2017年3月23日 (木)

映画「3月のライオン」前編

評価:B+

3

映画公式サイトはこちら

羽海野チカの漫画「3月のライオン」はまずNHKでアニメ版が放送された。監督・シリーズ構成は「魔法少女まどか☆マギカ」で一世を風靡した鬼才・新房昭之。2017年夏には劇場版アニメ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(原作:岩井俊二)が控えている。そちらの公式サイトはこれ

「3月のライオン」実写映画化は「るろうに剣心」の大友啓史監督、神木隆之介主演(桐山零)で実現した。神木くんは「るろ剣」にも出演している。今回は死んだ魚のような目が素晴らしい!

兎に角、キャストが適材適所で目を瞠った。主人公の義理の姉・香子(きょうこ)を演じる有村架純、美人三姉妹を演じる倉科カナ、清原果耶、新津ちせ(「君の名は」新海誠監督の娘)、プロ棋士を演じる加瀬亮、佐々木蔵之介、伊藤英明らがマンガのイメージを些かも損なうことなく、生き生きとスクリーンに息づいている。「男はつらいよ」の前田吟も東京の下町がよく似合う。ただ特殊メイクで肥満体に変身した染谷将太には些か違和感があった。

アニメでは20話分が、実写版は2時間18分の上演時間内で一気に進行するのだが、駆け足感は微塵もない。むしろじっくりと人物が描かれている印象を受ける。アニメ版も確かに傑作なのだが、気になったのは主人公のモノローグが非常に多いことと、盤上の展開が事細かに描写されること。将棋を知らない者にとってはチンプンカンプンで退屈だ。しかし映画の方は試合の場面でも殆ど盤上を写さない。むしろ棋士の表情をアップで捉え、凝視する。そこに底知れないスリリングな人間ドラマが生まれるのだ。モノローグがバッサリ、カットされているのもいい。

映画で次女ひなたを演じた清原果耶は素晴らしかったが、アニメ版で声を当てたのが映画「君の名は」「言の葉の庭」の”ユキちゃん先生(雪野百香里)”こと花澤香菜。こっちの声もとっても可愛くて甲乙つけ難い。あと三女モモ役の新津ちせだが、劇団ひまわりのプロフィール写真を見たときは如何なものか?と首を傾げたが、スクリーンで動いている姿を見ると違和感なく、川本家にしっくり溶け込んでいた。親(新海誠)の七光りなんか関係なく、申し分ないキャスティングである。

桐山零が一人暮らしするマンション@六月町は隅田川の直ぐ側で、水の底にいるような青い照明が基調となっている。そこに将棋盤がぽつんと暖色で浮かび上がる。そして川向うの川本家三姉妹が住む家@三月町は完全に暖色(茶色〜褐色=肌色)の世界として描かれる。つまり一人ぼっちの零にとって将棋と三姉妹だけが救いなのだろう。

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2017年3月22日 (水)

テレンス・マリック監督「ボヤージュ・オブ・タイム」

評価:A

Voyage Voyageoftime2

公式サイトはこちら

映画冒頭に道元禅師の和歌「世の中は  何にたとえん 水鳥の嘴(はし)振る露に 宿る月影」が挿入される。これは【水を飲む水鳥の嘴(くちばし)から飛び散る水滴に映る月影(=無限の宇宙)も一瞬にして消え去るように、この世は儚く、無常である】と詠っている。日本以外にも中国(道教の教え)、アラブ(コーラン)、インドのバージョンも用意されているという。

ナレーションはケイト・ブランシェット。中谷美紀による日本語版もある。視覚効果監修は「マトリックス リローデッド」「ツリー・オブ・ライフ」「ヘイトフル・エイト」のダン・グラス。

宇宙の誕生(ビッグ・バン)から地球の誕生、生命の進化から人間登場へ、そして宇宙の死までが描かれる。日本で公開されるのは90分の35mm版だが、40分のIMAX版もあるという。

