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2007年6月

2007年6月29日 (金)

プレステージ

評価:C-

時間が逆走するインディーズ系映画「メメント」で世間をあっと驚かせ、「バットマン・ビギンズ」では時間を錯綜させながら面白い娯楽大作も撮れることを示したクリストファー・ノーラン監督の新作である。

「プレステージ」もノーランが脚色を担当しており、現在から過去へ行ったり来たりする凝った構成になっている。しかし如何せん今回はお話が詰まらないのでいつもの手が有効に機能していない。

マジシャン対決の物語である。虚構の世界を守るために、次第に現実世界にも虚構が侵蝕してくる。マジシャンの狂気を描きたいという意図は分かる。しかしそれなら映画の後半に明らかになってくるSF的要素はあえて必要ではなかったのではなかろうか?SFに頼らなくてもトリックで同様の結末に導けた筈なのに……。つまらぬ小細工をして傑作になり損ねた。惜しい。

ヒュー・ジャックマンという役者は、ミュージカルで歌っているときは格好良くて素敵なのだけれど(「ボーイ・フロム・オズ」でトニー賞主演男優賞も受賞している)、どうも普通に演技していると精彩を欠くんだよね。是非彼はミュージカル映画に主演してもらいたい。

クリスチャン・ベールは「バットマン・ビギンズ」では輝いていたが、今回は凡庸な印象。それからセクシー・ダイナマイトの代名詞スカーレット・ヨハンソンも出ているのだが、無駄にゴージャスという虚しさが後を引いた。

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2007年6月28日 (木)

3000人の吹奏楽 2007

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3000人の吹奏楽は毎年6月に関西で行われる大掛かりなマーチングイベントである。これだけの規模のものは他に例を見ないだろう。今年でなんと47回目になる。1961年(昭和36年)に1回目が開催され、参加者の増加と共に「1000人の吹奏楽」、「2000人の吹奏楽」、「3000人の吹奏楽」と名称が変わってきた。今や4000人近いそうである。京セラドーム大阪を舞台に、関西一円から集結した小学校から大学までのマーチングバンドが華麗なパフォーマンスを繰り広げる。

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今年は開演が午後2時半だったのだが、20近い団体が出場しているために終わったのが午後6時。長丁場であったが中身は充実していて愉しかった。

開会式では毎年「3000人の吹奏楽の歌」(大栗 裕作曲)が全員で演奏される。歌うのは池田市立呉服小学校の生徒たち。大栗 裕は「大阪俗謡による幻想曲」で有名な浪速っ子(故人)。作曲時には「2000人の吹奏楽の歌」だったそうだ。

マーチングのコンクール全国大会常連校である明浄学院高等学校や武庫川女子大学附属中学校・高等学校、大阪府立淀川工科高等学校(淀工)はさすが王者の風格。ただ、前から気になっているのだが、武庫川女子のユニフォームのセンスは如何なものか?先生の好みなのだろうが色彩感覚に品がないんだよね。

グランドいっぱいに広がってパフォーマンスを展開するために大抵の団体が複数の指揮者(ドラムメジャー)を配し、多い時は5人くらいに及ぶこともある。しかし淀工の場合は丸谷明夫先生(丸ちゃん)ひとりが指揮し、それでもアンサンブルが乱れないのだから凄いなと感心した。

淀工が「千の風になって」を演奏した時は司会進行役の三倉茉奈(トランペット)・佳奈(サクソフォン)姉妹も参加。歌も披露してくれた。彼女たちは今年で「3000人の吹奏楽」出場8年目だそうである。ふたりっ子ことマナ・カナももう21歳、大学4年生である。月日が経つのは早いものだ。え?楽器の腕前?まぁ芸能人だし、練習時間もなかっただろうからノーコメントということで(笑)。

今回特に目を引いたのは向陽台高等学校ウィンドバンドであった。マーチングは軍隊マーチを起源とするわけだが、向陽台はその整然とした隊列、きびきびとした動きなど、正に正統派と呼ぶに相応しいものであった。実に清々しかった。

マーチングだけでなく箕面自由学園高等学校チアリーダー部「ゴールデン・ベアーズ」のダイナミックな演技もあった。ここは2001年から2006年までジャパンカップで6連覇中の名門で、要するに高校生のチアでは日本一のチームである。空中高く舞い上がり、クルクルッと回転するのもお茶の子さいさい。とにかく唖然呆然である。

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上記写真はクライマックスで丸ちゃんの指揮下、出場者全員のパフォーマンス。後方の生徒たちは手に光り物を持っていて、この後場内のライトが消えて光の競演に突入。途中指揮棒の光が薄れ、丸ちゃんが何事か叫んでいるのが聴こえた。係りの人がすかさず代替の光る棒を持ってきたので演奏のほうには大きな支障は無かった。そして最後はドドーンと盛大な打ち上げ花火。圧巻の幕切れだった。

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2007年6月26日 (火)

古楽器によるハイドン&日本テレマン協会

大阪では屈指の音響の良さを誇るいずみホールで延原武春/テレマン室内管弦楽団・合唱団によるハイドンのオラトリオ「四季」を聴いた。クラシカル楽器(古楽器)でこの曲が演奏されるのは日本初だそうである。

古楽演奏の中心地といえばオランダベルギーである。リコーダー奏者で、後に18世紀オーケストラを創設するフランス・ブリュッヘン、オルガン奏者で後にアムステルダム・バロック・オーケストラを創設するトン・コープマンは共にオランダ生まれ。チェンバロ奏者のグスタフ・レオンハルトやバロック・チェロ奏者のアンナー・ビルスマオランダ。古楽器アンサンブルで有名なラ・プティット・バンドの中心人物であるクイケン3兄弟(ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・ヴァイオリン、フラウト・トラヴェルソ)はベルギー生まれである。

でその次に世界的に名を成したのがイギリスデイヴィッド・マンロウ(故人)率いるロンドン古楽コンソート、クリストファー・ホグウッド率いるエンシェント室内管弦楽団、トレヴァー・ピノック率いるイングリッシュ・コンソート、ジョン・エリオット・ガーディナー率いるイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、ロジャー・ノリントン率いるロンドン・クラシカル・プレイヤーズなどが有名である。

そして第4の勢力として台頭してきたのが日本なのである。最早、古楽の世界で知らぬ人のいないバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の音楽監督、鈴木雅明さんはオランダに留学してトン・コープマンに師事した。BCJのメンバーで、今世紀に入ってオーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)を結成した鈴木秀美さん(雅明さんの弟)もオランダビルスマにバロック・チェロを学んだ。秀美さんは嘗て18世紀オーケストラやラ・プティット・バンドのメンバーだったこともある。BCJとOLCのコンサート・マスターである若松夏美さんはオランダに留学しバロック・ヴァイオリンをシギスヴァルト・クイケンに師事。彼女は現在も18世紀オーケストラのメンバー(18世紀オーケストラには3人の日本人が在籍している)。ラ・プティット・バンドのコンサート・マスターであり、時々BCJにも参加している寺神戸 亮さんもクイケンに師事している。フラウト・トラヴェルソ(バロック・フルート)の第一人者である有田正広さんはベルギーオランダに留学した過去を持つ。

僕は当初、モダン・ヴァイオリンとバロック・ヴァイオリンの相違が分からなかった。だって例えばかの有名な弦楽器製作者アントニオ・ストラディバリは17〜18世紀の人。それなのにストラディバリウスがモダン楽器と呼ばれるのは如何に??

