« 淀工、北京へ! | トップページ | つゆだく、ねぎだく »

2007年7月13日 (金)

関西の作曲家によるコンサート

Kansai

今回聴きに往ったコンサートで取り上げられた大栗 裕、松下眞一、貴志康一の3人はみな大阪生まれの作曲家である。指揮はカラヤンのアシスタントを務めていたこともある山下一史さん、大フィルのコンサートマスターは長原幸太さん(26)だった。考えてみれば長原さんと山下さん、そしてついで(?)に音楽監督の大植英次さんの3人は広島出身である。

20070712184350

大栗 裕はなんと言っても吹奏楽の世界で有名である。吹奏楽コンクールの課題曲を数曲書いているし、「大阪俗謡による幻想曲」は今でもしばしばコンクール自由曲に選ばれる。

大栗はホルン奏者として音楽家の一歩を踏み出した。指揮者:朝比奈 隆の要請で関西交響楽団(後の大阪フィルハーモニー交響楽団)に入団した。1956年にベルリン・フィルの定期演奏会に招聘された朝比奈は朋友である大栗に手土産として持っていく新曲の依頼をした。そうして生まれたのが「大阪俗謡による幻想曲」である。

'74年に大阪市音楽団からの依頼で大栗は自らこれを吹奏楽版に編曲した。「大阪俗謡」が全日本吹奏楽コンクールに初登場するのは'80年のことで、この年これを自由曲で演奏した淀川工業高等学校(現:工科高等学校)は全国大会金賞に輝いた。その後も淀工は計5回「大阪俗謡」をコンクールで取り上げ、その全てで金賞を攫っている。

淀工の丸谷明夫 先生(丸ちゃん)は大栗と親交があり、全曲演奏すると10分を超える「大阪俗謡」をコンクールの時間制限に合わせるために作曲者と相談しながらカットの作業を行ったそうである。この「淀工バージョン」は2003年なにわ<<オーケストラル>>ウィンズの演奏会でも取り上げられた。その世紀の名演はライブ・レコーディングされ、CDとして現在も入手可能である。

「大阪俗謡による幻想曲」が初演されたとき、ベルリンの新聞は大栗を「東洋のバルトーク」と讃えた。「大阪俗謡」には天神祭の祭囃子などが引用されているが、今回演奏された「雲水讃」にも打楽器が大活躍するお祭の音楽があった。印象としてはバルトークのオケコン(Concert For Orchestra、管弦楽のための協奏曲)の終楽章を彷彿とさせるものがあった。続いて演奏されたヴァイオリン協奏曲には大阪の盆のわらべ歌にもとづく変奏曲があったり、阿波踊りのリズムが登場したりと、やはり土俗的色彩が強く面白く聴けた。

松下眞一は数学者として大学で教鞭をとりながら独学で作曲もしたという経歴を持つ。今回演奏された「星たちの息吹」は'63年に初演された曲で、いかにも現代音楽という作品だった。でも決して難解というのではなく、宇宙を連想させる茫洋感そして透明感があった。僕は映画「2001年宇宙の旅」でキューブリックが選曲したジェルジ・リゲティの音楽を想い出した。

映画音楽から転用されたという貴志康一の「日本組曲」も良かった。和洋折衷というか、西洋音楽の様式で語られる日本の抒情。賑やかな音楽(道頓堀の喧騒)もあるけれど、そこに忍び込むそこはかとない哀しみ。驚いたのは終曲「戦死」に君が代とか軍歌の旋律が出てきたことだ。

貴志は'37年に28歳という若さで亡くなった。「日本組曲」が彼の指揮でベルリン・フィルにより演奏されたのは'34年のことである。ドイツでナチスが第一党となりアドルフ・ヒトラーが首相に任命されたのは'33年。一方、満州事変が起こったのが'31年で'33年に日本は国際連盟を脱退した。日独がまっしぐらに戦争への道をひた走っていた時にこの曲は生まれたわけだ。恐らく貴志が戦後に忘れ去られ、「日本組曲」が殆ど演奏されなかったのは、国全体を左翼ジャーナリズムが席巻し、愛国心を嫌悪して軍国主義を連想されるものをことごとく排除してきたことと無関係ではあるまい。半世紀を経て左翼勢力が衰退した今、漸く貴志の再評価が始まろうとしているのだろう。

今回のようなコンサートは非常にユニークであり、聴き応えがあった。ただ、聴衆の入りが少なくて1階席は約6割の入り、2階席はガラガラだった。意欲的なプログラムには客が来ないので結局、関西のオーケストラはベートーベンとかチャイコフスキーなどありきたりなものばかり演奏せざるを得ない羽目に陥る。難しいものだ。

| |

« 淀工、北京へ! | トップページ | つゆだく、ねぎだく »

吹奏楽」カテゴリの記事

クラシックの悦楽」カテゴリの記事

コメント

トラックバック&コメントありがとうございました。

そうですねえ、こういう企画にもっとお客さんが来ていただきたいとは思いますが・・・・これを、大阪という土地柄ゆえと考えるか、大フィルの営業能力のなさとするか、実際のところはどうなんでしょうね。

ただ、その昔、民音現代音楽祭に何度か足を運んだことがありますが、その時はいつもシンフォニーが一杯になっていたことを考えると、あながちこういう曲を聴く聴衆が大阪に少ないというわけではないんじゃないか、と思います。

だから、どのみち到底一杯にならないだろうこの企画、もっと招待券を乱発するとか、メディアミクスで新聞や放送局を利用してペア何組ご招待!!をやるとかしても良かったんじゃないかなあ、と思ってたりします。

投稿: ぐすたふ | 2007年7月13日 (金) 22時45分

ぐすたふさん、コメントありがとうございます。

大フィルに関して言えば大植さんのプログラムも比較的保守的ですよね?ミネソタ時代は20世紀に書かれた新作も積極的に取り上げていたようですが、これも恐らく大フィルの経営方針なのでしょう。

大フィル、センチュリー、シンフォニカーらのありきたりなプログラム編成には、心底うんざりさせられます。その点関西フィルは結構意欲的な曲を取り上げていますが、いかんせんあそこは大阪のオケで一番下手くそというのが痛いです(笑)。

投稿: 雅哉 | 2007年7月14日 (土) 12時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 関西の作曲家によるコンサート:

« 淀工、北京へ! | トップページ | つゆだく、ねぎだく »