ハワイ、アイスランド、チリ、パラオ、パプアニューギニア、ソロモン諸島などでロケされた。

実は本作のコンセプトはテレンス・マリック監督が以前に撮った「ツリー・オブ・ライフ」(カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー賞で作品賞・監督賞・撮影賞にノミネート)の一部に描かれたパートを拡大したものだ。VFXで創造された恐竜も両者に登場する。そもそもこの企画はマリックが地球の生命を探求する映画「Q」として1970年代から温めていたものだという。

彼の映画の特徴は監督デビュー作「地獄の逃避行」(1973)、「天国の日々」(78)の頃からそうなのだが、映像は本当に美しいのだけれど、シナリオが弱いんだよね。だから最近の作品「トゥ・ザ・ワンダー」「聖杯たちの騎士」なんかは完全に一般観客から見放されている。むしろ今回のようなスタイルの方が合っているのではないか?

「ボヤージュ・オブ・タイム」は自然ドキュメンタリーに近いが、恐竜や(俳優が演技する)原始人も登場するし、必ずしもそう言い切れない。ケイト・ブランシェットの語りもナレーションというよりはむしろ「」だしね。

我々観客は理解しようなどという邪心を捨てて、ゆったりと映像に身を委ねればいい。そこには哲学的瞑想的な世界が茫漠と広がってゆく。ある意味「」の体験に似ている。調べてみるとマリックはハーバード大学で哲学を専攻し主席で卒業。ハイデッガー著作の翻訳本を出版したり、マサチューセッツ工科大学で哲学を教えていたこともあるそう。筋金入りだね。

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デスノート THE CONCERT

3月11日(土)梅田芸術劇場へ。

Death

ミュージカル「デスノート」コンサート形式を観た。キャストは

浦井健治/柿澤勇人(夜神 月:ダブルキャスト)、小池徹平(L)、唯月ふうか(弥 海砂)、濱田めぐみ(死神レム)、石井一孝(死神リューク)、カン・ホンソク(死神リューク:韓国公演キャスト)ほか。

初演も【夜神 月】はダブルキャストだったが、大阪公演で柿澤勇人の出演はなかった。だから今回のコンサートは2人が一挙に見れるということと、死神リュークが吉田鋼太郎から石井一孝に交代になり、韓国公演に出演したカン・ホンソクも味わえるところが美味しい。

吉田鋼太郎はたしかに名優だが、歌に関する限り明らかに石井一孝に分がある。あと表情が正にリュークそのままなのが可笑しい。

カン・ホンソクは陽気でパワフル。サービス精神旺盛で好感を持った。

唯月ふうかは昨年8月ミュージカル「ピーターパン」@梅芸でフライングのリハーサル中の事故(眼窩底吹き抜け骨折)で心配したが(チケットを買っていて息子と一緒に観に来たが、公演中止となった)、元気そうで何より。また今回は夜神月の妹が本来歌うナンバー「私のヒーロー」を彼女の歌唱で聴けたので嬉しかった。

ダブルキャストについて。歌は浦井健治に軍配が上がるが、柿澤勇人はジャニーズ系のイケメンなので華があるし、甲乙つけ難い(別に浦井に華がないわけじゃない、あくまで相対評価です)。

いきなり終曲「レクイエム」から始まり意表を突かれた。トークを挟みながら1時間30分休憩なし。最後は夜神月とLがテニス対決を繰り広げるデュエットで〆。充実したコンサートだった。何と言ってもこのミュージカル、フランク・ワイルドホーンの楽曲が素晴らしい!

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2017年3月21日 (火)

シューベルトと梅毒/アンドラーシュ・シフ@いずみホール

フランツ・シューベルトの死因が梅毒の治療による水銀中毒であったことは、現在ほぼ確定されている。

感染時期は1818年、梅毒の診断を受けたのが25歳の1822年12月、「未完成」交響曲を作曲中だった。その翌年に「わが祈り」という絶望の詩を書いている。そして遅くとも24年には水銀治療が開始されていたと推察され(この頃作曲されたのが弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」)、28年11月初旬に集中的な塗布治療が施されたことは間違いない(11月19日に死去、享年31歳)。

