【いつか見た大林映画】第4回 ロケ地巡りと【尾道三部作】外伝

大学生になって僕が始めたことは【尾道三部作】のロケ地巡りである。今の言葉で言えば聖地巡礼ということになるだろう。岡山市から何度も足を運んだ。駅の観光案内所に行けば「おのみちロケ地案内図」が無料で貰えた(後に【新・尾道三部作】のロケ地案内図も発行された)。

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「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」のロケ地マップが、美術監督である薩谷和夫さんのイラスト付きで紹介されている。因みに「時をかける少女」は尾道市と(広島県)竹原市でロケされており、編集で一つの街のように見せている(原田知世は自宅から学校への通学路でワープしているわけだ)。竹原市にも勿論、訪れた。

大林監督が【尾道三部作】に於いて現地の拠点としていたのが「さびしんぼう」にも登場する、商店街の中にあったジャズ喫茶TOM(監督が愛飲していたのはTOMソーダ)と、「転校生」に出て来るロープウェイ乗り場前にある「茶房こもん」である(ここのワッフルは絶品。監督が推薦する飲み物はサンセットドリンク)。公式サイトはこちら。「こもん」の店主・大谷 治氏が小道具の調達など現地コーディネートを担当しておられた(読売新聞の記事はこちら)。余談だが、あと尾道で僕の大好物は朱華園のラーメン。もし行く機会があれば是非ご賞味あれ。掛け値無しに美味しいから。

さて、「さびしんぼう」のエンドクレジットをご覧頂こう。

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TOMのマスター・須賀 務氏の名前、そして茶房こもんがクレジットされている。

TOMのマスターはTMC(TOM MEMBERS CLUB)を主宰し、いわば私設大林映画のファンクラブみたいなものだった。僕もマスターと親しくなり、TMCに入会した。黒いTシャツもあったな。TOMで大林監督に偶然お会いし、サインを頂いたこともあった(当時監督は煙草をスパスパ吸っておられた)。大林映画「彼のオートバイ、彼女の島」(1986)に登場するピアノバーはTOMの内装をモデルにしている(美術監督は薩谷さんさん)。実はこの作品、原田知世の姉・貴和子のデビュー作であるとともに、竹内力のデビュー作でもあるのだ。それまで九州で三和銀行の社員をしていたが、役者になりたいと一念発起してオートバイで東京に出てきた。「ミナミの帝王」以降の彼しか知らない人にとっては驚くだろうが、当時の竹内は笑うとエクボの出来る爽やかな好青年だった。

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「彼のオートバイ、彼女の島」は「イージー・ライダー」などアメリカン・ニューシネマの精神を受け継ぐ、《心意気の映画》である。その心は「風になりたい」。流麗な編集が鮮やかで、黒白(black and white)とカラーが何の法則性もなく交差する手法はクロード・ルルーシュの「男と女」みたいだった。片岡義男の原作で「彼女の島」は岡山県笠岡市の白石島だが、映画でロケされたのは尾道市の岩子島。同じ年に公開された「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986)も尾道市と広島県福山市鞆の浦で撮影された(余談だが宮﨑駿監督が「崖の上のポニョ」の構想を練ったのも鞆の浦の旅館である)。「彼のオートバイ、彼女の島」は原田貴和子が冒頭でいきなりフルヌードで登場することが話題となったが、「野ゆき山ゆき海べゆき」が第一回主演作品となる鷲尾いさ子(前身は全日空水着キャンペーンガール)も裸になっている。そもそも監督の劇場映画デビュー作「HOUSE ハウス」(1997)では池上季実子が、「転校生」では小林聡美、「あした」では高橋かおり、「なごり雪」では宝生舞がバストトップを見せており、大林監督は新人女優の「脱がし屋」という異名をとることになる(「はるか、ノスタルジィ」の石田ひかり、「あの、夏の日-とんでろ じいちゃん」の宮崎あおいについては後日じっくり語ろう)。因みに監督の弁によると、裸は「生まれたままの姿」であり、少女の純潔性を映し出そうとしているのだそうだ(そして三島由紀夫の小説「潮騒」の焚き火の場面『その火を飛び越して来い』を例に挙げる)。監督がAKB46「So long ! 」のミュージック・ビデオを撮った時、唐突にメンバーが水着姿になる場面があり、後にSKE48の松井珠理奈がNHKでの大林監督の対談で「どうしてあそこは水着だったんですか?」と無邪気に質問していて、僕は爆笑した(回答はいつも通り)。珠理奈、監督は実のところ君たちを素っ裸にしたかったんだよ。でも現役アイドルだからそうはいかない。だから仕方なく水着で我慢したんだ。閑話休題。

「野ゆき山ゆき海べゆき」は「転校生」「廃市」同様にATG(日本アート・シアター・ギルド)映画だが、日本テレビも出資している。カラーネガで撮影され、「質実黒白オリジナル版」で劇場公開し、後年テレビでは「豪華総天然色普及版」で放送するよう当初は企画されていた。しかし関係者による0(ゼロ)号試写が不評だったのか途中から計画が変更され、結局東京では「質実黒白オリジナル版」と「豪華総天然色普及版」がそれぞれ単館上映され、大阪では「豪華総天然色普及版」のみ単館上映されるという寂しい興行となった。郷里岡山での上映は当然なかったので、僕はわざわざ新幹線に乗り、大阪で観た。残念な出来だった。原作は佐藤春夫の自伝的小説「わんぱく時代」。明治時代の話だが、映画は日中戦争〜太平洋戦争という時代設定になっている。それなのに下駄を履いた尋常小学校の生徒たちが通学で歩くのがアスファルトの道路で、違和感ありまくり。また「美しい日本語を聴かせたい」という演出意図は解るが、棒読みの台詞回しも辛かった。135分という上映時間が冗長に感じられた。もし最初から「質実黒白オリジナル版」を観ることが出来れば、また印象が違ったかもしれない。結局LD(レーザーディスク)でも「豪華総天然色普及版」のみの発売で、幻の黒白版に出会うにはDVD登場まで待たなければならなかった。カメラは基本的に固定撮影(フィックス)で、小津安二郎のフィルムを彷彿とさせる手法が採用されている。だから逆に、”映像の魔術師”大林宣彦らしさが失われた。電気紙芝居。また子供たちのわんぱく戦争が次第にエスカレートし、本物の戦争にシンクロしてゆくというプロットは鈴木清順監督「けんかえれじい」へのオマージュだ(大林監督は若かりし頃、鈴木清順「肉体の門」の批評をキネマ旬報の読者欄に投稿している)。結局本作は「金曜ロードショー」など日テレのゴールデンタイムに放送されることはなく、公開4年後「野ゆき山ゆき海べゆき テレビバーション1990」がひっそりと日中に放送された。これは豪華総天然色普及版のワンカットを少しずつ短くし、カット割りの数はそのままに40分も短縮させており、テンポが良くなり寧ろオリジナルより観易くなった。「野ゆき山ゆき海べゆき」の興行的不振が祟ったのかどうかは知らないが、ATGはその後次第に弱体化し、92年にひっそりと幕を閉じた。

