淀工サマーコンサート 2007
大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部(通称:淀工)のサマーコンサートを聴きに行った。所は淀工のお膝元モリカンこと、守口市市民会館(さつきホールもりぐち)である。淀工のコンサートといえば毎年1月にフェスティバルホールで行われるグリーンコンサート(通称:グリコン)が有名である。フェスティバルホールは2700人の収容人数を誇るところだが、淀工は土日の2日間、計4公演全てを満席にするという超人気者である。サマーコンサートも週末に4公演あるのだが、補助席が出た上に、立ち見まであるという盛況ぶりであった。
吹奏楽の世界において淀工というのはアマチュア・バンドの輝ける星である。とどかぬ憧れであり、永遠の目標と言い換えても良い。全日本吹奏楽コンクールで全国大会に29回勝ち進み、20回金賞受賞という記録は高校の部では前人未踏の記録である。この吹奏楽部を40年以上にわたり指導してこられたのが丸谷明夫先生である。普通科の公立高校であれば必ず教師の移動がある。淀工がこれだけ全国一の吹奏楽名門校となれたのは、工業高校という特殊性もあるだろう(所詮は素人高校生である。吹奏楽の顧問が代わって地に落ちた、嘗ての「名門校」はそこらじゅうごろごろ転がっている。要は指導者次第なのだ)。丸谷先生に吹奏楽の指導を受けたOBは既に1600人を超えているという。
稲本 渡さんという淀工出身のクラリネット奏者がいる。このひと、なんと現在オーストリアの音楽大学に留学中である。
先日なにわ《オーケストラル》ウインズという、プロのオーケストラ奏者が集まって吹奏楽曲を演奏するという大阪恒例のイベントを聴きに行ったのだが、そこで指揮をされた丸谷明夫先生が九州交響楽団のオーボエ奏者、徳山奈美さんを「うちの吹奏楽部出身なんです」と紹介されていた。
淀工がコンクールで演奏する「ダフニスとクロエ」や「スペイン狂詩曲」などを吹奏楽用に編曲した立田浩介さんも淀工のOB(トロンボーン)だそうである。
また、今回のサマーコンサートではOBの演奏があり、丸谷先生は「この子はいま立命館大学在学中です」「この子は関西外国語大学に行っています」「彼女は今、中学校で音楽を教えています」等とメンバー紹介をされていた。一体、淀工は本当に工業高校なのか!?……要するに丸谷先生の指導を受けたいがために、音楽のために他のすべてを捨てて淀工に入学した生徒が沢山いるということなのだろう。
クラシック音楽界では、桐朋学園大学の斉藤秀雄という有名な先生(故人)がいて、斉藤先生の門下生としては作曲家の山本直純、指揮者の小澤征爾、秋山和慶、大植英次、ビオラ奏者の今井信子、チェロの堤剛といった錚々たる音楽家を輩出し、サイトウ・キネン・オーケストラは世界的に高い評価を受けている(日本人の弦楽器奏者の実力は恐らく今、ユダヤ人に次いで2番目位である。ここまでのレベルに引き上げたのはチェリストでもあった斉藤秀雄の功績を置いてない)。言ってみれば丸谷先生は「吹奏楽界の斉藤秀雄」なのである。
正直に告白しよう。実は中・高校の吹奏楽部時代を岡山で過ごした僕は丸谷先生のお名前を、昨年の9月まで知らなかった。きっかけは「淀工吹奏楽日記〜丸ちゃんと愉快な仲間たち」という2枚組みのDVDが発売され、吹奏楽名門校の秘密を知りたいと購入したことである。13年間におよぶ密着取材、全55話収録時間7時間37分という長大なドキュメンタリーなのだが、あまりに面白すぎて一気呵成に観た。そして丸谷先生(以下親しみを込めて”丸ちゃん”と呼ばせて頂く)の人となりに心打たれ魅了された。
