真風涼帆(主演)宝塚宙組「アナスタシア」と、作品の歴史を紐解く。

11月23日(祝)宝塚大劇場で『アナスタシア』を観劇した。

1997年に公開されたアニメーション映画『アナスタシア』に着想を得たミュージカルで、2017年4月24日にブロードウェイで開幕。以降、2019年3月まで2年間に及ぶロングラン上演となった。日本では2020年3月にヒロイン・アーニャ(アナスタシア)を木下晴香と葵わかなのダブル・キャストで東京公演が行われたが新型コロナウィルス禍の影響で度々中断され、4月に梅田芸術劇場で予定されていた大阪公演は全て中止となった。僕は購入していたチケットの払い戻しをする羽目になった。また当初6〜7月に予定されていた宝塚歌劇版も延期となり、漸く11月7日に幕が開いた。

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1990年代初頭、ウォルト・ディズニー・スタジオは『アラジン』(1992)、『ライオンキング』(1994)などの大ヒットで第二次黄金期を迎えていた。 映画『アナスタシア』はフォックス・アニメーション・スタジオの第1回長編作品で、アカデミー賞の作曲賞と歌曲賞にノミネートされた。

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ミュージカル仕立てを基本とするディズニー・アニメのスタイルを踏襲した本作はちゃんとヒットしたが、次作のSFアニメ『タイタンA.E.』が7500万ドルの製作費に対し、たった2200万ドルの収入で大赤字となり、2000年にはスタジオが閉鎖された。 一方ワーナー・ブラザースはブラッド・バードを監督に迎え1999年に『アイアン・ジャイアント』を製作したが、こちらも興行的に振るわず、ワーナーはアニメーション部門を凍結、ブラッド・バードはピクサーに移籍し『Mr.インクレディブル』『レミーのおいしいレストラン』でアカデミー賞を受賞することになる。こうしてセル画による2Dアニメーション映画の相次ぐ失敗を受け、ハリウッドの各スタジオは3DCG(3次元コンピューターグラフィックス)への完全移行を余儀なくされた。

なお20世紀フォックスという映画会社そのものが2019年にディズニーに買収され消滅したため、現在映画『アナスタシア』はDisney+から配信されている(こちら)。

ブロードウェイ・ミュージカル版はアニメから引き続き作詞:リン・アレンス、作曲:ステファン・フラハティが担当した。このコンビはブロードウェイ・ミュージカル『ラグタイム』でトニー賞の楽曲賞を受賞している。他にドクター・スースの絵本を原作とするミュージカル『スーシカル(Seussical)』がある。僕は『ラグタイム』の音楽が大好きなのだが、1998年のトニー賞に12部門ノミネートされながら、台本賞・楽曲賞・助演女優賞(オードラ・マクドナルド)・オーケストレーション賞しか受賞出来なかった。実はこの年の対抗馬がディズニー製作のミュージカル『ライオンキング』で、ミュージカル作品賞・演出賞をはじめ話題を全てそちらに持っていかれてしまったのである。WASP/ユダヤ人/アフリカ系アメリカ人(黒人)の対立を描くという題材の難しさもあって、日本での『ラグタイム』上演は未だ実現していない。

また舞台版『アナスタシア』の台本を書いたテレンス・マクナリーは「愛!勇気!同情!」や「マスター・クラス」などでトニー賞を4回受賞した劇作家で、2020年新型コロナ感染症で亡くなった。彼はアニメ版に関わっていない。

アニメ版から舞台版への移行で最も大きな変更点は敵側の設定である。アニメ版ではロシアの怪僧ラスプーチンの亡霊(本人はロシア帝政末期1916年に暗殺された)がアーニャの前に立ちはだかった。しかし舞台版でラスプーチンは一切登場せず、ボリシェヴィキの警視副総監グレブ・ヴァガノフが新たに設定された。正直このグレブという新キャラクターに全く魅力がなく、彼抜きでも物語は成立するのでは?という気がする。ただグレブを省くと、大本のネタであるイングリット・バーグマン、ユル・ブリンナー主演の映画『追想(原題はAnastasia)』(1956年、20世紀フォックス)と全く瓜二つになってしまう。苦しいところである。僕は元々バーグマンが2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した『追想』も大好きで、アルフレッド・ニューマンの音楽も素敵だ。このロマンティックな物語には何か強く惹かれるものがある。

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僕はアニメ版『アナスタシア』を1997年12月の日本公開時に映画館で観ているし、音楽が大いに気に入ってサントラCDも購入した。だから待望の舞台版である。

プロローグの"Once upon a December"(昔々、ある12月に)や、アカデミー歌曲賞にノミネートされた"Journey to the Past"(過去への旅)は舞台版にも流用された。一方で当然ながらラスプーチンの歌はことごとく廃棄され、沢山の新曲が加わった。

ロマノフ王朝の末裔、皇女アナスタシアがロシア革命時の処刑から難を逃れて生きているという伝説は実際に根強くあった。しかし結局2007年までに皇帝一家全員の遺骨が発掘され、遂に生存者なしと確認された。

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偽アナスタシアの中でも有名なのがアンナ・アンダーソン。彼女の死後10年が経過した1994年にDNA鑑定が実施され、漸く偽者(僭称者)であることが判明した。

さて、宝塚歌劇版の出演は真風涼帆、星風まどか、芹香斗亜ほか。グレブ・ヴァガノフを演じた芹香は影が薄かった。華がない。果たしてこれで将来、トップになれるのか?