さて1986年6月初旬、僕の自宅にTOMのマスターから葉書が届いた。「大林監督が新作を尾道で撮っているから遊びにおいで」という内容だった。早速、TOMを訪ねた。「今日はね、鞆の浦の港あたりでロケしているよ」と教えてもらい、車を福山市まで走らせた。そして撮影隊を見つけたのだった。これが「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」である。シナリオではタイトルが更に「夕子かなしむ」と続く。

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その時、三浦友和と撮った写真。

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竹内力と。

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南果歩&子役の浅川奈月と。

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皆さん、気さくに記念写真に応じてくださった。

この頃、アイドル歌手・岡田有希子が投身自殺をして、彼女との関係を取り沙汰されていた俳優・峰岸徹が「おかしなふたり」に出演しており、尾道に向かおうとする彼を東京駅でレポーターが捕まえて、インタビューする光景がテレビに映し出されていた。

どこか病弱で、憂いに満ちた映画。松尾芭蕉の句「おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな」を想い起こさせる。商業映画としては珍しくヨーロッパの企業アグファ(Agfa:創業者は作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの息子パウル)カラーで撮影されており、の原色を強調した鮮やかな色彩が特徴的である。「ひとりとひとりはさびしくて ふたりになればくるほしい」通常は1秒間に24コマで回すフィルムを12コマ/16コマ/18コマというコマ落としで映画全編が撮られている。だから人物の動きがカクカクしていて、何処か非現実的で、独特な表現が生まれた。「廃市」に続き、大林監督自らがナレーションを担当している。ひとには勧められないけど僕は大好きだ。まぁ、究極のカルト映画だね。特に1分52秒に及ぶ、南果歩をクローズ・アップした長回しは彼女が神々しいまでに光り輝いている。また終盤、永島敏行と三浦友和が尾道市・(岡山県)笠岡市・鞆の浦と場所を変えながら延々と殴り合いのけんかを展開していく場面はジョン・フォード監督「静かなる男」へのオマージュだ(大林監督はジョン・ウェインの大ファンである)。そして竹内力の潜水服姿はジョン・ウェイン&ゲイル・ラッセル主演「怒涛の果て」。作曲は未だ有名になる前のKAN。シンセサイザーによる切なくて美しい旋律が胸を打つ。彼の大ヒット曲「愛は勝つ」がリリースされるのが1990年9月1日、レコード大賞を受賞するのが翌91年で、紅白歌合戦にも出場した。大林監督はKANの2ndシングル「BRACKET」(1987)のミュージック・ビデオを撮っており、大連・尾道友港博覧会(87年10月)で上映されたショートフィルム「夢の花・大連幻視行」(出演:原田貴和子、浅野愛子)や瀬戸大橋博(88)のイベント映像として大林監督が撮った「モモとタローのかくれんぼ 」の音楽もKANが担当している。昔話・桃太郎を下敷きにした「モモとタローのかくれんぼ 」の原作はSF作家の豊田有恒。これは観客参加型で途中2回、AかBの物語を選べて、スイッチを押した人数の多い方の映像に進む仕組みになっている。つまり4パターンあるわけだ。僕は繰り返しパビリオンに入場し、全ての映像を体験した。

この頃は日本全国が博覧会ブームに湧いており、大林監督は85年つくば科学万博の政府館展示映像「多様な国土」を70mmフィルムで撮り(音楽は冨田勲)、90年大阪市鶴見緑地で開催された国際花と緑の博覧会(花博)では世界初の全天球映像(プラネタリウムみたいな感じ)「花地球夢旅行183日」を製作している。因みに花博の音楽は「さびしんぼう」「姉妹坂」の宮崎尚志だった(12チャンネル立体音響)。正にバブル景気(86-91)の時代だった。

映画「おかしなふたり」は完成後も長らく公開が決まらずお蔵入りし、1987年10月30日〜11月1日の3日間、尾道市公会堂に行われたA MOVIE FESTIVAL ONOMICHI '87で先行上映された(僕はその時に観た)。結局東京で単館上映されたのは1988年になってからだった。

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A MOVIE FESTIVAL ONOMICHI '87では「おかしなふたり」上映以外にも淀川長治・おすぎ・永六輔・高橋幸宏(元YMO、大林映画「四月の魚」主演)・内藤陳(日本冒険小説協会会長、「おかしなふたり」出演)を招いて大林監督を交えてのトークショーや、

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「漂流教室」(87)でヒロインを務めた浅野愛子をモデルにした撮影会、大林映画の新ヒロインを選ぶコンテストなどがあった。しかしそこで優勝した女の子は結局、劇映画で主演することが叶わず、「モモとタローのかくれんぼ 」で林泰文と共演するに留まった。

もう一本、尾道で撮られた大林映画をご紹介しよう。1983年8月30日に火曜サスペンス劇場で放送された「麗猫伝説」である。98年には劇場公開もされた。主演は入江たか子・入江若葉の母子。入江たか子が過去に出演した数々の化け猫映画へのオマージュである。【瀬戸内キネマ】という架空の撮影所が出てくるが、「おかしなふたり」にも【瀬戸内キネマ】という映画館が登場する。で「おかしなふたり」の最後は【瀬戸内キネマ】が炎上するのだが、そのシーンはアカデミー外国語映画賞を受賞したイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」にどこか似ている。通常2台使用する映写機を1台で【流し込み】上映するのも同じ。因みに「ニュー・シネマ・パラダイス」の公開は88年なので「おかしなふたり」の方が先である。「麗猫伝説」の脚本は「花筐」「HOUSE ハウス」「ふたり」の桂千穂。ビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」のプロットを土台にしている。風吹ジュンが可愛かったなぁ。話が横道に逸れるが、那須真知子脚本/大林宣彦監督/秋吉久美子主演の火曜サスペンス劇場「可愛い悪魔」(82年放送)はマーヴィン・ルロイが監督したハリウッド映画「悪い種子」の翻案である。

さて、公式には【尾道三部作】が「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」、【新・尾道三部作】が「ふたり」「あした」「あの、夏の日-とんでろ じいちゃん」ということになるが、その間に創られた「麗猫伝説」「彼のオートバイ、彼女の島」「野ゆき山ゆき海べゆき」「おかしなふたり」は【尾道三部作 外伝】ということになるだろう(「彼のオートバイ、彼女の島」「野ゆき山ゆき海べゆき」「おかしなふたり」の三本にはいずれも竹内力と三浦友和が出演している)。愛おしいはぐれ鬼。そして「おかしなふたり」以降、大林映画冒頭に必ず登場したA MOVIEという表記が長らく封印されることになる。

