クラシック音楽業界の虚飾を剥ぐ〜大フィル初演!コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲

1月18日(木)フェスティバルホールへ。

角田鋼亮/大阪フィルハーモニー交響楽団による定期演奏会で、

  • コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
  • マーラー:交響曲第1番「巨人」

を聴く。ヴァイオリン独奏は竹澤恭子。

僕がエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが作曲した映画音楽「シー・ホーク」を初めて聴いたのは高校生の時。スタンリー・ブラック指揮、ロンドン・フェスティバル管弦楽団によるLPレコードだった。そして「なんて壮大な楽曲だろう、この人は天才だ!」と想った。

それから時を経て彼のヴァイオリン協奏曲を初めてCDで聴いたのが今から約30年前。その濃厚なロマンティシズムにいっぺんに魅了された。パールマン、プレヴィン/ピッツバーグ響の演奏で、EMIの輸入盤。当時、国内盤は一切なかった。0である。初演者ヤッシャ・ハイフェッツの名盤ですら手に入らなかった。コルンゴルトは完全に忘れ去られた(日本人は端から知らない)存在だったのだ。

今では東京で五嶋みどり、神尾真由子、諏訪内晶子らがこのコンチェルトを演奏するなど、すっかり市民権を得た。しかし大阪は東京より遥かに遅れていて、大阪交響楽団が定期演奏会で取り上げたのが漸く2016年末。

大フィルに至ってはそもそもコルンゴルトの楽曲を演奏すること自体、今回が初めてである。なお関西フィルは今年4月29日の定期演奏会で(独奏:オーギュスタン・デュメイ!)、日本センチュリー交響楽団は10月25日の定演で(独奏:荒井英治)で同曲を取り上げる。遂にコルンゴルトの時代が来たのだ。

このコンチェルトがアメリカで初演されたのが1947年。70年も経過している(日本初演は1999年。グリーン・ユース・オーケストラ '99、何とアマチュアの団体である)。どうしてこれ程までに適正な評価が遅れてしまったのか?その理由は大きく2つある。

  1. 初演された当時はアルノルト・シェーンベルクの十二音技法を経て、無調音楽が主流の時代になっており、「調性音楽は過去の遺物、時代錯誤だ!」と楽壇から無視された。
  2. 全楽章の主題(テーマ)全てがコルンゴルトが過去に手掛けた映画音楽から採られており、聴衆からも「映画に身を売った作曲家」と蔑まれた。

映画音楽を馬鹿にする風潮は今のクラシック音楽業界にも根強くあり、例えばオーケストラの定期演奏会で映画音楽が取り上げることは極めて稀である。要するにお高くとまっているのだ。プロコフィエフ「アレクサンドル・ネフスキー」は例外中の例外。彼の場合、映画はあくまで副業であり、主軸がコンサート・ピースだからだろう。

現在はウィーン・フィル、ベルリン・フィル、NHK交響楽団も「スター・ウォーズ」や「E.T.」「ハリー・ポッター」などを演奏するようになったが、あくまでポップス・コンサートや野外コンサートに限られている。大フィルも今度、武満徹とジョン・ウィリアムズの特集を組むが、やはり枠外(「Enjoy !オーケストラ」)だ。定期演奏会では歌劇の序曲やチャイコフスキーのバレエ音楽が演奏されるのに、映画音楽はどうして無視されるのか?そこには偏見以外の理由があろう筈がない。

つまりアメリカ合衆国においてアフリカ系アメリカ人による公民権運動が始まる前(20世紀前半)の状態、人種隔離政策ならぬ「音楽隔離政策」が未だにクラシック音楽の世界では当たり前のように蔓延(はびこ)っているのである。マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な演説"I Have a Dream"(1963)じゃないけれど、僕も次のように叫びたい。

わたしには夢がある!何時の日にか映画音楽がジャンルの色で差別されることなく、ベートーヴェンやチャイコフスキー、マーラーらの作品と肩を並べ、オーケストラの定期演奏会で取り上げられる日が来ることを。

闘いの日々は続く。TO BE CONTINUED...