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真風は鷹揚としたトップで、存在感があってセンターがよく似合う。星風はきりりとして逞しく、芯が強いアーニャにピッタリ!このふたりは文句なし。

潤色・演出の稲葉太地は場面転換がスピーディで「盆(回り舞台)」の使い方が抜群に上手い!背景を彩る映像とのコンビネーションも手練れの技で、特に雪景色の中を疾走する列車の場面は絶品だ。

待ちに待った公演であり大満足、2021年2月11日にBlu-rayが発売されたら必ず購入するつもりなのだが、最後に一言だけ文句を言わせてください。

第一幕フィナーレで名曲中の名曲、"Journey to the Past"(過去への旅)を男役の真風が歌い始めたときにはずっこけた。これ、アニメ版もブロードウェイ版もアーニャ(アナスタシア)のソロ・ナンバーなんですけど!?途中から星風が加わりデュエットとなるのだが、『エリザベート』同様、タイトルロールである娘役最大の見せ場を男役が奪わないでほしいと切に願う。いや、事情は分かるよ。宝塚歌劇というのは現代日本において唯一〈男尊女卑〉が正々堂々とまかり通る世界であり、娘役より圧倒的に男役ファンの方が多い。そりゃ、第一幕の幕切れを「所詮添え物にすぎない」娘役のソロというわけにはいかないだろうさ。でもね、それでも……。もし潤色・演出が小池修一郎だったら、こんな酷い扱いはしなかっただろうと僕は信じる。稲葉よ、再演の際はこのシーンをもう一度考え直してほしい。頼みます。

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市村正親主演ミュージカル「生きる」と医学の進歩について。

11月13日(金)兵庫県立芸術文化センターで宮本亜門演出によるミュージカル『生きる』を観劇した。

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1952年に公開された黒澤明監督の名作を原作として、映画で志村喬が演じた主人公を演じるのは市村正親と鹿賀丈史のダブル・キャスト。僕は鹿賀が嫌いなので、迷うことなく市村を選んだ。鹿賀の、下からすくい上げて音程を合わせてくる演歌調の歌い方には虫酸が走る。

生の舞台に接するのは1月12日に観劇した宝塚歌劇『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』以来だった。実に10ヶ月ぶりである。その間に東宝『エリザベート』『アナスタシア』『ミス・サイゴン』『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド ~汚れなき瞳~』『四月は君の嘘』など、チケットを購入していたミュージカルが次々と公演中止になり、払い戻しをした。特にロイド・ウェバーの『ホイッスル〜』は生の三浦春馬を見る、最初で最後のチャンスだっただけに惜しまれる。ホリプロ主催『生きる』は前後左右1席ずつ間隔を空ける販売方式だった。

今回観劇してつくづく感じたのは医学の進歩である。映画公開当時と現在では隔世の感がある。

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上のグラフは部位別がんの〈人口10万対〉死亡率の推移だが(縦軸は対数表示)、胃がんは1955年に100だったのが2015年には25前後にまで下がっているので、四分の一に減ったことがわかる。

病人ではなく健康に関心のある人に対していわゆる人間ドック(短期入院身体総合精密検査)が始まったのが1954年、ファイバースコープ付胃カメラが開発されたのが1964年(日本のオリンパス社が胃カメラを開発したのは1950年だが当時は白黒フィルムで臨床的に十分使えるものではなかった)、バリウムによる胃がん検診が導入されたのが1983年。『生きる』の主人公は進行がんが発見され手遅れとなるが、現在では早期がんで発見されることが多く、5年生存率が飛躍的に改善した。

また胃がんに罹患する人の大半がヘリコバクターピロリ菌の感染者であり、その細菌に感染していない人が胃がんになることは殆どないということが2001年に判明した(上村直実先生がThe New England Journal of Medicineに発表)。さらに除菌治療をすると、胃がん発生を抑制出来ることも分かって来たので、日本では2013年からヘリコバクター・ピロリ感染胃炎に対する除菌治療が保険適応になった(世界初)。つまり慢性B型/C型肝炎同様、胃がんは感染症だったのである。

また「生きる」の医者は主人公が胃がんであることを本人にも家族にも告知しない。昔はそれが普通だったが、現在ではあり得ないことだ。

1969年、医師のエリザベス・キューブラー=ロスが執筆した「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)が出版され、世界的に話題を席巻した。死を告知された患者200人が、どのような心理課程を経るのかを面談し研究したものである(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)。この本により、残された時間をどう過ごすか(Quality of Life)が重要であると広く認識されるようになり、さらにinformed consent(医師が患者に対して病状の十分な情報を伝えた上で治療方針の合意を得る)の必要性が叫ばれるようになったため、余程の事情がない限りがん告知が行われないことは殆どなくなった。

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ミュージカルの公式サイトはこちら

音楽を担当したジェイソン・ハウランドはブロードウェイ・ミュージカル『Little Women-若草物語- 』の作曲家であり、またシンガーソングライター、キャロル・キングの生涯を綴るミュージカル『ビューティフル』では音楽スーパーヴァイザーを務めている。だから楽曲の完成度が高く、十分日本以外の国でも上演できるレベルに達している。特に自分ががんに罹患していると知った主人公が自暴自棄になってダンスホールやストリップショーを彷徨う場面では、ジョン・カンダー(作曲)&フレッド・エブ(作詞)コンビによるミュージカル『シカゴ』『キャバレー』などを彷彿とさせるジャジーで退廃的ムードが漂う。

宮本亜門の演出はスピーディーな場面転換が鮮やか。ただ物足りなかったのはラストシーン。映画と同様に完成した公園で楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿を見たかった。まぁ予算の関係でここだけ子役を雇えないという事情はわかるんだけどね。労働基準法により、子役が労働できる時間も制限があるし(原則20時まで、厚生労働大臣が必要と許可した場合は21時まで)。

ミュージカル版で狂言回しの役割を果たすのは小説家。映画版でも案内役の彼はメフィストフェレスを名乗る。つまりメフィストに導かれる主人公・渡辺勘治はゲーテの小説におけるファウストだ。

メフィストフェレスはトリックスターである。ミュージカルでトリックスターが狂言回しを担うのは常套手段で、他に『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ、『エビータ』のチェ・ゲバラ、『エリザベート』の暗殺者ルイジ・ルキーニ、『キャバレー』のM.C.などといった前例がある。