TOMのマスターはその後店を畳み、離れた場所にある奥さんが経営するブティック奥に引っ越したが、現在は板前修業をした息子がそこで居酒屋をやっているそうだ。

時は移ろいゆきて、2010年テレビ東京でドラマ「モテキ」が放送された。脚本・監督は大根仁。その第2話で森山未來と満島ひかりが岩井俊二監督「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のロケ地巡りをする。ロケ地の千葉県飯岡町まで行きキャメラを持ちはしゃぐ満島を見ながら僕は腹を抱えて笑い転げ、「君は僕だ!」と画面に向かって叫んだ。尾道での自分自身の姿が彼女に重なったのである。この回を見たスタッフから岩井監督に話が伝わり、後に岩井監督と大根監督の対談が実現。ふたりは意気投合し、「打ち上げ花火」アニメーション化の企画が持ち上がった時に岩井監督はシナリオライターとして大根仁を指名した。そのアニメ版は今年8月18日に公開される予定。公式サイトはこちら

TO BE CONTINUED...

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三島由紀夫原作/映画「美しい星」と「未知との遭遇」

評価:A

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原作のテーマである「核戦争の恐怖」が「地球温暖化」に置き換えられたのは些か無理がある。佐々木蔵之介が持つボタンの意味も不可解なものになってしまった。

金星人として覚醒後の橋本愛の美しさに息を呑む。間違いなく彼女のベストアクト!

冒頭、リリー・フランキーが見上げるシャンデリア=マザーシップから、紛れもなく本作は吉田大八版「未知との遭遇」だ。【田んぼに車】がポツンと置かれた状況も「未知との遭遇」特別編以降追加されたシーン【砂漠に船】と同じ。因みにこのショットはスピルバーグがデビッド・リーン監督「アラビアのロレンス」へ捧げたオマージュである(休憩Intermission直前:アカバ攻略後、ロレンスがシナイ砂漠を四苦八苦の末に横断し、何とかスエズ運河にたどり着いた場面)。閑話休題。

周囲の人間に自分は何故かしっくり溶け込めないという違和感・疎外感。それはゲイであることを必死に隠し続けた原作者・三島由紀夫の姿に重なる。夢=ファンタジーでも見ていないとやってられない。その想いが頂点に達した時、遂に現実世界を突破出来るのだ。「自由」への脱出。これは吉田作品「紙の月」にも繋がるテーマである。痛快なカルト映画であった。

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映画「帝一の國」と鈴木清順「けんかえれじい」

評価:A

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映画公式サイトはこちら

映画館で予告編は何度も観ていたが、全く食指が動かなかった。しかし蓋を開けてみると巷で大評判なので、重い腰を上げた。そして観て驚いた。面白過ぎる!!先入観で判断して申し訳なかった。映画のスタッフに謝りたい。靴舐めでもなんでもしますよ。

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映画館で驚いたのは女性客の多さ。8割5分程度。男ひとりは僕くらいで、殆どが女2人連れかカップル。それも女子高生から初老のオバちゃん達まで、年齢層が幅広い。菅田将暉、竹内涼真、千葉雄大らイケメン男優を集めた東宝の戦略勝ちであろう。

生徒会長選挙が日本の派閥政治の縮図となっている。この構図は鈴木清順監督、新藤兼人脚本の「けんかえれじい」に近いなと感じた。旧制中学を舞台に展開される少年たちの喧嘩が最後に北一輝と結びつき、二・二六事件(青年将校の反乱)へと繋がっていく。

間宮祥太朗演じる氷室ローランドは三島由紀夫がモデルだなと想った。校舎屋上でのパフォーマンスなど、自衛隊市ヶ谷駐屯地での事件を彷彿とさせる。「架空切腹」も出てくるしね。因みに三島はゲイだった。

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劇中、主人公の帝一がリストの「ため息」を弾くのでハッとした(原作漫画にはない)。大林宣彦監督の映画「姉妹坂」やテレビ朝日で放送された「三毛猫ホームズの推理」、BS-iで放送された「告別」などで使用されている曲である。永井聡監督はCMディレクター出身だそうで、先輩である大林監督へのオマージュなのかな?

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アドルフ・ヒトラー「わが闘争」

昨年、NHK-BSでドイツが製作したドキュメンタリー番組「ヒトラー『わが闘争』~封印を解かれた禁断の書~」を観た。驚いたのはヒトラーの死後70年間、その著書「我が闘争」の著作権をバイエルン市が所有し、ドイツ国内での出版を一切禁止していたということ。2015年12月31日に著作権が切れ、歴史研究者による3,000以上の注釈付きで翌年1月に漸くドイツで出版された。2017年1月4日までに8万5千部が発行されたという。日本では1973年から角川文庫で上下巻が発売されている。

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「わが闘争」は1925年に第1巻が、26年に第2巻が出版された。第1巻は23年のミュンヘン一揆に失敗し、獄中で執筆されたものである。ヒトラーが口述し、ナチ党の初期メンバーだったエミール・モーリスと親衛隊の指導者ルドルフ・ヘスが筆記・編纂した。

ナチ党が普通選挙で第1党になるのが32年、ヒトラーが首相に就任するのは33年1月30日である。ヒンデンブルク大統領の死去に伴い大統領と首相の職務を合体、「総統」の地位を得るのが34年8月、民族投票により89.93%という支持率を得て承認された

「わが闘争」は言うまでもなく悪魔の書である。それも天才的な。上下巻合わせて文庫本で優に1,000ページを超える。翻訳本のせいもあるだろうが、非常に読み辛い。ヒトラーは学のない男であり、口述筆記ということもあって繰り返しが多い。クドい。同じ内容を整理すれば恐らくこの4分の1の分量で間に合うだろう。

ヒトラーは劣等生だった。中学校は学力不足でギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)に進学出来ず、実技学校に通い、2度の留年を経て退学処分となった。18歳となり画家を夢見てウィーンに出てきたが、ウィーン美術アカデミーを受験するも不合格に終わる。つまり彼が正式に教育を終えたのは小学校だけだった

「わが闘争」を読んでいると胸クソが悪くなる。それでも我慢して読み続けた。何故ならこれは現代人の必読書だからである。ヒトラーの詭弁、論理の破綻・矛盾を見抜き、論破しなければならない。戦いに勝つにはまず敵(の戦術)を知ることが重要だ。兵法の大原則である。結局、読み終わるまでに2−3ヶ月を要した。

通読すると、これはヒトラーの綿密な計画書であったことが判る。その後に彼が実行したことが、全てここに書いてある。ある意味非常に正直だ。

だからドイツ国民が「私たちは何も知らなかった。私たちはヒトラーにまんまと騙された」と言う資格はない。正当な選挙でナチスを第一党に選んだのは彼らだし、ヒトラーが総統に就任してからは新婚家庭に一冊ずつ政府から「わが闘争」が贈呈されていたのだから。