その疑問が氷解したのは鈴木秀美さんの著書、「『古楽器』よ、さらば!」「ガット・カフェ」を読んだお陰である(鈴木さんはエッセイストとしても非凡な才能を持っていらっしゃる)。まずモダン楽器は湿気に強いスチール弦を張っているが、これが普及しだしたのは1950年頃からだそうで、それまではガット弦(羊の腸)だったこと。当然弾く弓も異なり、両者は明らかに音色が異なる。そしてのべつ幕なしに弦楽器奏者がビブラートをかけだしたのも20世紀以降のことで、それまではノン・ビブラート奏法が基本であったこと。鈴木雅明さんなんかは、延々とビブラートで弾く弦楽四重奏などは気持ち悪くて聴くに堪えないと仰っているようだ。フルートも現代のベーム式が登場する以前のフラウト・トラヴェルソはビブラートをかけずに吹いたのである。

あと驚くべき事実が判明したのは、なんとストラディバリが生きていた時代はバイオリンを首に固定する「顎あて」がなかったそうである。つまり現代のストラディバリウスに付いている「顎あて」は後世の人が勝手にくっ付けて改造したものなのである!チェロを床に固定するエンドピンもバロック・チェロには存在しない。だからバロック・チェロ奏者は両足でチェロを挟んで宙に浮いた状態で演奏するのである。

日本テレマン協会は1963年、当時大阪音楽大学の学生だった延原武春さんらがバロック音楽の啓蒙・普及を目指して結成したテレマン・アンサンブルに端を発する。もともとはモダン楽器による演奏団体だったのだが’83年、ビルスマとの共演を機にバロック楽器による演奏を始め、’90年よりバロック・ヴァイオリンの第一人者であるイギリスサイモン・スタンデイジがミュージック・アドヴァイザーに就任、その指導を受けて現在に至る。

だから日本テレマン協会の方が’90年に結成されたBCJよりも歴史が長いのだが、BCJの方が断然知名度が高く、実は僕も2年前大阪に住むようになるまでは日本テレマン協会のことは全く知らなかった。初めてその名前を聞いたのがザ・シンフォニーホールで20年以上続いている年末恒例行事「第九deクリスマス」。日本テレマン協会?なんやねん、それ?状態であった。

この原因は延原さんがあまりレコーディングに積極的でないことが大きいだろう。一方BCJは当初よりCDを沢山出しており、それによって世界的評価が高まったという経緯がある。延原さんは東京に演奏旅行するのも「めんどくさい」と言うような人なので、東京発でないと芸術的認知・評価をしてもらえない日本の実情ではこれは致し方ないのかもしれない(BCJは神戸で産声を上げたが、現在では精力的に東京で定期演奏会を行っている)。

テレマンの特徴はフットワークの軽さである。オリジナル楽器原理主義者とも言うべきBCJの鈴木兄弟に対して、延原さんは適宜モダンとバロック楽器を使い分ける。たまにシンフォニエッタ・テレマンという名称でシャンソンやジャズを演奏したりもする。

さて今回のハイドンである。まず演奏者の面々を見て驚いたのは大阪フィルハーモニー交響楽団のヴィオラ奏者、上野博孝さんが弾いていらっしゃったことである。調べてみると上野さんは以前テレマンのメンバーで、しかもヴィオラではなくヴァイオリンを弾かれていた事実が判明した。しかもサイモン・スタンデイジの弟子だったそうだ。テレマン室内管弦楽団の現コンサートマスター、中山裕一さんのインタビュー記事(2003/10/21)に詳細が書かれていた。

延原さんの指揮は、いつもテンポが速めで小気味好い。実に爽快なハイドンであった。古楽器の鄙びた響き、そしてすっきりとして素直なノン・ビブラート奏法はこの、のどかな田園風景を描くオラトリオに相応しい。

今回ハイドンの「四季」を初めて聴いて、ベートーベンの交響曲第六番「田園」を彷彿とさせるものを感じた。鳥の囀りが聴こえたり、農民たちの踊りや雷雨の場面があるなど両者に共通点は多い。また「四季」終曲の楽天的なまでの明るさは第九「合唱」に通じるところがある。考えてみればベートーベンはハイドンの弟子だった。交響曲第一番や二番はハイドンの影響が色濃い。ベートーベンは第三交響曲「英雄」で独自性を打ち出し、新たな地平を切り開いたわけだが、実はその人生の終極にはハイドン的世界に帰結していったのではなかろうか?今回僕にはそう想われた。

日本テレマン協会に関してはチェンバロの貴公子にして鬼才、中野振一郎さんのことも語らねばならないが、それはまた別の話。

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2007年6月24日 (日)

はなしょうぶ(花菖蒲)

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近所の公園に咲くはなしょうぶ。癒されるひと時。

しかし、まだ6月なのに暑いね!日本の夏は明らかに20年前のそれとは違う。これも温暖化の所為だろう。

ドキュメンタリー映画「不都合な真実」で元アメリカ副大統領のアル・ゴアが言っていた。地球温暖化の元凶は、二酸化炭素を大量に排出し続けるアメリカ合衆国と中華人民共和国にあるのだと。

特に日本は中国からの影響が大きいだろう。最近は黄砂も大量に飛来するようになったし。ペンキ塗って「山を緑化」したなんて出鱈目(インチキともいう)しないで、しっかり対策立てて下さいよ。ねぇ?

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2007年6月22日 (金)

しゃべれどもしゃべれども

評価:B

「一瞬の風になれ」で今年の本屋大賞および吉川英治文学新人賞を受賞した佐藤多佳子の小説を映画化。「一瞬の風になれ」は高校陸上部が舞台。これは、あさのあつこ「バッテリー」野球)、森 絵都「DIVE !! (飛び込み)と並んで、児童文学出身の女性作家たちによるスポーツ青春小説三部作と呼びたい。

森 絵都の直木賞受賞作「風に舞いあがるビニールシート」は確かに良い小説だが、僕は断固として「DIVE !!」小学館児童出版文化賞)を推したい。読んでて燃えたね完全燃焼オリンピックを目指す少年たちが熱い。そして清々しい。最高の青春小説だ。森 絵都、佐藤多佳子、あさのあつこ御三家による座談会がテレビ放送されたが、それによると「DIVE !!」は着実に映画化の企画が進行中らしい。是非実現してもらいたい。「一瞬の風になれ」も間違いなく映画化される。だって昨年までの本屋大賞受賞作(「博士の愛した数式」「夜のピクニック」「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」)は全て映画化されているのだから。

