2009年7月13日 (月)

児玉宏(指揮)、岩田達宗(演出)/モーツァルト 歌劇「イドメネオ」

大阪音楽大学、ザ・カレッジ・オペラハウスでサマーオペラを鑑賞。今回はモーツァルト「イドメネオ」である。

演奏は児玉宏/ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団&合唱団。演出は鬼才・岩田達宗(神戸市 出身)。チケットは完売で、会場はぎっしり満席。

チケット代7,000円、破格の安さが嬉しい。「それで安いの?」と疑問に想われる方もいらっしゃるかもしれないが、オペラというのはとてもお金がかかるものなのだ。舞台装置・衣装・照明などの裏方、オーケストラ、合唱団、独唱者、指揮者、演出家……。人件費だけでも馬鹿にならない。ちなみに、他のオペラやミュージカルと料金を比較してみよう(最高額のみ記載)。

・ウィーン国立歌劇場2008年来日公演(東京):65,000円
・パリ国立オペラ2008年来日公演(兵庫芸文):58,000円
・佐渡裕プロデュース オペラ「カルメン」(兵庫芸文):12,000円
・宝塚歌劇(宝塚大劇場、生オケ):11,000円
・劇団四季 ミュージカル「オペラ座の怪人」(大阪、カラオケ):9,800円

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児玉宏さんのことについては、当ブログで何度も語ってきた。

児玉さんは”日本のカルロス・クライバー”であると、僕は常々思っている。天才的なセンス、オーケストラの統率力。世界でも指折りの名指揮者である。ドイツの様々な歌劇場で25年以上のキャリアを持っておられる児玉さんのオペラに今回、遂に接する機会に恵まれた。

また、岩田達宗さんの演出された舞台は過去に2回観ている(いずみホール)。何れも素晴らしいプロダクションだった。

Idomeneo

児玉×岩田。この史上最強の組み合わせに文句があろう筈もない。きりりと引き締まり、躍動する音楽。(例えば第3幕冒頭部など)要所要所にノン・ビブラート奏法を配し、その美しい音色が聴き手をハッとさせる。第2幕終盤では嵐の音楽が猛威を振るい、強烈なインパクトをもたらす。

シンプルな丸型の舞台装置はギリシャの円形劇場を意識したものであろう(「イドメネオ」は古いギリシャ神話を題材としている)。そこに帆が張られたり、赤い花弁やロープに繋がれた人形が天井から落ちてきたりすることで場面変換される巧みな演出。

歌手陣も充実していた。特に目を惹いたのがイーリアを演じた石橋栄実さん(公式サイトはこちら)。とても澄んだ声で、胸を反ってつま先立ちで軽やかに歩く姿はまるでバレリーナの如し。これも演出家の指示なのだろうか?11月に同じザ・カレッジ・オペラハウスで上演されるオネゲル/オペラ「火刑台のジャンヌ・ダルク」ではタイトル・ロールを演じられるそうだ。また愉しみが一つ増えた。

なお、公演の様子はザ・カレッジ・オペラハウスのブログで見ることが出来る(→こちら)。

今後、僕が児玉さんの指揮で観たいオペラはR.シュトラウスの「ばらの騎士」や「ナクソス島のアリアドネ」、あるいはE.W.コルンゴルトの「死の都」「ヘリアーネの奇跡」等である。スタッフの皆さん、是非ご検討宜しくお願いしますね!

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2009年7月11日 (土)

知られざるヴィブラートの歴史

これはここ数年、「ビブラートの悪魔」「ウィーン・フィル、驚愕の真実」「21世紀に蘇るハイドン(あるいは、ピリオド奏法とは何ぞや?)」等の記事を通して僕が考えてきてこと、そして本やインターネットを調べるなどして分かった新たな事実を総括したものである。

ルネッサンスからバロック期、そしてハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン(1827年没)の時代に至るまで、装飾音以外で弦楽器や管楽器に恒常的ヴィブラート(伊: vibrato)をかける習慣はなかった(当時の教則本などが根拠となる)。それを現代でも実践しているのが古楽(器)オーケストラ、例えば日本で言えばバッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、大阪ではコレギウム・ムジクム・テレマン(テレマン室内管弦楽団)等である。