ただし僕が想像するに、恐らくドイツ国民の殆どは「わが闘争」を読んでいなかったのではないだろうか?兎に角、膨大な分量だし、例えば自分自身を振り返ってみて欲しい。貴方は野田佳彦・前首相や安倍晋三・現首相の著書を読んだことがありますか?ないでしょう。そんなものです。

日本の左翼ジャーナリズム/知識人は何かというと彼らの「敵」をヒトラーに喩えたがる。その恰好の標的になっているのが安倍総理であり、橋下徹・前大阪市長である。

内田樹,(神戸女学院大学名誉教授) 山口二郎(法政大学法学部教授), 香山リカ(精神科医), 薬師院仁志(帝塚山学院大学教授)は共著で「橋下主義(ハシズム)を許すな!」という本を出版している。ハシズムは勿論、ファシズムに引っ掛けた造語(言葉遊び)である。本の表紙には「独裁者」という言葉も踊っている。

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鳥越俊太郎が安倍総理をヒトラーに喩えた記事は→こちら

また朝日新聞社の冨永格・特別編集委員が安倍総理の支持者をナチスと同一視する投稿をツィートしていたという記事は→こちら

では果たして安倍総理や橋下徹氏の政治手法は本当にヒトラー(ファシズム)に近いのだろうか?具体的に見てみよう。

角川文庫「わが闘争」の訳注は説明不足であり、ナチズムが生まれた歴史的背景が判り辛い。だから高田博行(著)「ヒトラー演説 -熱狂の真実-」(中央新書)を併せてお読みになることをお勧めしたい。特に「序章 遅れた統一国家」は「わが闘争」の予習に最適だ。高田の「ヒトラー演説 -熱狂の真実-」はヒトラーの政界登場からドイツ敗戦まで25年間、150万語に及ぶ演説データーをコンピューターで解析。【ナチ運動期前半/後半、ナチ政権期前半/後半】の4期に分け、それぞれでどういう単語が最も使われたか(有意差検定)、またヒトラーの演説の冒頭やクライマックスで声の高さ(ヘルツ)がどう変化しているかなどを詳細に検証。ヒトラーが演説における発声法やジェスチャーについてオペラ歌手から指導を受けたこと、当時発明されたばかりのマイクとラウドスピーカー(拡声装置)導入が絶大な効果をもたらしたことなどが書かれており、大変勉強になる。

以下「わが闘争」の要旨を書き抜いていこう。

【ユダヤ人陰謀説】カール・マルクスはユダヤ人である。マルクシズムというユダヤ的説教は人間の価値を否定し、文化を破壊し、すべての秩序を終局に導く。だから私はユダヤ人を防ぎ、神の御業のために戦う。新聞社もユダヤ人が牛耳っている。彼らが言うことを信じるな。

スターリンは徹底した反ユダヤ政策を実践したし、中国の毛沢東やキューバのカストロ、チェ・ゲバラもユダヤ人ではない。だから共産主義がユダヤ人の陰謀だなんて馬鹿げている。

【ユダヤ人の否定】ユダヤ人は嘘つきで、不潔で、日光を恐れる潜行者である。わが(ゲルマン)民族の不倶戴天の敵だ。下がれ、卑劣漢!足を引っ込めろ、階段が汚れる!

【人種の純潔を守れ】アーリア人の優秀性を存続発展させるためには下等な人種(とりわけユダヤ人)と結婚してはならない。混血によりその中間の、劣った子孫が生まれると最早取り返しがつかない。

【議会制民主主義の否定】ヒトラーは500人程度の議員による議会での議論は不毛と位置づけ、大勢の民衆を前にした情熱が迸る演説のみに価値があり、それこそが民族の心を動かし時代を転換させる力があるのだと説く。運動の重点は議会ではなく、作業場や街頭におかなくてはならない。民主主義は殆どの場合、ユダヤ人の要求に一致した(ここでもユダヤ人陰謀説登場)。

【多数決の否定】多数決で政治の命運を左右するのは無責任体制である。それは人格を排除し、その代わりに愚鈍、無能、臆病さで構成されている。偉大な指導者・一人の天才が命を賭して政治に身を捧げるのが本来あるべき姿である。決定はただ一人の人間が下すのである。

この考え方にはニーチェの思想(著書「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で論じられた超人)の影響が窺われる。そして超人=ヒトラーだと言いたいわけだ。独裁者の肯定である。

【国家社会主義 vs. 国際主義】ナチスの掲げる「国家社会主義」とはゲルマン民族が一丸となって国を興そうという考え方であり、自国(ゲルマン民族)ファースト。それに対して「国際主義」とはヒトラーに言わせればユダヤ人=共産主義者の陰謀であり、国家を解体していこうとする運動を意味する。

つまり現在で言えばEU(欧州連合)やグローバリゼーション(世界化/地球規模化)も「国際主義」ということになるだろう。

【インテリゲンチャへの劣等感と憎悪/語られることばの威力】知識人・文筆家に歴史を動かす力はない。人を味方につけるには書かれたことばよりも語られたことばのほうが役に立つ。この世界における偉大な革命は演説によってのみ達成された。労働者(下層)階級の心をつかむ努力を怠ってはならない。大衆が持っている途方もない力を見くびってはならない。

【多民族国家オーストリアへの嫌悪】ユダヤ人は人類にとって永遠のバクテリアである。オーストリアでスラヴ人が幅を利かせているのも虫が好かない。この国家は、真に偉大なドイツ人全てを圧迫し、妨害する。あらゆる点でドイツ民族の不幸でしかあり得ない。

因みにヒトラーはオーストリア生まれのドイツ人である。ドイツ国籍を取得するのは1932年。首相に就任するたった1年前だった。そして38年にナチス・ドイツはオーストリアを併合する。

【アーリア人種(ゲルマン民族)至上主義】人類は①文化創造者文化支持者文化破壊者の三種類に分けられる。①文化創造者はアーリア人種のみ。日本人はせいぜい②文化支持者であり得ても、創造の能力は持ち合わせない。③文化破壊者としてもっとも憎むべき民族こそユダヤ人である。

この詭弁に反駁するのはいとも容易い。ギリシャの神殿や文化を生み出したのはアーリア人ではない。エジプト文明、メソポタミア文明、アンデス文明だって違う。万里の長城や紫禁城を建設したのもアーリア人じゃない。無茶苦茶である。

英教育誌が集計した、2000年以降の科学・経済分野のノーベル賞受賞者に関する国別ランキングでは、1位が米国(30%)、2位が英国(6.0%)、日本が3位(4.3%)に格付けされた。4位がドイツ(3.4%)、5位がイスラエル(2.5%)である(韓国は0.0%)。決してゲルマン民族が突出しているわけではない。米国の受賞者中ユダヤ人は36%を占め、ノーベル賞全体では22%である。アルベルト・アインシュタインもその一人。ユダヤ人が如何に優秀で、ヒトラーの思想が偏見にすぎないかがよくお分かりいただけるだろう。