話が少々脱線した。まあ落語でいうところのマクラだと思って聞き流して欲しい。さて、映画「しゃべれどもしゃべれども」である。落語の話だ。考えてみれば噺家が主人公の映画というのは珍しい。あまり記憶にない。岩井俊二の「花とアリス」にもヒロインが落語に挑戦する場面はあるけれど、それが本筋じゃないからなぁ。

原作も軽妙で実に面白い小説なのだが、それを上手く交通整理し、且つオリジナルの味を損ねないように上手に脚色してある。平山秀幸 監督はまれに「レディ・ジョーカー」みたいなとんでもな映画を撮るけれど、基本的には手堅い職人なので(特に「愛を乞うひと」は傑作)今回もプロとしての腕前を見事に発揮し、見応えある佳作となっている。

主人公を演じた国分太一 が実にいい。活舌がよくて本物の噺家に見える。ジャニーズなのに不思議と和服もよく似合う。

仏頂面のヒロインを演じた香里奈もはまり役。ただ、原作では彼女のあだ名が<黒猫>であるということが映画でははっきり示されていないので、彼女が落語を披露するときに、何故お囃子が「ねこふんじゃった」なのかが観客に分かり辛いのが残念であった。

しかしとにかく出色だったのは大阪から東京に転校してきた少年を演じた森永悠希クンだろう。実際に森永クンは大阪出身だそうで、関西弁全開の「まんじゅうこわい」はおもいっきり笑かしてもろたわ。天才子役の出現である。

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2007年6月21日 (木)

THE QUEEN

評価:C+

ダイアナの死を契機に、混乱する英国王室の人間模様を描く映画である。ドラマらしいドラマはダイアナの死亡事故しかない(それも直截的に描かれるわけではない)ので、いささか退屈な展開である。

結局これはアカデミー主演女優賞を受賞したヘレン・ミレンの威厳に満ちた演技を見るために存在する作品といえるだろう。本作で彼女はエリザベス2世を演じているが、実はテレビのミニ・シリーズ「エリザベス1世 〜愛と陰謀の王宮〜」(2006)ではエリザベス1世を演じ、エミー賞で主演女優賞を受賞している(この作品は9部門受賞し、これはエミー賞の最多記録である)。WOWOWで放送されたので僕も観たが、ミレンは"THE QUEEN"とは全く異なる役作りで見事に両者を演じ分けていた。

映画でエリザベス女王が語るように、死亡時点でダイアナはチャールズと離婚が成立していたわけだからダイアナの死に対して、王室が半旗を掲げたり弔意を表する必要は全くないと僕も想う。しかし、世論に圧されて王室は態度を改めざるを得なかった。結局、ダイアナの美貌がエリザベス女王を屈服させたのである。ミュージカル「エリザベート」の中で、皇帝フランツ・ヨーゼフが皇后に対して「君の美貌が武器になる」と歌う場面があるのだが、本当にその通りなんだなと改めて思い知らせれた。美は全てを超越するのである。

ダイアナ以外の登場人物は今でも殆ど生きているわけだが、映画で一番気の毒に想えたのはブレア首相夫人。あそこまで悪意を持って描かれて本人は傷つかなかったのかな?皇族というのは法律的な意味での国民に当たらず、戸籍がないのだから当然基本的人権もない。だからどう描いても構わないだろうけれど、ブレア夫人は民間人。僕が彼女の立場だったら名誉毀損で訴えるだろうなぁ。

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2007年6月18日 (月)

エリザベートの想い出

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先日、宝塚大劇場で「エリザベート」雪組公演を観て来た。その感想を書く前に、まず僕と「エリザベート」そして宝塚との出会いからお話してみたいと想う。

宝塚歌劇を観る男は少ない。大劇場の客席を見渡しても、観客の軽く9割以上は女性である。男子トイレもいつも閑散としている。

ご多分に漏れず、僕も昔は宝塚というのはおんなこどもが観るもとと馬鹿にしていた。正直に告白するが男役が好きな女性たちは、おおかた同性愛的嗜好があるのだろうという偏見もあった。

インターネットを始めた頃は既にミュージカルは大好きだったので、関連したサイトはちょくちょく覘いていた。すると、どうも宝塚エリザベートは凄いらしいという噂が耳に入ってきた。ミュージカル好きの女性4人の座談会(茶話会?)が掲載されていて、彼女たちは普段は宝塚を観ないのだが、エリザベートにはいたく感動したということが熱く語られていたのだ。どうもウイーンから輸入されたミュージカルらしく、ご当地でも大人気だということも分かった。

それなら是非観てみたい。しかし宝塚に足を運ぶにはまだ抵抗がある。どうしよう……。そうこうするうちに宝塚エリザベートのビデオが販売されていることを知った。しかし雪組版と星組版がある。どちらがいいのだろう?その頃ミュージカル系のメーリングリスト(ML)に参加していたので、宝塚をよく観劇している方にメールで問い合わせてみた。すると歌唱力など総合的に判断すると初演の雪組版がお勧めとの返事を頂いた。

ビデオが届き、わくわくして観た。そして打ちのめされたなんて素晴らしいんだ!音楽も優れているし、話も工夫されていて面白い。死神が人間に恋をするなんて洒落ているじゃないか。なにより宝塚の生徒たち(宝塚では役者のことをこう呼ぶ)の実力の高さに感銘を受けた。ダンス、歌、いずれをとっても劇団四季や東宝ミュージカルに引けをとらない。端役に到るまで出演者全員がそんじょそこらじゃ見かけない美人揃いというのもさすがだなと想った。特に印象に残ったのが狂言回しの役どころである暗殺者ルキーニを演じた轟 悠(とどろき ゆう)さんである。ギリシャ彫刻を思わせる彫の深い顔の造詣、狂気を秘めたその眼差し。そして有無を言わせぬ圧倒的歌唱力。結局僕はその後、轟さんを含めると宝塚で7人(含むガラ・コンサート)、さらに男が演じた3人のルキーニを観たが、いまだに轟さんを超えるルキーニに出会っていない。

結局、すぐさま星組版も買い求めた。麻路さきさんのトート(死神)は確かに評判どうり歌に相当難があったが、長い指先の動きが美しく耽美系で、雪組の一路真輝さんの端正なトートとは一味違った魅力があった。

そしてこれは大劇場で生で観ねばと決意して宝塚デビューしたのが宙(そら)組エリザベートである。やっぱり舞台はライブにかぎる。特に大階段が登場する華やかなフィナーレには目が眩んだ。こうして僕の宝塚通いの日々は始まったのである。1998年のことだった。

宙組は当時まだ出来たてのほやほやで、端からエリザベート公演を念頭に編制されたと噂されただけのことはある充実ぶりであった。トートを演じた姿月あさとさんは、天海祐希さんに匹敵するくらいの人気と観客動員力があったのでチケット争奪戦は激烈を極めた。

そしてエリザベートを演じた花總まりさん(馴れ馴れしいが以下「花ちゃん」と呼ばせてもらう)。花ちゃんは退団まで13年間、娘役トップとして君臨した。これは1914年の宝塚歌劇団創設以来、前人未踏の大記録である。八頭身とも表される抜群のプロポーション、軽やかなダンス力。そしてあふれ出る気品、「宝塚の女帝」とも呼びたくなるような威厳、その圧倒的存在感。彼女以上の大型娘役は今後永遠に現れないだろう。彼女は初演の雪組と宙組で2回エリザベートを演じた。これも宝塚としては異例の抜擢である。

花ちゃんのエリザベートが後に演じた他の娘役たちを一切寄せ付けないその最大の魅力は豪華絢爛な衣装である。どうも彼女は歌劇団が用意したドレスではなく、自費を投じて新調したものを着ていた節がある。シルクをふんだんに使ったその質感は、てらてらと安っぽく光る他の娘役のそれとは明らかに違う。まさにそこにハプスブルク家最後の王妃がいたのである!