彼の最晩年のピアノ・ソナタ第19−21番は28年9月に一気に書き上げられた。故にこれらは3部作と見做される。第18番は26年に作曲された。

スイスの精神科医キューブラー・ロスはその著書「死ぬ瞬間」で死の間際にある患者が辿る死の需要の心理的プロセスを五つの段階に分けた。①否認と孤立(denial & isolation) ②怒り(anger) ③取引(bargaining)  ④抑うつ(depression) ⑤受容(acceptance) である。

ハ短調のピアノ・ソナタ第19番には④抑うつや②怒りといった感情の交叉を聴き取ることが出来る。特に第4楽章タランテラから窺い知れるのは「僕にはもう残された時間がない」という焦燥感だ。しかしこれが第20番、21番と進むに従い穏やかで静謐な境地に達し、⑤死の受容で彼の人生は幕を閉じる。

第20番 第2楽章アンダンティーノ(嬰ヘ短調)は死の谷から深淵を覗き込むような印象を覚える。「生は暗く、死もまた暗い(Dunkel ist das Leben, ist der Tod !)」なおこの音楽はカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞した映画「雪の轍」で印象的に使われている。また第21番 第1楽章はアカデミー視覚効果賞を受賞したSF映画「エクス・マキナ」で流れる。

さて、3月17日(金)いずみホールへ。アンドラーシュ・シフのコンサートを聴いた。オール・シューベルト・プログラムで、

  • ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」
  • ピアノ・ソナタ 第20番
  • ピアノ・ソナタ 第21番

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短調の第19番がスキップされ、長調の3曲が並んだ。元々の発表では20,21番のみの筈だったのだが、直前に演奏家の強い希望により18番が加えられた。

シフは2015年に1829年ウィーン製フォルテピアノを弾いてシューベルト後期ピアノ作品集のCDをリリースしたが、今回使用されたのはベーゼンドルファー(オーストリア)の280VC(価格2100万円)。楽章間は切れ目なく演奏された。

第18番のソナタは柔らかく優しい音色が奏でられた。朴訥な語り口で、雲の上を歩いているかのよう。メヌエットなど舞曲では軽やか。

第20番も、例えばポリーニとか内田光子みたいな「怜悧さ」「切れ」とは正反対で、第1楽章では愛らしさとか天使の微笑みが感じられた。ところが展開部に至ると仄暗い陰影が差し込み、詠嘆のため息をつく。ぼつりぽつりと呟くような第2楽章嬰ヘ短調で僕は中原中也の詩を想い出した。

汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

また狂気が疾走する中間部からは悲痛な叫びが聴こえてきた。第3楽章スケルツォは羽根/綿毛が舞うよう。第4楽章には穏やかな日差しが差し込むが、展開部では悲しみや嘆きがその笑顔の端々(はしばし)に垣間見られた。

第21番を今回初めて実演で聴いて気が付いたのは、左手(低音部)は否応なく人を連れ去ってゆく「運命」を表しており、シューベルトの歌曲「魔王」を想起させる。シフが「音楽史上最も優れたトリル」と評した不気味なトリルは死の予感。一方、右手が奏でるのは純粋無垢な「」だ。引き裂かれる想い。何と痛ましく、美しい音楽だろう!第2楽章では廃墟に風が吹き荒び、さすらい人が朧に姿を現す。それは作曲家が死んだ後のこの世界の情景を表しているのかも知れない。歌曲集「冬の旅」に近いものを感じた。第3楽章では春になり子どもたちの歓声が聴こえ、第4楽章で彼らは夏の野原を駆け回る。そして恋人たちは川原で憩う。しかしそこにシューベルトの姿はもうない。まるで歌曲集「美しき水車小屋の娘」の終曲「小川の子守唄」のように。

19時開演、15分の休憩を挟み4曲のアンコールが終わってみれば21時56分。深く得難い体験だった。

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2017年3月17日 (金)

ファウスト✕ケラス✕メルニコフ/史上最強のピアノ三重奏

2月28日(火)いずみホールへ。

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イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)、ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)、アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)を聴く。