しかしこれだけ理不尽な人種差別政策(大量虐殺=ホロコースト)が実行されてしまうと、多少の無理をしてでも戦後にイスラエル(ユダヤ人国家)を建国するしか道はなかったのかな、むべなるかなという気がしてくる。

【侵略戦争の肯定】ヒトラーが「国土開発」について語っている章は、人口増加に対して①生殖・出生数を制限する②新しい土地を求めるという2つの方法があるが、①は望ましくない。何故ならたくさん生まれた子供が自然淘汰され、強い種だけが生き残る。それこそがゲルマン民族の進化に役に立つ、と論理を展開している。この弱肉強食の世界において優れた(=ゲルマン民族)が多くの土地を得るのは当然の権利である。より強い種族が弱者を駆逐するだろう。強者にその場を譲るために、弱者を滅ぼすのが自然の理(ことわり)である。個々人の博愛精神/人道主義という笑うべき拘束はどんどん破壊されてゆくのみ。人々がヨーロッパで土地と領土を欲するなら、そのさいは大体においてロシアの犠牲でのみ行われるべきだ(対ソ戦の肯定)。

この理屈はダーウィンの提唱する進化論、適者生存の考え方に基づいている。しかし明白な詭弁である。ヒトラーが言う弱肉強食とは、例えばライオン(肉食動物)が牛(草食動物)を食べることを言う。しかし強いライオンが弱いライオンを食べることはない。虎猫(トラネコ)と三毛猫が生存競争で殺し合ったりはしない。だからヒトラー主張する、【優れた民族(アーリア人)が劣った民族(ユダヤ人)を滅ぼしてもいい】という理屈は成立しない。何故なら両者は同じ(ホモ・サピエンス)だから。これが自然の理(ことわり)である。

【同盟を結べ】領土拡大を狙うなら、利害が一致する国と同盟を結ぶことが重要だ。フランスはアルザス=ロレーヌ地方(ドイツ語ではエルザス=ロートリンゲン)を奪った不倶戴天の敵だから、同盟はあり得ない。可能性があるのはイギリスかイタリアだ。

この主張は後の日独伊三国軍事同盟に繋がる。またナチス・ドイツは1940年にフランスを破ってパリを占領し、再度アルザス=ロレーヌを自国に編入した。

【宣伝の重要性】宣伝は学識のあるインテリに対してではなく、教養の低い大衆にのみ向けるべきである。その内容の知的水準は最低級の者が理解できる程度に調整すべきだ。大衆は感情的に考え方や行動を決める。客観性など不要。彼らの感情の幼稚さを熟知する必要がある。宣伝は絶対に主観的で、一方的な態度を貫かなければならない。鈍感な人々(=大衆)に確信させるためには最も簡単な観念を何千回も繰り返すことだけが、結局彼らに覚えさせることが出来るのだ。宣伝は短く制限し、内容を決して変えてはならず、いつも同じことを言わなければならない。

この内容は後の全国宣伝指導者ゲッペルスの登場に繋がる。

【演説の時刻】私が朝の10時に演説した時は惨憺たる結果に終わった。聴衆は熱くならず、氷のように冷たかった。一方、夜だと集まった大衆の心の中に入っていき易く、人間の意志はより強い意志(=ヒトラー)に支配され易くなる。

【群集心理/大衆暗示を活用せよ】大衆集会では、一人であるという不安に陥りやすい個々人が、大きな共同体という情景を目の当たりにして、大抵の人は勇気づけられる。他の3千人、4千人という人々が強く感化され、暗示的な陶酔と熱狂のなかに浸っている様子に魅了される時、その人はわれわれが大衆暗示と呼ぶ魔術的な影響の支配下に置かれる。こうして彼は共同体の一員となるのである。

演説の達人ヒトラーの面目躍如である。彼が語る、大衆の心を掴む極意は現代でも通用するだろう。

さて最後に質問しよう。貴方は、安倍首相と橋下徹氏に、どこかヒトラーに似たところが少しでもあると思いますか?彼らはある特定の民族を差別しただろうか?共産党を非合法化して国会・地方議会から追い出したりした?あるいは多数決による議会制民主主義を否定したか?焚書・言論統制は?答えは明白であろう。むしろそういう決めつけをする輩こそ、ヒトラーにそっくりだと僕は思う。

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石丸幹二&堀内敬子(久々の)共演、そして衝撃的傑作!〜ミュージカル「パレード」

6月8日(木)最近はテレビ朝日「題名のない音楽会」で司会を務める石丸幹二と、堀内敬子が出演する舞台「パレード」を梅田芸術劇場で観劇した。

ふたりの共演を観るのは1999年5月〜7月に四季劇場[秋]@東京で上演されたロイド=ウェバーのミュージカル「アスペクツ・オブ・ラブ」以来。この時の主な出演者は石丸幹二(アレックス)、保坂知寿(ローズ)、光枝明彦(ジョージ)、井料瑠美(ジュリエッタ)、堀内敬子(ジェニー)だった。考えてみればこの5人は全員、既に劇団四季を退団している。

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ミュージカル「パレード」は1913年アメリカ南部のアトランタを舞台にユダヤ人差別を背景にした冤罪事件(実話)を描いているが、非常に似た話で映画「死刑台のメロディ」(1971)がある。これは1920年アメリカ北部マサチューセッツ州で実際に起こったイタリア移民サッコとヴァンゼッティ冤罪事件を扱っている。

救いのない、陰惨な物語で、よくぞこれをミュージカルにしたな!と。トニー賞で最優秀台本賞、楽曲(作詞・作曲)賞を受賞したのが1999年だから、日本初演までに18年も掛かったんだね。石丸幹二は以前より、本作への出演を熱望していたという。

楽曲のほうは2015年12月「プリンス・オブ・ブロードウェイ」で既に聴いていて、素敵だなと想っていた。

ブロードウェイの公演は12月17日に開幕し、翌年2月28日に公演終了となっているので、2ヶ月半。決してヒットしたとは言えないだろう。

演出は新進気鋭の森新太郎40歳、若い。ミュージカルを手がけるのは初めてだそうだが、盆(回転舞台)を駆使し、スピード感ある演出で舌を巻いた。ボタボタと塊で落ちてくる紙吹雪の量も半端ない(暴力的とすら言える)。コイツは天才だ!冒頭と最後は真っ赤な夕日を背景に一本の木が聳え立っているのだが、夕日は血の色であり、木はビリー・ホリデイの歌で有名な「奇妙な果実」(木にぶら下がる黒人の死体のこと/集団リンチ殺人・私刑)を彷彿とさせる。その象徴性が上手いなと感心した。ちょっと「風と共に去りぬ」的でもある(やはり舞台はアトランタ)。

