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2007年7月31日 (火)

在阪オケ問題を考える

産経新聞7/29の記事より抜粋

大阪府内にある4つの交響楽団を統合する必要性が指摘されていた問題で、当面は統合をしないことで4楽団が事実上合意したことが明らかになった。

大阪シンフォニカー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長が26日、初めて会談。当面はそれぞれの個性を尊重し、共存することで合意したという。4楽団をめぐっては、昨年春に関西経済連合会の秋山喜久会長(当時)が「大阪に4つもあるのはどうか」と語ったことをきっかけに統合の必要性などが議論された。府と市、経済界による在阪楽団への支援は合計で約9億円といわれ、支援する側の財政事情が悪化しているため、統合によって援助額を減らしたいとの思惑もあった。ただ、「各楽団は特徴ある活動を続けてきた歴史がある。統合すると大阪の文化が損なわれる」(楽団関係者)との声も根強く、具体的な検討には至らなかった。

4楽団の理事長たちの言う理屈は全くの詭弁である。まずはっきりさせておかなければならないのは、オーケストラは西洋の文化であり、大阪の文化ではないということ。例えばこういう例を想像して欲しい。仮にニューヨークに4つの歌舞伎座(雅楽団とかタンゴ・オーケストラでもよい)があったとする。いずれも赤字経営で国からの援助がないと立ち行かない。そこで4つを統合する提案が出された。しかし「歌舞伎座(雅楽団)を統合するとニューヨークの文化が損なわれる」という反対意見が持ち上がる……どう考えても、変じゃないですか?

オーケストラも大阪の文化であると胸を張って言うためには、ベートーベン、ブラームス、チャイコフスキー等ばかりではなく、もっと日本人作曲家の曲を演奏しなければならないだろう。その点では先日「関西の作曲家によるコンサート」を開催した大フィルの姿勢は評価出来る。では大阪センチュリー大阪シンフォニカーの年間スケジュールはどうか?2007年度で取り上げる日本人作曲家は皆無、ゼロである。例えば昨年は武満 徹没後10年という記念の年だった。しかし武満を定期演奏会で取り上げた在阪オケは大フィルの「ノスタルジア」とシンフォニカーの「死と再生」たった二曲という寂しさである。なにが大阪の文化だ!?ふざけるな。(その点、定期演奏会で「武満 徹に捧ぐ」というプログラムを組んだいずみシンフォニエッタの企画は良かった。)

次にオーケストラの個性とは何か?を考えたい。僕は「弦がビロードのように滑らかで美しい」とか「金管の響きが輝かしく圧倒される」等、オケの個性をとやかく言えるのはウィーン・フィル、ベルリン・フィル、シカゴ交響楽団といった世界トップレベルのオーケストラに限られるのではないかと考える。在阪のオケで一番上手いのは大フィルであるのは衆目の一致するところだろう。それでも日本のオケ全体の中で見ればNHK交響楽団より格下である。そういった低いレベルで個性云々などと主張するのはおこがましい。在阪4楽団の違いはどこが上手くて、どこが下手か位しか判断基準はない。そして下手なオケは存在意義がないので解散すればいい。

オーケストラの経営がいかにお金がかかり、採算が取れない存在であるかということについて大阪シンフォニカーの楽団長である、敷島鐵雄さんの興味深いお話がこちらで読める。

別に大阪にオケがいくつあろうが構わない。もし独立採算制が成り立っているのであれば。問題はオケの存在は企業や公的支援に頼らなければ決して成り立たないというところにある。毎年赤字を生む団体が4つあるのだからそれをまとめようというのは至極当然な発想である。経営破綻した銀行の統廃合と同じである。

今年創立60周年を迎えた大フィルは4楽団のうち最も歴史があり、優秀な奏者が揃っている。音楽監督の大植英次さんもカリスマ性と絶大な集客力があり、星空コンサートとか大阪クラシックなどの優れた企画で市民への貢献度も高い。当然大フィルが潰れては困る。

4つのうち最も奏者の技量が低いのは関西フィルであるが、ここは定期演奏会で20世紀以降の音楽にも積極的に取り上げ、意欲的なプログラムを組んでいる。全てジョン・ウィリアムズが作曲した映画音楽の演奏会をしたり、大晦日に久石譲さんと共演するジルベスターコンサートをやったりと、なかなか面白いことをやってくれる。その弛まぬ営業努力は買いたい。

大阪シンフォニカーは大和ハウスという強力なスポンサーを得て、経営状態は安定したようだ。政府・自治体の援助に頼らないで済むのなら、存続すれば宜しかろう。

で結局、一番存在意義がないのが大阪センチュリーである。ここは1989年に設立された財団法人大阪府文化振興財団が運営している(1990年に第1回定期演奏会)。しかし財団の基金は10年度末には底をつくと予測されている。いってみればセンチュリーバブルの徒花として生まれ、バブルの崩壊と共にその命運はとっくに尽きているのである。昨年4月の関西経済連合会会長の発言も、それを見据えてのものだった。