さて、本日の演奏についてだがまず第1,2楽章の異様に遅いテンポに驚いた。僕は今までにこのコンチェルトのCDをハイフェッツ含め10種類以上聴いているが(ヒラリー・ハーンのDVDも)、竹澤は史上最遅である。豊穣な響きでたっぷりと歌うが、些か間延びした印象を受けたことも否めない。第3楽章は標準的な速さになり、引き締まった。力強く張りがあり、雄弁だった。そしてオーケストラを含め音色は美しく、総論として満足した。

マーラーについては歌い方、テンポ、ダイナミズム、どれをとっても良く言えば「中庸」、悪く言えば「中途半端」。楷書的な解釈で、はっきり言って「おもろない」。シンフォニーの冒頭から、盛り上がりに欠けたフィナーレまで頭の中では「この指揮者、一体何を表現したいの??」という疑問符がグルグル回り続けていた。彼の描こうとするヴィジョンが全く見えて来ない。

これは僕の持論だが、クラシック音楽はあくまで欧米の文化なんだから、若い指揮者は日本国内のポストだけで満足していたのでは駄目だ(その良い例が金聖響)。若い時こそ海外に武者修行に飛び出さなくちゃ!小澤征爾だって、大野和士や尾高忠明だって、一流の人たちは皆そうしてきた。角田鋼亮よ、旅に出て揉まれて来い!!

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映画「勝手にふるえてろ」と松岡茉優の変遷

評価:A+

Katte

映画公式サイトはこちら

松岡茉優、22歳。彼女が出演する映画を初めて観たのは「桐島、部活やめるってよ」(2012)だった。同年の「悪の教典」も観たが、全く記憶に残っていない。未だに彼女がどの役を演じたのか判らない。そんな影の薄い女だった。松岡茉優という名前を意識し始めたのは宮藤官九郎が脚本を書いたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」(2013)からである。ちなみに彼女の役どころは全国の地元アイドルから選抜されたグループGMT47のリーダー・入間しおり。しかし「アメ女」センター役の足立梨花の方が断然可愛かった(GMT47は「アメ女」の2軍)。ここでの松岡の印象は”不細工な娘(こ)”。余談だがGMT47は当然AKB48のパロディで、後年結成されたAKB48:チーム8は逆にGMT47をモデルにしている。

彼女に対する評価が180度転換したのが映画「ちはやふる ー下の句ー」。クイーンとして眩いばかりに光り輝いていた。

さて、「勝手にふるえてろ」である。原作は史上最年少19歳という若さで芥川賞を受賞した「蹴りたい背中」の綿矢りさ、脚本・監督:大九明子。ガーリーパワー(女子力)が炸裂している。

無様でみっともない恋愛映画だ。でもそこが愛おしい。こんなタイプの作品、観たことない!特に後半、松岡が突然歌い出す場面(ミュージカル仕立て)は本当に痛々しく、本作の白眉である。彼女がダサ可愛くて最高だ。ヒロインの友人役を務める石橋杏奈もすごく良かった。

あとロックバンド「クイーン」のボーカリスト、故フレディ・マーキュリーをめぐるギャグには大爆笑したのだが、若い観客には理解出来たのだろうか?

本作は12月18日に公開されたので、昨年の映画。しかし拙ブログのベスト選や個人賞は既に発表してしまったので、今年の枠に無理やり入れることにする(大林宣彦監督「花筐」も同様)。そして現時点で2018年の主演女優賞は松岡茉優に決めた!余程のことがない限り、この決定が覆ることはないだろう。

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ハンス・ロットの日本初演とマーラー「巨人」ハンブルク稿〜大響定期

1月12日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

寺岡清高/大阪交響楽団で、

  • ロット:ハムレット序曲(日本初演)
  • ロット:「管弦楽のための組曲 変ロ長調」からの二章(日本初演)
  • ロット:「管弦楽のための組曲 ホ長調」からの二章
  • マーラー:交響形式による二部の音詩「巨人」(ハンブルク稿)

ハンス・ロットは交響曲第1番をこのコンビで二度聴いている。

25年という作曲家の短い生涯については上記事で詳しく語ったのでここで繰り返さない。

交響曲第1番は級友マーラーに多大な影響を与えた点でも見逃せないし、聴き応えのある佳曲だと想う。このシンフォニーは2019年2月9日、10日にパーヴォ・ヤルヴィ/NHK交響楽団が、2019年2月9日に川瀬賢太郎/神奈川フィルハーモニー管弦楽団が定期演奏会で取り上げるということで巷で話題騒然となっている。なんと同じ日に競演!!ハンス・ロット再評価(いや、新発見?)の機運は大いに高まっている(パーヴォは既にフランクフルト放送交響楽団と同曲をレコーディング済み)。

だが今回取り上げられたハムレット序曲は作曲家18歳、管弦楽のための組曲は19−20歳の頃の作品であり、習作の域を出ていない。ワーグナーやリスト(前奏曲)の影響がモロに出ており、はっきり言って駄曲。図書館規模で網羅されているナクソス・ミュージック・ライブラリーですら収録されていない有様だから、推して知るべし。