ジェイソン・ロバート・ブラウンの音楽は喋るように歌うのがスティーヴン・ソンドハイムに似ている(調べてみると初演を演出したハロルド・プリンスは当初、ソンドハイムにこの企画を持ち込んだが、断られたそう)。他に有名なのは映画化もされた「ラスト5イヤーズ」だろう。でも「パレード」の方が断然良かった。ディキシーランド・ジャズやブルースなどのエッセンスも加味されている。

ブロードウェイの新作でこれだけインパクトがあり、鳥肌が立ったのは「春のめざめ」以来かも知れない。

再演があれば是非また観たい。

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神戸国際フルートコンクール審査員によるガラ・コンサート

6月2日(金)神戸文化ホールへ。

第9回神戸国際フルートコンクール審査員によるガラ・コンサートを聴いた。2009年(第7回)の感想はこちら。この時、審査員だったウィーン・フィルのヴォルフガング・シュルツは2013年に亡くなった。

第9回に至るまでには紆余曲折があった。「市民への浸透度が低い」として神戸市が補助金を打ち切ったのである。しかし久元喜造市長が東奔西走し、スポンサーを見つけ、なんとか開催にこぎつけたのだった。ちなみに市長の妻は国立音楽大学准教授でピアニストの久元祐子である。

今回の演奏家は以下の通り。

アンドラーシュ・アドリヤン(元ミュンヘン国立音楽大学教授)
フィリップ・ベルノルド(パリ国立高等音楽院教授)
エミリー・バイノン(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席奏者)
ヴァリー・ハーゼ(フランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学教授)
神田寛明(NHK交響楽団首席奏者)
ミヒャエル・マルティン・コフラー(ミュンヘン・フィル首席奏者)
工藤重典(パリ・エコール・ノルマル教授/水戸室内管首席奏者)
酒井秀明(日本フルート協会副会長)
尹慧利(ソウル国立大学教授)

神戸国際フルートコンクールの過去の入賞者には第2回で優勝したエマニュエル・パユ(現ベルリン・フィル首席奏者)や、第4回で第2位となったマチュー・デュフォーシカゴ交響楽団→現ベルリン・フィル首席奏者)がいる。エミリー・バイノンは第3回の第3位。

曲目は、

  • 林光:「花」変奏曲〜滝廉太郎の主題による(神田)
  • アミロフ:フルートのための6つの作品より(バイノン)
  • W.F.バッハ:フルート2重奏 第3番(ハーゼ、コフラー)
  • ベートーヴェン:ロマンス 第2番(工藤)
  • タファネル:アンダンテ・パストラールとスケルツェッティーノ
    (ベルノルド)
  • メシアン:黒つぐみ(酒井)
  • ドップラー:グランド・ファンタジー(アドリアン)
  • カステレード:笛吹きの休日(神田、酒井、尹)
  • ショパン:ロッシーニの主題による変奏曲(コフラー)
  • M. マレ:スペインのフォリア(ハーゼ)
  • モーツァルト:ソナタ K.448 第2楽章(アドリアン、工藤)
  • 尹 伊桑:エチュード 第5番(
  • ドップラー:華麗なワルツ(ベルノルド、バイノン)

神田の音は柔らかく、羽根のように軽い。

バイノンは子守唄での弱音が美しく、舞曲は切れがあってすばしっこい。強靭なバネで跳ねる。

大バッハ(ヨハン・セバスチャン)の長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの曲ではヴィブラートが抑えられ、飾らない簡潔な響きが心地よい。整った美が感じられた。またフーガの掛け合いがスリリング。

工藤のベートーヴェンは太い音が特徴。またタファネルの楽曲は華麗だった。

「笛吹きの休日」はキュートでお洒落。

コフラーの吹く「ロッシーニの主題による変奏曲」は正確無比、律儀な開始から超絶技巧へ。最後は「熊蜂の飛行」みたい。

ハーゼの奏でるマリン・マレ(1656-1728、仏)は凛として気高い。

尹 伊桑(ユン・イサン)の楽曲は龍笛や尺八を彷彿とさせる雰囲気があり。調べてみると彼は大阪音楽学院や東京で作曲を学んでいる。

最後のドップラーは「お花畑でパーティ!」といった感じだった。

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【いつか見た大林映画】第3回「廃市」そして福永文学との出会い(家庭用VHSビデオとLDの時代)

福永武彦(息子は芥川賞作家の池澤夏樹。幼いころ両親が離婚したため、池澤は実父について高校時代まで知らなかったという)の書いた小説が映画化されるのは大林宣彦監督「廃市」が初めてである(後に「風のかたみ」が高山由紀子監督で映画化された:1996年)。16mmフィルムを使用し(通常の劇場映画は35mm。「ベン・ハー」や「アラビアのロレンス」などの大作は65mmネガフィルムで撮影され、70mmプリントに焼いて上映された)、福岡県柳川市で全篇オールロケされた。映画の公開は1983年12月、つまり「時をかける少女」の次の作品である。

僕は大学の合格祝いにVHSビデオデッキとLDプレーヤーを買ってもらった。因みに若い人は知らないだろうから解説しておくと、当時家庭用ビデオデッキ市場ではソニーのBETACAM(ベータカム)と、ビクター&松下電器(現パナソニック)を中心に開発されたVHSがその覇権を賭けてしのぎを削っていた。結局ソフトの数で圧倒したVHSが勝利する。ビデオディスクの方はビクターが開発したVHD(Virtual Hard Disk)とパイオニアから発売されたLD(LaserDisc)があり、最終的にLDが生き残った。DVDを経て第3世代光ディスクにも東芝が開発したHD DVDがあったが、ソフト数でBlu-ray Disc陣営に大きく引き離され、淘汰された。

【尾道三部作】「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」などのLDは発売されたが、「廃市」は出なかった。初期の大林映画「HOUSE ハウス」「瞳の中の訪問者」はLDを購入し、出会うこととなる。

僕が知る限り郷里岡山で「廃市」は上映されなかった。だから観ることが出来たのは大学1年生の1985年にビデオを購入したからである。なんと定価は23,000円もした!(映画「廃市」は現在、Blu-rayとDVDで容易に入手可能である。Amazon.co.jpだと、どちらも4,500円以下で)

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日本で消費税が初めて導入されたのは1989年(税率3%)なので、それより前ということになる。因みにこの頃発売されていたビデオソフトの標準的価格は、「風の谷のナウシカ」が14,800円だった。ビデオをレンタルするにも1本1,000円した時代である(入会金が2,000円くらい)。後日、自主製作16mmフィルム時代の大林監督作品「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(1967)もVHSビデオで購入した。

