尼崎市の尼信ブラスフェスティバル、4月-大阪城野外音楽堂のスプリングコンサート、神戸文化ホールの演奏会、5月−万博記念公園でのブラスエキスポ、大阪城ホールでの「おはようパーソナリティ道上洋三です」の 30周年記念番組、6月-守口市市民会館(守館)でのサマーコンサート、京セラドームでの3000人の吹奏楽、7月−中国・北京での招待演奏、守館での一年生のファーストコンサート。これら全てで丸ちゃんは指揮をしてきた。凄まじいパワーだ。そして今月は吹奏楽コンクールがもう、目の前だ。ちなみに大阪府大会は8月13日。淀工は全国大会3連続出場後のシード校として「ダフニスとクロエ」を特別演奏する。

丸ちゃんは2006年4月より、淀工の教諭に加え大阪音楽大学特任教授(吹奏楽を素材とした音楽指導)を兼務している。もうはっきり言って、甲子園の行進曲なんか誰も真剣に聴いているわけないので、大学教授にまで登りつめた偉大な指導者が振る必要もないと思うのだが……

丸ちゃんには是非無理をせず、これからも末永く元気な姿を僕たちの前に見せて欲しいと心より願う次第である。

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2007年8月 7日 (火)

レミーのおいしいレストラン

評価:A-

もう、はっきり書いちゃうけれど来年のアカデミー賞で長編アニメーション部門はこの作品で決まり。他はありえない。ブラッド・バート監督は天才である。

評価にマイナスが付いているのは個人的嗜好の問題だ。どうしてネズミの中でレミーだけフランス語が理解できるのかとか、頭の毛を引っ張ったら何故人間を操作できるのかといったことにリアリティが感じられなかった、ただそれだけの些細なことである。

ブラッド・バートの名を初めて耳にしたのがアニー賞を9部門独占したセル画アニメーション「アイアン・ジャイアント」(ワーナー・ブラザース配給)。これは強引な設定が気になってそれほど好きにはなれなかった。しかし、そういう引っ掛かりが全くなかったCGアニメーション「Mr.インクレディブル」(ピクサー)は僕にとってパーフェクトな作品であった。

ジョン・ラセター監督(「トイ・ストーリー」「カーズ」)を中心とする、ピクサー・アニメーションの特徴は”バディ・ムービー”ということである。仲間が一番。それはラセターが製作総指揮に回った「モンスターズ・インク」や「ファインディング・ニモ」にも当てはまる。しかしそんな中で、途中から飛び入り参加したブラッド・バートの作品は異彩を放っている。「アイアン・ジャイアント」「Mr.インクレディブル」そして「レミーのおいしいレストラン」に共通するテーマは疎外感。主人公は常に人間たちから忌み嫌われる存在である。

そして、バート作品はスピード感が桁外れで凄い。今回の「レミーのおいしいレストラン」でも登場人物たちが息つく暇もなく目まぐるしく動き廻り、あれよあれよという間に怒涛の展開である。

映画は観客が予想もつかないような方向に進み、鮮やかな着地点を迎える。感動的な大団円は「人生は素晴らしい!」としみじみと感じさせてくれる。

原題は「ラタトゥーユ」、フランス南部の野菜煮込み料理のことである。映画を観終わればその意味が分かる。上手いタイトルだ。しかし、日本人には馴染みが薄い言葉なのでこの邦題も悪くない。

字幕・吹替版の料理翻訳監修を行ったのは元祖料理の鉄人で、レストラン「クィーン・アリス」のオーナーである石鍋 裕さんである。ちなみに「クィーン・アリス」は日本全国で27店舗もあるそうだ。手を広げすぎではなかろうか?香川県高松市の高松シンボルタワー30Fにある支店と大阪市の国立国際美術館B1階のお店では料理を頂いたことがある。まあ、中身はたいしたことはなく、値段に見合わない。ただ、デザートだけは確かに美味しい。ということはつまり、菓子店のパディスリー クイーン・アリスでデザートさえ買えばことたりるということだ。

ではBon Appetit (ボナペティ) !