19世紀半ばになると、ロマ(ジプシー)の音楽に関心が高まる。リスト/ハンガリー狂詩曲(1853)、ブラームス/ハンガリー舞曲(1869)、ビゼー/歌劇「カルメン」(1875)、サラサーテ/ツィゴイネルワイゼン(1878)等がそれに該当する。それとともにジプシー・ヴァイオリンのヴィブラートを常時均一にかける奏法(continuous vibrato)が注目されるようになった。これは従来の装飾的ヴィブラートがでするものだったのに対し、ヴィブラートへの変革も意味した。

ここに、continuous (arm) vibratoを強力に推進する名ヴァイオリニストが颯爽と登場する。フリッツ・クライスラー(1875-1962、ウィーン生まれ)である。20世紀に入り急速に普及してきたSPレコードと共に、彼の名は世界的に知られるようになる。音質が貧弱だったSPレコードに於いて、甘い音色を放つヴィブラートという武器は絶大な威力を発揮した。その”ヴィブラート垂れ流し奏法”と共に弓の弾き方(ボウイング)にも変化が起こる(このあたりの事情はサントリー学芸賞、吉田秀和賞を受賞した片山杜秀 著/「音盤博物誌」-”さよなら、クライスラー”に詳しく書かれている)。

一方、当時のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はノン・ヴィブラートを貫いていた(1938年にレコーディングされたワルター/ウィーン・フィルのマーラー/交響曲第9番でもヴィブラートはかけられていない)。クライスラーはウィーン・フィルの採用試験を受けるが、審査員の一人だったコンサートマスター、アルノルト・ロゼは「そんなにヴァイオリンを啼かせるものではない」と言い、「音楽的に粗野」という理由でクライスラーを失格させた。しかしマーラーの妹と結婚し、自身もユダヤ人だったロゼはナチスのオーストリア併合直後に国外追放となり、ロンドンへ逃れ客死。娘のアルマはゲシュタポに捕らえられアウシュビッツで亡くなったという(オットー・シュトラッサー 著/「栄光のウィーン・フィル」音楽之友社)。

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第2次世界大戦後、1950年代に入りオーケストラは大きな転機を迎える。スチール弦の普及である(これは鈴木秀美さんのエッセイに詳しい)。それまで弦楽奏者たちは概ね羊の腸を糸状に縒ったガット弦を使用していた(パブロ・カザルスもガット弦でバッハ/無伴奏チェロ組曲をレコーディングしている)。ガット弦よりスチール弦の方が強度に優れ切れにくく、湿度の影響も受けない。おまけに値段も安価である(消耗品だからその方がありがたい)。だから皆、一気に飛びついた。しかし柔らかい音色のガット弦に対し、金属製のスチール弦は硬質な音がする。ヴィブラートの普及には様々な説があるが、その音質の違和感を緩和するために恒常的ヴィブラート奏法(continuous vibrato)が推奨されるようになったのも、理由の一つに挙げられるだろう。

その過程に於いて、フルートやオーボエなど管楽器にもヴィブラートが普及していった。フルートの場合、以前は木製のトラヴェルソであったが、19世紀半ばからリングキーを採用したベーム式が普及し始め銀製の金管楽器に取って代わられる。故に木管らしからぬ金属的響きを、ヴィブラートによって緩和する目的もあったのではないかと推測される。

ヴィブラートの普及に呼応して、オーケストラの演奏速度は遅延の方向に向かう。速いテンポではヴィブラートを十分に効かせられないからである。

ここに1920年代から40年にかけ、ラフマニノフがオーマンディやストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団と共演した自作自演によるピアノ協奏曲の録音がある。驚くべきは、現代とは比較にならないくらい速いそのテンポ感である。20世紀の間にラフマニノフがロマンティックな文脈で捉えられるよう変化していった過程がそこに垣間見られる。

Rachmaninov

ベートーヴェンの交響曲も次第にロマン派以降の価値観で解釈されるようになり、遅くなっていった。ベートーヴェンがスコアに指示した極めて速いメトロノーム記号に則して演奏すると、ヴィブラートをかける暇などない。