大阪に4つもオケはいらない。だからセンチュリーは解散すればいい。しかし日本にはプロのオーケストラがない都道府県が沢山ある。例えば関西なら和歌山とか奈良。だから和歌山センチュリー交響楽団とか奈良センチュリー交響楽団として生き残る道を模索してはどうだろうか?それならば存続する意義は大いにあるだろう。

追記:センチュリーの今後のあり方について不惑ワクワク日記さんが独自の見解を述べられているのでご紹介しておく。

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コメント

初めまして。記事のトラックバックありがとうございます。私の知識なきド素人の「感想文」と違って、雅哉さんのはきっちりとしたコラムで素晴らしいな、と。
私も大阪のマニアとまでいかない音楽ファンとして
分りやすい基準でどんどん大阪の音楽が裾野を広げていってくれることを望んでいます。

投稿: ぐーたら | 2007年8月11日 (土) 21時33分

お、「大阪OL Style」のぐーたら さん、コメントありがとうございます。

いよいよ今年も「大阪クラシック」が近づいてきましたね。非常に楽しみです。ぐーたらさんも往かれるのでしょうか?

僕は「大阪クラシック」みたいな企画こそが真の意味での市民への貢献だと思います。そのあたり、ユース・オーケストラを結成するとか頓珍漢なことばかりして迷走する大阪センチュリーには真剣に考えて欲しいところです。

投稿: 雅哉 | 2007年8月13日 (月) 09時04分

初めまして。
自分の楽団についていろいろと検索して見て回っているうちに、こちらを見つけました。

関西4楽団についての忌憚のないご意見、心して読ませていただきました。
自分の所属する楽団のことは私の言いたいこととは別の話なので置いておいて、ひとつだけ私の思っていることをここに書かせてください。

この合併問題が出てきた時に、関西の楽団関係者が言っていたことはおそらく私の言いたいことと同じだと思うのですが、「個性というものが沢山林立する業界こそが、質を高め市場にも支持される」という事実なんです。
それは、業界トップを走るレベルの会社にとっては、競合相手にトップを奪われるまいという緊張感を産みますし、ノーブランドに近い中小企業にとっては「いつかあの会社のように」という目標を産みます。結果として、その関係がうまく廻っている業界は良い商品を生み続けますし、市場もそういうものを求めるはずです。

オケの業界で言えば、経団連会長の言う「お金を一本に絞って一カ所に集めたら、世界一のものだって作れる」というのは、まったく的はずれです。
ベルリンフィルが世界一を争うオケなのは誰もが認めるところでしょうが、ドイツにそのベルリンフィルを頂点として。どれだけのオケとオケマンがプロとして活動しているのか、会長はご存じないわけです。
よほどの天才でコネを持っている(カラヤンアカデミー生となど)ではない限り、いきなりベルリンフィルに入る人は本当に少数です。普通は、それより下と言われるCやBのクラスに先ず採用され、オケでの演奏経験を積み、自身のレパートリーを増やしながら、自身のレベル向上に合わせてオーディションに合格し、上のオケに移籍していくわけです。ドイツのAクラスオケの団員は、そこが2つ目、もしく3つ目の所属先だという人がほとんどのはずです。
沢山の「卒業したての若手でもなんとかついていける」レベル、「抜群に上手いわけじゃないが、地元の客が毎日のお総菜気分で気軽に楽しむのにやってくる」レベル、「超一流じゃないが、いつも確実に一流は名乗れる演奏はする」レベルのオケが存在しピラミッドを造っているからこそ、その頂点に君臨するベルリンフィルはあのレベルを維持できるわけです。
それに、それだけの「就職先」が、自分たちだって上手になればそこに入れるんだ、と用意されているから学生達も音楽の道を具体的な就職先として考えるし、本気で勉強するんです。だからドイツのどこの音大も、日本の音大と違って(日本は就職先が無いだけに、3年生くらいで学年トップクラス以外はプロになるのを諦める学生がほとんどになります。それは結果として一部の人間しか上り詰められない、全体としてはレベルが向上しない原因にもなっています。20歳くらいで上手いのは単に器用で早熟なだけの場合も多いのに、実際の就職を考えると修行半ばで諦めざるを得なくなるのです。)30歳くらいまでは学籍を維持したまま、オーディションのチャンスを狙って自分の技量を上げる努力をしつづけています。

