2017年5月29日 (月)

《宝塚便り》サヨナラ公演と白装束

5月29日(月)朝6時45分頃、宝塚大劇場正門前の光景である。

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この日は宝塚雪組公演「幕末太陽傳」の千秋楽で、トップスター:早霧せいなと、トップ娘役:咲妃みゆのサヨナラ公演でもある。

白い服(会服)に身を包んでいるのは、スターの私設ファンクラブの人たちだ。デイリースポーツの報道によると、元トップスターの榛名由梨が1988年(昭和63年)12月31日付で卒業した時にはこのような風習はなかったという。つまり白装束一色に染まるようになったのは元号が平成になって以降ということになる。面白いのは上・下お揃いの白を着ているのがトップのファンだけではないということ。2番手・3番手・4番手などの男役のファンも追従している。

正に日本独特の風景であり、良く言えば「協調性がある」、悪く言えば「同調圧力(または仲間集団圧力)」ということになるだろう。すべてを包み込む、あるいは飲み込むという特徴がある母性社会日本に於いては、場の平衡を保つことが重要視される(参考文献:臨床心理学者・河合隼雄著「母性社会日本の病理」)。異端者は排除される。出る杭は打たれるのだ。ヅカファンが大劇場のことを「ムラ」と表現するのはむべなるかな。

公演は13時から。ではどうして皆こんなに朝早くから来ているのかというと、スターの(楽屋への)入り待ちをしているのだ。整列して「今日も1日舞台頑張って、行ってらっしゃい」などと全員で唱和して送り出す儀式が日々行われている。勿論、出待ちもある。

この白装束一色と同様に、日本的だなぁと感じるのはパフォーマーの群舞である。これは宝塚歌劇に限らず劇団四季や東宝もそうなのだが、日本のダンサーたちの群舞はピタッと揃っている。ところがブロードウェイでミュージカルを観たり(例えば「フォッシー」)、英国ロイヤル・バレエ団の公演を観たりすると、これが意外とバラバラなのである。ひとりひとりが個性を出そう、他者を出し抜いて目立とうと必死にもがいている。つまり欧米人はあくまで個人主義なのだ。しかしこれにも例外はあり、ロシアのマリインスキー・バレエの群舞は一糸乱れず完璧に統一されている。お国柄の違いがあって面白い。

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2017年5月26日 (金)

宝塚歌劇団演出家のエース、小池修一郎のライフワーク「ポーの一族」遂に始動!(主演:明日海りお)

2008年、僕は「蒼いくちづけ」と小池修一郎論の中で、こう書いた。

小池さんのドラキュラへの偏愛は今回よく分かった。是非お次は、萩尾望都の漫画「ポーの一族」をミュージカル化してください。

そしてその願いは遂に叶ったのである!宝塚歌劇団は2018年1月に花組で、小池修一郎作・演出によるミュージカル「ポーの一族」を上演すると発表した。

小池は以前より吸血鬼ものに並々ならぬ執着を示していた。バウホールの「蒼いくちづけ」、大劇場の「薔薇の封印」、そして「ローン・ウルフ」@バウは狼男の物語であり、そのバリエーションと言える。

今回の一連の報道で初めて知ったのだが、小池が萩尾望都に「ポーの一族」舞台化を初めて持ちかけたのは1985年だったという。彼の演出家デビュー作「ヴァレンチノ 〜愛の彷徨〜」バウ初演が1986年。つまりデビュー前から執念を燃やしていたことになる。いや、そりゃあ全く実績がなく、海の物とも山の物ともつかぬ若造から「ポーの一族」を手がけたいと言われても萩尾が断るのは当然だよな。それでも小池は諦めなかった。しつこく32年間も交渉を続けたのである。

漫画「ポーの一族」(小学館文庫)第1巻のあとがきを小池が書いていて(「バンパネラの封印」)、次のような一文から始まる。

私を宝塚歌劇団に送り込んだのは萩尾望都である。

激烈である。そして胸熱だ。しかし考えてみれば確かにヨーロッパを舞台にした「ポーの一族」を脚色・演出するチャンスがあるのは宝塚歌劇団しかない。劇団四季や大人計画では無理。正に彼のライフワークと言えるだろう。

僕が日本の漫画史上に燦然と輝く不朽の名作「ポーの一族」を読む切っ掛けを作ってくれたのは金子修介監督(平成ガメラシリーズ、「デスノート」)の「1999年の夏休み」だった。

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1988年に公開された映画で、深津絵里のデビュー作である(当時は水原里絵と名乗っていた)。山と森に囲まれ、世間から隔絶された全寮制の学校を舞台に、14、15歳の少年たちが織りなす愛憎劇。その4人の少年を少女が演じるというコンセプトが宝塚的であった。「1999年の夏休み」の原案が萩尾望都の「トーマの心臓」(映画にはクレジットされていない)。これで興味を持ち「トーマの心臓」を読んだらすこぶる面白かったので、続けて「ポーの一族」や「半神」に手を伸ばし、打ちのめされた

萩尾は今まで「ポーの一族」舞台化を拒んできたわけだが、「トーマの心臓」は劇団スタジオライフが繰り返し上演している(1996年初演)。「半神」は萩尾と劇作家・野田秀樹が台本を書き、夢の遊眠社が1986年に初演。劇団解散後、99年野田地図(NODA MAP)公演では深津絵里が出演している。2014年には韓国人キャストでも上演された。また宝塚歌劇団は萩尾の漫画「アメリカン・パイ」を原作に、バウ・ミュージカルとして上演している。