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2007年8月 6日 (月)

アヒルと鴨のコインロッカー

評価:B

伊坂幸太郎の小説「アヒルと鴨のコインロッカー」は吉川英治文学新人賞を受賞し、「このミステリーがすごい」で第2位に輝いた傑作である。

叙述トリックを駆使して、非常に緻密に構築されたこの小説を読んだときの感想は「この映画化は難しいだろうな」ということだった。しかし今、その映画版が目の前にある。

映画の出来は大変良くて驚いた。小説のエッセンスを巧みに映像に置き換えている。特にこの作品にある輪廻転生という主題が鮮明に浮き彫りにされていたのが見事であった。

この作品でどうしても外せないのはボブ・ディランの「風に吹かれて」である。スーパー・スターの歌だから楽曲使用料は馬鹿にならなかっただろうな。関係者の熱意と努力に敬意を表す。

篠田正浩監督が映画「悪霊島」でビートルズの「ゲット・バック」や「レット・イット・ビー」を使った時、版権問題がこじれてなかなかテレビ放映やビデオ化が出来ないという事態に至った。結局これらをカバー曲に差し替えることによって漸くDVD化されたという経緯がある。

出演陣では瑛太も良かったが、なんといっても鮮烈な印象を残したのが松田龍平である。僕は彼をデビュー作「御法度」から観ているが、最初は中性的でちょっと気色悪い男の子くらいの印象しかなかった。ところがどうだろう。逞しく成長し、ワイルドで存在感のある役者になった。ところどころの表情や仕草がおやじ(優作)を彷彿とさせる。遺伝子は侮れない。

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2007年8月 4日 (土)

大阪シンフォニカー「近代音楽へのアプローチ」

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大阪シンフォニカー交響楽団のいずみホール定期演奏会を聴いた。結論から言おう。目の覚めるような素晴らしい企画であり、大変聴き応えがある濃密な時間を過ごせた。ブラボー!

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いずみホール内部の様子である。ウィーン・フィルがニューイヤーコンサートを開くウィーン楽友協会大ホール(ムジークフェラインザール)を彷彿とさせるような美しいホールである。音響の素晴らしさは大阪随一。立派なパイプオルガンもあり、安物のシンセサイザーみたいな薄っぺらい音しか出ないザ・シンフォニーホールのそれとは格が違う。

観客の入りは7割程度。まずまずだろう。明らかに4割を切っていた大フィルいずみホール特別演奏会の2倍くらいは入っていたのではないだろうか。

今回のプログラムは20世紀に書かれた作品がずらりと並べられた。ラヴェルの「クープランの墓」以外は滅多に聴く機会のない曲ばかりである。こういう演奏会を待っていたんだ!

糀場富美子(こうじばとみこ)作曲「輪廻」はチベットの「死者の書」をもとに書かれた面白い曲だった。曲は7楽章に別れ、まず客席後方に立ったソプラノ歌手が死者の阿鼻叫喚をあげる。音楽の進行と共に 死の恐怖→死への怒り→諦念→死の受容→魂の再生 へと至る。3楽章でソプラノはガンター(金剛鈴)を鳴らしながら舞台上に現れるし、ヴォーカリーズ(歌詞なし)で歌ったり、パーリー語・サンスクリット語で歌ったりもする。作曲者の糀場さんも会場にこられていて、作曲意図を解説された(「緊張して手が震えてます」と仰ったのが微笑ましかった)。まるでいずみシンフォニエッタみたいに斬新な選曲だなと嬉しくなった。

ソプラノは半田美和子さん。バーバー作曲「ノックスヴィル・1915年の夏」も歌った。半田さんを初めて聴いたのはシンフォニカー定期のマーラー「交響曲第4番」。素直で透明感ある歌唱に魅了された。オペラ歌手には珍しく(失礼!)ほっそりした体型の可愛らしい女性だ。タイプとしてはジュリー・アンドリュースを彷彿とさせる。

「ノックスヴィル・1915年の夏」は夏の倦怠感漂う、静謐で美しい音楽であった。コープランド、バーンスタイン、ジョン・ウィリアムズなどに共通するアメリカの血を感じた。

バレエ音楽「プルチネルラ」はストラヴィンスキーが新古典主義時代に入ってからの作品である。バロック時代イタリアの作曲家ペルゴレージへのオマージュとして書かれた。

「火の鳥」「ペトルーシカ」「春の祭典」といった、時代の最先端を走る革命的音楽を矢継ぎ早に発表した青年ストラヴィンスキーが、後年どうして古典の世界に回帰していったのか?血気盛んだった若き日の僕には全く理解できなかった。むしろそれは退行のように想われた。しかし、今ならその気持ちが理解できる気がする。ストラヴィンスキーは古典と戯れたかったのではないだろうか。それは夏の暑い日に、屋敷のなかの池で舟遊びをした平安貴族にも似た、雅(みやび)粋な心意気だったのだろう。そんなことを考えながら、今回「プルチネルラ」を愉しく傾聴した。

大山平一郎さんはオーソドックスで手堅い指揮をする人だ。それは反面、意外性や面白みに欠けることも意味する。だから大山さんのベートーベンとかモーツァルトなどの古典には食指が動かないが、今回の様な20世紀の曲には大山さんの資質は合っていた。大阪シンフォニカーも好演。耳に心地よかった。