「廃市」ビデオケースの裏面には以下のような大林監督のエッセイが掲載されている。

 福永武彦さんの小説が映画になる。その素敵な事件に、当事者の監督として立ち会えたなんて、ぼくは何という果報者だろう。
 18歳、郷里尾道での最後の夏休みに出会った1冊の書物、「草の花」。ぼくはそれを、ぼく自身のために書かれた物語だと信じ、それから20代のまるまるを、福永さんの世界と共に暮らして来た。その頃既に映画少年でもあったぼくは、いつかこの〈ぼく自身の物語〉を、映画にしたいものだと夢見ていた。(中略)
 今回機会を得て「廃市」を映画化することになった時、ぼくはこれを16ミリで撮影・上映しようと考えた。常に少数者のための文学を標榜してきた福永作品の初の映画化には、この小さな映画の形式がいちばん似合うだろうと信じたから。(中略)
 今回のビデオによる出版は多くの福永ファンに悦んで貰えることと思う。所謂大当たり大衆娯楽映画の廉価普及版ではなく、豪華特製限定出版という趣向が、これまた福永さんらしくて、とても嬉しい。
 そして、大林映画を愛してくれる人びとには、最高の贈り物だ。なにしろこれは、ぼくの夢の結晶なのだから。

本作で大林監督は初めて自らナレーションを担当。その声が味わい深いと評判になった。また監督が作曲した美しい弦楽四重奏曲が全編に流れる(編曲は「さびしんぼう」の宮崎尚志)。キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画の第9位に選出された。

僕は「廃市」の叙情性に心打たれ、原作を読み福永武彦の世界に魅了された。勿論「草の花」も繰り返し読み、〈ぼく自身の物語〉となった。結局、20代で福永が書いた全小説を読破した。大学卒業を控えた1990年8月には医師国家試験の準備として、小説「草の花」の舞台となった信濃追分で一週間過ごした。福永武彦は既に亡くなっていたが、彼の別荘が僕が宿泊した民宿の近くに残っていた。堀辰雄や、福永の朋友・中村真一郎がしばしば滞在した旅館・油屋もあった(福永と中村は映画「モスラ」の原作者でもある)。

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そして僕自身も大林監督のライフワーク映画「草の花」を夢見るようになった。

劇場映画第2作「瞳の中の訪問者」(1977)は手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」のエピソード『春一番』の映画化である。しかしクライマックスで登場するハニー・レーヌの台詞は福永の「草の花」からの引用だ。また映画「ふたり」(1991)の主題歌『草の想い』(作詞:大林宣彦、作曲:久石譲)の歌詞には「草の花」と、檀一雄の小説「花筐(はなかたみ)」という言葉が秘かに忍ばせてある。「ふたり」のラストシーン、石田ひかりの部屋と「異人たちとの夏」(1988)の風間杜夫のマンションの本棚には「草の花」と「花筐」が仲良く並べて置かれていた。そして僕が最も愛する大林映画「はるか、ノスタルジィ」(1993)では「草の花」で重要な役割を果たすショパン:ピアノ協奏曲第1番が流れた。一時期、富田靖子と尾美としのり主演で「草の花」映画化が企画されたが、実現はしなかった。

それから長い年月を経て、映画「花筐」は遂に今年完成した(12月公開予定)。

大林監督、映画「草の花」には、まだ間に合いますか?

TO BE CONTINUED...

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【いつか見た大林映画】第2回「ひとがひとを恋うるとき、ひとは誰でもさびしんぼうになるー」(山口百恵から富田靖子へ)

【尾道三部作】の第二作「時をかける少女」を映画館で観て心酔したのが1983年、僕が高校2年生の時だった。

実家は岡山大学医学部の近隣にあり、秋の大学祭(鹿田祭)で大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」が上映された。これは大森監督が京都府立医大在学中に脚本を執筆し、母校で撮った映画で、医大生の青春群像を描いていた。大阪大学医学部を卒業し、医学博士でもあった漫画家・手塚治虫(学位を取得した論文は「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」)が小児科の教授役で出演していた。大森監督自身も大学祭に現れ、ティーチイン(学内討論集会)が行われた。映画の中で伊藤蘭が自殺するのだが、「僕が大学に入った時のクラスメートが自殺し、その後留年した下の学年でも自殺者が出た」という監督の言葉が印象的だった。そして僕は「ヒポクラテスたち」を観て、「医学部って面白そうだな。よしここに入ろう!」と決めた。

後に知ったのだが、大林映画「転校生」はキャストが決まり撮影2週間前という時点でスポンサー(サンリオ)が「こんな破廉恥な内容はわが社の社風に合わない」と突然降りてしまった。これを聞きつけた大森監督がレイ・ブラッドベリ原作の映画化企画を東京で打ち合わせていたATG(日本アート・シアター・ギルド)代表の佐々木史郎プロデューサーに相談を持ちかけ、自らの企画を引き下げて大林監督に譲ったそうである。こうして「転校生」はATG映画として完成した。映画「さびしんぼう」に大森一樹監督が妻と娘3人でカメオ出演している(ヒロインが商店街を自転車で飛ばすシーン)のもこういう経緯があったのだ。

僕が高校3年生になった1984年、「アイコ十六歳」という映画が公開された。これは全て名古屋市内で撮影された作品で、127,000人の応募者の中から当時中学3年生だった富田靖子がオーディションで選ばれた。

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受験生として僕は1年間、大好きな映画を一切観ない「映画断ち」をしようと決心していた。しかし新聞広告で富田靖子の写真を見て、心がときめいた。結局誘惑に負け、映画館に足を運んだ。これだけは唯一の例外だった。併映の秋吉久美子主演「チーちゃんごめんね」は興味なかったのでパス。「アイコ十六歳」の監督はそれまで自主制作で8mm映画を撮っていた今関あきよしで、製作総指揮に(保証人として)名を連ねたのが大林宣彦監督だった。この映画の富田靖子は生き生きとして本当に素晴らしく、何時の日にか大林映画に彼女が出演すればいいなぁと僕は夢見た。

その年の12月末、地元紙・山陽新聞夕刊に大林監督の「さびしんぼう」が現在尾道で撮影中と記事が出た。主演は、な、な、なんと富田靖子!僕は文字通り飛び上がり、狂喜乱舞した。直ちにその記事を切り抜いて勉強机の前に貼り「必ず大学に合格して、この映画を絶対観に行くぞ!」と固く心に誓ったのだった。

年が明け僕が無事岡山大学医学部に合格した春、1985年4月13日に「さびしんぼう」は公開された。同時上映は松田聖子、神田正輝が共演した「カリブ・愛のシンフォニー」。松田聖子は大嫌いなので「カリブ・愛のシンフォニー」は観なかった。「さびしんぼう」はその年、キネマ旬報ベスト・テンで第5位、読者選出ベスト・テンでは第1位となった。映画評論家・淀川長治に絶賛され、黒澤明監督からも愛される作品となった。これが切っ掛けで黒澤明は大林演出の、洋酒のCMに出演し(キャッチコピーは「夢にわがままです」)、映画「夢」のメイキング・ドキュメンタリーも大林に委ねた(「映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話」僕はレーザー・ディスクで所有)。