「ポーの一族」については粘り強い交渉の結果、遂に萩尾が折れたわけだが、それだけ待った甲斐はあった。小池は演出家として成熟し、エドガー役に明日海りおという、これ以上ない理想のキャスティングを得た。あとは肝心要の音楽だけだ(未発表)。もうここまで来たら世界を目指すしかない。その為にも僕の希望を述べておく。

  1. ジェラール・プレスギュルヴィック:小池演出「ロミオとジュリエット」の作曲家。宝塚歌劇オリジナル作品として小池の台本・演出「眠らない男 ナポレオン」も手掛けている。フランスの作曲家らしく、どんどん転調していく作風が耽美な「ポーの一族」の雰囲気にピッタリ。一押し!
  2. シルヴェスター・リーヴァイ:ハンガリーの作曲家。泣く子も黙る「エリザベート」「モーツァルト!」で余りにも有名。日本発のミュージカルでは遠藤周作原作「マリー・アントワネット M.A.」や「王家の紋章」を作曲。「マリー・アントワネット」はドイツのブレーメン、韓国、ハンガリーのブタペストでも上演された。
  3. フランク・ワイルドホーン:ブロードウェイ・ミュージカル「ジキル&ハイド」「スカーレット・ピンパーネル」で知られる。小池の台本・演出で「NEVER SAY GOODBY」「MITSUKO 〜愛は国境を超えて〜」を作曲。「NEVER SAY GOODBY」で出会った和央ようかと結婚。「デスノート THE MUSICAL」も傑作。
  4. リチャード・オベラッカー:小池台本・演出「グレート・ギャツビー」リニューアル版を作曲。"BANDSTAND"というミュージカルでブロードウェイ・デビューを果たした。

Bandstand

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大林宣彦(著)「いつか見た映画館」

大林宣彦監督が古(いにしえ)のハリウッド映画や日本映画のことを縦横無尽に語り下ろした「いつか見た映画館」(2016/11/01出版)を一気呵成に読破した。

Obs

上下2巻で総重量2Kg、1240ページを超える超大作。定価はな、な、なんと1万8千円+税!!辞書かっ!?

読者のみなさんは御存知の通り、僕は筋金入りの大林映画ファンである。

そんな僕でもこの値段にはおいそれと手を出せなかった。そこで図書館から借りるという戦術に転じた。しかし僕の住んでいる兵庫県宝塚市の図書館で蔵書検索をしても該当が見つからない。お隣の西宮市立図書館も×。それでも諦めず調査を続行し、漸く神戸市立図書館に入っていることを突き止めた!

冒頭の寄せ書きに応援メッセージを寄せたのが山田洋次監督(「男はつらいよ」シリーズ、「たそがれ清兵衛」)、高畑勲監督(「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」)、岩井俊二監督(「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「リップヴァンウィンクルの花嫁」)、犬童一心監督(「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」)、園子温監督(「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「新宿スワン」)といった錚々たるメンツで圧巻だ。

本篇は松竹系の衛星劇場で放送されている映画解説をまとめたもの。主題となっているのが太平洋戦争(第2次世界大戦)であり、紹介される映画も戦前・戦中・戦後直ぐ(アメリカン・ニューシネマ台頭前まで)が中心となっている。ただ下巻の終盤では話題が「原点としての無声映画」に移ってゆくのだが。

かつて映画の語り部として「日曜洋画劇場」の淀川長治がいた。しかし彼が亡くなり、ポジションがぽっかり空いてしまった。その穴を埋めるべく白羽の矢を立てられたのが大林監督だった。考えるに現代の映画の語り部といえば大林宣彦か、WOWOWの「町山智浩の映画塾!」やTBSラジオ「たまむすび」で《アメリカ流れ者》のコーナーを担当する町山智浩くらいしかいないだろう。

作品選択が実にユニーク。特にゲイリー・クーパーやジョン・ウェインが主演した西部劇が多数取り上げられているのだが、敢えて「西部の男」「真昼の決闘」「駅馬車」「捜索者」「赤い河」「リオ・ブラボー」といった有名どころは外されており、代わりに「ダラス」「北西騎馬警官隊」「コレヒドール戦記」「拳銃無宿」「マクリントック」などマニアックな作品ばかり選ばれている。フレッド・アステアも「トップ・ハット」「有頂天時代」「イースター・パレード」「バンド・ワゴン」ではなく、「スイング・ホテル」「ブロードウェイのバークレー夫妻」「土曜は貴方に」「晴れて今宵は」といった具合。8割は未見だったが、それでもすこぶる面白く読んだ。

ジョン・ウェイン(1907-1979)が生涯、密やかに愛した映画女優ゲイル・ラッセル。デュークは3度結婚したが、遂にラッセルと結ばれることはなかった。その晩年、病床の彼は彼女と共演した「怒涛の果て」(1948)のビデオを毎夜繰り返し見続けていたという(ラッセルはアルコール依存症となり、1961年、デュークより先に亡くなった。享年36歳)。何だか切ないね。