市役所に勤める渡辺の部下、小田切とよは〈無垢で純粋な魂=innocence〉の象徴として登場する。『ファウスト』におけるマルガレーテ(グレートヒェン)であり、〈永遠に女性的なるもの〉。黒澤映画にはしばしば登場するキャラクターで、例えば『酔いどれ天使』の女学生(久我美子)や、『赤ひげ』のおとよ(二木てるみ)。そして極めつけは黒沢が映画化したドストエフスキー原作『白痴』のムイシュキン公爵(森雅之)だろう。しかし、実際にはこんな酸いも甘いも噛み分けていない、赤ちゃんの魂のまま成長した大人なんて存在しないわけで、ここが黒澤明の限界でもあるだろう。黒澤映画が女性に人気がないのは、描かれる女性像のリアリティの無さに一因があるのではないかと僕は考える。

『生きる』という作品はカルペ・ディエム Carpe Diemというラテン語と深く結びついている。「その日を摘め」「一日の花を摘め」という意味で、劇中に登場する『ゴンドラの唄』もその精神を唄ったものだ。詳しくは下記事に書いた。

ミュージカル『生きる』は2020年11月29日(日)と30日(月)に大千穐楽ライブ配信が決定している。詳しくはこちら

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ヴェネチア国際映画祭・銀獅子賞(監督賞)に輝く「スパイの妻」を観て悲しい気持ちになった。

黒沢清監督『スパイの妻<劇場版)>』はヴェネチア国際映画祭で監督賞に相当する銀獅子賞を受賞した。日本映画が銀獅子賞を獲得するのは北野武監督『座頭市』以来、17年ぶりの快挙である。今年のコンペティション部門審査委員長は女優のケイト・ブランシェット。

評価:B+  

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何故わざわざ<劇場版>と銘打たれているかというと、元々NHK神戸放送局の企画で、2020年6月6日にBS8Kで放送されたテレビドラマだからである。そういう意味で村上春樹原作、イ・チャンドン監督による韓国映画『バーニング 劇場版』に近い形態であると言えるだろう。『バーニング』は劇場公開より先に短縮版がNHK BS4KやNHK総合で放送された(日本語吹替)。

脚本の完成度が高く、物語として面白い。中盤に登場するチェス盤が象徴するように、夫と妻が丁々発止とやり合うゲーム性がスリリング。NHK大河ドラマ「いだてん」のオープンセットを再利用した場面も違和感がなく、悪くない。

しかし如何せん予算の無さが画面から滲み出てきており、悲しい気持ちになった。TBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出演した黒沢監督の談話によると、一切CGが使えないという撮影条件だったそうで、例えば蒼井優が路面電車(神戸市電は1910年に開業、71年に全線が廃止された)に乗る場面では窓の外の風景が全く見えない。あまりにも不自然。また高橋一生演じる夫が営む貿易会社の場面も、窓から光が差し込むだけで何も映らない。まるでホワイトアウト(雪や雲などによって視界が白一色となる現象)だ。日本映画の貧しさが骨身に沁みた。辛い。

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芦田愛菜「星の子」と原田知世「時をかける少女」

評価:B+

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僕が芦田愛菜ちゃんを初めて映画で観たのは松たか子主演『告白』(2010)で、その次が『阪急電車 片道15分の奇跡』(2011)だった。彼女は兵庫県西宮市出身なので『阪急電車』は地元の撮影で、当時6歳だった。

そして映画『星の子』撮影時、彼女は15歳。丁度、原田知世が初主演映画、大林宣彦監督『時をかける少女』(1983)に出演した年齢である。

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さて、『星の子』で芦田愛菜ちゃんの母親役を原田知世が演じている。夫役が永瀬正敏で、病弱な娘の命を守るために夫婦で新興宗教を信仰しているという設定だ。娘は両親たちの行為を馬鹿げたことだと心の中では分かっているのだが、入信の原因が自分にあるので、なかなか言い出せない。そういう複雑な心境を愛菜ちゃんは巧みに演じていた。中学生役ということで見始めた当初は「えっ?」と思ったが、身長が低い彼女はしっかりそう見えた。

原作者の今村夏子は『こちらあみ子』(2011)で三島由紀夫賞、『むらさきのスカートの女』(2019)で芥川賞を受賞。『星の子』(2017)も芥川賞候補になった。非常に良く出来たお話である。

映画は親子三人で薄っすらと雪が積もった丘の上で星空を眺めるという場面で終わる。主人公のちひろには流れ星が見えるのに、両親には見えない。

ここで「ハッ!!」としたのが、このラストシーンが大林版『時をかける少女』の冒頭に繋がっているという事実である。『時をかける少女』はスキー場で原田知世・高柳良一・尾美としのりの三人が夜空を眺めている場面から始まる。そしてしっかりと流れ星も見えるのだ。大森立嗣監督の粋な計らいに乾杯!

なお、原田と高柳はいまでも家族ぐるみで親しくしていて、年に数回会っているという(出典はこちらの記事)。

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アカデミー長編アニメーション部門のノミネートは確実!「ウルフウォーカー」

アイルランドのアニメーション・スタジオ、カートゥーン・サルーンは今まで『ブレンダンとケルズの秘密』『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』『生きのびるために/ブレッドウィナー』と製作した全ての長編アニメーション映画でアカデミー賞ノミネートを果たしている。『ブレンダン』『ソング・オブ〜』に続くケルト三部作の掉尾を飾る『ウルフウォーカー』もノミネートは確実、そろそろ受賞も夢ではないのではなかろうか?