そして12月、今度は淀工がコンクール全国大会に出場した時の演奏を記録したDVD「淀工・青春の軌跡 1986〜2005」が出て、すぐさま予約購入。その名演の数々に圧倒され、丸ちゃんは指揮者としての才能も桁外れだということを思い知らさせた。凄いなと感嘆したのは同じ金賞でも1986の演奏と2000年に入ってからのそれが明らかに違うことである。淀工は進化している。昔のものは粗さはあるが若々しい勢いが魅力のバンドだった。ところが、近年の「ダフニスとクロエ」や「スペイン狂詩曲」を聴くと、粗さが影を潜め繊細緻密でフランス音楽がよく似合うバンドに変貌しているのである!「ダフニスとクロエ」なんかオリジナルのオーケストラ版よりも良いんじゃなかろうかとさえ想った。恐るべし、丸ちゃん。
また、淀工が最も輝くのはマーチを演奏している時である。きびきびと引き締まったテンポ、強弱がはっきりしてメリハリのある音楽の豊かな表情。恐らくプロの指揮者も含めて丸ちゃんはマーチを振らせたら世界一だろう。マーチを指揮する時の丸ちゃんの顔も本当に幸せそうだ。
なにわ《オーケストラル》ウインズにも参加しているNHK交響楽団クラリネット奏者、アッキーこと加藤明久さんは月刊誌「バンド・ジャーナル」に連載を持っている。NHK交響楽団は昨年初めて吹奏楽コンサートを行ったのだが、それを指揮した山下一史さんを加藤さんはエッセイで徹底批判し、話題になった。要旨はこうだ。
リハーサルでまだ時間が余っているのにマエストロは「マーチは明日にしましょう」とさっさと帰ってしまった。皆がっかりした。マーチを疎かにする奴は吹奏楽を振る資格がない。丸谷明夫がマーチのことをいかに熱く語っていたかを思い出し、実に情けなくなった。結局本番の「星条旗よ永遠なれ」ではテンポが揺れて一定せず、観客が手拍子も出来ないという体たらくだった。
加藤さんのなにわ《オーケストラル》ウインズでの面白いエピソードが掲載されているので、オーボエ奏者かせっちさんのブログを紹介しておく。こちらをクリック。
さて、そろそろ本題に入ろうか。僕が初めて淀工の演奏を生で聴いたのが今年のグリコン。そして今回、丸ちゃんの指揮で聴くのは既に5回目である。淀工のサマーコンサートはグリコン同様、2回の休憩を挟んで3部構成になっている。第1部がコンクール・メンバー候補(と思われる)50人程度の少数精鋭による演奏。2部がOB演奏。3部が二・三年生100名以上による演奏で、新一年生は踊り(ヤングマン、幸せなら手をたたこう)や唄(明日があるさ、千の風になって)を担当する。
1部ではコンクール課題曲の指揮者体験コーナーがあった。会場から我こそはという人が手を挙げて、丸ちゃんが指名する。京都や滋賀の学校の先生、さらに東京からやって来たアマチュア吹奏楽団の指導者らが指揮台に上がった。そして次に演奏されたのが今年淀工がコンクール自由曲に選ぶであろう「ダフニスとクロエ」。実は淀工は近年のコンクール自由曲で「ダフニス」「スペイン狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」の3曲をローテーションで演奏しており、今年4巡目が来るとしたら「ダフニス」の順番なのである。ちなみに淀工は「大阪俗謡」で過去5回金賞を受賞している。
繰り返し同じ曲を取り上げることについては当然一部から批判の声が上がっている。「もう飽いた」「そこまでして金賞が取りたいか」等々。しかし、プロではなくて所詮はアマチュアである。目新しい新曲に次々と挑戦するのではなく、一曲一曲を丹念に時間を掛けて練り上げる、そういう団体もあって良いのではないかと僕は考える。それに本来コンクールはお客さんに聴かせるためにあるのではない。学校教育の場でもあるのだから。そう考えると何故3曲ローテーションなのかというのも見えてくるだろう。高校生活は3年間である。一人の生徒が同じ曲を何度もコンクールのために練習する必要がないように配慮されているのではなかろうか?そして現役を指導しに来るOBも同じ曲の経験があれば、それが大きな財産になるではないか。丸ちゃんはそこまで考えているのだろう。