Angel

「イヴの総て」に出演したジョージ・サンダース(1906-1072)は友人のデイヴィッド・ニーブンによると、1937年(31歳)の時点で「僕は65歳になったら自殺するよ」と予告していたそうである。そして実際に65歳で睡眠薬自殺をした。遺書にはこう書き残されていたという。

Dear World, I am leaving because I am bored. I feel I have lived long enough. I am leaving you with your worries in this sweet cesspool. Good luck.
世界よ、退屈したからオサラバするよ。もう十分生きた。この素敵な糞溜めの中で、君たちが不安に頭を抱えたままにしておくよ。幸運を祈る。

かっけー!惚れた。

また「カサブランカ」のマイケル・カーティス監督がハンガリー・ブタペスト出身で、ハンガリー名がケルテース・ミハーイだということも全く知らなかった。彼は左翼思想を持つユダヤ人で、1918年には共産党のプロパガンダ映画を撮っている。しかし翌19年にハンガリーにおける共産主義革命が失敗したため、ドイツに亡命。後に米国に渡った。カーサ(casa)・ブランカ(blanc)=白い家。亡命を希望する様々な人種が集まるこの場所はハリウッドのメタファーでもあったのだ。それが「ラ・ラ・ランド」に繋がっていく。

伊福部昭が音楽を担当し、柳家金語楼が主演したサラリーマン映画「社長と女店員」(1948)で既に「ゴジラ」(1954)のテーマが使用されているという話も初めて本書で知った(動画はこちら)。またこの旋律はサスペンス映画「蜘蛛の街」(1950)でも用いられており、何度も使いまわした挙句、「ゴジラ」で漸く有名になったというのが実情のようだ。因みにこのテーマの原点は1948年6月(1月説もあり)に初演された「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」である。「社長と女店員」の公開日が1948年12月20日だから、ほんの少し後ということになる。

エロール・フリンが主演した映画「フォーサイト家の女」(1949)のラストシーンで視線が噛み合わない男女の別れが描かれるが、大林監督はこれを「時をかける少女」のエピローグ(深町との別れから11年後、大学の廊下での邂逅)に引用したと告白する。それがさらに2016年、新海誠監督「君の名は。」で再現されているわけだ(糸守町へ隕石が衝突してから8年後、雪の降る東京)。映画は繋がっている。尚、「君の名は。」については本書で言及されているわけではなく、僕自身の考察である。

2012年、ニューヨーク近代美術館MoMAでの大林監督の個人映画(8mm、16mmフィルム)上映後のティーチインで監督は集った若い観客たちに「君たちは映画に、何を求めますか?」と問うたという。2つの答えが帰ってきた。1つ目は【Never Give Up】……夢や希望を信じ、諦めない。2つ目は【Make Philosophy】……映画でことを考える。哲理を得る。正に「いつか見た映画館」はそういう本であり、改めて映画とは人生の教科書であり、知恵の宝庫だなぁと感じ入った次第である。

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2017年5月23日 (火)

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第6回/ミシェル・ルグラン篇(+大阪桐蔭高校吹部「キャラバンの到着」)

過去のシリーズは以下。

まずは昨年全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞し、全国の頂点に立った大阪桐蔭高等学校吹奏楽部が精緻華麗にマーチング演奏する「キャラバンの到着」をお聴きください→こちら(本当はこのフラワーコンサートに行く筈だったのだが、連れていく予定だった息子が当日朝に発熱し、断念した)。ミシェル・ルグランが作曲し、ジャック・ドゥミが監督した港町三部作のひとつ「ロシュフォールの恋人たち」冒頭のナンバーで、三菱ランサー・エボリューションのCMでもお馴染みだろう。

僕は映画「ラ・ラ・ランド」を観る前にまずiTuneでサントラをダウンロードした。そして最初の"Another Day of Sun"のイントロを聴いた瞬間に「アッ、キャラバンの到着だ!」と思わず叫んだ(映画の動画はこちら)。実際に若者たちが遠方から町にやって来て、車を降りるやいなや踊りだすというシュチュエーションも両者で完全に一致している。さて、ジャズが大好きな「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督(音楽学校でプロを目指しジャズ・ドラムを学ぶが、才能の欠如を感じ諦めたという)と、この作品でアカデミー歌曲賞及び作曲賞を受賞したジャスティン・ハーウィッツがこよなく敬愛するフランスの作曲家ミシェル・ルグラン(1932ー 、パリ生まれ)とは一体何者なのか?

ルグランの出発点は1958年(26歳)に新婚旅行でニューヨークに渡航した際に録音されたアルバム「ルグラン・ジャズ」である。

Jazz

参加しているミュージシャンが凄い。ジョン・コルトレーン(Sax)、ビル・エヴァンス(Pf)、そしてマイルス・デイヴィス(Tp)!!ジャズ・ジャイアンツが一堂に会するという壮観さ。ルグランは卓越したアレンジャーとしての才能を開花させた。これ必聴。

そして彼は丁度その頃、台頭してきたフランス・ヌーベルバーグ(新しい波)の映画作家たちと深く関わるようになる。

ではルグランが作曲した映画音楽ベスト10を選んでみよう。

  1. ロシュフォールの恋人たち (1967)
  2. 恋 The Go-Between (1971)
  3. 愛のイエントル Yentl (1983)
  4. シェルブールの雨傘 (1963)
  5. 華麗なる賭け (1968)
  6. 天使の入江 (1963)
  7. おもいでの夏 (1971)
  8. エヴァの匂い (1962)
  9. 愛と哀しみのボレロ (1981)
  10. ベルサイユのばら (1979)