そこで、

  • ベートーヴェンの時代は器具が正確ではなかったのでスコアに記されたメトロノーム表記は必ずしも信用できない。
  • 耳が聞こえなくなってから、ベートーヴェン本人が考えているテンポより速い表記になっている可能性が高い。

などといった、こじつけにも等しい説が登場した。しかし、考えてみて欲しい。まず作曲者本人を疑うとは何と無礼なことであろうか!スコアに記されたテンポで十分演奏可能であることは、延原武春、ブランス・ブリュッヘン、ロジャー・ノリントンら古楽系の指揮者たちが既に証明済みである。

こうやってヴィブラートの歴史を見ていくと、現在盛んに行われるようになってきたピリオド奏法(=モダン楽器を使用して古楽器風に演奏すること)は理に適っているのか?という疑問も生じてくる。つまり、金属的響きのするスチール弦をノン・ヴィブラートで演奏することに果たして意味はあるのだろうか?という問いである。そういう意味でピリオド奏法をする弦楽奏者達は今一度原点に立ち返り、スチール弦からガット弦に張り替える勇気を持つ必要もあるのではないかという気が僕にはするのだ。ちなみにダニエル・ハーディングやパーヴォ・ヤルヴィが音楽監督を務めてきたドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンは奏者全員がガット弦だそうである。また名ヴァイオリニスト ヴィクトリア・ムローヴァも、最近ではガット弦を張り、バロック弓を使用している。

ヴィブラートにまみれ、スコアに記されたメトロノーム指示を無視した、遅くて鈍重なベートーヴェンを未だに「ドイツ的で重厚な演奏」と褒め讃える人々がいる。ドイツ的って一体、何?僕には皆目、理解が出来ない。

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2009年7月10日 (金)

繁昌亭 昼席/桂文三 襲名披露興行

天満天神繁昌亭にて。

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  • 桂     三幸/十徳
  • 桂   阿か枝/商売根問
  • 桂      文華/近日息子
  • 内海   英華/女道楽
  • 笑福亭竹林/親子酒
  • 月亭   八方/質屋芝居
  • 口上
  • 桂    春之輔/お玉牛
  • 桂    きん枝/悋気の独楽
  • 桂      文三/青菜

阿か枝さんはそろそろマクラの中身(小学校落語鑑賞会)を替えたほうがいい。もういい加減聴き飽きた。

第3回繁昌亭爆笑賞を受賞された文華さんは緩急を巧みに使い分け、お見事。

三味線を使った英華さんの芸は他では観ることが出来ないもので、とても愉しい。英華さんが復活させた「女道楽」は上方で長く絶えていた演芸だそうである。

八方さんは”しゅっ”とした端正な芸で魅了した。前に聴いた「稽古屋」や「大丸屋騒動」でも感じたことだが、もう客を笑わそうという魂胆などはなく、噺に登場する(長唄とか)歌舞伎の所作をきっちりと伝えることに全神経を注いでおられるようお見受けした。落語に真摯に向かい合う八方さんの姿は素敵だ。

文三さんは調子よく明るい高座で和ませてくれた。

舞台上横一列にずらりと並んだ噺家による襲名披露口上(文華、きん枝、春之輔、文三、八方、文福)も笑いが絶えず、見応えがあった。

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2009年7月 9日 (木)

笑福亭鶴瓶/映画「ディア・ドクター」(Dear Doctor)

評価:B+

西川美和 原案・脚本・監督。これを西川さん本人が小説化した「きのうの神様」は直木賞候補となった。映画公式サイトはこちら

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西川監督の前作「ゆれる」(キネマ旬報ベスト・テン第2位)は日本映画史に永遠に記憶されるであろう大傑作であった(映画公開当時の筆者のレビューはこちら)。はっきり言って「ゆれる」に比べると「ディア・ドクター」の質が多少劣ることは否めない。新作には突出したものがなく、オーソドックスな「良い映画」の範疇に収まっている。それは結局本作が、僻地医療や高齢化、尊厳死などの社会問題を扱っているからだろう。そういうジャンルを掘り下げていって導かれる結論は多くはなく、大方予想出来るからである。しかし今年の日本映画を代表する、丁寧に創られた秀作であることに変わりはなく、是非映画館でご覧になることをお勧めしたい。