こういう意欲的な演目をしてくれるのならば、シンフォニカーは是非今後も存続して欲しい。やっぱり4つの在阪オーケストラの中で、一番存在感に欠け不要なのは在り来たりな演目しかせず、市民への貢献度も低い大阪センチュリー交響楽団だなと改めて確信した次第である。

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2007年8月 2日 (木)

京都でエビータ ほか

8月1日、京都で劇団四季の「エビータ」を観劇した。

その日は9月に1週間開催される大植英次プロデュース大阪クラシック有料公演の発売日だったので、京都に往く前に朝10時にチケットぴあに並んで無事目的の公演を確保。特に心配だったのが最終日、大植さん指揮/大阪フィルハーモニー交響楽団による「新世界より」(大阪市役所シティホール)。トリの公演なのでこれには大阪市長もやってくるし、昨年も写真入で大々的に新聞報道された。昨年のチャイコフスキー第4交響曲は、あっという間にチケットが売り切れて涙を呑んだので、今回は気合を入れて臨んだ。案の定、夜になってから電子チケットぴあで確認すると、「新世界より」のみ即日完売であった(500円という安さも大きいだろう。1500円の「悲愴」@シンフォニーホールはまだ余裕がある)。大阪クラシックのチケット獲得合戦について不惑ワクワク日記さんにも体験談が掲載されているのでご紹介しておく。

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さて、JR京都駅構内の風景である。ここに立つといつも映画「ガメラ3」でガメラとイリスがここで対決して、京都駅が粉々に破壊された情景を懐かしく想い出す。

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四季の京都劇場は京都駅に直結している。もともとはジャニーズの専用劇場だったものを譲り受けたので、客席シートとかは他の四季劇場とは異なる。もちろん東京と違ってオーケストラの生演奏は入らず、カラオケ専用劇場。

四季の「エビータ」は2005年に演出・舞台装置・衣装・振り付けなどが一新された。僕は旧演出を1997年11月2日に岡山で観ている(全国公演)。エビータは鈴木京子さん、ペロンは今井清隆さん、チェは現在と同様に芝 清道さんだった。

今井さんは「オペラ座の怪人」をどうしても演じたくて1995年に四季に飛び込んだ。ペロン、ガストン(美女と野獣)など試験期間を経て、1998年5月20日の東京公演初日からオペラ座の怪人として舞台に立ち、東京公演が終了するとさっさと四季を辞めてしまった(笑)。

鈴木さんも既に四季を退団されているが、まあ、容姿・歌唱力・演技力の全てが凡庸な女優さんで、エバ・ペロン(エビータ)を演じらるような器ではなかった。

その点、今回の井上智恵さんのエバは見事である。存在感があり、強い意思を感じさせる。彼女を初めて観たのが「オペラ座の怪人」名古屋公演のクリスティーヌだったが(1998年1月)、その頃から歌に感情が込められる実力派だと感心していた。本当に彼女は美しく花開いた。

ペロンを演じている渋谷智也さんは明らかなミスキャスト。声が細く声量がないし、軍人・大統領としてのカリスマ性に欠ける。誤解のないように書いておくが、僕は例えば渋谷さんが演じる「壁抜け男」の画家役などは好きである。つまり渋谷さんをペロンに抜擢する行為そのものが間違っているのだ。

チェの芝さんは文句なし。パーフェクト。

今回出色だったのはミストレス(ペロンの愛人)役を演じる苫田亜沙子さん。大阪四季劇場「オペラ座の怪人」クリスティーヌ役の開幕キャストだ。もう兎に角その美しい歌声が素晴らしい!今回も聴き惚れた。

旧演出と比較して新演出・舞台装置はより洗練されスタイリッシュ。完成度が極めて高い。加藤敬二さんのダイナミックな振り付けも見事。新生「エビータ」は見応えあるプロダクションである。

観劇後バックステージツアーに参加した。舞台の上に上がらせてもらい、奈落を覗き込んだり、舞台裏に案内されたり非常に貴重な体験をさせてもらった。中ぜり・前ぜりを上下させたり盆を回転させたりする機構など、丁寧な解説をして下さった舞台監督や裏方さん達にこの場を借りて感謝する。

僕は前から疑問に思っていたのが、カラオケなのにどうやって俳優さんたちは歌い出しのタイミングが分かるのだろうということ。舞台監督さんの説明で、音楽に併せて2階席前面に設置されたLEDと呼ばれる赤や緑のライトが点滅し、それが指揮者の代わりとなってキューを出していることが判明した。なるほど、実に面白い仕組みだ。

大阪に戻り、その足で梅田ガーデンシネマで「アヒルと鴨のコインロッカー」を観たのだが、それはまた別の話。

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