  • シューマン:ピアノ三重奏曲 第3番
  • カーター:エピグラム (2012)
  • シューベルト:ピアノ三重奏曲 第1番
  • シューマン:ピアノ三重奏曲 第2番 第3楽章(アンコール)

ファウスト✕メルニコフでブラームスのソナタを聴いた時のレビューはこちら。ファウスト単独でバッハの無伴奏を聴いたレビューはこちら。ケラスはアルカント・カルテットの一員として以前聴いた(こちら)。

シューマンは憂鬱で瞑想的。沈思黙考という雰囲気。第3楽章は鬱屈しているが、第4楽章は一転して伸びやかで華麗。

カーターが死の直前、21世紀に書いたエピグラムは現代音楽の最前衛を駆ける楽曲で面白い。

僕がシューベルトのトリオ第1番と初めて出会ったのは小学生の時。NHK-FMで放送されたスーク・トリオの演奏をテープ・レコーダーにエア・チェックし、繰り返し聴いた。1975年、日本コロンビアのスタッフが録音機材をチェコに持ち込んで録ったPCM録音で、ヨゼフ・スーク、ヨゼフ・フッフロ、ヤン・パネンカによる演奏だった。後にパネンカは指の故障でピアノを弾けなくなり、ヨゼフ・ハーラに交代する。結局トリオの第2番を聴いても何だかピンとこず、今でも第1番を愛聴している。

名手3人の演奏だけに一分の隙もない。明朗で簡潔な美しさがあり、ファウストは決して出しゃばらず禁欲的。ケラスには歌心があり、メルニコフのタッチは繊細でニュアンスに富む。パーフェクト。

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2017年3月14日 (火)

「モアナと伝説の海」あるいは、ディズニー・プリンセスの変遷

評価:A+

Moana

一旦ディズニーを解雇され、ピクサーの長編アニメーション第一作「トイ・ストーリー」を監督したジョン・ラセターがチーフ・クリエイティブ・オフィサーとしてディズニーに復帰後、取り組んできたことが2つある。1つ目は「ディズニーのピクサー化」であり、2つ目は「ディズニーの宮崎アニメ化」である。「ピクサー化」とはストーリー作りの段階から監督経験者全員を招集し、ラセターも加わって大人数でああでもない、こうでもないと議論しながら企画会議を繰り返して物語を練り上げていく合議制のことを指す。作品のクオリティは極めて高くなるが反面、作家性(個性)が失われたバディ・ムービーになりやすいという欠点もある。「ズートピア」がその典型例だろう。「シュガー・ラッシュ」なんかもそう。現在では殆ど、ディズニー映画なのか(子会社の)ピクサー映画なのか見分けがつかなくなってしまった。

ラセターが宮﨑駿に私淑していることはつとに有名だ。「千と千尋の神隠し」のアメリカ公開に尽力し、その様子は「ラセターさん、ありがとう」というドキュメンタリー作品となった。宮さんがアカデミー名誉賞を受賞した時ラセターはプレゼンターを務め、彼が初めて「ルパン三世 カリオストロの城」を観た時の感動を熱く語った。出不精の宮さんが重い腰を上げたのも、「僕がアメリカに行かないと、ラセターに怒られるから」という理由だった(「千と千尋」がアカデミー賞で長編アニメーション部門を征した際は渡米していない)。ラセターがディズニー復帰後、製作総指揮した「塔の上のラプンツェル」(2010)は完璧に「カリ城」へのオマージュであった。そもそもラプンツエルを塔の上から救い出すのは王子様の筈なのに、ディズニー版では3人組の泥棒さんなのである。まんまルパンじゃん!

そして【海に選ばれた】「モアナ」を観た時、瞬時に感じたのは彼女は風の谷のナウシカなのだということ。巨神兵や「天空の城ラピュタ」の飛行石が出てくるし、自然が蘇るクライマックスは「もののけ姫」だ(「ファンタジア2000」最終エピソード/ストラヴィンスキー「火鳥」にも似た描写がある)。モアナは雄々しく、ディズニー・アニメ史上最強のヒロインと言えるだろう。かっけー!