マーラー「巨人」ハンブルク稿は、楽譜が失われたブタペスト初演稿に続く、第2稿である。次のような副題が付いている。

第1部青春の日々から】 第1楽章「終わりのない春」 第2楽章「花の章」 第3楽章「順風に帆を上げて」

第2部人間喜劇】 第4楽章「カロ風の葬送行進曲」 第5楽章「地獄から天国へ」

カロ風の葬送行進曲は下の版画に触発されたもの。

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森に棲む動物たちが、(本来は自分たちを殺す存在である)狩人を埋葬しようとしているという倒錯した情景が描かれている。

第3(決定)稿との一番大きな違いは「花の章」がカットされたことだろう。勿論「花の章」がオマケとして付いた「巨人」のCDは持っているし、大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏で実演を(アンコールとして)聴いたこともある。しかしラトル/バーミンガム市響のCDなどは「巨人」とは別枠で「花の章」が収録されており、第2楽章という中に組み込まれた形で聴くのは今回が初めて。今までとは全く違った景色が見えてきた。甘い香り。青春の儚さ、その光と影といったものがより鮮明に浮かび上がってきたのである。僕は決定稿よりハンブルク稿の方が好きかも。

ただ演奏の方は粗さが目立った(特に終楽章)。児玉宏が大響の音楽監督を務めていた時は定期会員になり毎月足を運んでいたが(夢のような時代)、外山雄三がミュージック・アドバイザーに就任して以降はプログラムの内容といい全く魅力のないオケに成り下がってしまった。今やデュメイ音楽監督の下で弦楽アンサンブルを鍛えられた関西フィルの方が実力が上ではないだろうか?大響もそろそろ目を覚ました方がいい。

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音楽を愛するすべての人へ!〜【本屋大賞】宮下奈都「羊と鋼の森」と大林映画「ふりむけば愛」

 森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。

最初の一文から一気に心を鷲掴みにされた。そしてこれは僕のために書かれた小説なのだという強い確信を持った。

宮下奈都(みやしたなつ)著「羊と鋼の森」は2016年に本屋大賞に選ばれた。また紀伊國屋書店のスタッフが全力で推すキノベス!でも堂々第1位に輝いた。現在東宝で映画化が進行中で、公開日は2018年6月8日を予定している。主演は山崎賢人。

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本屋大賞を受賞した時からずっと読みたいと思っていたのだが、1,620円もする単行本にはおいそれと手を出せなかった。漸く図書館で予約した順番が回ってきたので、いそいそと借りに行ったという次第。本を開くやいなやページをめくる手が止まらなくなった。なお文庫本(702円)は2018年2月9日に発売予定。

調律師の物語である。「羊と鋼の森」とは言うまでなくピアノの暗喩だ。「鋼」は弦(ピアノ線)のことであり、「羊」はハンマーヘッドを包む羊毛で出来たフェルトを指す。ハンマーが弦を叩くことで音が鳴る。つまりピアノは弦楽器であり、かつ打楽器なのだ。

主人公は高校の体育館で板鳥という調律師の仕事を間近に見て、そこに「森」を感じる。僕は頻繁にクラシック音楽の演奏会に足を運んでいるが、正直今までピアノの響きに「森」の気配を察知したことはない。しかしコンサートでしばしば「森」の中で彷徨している気分に浸る体験はあって、それは特にバロック・ヴァイオリンやバロック・チェロの音色に対してである。これら古楽器に張られているガット弦には羊の腸が使われている。また胴体(函)は木製だ。過去に僕が「森」について言及した記事を下に挙げておく。

音楽とは「森」である。臨床心理学者・河合隼雄はグリム童話などに登場する森は無意識のメタファーだと論じている。音楽もまた、無意識を表現する芸術だ。

調律師が主人公の小説ってすごく珍しい。他に思い浮かばない。よくよく考えて、一本の映画を想い出した。ジェームズ三木(脚本)、大林宣彦(監督)の「ふりむけば愛」(1978、東宝)だ。主演は山口百恵と三浦友和のゴールデンコンビ。

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「大林作品はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家・石上三登志だが、本作で百恵はピアノ調律師を演じた。実は百恵・友和の出会いそのものが大林が演出したグリコCMだった。映画の題名は大林が「このふたりは、僕と5年近くコマーシャルをやっているうちに、幼なじみだったのがいつの間にか気がついたら恋人になっていたんだよな、フッと振り向いたらそこに恋人がいたんだよ」と言ったら、三木が「ああ、ふりむけば愛ですね、それで行きましょう」という会話から生まれた。サンフランシスコ・ロケの際に大林は早々と必要なカットを撮り終え、ふたりが自由に過ごせる日を丸一日設けてあげた。百恵が大阪厚生年金会館でのリサイタル中に「私が好きな人は、三浦友和さんです」とファンの前で恋人宣言するのは翌1979年である。