多分、誰もが知っいるのは「シェルブールの雨傘」だろうが、真のルグラン・ファンなら10人中10人が「ロシュフォールの恋人たち」を真っ先に推すだろう。唯一無二。彼のエッセンスがギュウギュウに詰まっている。

ピアノの音がキラキラ煌めき、そして切ない協奏曲仕立ての「 (The Go-Between)」の音楽はこちら。映画のクライマックスではフーガも登場し、クラシカルなルグラン音楽の代表作である。

アカデミー賞で編曲・歌曲賞を受賞した「愛のイエントル」の白眉"Papa, Can You Hear Me?"の試聴はこちら。星空の下、死んだ父に対して謝り、でもこの生き方しかないの、分かってと訴える歌。バーブラ・ストライサンドが製作・監督・脚本・主演した、けったいな【ひとりミュージカル】映画である。最初から最後までバーブラがひとりで歌いまくる。ブロードウェイ・ミュージカルに主演したこともあるマンディ・パティンキンが相手役なのに、彼には一切歌わせない。最初観た時は開いた口が塞がらなかったが、次第にバーブラの人となりが判ってきて、好きになった。20世紀初頭ポーランドのユダヤ人コミュニティ。女は学問をすることが許されず、それに抗ったイエントルは男装して神学校(イェシーバー)に入学する。そして自分のついた嘘を貫き通すために女性と結婚までする。"It is written."がこの物語のキーワードとなる。女は書物を読まなくていい。男に従属するのが女の幸せ。そう「旧約聖書(またはユダヤ教の律法)に書いてある」。イエントルはこの「常識」に対して徹底的に反抗する。「予め定められた運命(It is written.)」なんてない。自らの手で書くのだ。彼女の生き様は後にディズニーの「アナと雪の女王」の"Let It Go"に流れ込み、国連の親善大使として活躍するエマ・ワトソン(「ハリー・ポッター」シリーズ、「美女と野獣」)へと継承されてゆく。映画のフィナーレで歌われる感動的な"A Piece of Sky"はこちら。イエントルは移民船に乗り込み、新大陸を目指す。コンサートでこの名曲をFilm上の自分自身と気持ちよくデュエットする愛すべきバーブラの姿はこちら(1分30秒あたりから)。どれだけ自分のことが好きやねん!!ここには写っていないけれど、実はコンサート会場にスティーヴン・スピルバーグも来ています(「イエントル」に出演しアカデミー賞にノミネートされたエイミー・アーヴィングは元スピルバーグ夫人で89年に離婚)。

華麗なる賭け」は「風のささやき」がアカデミー歌曲賞を受賞。スティーブ・マックィーンとフェイ・ダナウェイが格好いい。この歌が流れ、マックィーンが黄色いグライダーを操縦するシーンには痺れる→こちら!別のシーンだけれど、スプリットスクリーンもお洒落。

ジャック・ドゥミとの「天使の入江」は何かに急き立てられるかのような疾走感・焦燥感がある。試聴は→こちら。ギャンブルに明け暮れる男女の茫漠とした満たされない想い、空虚さが胸を打つ。

ルグランがアカデミー作曲賞を受賞した「おもいでの夏」はこちら

愛と哀しみのボレロ」は長年フランシス・レイとコンビを組んできたクロード・ルルーシュ監督(「男と女」)の大作で、なんと音楽はレイ×ルグランという豪華版。そしてルグランの曲では”世紀末の香り”にとどめを刺す!!→こちら。これはオーケストラバージョンだけれど、本編では歌バージョンあり。僕は本作を祖母と一緒に映画館(SY松竹文化@岡山市、2005年に閉館)で観た。中学3年生の時だった。そして初めて20世紀を代表する振付家モーリス・ベジャールと稀代のダンサー、ジョルジュ・ドンの名を知った。その御蔭で1985年3月4日に岡山市民会館でジョルジュ・ドン&東京バレエ団で「ボレロ」を観たのも鮮烈な体験だった。忘れもしない、大学入試の合格発表があった夜だった。その後ドンは1992年にAIDSで亡くなった。享年45歳。またルグランの朋友ジャック・ドゥミもAIDSで90年に命を落とした。そういう時代だった。

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池田理代子(漫画)原作「ベルサイユのばら」(実写版)はジャック・ドゥミが監督しているが、作品自体は惨憺たる出来であった。もう泣きたくなった。ドゥミは「金のために撮った」と赤裸々に告白している。身も蓋もない。プロデューサーは山本又一朗、総製作費10億円を投じ、ベルサイユ宮殿でロケされた。資生堂がタイアップし、こんなCMもTVで放送された。原題が何故か"Lady Oscar"で、ダイアログも英語。意味不明。しかしルグランの音楽は掛け値なしの傑作だと僕は今でも確信している。是非聴いてみて→こちら!演奏はロンドン交響楽団。この佳曲を人知れず埋もれさせてしまうなんて勿体なさ過ぎる。Jazz Version(こちら)とか、対位法で作曲された雄大なフィナーレもどうぞ→こちら

番外編として手塚治虫原作、市川崑監督「火の鳥」実写版(1978)の音楽も素晴らしい。こちら!演奏はやはりロンドン交響楽団。ルグランはメイン・テーマのみ作曲している。