エリザベートに魅了され、心底惚れ込んだ僕はその後も花組、月組と再演があるたびに宝塚に足を運んだ。版権を一次的に委譲された東宝での上演も初演・再演を東京や名古屋で観た。東宝版の演出も宝塚版を手がけた鬼才・小池修一郎さんだが、全くコンセプトの異なるものであった。清く正しく美しくを謳い文句に愛」夢」を売る宝塚での上演に際し、小池さんはかなり大胆なカットや潤色をしている。ウィーン版にはない新曲「愛と死のロンド」が追加されたのもそのためである。結局東宝版でも「愛と死のロンド」は残されたが、その他についてはオリジナル通りの台本に戻り、宝塚版では曖昧にされていた性的表現も大胆に取り入れられた。こちらはこちらで刺激的でエキサイティングな舞台であった。

宝塚雪組の初演時にトートを演じた一路真輝さんは東宝版ではエリザベート(シシィ)を演じた。僕は一路さんのシシィは全く評価しない。この役が要求する音域に一路さんは全く合っていない。そして皇后としての品格も花ちゃんの方がはるかに上である。

東宝版で出色だったのはなんと言ってもトートを演じた山口祐一郎さんである。特にこのステージはオレのものとばかりに朗々とあの美声で歌った「最後のダンス」なんかは痺れたなぁ。陶酔状態の聴衆はやまゆうさんが歌い終わるやいなや熱狂的な歓声を上げる。正にショーストッパーとはこの人のことを指すんだなとひとり納得したものだ。

そして2007年の今年、遂にウィーンからキャスト・オケ・舞台装置がそのままやって来て「エリザベート」引っ越し公演が梅田芸術劇場で実現した(東京では装置なしのコンサート形式になったと聞く)。日本版の小池演出は具体的で実にわかりやすい。一言で言えばエンターテイメント性の高いものであるのに対して、ウィーン版は前衛的である。舞台全体が遊園地に見立てられていて、大観覧車やゴーカートなどに出演者が乗って物語が展開していく。出演者が駒になって巨大なチェス版の上を動く場面もある(ヨーロッパの公園にチェス盤が予め設置されていることは珍しくないようである)。日本の演出とは全く異なるのでそれなりに目を楽しませてくれるが、何度も観たいとは想わなかった。やっぱり僕は小池演出、特に宝塚版の方が好きだなぁ。

その宝塚版だが、5組を一巡したので今年は振り出しに戻って雪組公演が行われている(宝塚大劇場は本日で終了。東京公演は7月6日より)。

中国公演で「楊貴妃の再来」とまで絶賛された檀れいさん退団後、現在の娘役で最強の美貌を誇るのは白羽ゆりさんだろう。その白羽さんが今回エリザベートという難役に挑んだ。もう感想は文句なし!とにかく見目麗しいし、歌も安心して聴ける。今回のシシィは自己主張が強く猛々しい。普段はおっとりした白羽さんがこのような役作りをしてきたことに驚かされた。特に第2幕で、重いドレスを着ているのにスタスタと凄まじいスピードで舞台を横切って入ったのには意表を突かれた。しかし、考えてみたらそれもシシィらしい。僕はハナちゃんに匹敵する出来だと想った。

雪組の新トップ、水 夏希さんは爬虫類系のトートだった。トカゲというか蛇というか体温を感じさせない役作りで、シシィににゅるにゅると絡み付いてくる。「男役の格好良さ」は感じられないけれど、これはこれでユニークで実に面白い。

今回特に目を惹いたのは皇太子ルドルフを演じた凰稀 かなめさんだ。何と言っても立ち姿が美しい。まるで絵の中から飛び出してきたみたいな貴公子ぶりである。宙組エリザベートのルドルフでセンセーショナルな話題を振りまき、一躍大スターとなった朝海ひかるさんのことを想い出した。

さて、大人気のエリザベート、お次は東宝の再演がそろそろ来るのではなかろうか?その時は是非とも、花ちゃんのエリザベート復活でお願いしたいものだ。

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2007年6月15日 (金)

誰もいない指揮台

昨日、大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に行った。人気者の大植さんだから2日間ある定演でも補助席および立ち見が出る盛況ぶりだ。

しかし、開演の午後7時を過ぎてもまだ誰もステージ上に現れない。やがておもむろに大フィルの小野寺事務局長がひとり歩み出た。

「皆様にお知らせします。本日指揮をする予定だった大植英次はリハーサル中に体調を崩し、しばらく安静にして回復するのを待っておりましたが残念ながら医師から指揮台に立つのは不可能との診断を受けました」

会場がどよめく。結局、プログラム前半フォーレの「レクイエム」は合唱指揮者がタクトを振った。死んだマグロが横たわったような演奏だった。ただしこの場合、ブルペンで肩慣らしの投球練習も十分出来ないまま、急遽マウンドに立つよう指示されたリリーフ・ピッチャーみたいなものだから指揮者を責めるつもりは毛頭ない。透明感ある合唱は良かった。

休憩時間。一階ロビーの様子を見ると、チケット払い戻しを求める人々がカウンターに殺到している。後半は聴衆がだいぶ減るのかなと想ったが、実際には9割以上客席は埋まっていた。立ち見の人も帰らない。…ということは、払い戻しを受けた上で最後まで聴いて帰るちゃっかり者も相当数いるのだなと驚いた。

後半のブラームス作曲交響曲第四番は指揮者なし、首席コンサートマスターの長原幸太さん(26)がリードして演奏すると小野寺事務局長からアナウンスされていた。

僕がこの緊急事態で思い出したのはウィーン・フィルのコンサートマスターだったヴィリー・ボスコフスキーのことである。大指揮者クレメンス・クラウスの急死を受けて、1955年のニューイヤーコンサートはバイオリンを持ったままのボスコフスキーが指揮台に上がった。そして以後25年間の長きに渡りこのスタイルは定着した。

聴衆は皆固唾を呑んでステージを見守った。結局、長原さんはいつものコンサートマスターの定位置に坐って大きな身振りで演奏し、必要に応じて弓を振って音の出だしのタイミングを指示した。

室内オーケストラでは指揮者なしというケースもあるが、約90名の大編成では異例である。聴いているこちらも最初から最後までハラハラ緊張した。いくつかの箇所ではアンサンブルが乱れることもあったが、結果的には大変な熱演だった。期せずして大フィルの機動力の高さを観客に見せつける結果となった。一楽章が終わって拍手が起こったのも納得のいく充実した内容であった。そして全楽章が終わるとやんややんやの大喝采。大フルの奏者たちも皆一様に安堵と満足感に溢れた表情をしていた。ブラボー!お疲れ様、今日の貴方たちは本当に素晴らしかった。滅多に体験できない記憶に残る一夜をありがとう。"Show must go on"という英語の格言を思い出した。That's entertainment !