そしてな、な、何と、東宝映画「羊と鋼の森」で調律師・板鳥を演じるのは三浦友和なのである!!こんな偶然ってあり得る!?いやいや、これは必然に違いない。

物語の舞台となるのは北海道で、映画は旭川市でロケされた。小説執筆当時、宮下は家族と大雪山国立公園内にある富村牛(トムラウシ)集落@十勝管内新得町で1年間暮らしていたという(山村留学)。だから主人公の名前が外村(とむら)なのだ。

外村は仕事先の家庭でふたごの高校生姉妹と出会う。彼女たちの名前は「和音(かずね)」と「由仁(ゆに)」。和音(わおん)は言うまでもなくハーモニーであり、由仁はユニゾンだ。ハーモニーもユニゾンも一人で奏でることが出来ないところがミソ。ふたりでひとり。このふたごを映画では上白石萌音・萌歌の姉妹が演じる。萌音も萌歌も音楽に纏わる名前。何だか出来過ぎている。

小説の中で、こんな文体に憧れていると原民喜(はらたみき)が書いた一節が引用される。

明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体

板鳥はそんな音をつくり出すことを目指している。その想いは作者本人にも繋がっているだろう。

僕はこのブログで沢山のコンサートレビューを書いてきたが、つくづく音楽を文章で表現することの難しさを感じている。困難というよりも、殆ど不可能な作業である。そもそも作曲家というのは言葉に出来ない自分の想いを音符に託しているわけだから、土台無理なのだ。時には絶望的な気持ちにすらなる。宮下は本書でその不可能性に果敢に挑み、格闘し(藻掻い)ている。それが堪らなく愛おしい。

外村はドイツから来日した巨匠とも魔術師とも称されるピアニストを聴くために町のコンサートホールに行く。そのピアニストは板鳥に全幅の信頼を寄せている。板鳥が調律するのを眺めながら、彼は次のように述懐する。

 自分が迷子で、神様を求めてさまよっていたのだとわかる。迷子だったことにも気づかなかった。神様というのか、目印というのか。この音を求めていたのだ、と思う。この音があれば生きていける、とさえ思う。

僕もコンサートを聴いている最中に「音楽の神様がホールに舞い降りた」と直感する瞬間がある。しかしそれは数年に一度であり、滅多にあることではない。

コンサートの帰り道、外村は勤め先の楽器店の社長と次のような会話を交わす。

「こんな小さな町にいるよりも、もっと大きな場所で、たくさんの人の耳に触れるピアノを調律したほうが板鳥さんの腕を活かせるんじゃないでしょうか」
「ほんとにそう思うのかい。(中略)ここに素晴らしい音楽がある。辺鄙な町の人間にも、それを楽しむことはできるんだよ。むしろ、都会の人間が飛行機に乗って板鳥くんのピアノを聴きに来ればいい、くらいに私は思っているんだがね」

ここには地方に住む人間の挟持、気概がある。僕は確信した。宮下は東京に住んでいないと。調べてみると案の定、彼女は福井県福井市在住だった。

日本は今やクラシック音楽大国である。世界中の著名な音楽家が我が国に殺到し、飽食状態である。しかしそれは東京一極集中型であり、美味しい想いをしているのは関東の人々だけというのが実情だ。例えば昨年のベルリン・フィル来日公演もそうだったけれど、関東にだけ来てそのまま帰国する音楽家たちのなんと多いことか!大阪にすら来てくれない。東京都には9つのプロ・オーケストラがあるが、大阪府は4つ、滋賀県・奈良県・和歌山県は0である。日本の文化的「豊かさ」って一体、何なんだろう?とつくづく考えさせられる今日このごろである。

そんなこんなで共感することの多い小説だった。音楽を愛する全ての人々にお勧めしたい。特にピアノを習っていたり、吹奏楽部に所属する中学・高校生は是非読んでみて!

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明日海りお主演 宝塚花組「ポーの一族」あるいは、吸血鬼に取り憑かれた男たち。

1月7日(日)宝塚大劇場へ。花組公演「ポーの一族」を観劇。

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主な配役は、エドガー:明日海りお、シーラ・ポーツネル男爵夫人:仙名彩世、アラン:柚香 光、メリーベル:華 優希ほか。  

萩尾望都「ポーの一族」の連載が始まったのは1972年。バンパネラ(吸血鬼)ものであり、【永遠の命】がテーマになっている。今回の観劇で強く感じたのは、これは萩尾版「火の鳥」なんじゃないかということ。手塚治虫「火の鳥」黎明編が発表されたのは1954年。萩尾は高校2年生のときに手塚の「新選組」に強く感銘を受け、本気で漫画家を志した。彼女が手塚漫画について語っている映像はこちら。「火の鳥」についても言及している。「ポーの一族」執筆に際し萩尾が直接影響を受けたのは石森章太郎「きりとばらとほしと」だが、後に手塚も「ドン・ドラキュラ」を書いた(大林宣彦監督がこの映画化を企画したが、実現しなかった)。