大林監督は長年「さびしんぼう」という映画を撮りたいと構想を温めていた。1967年にはデビュー前のハニー・レーヌ(当時15歳)を第一候補に挙げていた(その10年後の77年にハニー・レーヌは大林映画「瞳の中の訪問者」に、遅すぎた出演を果たす)。福永武彦原作「廃市」を「さびしんぼう」という題名にしようとしたこともあった。新進気鋭のCMディレクターだった1973年、未だ中学生だった山口百恵に会ったときも、彼女を主演に「さびしんぼう」を撮ろうと考えていたという。結局その企画も流れ、翌74年から百恵・友和でグリコ・チョコレートのCMを撮った→動画はこちら。つまり大林監督のフィルムの中でふたりは出会ったのである。結婚前の餞として大林監督はサンフランシスコで百恵・友和主演の映画「ふりむけば愛」(1978)を撮る。百恵の「私が好きな人は、三浦友和さんです」という恋人宣言は翌79年である。

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「さびしんぼう」で富田靖子は一人二役をこなしている(ラストシーンを含めると四役)。右の横顔しか見せない橘百合子、そしてなんだかへんて子=さびしんぼう。百合子は恋われる対象であり、さびしんぼうは恋する主体。さびしんぼうは少女の左側の顔を象徴する存在であり、ふたりあわせてひとつの人格と言えるだろう。百合子が自転車でフェリーに乗り、通学するという設定がたまらなく素敵だ。

ショパンの「別れの曲」が映画で重要な役割を果たす。映画評論家・石上三登志は「大林映画はピアノ映画だ!」と看破した。劇場デビュー作「HOUSE ハウス」は少女がピアノに食べられてしまい、「漂流教室」では怪獣がピアノを弾く。「転校生」はシューマンのトロイメライがテーマ曲となり、「時をかける少女」の学校の廊下では何処からともなくリストの「愛の夢 第3番」が聴こえてくる。「ふたり」で石田ひかりはシューマンの「ノヴェレッテ 第1番」を弾き、「彼のオートバイ、彼女の島」の竹内力は自室でショパンの「12の練習曲 作品25−1」を聴く。「姉妹坂」ではリストの「ため息(3つの演奏会用練習曲)」がテーマ曲となり、「おかしなふたり」ではヤクザを演じる永島敏行が小指のない右手でベートーヴェンの「エリーゼのために」を爪弾くのだ。

後に大林監督は主人公・井上ヒロキ役に宇野重吉をキャスティングし、「さびしんぼう2」を撮ろうと考えていた。年老いたヒロキが久々に尾道に帰郷すると、さびしんぼうに再会するというプロットだった。しかし宇野の死(1988)でその企画は白紙撤回となった。このアイディアは結局、同じ山中恒原作「はるか、ノスタルジィ」(1993)に継承されることになる。

TO BE CONTINUED...

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関西弦楽四重奏団✕豊嶋泰嗣/ブルックナー:弦楽五重奏曲

6月5日(月)大阪倶楽部へ。関西弦楽四重奏団✕豊嶋泰嗣(新日本フィル・コンサートマスター)で、

  • モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのためのデュオ K.424
    (ヴァイオリン:林 七奈/ヴィオラ:豊嶋泰嗣)
  • モーツァルト:弦楽四重奏曲 第19番「不協和音」
  • ブルックナー:弦楽五重奏曲

林 七奈(大阪交響楽団コンサートマスター)と豊嶋は夫婦。だからモーツァルトのデュオは夫唱婦随というか、夫のほうが低音を担当しているから婦唱夫随かな。

豊嶋のヴィオラは初めて聴いたが、豊かな太い音色で味わい深かった。低音部がどっしりと支えているので音のピラミッドが美しく構築され、耳に心地よい。ヴィオラの秀演と言えば僕は今までに今井信子、清水直子(ベルリン・フィル首席ヴィオラ奏者)、アントワン・タメスティ(ミュンヘン国際音楽コンクール優勝)などを生で聴いてきたが、豊嶋の演奏は全く遜色なかった。ヴァイオリンの名手はヴィオラもいけるんだね(逆に今井信子のヴァイオリンは下手だった)。

モーツァルトのカルテットは潤いがあって瑞々しく、ピチピチしてた。ただ事ではない躍動感で満ちていた。

ブルックナーのクインテットを生で聴くのは初めて。日本では滅多に演奏される機会がない曲。いぶし銀の音色で開始され、分厚いハーモニーでド迫力だった。ブルックナーが描く宇宙がそこには感じられた。特に第3楽章アダージョは白眉で、教会の螺旋階段をじわじわと上(天)に向かって登っていくような高揚感があった。今までこの曲をCDなどの音源で聴いてきた印象は「ミニチュアの交響曲」だった。つまりブルックナーは交響曲だけで十分で、クインテットは不要。その考えを改めさせるだけの説得力が関西弦楽四重奏団(✕豊嶋泰嗣)にはあった。

ロータス・カルテットやクァルテット・エクセルシオなど日本人による常設弦楽四重奏団に対しては失望(否、絶望)しかなかったので(東京クヮルテットは良かったけれど解散してしまった)、彼らの存在は救いである。今年11月からフェニックスホールで始まるベートーヴェンの弦楽四重奏曲 全曲ツィクルスには大いに期待したい。

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タリス・スコラーズ@兵庫芸文 2017

6月3日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

Tallis

ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ(10名によるア・カペラ)で、

  • タリス:ミサ曲「われわれに幼子が生まれた」
  • バード:アヴェ・ヴェルム・コルプス
  • 同:正しき者の魂は神の御手に
  • 同:聖所にて至高なる主を賛美もて祝え
  • アレグリ:ミゼレーレ
  • モンテヴェルディ:無伴奏による4声のミサ曲
  • パレストリーナ:主の僕たちよ、主をほめたたえよ
  • モンテヴェルディ:カンターテ・ドミノ (アンコール)
  • トレンテス:ヌンク・ディミッティス
    「今こそ主よ、僕を去らせたまわん」(アンコール)

生で彼らを聴くのはこれが3回目である。

彼らのレパートリーには現代の作曲家ペルトの作品もあるのだが、今回はルネサンス〜バロック期の教会音楽のみ。毎回、アレグリの「ミゼレーレ」は歌われており、彼らの代名詞と言えるだろう。楽譜はシスティーナ礼拝堂から門外不出だったが、これを聴いた14歳のモーツァルト少年が記憶だけを頼りにまるまる採譜したというエピソードは余りにも有名。

澄み切った、心洗われる響きに魅了された。

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