僕が初めてこのスタジオの作品を観たのはトム・ムーア監督『ソング・オブ・ザ・シー』だった。絵の美しさとケルト神話の世界に魅了された。多神教のケルト神話が日本人にすごく身近に感じられるのは、八百万の神々を想起させるからではないだろうか?また『ソング・オブ〜』は人間とアザラシが結婚して子供が生まれるお話なので、日本昔話『狐女房』に通じる異類婚姻譚だなと思った。

『ソング・オブ・ザ・シー』に登場する狼の描き方は高畑勲監督『太陽の王子ホルスの大冒険』を意識しているのでは?と感じたのだが、『ウルフウォーカー』も『ホルス』は勿論のこと、線描の力強さが『かぐや姫の物語』を彷彿とさせるし、宮崎駿監督『もののけ姫』へのオマージュが鮮明に刻印されている。

評価:A+  公式サイトはこちら

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本作は城壁に囲まれた中世の街と、その外に広がる森の対立が描かれる。それは文化と自然の対立であり、ひいてはイングランドとアイルランド、さらに一神教であるキリスト教とケルト神話の対立でもある。そして城壁内に暮らす人々のキャラクターデザインや美術は四角形を主体とする角張ったもので、一方の森は円を主体に描かれる。

イングランドからアイルランドにやって来た少女ロビンが森でウルフウォーカーのメーヴと出会うことで、ロビンを取り巻く角張った世界が次第に円形の世界へ吸収され、融合していく。それはとても感動的な情景だった。

ケルト三部作のみならずアフガニスタンを舞台とする『生きのびるために/ブレッドウィナー』も含め、カートゥーン・サルーン作品における円とは、チベット仏教の曼荼羅のように完全性とか、文化と自然の調和を象徴しているのではないかと僕は考えている。

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余談だが、主人公のロビンはイングランドの妖精ロビン・グッドフェローに由来する。シェイクスピア『夏の夜の夢』に登場する妖精パックもロビン・グッドフェローと呼ばれる。つまりロビンはトリックスター(境界を超える者)なのだ

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【考察】「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は何故、これだけの大ヒットになったのか?

新海誠監督『君の名は。』が世界的メガヒットを飛ばした時、プロデューサーの川村元気がその要因を「集合的無意識にヒットした」と解説した。また日本で過去最高の興行成績を上げた宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』は主人公の女の子がトンネルを潜り、集合的無意識の世界で八百万(やおよろず)の神々と出会う物語だった。

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今回の劇場版『鬼滅の刃』大ヒットの要因も集合的無意識が関わっているのではないかという気がする。『君の名は。』は他者の夢の中に入っていくということがテーマになっていたが、『無限列車編』もやはり、他者の夢に入って行く。そして夢を覆う膜を引き裂くと外側に無意識の領域が広がっており、そこに精神の核があるという設定は非常にユング心理学的だなと思った。

さらに列車という装置は宮沢賢治『銀河鉄道の夜』や松本零士『銀河鉄道999』と同様に、心の内奥(ないおう)への旅を想像させる。

そもそも『鬼滅の刃』における「鬼とは何か?」を考えてみると、不安とか恐怖、怒りといった諸々の感情が渦巻く人間の集合的無意識が生み出した魔物と言えるのではないだろうか?また鬼を消滅させる陽の光とは、覚醒の暗喩と解釈出来る。

主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)は他者への共感性が強いこと特徴だが、それは彼が、集合的無意識という井戸の底に深く潜っていって、他者と繋がる才能に長けていることを意味しているのだろう。『君の名は。』で言うところの〈ムスビ/産霊〉だ。絵柄も浮世絵とか錦絵を連想させ、日本人の心を揺さぶる。

21世紀の日本は核家族化、少子化が進み、経済的な豊かさや家事の自動化などにより、親もまた一人の人間として生を謳歌し、自分の自己愛を追求しようとするようになった。それによって子供に与えられる愛情は不安定なものとなりやすく、また「隣は何をする人ぞ」と地域住民相互の交流は失われた。社会の自己愛性は、非共感性が幅を利かせていることを意味する。他人の心の痛みに対して無関心な人が増え、ネットリンチ(ネットいじめ)が横行、社会は分断され不認証環境(自分が表した気持ちに対し適切な対応が得られず、嘲笑われたり、否定されたり、無視されたりする状況)を呈している。しかし一方で「関係性喪失」への漠然とした不安を感じ、無意識のうちに「今のままでは駄目だ。人と人の絆、共感性を取り戻さなければ」という想いや、焦りもあるだろう。そうした願いが『鬼滅の刃』への支持に結びついたと言えるのではないだろうか?

『無限列車編』の場合、父親から認めてもらえなかったというトラウマを抱えた煉獄さんの〈承認欲求〉が最後に満たされ、彼が〈自己実現〉を果たすまでの物語という捉え方も出来る。故に「我々はなぜ生きるか?」という根源的問いに答えてくれるような作品に仕上がっているな、と僕は感じた。

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【いつか見た大林映画】第9回〜未発表短編「海外特派員 ある映像作家の場合」と、ボードレールの詩「人と海と」

2020年4月10日に亡くなった、大林宣彦監督の未発表白黒短編『海外特派員 ある映像作家の場合』が事務所倉庫の棚にあった謎の段ボール箱から発見され、京都国際映画祭でオンライン上映されたのを鑑賞した。公式サイトはこちら

大林監督が30歳頃(1968年前後)に製作した作品(16mmフィルム)だと思われるとのこと。上映時間13分。監督本人や妻でプロデューサーの恭子さん、娘の千茱萸さん、監督の仲間らが登場する。憧れを持って来日した北欧のデザイナーの青年が日本の現状に一度は失望するが、海でCM撮影中の大林監督らと出会い、希望を取り戻すという物語。

「大林映画はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家の故・石上三登志だった(『彼のオートバイ、彼女の島』や『野ゆき山ゆき海べゆき』でナレーション担当)。僕はそれに「大林映画は海の映画だ!」を付け加えたい。自主映画時代の『EMOTION=伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1967)の頃から、尾道三部作・新三部作は言うに及ばず、遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』まで終始一貫して認められる特徴である。