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また時を越えて生き続けるという設定はヴァージニア・ウルフの小説「オーランドー」に近いと言えるかも知れない。エドガーは男とも女とも明確な区別がつかない、中性的イメージだしね。そういう意味でも明日海りおにピッタリで、完璧なキャスティングであった。柚香 光のアランも文句なし。ふたりとも漫画から抜け出たような美しさ。

有名な吸血鬼小説といえばシェリダン・レ・ファニュ「吸血鬼カーミラ」(1872年刊行)とブラム・ストーカー「ドラキュラ」(1897年刊行)にとどめを刺す。 どちらもアイルランドの作家という事実が興味深い。映画ならムルナウ監督「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年独、原作はストーカーのドラキュラ)が原点で、「カーミラ」の映画化としてはロジェ・ヴァディム監督「バラ」(1960)が名作中の名作と誉れ高い。そして日本でこの「バラ」に取り憑かれているのが映画作家・大林宣彦である。

そして和製ドラキュラ役者としては岸田森の右に出る者はいないだろう。「を吸う」3部作が有名だが、大林映画「金田一耕助の冒険」(1979)でもドラキュラを演じた。

宝塚の小池修一郎もまた、バンパネラものを繰り返し手掛けてきた。

バンパネラ(吸血鬼)はキリスト教へのアンチテーゼとして闇の中から生まれた。ドラキュラが十字架や太陽光を忌避するのはそのためである。それは悪魔崇拝と結び付いている。悪魔は神に叛逆した堕天使だ(ミルトンの小説「失楽園」)。永井豪「デビルマン」も悪魔とドラキュラ伝説の密接な関係性について触れている。キリスト教徒は(プロテスタント・聖公会・カトリック・正教会の全てを合わせても)日本人の約1%を占めるに過ぎない。だから我が国はバンパネラを受け入れやすい土壌と言えるのではないだろうか。

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小池が萩尾にミュージカル化を申し入れてから32年。それだけ待った甲斐があったというものだ。明日海りお=エドガーというまたとない逸材を手に入れ、演出家としても円熟の極みにある。今の小池なら音楽を「エリザベート」のリーヴァイや「ロミジュリ」のプレスギュルヴィック、「スカピン」のワイルドホーンらに依頼することも可能だったろう(ワイルドホーンは雪組「ひかりふる路〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜」を担当した)。しかし彼は敢えて歌劇団の座付作曲家で臨んだ。これも日本人スタッフだけでやれるという自信の現れだろう。

作曲・編曲:太田 健は「アデュー・マルセイユ」「太王四神記」「カサブランカ」「オーシャンズ11」「銀河英雄伝説」「るろうに剣心」等で小池と組んできたが、今までで最高の出来である。小池の執念が憑依したかのような奇跡の完成度。文句なし!「風と共に去りぬ」「ベルサイユのばら」などを担当した寺田瀧雄と比べると、作曲技法の進化に隔世の感がある。

海外ものなら「エリザベート」「ロミオとジュリエット」「ミー&マイガール」など名作が多数あるが、宝塚歌劇オリジナル作品としては「ポーの一族」が頂点を極めたと断言しよう(レビューの最高峰は「ノバ・ボサ・ノバ」と「パッサージュ」)。なんて耽美な世界なのだろう!

それにしても宝塚では男役と娘役トップが恋に落ちるというのが芝居の基本形だが、「ポーの一族」は異色である。エドガーはシーラ・ポーツネル男爵夫人に思慕の念を抱いているが、それはあくまで母親代わりだ。いわば「銀河鉄道999」における哲郎のメーテルに対する気持ちに近い。だから最終的に恋が成就するのはエドガー↔アランなのだ。これは萩尾の漫画「トーマの心臓」に繋がっているし、同性愛という意味で「バラ」的でもある。正に21世紀の宝塚に相応しい題材と言えるだろう。

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幕間にラウンジで公演メニュー「バラのムース」を食べた。 これが無茶苦茶美味しかった!またオリジナルカクテル「バラのエナジー」も○。もう一度観に行く予定だが、また注文してしまいそう。

宝塚歌劇「ポーの一族」は今後の展開として「ベルサイユのばら」みたいに【小鳥の巣】編、【春の夢】編などシリーズ化を熱望する(今回はさしずめ【メリーベルと銀のばら】編)。小池さん、いくらでも思う存分やってください。とことん付き合います。