ホールを後にする時、ロビーを覗くとまたまた払い戻しを求める人々でごった返していた。あれだけの内容を最後まで聴かせて貰った上に、ずうずうしくも返金を求める大阪人のえげつなさに些か辟易した。しかし一方、午後6時に開場する時点で大植さんの降板は決まっていたわけだから、開演ぎりぎりまでその事実を伏せて払い戻しを極力防ごうとした楽団事務局の姑息なやり方に問題があったのも確かである。まあ、どっちもどっちだなという気がした。日付変わって本日は定期2日目。大植さんは復帰が無理そうなので、昨日同様の演奏形式で行うとの発表があったのはようやく午後5時半になってからのことである。大阪市内の病院に入院されているわけだから、もっと早い段階でその判断は出来ていたであろうに。

大植さんは今年の2月の定期演奏会もキャンセルされている。原因は首を痛めてドイツの病院に入院していたためだ。大フィルに電話でどうして首を痛めたのか尋ねたところ「指揮者特有の持病です」とのことだった。

昨年お亡くなりになった指揮者の岩城宏之さんも棒の振りすぎで首を痛め、頸椎後縦靱帯骨化症の手術を受けている。その経緯は岩城さんの著書に詳しく書かれている。

今回も大植さんは持病が再発したのかと心配したのだが、報道によると「めまい」だそうだ。ハードなスケジュールが祟ったのだろうか。大植さんは大フィルの音楽監督に加え、ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーの首席指揮者、さらにバルセロナ交響楽団の常任指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーも兼務している。是非ここは仕事量を減らし、ゆっくり静養してからまた元気な姿を見せて欲しい。

最後に余談だが、現在大フィルには長原さんと梅沢さんというふたりのコンサートマスターがいる。昨日はなんとふたりとも演奏していた。やっぱり音楽監督が振るということで気合が入っていたのだろう。ところが、秋山和慶さんが振った3月の定期と井上道義さんが振った5月の定期にはふたりの姿はなく、客演のコンサートマスターだった。客演指揮者の人たちがちょっと気の毒。

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2007年6月14日 (木)

なにわ《オーケストラル》ウインズ2007

なにわ《オーケストラル》ウインズ2007のCDがまもなく発売される。僕は5月4日ザ・シンフォニーホールで行われたコンサートを聴きに行ったので、遅ればせながらこの楽団についてご紹介したいと想う。

なにわ《オーケストラル》ウインズ(略称NOW)は2003年に産声を上げた。大阪フィルのクラリネット奏者、金井信之さんが音頭をとり、普段はオーケストラで演奏している関西在住の管楽器奏者を主体として、年一回大阪に集結しザ・シンフォニーホールで吹奏楽のコンサートを行うのだ。評判が評判を呼び、最近では東京のプレーヤーの参加も増えた。例えば天下のNHK交響楽団からは、初回がゼロだったのに、2007年は3人の参加があった。

またこの楽団を指揮するのがプロではなく学校の先生であるというのも大きな特徴である。淀工の丸谷明夫 先生(丸ちゃん)は毎回指揮と司会進行を担当されている。そして全国の中学高校の先生の中から選ばれたゲストコンダクターも登場する。今年は鹿児島県に初めての吹奏楽コンクール全国大会金賞をもたらした松陽高校吹奏楽部顧問の立石純也 先生が招聘された。

なにわ(NOW)の特徴は奏者ひとりひとりがべらぼうに上手い事は勿論だが、普段オーケストラの中にいる人達なので、ガンガン鳴らすのではなく音色が柔らかく滑らかなことがまず挙げられるだろう。響きが非常によく溶け合う。特に2003年のCDに収められた「大阪俗謡による幻想曲」は指揮の丸ちゃんお得意の曲なので空前絶後の超名演である。今年は発足5周年ということで初の東京公演も行われた。詳細については今更なので、下記ブログのレポートをご参照あれ。

ほのぼのメモ書き

テレビの底辺から愛をこめて

今回僕は全く別の切り口で、NOWとはどういう人達の集まりなのかということを探ってみたい。

「ブログの女王」眞鍋かをりの出現以降、最近は「日本国民一億総ブログ時代」に突入したと言っても過言ではない。NOWに参加している音楽家もご多分に漏れず、結構多くの人がブログを立ち上げているのを発見。なかなか興味深いことが書かれている。

広響めぐみのフルートダイアリー(←この写真には吃驚した)

東フィルオーボエ奏者「Chezかせっち」別荘

群響クラリネット奏者Chezのだっち

大阪センチュリー交響楽団コントラバス奏者内藤謙一さんのブログ

日本フィルのチューバ奏者次田心平さんのブログ

東響チューバ奏者いさおのブログ(←凄まじいスケジュール!)

ソプラノサックス奏者堀江祐介さんのブログ

ね?こうやって並べてみて、はじめて見えてくる風景というものがあるでしょう? かつては吹奏楽に青春をかけた少年・少女だった彼らがNOWに注ぐ熱い想い、音を奏でることへの率直な喜び。「こんな先生に教えてもらいたかった」という丸ちゃんに対する深い敬意。そしてNOWを裏で支える淀工の生徒たちの献身。こうやってプロに可愛がられて、裏方仕事の合間に演奏上のヒントを示唆してもらえるというのも淀工の強みなのかも知れない。

NOW2007…コンサートに行けなかった貴方も、是非CDで追体験してみて下さい。決して後悔はしないから。

関連記事:
たっぷり!なにわ《オーケストラル》ウィンズ2008

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2007年6月12日 (火)

淀工サマーコンサート 2007

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大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部(通称:淀工)のサマーコンサートを聴きに行った。所は淀工のお膝元モリカンこと、守口市市民会館(さつきホールもりぐち)である。淀工のコンサートといえば毎年1月にフェスティバルホールで行われるグリーンコンサート(通称:グリコン)が有名である。フェスティバルホールは2700人の収容人数を誇るところだが、淀工は土日の2日間、計4公演全てを満席にするという超人気者である。サマーコンサートも週末に4公演あるのだが、補助席が出た上に、立ち見まであるという盛況ぶりであった。