『海外特派員 ある映像作家の場合』では、ボードレールの『悪の華』から詩『人と海と』が引用される。

自由な人よ、常に君は海を愛するだろう!
海は君の鏡、逆巻き返す怒涛のうちに
君が眺めるもの、あれは君の魂 

この朗読に続き、ナレーションが「私は心の疲れを感じる時、海に来ます。海はそんな人達でいっぱいでした」と語る。

そして最後「私がこの夏、海で知り合った大林宣彦とその愉快な仲間たち。彼らが教えてくれたこと。それは、どんなときでも人は自分の自由な心を捨てない勇気を持つことだということです。もし心が疲れたら、あなたも海に行かれるといい。あなたはそこで、あなた自身の大林宣彦に出会うことでしょう」というナレーションで締め括られる。

本作を観て僕がはっきりと理解したのは、大林監督は海を〈自由な心〉の象徴と見做していたのだな、ということ。

このボードレールの詩を福永武彦の訳(『悪の華』初版)でも見てみよう。大林は福永の小説『草の花』映画化をライフワークとしていたが、実現には至らなかった。恭子プロデューサーは監督の死後、「できることならあと2作撮らせてあげたかった。思い入れのあった福永武彦の『草の花』と檀一雄の『リツ子その愛・その死』。それができなくなってしまったのは残念です」と語った。『草の花』もまた、船で海を渡る場面がある。

『人と海と』

自由人よ、君は常に海を愛するだろう!
海は君の鏡、波の無限に揺れやまない
繰返しに、君は自分の魂を映すだろう、
そして君の精神も、そのにがさは深淵に劣ることはない。

君は自分の面影に進んで身を沈めよう、
君はこの面影を瞳に腕に抱きしめる、そして胸に
苦しげに燃え上がる想いさえ、ふと紛れよう、
野獣のように人馴れぬ波の哀歌に。

暗い心の持主で、君等の口は共にかたい。
人よ、誰が君の深淵の奥底までを知るだろう、(再版:奥底までを測っただろう、)
海よ、君のひそかに隠す財産を知る者はない、
それほど一途(いちず)に、君等は自分の秘密を守るだろう!

しかも君等は悔(くい)も感じず、憐れみもなく、
力の限り闘い合った、劫初(ごうしょ)の遠い昔から、
死と殺戮とにそれほど君等の血は乾く、
おお永遠の闘争者、憎しみとけぬこの同胞(はらから)!

【出典:福永武彦編集「ボードレール全集 I」1963年 人文書院刊】

大林監督の遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』では中原中也の詩が沢山引用され、ランボーの詩『永遠』も登場する。中原中也の訳では以下の通り。

『永遠』

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

【出典:「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫】

有名な小林秀雄の訳は、

また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。

【出典:ランボオ「地獄の季節」岩波文庫】

このランボーの詩は、ジャン=リュック・ゴダールの映画『気狂いピエロ』でも引用されている。

ここでランボーが言う「永遠」とは、「神」とかプラトンが説いた「イデア」とかいった不変不動のものじゃない。太陽は水平線の彼方にゆっくりと沈み、波も絶えず詩人の方に押し寄せる。つまり「永遠」とは永久機関のように動き続けるものなのだ。

命は海からやってきた。胎児は羊水の中で時を過ごす。羊水の塩分濃度はほぼ海水に等しく、人間の子供は母の内なる海から生まれてくると言える。人が海に向き合う時、彼は原初の自分をそこに見るのだろう。

物質の最小単位は「素粒子」であり、「量子(quantum)」ともいう。「量子」は粒子の両方の性質を持っている。光は光子という(素粒子)で出来ている。同時にの性質も持つ。波長の違いで我々は「色」を認識する。波長が短ければ「青色」に見え、波長が長ければ「赤色」に見える。 音もであり、波長が長い(周波数が低い)と低音に、短い(周波数が高い)と高音に聞こえる。なお、周波数とは単位時間あたりの振動数である。つまり海を見つめることは、根源的な量子論に思いを馳せることでもある。そこには生の本質がある。大林監督はそれを〈自由な心〉と表現した。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが言うところの〈生成変化〉である。

『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』の登場人物、山倉(竹内力)と室田(三浦友和)が初めて出会うのは広島県福山市鞆の浦にある港で、次のような会話を交わす。

山倉「初めて見る海はいいもんだ」
室田「毎日眺めてもいいもんだ」
山倉「……ということは、あなたはこの街の方で」
室田「……ということは、お前さん旅の人だね」

また映画の最後に、大林監督のナレーションが入る。

確かに僕は海を見た。
ひとりぼっちで見た。
あのさびしい海は
本当に海だったのだろうか?
しかし、たとえそれが嘘の海であり
この物語が空想の物語であったにしろ
それはそれで良いのだろう。
たとえ物語が絵空事であるにせよ
この恋の想いだけは
確かに僕のものなのだから。

海は心の鏡であり、人はそこに恋の想いを映し出す。

また今年の京都国際映画祭で久しぶりに大林映画『四月の魚』に再会した。主演&音楽は元YMOの高橋幸宏。高橋は『海辺の映画館 キネマの玉手箱』にも“ファンタ爺”役で出演している。四月の魚ーポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)とはサバのことである。やはり海が関わっている。

『四月の魚』の主人公は「汚れっちまった悲しみに」と口ずさみ、中原中也の詩『一つのメルヘン』を暗唱する。

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

光子は水滴に変換され、「さらさら」とになって流動する。ここに大林映画の真髄がある。

僕の現在の職場からは瀬戸内の海が見える。多分、無意識のうちに導かれて、ここに辿り着いたのだろう。そして毎朝、海辺に来ての音に耳を傾ける。それは正に、大林宣彦とのひそかなる対話なのである。

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ニューロティック・スリラーと「ガス燈」ーガスライティングとは何か?