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大竹しのぶ 主演「欲望という名の電車」

1月6日(土)森ノ宮ピロティホールへ。

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テネシー・ウィリアムズ作「欲望という名の電車」を観劇。

配役はブランチ:大竹しのぶ、スタンリー:北村一輝、ステラ:鈴木杏、ミッチ:藤岡正明 ほか。

演出はイギリス出身のフィリップ・ブリーン。

大竹は本作の演技に対して紀伊國屋演劇賞(個人賞)を受賞した。

「欲望という名の電車」は1947年ブロードウェイで初演され、翌年ピューリツァー賞を受賞。アーサー・ミラー「セールスマンの死」と共に、20世紀のアメリカ演劇を代表する戯曲である。

舞台はニューオリンズ。ジャズ発祥の地として知られ、初演を演出したエリア・カザンが監督を務めた映画版におけるアレックス・ノースの音楽は非常にJAZZYな仕上がりになっている。今回の上演版もジャズ・テイスト満載だ。

同性愛・少年性愛・レイプという、ありとあらゆるタブーがふんだんに盛り込まれているので、第二次世界大戦直後の初演時には衝撃的だったろう。51年の映画版では自主規制(ヘイズ・コード:ハリウッド映画に於ける検閲制度)がかかり、その濃密さが些か薄まった印象がある。ちなみにテネシー・ウィリアムズはゲイだった。

好みかどうかは置いておいて、大いに観応えのある舞台だった。大竹しのぶはまぁ言ってみれば日本のメリル・ストリープなわけで、彼女の演技に文句あろう筈もない。野性味溢れる北村一輝や鈴木杏も見事であった。今度は松尾スズキ演出版も観てみたいな。

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法師温泉への旅と、「彼のオートバイ、彼女の島」

年末から年始にかけ、群馬県の法師温泉へ3泊4日の旅をした。

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宿泊した長寿館の公式サイトはこちら

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法師温泉のことを初めて知ったのは1986年4月26日に公開された、大林宣彦監督による角川映画「彼のオートバイ、彼女の島」を劇場で観た時だった。原田知世の姉・貴和子と竹内力のデビュー作となった。それから31年という時を経て、漸く行ってみたいという想いを叶えることが出来たのである。

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「彼のオートバイ、彼女の島」は一旦105分の作品として完成したが、併映の角川春樹監督「キャバレー」の尺が長くなったため「もっと短くなりませんか」とプロデューサーから要請され、15分カットし90分の作品として完成した、監督曰く【心意気の映画】である。

当時、「月刊シナリオ」に掲載された関本郁夫によるシナリオを読んだが、ヒロイン・美代子(ミーヨ)は最後に交通事故に遭って死ぬ。功(コウ)が泣き叫びながらバイクで駆ける場面がラストシーンとなっていた。しかし完成版で事故はコウの想像に過ぎず、ミーヨは無事でふたりで記念写真を撮る場面で終わる。

法師温泉は旅先で出会ったコウとミーヨが、再会する場所として登場。原田貴和子のフルヌードに当時の観客は度肝を抜かれた。

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大林監督はこのシーンの演出意図について川端康成の小説「伊豆の踊子」で、共同浴場から素っ裸で飛び出してきた踊り子が主人公に何かを叫ぶ場面、

子供なんだ。私たちを見つけた喜びでまっ裸のまま日の光の中に飛びし、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。

や、三島由紀夫「潮騒」で新治と初江が真っ裸で焚き火を挟んで向かい合う場面、

「初江!」
と若者が叫んだ。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
少女は息せいてはいるが、清らかな弾んだ声で言った。裸の若者は躊躇しなかった。爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火の中へまっしぐらに飛び込んだ。

などを引用し、少女の純潔性(innocence)を表現したかったのだと語った。なお余談だが、この「潮騒」の場面は後の新・尾道三部作「あした」で高橋かおりと林泰文が再現することになる。

長寿館に泊まって初めて気が付いたのは、ここは国鉄「フルムーン」CMのロケ地でもあったこと。上原謙、高峰三枝子が出演し、放送当時(1981年)大変話題になった。

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動画で観たい方は→こちら! 実はこの作品のディレクターは、誰あろう大林宣彦なのである(音楽はラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 終楽章)。上原謙は後に原田知世主演「時をかける少女」(1983)にもゲスト出演している。また最近では映画「テルマエ・ロマエ II」もここで撮影されたとか。