人を納得させるレベルのものを作れる場所には、それを支え続ける業界の下層、それらの下層のものでも求めてくれる市場、その業界そのものに憧れその中に入りたいという次世代の担い手の全てが必要なんですよ。そのどれが欠けても、その業界は衰退します。
また超一流、または一流の楽団にとってもその格下にあたる楽団が無くなってしまうのは困るんですよ。
最近は日本のオケでも前記のドイツのような流れが生まれつつあるからです。N響にしても、関西でなら大フィルにしても、新規採用される団員はすでに別のオケで十分な経験と実績を積んできた「即戦力」ばかりです。上手いだけで経験がない人を何年もかけて育てている時間はない、という姿勢です。それはその楽団がそれだけのレベルに達したということです。自分たちがやっとたどり着いた高みを、新人が足を引っ張ることで落とされたくない、という矜持です。

入団に至らなくても、楽員が休みを取ったりしたとき(降り番もそうですけど、産休や傷病なども)に、それを助けて埋めてくれるのも近所のオケからの客演奏者です。それらが無くなると、一流オケでも安心できる技量の奏者が手軽に手配できなくなり、いろいろな面で不安定な状態となります。
実際、関西のオケでは(まあ、日本中そうですけど)団員の貸し借りが日常です。(客演は一応、所属楽団に報告せねばなりませんが、業界全体の為だからどこのオケも自分たちの公演が入っていない日でなければ原則的に許可しています)私もいわゆる日本で最下層のオケの団員ですが、大フィルにもセンチュリーにもトップで時々客演しています。

そのオケが存在する地域で必要とされ、愛されることが一番大切なことです。それは業界の人皆が既に理解していて、だからこそやるべきことと現実との壁(平たく言えばやるべきことを実現するための予算)との矛盾に苦しんでいます。オケが公的に援助してくれ、と声に出しているのは、企業として採算を考えたら実現不可能になってしまうこういった壁を解決する助け、という意味です。
実際に企業として採算を考えたら、武満なんてプログラムに採用できません。それでも「大赤字で会社が傾くことを覚悟でやるのが文化団体の役目だ」と言うのであれば、せめて傾かないところまでは公的な助成が欲しいというのが自然な考えのはずです。それらが実際には貰えない中で、どのオケも必死でがんばっています。

でも、そんな地元民から自分たちの文化だと呼んで貰える日を夢見てここまでやってきたオケ業界としては、やっとここまで「業界としてのピラミッド」を構成、音大など次世代のことも含めて育ててきたところで、全く的はずれな「一本化」話には納得できない、そういう考えを持って当然です。
一本化したって向上はないし(したとしても一時的なもので、将来には繋がりません)、オケの業界を知らない人に、影響力の大きい場所で適当な談話をして欲しくない、という抗議の声のはずですよ。詭弁とは言えないと思うんです。
そこだけは一つの考え方としてご理解頂きたいんです。

お邪魔した場所だというのに、長々と書き込み、失礼致しました。

投稿: 藤崎 | 2007年9月12日 (水) 11時56分

藤崎さま、丁寧なコメントをありがとうございます。

ここで確認しておきたいことが一つあります。僕は決して在阪オケの一本化に賛成しているわけではありません。それは無茶な話です。ただ、赤字のオケが大阪に4つもいらないだろう、3つに減らしても良いのではないかというのが僕の考えです。

で、解散して貰うとしたら財源もなくなり、凡庸なプログラムしか組めず存在感を示せないセンチュリーだろうという話です。

武満で採算が取れないという話は分かります。でも武満の曲は殆ど20分以下なのです。だったら客が呼べるロマン派や印象派の曲などと組み合わせればいいのではないでしょうか?

センチュリーのプログラムを見れば分かりますが、日本のオケなのに日本人の作品を全く取り上げない。これは異常なことです。どこが「大阪の文化」なのでしょう?

投稿: 雅哉 | 2007年9月12日 (水) 16時19分

バブルと共に命がつきたとか存在意義がないとか余りにも言い過ぎなのでは?大阪フィルはN響よりもレベルが数段下と言ってたけれど、N響は上手くてもいつも心がこもっといない。それに比べて大阪のオケは技術に厳しくても一生懸命やっている。
それなのに下手くそはクビにしろとか、余りにも酷だろうとは思います。音楽は金や経済とは別にしてほしい。
それと、当事者の気持ちを蔑ろにした軽はずみな発言は慎んでもらいたい。

投稿: ハナモグラ | 2008年5月19日 (月) 16時18分

コメントありがとうございます。

「一生懸命やっているから評価しろ」というのは、相手がアマチュアにたいしてのみ当てはまる発言です。プロは結果が全て。そこに至る過程は関係ないのではないでしょうか?

「音楽は金や経済と別にして欲しい」と仰る。しかし、センチュリー問題の核心は正にそこにあるのです。「オケを残せ」「文化を切り捨てるな」と綺麗事を言うのは容易です。では、その財源はどうするのか?そこが現在の議論で抜け落ちている部分です。

僕は大阪フィルとシンフォニカーを応援していますし、是非存続して欲しいと願っています。だから彼らの定期演奏会には毎回通っています。オケを支えるとはそういうことではないでしょうか。

投稿: 雅哉 | 2008年5月19日 (月) 18時33分

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