吹奏楽の世界において淀工というのはアマチュア・バンドの輝ける星である。とどかぬ憧れであり、永遠の目標と言い換えても良い。全日本吹奏楽コンクールで全国大会に29回勝ち進み、20回金賞受賞という記録は高校の部では前人未踏の記録である。この吹奏楽部を40年以上にわたり指導してこられたのが丸谷明夫先生である。普通科の公立高校であれば必ず教師の移動がある。淀工がこれだけ全国一の吹奏楽名門校となれたのは、工業高校という特殊性もあるだろう(所詮は素人高校生である。吹奏楽の顧問が代わって地に落ちた、嘗ての「名門校」はそこらじゅうごろごろ転がっている。要は指導者次第なのだ)。丸谷先生に吹奏楽の指導を受けたOBは既に1600人を超えているという。

稲本 渡さんという淀工出身のクラリネット奏者がいる。このひと、なんと現在オーストリアの音楽大学に留学中である。

先日なにわ《オーケストラル》ウインズという、プロのオーケストラ奏者が集まって吹奏楽曲を演奏するという大阪恒例のイベントを聴きに行ったのだが、そこで指揮をされた丸谷明夫先生が九州交響楽団のオーボエ奏者、徳山奈美さんを「うちの吹奏楽部出身なんです」と紹介されていた。

淀工がコンクールで演奏する「ダフニスとクロエ」や「スペイン狂詩曲」などを吹奏楽用に編曲した立田浩介さんも淀工のOB(トロンボーン)だそうである。

また、今回のサマーコンサートではOBの演奏があり、丸谷先生は「この子はいま立命館大学在学中です」「この子は関西外国語大学に行っています」「彼女は今、中学校で音楽を教えています」等とメンバー紹介をされていた。一体、淀工は本当に工業高校なのか!?……要するに丸谷先生の指導を受けたいがために、音楽のために他のすべてを捨てて淀工に入学した生徒が沢山いるということなのだろう。

クラシック音楽界では、桐朋学園大学の斉藤秀雄という有名な先生(故人)がいて、斉藤先生の門下生としては作曲家の山本直純、指揮者の小澤征爾、秋山和慶、大植英次、ビオラ奏者の今井信子、チェロの堤剛といった錚々たる音楽家を輩出し、サイトウ・キネン・オーケストラは世界的に高い評価を受けている(日本人の弦楽器奏者の実力は恐らく今、ユダヤ人に次いで2番目位である。ここまでのレベルに引き上げたのはチェリストでもあった斉藤秀雄の功績を置いてない)。言ってみれば丸谷先生は「吹奏楽界の斉藤秀雄」なのである。

正直に告白しよう。実は中・高校の吹奏楽部時代を岡山で過ごした僕は丸谷先生のお名前を、昨年の9月まで知らなかった。きっかけは「淀工吹奏楽日記〜丸ちゃんと愉快な仲間たち」という2枚組みのDVDが発売され、吹奏楽名門校の秘密を知りたいと購入したことである。13年間におよぶ密着取材、全55話収録時間7時間37分という長大なドキュメンタリーなのだが、あまりに面白すぎて一気呵成に観た。そして丸谷先生(以下親しみを込めて”丸ちゃん”と呼ばせて頂く)の人となりに心打たれ魅了された。

そして12月、今度は淀工がコンクール全国大会に出場した時の演奏を記録したDVD「淀工・青春の軌跡 1986〜2005」が出て、すぐさま予約購入。その名演の数々に圧倒され、丸ちゃんは指揮者としての才能も桁外れだということを思い知らさせた。凄いなと感嘆したのは同じ金賞でも1986の演奏と2000年に入ってからのそれが明らかに違うことである。淀工は進化している。昔のものは粗さはあるが若々しい勢いが魅力のバンドだった。ところが、近年の「ダフニスとクロエ」や「スペイン狂詩曲」を聴くと、粗さが影を潜め繊細緻密でフランス音楽がよく似合うバンドに変貌しているのである!「ダフニスとクロエ」なんかオリジナルのオーケストラ版よりも良いんじゃなかろうかとさえ想った。恐るべし、丸ちゃん。

また、淀工が最も輝くのはマーチを演奏している時である。きびきびと引き締まったテンポ、強弱がはっきりしてメリハリのある音楽の豊かな表情。恐らくプロの指揮者も含めて丸ちゃんはマーチを振らせたら世界一だろう。マーチを指揮する時の丸ちゃんの顔も本当に幸せそうだ。

なにわ《オーケストラル》ウインズにも参加しているNHK交響楽団クラリネット奏者、アッキーこと加藤明久さんは月刊誌「バンド・ジャーナル」に連載を持っている。NHK交響楽団は昨年初めて吹奏楽コンサートを行ったのだが、それを指揮した山下一史さんを加藤さんはエッセイで徹底批判し、話題になった。要旨はこうだ。

リハーサルでまだ時間が余っているのにマエストロは「マーチは明日にしましょう」とさっさと帰ってしまった。皆がっかりした。マーチを疎かにする奴は吹奏楽を振る資格がない。丸谷明夫がマーチのことをいかに熱く語っていたかを思い出し、実に情けなくなった。結局本番の「星条旗よ永遠なれ」ではテンポが揺れて一定せず、観客が手拍子も出来ないという体たらくだった。

加藤さんのなにわ《オーケストラル》ウインズでの面白いエピソードが掲載されているので、オーボエ奏者かせっちさんのブログを紹介しておく。こちらをクリック。

さて、そろそろ本題に入ろうか。僕が初めて淀工の演奏を生で聴いたのが今年のグリコン。そして今回、丸ちゃんの指揮で聴くのは既に5回目である。淀工のサマーコンサートはグリコン同様、2回の休憩を挟んで3部構成になっている。第1部がコンクール・メンバー候補(と思われる)50人程度の少数精鋭による演奏。2部がOB演奏。3部が二・三年生100名以上による演奏で、新一年生は踊り(ヤングマン、幸せなら手をたたこう)や唄(明日があるさ、千の風になって)を担当する。

1部ではコンクール課題曲の指揮者体験コーナーがあった。会場から我こそはという人が手を挙げて、丸ちゃんが指名する。京都や滋賀の学校の先生、さらに東京からやって来たアマチュア吹奏楽団の指導者らが指揮台に上がった。そして次に演奏されたのが今年淀工がコンクール自由曲に選ぶであろう「ダフニスとクロエ」。実は淀工は近年のコンクール自由曲で「ダフニス」「スペイン狂詩曲」「大阪俗謡による幻想曲」の3曲をローテーションで演奏しており、今年4巡目が来るとしたら「ダフニス」の順番なのである。ちなみに淀工は「大阪俗謡」で過去5回金賞を受賞している。

繰り返し同じ曲を取り上げることについては当然一部から批判の声が上がっている。「もう飽いた」「そこまでして金賞が取りたいか」等々。しかし、プロではなくて所詮はアマチュアである。目新しい新曲に次々と挑戦するのではなく、一曲一曲を丹念に時間を掛けて練り上げる、そういう団体もあって良いのではないかと僕は考える。それに本来コンクールはお客さんに聴かせるためにあるのではない。学校教育の場でもあるのだから。そう考えると何故3曲ローテーションなのかというのも見えてくるだろう。高校生活は3年間である。一人の生徒が同じ曲を何度もコンクールのために練習する必要がないように配慮されているのではなかろうか?そして現役を指導しに来るOBも同じ曲の経験があれば、それが大きな財産になるではないか。丸ちゃんはそこまで考えているのだろう。