法師の湯はこんな感じ。

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入って分かったのは、湯船は実際には4つしかない。その真中を丸太が仕切っている(丸太の下はいけいけになっている)。 また各々で水温が違い、写真左奥(窓側)の湯船が一番ヌルい。6歳になる息子を連れて行ったのだが、この一番ヌルい湯がお気に入りになり、ここばかり入っていた(1日5回×30分ずつ!)。因みに法師の湯は基本的に混浴。午後8時−10時のみ女性専用になる。

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近くにある赤沢スキー場でソリ遊びもして、息子も冬休みを満喫していた。また近い将来、是非再訪したい。

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ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」2018年新春大阪公演初日

1月3日(水)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」日本初演50周年記念公演 大阪初日を観劇。

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主な配役は、テヴィエ : 市村正親、ゴールデ(妻) : 鳳 蘭、ツァイテル(長女) : 実咲凜音、ホーデル(次女) : 神田沙也加、チャヴァ(三女) : 唯月ふうか、モーテル : 入野自由、パーチック : 広瀬友祐、フョートカ : 神田恭兵、ラザール : 今井清隆 ほか。  

この作品の歴史については5年前、2013年の公演時に詳しく書いたので下記事を参考にされたし。

タイトルの由来や、日本人がどうして本作に親しみを感じるのか、また物語の最後に結婚仲介人の老婆イェンテがエルサレムに、三女チャバがポーランドのクラフクへ向かって旅立つ深い意味についても述べてあり、読み返してみると特に付け加えることはない。

初演のテヴィエは森繁久彌だが、市村が引き継いでから既に13年が経過しているという。コミカルな演技で最初観た時は「軽妙過ぎるかな?」とも感じたが、むしろいっぱい笑いがあるからこそ哀しみが深まるのではないだろうか。

実咲凜音は宝塚歌劇トップ娘役時代に幾つか公演を観ている。

歌がそんなに得意でなく、声が良くないのだけれど、ダンスになると俄然他の姉妹より上手くてさすが宝塚出身者と唸った。

鼻っ柱が強い次女を演じた神田沙也加は凛とした佇まいで好演。彼女のイライザ@マイ・フェア・レディが愉しみだ。三女役の唯月ふうかも可愛くて文句なし。ただソロがないのが気の毒だった。ミュージカル「舞妓はレディ」、観に行きます!

神田恭兵はミュージカル「ミス・サイゴン」のトゥイ役(主人公キムの許婚)で何度か観ている。

高い美声に魅了された。テヴィエが、ラザールと長女との結婚の約束を交わす居酒屋の場面で、二人を祝福する第一声を発するロシア人がフョートカだということに、今更ながら初めて気が付いた。

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2017年映画ベスト40 & 個人賞発表!

今年から新ルールを導入する。2017年に劇場で初公開された作品及び、Netflixなどインターネットで配信された映画を対象とする。ただし、「ザ・クラウン」「ハウス・オブ・カード」「マインド・ハンター」「侍女の物語(The Handmaid's Tale)」など連続ドラマは除外する。タイトルをクリックすれば過去に僕が書いたレビューに飛ぶ仕組み。

  1. ラ・ラ・ランド
  2. ブレードランナー2049
  3. ダンケルク
  4. 女神の見えざる手
  5. メッセージ
  6. 沈黙 サイレンス
  7. 夜は短し歩けよ乙女
  8. KUBO/クボ 二本の弦の秘密
  9. オクジャ/okja (Netflix配信)
  10. スター・ウォーズ/最後のジェダイ
  11. ブレンダンとケルズの秘密
  12. 三度目の殺人
  13. 美女と野獣(ディズニー実写版)
  14. ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ
  15. ドリーム
  16. IT/イット “それ”が見えたら、終わり。
  17. お嬢さん
  18. 美しい星
  19. モアナと海の伝説
  20. キングコング:髑髏島の巨神
  21. LION/ライオン
  22. ハクソー・リッジ
  23. エル ELLE
  24. 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
  25. ボヤージュ・オブ・タイム
  26. 帝一の國
  27. ムーンライト
  28. 怪盗グルーのミニオン大脱走
  29. エタニティ 永遠の花たちへ
  30. セールスマン
  31. 3月のライオン
  32. gifted/ギフテッド
  33. マッドバウンド 哀しき友情 (Netflix配信)
  34. ヒトラーの忘れもの
  35. 否定と肯定
  36. ベイビー・ドライバー
  37. 怪物はささやく
  38. 劇場版 響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜
  39. ノクターナル・アニマルズ
  40. ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち
  41. 少女ファニーと運命の旅

今年は本当に面白い作品が多かった。だから従来よりも多い、ベスト40に膨れ上がった。例えばパク・チャヌク監督の「お嬢さん」が17位になってしまい、戸惑っている。文句なしに愉しめたし、ベスト10圏内に入るだろうと予想していたから。それだけ充実した年だったということだ。