笑福亭鶴瓶さんの演技が素晴らしい。特にあの、人なつっこい笑顔が印象的。村の人々が「先生、先生」と慕う姿にリアリティが感じられる。

また「ゆれる」のレビューにも書いたことだが、本作では井川遥の登場シーンで彼女の顔の皺とか肌の弛みをわざと強調し、醜く描いているところに、女性監督らしい、同性への容赦ない悪意を感じとても可笑しかった。

八千草薫が、眠れない夜に夫の遺した落語のテープを聴くシーンで(十代目)金原亭馬生「親子酒」と(八代目)三笑亭可楽の「立ち切れ」が流れる。これは鶴瓶さんのアドバイスを受け西川監督が選んだものだそうだ。古いラジカセのスイッチが突然切れるのと、「立ち切れ」の三味線の音が止まるのが一致しているのがお見事。

映画を観る2日前に、鶴瓶さんによる生の高座でその「立ち切れ」を聴いた直後だっただけに、現実と虚構がシンクロして深い感銘を受けた。

 

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2009年7月 8日 (水)

笑福亭鶴瓶「立ち切れ」/きん枝のがっぷり寄席

天満天神繁昌亭で「きん枝のがっぷり寄席」を聴く。

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今回のゲストは笑福亭鶴瓶さん。

  • きん枝・鶴瓶/対談
  • 笑福亭 鶴瓶/立ち切れ
  • 桂   きん枝/皿屋敷

対談は(桂)文枝一門と笑福亭の違いについてあれこれと。兄弟弟子が和気藹々とした雰囲気の文枝一門に対して(師匠は生前「兄弟仲良く」といつも言っていたという)、笑福亭は体育会系で上下関係が非常に厳しい。入門が一年早いだけでも直立不動で接しないといけない、等々。十番弟子である鶴瓶さんが亡くなった師匠・松鶴の邸宅を購入し寄席小屋「無学」を作ったときも、一番弟子である仁鶴さんにどう頼んで出演してもらおうかと苦心した話などで盛り上がった(面白いエピソードを色々聞かせてもらったが、「他所へは洩らさないように!」と釘を刺されたのでこれ以上は差し控えたい)。

きん枝さんの高座は、テンポが一定(単調)なのでどうも眠くなる。鶴瓶さんがされた「立ち切れたちぎれ線香)」に絡めたマクラで、桂米團治さんが小米朝時代、雀々さん主催の落語会で「立ち切れ」を高座に掛けた折にやらかした失敗談を披露された。

立ち切れ」は芸妓・小糸(こいと)と船場の若旦那の純愛物語(悲恋)である。上方落語、屈指の大ネタと言われている。線香=芸妓の花代の俗称で、当時は線香一本が燃え尽きる時間を単位とした。

落語「三枚起請」に小山(おやま=女郎)の小輝(こてる)という人物が登場するが、小米朝(当時)さんはそれと「立ち切れ」がごっちゃになり、”小糸”のことを最初に”小輝”と言ってしまった。それではいけないと想ったらしく話の途中で名前が”小糸”に代わり、最後は訳が分からなくなってなって「何で(三味線を)終いまで弾ぃてくれへんねん、”こてと”〜!!」と叫んだそうだ。

また、別の会でのエピソード。

以下、小糸の死後、クライマックスにおける若旦那と御茶屋の女将(小糸の母)との会話。

誰も弾かないのに仏壇から流れてきた三味線の音が「ピン」と急に止む。
「何でや? 三味線の糸が切れたん違うか? ちょっと見て」
「糸は切れてぇ しまへん……(中略)若旦那、もぉ何ぼ言ぅたかて、小糸、三味線弾かしまへんわ」
「何でやねん?」
「お仏壇の線香が、ちょうど立ち切れました」