今年公開されたエリザベス・モス主演『透明人間』はガスライティング(英: gaslighting)〉映画であった。心理的虐待の一種であり、被害者(妻)にわざと誤った情報を流し、被害者が自身の記憶や正気を疑うよう仕向ける手法。用語の起源はイングリッド・バーグマンがアカデミー主演女優賞を受賞したジョージ・キューカー監督の映画『ガス燈』(Gaslight,1944) に遡る。

『ガス燈』は元々舞台劇で、既に1940年に英国でも映画化されている。嘗てはニューロティック・スリラーと呼ばれた。ニューロティックとは「神経症的」を意味する。

Gaslight

ニューロティック・スリラーは1940年代にハリウッドで流行った。マール・オベロン主演『黒い河』(Dark Waters,1944)とか、ダグラス・サーク監督『眠りの館』(Sleep,My Love,1948)、オリビア・デ・ハビランド主演『暗い鏡』(The Dark Mirror,1946)、ロバート・シオドマク監督『らせん階段』(The Spiral Staircase,1946)などがある。またアルフレッド・ヒッチコックが監督した『断崖』(1941)とか、イングリッド・バーグマン主演『白い恐怖』(Spellbound,1945)もそう。因みにspellboundとは「魔法にかかった」「呪文に縛られた」という意味。やはり背景には第二次世界大戦の暗い影があったのではないだろうか?

またヒッチコック監督『レベッカ』(1940)のヒロイン(『断崖』のジョーン・フォンテイン)は結婚後女主人として大邸宅マンダレイに行き、そこで事故で亡くなった前妻レベッカを慕っていた使用人ダンヴァース婦人から徐々に精神的に追い詰められていくという話で(自殺教唆もあり)、〈ガスライティング〉のバリエーションと言えるだろう。『レベッカ』は『シンデレラ』『ベイビー・ドライバー』のリリー・ジェームズと『ソーシャル・ネットワーク』『君の名前で僕を呼んで』のアーミー・ハマー共演で今年リメイクされ、つい先日Netflixから配信されたばかり。

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余談だが『風と共に去りぬ』メラニー役で有名なオリビア・デ・ハビランドとジョーン・フォンテインは仲の悪い実の姉妹であり、イギリス人の両親の間に東京で生まれた。

『ガス燈』のバーグマンも、『レベッカ』『断崖』のフォンテインも、恐怖に怯えた演技が見どころになっている。両者ともその演技でアカデミー主演女優賞を受賞したのだから、実においしい役だ。なんとフォンテインはヒッチコックの監督作品でアカデミー賞を獲得した、ただ一人の俳優である

ガスライティング〉という用語は現在、臨床心理学および学術研究論文でも使われている。映画の影響力ってすごい。フェデリコ・フェリーニの映画『甘い生活』から生まれた〈パパラッチ〉とか、ウィリアム・ワイラー監督『ローマの休日』から生まれた〈ヘップバーンカット〉を思い出した。

半世紀以上廃れていた〈ガスライティング〉映画が近年復活したのは、間違いなく大物映画プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタインによる性的暴行の告発および逮捕に端を発する #MeToo 運動が盛り上がった結果だろう。エリザベス・モスが製作総指揮・主演したHuluのディストピア・ドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』も #MeToo の申し子だ。

映画やテレビ・ドラマは時代を写す鏡である。

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「隠れ左翼」の見抜き方

「左翼」はWikipediaで次のように定義されている。

「左翼」という用語は通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指し、革命運動、社会主義、共産主義、社会民主主義、アナキズムなどを支持する層を指すことが多い。

社会主義と共産主義の違いについて日本共産党が公式見解を示している→こちら。つまり同じ意味である。

20世紀は社会主義国家建設という壮大な「実験」が行われたが、ことごとく失敗した。1989年にベルリンの壁が取り払われ、91年にソビエト連邦も呆気なく崩壊。浦山桐郎監督の映画『キューポラのある街』(1962)は在日朝鮮人の北朝鮮帰還運動を肯定的に捉えられており、朝日新聞も帰国事業に加担したが、その末路が惨憺たるものだったことはご承知の通りである。エッ、中国はどうかって?今の香港やチベット自治区、ウイグル自治区で何が行われているか、とくとご覧あれ。人民の意志が尊重されているとは到底言い難い。インターネットやSNSは中国政府により検閲され、Netflixの配信サービスも始められない状況である。

日本の左翼運動は1960年代に安保闘争や東大安田講堂事件などで大いに盛り上がったが、1972年、連合赤軍が起こした〈あさま山荘事件〉で一気に世間からの支持を失い、急速に萎んでいった。

故に現在の日本ではおおっぴらに自分たちが社会主義・共産主義を支持していると言いづらい状況になっている。若い人たちから馬鹿にされるのが落ちだ。そこで彼らは自分の本心を隠すこと(カモフラージュ)に奔走するはめになった。

学生運動華やかなりし頃、活動の中心を担ったのは東大生や京大生ら、エリートだった。彼らが大人になり、現在では日本ペンクラブに所属する作家や、弁護士、大学教授(文系)、知識人たちに左翼思想を持つ者が多い。