で、肝心の「ダフニス」の出来の方だが大方8割程度とみた。現時点で既に全国大会出場のレベルには達しているが、DVDに収録されている過去の神がかった演奏の境域にはまだまだ遠い。しかし本番まで2ヶ月もある。それまでに丸ちゃんは当たり前のように完璧に仕上げて来るに違いない。今回物足りなく感じたもうひとつの要因は「ダフニス」の指揮が出向井誉之先生だったこともあるだろう。グリコンの「吹奏楽のための木挽歌」も出向井先生だったのだけれど、引き締まった丸ちゃんに比べると出向井先生は手綱が緩いというかテンポ感が悪い気がする。そして音楽表現が良く言えば端正、悪く言えば淡泊で表情が乏しいのだ。アマチュアといえど、指揮者の違いは如実に演奏に表れるのである。

3部ではオリンピックの曲が演奏された。実は淀工は今年の7月に北京五輪のプレイベントで日本代表として中国に招待演奏に行くことが決まっている(コンクール直前なのだが)。今回披露されたのはTHE OLYMPICS:A CENTENNIAL CELEBRATIONという曲でメドレーになっている。まずアイーダ・トランペットが登場しアルノー作曲「オリンピックのテーマ」から華々しく始まる。そしてジョン・ウイリアムズ作曲のロサンゼルス五輪のファンファーレとテーマ、さらにアトランタ五輪のために書かれた「サモン・ザ・ヒーロー」へと続く。五輪のために書かれた名曲揃いなので聴き応えがあった。それに丸ちゃんがジョン・ウイリアムズを振るのも初めてじゃないかな?ジョンの公式ファンクラブに入っていたこともある僕としてはとても嬉しかった。

淀工名物「ザ・ヒットパレード」は必ず最初「パラダイス銀河」から始まる。そこでクラリネットが客席に降りてきて演奏するのも恒例となっている(DVD「淀工・青春の軌跡」にも収録されている)。それを予め知っていたので僕は通路脇の席を確保していた。予定通りクラの子が至近距離で吹いてくれた。しかし……う、うるさい(笑)。余りに近すぎるのも考え物だなと反省した。

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2007年6月 8日 (金)

「のだめ」効果

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーベン・チクルスを聴いたとき、面白い出来事があった。僕の隣に坐っている人がどうも新聞記者と音楽評論家みたいなのだ。「先生、今日はどこかの社から公演評を頼まれてます?次回は是非ウチの方にも書いて下さいよ」なんて話をしているのだ。耳をダンボにして聞いていたら、こんな会話が飛び込んできた。

評論家「ほう、今日は補助席まで出て盛況だね。さすが大植さん、人気者だな」

記者「いや先生、最近は関西フィルさんや大阪センチュリーさんの定期演奏会でも補助席が出るんですよ」

評論家「(心底驚いて)へぇ〜、そうなのかい!」

記者「(クラシック音楽業界を取り巻く)状況はかなり良くなってきています。やっぱり『のだめ』効果は絶大ですね。ベト七(ベートーベンの交響曲第七番)やブラ一(ブラームスの交響曲第一番)をやれば確実に客が入るので、今のうちに稼いでおかないとね」

「のだめカンタービレ」で一番稼いだ音楽家はNHK交響楽団の首席オーボエ奏者:茂木大輔さんだろう。茂木さんへの取材について、二ノ宮知子の謝辞が登場するのはコミックスの第10巻からである。ドラマ化されたときも茂木さんは音楽監修としてスタッフに名を連ねていた(NHKの社員がフジテレビに協力していいのか!?)。

で、茂木さん、自ら企画・指揮・おはなしの三役をこなしながら「生で聴く”のだめカンタービレ”音楽会」を全国で展開中である。兵庫芸術文化センターではこの音楽会をなんと8月に3連続公演もやる!オーケストラは大阪センチュリー交響楽団なのだが、S席がなんと6500円!暴利を貪っている(ちなみにセンチュリーの定期演奏会での一番高い席は5000円である)。ところがこれが即日完売、しかも発売後3分でというのだから凄まじい。

そうそう、大阪フィルハーモニー交響楽団の若きコンサートマスター、長原幸太さん(26)は東京ではのだめオーケストラのコンサートマスターもやっている。今年3月に幸太さんと結婚した千葉清加さんのだめオーケストラのメンバーだそうだ。のだめ効果は色々なところに波及している。

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2007年6月 7日 (木)

21世紀のベートーヴェン像

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団による、ベートーヴェン・チクルスをザ・シンフォニーホールで聴いた。演奏されたのは交響曲第一、二、三番(英雄)。

対向配置(第1バイオリンと第2バイオリンが舞台の左右に別れ対面する形)で、その中央にビオラとチェロ、そしてコントラバスはオーケストラの一番後ろに横一列でずらりと並ぶ。この対向配置は第1,2バイオリンが隣同士に並ぶのを見慣れた現代では異様に映るが、古典派の時代から1950年ごろまではオーケストラの常識的形態だった。

現在の弦楽奏者の大半はスチール弦を使っている。バロック・チェリストの鈴木秀美さんによると、1950年ごろまで世界中のオーケストラ奏者はガット弦(羊の腸)を使っていたそうだ。

また、指揮者のロジャー・ノリントンの話では弦楽奏者たちがビブラート奏法をしだしたのは20世紀になってからのことで、それまではノン・ビブラートが常識だったとか。このように20世紀を境にオーケストラは大きく様変わりしたようだ。

フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラや、ジョン・エリオット・ガーディナー/オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティクなど古楽器を用いたベートーベン演奏の出現で、ベートーヴェン以前の作曲家は古楽器で聴くのが当たり前の時代がやってきた。また、現代オーケストラでベートーヴェンをする場合もバロック・ティンパニを用いたり、ノン・ビブラートで演奏するいわゆる「ピリオド(時代)奏法」が流行である。

モダン・オーケストラでいわゆる「ピリオド奏法」を始めたのはオーストリアのニコラウス・アーノンクールである(かつて18世紀オーケストラのメンバーで、現在は古楽器によるオーケストラ・リベラ・クラシカの指揮者でもある鈴木秀美さんは「ピリオド奏法?いつの時代の?スチール弦で?」とこれに否定的な意見を持っている)。イギリスのノリントン、アーノンクール直々に伝授されたサイモン・ラトル、そしてアメリカのデイヴィッド・ジンマンらがこれに続いた。日本では金 聖響さんらが積極的にこれに取り組んでいる。ノリントンがNHK交響楽団を指揮した演奏会では、ノン・ビブラート(ノリントン曰く"pure tone")でモーツァルトがこれほどまでに新鮮に聴こえるのかと驚かされた。最近ではラトルやアーノンクールが指揮台に立つときは、天下のウィーン・フィルやベルリン・フィルでさえ果敢に、いわゆる「ピリオド奏法」に取り組んでいる。その際に奏者を減らし、作曲者が生きていた時代の様式に合わせ、小編成で演奏されることも当たり前になってきた。オーケストラは今、激動の過渡期にある。