また彼はリナ・ホーン、キリ・テ・カナワ、ジェシー・ノーマンら一流歌手たちと組んでソング・アルバムをレコーディングしている。中でも一押しなのがナタリー・デセイとのアルバム。

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デセイは「魔笛」「椿姫」などに出演する本格的オペラ歌手だが、ルグランの曲ではちゃんと柔らかいシャンソンの歌い方に切り替えている。キリ・テ・カナワやジェシー・ノーマンはオペラティック過ぎる(ヴィブラートがキツイ)のだ。

最後にルグランの舞台ミュージカルをご紹介しよう。劇団四季が上演した「壁抜け男」である。

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地味だけど愛すべき逸品。劇伴の奏者は3人だけ。後に拡大したオーケストレーション版でブロードウェイ上演もされた。

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壁抜け男」は1999年に博多の福岡シティ劇場で日本初演された(ここは現在、劇団四季の専用劇場ではなくなりキャナルシティ劇場に名を変えた)。僕はこの初日に観ている。主演のデュティユルは現在、テレビ朝日「題名のない音楽会」で司会を務める石丸幹二。他に井料留美、光枝明彦、丹靖子ら。この4人は全員、既に四季を退団している。同メンバーでVHSビデオも出ていたのだけれど、現在Amazon.co.jpで購入出来るDVD/Blu-ray (23% OFF)は2012年の再演版で別キャストである。

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》次回はバーナード・ハーマン(「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」「タクシー・ドライバー」)か、「スター・ウォーズ」の生みの親エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト辺りを考えている。どちらかもし、ご希望があればコメントをお寄せください。

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2017年5月22日 (月)

夜明け告げるルーのうた

評価:B+

公式サイトはこちら

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湯浅政明は監督デビュー作「マインド・ゲーム」や、テレビ・アニメ「四畳半神話大系」(2作品とも文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞)を観れば判る通り、天才である。それは紛れもない事実だ。先月公開され、A+の評価をつけた「夜は短し歩けよ乙女」のレビューはこちら

湯浅作品の特徴を一言で評すなら「疾走する狂気」であろう。その世界観は毒気に満ち、過剰サイケデリックLSDなどの幻覚剤によって生じる幻覚や陶酔状態を想起させるさま)だ。ビートルズの傑作アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録された"Lucy in the Sky with Diamonds"を彷彿とさせる。頭文字を繋げるとLSDとなり、ジョン・レノンがドラッグを飲みラリって見た幻覚を歌っているとも言われる。

そのサイケさは確かに「夜明け告げるルーのうた」にも残り香のように漂ってはいるが、強烈な「マインド・ゲーム」と比べると、毒が薄まっている感は否めない。

湯浅監督は余りにも個性的すぎて、マニアックなファンはいるが一般受けしない。しかし本作は東宝配給だし、健全な少年少女にも何とか馴染めるものにしようと涙ぐましい努力をしている。つまり王道を目指しているという意図はよく判る。

ただね、皆が指摘しているように人魚と少年の出会いの物語は「崖の上のポニョ」だし、ルーのお父さんの造形は明らかにトトロ、または「パンダコパンダ」のパパンダだ。どうしても既視感があって新鮮味が乏しいと断じざるをえない。僕は言いたい。「湯浅さん、無理して一般客に媚びんなよ。ありのまま(Let It Go)でいいじゃんか」

結局、「夜は短し歩けよ乙女」はお世辞にもヒットしたと言えないし(僕は大好きだけど)、「夜明け告げるルーのうた」は平日19時5分からの上映回を観たが、観客はたった3人。閑古鳥が鳴いていた。

Netflixで配信予定の湯浅監督「デビルマン」に期待したい。今度は周囲の雑音を気にせず、伸び伸び羽ばたいてください。

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クァルテット・エクセルシオのクインテット@いずみホール

5月19日いずみホールへ。

クァルテット・エクセルシオとミシェル・ルティエク(クラリネット)、堤剛(チェロ)で、

  • モーツァルト:クラリネット五重奏曲
  • シューベルト:弦楽五重奏曲
  • ギヨーム・コヌソン:ディスコ=トッカータ
    (クラリネット&チェロ 編) アンコール

ルティエクのクラリネットはふわっと柔らかい響きで優しい。心地良かった。

シューベルトのクインテットは村上春樹がシエスタ(昼寝)のお供として聴いていることで有名。彼の愛聴盤はヨーヨー・マとクリーブランド弦楽四重奏団によるCDだという。僕が普段よく聴いているのは①ベルリン・ブランディス弦楽四重奏団+ウェンシン・ヤン②アルバン・ベルク四重奏団+ハインリッヒ・シフ③ラルキブデッリ(バロック・チェロ奏者アンナー・ビルスマ率いるガット弦による弦楽アンサンブル)。特にベルリン・フィルのコンサートマスターだったトーマス・ブランディスを中心とする①がお気に入り。

今回のシューベルトは兎に角クァルテット・エクセルシオがいただけない。音が弱々しく、頼りない。慎重すぎて守りに入り、覇気がない。もっと大胆さが欲しい。第2楽章アダージョは弱音で開始される主部と、中間部の激しさにコントラストが足りない。第3楽章スケルツォはテンポが遅く、ぬるま湯につかっているよう。緊張感に欠け、寝ぼけた音楽に成り果てている。総評としてガットが弛んでボールを打ち返す力を失ったテニスラケットのような演奏で、ゲストの堤剛が浮いていた。彼らのコンサートに足を運ぶことはもう二度とないだろう。