そこで日本の「隠れ左翼」を可視化/あぶり出すためのバロメーター、診断基準を考案した。

1) 日本学術会議が新会員として推薦した105人中6人を菅首相が任命しなかったことに関して、「学問の自由」を侵害したなどと連日書き立て、世の中を扇動している。また「反教養」「反知性主義」といった表現を好む。
2) モリカケ(森友・加計学園)や桜を見る会の問題について、あたかも重大犯罪であるかのように執拗に書き立てた(しかし結局、事件性は何もなかった)。
3) ドナルド・トランプや小池百合子が大嫌い。特に「アメリカ・ファースト」とか「都民ファースト」といった発想、ナショナリズムを憎んでいる。そのくせ「ヘイトを許すな!」というフレーズがお気に入り(自己矛盾)。「人類は皆兄弟」だと思っている。
4) 安倍晋三・元総理や菅義偉・総理、橋下徹・元大阪市長をヒトラーに喩えたり、ファシスト/ポピュリスト呼ばわりした。当然、大阪維新の会のことを苦々しく思っているから「大阪都構想」に断固反対。
5) 自称「リベラル」。「格差社会」という言葉に激しいアレルギー反応(アナフィラキシー)を示し、アメリカ民主党に親近感を抱いている。オバマ大統領の頃は良かったと昔を懐かしみ、美化している。
6) 自分たちが気に入らない勢力に対して「ネトウヨ」というレッテルを貼りたがる。
7) グローバリズムを信奉している。故に新型コロナウィルスが世界に蔓延したことの一因がグローバリズムにあることを決して認めない。
8) 「国会前のデモに何万人集まった」とかといったくだらないことを大々的に報道する。
9) あいちトリエンナーレ『表現の不自由展』の騒動について開催継続を主張し、芸術監督・津田大介を擁護した。また今でも津田にコラムを書かせたり、意見を求めたりするなど親しくしている。
10) 嘗て韓国の「いわゆる」従軍慰安婦問題を書き立てて、「反日」感情を煽った。しかし全てはでっち上げ、フェイク・ニュースであり、日本軍が慰安婦を強制的に連行したという証拠は一切見つかっていない。
11) 日本国憲法の改正に反対。「護憲派」を自任する。
12) 自らを「市民」と名乗る。あるいは「市民団体」をヨイショする。

◎この12項目のうち、2項目が当てはまれば極めて濃厚、3項目以上なら確実と言えるだろう。

以下、幾つかの項に関して解説を加える。

1)そもそも日本学術会議の問題は既得権益や、悪しき前例を見直そうという話であり、「学問の自由」とは一切関係がない。ナンセンス!首相が任命しないからといってその人が「学問の自由」を奪われるわけではない。美味しい汁を吸えなくなるというだけ。全く馬鹿げた論点のすり替えである。

2)モリカケや桜を見る会について確かに一部の人が得したり、接待を受けたのかも知れない。しかしそれが国会を止めるほどの重大事か?ロッキードとか贈収賄事件とはわけが違う。細部にとらわれすぎて全体に注意を向けず、物事を疎かにしている。「木を見て森を見ず」は正にこのこと。

4)日本学術会議のメンバーとして任命を拒否された立命館大学院・松宮孝明教授は「菅総理大臣は現行憲法を読み替えて自分がヒトラーのような独裁者になろうとしているのか」と批判した。僕は「またか!」と爆笑した。安倍元総理も何度となく「ヒトラー」呼ばわりされた。左翼のいつもの手口だ。しかし不思議と彼らはスターリンとかポル・ポト、中国の文化大革命を指導した四人組など共産主義国家の独裁者に喩えたりしない。では松宮教授に尋ねるが、一体菅首相が誰を殺したというのか?共産党を禁止にしたり、共産党員を強制収容所送りにしたか?あなたがヒトラーやナチス・ドイツが行った残虐行為を正しく理解しているとは到底言えない。学者の風上にも置けない。承認されなくて大正解だ。

ポピュリズムとは大衆に迎合して人気をあおる政治姿勢のこと。左翼知識人がポピュリズムという言葉を好むのは、基本的に「大衆は愚かだ」と決めつけているから。自分たちはエリートであり、少数精鋭の自分たちこそ正しく、知性の欠けた大衆を啓蒙し、導かなければならないと考えている(諸説あります)。

上の立憲民主党のツィートが「大阪のオバチャンを馬鹿にしている」と物議を醸した。「わからないなら反対を」とか、完全に大阪府民を舐めている。ここに左翼の特徴がよく表れている。

アメリカ大統領選でドナルド・トランプが勝ったときも、反トランプのマス・メディア(ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CNNなど)やハリウッドのセレブたちの主な反応はトランプを支持するブルー・カラーの労働者たちを馬鹿にしたものだった。つまり彼らの論調は「大衆は物事の本質を分かっていない」。民主党を支持する自分たちこそ賢く正しいというわけである。一方的にトランプは悪だと決めつけているので、どうして彼を支持する層が多いいのかについて冷静に分析出来ない。「トランプ支持者はアホだ」で思考停止している。

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6)朝日新聞・東京新聞など左翼ジャーナリズムが「ネトウヨ」という用語を好むことは5年前に一度論じた。

7)グローバリズムとは、地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化(globalization)を進める思想である。 これって実はジョン・レノンが『イマジン』で歌った、アナーキズム無政府主義)の変形に過ぎない。アナーキズムとは国家を望ましくなく不必要で有害なものであると考える思想であり、国家の廃止を呼びかけるもの。マルクスが唱えた国家社会主義と対立する思想ではあるが、共産主義の分派である。

グローバリズムを信奉するマス・メディアはイギリスのEU離脱に異議を唱えた。何故ならば、EUも国境を取り払いヨーロッパを緩やかな共同体(commune)にしようとする意図を持っているからである。

9)『あいちトリエンナーレ』問題については下記事で詳細に分析した。

この問題と「表現の自由」は一切関係がない。論点のすり替えである。そういう点で日本学術会議の会員任命問題について「学問の自由」を持ち出してくる手口と全く同じ。ワンパターン。

10)東京新聞や朝日新聞は「国会前デモ」の記事が大好き(こちらこちら)。しかし、たとえ国会前に10万人集まろうが、それが民意を反映しているとは言えない。現政権が気に入らなければ選挙で落とせばいいだけのことである。日本は民主主義の国なんだから。革新派の人たちは自己主張が激しいから、声が大きく目立つだけ。一方、大勢を占める保守派は必死に意見を述べる必要がないので黙っている。それをサイレント・マジョリティーという。

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しかし左翼の人々は「大衆はアホだ」と見下しているので、選挙結果(多数決)を冷静に受け入れることが出来ない。「少数派(オレたち)の意見に耳を傾けろ」と声高に主張する。じゃあ、どうやって意思決定するの??