さて、大植さんのベートーヴェンである。大阪フィルハーモニー交響楽団を創設し実に54年間率いていた朝比奈 隆・前音楽総監督はベートーヴェンとブルックナーを最も得意としていた。その大フィルでベートーヴェンの交響曲全曲を指揮するというのは並大抵の覚悟では出来ない。朝比奈の築いた伝統を壊してはいけない。しかし同時に21世紀の新しいベートーヴェン像を観客に示さなければならない。大植さんの置かれた立場は難しいものだったに違いない。だから大植さんは非常に慎重だった。大植さんが大フィルの音楽監督になったのが2003年4月。それから実に4年間をかけて、途中「英雄」など数曲のベートーヴェンを披露しながら着実に準備をしてきたわけだ。

今回使用された楽譜は従来のブライトコプフ版ではなく、1996年に出版されたジョナサン・デル・マー校訂によるベーレンライター版。ジンマン指揮の交響曲全集CDで初お披露目され話題となった。ラトル/ウィーン・フィルの演奏でも採用され現在では主流となってきている。対向配置、そしてベーレンライター版の使用。新しい時代の解釈を取り入れながらも大植さんはノン・ビブラート奏法は採用しない。そして時代を逆行するかのようにステージ狭しと居並ぶ大編成オーケストラ。つまり大植さんの師匠であるバーンスタイン、そして朝比奈、カラヤン、ベームといった往年の大指揮者たちによる演奏様式と、新しい時代の潮流との折衷案を示し「これが大フィルが演奏する21世紀のベートーヴェン像だ!」と高らかに宣言したのである。

大植さんの「英雄(エロイカ)」を聴くのはこれで3度目である。僕は2楽章のテンポ設定に前から疑問を感じていた。遅すぎるのだ。(ベートーヴェンが指定したメトロノーム速度を忠実に守る)古楽器オーケストラによる颯爽としたエロイカに慣れてしまうと大植さんの解釈はいかにも重過ぎる。まあ「葬送行進曲」なのだから、このように息も絶え絶えで足を引きずるような2楽章もありだとは想うが、あとは好みの問題であろう。

従来よりエロイカは壮大深刻な1,2楽章に比べ3,4楽章が明るく軽いことが音楽評論家の間で問題にされてきた。全体を通してのバランスが悪いのだ。テンポが速く軽やかな古楽器オーケストラが登場して、この問題は解消された。だから大植さんの解釈だと、どうしても2楽章と3楽章の落差に戸惑ってしまう。

しかし、初めて聴いた大植さんの一番と二番の交響曲は文句なしに良かった。小気味好いテンポ、生き生きとして瑞々しい音楽の表情。そこには将来の夢をいっぱい胸に秘めた青年ベートーヴェンの若々しい姿が鮮烈に描かれていた。整って切れ味のよいオーケストラのアンサンブルも秀逸で、時代錯誤とも言える大編成が些かも気にならなかった。大フィルは新音楽監督の下で着実にそのレベルを上げているのが実感できて嬉しい。今回の演奏を聴いて、モダン楽器によるベートーヴェンも捨てたもんじゃないなと想った。

ベートーヴェン・チクルスは年末の(朝比奈の命日に演奏される)第九にむけてまだまだ続く。これからも大いに期待したい。

また、7月6日にはオリジナル楽器原理主義者:鈴木秀美さんがオーケストラ・リベラ・クラシカを率いていずみホールでベートーヴェンの一番とエロイカを演奏する。彼らの初来阪公演となる。リベラ・クラシカは2001年に結成、2002年に高山と東京で旗揚げ公演をした古楽器オーケストラである。彼らはまずC.P.E.バッハとハイドンの初期交響曲を取り上げ、定期演奏会ごとに時代を下って、ハイドンの後期交響曲、モーツァルトへと進んできた。そして今回、満を持してベートーヴェンを世に問う。これはまだ東京の定期でも取り上げていないプログラムである。こちらもどのような演奏になるのか、固唾を呑んで見守りたい。

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2007年6月 5日 (火)

ツォツィ

評価:B

公式ページはこちら

2006年アカデミー外国語映画賞を受賞した南アフリカとイギリスの合作である。アフリカ大陸に初めてのオスカーをもたらした。舞台はヨハネスブルク。AIDSと貧困にあえぎ、ストリート・チルドレン、少年ギャングに溢れかえる街。原作者のアソル・フガードは白人である。多分その所為だと想うが、この映画は黒人の少年(最近、アメリカでは「黒人」ではなく「アフリカ系アメリカ人」と呼ぶのが流行っているが、この場合どうなるのだろう。アフリカ系アフリカ人?)が主人公なのだが、映画はキリスト教の価値観で全体が貫かれている。テーマはずばり「贖罪」。血塗られたツォツィ(不良という意味)に救いはあるのか?というお話だ。だから「レ・ミゼラブル」を書いたビクトル・ユーゴーに精神的に近いものを感じた。

少々話が出来すぎという気はするし、キリスト教的観念が異教徒にも通用するのかという疑問もあるが、感動的で完成度の高い作品であることは確かである。映画の終盤で近くに坐っていた女性が、号泣して激しくすすり上げていたのは些か引いたが。

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2007年6月 2日 (土)

ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習

評価:C+

架空のカザフスタン人ジャーナリスト:ボラットがアメリカ大陸を横断しながら巻き起こす騒動をドキュメンタリータッチで描くコメディ映画である。この映画に登場する人々の多くは役者ではなく一般人であり、撮影中もボラットがカザフスタン人であると信じていたようだ。だからボラットの過激発言・奇行に戸惑っている姿は本物のリアクションであり、迫真の演技(?)だ。当然映画公開後、「だまされた!」と激怒する出演者達もいるわけで、映画会社はたくさんの訴訟を抱えている。ボラットをジャーナリストと本気で思い込んでニュース番組に出演させてしまったミシシッピ州のテレビプロデューサーは責任を問われて気の毒にも解雇されたそうである。

作者がこの映画を通じて描きたかったのは異邦人の目を通して写る「奇妙な国アメリカ」の実態だろう。これは、子供を主人公としてアメリカという国の姿を笑い飛ばすアニメーション「サウスパーク」の手法に似ており、その点では成功している。

ただ、散発的なギャグにクスクス笑いは出来るが、それぞれが有機的に結びついている訳ではないのでだんだん飽きてくる。シモネタも多く、ちょっと行き過ぎ。最低限守るべき品位の一線を軽く越えてしまっているのはいただけない。

「金返せ!」とは言わないが二度と観ようとも想わない。テレビで十分じゃないかな(過激過ぎて放送出来ないかも知れないけれど)。

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