結局、最も生き生きして聴き応えがあったのはクァルテット抜きのアンコールという情けなさ。なお、帰宅して調べてみるとギヨーム・コヌソン(Guillaume Connesson, 1970 - ) はフランスの現代作曲家らしい。愉しくて気に入った。

僕が今まで聴いた日本人による弦楽四重奏団で、最高だったのはモルゴーア・クァルテット。次点が関西弦楽四重奏団。でかなり落ちてクァルテット・ベルリン・トウキョウ、ロータス・カルテット、最低がクァルテット・エクセルシオ。そんな感じかな(解散した東京クヮルテットは除く)。

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2017年5月18日 (木)

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番とロンドン大空襲(The Blitz)〜藤岡幸夫/関西フィル定期

5月17日(水)ザ・シンフォニーホールへ。

藤岡幸夫/関西フィル管弦楽団シプリアン・カツァリス(ピアノ)で、

  • ラヴェル:ラ・ヴァルス
  • ラヴェル:ピアノ協奏曲
  • ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

を聴いた。

プレ・トークで藤岡が語ったことによると、ラヴェルのコンチェルトは史上最速だそうだ。カツァリスのピアノはファンタジーとポエムに溢れている。第1楽章は無邪気な子供のようで、そこにラヴェルのスペイン(バスク地方)の血や、アメリカで会ったガーシュウィンからの影響が混ざる。第2楽章アダージョは子供部屋で赤ん坊がすやすやと眠っている情景。夢見る音楽。第3楽章プレストに至るとヴィルトゥオーソが炸裂!おもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎで、そこにゴジラのテーマも紛れ込む。超高速であっという間に終わった。

ソリストのアンコールはフランス風即興曲ラ・マルセイエーズ(リスト/カツァリス編)に始まり、枯葉〜男と女〜シェルブールの雨傘〜バラ色の人生などがメドレーで奏でられる。お洒落!万雷の拍手の中、カツァリスはオケの楽員や観客に投げキスを振る舞った。この模様は後日、藤岡がナビゲータを務めるBSジャパン「エンター・ザ・ミュージック」で放送される予定。

さて、イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RWV)の交響曲第5番を初めて聴いたのは確か僕が大学生くらいの頃だった。テラーク(TELARC)というレーベルから出ていたプレヴィン/ロイヤル・フィルのCD(1988年デジタル録音)を購入したのである。ここは録音が優秀なことで知られていたが、2005年にコンコード・ミュージック・グループに買収され、名録音チームも雲散霧消してしまった。

当時の感想は「メリハリ(起伏)が乏しく、掴みどころがない退屈な曲」だった。CDを1,2回聴いただけで放置してしまった。近代アメリカ音楽の祖アーロン・コープランド(「市民のためのファンファーレ」「ロデオ」「アパラチアの春」)は次のような言葉を残している。

ヴォーン・ウイリアムズの交響曲第5番を聴くことは、雌牛を45分間眺めるようなものだ。 (Listening to the fifth symphony of Ralph Vaughan Williams is like staring at a cow for 45 minutes.)

なかなか強烈である。藤岡もプレ・トークで「この曲の魅力は絶対に実演を聴かないと判りません。僕もCDだと寝ちゃう」と語っていた。「一歩間違うとお客さんが寝ちゃうから、今日は気合を入れて頑張ります」

アメリカやヨーロッパ大陸でイギリス音楽が演奏されることは滅多にない(唯一の例外がホルストの組曲「惑星」)。最近でこそウィーン・フィルやベルリン・フィルがエルガーの交響曲やエニグマ変奏曲を取り上げるようになったが、ディーリアス、アーノルド、ウォルトン、ヴォーン・ウィリアムズになるとほぼ皆無に等しい(ブリテンなら「ピーター・グライムズ」〜4つの海の間奏曲くらいか)。例えばパリ管やロイヤル・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、シカゴ響がヴォーン・ウィリアムズの交響曲を演奏したって話を聞いたことあります?それだけ偏見が根強いのだ。寧ろ武満徹の方が取り上げられる機会が多いだろう。

アメリカやヨーロッパ大陸の人々と同様、若い頃の僕は愚かで無知だった(エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの価値がヨーロッパで理解されるまでに50年もかかったのは彼らに見る目がないからだ)

そんな僕の目を開かせてくれたのが藤岡幸夫の指揮で聴いたRWVの交響曲第3番だった。

第一次世界大戦の時、41歳のRWVは義勇兵として従軍し、砲火の爆音に晒された為に難聴になった。彼の友人だった作曲家ジョージ・バターワースはフランスのソンムの戦いで狙撃され、戦死した。その哀しみ、心の痛みが第3シンフォニーを産んだ。

一方、第5番は第二次世界大戦中の1943年6月24日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて、作曲家自身の指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演された。

1940年9月7日から1941年5月10日までナチス・ドイツはロンドン大空襲を実行した。ドイツ語でBlitz(ブリッツ)、「稲妻」という。連続57日間に及ぶ夜間空襲があり民間人の犠牲者は4万3千人に及び、100万以上の家屋が損害を受けた。地下鉄の駅の構内がロンドン市民の避難所となった(映画「007 スカイフォール」に出てくる。また興味のある方はジョン・ブアマン監督「戦場の小さな天使たち」をご覧になることをお勧めしたい)。そんな焼け野原の中でこのシンフォニーは産声を上げたのである。この時、RVWの胸に去来したのものは何だったろう?