ディズニー長編アニメーションの第一作は言わずと知れた「白雪姫」(1937)である。彼女は"Someday My Prince Will Come."(いつか王子様が……)と夢見る、受動的な女の子であった。これは父性主義が強いキリスト教社会が生み出したお伽噺の特徴であり、女性はヒーロー(英雄)と結合することでしか幸せを掴むことができなかった(And they lived happily ever after)。「シンデレラ」(50)や「眠れる森の美女」(59)も同様。

変化が現れたのが「美女と野獣」(1991)のベルである。強い意志を持ち、自ら人生を切り開いてゆく。公開当時の批評を読めば判るが、笑っちゃうのはベルが本を読んでいるということだけで世間は衝撃を受けたのである。それまでディズニー・ヒロインの頭の中身は空っぽだと皆が思っていたわけだ。今からたった26年前の話である。「美女と野獣」はアニメーション史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされた(当時は未だ長編アニメーション部門がなかった)。そして「アナと雪の女王」(2013)年の登場で世界中の女性達が熱狂し、「ありのままで(Let It Go)」生きようと夢見たが、その先には孤独地獄が待ち受けていた。

さて、「モアナ」の話に戻そう。基本ラインは宮崎アニメなのだが他にも様々な映画からの引用があり、てんこもりの出血大サービス、至れり尽くせりのエンターテイメントに仕上がっている。ココナッツ海賊カカモラが登場する場面は明らかに「マッドマックス 怒りのデスロード」だし、宮﨑駿がアイディア構成・原画で参加している東映動画「どうぶつ宝島」(1971)の要素も入っている。吹き矢とかモアナが閉じ込められた洞窟から巨大な銅像を倒して脱出する場面は「レイダーズ 失われた聖櫃(アーク)」だし、海の表現はジェームズ・キャメロンの「アビス」、映画の終盤に半神マウイがモアナの元を去り……という件(くだり)は「スター・ウォーズ エピソード4」のハン・ソロの行動パターンと同じ。

フィジー、タヒチなど南太平洋の神話がベースになっているので日本人にも親しみやすい。つまり多神教の話なんだね。最後に登場するのは全能の女神ティフィティで、これもイエスやその父なる神など男ばかりのキリスト教とは全く違う。日本同様母性が主体なんだ。

人類に火をもたらすマウイはギリシャ神話(←こちらも多神教)におけるプロメテウスである。つまりトリックスターだ(トリックスターとは神話や伝説などで語られるいたずら者。その思いがけない働きによって旧秩序が破壊され、新しい創造が生じるきっかけとなることがある。しかし単なる破壊者として終わることもある)。日本神話(古事記)で言えば須佐之男(スサノオ)が近い。マウイが半神なのも神と人間の間を行き来する存在だからだね。

監督は「リトル・マーメイド」「アラジン」のロン・クレメンツとジョン・マスカー。ディズニーは低迷していた時期に手描きアニメーションを捨て、全てをCGアニメーションに切り替える方針を打ち立てた。それに反発したふたりは2004年に揃って退社した。しかし2006年にジョン・ラセターがチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任すると彼らも復帰し、手描き(セル画)による「プリンセスと魔法のキス」(09)を監督した。今回素晴らしいと感じたのはCGが主体でありながら、マウイの入れ墨が動いたり神話の箇所は手描きの手法を取り入れていること。つまり3Dと2Dのハイブリッドが見事に成し遂げられているのである。

作曲はブロードウェイ・ミュージカル「ハミルトン」でトニー賞を席巻したリン=マニュエル・ミランダ。もう文句なしに魅力的な楽曲である。

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2017年3月13日 (月)

韓国映画「お嬢さん」(R18+)