結局彼らの本音としては一部のエリート(オレたち)が愚衆を手取り足取り導く国家が望ましく、普通選挙という制度(=愚衆政治)そのものが気に入らないのだろう(諸説あります)。

また〈デモ参加者=正義〉という幻想・錯覚は1960年代の安保闘争の時、自分たちが国会前で暴れたことへの郷愁(ノスタルジア)でもあるだろう。

忘れてならないこと。デモとは対象に心理的圧力を加えることにより自分たちの主張や要求を実現しようとする示威運動であり、国家に対するデモ(対企業は別)が有効なのは帝政時代のロシアとか現在の中国など、普通選挙が実施されていない地域においてのみである。アメリカ合衆国ではキング牧師らの公民権運動(1963年ワシントン大行進など)のおかげで、1965年に投票時の人種差別を禁じた投票権法が漸く成立した。

11)本来、革新派である筈の左翼が「護憲派」というのは世界にも類がないだろう。完全に矛盾しており、ねじれ現象が起こっている。僕が「奇形左翼」と呼ぶ所以である。そもそも現行の日本国憲法はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が英語の草案を作り、それを翻訳したものだから、左翼が大嫌いなアメリカから押し付けられたものである。1946年11月3日に公布されて以降、一度も国民投票にかけられたこともなく、総意を得ていると言い難い。しかし左翼ジャーナリズムは国民投票にまで持っていかないように必死でキャンペーンを張っている。何が民主主義・主権在民だ。滑稽としか言いようがない。どうしてこんなねじれが起こったか?それは大日本帝国憲法時代、1925年に制定された治安維持法などにより、日本の左翼が辛酸を嘗めたことに起因している。例えば『蟹工船』を書いた小林多喜二は1933年に特高警察により逮捕、拷問され獄中死している。だから悪夢の大日本帝国憲法よりは、戦勝国のアメリカさまから屈辱的に押し付けられた新憲法の方がマシというわけ。左翼は憲法改正=9条改正という短絡的思考しか出来ず、すぐに新聞紙上で「軍国主義の足音が聞こえる」とかいった表現が踊ることとなる。彼らは悪夢の再現に怯えている。

これは1950年代に共和党のジョセフ・マッカーシー議員によって行われた赤狩り(マッカーシズム)で痛い目に遭ったハリウッドの映画人たちが共和党を憎み、民主党を熱狂的に支持している構造に似ている(共和党を支持するクリント・イーストウッドやアーノルド・シュワルツェネッガーなど例外はあるが少数派)。

12)大方「市民団体」「平和団体」と名乗るものは怪しい(例外もあります)。常に疑いの目で見ることを心がけよう。

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ぶっちぎりのロケットスタート!「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」

前代未聞、桁外れの特大ヒットである。僕が観た兵庫県西宮市のTOHOシネマズでは公開初日金曜日の上映回数が30回!レイトショーは20時00分、10分、20分、30分、40分と10分刻みの上映開始で、「電車の時刻表か!」と呆れた。TOHOシネマズ新宿は全12スクリーンのうち11スクリーンを稼働し、1日で42回上映したという。週末3日間の興行収入は46億円を突破。日本国内で公開された映画(洋画含む)の興行収入と動員の歴代1位となった。昨年の興収トップだった『天気の子』と比較して、約3倍とぶっちぎりである。最終的に『天気の子』の記録、141億9000万円を超えるのではないだろうか。

東宝は『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』に社運を賭けており、新型コロナ禍で落ち込んだ収益をここで一気に挽回するぞと鼻息が荒い。

評価:A

Kime

京アニ『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、テレビ・シリーズを観ていなくてもこれまでの経緯がわかるような親切な構成だったが、『鬼滅の刃』はそんなことを一切斟酌しない。テレビ・シリーズを観ていることが大前提で話は展開する。僕も当然、全26話を鑑賞した上で映画館に臨んだ。

原作者・吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)は覆面漫画家であり、その正体は男なのか女なのかが議論の的になっている。僕は女性だと確信している。漫画家・きたがわ翔と山田玲司も対談(『れいとしょう』)の中で、女性説を支持している。その根拠となっているのが鬼殺隊に退治された鬼の死に際。人間だった頃の回想が長々とあり、この世の未練を切々と語る。それを傾聴した主人公・炭治郎が「可哀想に。辛かったろう」と涙を流す。その共感性の高さが女性作家ならではだというのだ。つまりemotional、今流行りの言葉で表現するなら「エモい」。

『無限列車編』も過剰なまでにエモい、そして熱い、いや、熱苦しい。些かtoo muchで辟易すると言えなくもないが、それは本シリーズ一貫した特徴なので、肯定的に受け取りたい。僕は幼少期から女性作家と相性が良いのだ(マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ」、ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』、アガサ・クリスティの推理小説、紫式部『源氏物語』、角田光代『対岸の彼女』『八日目の蝉』、宮部みゆき『火車』)。

夢と無意識がテーマという点でも大いに気に入った。とってもカール・グスタフ・ユング的。そういう意味で『君の名は。』『インセプション』『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『劇場版 まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』に近い。テレビ・アニメ『宇宙戦艦ヤマト2199』なら第14話〈魔女はささやく〉が該当する。こういうの、大好物です。

あと本作は、煉獄さんの〈承認欲求〉が満たされるまでの物語という捉え方も可能だろう。

客層の男女比はほぼ半々で、やや女性が多めか。クライマックスではあちらこちらからすすり泣く声が聞こえてきた。

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