静謐な第5番を聴きながら、僕は「無念」だったのではないかという気がする。第1楽章は祈りの音楽と言えるだろう。このシンフォニーは優しい。傷ついた人々の心を慰め、癒そうとする強靭な意思を感じる。暴力的な音は微塵もない。そして終楽章には「希望」という名の光が差し込んでくる。

RVWは3ヶ月間、ラヴェルに師事したという。ふたりには第一次大戦に従軍したという共通点もある。そして第5番はシベリウスに献呈された。この時シベリウスは既に交響曲第7番まで書き上げ、悠々自適の隠遁生活を送っていた。だからこのシンフォニーにはシベリウスの、特に第4番以降の交響曲からの影響が色濃い。

藤岡/関西フィルは「イギリスの自然を描いた」という第1楽章(前奏曲)冒頭からゆったり、じっくりと歌い上げる。「ピアニッシモの凄み、才気だったスケルツォ」と藤岡が語る第2楽章は俊敏で、ネズミがちょこまか這い回っているよう。弱音器を付けた弦楽合奏で始まる第3楽章ロマンツァは清浄で、心が洗われる。ここは天界。そしてコールアングレのソロが登場すると、誰もいなくなった古戦場に侘びしく風が吹きすさぶ様子が目に浮かんだ。諸行無常の響きあり。第4楽章パッサカリアはまるで教会のステンドグラスから朝日が差し込むよう。そして音楽は消え入るように終わった。文句なし、パーフェクト。

藤岡/関西フィルは現在、シベリウスの交響曲全集をレコーディング中であり、また同時にRVWに真摯に取り組んでいる。この姿勢は名もなき地方都市のオーケストラであるハレ管弦楽団と指揮者ジョン・バルビローリの関係を彷彿とさせる。シベリウスとRVWのふたりを愛してやまない指揮者って、実はいそうでいないんだよね。因みにRVWの交響曲第8番はバルビローリ/ハレ管が初演した。藤岡はハレ管の定期演奏会でデビューした時、何と大胆にもシベリウスの交響曲第1番を選んだそうである。

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2017年5月15日 (月)

マーラー交響曲第6番をめぐる諸問題〜サロネン/フィルハーモニア管@兵庫芸文

5月14日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

エサ=ペッカ・サロネン/フィルハーモニア管弦楽団で、

  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番
  • ドビュッシー:「子供の領分」〜人形のセレナーデ
    (ソリストアンコール)
  • マーラー:交響曲 第6番「悲劇的」

を聴く。

コンチェルトの独奏はショパン・コンクールの覇者、韓国のチョ・ソンジン。強い打鍵、剛柔併せ持つ。オーケストラはクラシカル・ティンパニとバルブのないナチュラル・トランペットを使用。サロネンの解釈は小気味よく明晰。ピアノはwetで、伴奏はあくまでdry。両者の対比が面白かった。感情よりも均整を重視する古典派と違い、フランス印象派の音楽はwetで良いので、ピアニストの資質としてはドビュッシーの方が似合っている気がした。

マーラーの交響曲第6番を演奏するに際し、指揮者の裁量で判断しなければならない事項が幾つかある。まず第1に第4楽章のハンマーは何度振り下ろされるのか?ということ。通常(最終稿のスコアに記載されたもの)は2回。しかしレナード・バーンスタインはアルマ・マーラーの回想に基づき3回実行し、その「弟子」佐渡裕も追随している。ショルティも3回。因みに完成当時の自筆スコアには5回指示が書き込まれており、それが出版に際し→3回→2回と減らされた。

もうひとつ問題となるのが第2楽章と第3楽章の順番である。従来はスケルツォ→アンダンテ・モデラートとされて来たが、2003年に国際マーラー協会は、それとは逆にアンダンテ→スケルツォの順序がマーラーの最終決定であると発表した。協会HPに掲載されたクービック(校訂者)の見解では、指揮者でもあったマーラー自身がスケルツォ→アンダンテの順で演奏したことはないとしている。

クラウディオ・アバドは1979年のシカゴ響との録音でスケルツォ→アンダンテを採用しているが、2004年ベルリン・フィル、2006年ルツェルン祝祭管との録音では協会に従いアンダンテ→スケルツォに変更している。リッカルド・シャイーも1989年ロイヤル・コンセルトヘボウ管との録音でスケルツォ→アンダンテ、2012年ライプツィヒ・ゲバントハウス管との録音ではアンダンテ→スケルツォとした。

レコーディングの古いものは大半、スケルツォ→アンダンテの順番で、カラヤン、バーンスタイン、ドホナーニ、テンシュテット、ブーレーズ、ギーレンらがそれに当たる。

一方、アンダンテ→スケルツォで録音されたCDに以下のものが挙げられる。

  • バルビローリ/ベルリン・フィル(1966)
  • ラトル/ベルリン・フィル(1987&2011)、バーミンガム市響(1989)
  • ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管(2005)
  • ゲルギエフ/ロンドン響(2007)
  • ハーディング/バイエルン放送響(2014)