評価:A

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ロサンゼルス映画批評家協会賞及びサンフランシスコ映画批評家協会賞でそれぞれ美術賞&外国語映画賞をダブル受賞。ほか全米批評家協会賞外国語映画賞やナショナル・ボード・オブ・レビューのトップ5にも選出された成人映画である。原作はサラ・ウォーターズの「荊の城」。「このミステリーがすごい!」で第1位になった。小説の舞台はロンドンで2005年にイギリスBBCがテレビドラマ化している。映画版は日本統治下の韓国のお話に翻案されている。

パク・チャヌク監督の作品を初めて観たのがイ・ヨンエ主演「JSA」だった。これはイマイチだったけれど、カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞した「オールド・ボーイ」には打ちのめされた。しかし【復讐3部作】の他の2作品「復讐者に憐れみを」と「親切なクムジャさん」はえげつない残酷描写に気持ち悪くなっただけだったし、血まみれの「渇き」も感心しなかった。「お嬢さん」は僕が観る彼の映画の6本目ということになる。

「オールド・ボーイ」以来、久しぶりに面白いと想った。この監督特有の痛い(サディスティックな)描写も健在。でも今回は(「復讐者に憐れみを」「親切なクムジャさん」と違い)不快じゃない。新機軸だなと感じたのは初めてユーモアを感じたこと。その変態性には更に磨きがかけられ、残酷シーンでも何だかふと笑えちゃうんだよね。「あまちゃん」のクドカン(宮藤官九郎)が絶賛するのも頷ける。あと美術セットが素晴らしく、ひたすら耽美。覗きの描写など江戸川乱歩の世界に近いなと感じた。彼が「屋根裏の散歩」を撮っても似合うんじゃないだろうか?あと谷崎潤一郎の「卍」とか「春琴抄」とか。

主役の女優2人は美人だし、韓国女優は何と言っても脱ぎっぷりが潔い。エロティックというよりも、むしろ爽快だった。

音楽もなかなか良くて、ハープによる独奏が聴こえて来る場面は女吸血鬼を描くロジェ・ヴァディム監督「血とバラ」(1960)を意識しているんじゃないかなと想った。「血とバラ」と「お嬢さん」はどちらも百合族的世界観だし、そもそも「渇き」も吸血鬼映画だ。パク・チャヌクはこういうのが好きなんだよ。

物語について語るのは難しい。コン・ゲームと書いただけで既にネタバレだしね。ま、とにかく傑作だから観てください。ただし、高校生以下の健全な少年少女は絶対にダ・メ・ヨ

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2017年3月10日 (金)

周防亮介、クァルテット・ベルリン・トウキョウ@ザ・フェニックスホール

2月19日(日)ザ・フェニックスホールへ。

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ほぼ2つ分のコンサートを連続で聴いちゃおうという"Sunday Surround Salon"という企画。14時開演で終演は17時40分、3時間半を超える長丁場。これをB席(2階)2,000円という破格の安さで聴いた。1階席はステージを囲むように席が配置された。

【第1部】周防亮介(ヴァイオリン)、三又瑛子(ピアノ)

  • イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第6番
  • J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番
  • パガニーニ:ロッシーニの歌劇「タンクレディ」のアリア
    「こんなに胸騒ぎが」による序奏と変奏曲
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ
  • フォーレ:夢のあとに(アンコール)

【第2部】クァルテット・ベルリン・トウキョウ

  • ハイドン:弦楽四重奏曲 第38番「冗談」
  • バルトーク:弦楽四重奏曲 第3番
  • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第8番
    「ラズモフスキー第2番」
  • グラズノフ:5つのノヴェレッテ
    第2曲「オリエンタル」(アンコール)

「題名のない音楽会」にも数度出演している周防亮介はフェミニン(feminine)な人である。長髪(髪型はボブ)色白の外見もそうだし、声のトーンも非常に高い。しかし外見とはあべこべで、彼のヴァイオリンの音は力強く深い。

イザイの第6番はスペイン出身のヴァイオリニスト、マヌエル・キロガに献呈された。スペインの血が滾り、周防は荒々しい表現も辞さない。

バッハのパルティータでは無骨で野太い音を奏でた。終曲シャコンヌの前にハンカチを取り出して汗を拭き、調弦をして一息ついた。そして始まった音楽は息詰まる緊迫感と焦燥感に満ちていた。