で、肝心の「ダフニス」の出来の方だが大方8割程度とみた。現時点で既に全国大会出場のレベルには達しているが、DVDに収録されている過去の神がかった演奏の境域にはまだまだ遠い。しかし本番まで2ヶ月もある。それまでに丸ちゃんは当たり前のように完璧に仕上げて来るに違いない。今回物足りなく感じたもうひとつの要因は「ダフニス」の指揮が出向井誉之先生だったこともあるだろう。グリコンの「吹奏楽のための木挽歌」も出向井先生だったのだけれど、引き締まった丸ちゃんに比べると出向井先生は手綱が緩いというかテンポ感が悪い気がする。そして音楽表現が良く言えば端正、悪く言えば淡泊で表情が乏しいのだ。アマチュアといえど、指揮者の違いは如実に演奏に表れるのである。
3部ではオリンピックの曲が演奏された。実は淀工は今年の7月に北京五輪のプレイベントで日本代表として中国に招待演奏に行くことが決まっている(コンクール直前なのだが)。今回披露されたのはTHE OLYMPICS:A CENTENNIAL CELEBRATIONという曲でメドレーになっている。まずアイーダ・トランペットが登場しアルノー作曲「オリンピックのテーマ」から華々しく始まる。そしてジョン・ウイリアムズ作曲のロサンゼルス五輪のファンファーレとテーマ、さらにアトランタ五輪のために書かれた「サモン・ザ・ヒーロー」へと続く。五輪のために書かれた名曲揃いなので聴き応えがあった。それに丸ちゃんがジョン・ウイリアムズを振るのも初めてじゃないかな?ジョンの公式ファンクラブに入っていたこともある僕としてはとても嬉しかった。
淀工名物「ザ・ヒットパレード」は必ず最初「パラダイス銀河」から始まる。そこでクラリネットが客席に降りてきて演奏するのも恒例となっている(DVD「淀工・青春の軌跡」にも収録されている)。それを予め知っていたので僕は通路脇の席を確保していた。予定通りクラの子が至近距離で吹いてくれた。しかし……う、うるさい(笑)。余りに近すぎるのも考え物だなと反省した。
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コメント
トラックバックと詳しい感想ありがとうございました!
私もこれぐらい丁寧にかけないといけませんね。
精進します。
投稿: ごいんきょ | 2007年6月13日 (水) 21時04分
ごいんきょ様、コメントおよびトラックバックをありがとうございました。
なにわ<<オーケストラル>>ウインズについては、いずれ一風変わった方向から光を当てた記事を書きたいと検討中です。その際にはごいんきょさまのコンサート・レポートも改めて紹介させて頂きますね。
投稿: 雅哉 | 2007年6月14日 (木) 00時34分
久しぶりに吹奏楽の記事に触れてみた浦島太郎です。丸谷さんの大阪俗謡なつかしいなぁ。私がはじめて耳にしたのはたぶん大阪青少年ホール大阪大会(当時はたしかシードはなかっと思います。)の演奏です。たぶん1回目の演奏だと思います。丸谷さんも30代だったと思いますが、チンチキドンドンお祭りのような抜群のメリハリと表現力で名演奏でした。いまでもその光景忘れません。その時の実況録音わけありで持ってます。当時はまだ大阪大会の主催者側の録音も映像もなう頃だったと思います。脱線しますが当時は大阪に谷口真さんという棒を操る超名人もいました。天才肌でした。以前は天理にいて1970代の課題曲「太陽の下に」を天理高校を率いて演奏した谷口真さんの全日本の時の演奏は神がかり的な完璧な演奏でした。何十年前の出雲一中の「トッカータとフーガ」も神がかり的名演奏と匹敵します。今津中の得津さんの現役の指揮も一度見たかった。私が見た頃は今津中や一般の西宮吹奏楽団の後見をして姿だけです。丸谷さんはすごい努力家で根性もすごい人です。なんといっても体は決して大きくないけどスケールが並外れていました。そのスケールは音楽にも現れており多くの人を魅了しています。ここが抜きん出ているところだと思っています。ある時丸谷さんにどれぐらい練習するんですか?と尋ねると2倍3倍じゃなくて2乗3乗。という答えが返ったきました。やはりスケールが違う。淀工が全日本ではじめて5度目の連続金賞を目指した時、たしか自由曲「寄港地」だったと思いますが、この年「銀」でした。さぞ悔しかったと思います。しかしその時の演奏は実は抜群だったのです。当日普門館に聴きにいって全校聴きました。あれはどう考えても金賞の上位に入るといまでも私は思っています。観客は正直なもので、淀工の演奏後の反応も大変よかった。しかし丸谷さんの本当に立派なところは、そんなことどこ吹く風、次の年から見事5年連続全日本金賞に輝いたのです。丸谷さんと同時代に吹奏楽に触れることができる吹奏楽好きは、幸せな人達だと思います。こんな吹奏楽名人、大阪に百年に一人でるかどうかでしょ。