ここで小米朝さん、言い間違えて「三味線が燃え尽きました」と。下座でお囃子を担当していたかつら枝代さん(枝雀夫人)がこれを聞き、「火事になるがな」と呟いたとか。

この「立ち切れ」は、笑福亭の元祖と言われる松富久亭 松竹(しょうふくてい しょちく)の作だとのこと。しかし現在、笑福亭でこの噺を高座に掛ける人がいないことが鶴瓶さんが取り組む契機になったそうだ。

鶴瓶さんは映画俳優としても活躍しておられるだけに役作りが巧みで、実に味わい深い「立ち切れ」に仕上げられていた。特に話の中盤に登場する番頭の威厳ある態度が絶品だった。

ただ、鶴瓶さんの高座の最中、客席のおばちゃんの携帯電話が派手に二回(しかも同一人物!)鳴ったことは非常に残念であった。マナーが悪いのは大体、年寄りと相場が決まっている。

昨年の「大阪クラシック」でも、演奏中に同様のことが起こった。僕が隣に座っていた張本人に「携帯の電源を切って下さい」と注意すると、そのおばちゃん曰く「切り方が分からないんです」……仕方ないので僕が代わりにOFFにしてあげた。機器の使用法が分からないのなら、最初から携帯を持つな!と言いたい。

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落語の前に繁昌亭近くの「亀の池 浪速」で、うな重をいただく。こんがり焼けた鰻はふっくら、サクサク。まことに美味なり。

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2009年7月 7日 (火)

続報!のだめカンタービレと飯森範親さん

これは以前書いた記事「のだめカンタービレと飯森範親さん」と併せてお読み下さい。

映画版「のだめカンタービレ」(主演: 玉木宏、上野樹里)のヨーロッパ・ロケが現在、進行中である。この度、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるウィーン楽友協会(ムジークフェライン)大ホールでロケが行われた(くわしくはこちら)。楽友協会が映画の撮影で使用されるのは世界で初めてだそうである。演奏されたのはお馴染み、ベートーヴェン/交響曲第7番。楽団員はチェコのプロの交響楽団63人が動員された。何故チェコかというと、物価の関係で安く雇用できるからだと推測される(久石譲さんも「もののけ姫」「ハウルの動く城」などをチェコ・フィルハーモニー管弦楽団とレコーディングしている)。

これに関連して指揮者の飯森範親さんがブログで意味深なことを書かれている→こちら。調べてみると、映画「のだめカンタービレ」のロケがウィーン楽友協会で行われたのはこの6月28日(日)であることが判明した。飯森さんはスロヴァキアの首都ブラチスラバで行われたロケにも立ち会われたようだ→こちら

ということは、映画版「のだめカンタービレ」では影武者ならぬ影の指揮者として飯森さんのベト7が聴けるということだろう。これは実に愉しみである。飯森さんのことだ、果たして千秋がウィーン楽友協会で振るベートーヴェンはピリオド奏法になるのか!?その際バロック・ティンパニは使用するのか等、興味は尽きない(東欧諸国にはピリオド奏法は浸透していないので、恐らくモダン奏法だろうと想われるが……)。

なお、僕もこのウィーン楽友協会でコンサートを聴いたことが一度だけある。黄金色に輝く、世界で最も美しいホールである。

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2009年7月 6日 (月)

桂文太@高津の富亭(7/5)

落語「高津の富」「崇徳院」の舞台となった高津神社で「文太の会」を聴く。

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  • 桂文太/眼鏡屋盗人(古典)
  • 桂文太/親子茶屋(古典)
  • 桂三四郎/お忘れ物承り所(三枝 作)
  • 桂文太/目良のさいら(贋作)

開口0番で文太さんは、7/1に和歌山県の熊野において師匠である故・桂文枝の創作落語「熊野詣」を口演されたことを話された。師匠の未亡人や、息子さんも聴きに来られたそうだ(→新聞記事はこちら)。

名人・文太師の高座はいつも耳に心地よい。日溜りのようにぽかぽか暖かくて、穏やかな気持ちになれる。《ヒーリング落語》と呼べるかも知れない。体験されたことのない方は、是非一度ご賞味あれ。

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