しかし、国際マーラー協会から新見解が発表された2003年以降もスケルツォ→アンダンテのまま変更していない指揮者たちがいる。

  • ハイティンク/シカゴ響(2007)
  • インバル/東京都響(2013)
  • 大植英次/大阪フィル(2014)
  • 山田和樹/日本フィル(2016)

今回のサロネンはスケルツォ→アンダンテを採用。ハンマーは2度振り下ろされた。僕はこの順番の方がしっくりくるな。それは第1,2楽章の冒頭に共通性があるから。

佐渡裕によるとレナード・バーンスタインは生前、第1楽章について「マーラーはナチスの台頭を予言した」と語ったという。のっけから重戦車大隊が侵攻してきて人々を蹂躙する。サロネンの指揮は抜群の切れ味。優秀な外科医が鮮やかに腑分けをしているかのよう。そして第2主題(アルマのテーマ)でグッとブレーキを踏み込む。以降は積極的にテンポを動かし、展開部で狂気が炸裂する!第2楽章スケルツォも暴力的リズムで開始され、トリオでは戯けて跳ねる。第3楽章アンダンテは大きくうねり、第4楽章フィナーレでは魑魅魍魎たちが闇夜を跋扈する。聴衆は百鬼夜行のイカれた世界にどっぷりひたり、カタルシス(心の中に溜まっていた澱のような感情が解放され、気持ちが浄化されること)が喚起される。しかし曖昧さは微塵もなく、サロネンはあくまでもスマートでスタイリッシュ。けだし名演であった。

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マンチェスター・バイ・ザ・シー

評価:B

Manchester_by_the_sea

米アカデミー賞でオリジナル脚本賞・主演男優賞(ケイシー・アフレック←ベンアフの弟)を受賞。他に作品賞・監督賞・助演女優賞(ミシェル・ウィリアムズ)・助演男優賞(ルーカス・ヘッジズ)の計6部門でノミネートされた。公式サイトはこちら

「侘しい」映画だ。何ともやるせない。ただ最後に救いはある、そこはかとなく。寒々としたマンチェスター(アメリカ東海岸、ニューヨークやボストンより北)の風景がこの物語に似合っている。

脚本がしっかりしているから確かな手応えはある。でも好みじゃない。そういことだ。これは生理的な感情だからどうしようもない。

久しぶりにマシュー・ブロデリックを見た。ミュージカル映画「プロデューサーズ」(2005)以来?現在55歳。出演時間はたった5分位。小太りの冴えないおっさんに成り果てていた。

あと登場人物が全員白人というのが最近では非常に珍しいなと想った。主要キャストが4人いれば、少なくとも1人は黒人かアジア人、あるいはヒスパニックというのが昨今ハリウッド映画の主流(掟)になっている。ディズニー実写版「美女と野獣」もそうだし、「ラ・ラ・ランド」なんかちゃんとアフリカ系のジョン・レジェンドが出演しているのに(ライアン・ゴズリングの友人役)、それでも【白過ぎる】と非難された。

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ミュージカル「紳士のための愛と殺人の手引」と変装の名人について

5月6日(土)梅田芸術劇場で「紳士のための愛と殺人の手引」を観劇した。

Gentleman

2014年にトニー賞で作品賞・台本賞・演出賞・衣装デザイン賞と4部門を受賞したミュージカルの日本初演。殺される8役を全て市村正親が演じている。他に出演者は柿澤勇人、シルビア・グラブ、宮沢エマ(母方の祖父は元内閣総理大臣・宮沢喜一)、春風ひとみ 他。

シルビア・グラブは芝居も歌も大変うまい役者さんだが、如何せん42歳であり、年をとり過ぎている。柿澤勇人が29歳だからその恋人役にはちょっと……。まぁフランスのマクロン大統領みたいに25歳年上の女性と結婚する人もいるけどさ。

エドワード朝時代のイギリスが舞台になっており、ユーモアのセンスがアガサ・クリスティの推理小説みたい。あと連想したのが映画「毒薬と老嬢」(1948)とか「マダムと泥棒」(1955)など。イギリス映画「マダムと泥棒」にはアレック・ギネス(「戦場にかける橋」でアカデミー主演男優賞受賞。「スター・ウォーズ」のオビ=ワン・ケノービ役で有名)やピーター・セラーズ(「ピンク・パンサー」「博士の異常な愛情」)が出演してるが、ふたりは変装の名人として名声を轟かせていた。現在の変装の名人といえば、ティルダ・スウィントン(「オルランド」「グランド・ブタペスト・ホテル」「ドクター・ストレンジ」)にとどめを刺す。全員英国人。これはもう、国民性というか習性だね。

今回のいっちゃん(市村)の変装はゲイあり、女性あり。「ラ・カージュ・オ・フォール」のザザを長年演じているわけだし、こんなのお茶の子さいさい。

ミュージカルとしてはオーソドックスと言うか古めかしかった。あまり繰り返し観たいと想わない。振り返ると過去にトニー賞を受賞した「ライオン・キング」とか「春のめざめ」とかは革新性( innovation)があった。それがこの作品には欠けている。

そういえば柿澤勇人の「春のめざめ」は素晴らしかった。ぶっ飛んだ。また彼で観たいが、劇団四季を退団したからなぁ……。

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