投稿: 人生音楽一筋 | 2008年10月30日 (木) 01時42分
浦島太郎さん、熱いコメントありがとうございます。初めて「大阪俗謡」を聴かれたのは、多分1980年のお話でしょうか。
そして谷口 眞 先生が亡くなられたのは今年の1月2日で、淀工グリーンコンサートで丸谷先生がそのことについて触れられました。
淀工の「寄港地」が銀賞だったのは単なるミス・ジャッジでしょう。最近の吹奏楽コンクールを聴いていても、良い演奏をしても《審査員に評価して貰えない曲》というのは確かにあるのです。チャイコフスキーやマッキー(「レッドライン・タンゴ」「翡翠」)の曲、「寄港地」、そして市柏が演った「ウィンドオーケストラのためのムーブメントII〜サバンナ」などがそれです。丸谷先生はそうやって試行錯誤された結果、現在の3曲ローテーションにたどり着かれたのでしょう。
丸谷先生は大阪の宝です。プロの音楽家でさえ「こんな先生に教えて貰いたかった!」と慕い、なにわ《オーケストラル》ウィンズを結成しています。これからも末永くお元気でいて頂きたいと心から想います。
投稿: 雅哉 | 2008年10月30日 (木) 09時59分
私ごとき吹奏楽浦島太郎にご返事がいただき心より厚く御礼申し上げます。昨日深夜に文字を打ちましたので随分打ち間違いがありすみませんでした。早速ですが、谷口真さんご他界のこと知りませんでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。淀工の最初の大阪俗謡、1980年とはよくご存じですね。たぶんそうです。当時、谷口真さんは天理高校で全日本の頂点を極められその後大阪のK高校のレベルアップのため指揮を託されており、棒テクニックの実力はすでに横綱の折り紙付き。長い棒をビュンビュンしならせ、全ての音、曲の流れを一本の棒で魔術師のようにたばねて引っ張っていく指揮。対する丸谷さんはさあこれからという人でした。しかしその並外れた才能はすでに開花しておりました。淀工は一人ひとり細部にわたってまで磨かれ統一されているのに対して谷口真さん率いるK高はまだ谷口さんのスピード感ある棒についていけず谷口さんの孤軍奮闘。結果的には大阪府では当時、淀工が1位、K高が2位。でも棒1本で2位だからすごいです。丸谷さんも谷口さんには、「負けない」と闘士満々でした。当時大阪の高校を指揮する方には優れた指揮者があと2人印象に残っています。M高のNさん、S高のIさんもとても光ってました。今はまた違った優れた指導者が出現していることと思います。話は変わりますが、中高は岡山ですか。奇遇ですね。浦島太郎も実は、岡山のS高で高校生活過ごしました。当時は岡山では吹奏楽の勢力図、横綱…岡山東商、それに邑久高、就実などが続いていました。わが校の吹奏楽部はライバルのA高共々ボロボロでした。しかし個々には冴えたのもいて後輩にN響のTbのK君などもいました。クラスの中ではほとんどの男子は、クラシックファンで休み時間になると「運命」はフルトベングラーのウイーンフィルよりベルリンフィルのライブ盤に限るとか、カラヤン指揮ワイセンベルグのチャイコのPコンツェルトNo1の出だしのホルンがすごいとか、頭でっかちの評論家がたくさんいました。浦島太郎もその1人でした。当時は岡山のシンフォニーホールはありませんでした。一度ホールの中行ってみたいです。ここが岡山ではコンクール会場なんでしょうね。懐かしい話はこれぐらいに。丸谷さんの話題にもどりますがある時こんな話をされました。「部費が足りない。楽器が足りない。練習場がない。といろんな言い訳よく耳にするけど一番足りないのは根性!」と力説されていました。脱帽。