総括として、映画を映画館で観る時代が終わろうとしているという切実な実感がある。今回のベスト40でもNetflix配信作品が2本入選した。また圏外だったが、アカデミー作品賞候補になった(主演男優賞・脚本賞受賞)「マンチェスター・バイ・ザ・シー 」はAmazon配給作品である。近い将来、新作映画はネット配信で観るのが当たり前という世界が間違いなく到来する。映画館で勝ち抜けるのはIMAXシアターなど特殊な上映環境のみであろう。それはシネコン普及により、町の単館映画館がことごとく駆逐されていった過去に似た状況だ。映画館でフィルム上映していた時代にはまだ生き残れる道があった。しかしデジタル上映に切り替わった今となっては、家庭の4Kテレビで観ても画質に大差ない。袋小路Dead - End. バイバイ。

久しぶりに個人賞も選んでみよう。

監督賞:ドゥニ・ヴィルヌーヴ(ブレードランナー2049メッセージ
アニメーション監督賞:トラヴィス・ナイト(KUBO/クボ 二本の弦の秘密
変態で賞:パク・チャヌク(お嬢さん)、ポール・バーホーベン(エル ELLE
スローモーション大杉で賞:メル・ギブソン(ハクソー・リッジ
悠久の時賞:トラン・アン・ユン(エタニティ 永遠の花たちへ
脚本賞(オリジナル):デイミアン・チャゼル(ラ・ラ・ランド
脚色賞(原作あり):上田誠(夜は短し歩けよ乙女
主演女優賞:ジェシカ・チャステイン(女神の見えざる手
主演男優賞:ライアン・ゴズリング(ラ・ラ・ランドブレードランナー2049
助演女優賞:キャリー・マリガン(マッドバウンド 哀しき友情
助演男優賞:イッセー尾形(沈黙 サイレンス
AI(Artificial Intelligence)/ホログラム演技賞:アナ・デ・アルマス(ブレードランナー2049
撮影賞:ロジャー・ディーキンス(ブレードランナー2049
編集賞:リー・スミス(ダンケルク
美術賞:デヴィッド・ワスコ、サンディ・レイノルズ・ワスコ(ラ・ラ・ランド
衣装デザイン賞:メアリー・ゾフレス(ラ・ラ・ランド
作曲賞:ジャスティン・ハーウィッツ(ラ・ラ・ランド
歌曲賞:米津玄師(作詞・作曲)「打上花火」(打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
録音・音響効果賞:ダンケルクのスタッフ一同
視覚効果賞:ブレードランナー2049のスタッフ一同
特別賞:湯浅政明〜【詭弁踊り】の創作に対して(夜は短し歩けよ乙女)デビルマン@Netflixも期待してます。

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アンジェリーナ・ジョリー監督「最初に父が殺された」(カンボジア映画)

評価:B

Firsttheykilledmyfather

アンジェリーナ・ジョリーが監督したカンボジアとアメリカ合衆国の合作映画。会話はクメール語であり、アカデミー外国語映画賞のカンボジア代表として出品されたが、先日発表された【選考において次の段階に進む9作品】の中には入れなかった(日本代表「湯を沸かすほどの熱い愛」も落選)。Netflix作品であり、現在世界へ配信されている。上映時間136分。公式サイトはこちら。予告編あり。

クメール・ルージュの虐殺を生き延びたカンボジア女性の回想録が原作であり、実話だ。志は立派である。真摯に創られているが、如何せんアンジーは映画監督としての才能が欠如している。稀に俯瞰ショットにハッとする瞬間もあるが、兎に角スローモーションの演出が多すぎる。くどい。素人が陥りやすい落とし穴にまんまと嵌まっている。これなら”ひとりミュージカル映画”「愛のイエントル」のバーブラ・ストライザンド監督の方が遥かにマシ。ついでに言うなら僕は「ハクソー・リッジ」を高く買うが、メル・ギブソンの演出もスローモーションがtoo muchだと想っている。

映画スターで監督としても優れた才能だと今までに感じたのはクリント・イーストウッドと、チャールズ・ロートン(「狩人の夜」)、そしてエリッヒ・フォン・シュトロハイム(「愚かなる妻」「グリード」)くらいかな。アカデミー作品賞・監督賞を受賞したリチャード・アッテンボローの「ガンジー」(1982)にしろ、ケビン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)にしろ、僕に言わせればたしかに真面目な映画だけれど冗長で凡庸、面白みに欠ける。だって今や「ガンジー」とか「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を不朽の名作だと褒める人なんて誰もいないでしょ?餅は餅屋だ。

ただ、歴史の勉強になるという意味で、「最初に父が殺された」の資料的価値はあると言えるだろう。

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