パガニーニはこれでもかっ!という超絶技巧。

フランクのソナタは憂愁の香りが匂い立つ。しかしそこには芯の通った意思があった。

クァルテット・ベルリン・トウキョウは2011年に結成された。発足時は日本人が3人で、4人全員がドイツのベルリンに留学していたということで命名された。現在は第1ヴァイオリン(守谷剛志)とチェロ(松本瑠依子)の2人が日本人。2014年度 青山音楽賞を受賞した際のインタビュー記事はこちら

ハイドンは軽やかで、はしっこい(捷い/敏捷い)。

バルトークはpowerfulで繊細、精緻。

ベートーヴェンの演奏はツメの甘さが目立った。この作曲家には切断する父性、峻厳さがもっと欲しい。

アンコールのグラズノフは豪快でdynamic、濃い演奏で◎。

結論としてこの四重奏団は古典派よりも近現代の楽曲の方がウマが合っている。ショスタコーヴィチやコルンゴルト、マニャールなどのカルテットを今後聴いてみたいな。

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2017年3月 9日 (木)

井上道義/大フィル〜ショスタコーヴィチ、革命の夜

2月17日(金)フェスティバルホールへ。

井上道義/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第11番「1905年」
  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第12番「1917年」

「血の日曜日」事件から第一次ロシア革命に至る時代を扱った「1905年」と、第一次世界大戦から十月革命に至る「1917年」の組み合わせ。

熱くて濃い演奏が展開された。「1917年」は雄弁でheavy、何かに取り憑かれたようで、時として暴力的にすらなった。

現在日本でショスタコを振らせたら、ミッキーの右に出るものはいないだろう。大フィルの楽員たちもよく奮闘した。奏者も疲れたろうし、聴く方も疲労困憊した。しかし余韻は心地良かった。

「1917年」の第1楽章、弦楽器のピチカートに初登場し、第4楽章では頻出するE(ミ♭)-B(シ♭)-C(ド)音形をスターリンの名前の頭文字とみなす解釈がある。これはそもそも音楽学者・一柳富美子が言い出したことらしく、ミッキーも支持している(NHK Eテレのインタビューで触れていた)。しかし僕はこの考えに与しない。だって交響曲第10番でショスタコはスターリンを描写しているが、自分のイニシャルであるD-S(Es)-C-H音形(レ・ミ♭・ド・シ)は出てきても、E-B-Cは登場しないからである。

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2017年3月 7日 (火)

ワーグナー〈ニーベルングの指環〉序夜「ラインの黄金」@びわ湖ホール

3月4日(土)滋賀県の、びわ湖ホールへ。

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ワーグナー:楽劇〈ニーベルングの指環〉序夜「ラインの黄金」を鑑賞。

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「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」へと続く4部作を4年かけて毎年1作ずつ上演する壮大なプロジェクトである。

僕が座ったのはS席16,000円。破格の安さである。2日間とも完売したが、オペラの上演で収益が上がるはずはない。大赤字だろう。滋賀県、(少なくともあと3年は)頑張れ!!因みにメトロポリタン歌劇場@ニューヨークの同クラスの席で観ると、大体3万円掛かる。それでもメトのチケット売上額は総支出額(制作費・劇場管理費・運営費など)の33%を占めるに過ぎない。不足分はファンドレイジング(寄付金募集)で賄っている。その1割は企業から、残りの9割は個人のパトロンが支えている。しかし日本にオペラハウスを支援する大金持ち・篤志家はあまりいないわけで、結局税金に頼らざるを得ない。ま、いずれにせよありがたいことである。