投稿: 音楽人生一筋 | 2008年10月31日 (金) 00時21分
浦島太郎さん、再び熱いコメントをありがとうございます。
そもそも淀工は工業高校であり、音楽の授業がありません。そして丸谷先生は電気科の先生であり(定年後、現在も授業をされているそうです)正にゼロから日本一のバンドを創られたことになります。そこが凄いですよね。
OBなどからの寄付で現在、淀工吹奏楽部には立派な練習場が立てられています。その練習場が出来る前と、出来た直後の様子が、DVD「淀工吹奏楽日記~丸ちゃんと愉快な仲間たち」に記録されています。とても面白く感動的なドキュメンタリーなので、機会があれば是非ご覧下さい。
追伸:僕が岡山で高校生だった時、コンクールで演奏した曲は「アルヴァマー序曲」。吹奏楽の生み出した傑作中の傑作だと今でも信じています。
投稿: 雅哉 | 2008年10月31日 (金) 12時34分
雅哉さん。再度の返信ありがとうございます。アルヴァマー序曲。美しいのびやかなメロディーラインの曲ですね。大変好きな曲です。久しぶりにこの曲の音楽談義など。学生にはラッパの結構きつい曲でしたね。リズムの2拍3連部分の処理がくせ者で、その部分だけ1つ振りすると3連符が引き締まりいっぺんに吹きやすくなるのですが2拍3連を前の流れのまま2拍で振ってしまうと3連符がぼやけてしまいます。伸びやかなメロディーラインの中でその部分だけ1つ振りして引き締めメリハリを付け対比をつける。そこが大きなポイントの1つと今でも思っています。メロディーラインに乗って気持ちよくその部分も2拍のまま振ってしまい玉砕したぼやけた演奏よく耳にしました。その部分だけ1拍振りに気付いた指揮者は中級合格。もし2拍振りするならメロディーラインのなかでこの部分を更に柔らかく朗々と歌う仕上げにしなければなりません。とても高度な要求になります。前者のほうが吹奏楽的でコンクール向きの仕上げかと。後者はメロディーラインに弦などがはいればいいオーケストラ的な仕上げかと思います。そこまでの表現ができない場合は、2拍3連を1つ振りするほうがベターだと思っています。雅哉さんの頃は、周りの皆さんそこのところどうリズムの処理されていたんでしょうね。興味ありますね。偉そうなこと書いてすみません。懐かしさがよみがえり嬉しくなりました。
投稿: | 2008年10月31日 (金) 14時53分
考えてみれば「アルヴァマー序曲」を作曲したジェイムズ・バーンズの名は最近とんと聞かなくなりました。吹奏楽のために書かれた交響曲第3番などはとても好きでしたが。第3楽章が亡くなったお嬢さんのために書かれた"ナタリーのために"。日本初演は'96年大阪市音楽団の定期演奏会で、作曲者もザ・シンフォニーホールに駆けつけたとか。
投稿: 雅哉 | 2008年10月31日 (金) 23時38分
雅哉さんは、本当に博学ですね。浦島太郎にとってはアパラチアン序曲も懐かしい思い出深き好きな曲です。話は変わりますがミスジャッジにまつわる話ですが確か1982年と思いますが大学全国コンクールが尼崎のアルカイックホールで開催され、下った評価に対し大学側より連盟側がクレームをつけられ、連盟側の方が後に屈し評価が付け直されたという珍事件がありました。その話ご存知でしょうか?その日、会場に聴きに行っていました。金賞が0だったのです。大学側はその評価に納得がいかないとへそを曲げました。無理もありません。しかしあの最初の審査員評価は、実は妥当だったかもしれないのです。
投稿: | 2008年11月 1日 (土) 01時33分
現在、吹奏楽連盟の登録団体数は中学7,099、高校3,779、大学320です。大学は高校の10分の1未満。高校で金賞は10校程度ですから、当然確率的に考えて大学で0ということはあり得るわけです。
投稿: 雅哉 | 2008年11月 1日 (土) 05時28分