〈ニーベルングの指環〉は後世の芸術に多大な影響を与えた。J・R・R・トールキンが書いたファンタジー小説「指輪物語(原題:The Lord of the Rings)」(1954-55)もその一つだ。ジョージ・ルーカスが創作した神話「スター・ウォーズ」で作曲を担当したジョン・ウィリアムズは〈ニーベルングの指環〉においてワーグナーが編み出した示導動機(ライトモティーフ)の手法を映画に応用している。宮﨑駿「崖の上のポニョ」のポニョは父親から”ブリュンヒルデ”と呼ばれるが、これは「ワルキューレ」に由来する(詳しくはこちらに書いた)。「ラインの黄金」に登場する火の神ローゲは「ハウルの動く城」カルシファーの原型である。

今回生で聴いてつくつづ痛感したことは〈ニーベルングの指環〉でヨーロッパ文明は成熟の頂点を極めたという紛れもない事実である。後にマーラーの登場あたりから熟し過ぎて腐りはじめ、ナチス・ドイツの台頭とともに完膚なきまでに破壊し尽された。フランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」でワルキューレの騎行が大音量で流されるのはこの歴史を踏まえている。またナチス時代のドイツをデカダンス調に描くルキノ・ヴィスコンティ監督「地獄に落ちた勇者ども」の原題(イタリア語)は「神々の黄昏」である。ヴィスコンティ「ルートヴィヒ」の主人公はワーグナーのパトロンであり、バイロイト祝祭劇場建設を支援した。そのこけら落としが〈ニーベルングの指環〉である。なお、ヴィスコンティはオペラ演出家としても名高く、マリア・カラスと組んだスカラ座での「椿姫」(指揮はジュリーニ)の成功は今や伝説となっている(カラスの呪いとして知られる)。

ワーグナーは〈ニーベルングの指環〉台本執筆にあたり、数多くの神話・伝説を研究した。例えば雷神ドンナーは北欧神話に登場するトールのドイツ名である。これを英語で綴るとThor(ソー)、マーベル・コミックスのヒーローで「アベンジャーズ」の一員マイティ・ソーの由来である。閑話休題。

演出家はドイツからミヒャエル・ハンペを招いた。1983年ムーティとザルツブルク音楽祭で組んだモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」、87年にカラヤンとザルツブルク音楽祭で組んだ「ドン・ジョヴァンニ」などが代表作。日本では98年に新国立劇場で「魔笛」を、2007年に横浜みなとみらいホールでロッシーニ「セヴィリアの理髪師」を演出している。1935年生まれだから現在81歳。美術・衣装はバイロイト音楽祭で「ローエングリン」を手掛けたこともあるヘニング・フォン・ギールケが担当。

最初から最後まで舞台前面にシルクスクリーンが張られており、プロジェクション・マッピングが効果的に用いられた。冒頭は宇宙空間が前面のシルクスクリーンと後方のスクリーンに立体的に映し出され、モヤモヤしたガスが渦巻き太陽系の誕生が描写される。スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」のクライマックスやテレンス・マリック監督「ツリー・オブ・ライフ」を彷彿とさせた。

「もしかしてSF仕立てだった1989年バイエルン国立歌劇場に於けるサバリッシュ指揮、ニコラウス・レーンホフの演出みたいな方向に進むのかな?」と一瞬想ったが、ラインの乙女たち登場以降はオーソドックスで写実的な演出となり、1990年メトにおける、ワーグナーが楽譜に書き込んだ「ト書き」に忠実に従ったオットー・シェンク版に近いとなと感じられた(指揮はレヴァイン)。地下からエルダが現れる場面では再び宇宙が描かれた。

正直、現在欧米で主流の前衛的演出と比較すると古色蒼然としている。しかしまぁ、こういうのも悪くない。そもそも〈ニーベルングの指環〉4部作が日本で、ましてや関西で上演されることなど滅多に無いわけだから、奇をてらう必要もないだろう。直球で勝負だ。

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歌手について。ロッド・ギルフリー(ヴォータン役)が朗々とした歌唱で良かった。あと西村悟(ローゲ)、カルステン・メーヴェス(アルベリヒ)、砂川涼子(フライア)らも好演。

沼尻竜典/京都市交響楽団の演奏も明晰で卓越していた。ワーグナーの官能性とか濃密さはないけれど、こういうシャープなアプローチも「あり」だろう。

あと3年、通います。

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